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あるクリスチャン生活  

うちも実家は臨済宗の檀家で、親戚には神主がいますー。

以下、カトリックのぼくの場合です。

基本的に初ミサに行きますが、子供連れて、浅草寺にいったこともあります。(妻は非キリスト者)。お正月は、家庭祭壇に、お供えや松飾りも立てますー。教会にも立ってます。

実家にいる姉もカトリックですが、思いっきり○十万円の仏壇があって、その中に聖母子像なんかちょこんと置いてます。神父が来たとき、「いいね~」って言ってました。もちろん、お線香は毎日、ぼくもお盆や正月に帰省すると、まずお線香あげます。で、†も切っちゃう。

洗礼前より、むしろ神妙にお仏壇に向かうようになったように思います。

ぼくも当然、家の代々の墓に入ります。たぶん、墓石に†霊名刻んでもらおうと思っています。

お焼香も普通に。

夕ミサとか、平日ミサに顔出したり。疲れていると1ヶ月くらい行かないこともあります。が気まずくなるようなことはありません。「ひさしぶりだね」「まあね」で終わり。

プロテスタントは、幅がすごーくありますが、ぼくも求道中の印象としては、真面目で熱心な人が多いと思いました。で、カトリックになったのは、「ぼくにはついていけないなー」と思ったけど、どうしてもイエス様から離れたくなかった、って感じかな。

そんで、遠藤さんの信仰を見つけたわけです。「うん、これならぼくも」ってな感じ。

そうですね。印象としては、カトは話していても、信者かどうかわからない人が多いように思います。

こういう率直な「印象と感想」こそ軽視できないことだと思います。

なんせ、買い物と同じで、まず手にとってもらわなけりゃ、始まりませんから。

> 子供もお宮参り、七五三、成人式と。

> 私はこういったもろもろのすべてを捨てられませんでした。

わたしはまったく捨てる必要がないと思います。

むしろ「日常行事に食い込む」んじゃなくて、「どんどん取り込んでいっていずれキリスト教化」してしまえばいいんじゃないかなんて、野心もあったりします。。。ぷぷ。

> その覚悟もないのに洗礼は受けられない、と思ってしまいました。

そこなんですよね。こういう外形のところで狭き門をつくっちゃうキリスト教の問題!

ぼくには、お線香上げたから、仏壇に向かったから、お宮参りしたから、って「おまえは、罪を犯したな~、裁きを受けろ!」なんて言うイエス様とは夢思えません。

むしろ未信者の人たちの心情を大切にしたね、ってほめられるんじゃないのかな?

だから、うちの姉貴なんかみてると、立派だなーって思います。

だから未信者の父母は、すっかりキリスト教の見方が変わりました。

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