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第155号-作品とエッセイ1  

(*は主宰寸感)

名古屋市  片岡惇子

未知の中喜び溢れて柘榴裂け

母の遺影限りなく笑む良夜かな

「箴言」を五章噛み読む柿日和

掌触れれば悲しみ響く秋桜

在りて良しロザリオ繰りて花野行く

秋灯や胸中駆ける音がする

紅葉や燃えつくす命今在りて


私の母は、九十五歳で波瀾万丈の生涯を終えました。孫たちに「おばあちゃんは、大したもんだ」と言わせて。母の素朴な愛情とけっして挫けない生き様が伝わったものと思います。
母は働きつめて、倒れて四十年間入退院を繰り返していました。母を見舞った孫たちは、なぜ助産婦になったのか、その働きをよく聞いていたようです。

何よりも母が孫から曾孫にも伝えたこと――「勿体ない。」孫たちは、その母親に「勿体ないから」という言葉をよく使っていました。ある時、日中でしたが電気をつけて迎えた小二の曾孫が「あのなあ、少しくらい暗くてもちゃんと見えるんやから、電気つけることないんやで」と私を叱りました。

亡くなる前三年九ヶ月。母は直腸がんで人工肛門の手術をし、認知症も発症。母と私を支えてくれた医療スタッフの訪問看護のおかげで、自宅で過ごすことが出来ました。私は、今、その感謝の心でヘルパーとして働いています。これも母の遺産と思っています。

*巡り巡る人生、といいますが、まことに立派な生きざまをされた御母堂ですね。どんな人の生も死も、必ず周りの人たちに大きな痕跡、「遺産」を残していくという確かな証言をお聞きしたようで、うれしいです。
「命」「喜び」「悲しみ」・・・・泣くも笑うも、みなアッバの御手のなかで。

つづく
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