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求道俳句とキリスト教「余白の風」第153号2008年9月発行  

Copyright©2005余白平田栄一,All rightsreserved.

主宰近詠  蓮田市 平田栄一

バス停にバス一本をやり過ごし見入るスミレやかすかに震え

心底より笑えぬ心一つあり一つ消えてはまた一つ出づ

入稿を終えし書斎片づけて余命幾ばくの清しさに居る

木漏れ日に木々らじっくり思い出を語り合うてはそよ風に揺れ

夕闇の書斎に茂吉を貪れば階下に弾けるギターの哀し


わたしたちキリスト教俳人同士が互いに求道俳句を研磨し合うほかに、キリスト者でない方からの批評も、興味深く、また大いに参考になるものです。以下、拙句歌について最近頂いたコメントを、少しく紹介させていただきます。

ステファノ忌嘘押し通す子の痛み 栄一

「殉教者ステファノの忌日がいつなのか不明にして知らないが、教会にとっては大事な日なのでしょう。子の嘘を嘘と知りつつ聞いてやる。子の痛みはそのまま作者の心の痛み。教職にあられるクリスチャン俳人の胸にしみる一句である。」(「麦」八月号・綾野道江)

夕暮れは眼の底から冷えてきて悲しい記憶ばかりを起こす  栄一

「上句がたいへん美しく感覚的。視覚と触覚が働いているいい歌だと思った。どのような悲しい記憶かはわからないが、起こすという他動詞を結句に置いたところに力がある。ある長さの人生を歩んできた人のゆうぐれの眼を思う。」(「未来」八月号・菅洋子)


こちらは、ネット掲載記事から

「――日本文学とキリスト教――
俳人シリーズ第三回 平田栄一  
  
■作者について
現在作句を続けているカトリックの方で、文壇的には無名に近いが、信仰のよくうかがわれる平易でわかりやすい句を書き、ネット上でも多く発表している。

キリスト教の俳誌を同人と主宰したり、自他のキリスト教に係わる俳句を集めて解説した著作「俳句でキリスト教」(サンパウロ社)を書いたりしている。

求道俳句でキリスト教に親しんでもらう活動のほか、井上洋治神父の日本人の風土に合った神学も紹介している。「心の琴線に触れるイエス」(聖母文庫)など。

■作品
つまずきの石取り去られ盆の道

蝉しぐれ天に宝を積む如く

末席の気安さが好き夏の宴

希望というパン賜りぬ夏のミサ

夏期講習マルタマリアと揺れ動く

主のもとに駆け寄る夢や昼寝醒め

夏の雲湧いては四方へ遣わされ

ガダラの豚なだれ込みたる夏怒濤

白秋の風に溶けたるイエスかな

人類なら愛せそうです秋を行く

十字架の高きを流る羊雲

仰ぎ見る十字架優し敬老日


(常盤台バプテスト教会・お話:大田雅一)


作品とエッセイ(*主宰寸感)

豊田市  佐藤淡丘

きりぎりす鳴けリ工場跡地錆ぶ

校門の幾日閉じて晩夏かな

二階より聴くこほろぎの一夜かな

秋風や十字大きく切るがよい

うれしさよ虫の音われに問ふごとく


   小さな慰め
 ケイタイなるものから解放されて、やがて五年近くになります。その分交際範囲も狭まったでしょうが、殊更不自由なことはありません。これに同調するかのように、パソコン、テレビ等の映像の世界からも遠退くようにしていて、まさに化石人間に近い生活をしています。

 手紙は縦書き便箋にペン書き、電子辞書も使わず、分厚い「広辞苑」と漢和辞典をよっこらしょ、と引いて筋トレの一助としています。

 新しい情報は専らラジオ、新聞はコラム欄と社説だけにさせてもらい、日々頂いた時間の半分を福祉施設の掃除ボランティアに使わせて貰うという今の生活リズムは、神さまからの恵みそのものと思っています。南無アッバ。

*ケイタイは、わたしも「解放」というか、最初から持ったことがありません。主義主張があるわけではなく、なくても困らないので持たないだけです。ですから、あれをいつも肌身離さず持つ生活が、想像するに、すごく煩わしい気がするのです。

 むしろ今、気に入って持ち歩いているのは、バイブルサイズのシステム手帳です。これを、当然のように携帯を愛用している家族に見せたら、「そんなもの持ち歩いて、面倒じゃない?」って首を傾げられました。ますます人それぞれの時代なんでしょうね。

 それにしても、淡丘氏の「化石人間」徹底振りは恐れ入ります(笑)。不要なものを削った挙句の「ボランティア」や「生活リズム」とは、まさにアッバからの「お恵み」なのですね。秋を迎える静けさと前向きな句柄に共感します。


名古屋市  片岡惇子

両の手に真珠となりし玉の汗

打水やこだわり捨てて風の立つ

伝わらぬ意思の愛しき蝉時雨

夏の薔薇散りて知りたる主の心

神在りとさやかに見えず秋の風


 名古屋市には、一人くらしの高齢の方に、申し出により電話を設置し、その後ボランティアにより安否の電話をする「安心電話」という制度があります。たまたま、この電話相談員の募集があり、応募、初めて二十数名の方にお電話しました。

数分の会話ですが、一日中話すこともなく過ごされる方にとって、会話することは嬉しいことではないかと、私の経験から察しられます。

初回でありながら困難な相談を受けました。生きることの辛さを感じさせられましたが、少しでも暖かいコミュニケーションを持つことが出来ればと思います。神様が、又、私に働く場所を与えて下さいました。

*「安心電話」とは、なるほどやり方によっては、素晴らしい愛の行いになるのですね。

 このお話から、わたしは「マルタとマリア」のエピソードを思い出しました(ルカによる福音書一〇章)。忙しく立ち働くマルタに対して、イエス様は次のように言います。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことを思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。

マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(四一節)イエス様が「必要なことはただ一つ」という、その「良い方」とは、この文脈で言えば、「主の足もとに座って、その話に聞き入」ることですね。この時、ご自分の話を、マリアに熱心に聞いてもらえたイエス様は、正直うれしかったと思うのです。

わたしなどは、マリアと正反対で、相手の話を待たずについつい自分からしゃべってしまう方なので、片岡さんのような聞き上手な方を尊敬します。そのお人柄が今回の句にも出ています。とくに、「主の心」「神在り」の二句、求道俳句として優れています。


秦野市   長谷川末子

一匹じゃ淋しいでしょう赤とんぼ

あり合せ並べる夕餉虫の声

茄子が来て煮付を分ける団地かな

秋雨は山の彼方のお蔵まで

慈雨去りて歓喜の如き蝉時雨

主とペテロ湖渡る秋の波

新約をくみ取れぬ儘夜長かな

花茗荷姉妹召されし庭に生ふ

秋すだれ選句の席に影落し

秋茄子を漬けて糟糠の妻となり

秋の夜情ある友と長話

葉鶏頭気の合ふ友と大笑ひ

鰯雲羽音残して鳥一つ

法師蝉むくろとなりて吾のもの

導かれ御手にすがりつ老夫婦


CDを有難う御座いました。メロディが時々浮かんで参ります。時間をかけて拝聴いたします。『俳句でキリスト教』を改めて拝読して居ります。世界の人々がお互いの違いを尊重して、大きな輪となって大庭に入りたいと思いました。

これからも教えて下さいますように。少しずつ心が開いて行く思いです。今一度俳句に戻りたいと考えています。前頭葉をゆり動かしたいと思って居ります。改めて御指導下さいます様に御願い申し上げます。

*茄子が来て煮付を分ける団地かな  末子

 いわゆるマンションではない「団地」生活というのは、どこか郷愁があって、昭和の良き人情が残っているような気がします。堅実で落ち着いた生活の模様が、諸句に素直に表現されています。

 まとまった本の形では個人句集を出していないわたしにとっては、『俳句でキリスト教』が、約二〇年の求道俳句生活――ライフワークのまとめといっていいと思います。あそこに俳句や信仰について学んだことや言いたいことを、ほとんど盛り込んだつもりです。再読まことにありがとうございます。

 今ご投句くださっている方々は、みなわたしにとっては人生の大先輩方です。こうして編集している自分が一番学ばせていただいているなあ、と実感します。


一宮市  西川珪子

蹲居の波紋やさしき浴衣会

眼を閉じて懺悔の祈り遠花火

磨き上げるメダイの鎖り被昇天

蟻の列崩せし罪を祈りに入れ

大き目の項垂れてゆく向日葵は

ひとときの夏物語鵜飼かな


*<浴衣会>のくつろいだ気分に応えるかのように、蹲居の波が揺れている。

<遠花火>にアッバの光、声を聞きながら、静かな祈りが捧げられます。

<メダイ>の鎖――ロザリオの鎖が連想され、永井隆さんや原爆のことへ・・・・「被昇天」効いています。

<蟻の列>のような小さな者への愛情。良寛さんを思い浮かべました。

<向日葵>が炎天下、わたしたちに代わって祈ってくれます。

<鵜飼>の姿に、ひと夏の思い出がよみがえる。

カトリック俳人の短い黙想話:余白

以下は、去る八月一〇日~三一日まで、「毎日のミサ」(カトリック中央協議会発行)をテキストに、一回五~七分の短い個人的黙想話をインターネットにアップしたもの(音声)から起こしました。

「気前のいい神」

八月二〇日(水)聖ベルナルド記念日

(エゼキエル書三四・一~一一、詩編二三、マタイによる福音書二〇・一~一六)

聖ベルナルドは十二世紀前半、教会の分裂を修復すべく、平和と一致のために活躍しました。
その記念日にちなんで、今日全体の朗読テーマは「牧者」になっているのだと思います。

第一朗読のエゼキエル書では、神自らが、ご「自分の群れを探し出し、彼らの世話をする」と宣言されます。それを受けて、詩編は二三、典礼聖歌は、私の大好きな一二三番が歌われます。

そして福音の方では、このところずっと続けて読まれている「マタイによる福音書」から、「ぶどう園の労働者」のたとえが読まれます。このたとえは、ある意味でむずかしいとよく言われます。すなわち、わたしたちが馴染んでいる、現代の一般的な労働条件からは、なかなか推測しにくい話として有名なのです。

このペリコーペは、天の国では「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」(二〇・一六)という言葉で話が締めくくられていますけれど、その前の節では、ぶどう園の主人が、「自分のものを自分のしたいようにしては、いけないのか。

それとも、わたしの気前のよさをねたむのか」という言葉を最後に言うわけですね。このぶどう園の「主人」を「アッバ」と置き換えてみますと、非常に気前のいい神様、アッバというのは出し惜しみをしない方である、ということになる。そういうことを、今日は黙想の種にしてみたいと思います。

これはちょっとめずらしい黙想ネタかもしれませんけど、イエス様は、他の箇所、たとえば「マタイ福音書」の山上の垂訓でも〝アッバは正しい者にも悪い者の上にも、同じように雨を降らせ、太陽を昇らせてくださる〟(五・四五)というようなこともおっしゃっています。

こういうことから、神様の考える平等性、公平さというものと、わたしたちが一般的に、政治や経済社会のなかで考える平等性や公平とは、ちょっとズレがあるということを知っておくべきではないか、と思うのです。

わたしたちは、人間の常識で、平等とか不平等とか、こちらが良いとか悪いとか、分別をつけようとするわけですが、神様には別の基準といいますか、むしろわたしたちの考えるような基準はないといった方がいいかもしれません。

そういう意味での「気前の良さ」というものを、常にアッバはお持ちになっている、そのことをわきまえるべきではないか、と思うのです。

これもなかなか、わたしたちには頭で考えてわかるような「気前の良さ」ではないかもしれません。であればなおさら、わたしたちは「南無アッバ、南無アッバ」ということで、「どうぞ神様の基準でわたしたちを見てください」とお任せするということですね。

それも安心して――つまり裁く、裁かれるということではなくて、神様の基準の目から見たときには、すべての人が平等に、公平に置かれていくんだ、ということを希望を持って、わたしたちも黙想し、お祈りしていきたいと思います。


井上洋治『イエスの福音にたたずむ』

 井上洋治神父様の新刊が出ました。長い間主宰誌「風」(プネウマ)に連載してきた「福音ばなし」に、加筆訂正した、説教集です。

 井上神父様は、これまで多くの著作を出してこられましたが、説教集としてまとまった本は初めてだと思います。もともと実際に話された内容なので、非常にわかりやすく、またミサ中の説教ですから、簡潔に要点をついています。

 構成がイエス様の御降誕から始まり復活へと、福音書の順番になっており、先年出された『わが師イエスの生涯』と並行して読むなら、南無アッバの心が少しずつ醸成されていくように思います。(日本基督教団出版局)


後 記

*本誌「余白の風」年会費の件につきましては、皆様にご協力いただけることになり、心よりお礼申し上げます。今回の件だけでなく、日頃から原稿とともに、皆様からいつも暖かなお声を掛けていただき、小さな会ながら、ここまで十八年余り続けてきて、ほんとうによかった、そしてなんと贅沢で有難いことだったか、と改めて感謝しております。
今後ともよろしくお願いいたします。

*「余白の風」既刊号の残部があります。
 号数指定には応じられませんが、所属の教会やお知り合いに配布用として、お申し出頂ければ、無料でお送りいたします。希望総数をお知らせください。

*上記「カトリック俳人の短い黙想話」のCDを、ご希望の方に手作りします。
①〇八年八月一〇~一九日版
②〇八年八月二〇~三一日版
の別をお知らせください。(一枚送料共千円)
*①は今回会費納入してくださった方に無料配布したものです。
――――――――――――――
主宰著作『心の琴線に触れるイエス』(聖母文庫)、『俳句でキリスト教』(サンパウロ)他。
本誌「余白の風」(一九九〇年創刊)は、井上洋治神父の提唱する「南無アッバの心」を生きるため、俳句を中心として、共に道を求め、祈り合うための機関誌です。どなたでも、賛同される方の参加をお待ちしています。(原稿採否主宰一任)

○締切=毎月末
○年会費二千円(半年千円 A4版誌代・送料共)
○投稿先 郵送またはHP「今を生きることば」から。
購読ご希望の方は、余白メールでお申し込みください。
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