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7 妙好人は皆詩人  

7(p.31)

妙好人は、よく所信を文字に表わす

字が書けなくても、表現衝動あり

「信心の喜びは、口に筆に出なければ承知できぬ、これが人間である。」

<これはうれしいヒント!

われら求道詩歌人の創作動機となる

――意識的、作為的伝道でなく、信心の自然発露めざすべき>

例:森ひな

「○となへるしようみよう、われがとおもうた、

そうでなかつた、みだのよびごえ、

ああ、ありがたい、なむあみだぶつ。」

――どのような他力宗信者も口にするところ

<聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。(Iコリント12・3)

神の子とする霊によって、わたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。(ローマ8・15)

神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった(ガラテヤ4・6)

――まったく同じ心ではないか。>

宗教的矛盾の物言い:他力信心の不思議な浸透性

浅原才市「へ。たりき、じりきはありません。

ただいただくばかり。」を

トマス・ア・ケンピス「わが願うところは、

悔い改めの定義でなくして、これを心に感じること」

(キリストに倣いて)に比肩

――妙好人は、この「感じ」「味わい」を中心に生活

<信心の理屈でなく、体験的・無意識的発露を言ったものか>
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