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求道俳句・南無アッバの心「余白の風」第152号  

2008年
8月発行
Copyright
©2005余白・平田栄一,
All rights
reserved.


主宰作品   蓮田市 平田栄一

白抜きの聖句が塀に冬日向
寒暁や語学に灯す老いの窓
幼子の受洗うれしき聖胎祭
愛を説くビラをもらいし神の留守
曇天の静けき朝や報恩忌
紅葉散り初めし週末便秘がち

偶さかの老父の電話に思い立ち冬黎明を独り墓参す
寝たきりも主の働き手と老神父信者を諭し静かに去りぬ
夕日浴びわが方向は定まれり聖句を食らい道を求めん
御心を行う者とは主の傍に佇む人とイエスは言えり
ロザリオの祈りのように繰り返す加除訂正の日々の連関


以下ちょっと季節外れですが・・・・

イヴミサや俄か信者の溢れける
聖誕祭子の一言が気に掛かり
ステファノ忌嘘押し通す子の痛み
主を待てるイルミネーション眩しかり
身の丈の聖樹に灯し父祖の家
願い事少しは叶い師走かな
もう何も言わずにおこう冬の月


作品とエッセイ(*主宰寸感)

秦野市  長谷川末子

  夏
両手に買物ぶら下げて/背はぐっしょりに濡れている/顔からどっと汗が出る/夏は暑いと言い聞かせ/古い団地に帰り着く//冷たいタオルで汗を拭く/元気がどっと湧いてきて/昼餉の仕度もホイこらしょ/満腹満足ごろ寝して/蝉の合唱遠ざかる//夕風吹くと虫が鳴く/夜中の空に月が出る/嬉しさあふれて止まらない/そっとすり寄る神様に守って下さる神様に

鉄線花

鉢植の鉄線花/紫の花蕾も一杯/ゆさゆさ揺れて重かった//窓辺に置いて眺めた/蕾は次々と咲き幸せだった/花も五十個近かった//少し見飽きた頃から//花数は減って小さくなった/最後の一輪となった//一ヶ月前の出逢いと/別れが迫って来た/心から淋しいよ


*「夏」ある寝たきりの方が、「私にとって生きるとは生活すること」と言っていたのを思い出します。そしていつもアッバが見守ってくださる。「鉄線花」花も人も出会い、そして別れて行く。様々な思い出、喜びもあれば、あのときどうして?という後悔もあるでしょう。そうした甘さも苦さも、共にアッバは背負ってくださっています。そのための十字架――。


豊田市   佐藤淡丘

唖蝉の低きにありて意を尽くす
鳴き止みて蝉の世界の祈りかな
くちなし錆ぶかのマタイ受難曲
雲の間に一粒となる去ぬ燕
翳を出て真一文字の黒揚羽


炎暑礼賛
夏の高校野球・地方予選の準々決勝は、見どころのある対戦カードが組まれてをり、ファンにとっては、嬉しい日数(ひかず)である。
今年も炎暑の最中、いそいそと独りででかけた。ワイフに大形のおむすび二個と水筒を準備させ、麦藁帽子とリュックサックという出で立ち。首に巻く冷たいタオルも必携。
午前一つ、午後一つのカード、私学野球王国の雄と県立進学校の対戦は、応援合戦を観ているだけでも楽しい。二つとも七回コールド戦とはなったものの、全力疾走の丸刈頭は昔と少しも変わらない。
 地方球場だけに臨場感を存分に味わうことができ、炎天下もなんのその。六〇〇円の入場料の半券も大事に持ち帰り、この日の日記帳に挟み、若者からのエネルギーの証とした。

*うーん、いつもバイタリティ溢れる淡丘さんの生活に学ばされます。読んでいてこちらも元気を分けてもらいました(笑)。御句、「低き」「止む」「錆」「去ぬ」「翳」等々、この炎暑を静かに沈潜する、万物の祈りの声が聞こえてくるようです。


練馬区  魚住るみ子

ドクターの眉目(まみ)あたたかし水仙花
礼状の短くありぬ花すみれ
お互ひの物忘れとておぼろ月
緑陰や誰が訳読まむ千年紀

  音訳テープ
ぬばたまの闇に生くるを嘆かへる友に贈らむ歌の巻ひとつ

*「礼状の」句、心の伝達は文章の長さではないですね。短いからこそ身に沁みるということがある。それが俳句になっていたり――。「お互ひ」の句、「物忘れ」と「おぼろ」の縁語感、そして「月」が効いています。


名古屋市  片岡惇子

苦瓜の苦きを分ち主の祈り
苦瓜の苦きが良しや一人膳
夕立や流しきれない水の泥
目を覚ませ焼きつくまでに朝の蝉
唾吐けば我に落ちいて百日紅


 昨年、知人から袋一杯の苦瓜をいただき、その味の虜になりました。最も代表的なゴーヤーチャンプル。苦瓜を縦に二つに割り、種をよくとって薄切りにし、さっと塩茹でする。(苦味が緩くなる)豚肉をさっと炒め、苦瓜を入れる。醤油で味付けして卵を割りほぐして絡ませる。簡単な料理ですが、病み付きなった。他には、豚肉の冷しゃぶ、いかと合わせて酢味噌にしたり、サラダにしたり、少し残る苦味がなんとも言えない。不思議ですが、広辞苑によると、苦瓜は、茘枝とも言い、茘枝の中には、かの楊貴妃が好んだ甘い果物ライチーと、苦い野菜・苦瓜ゴーヤーがあり、熱帯アジア原産で、日本には中国から渡来したとか。しかも、ビタミンの最も多く含まれた野菜。隣に住む妹が、今年は、家で栽培するからと、五月頃苗を3本ほど植えた。今、2センチ程の黄色い花が一杯咲いている。いつ実になるか楽しみ。苦瓜に私がはまったのは、その苦さ。人も又そうである。少し、苦いことを言ってくれる人に真実を見ます。

*苦瓜は、どこか大人の味という感じがします。野菜の味というのは果物と比べて、微妙ですね。さっと茹でただけの御浸しの美味さは、年を取る程わかってくる。ちょっと「苦味」を持った人――その苦さがわかりにくい世の中かもしれない。


相模原市  柳瀬よし枝

雨音を聴き入る胎児である
マリア像の目差しに熔かされる闇
踏まれるイエスにも母がいた
箱舟に乗ったやうな地震に心揺れる
良いお顔と言はれて嬉しさうな観音様
逃がすつもりが南無阿弥陀
中東の黒き油に天使の泪一滴


*ひさしぶりに、自由律の句を見せていただき、懐かしいです。自由律は現在、口語が主流なので返って難しい面もあります。しかし御句は冗長を押え、詩情豊かに書けています。「南無阿弥陀仏」も意味深長です。


一宮市  西川珪子

打水やきらめく石に癒されつ
藤枝の先ぐんと伸び夏祭り
食み出して己れを主張す夾竹桃
半夏生忘れし化粧問うてゐる
空を行く雲刻々と変る夏


*西川さん、初めての御投稿ありがとうございます。御句、どれも落ち着いた詠い口で、安心して読めます。アッバが万物を通して語りかけてくださっている、その細き声に耳を傾けることが、「求道俳句」の趣旨と心得ます。どうぞ末永くお付き合いください。
井上洋治『イエスの福音にたたずむ』


 井上洋治神父様の新刊が出ました。
長い間主宰誌「風」(プネウマ)に連載してきた「福音ばなし」に、加筆訂正した、説教集です。
 井上神父様は、これまで多くの著作を出してこられましたが、説教集としてまとまった本は初めてだと思います。もともと実際に話された内容なので、非常にわかりやすく、またミサ中の説教ですから、簡潔に要点をついています。
 目次を見ますと、構成がイエス様の御降誕から始まり、復活へと福音書の順番になっており、先年出された『わが師イエスの生涯』と並行して読むなら、南無アッバの心が少しずつ醸成されていくように思います。ぜひ、御一読ください。(日本基督教団出版局)

本誌「余白の風」(一九九〇年創刊)は、井上洋治神父の提唱する「南無アッバの心」を生きるため、俳句を中心として、共に道を求め、祈り合うための機関誌です。どなたでも、賛同される方の参加をお待ちしています。(原稿採否主宰一任)

○締切=毎月末
○年会費二千円(半年千円 A4版誌代・送料共)
○投稿先 郵送またはHP「今を生きることば」から。
購読ご希望の方は、余白メールでお申し込みください。

*主宰著作『心の琴線に触れるイエス』(聖母文庫)、『俳句でキリスト教』(サンパウロ)ほか。
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