「南無アッバ」を生きる ホーム » 求道詩歌誌「余白の風」 »第155号-10月南無アッバミサ前講話4

第155号-10月南無アッバミサ前講話4  

そしてもう一つの特徴は、そういう方からは、善き行いといいますか、愛の行為といいますか、そういうものが自然に流露したということなのです。

たとえば、税金が払えない人がいますと、黙ってこっそり、その人の代わりに払ってやったりとか、柿泥棒が入ってきて柿をとっていると、普通なら「こら!」といって追い返すところですが、梯子を持っていって、「おい怪我をしないように、ゆっくりとりなさい」なんてことを言ったとか――こうした実話が残っているんですね。

ちょっとそこまでいくと、変わり者という感じがするかもしれませんが、そういう人たちなのです。

こうした妙好人が一般に知られるようになったのは、鈴木大拙さんという大仏教学者の力が大きいのですが、その鈴木先生が書いた『妙好人』(法蔵館)という御本を以前読んでいました。

それで今回「信仰と行い」ということを考えるにあたって、その御本を少しひっぱり出して、改めて読み返してみたのです。

もちろん、このことについて、ズバリこれだというふうに、答えが出ていたわけではないのですが、このへんがヒントになるのかなと、思ったところがありましたので、ちょっと長いのですが、傍線のところを飛ばし飛ばし読まさせていただきます。
つづく
関連記事


category: 求道詩歌誌「余白の風」

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://yohaku5.blog6.fc2.com/tb.php/1206-af0e343c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

全記事表示リンク

リンク

検索フォーム

▲ Pagetop