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南無アッバを生きる「余白の風」 第151号  

2008年 7月発行
Copyright©2005余白・平田栄一,All rightsreserved.

主宰作品   蓮田市 平田栄一

人の世の流れについて説きし人流れに乗りて逝ってしまった

春へ脱ぐ肩書き一つひとつずつ脱ぎ終わりては何も残らず


ヨハネ1・29~34
見よ神の小羊が来る其処此処に受験の子らに病の床に

マルコ2・18~22
新しき酒は飲め飲め花婿よ末席汚す我も楽しき

僅差にて大結論に達したる会議の後の甘苦きガム

慎重に審理つくしたはずなのに出た結論に澱む悲しみ



作品とエッセイ(*主宰寸感)

豊田市   佐藤淡丘

葉脈を擦りし烈火のほととぎす

水の輪に蝌蚪の吐息のありぬべし

絶妙や登りつめたる蝸牛

眼帯のをとこ麗し椎若葉

かわほりや橋の匂ひを連れ還る


 先回(第一五〇号)で新美南吉の詩「墓碑銘」のことについて触れましたが、わが師、俳人・故小川双々子の展墓の折、その一角(カトリック墓地)に、次のような墓碑銘が刻まれていたのを思い起しましたので、ここに謹んでご披露させていただきたいと思います。

  枯菊を焚き天よりの聲を待つ   小川双々子

  神のもの霧は自由に天にかへる  小川 法子

  水の上に一人が立ちて水澄めり  岸  貞男

  美しき日傘の翳をすこし貰ふ   箆津

 俳誌「地表」(廃刊)の主宰・小川双々子とその高弟の眠る墓碑は、尾張野の冬空に凛として耐え、その声や。発止とまで受けとめる思いで暫し立ち尽くしたものでした。

<お詫びと訂正>先号で、新美南吉の名前を新見南吉と誤って書いてしまいました。お許しください。


名古屋市  片岡惇子
惠かな十字架の道に夏の雨
イエスの道巡りて痛し薔薇深紅
異邦人もその一人日焼けして
ガリラヤ湖恐れるなと主風涼し
信仰の中に日常と芙蓉不動


外観にとらわれていた私の中に、静かに、それらが取り払われていきました。
モーセに導かれエジプトを脱出したイスラエルの民。目指したシオンの山。

しかし、彼らは神様に不平を言い、それでも神様はナム(パン)を与え、七日目には安息をするようにと、六日目には二日分を与えられた神様の配慮(愛)のこと。神様は、これでもかと最高の愛を示して下さいました。イエス様の十字架と復活。

パウロによって、異邦人の私にも福音して下さったのに同じように不平(罪)を言い、信仰の中に生きていない私。

僅かに覗く空がにわかに雷模様。ビア・ドロローサ(悲しみの道)を三人で十字架を担ぎ、石畳を墳墓教会へ向かう。今担いで下さった十字架は、全人類のために、闇の中の光となって償って下さったと思うと、心の中の涙が止まらない。

ガリラヤ湖は、涼しい風が吹き渡っていました。遥か山上の垂訓教会を見ながら周遊。舟を止め、はるか二千年前の波の音、鳥の声を聴く。その時、イエスは湖上を歩いて弟子たちのところに行かれた。恐怖の叫びをあげた弟子たちに「恐れることはない。」

ペトロが舟から降りて水上を歩き、イエスの方へ進んだが、強い風に怖くなり主に助けを求めた。イエスは、手を伸ばして捕まえ「信仰の薄き者よ、なぜ疑ったのか」と、叱った。私の耳に響きます。信・望・愛を、私の中に深めて下さいと、祈りつつ。感謝の巡礼の旅。


秦野市  長谷川末子
海芋咲く給ひし人の訃報聞く
花茨瞳澄みたる人の逝く
鉄線花召されし友の面差しを
朴の花激痛に勝ち友召さる
生も死も涙ぬぐはる神の御手
 

大笹姉の昇天は驚きと悲しみで一杯でした。リウマチ末期の激痛と闘う毎日でした。しかし、痛みを顔にださず、訪れる人々の相談相手になり、多くの人と人を結び、又慰めていました。「世界一の仕合せ者」が口癖でした。新薬の実験台にもなりました。

教会員の中で一番遠い存在の私には、部分的にしか分かりませんが、悲しみと人柄を偲んでいます。死を身近に感じ、一日の重さを考える様になりました。

文京区   大木孝子
羊皮紙の膚のぬくみや百忌
金絲雀(カナリヤ)と蒸しパンのある春景色
ガリラヤの春の丘邊を寄邊とす
はくれんや嚙むに忍び難き御聖體(おんからだ)


(野守三二号より)


相模原市  柳瀬佳枝
捨てたいと思へど天からの涙
微笑みに助けられて街に出る
囀りが朗らかに聴えるペンテコステ



鈴木大拙著『妙好人』ノート2

4 他力教の長所:妙好人を育てたこと
受動的「ありがたさ」だけでなく、
禅者以上に酒酒落落、
哲学者以上の宇宙観
栃平ふじ「この茶の中にも三千世界」ほか
小川チエの歌・・・損と儲け:絶対矛盾の自己同一

5 浄土真宗の二主流
(1)「教行信証」系・・・・学者としての良心:伝統思想で正当化、知性的・論理的
(2)「歎異抄」「和讃」「消息集」系・・・・「借り物」の漢文ではなく、普段着の日用の言葉で中からのまま率直に語る
主体的経験、ありのまま、赤裸々の吐く
和讃:まだ飾りもの、文学的工作
歎異抄:最も的確に表現・・・・他力宗経典の最高
宗教書は、平常語で書かれたとき、重要性が増す。
<作為と自然ということ、求道文学形式にもいえようか>
妙好人の流れは『歎異抄』から出る。
他力宗の真面目は老匠の座すより百姓の夕顔棚下の片肌涼みから
<うまいたとえ。庶民による発展。先アッバミサ伊藤幸史神父の発言を思い出す>
侘しい茶室で一服の茶を喫する「ゆとり」が妙好人の他力的安心
罪業深重・無知の自覚が学問・智慧の箔を剥ぎ落とす。→妙好人を生んだ。

6 妙好人と秘事法門の流れ同じ
しかし他力信心の獲得は唯識論的転依現象であり、心理的変態――宗教的準備ないと「狐つき」「神がかり」になってしまう危険。

7 妙好人は、よく所信を文字に表わす
字が書けなくても、表現衝動あり
「信心の喜びは、口に筆に出なければ承知できぬ、これが人間である。」
<これはうれしいヒント!われら求道詩歌人の創作動機となる――意識的、作為的伝道でなく、信心の自然発露めざすべき>
例:森ひな
「○となへるしようみよう、われがとおもうた、
そうでなかつた、みだのよびごえ、
ああ、ありがたい、なむあみだぶつ。」
――どのような他力宗信者も口にするところ
<聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。(Iコリント12・3)
神の子とする霊によって、わたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。(ローマ8・15)
神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった(ガラテヤ4・6)――まったく同じ心ではないか。>
宗教的矛盾の物言い:他力信心の不思議な浸透性
浅原才市「へ。たりき、じりきはありません。
ただいただくばかり。」を
トマス・ア・ケンピス「わが願うところは、悔い改めの定義でなくして、これを心に感じること」(キリストに倣いて)に比肩――妙好人は、この「感じ」「味わい」を中心に生活
<信心の理屈でなく、体験的・無意識的発露を言ったものか>

8 妙好人の世界的貢献
世界国民としての日本の他力宗の寄与として
妙好人を産出する偉大な霊性的創造力を世界に進出させよ。
対近代文化批判:人間性の外殻破るに無能、その相対性、物質生産面の底流汲み取れぬ、今後の文化への無計画性

9 「一 妙好人」所感
以上、妙好人の輪郭了得。
以下、実例として、浅原才市の自由詩紹介
<此処までの所感:一気に本書「その一」を楽しく読ませていただいた。鈴木大拙の文体は、時代的で硬いが、それがあるいは、妙好人という稀有な市井人の柔軟性を語るとき、相俟って味わい深いものになっている。また、私事ながら、浅学恥ずかしながら、これまで名称くらいしか知らなかった、この妙好人世界を垣間見るようになって、まだ日が浅いが、公私生活が幾分なりと、落ち着いてきたように思う。有難し 南無アッバ08/5/24夕刻記>


本誌「余白の風」(一九九〇年創刊)は、井上洋治神父の提唱する「南無アッバ」の心を生きるため、詩歌を中心に各自が模索する機関誌です。賛同される方の参加をお待ちしています。(原稿採否主宰一任)

○締切=毎月末。返信用切手一枚を同封してください。○会費は無料です。但し通信費援助として、切手(八〇円、五〇円、一〇円)をカンパしていただけると有難いです。○投稿先:ホームページ「今を生きることば」又は、郵送にて平田まで。

主宰著作『心の琴線に触れるイエス』(聖母文庫)、『俳句でキリスト教』(サンパウロ)ほか。
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