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第155号-10月南無アッバミサ前講話2  

そういうことを念頭に置きまして、福音書の方を読んでみます。

<(そのとき、)イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群集の中から声高らかに言った。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。」しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」>

ちょっと両方に傍線をつけてみたのですが、ガラテヤ書では、先ほどもみたように、律法の行いがなくなって信仰が現れたといってるわけですね。にもかかわらず(といったらいいでしょうか)、福音書では、イエス様の最後のお言葉、「幸いなのは、神の言葉を聞き、それを守る人」とあります。

これをちょっとうがって見ますと、神の言葉を聞くだけではいけない、それを守らなければいけない、というふうに読めるわけです。

それでこの「守る」というのはどういうことなのかなあ、何か新たにしなければいけないのかなあ、と少し引っかかりましたので、ギリシャ語聖書で原語を調べてみました。そうしますと、この「守る」と訳されている原語は、ヒゥラッソンテスという言葉です。ヒゥラッソーというのが原形です。これを辞典で調べますと、「守る」のほかに、「監視する」という意味もあることがわかります。

そうすると、原語自体はガラテヤ書の「監視」とは違うのですが、意味合いとしては、なにか新たに律法以外のものに監視されて、自分たちの行動を見ていかなければいけないのか、というふうにもとれるわけです。

つづく
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