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浄土真宗における「機法」  

機=こちら 凡夫 人
法=あちら 仏  神

向うから来るしか何も出来ないことを才市は、
「名号が当る」
<アッバの主導性に類比>

または、
「南無(機)がわたしで阿弥陀(法)が親で、これが親子の南無阿弥陀仏」
<神人の父子関係、アッバの親近性に類比>

また
「なむあみだぶはみだのいき(息)、わたしや、あなたのいきに、とられて、なむあみだぶつ」という。
<神の主体性と聖霊(プネウマ)=おみ風さま>

機が全く法に摂取せられる。
しかし機は無にならず、「ざんぎ」「かんぎ」慈悲を感じる。
機法は「一即多・多即一」――才市の体験的自覚
(~p.50)
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