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復活信仰の根拠6.よき人と出会う  

しかし、キリスト者になる、ということは、そうした、一般的に言われる危険をおかしてまで、「復活体験の絶対性」――弟子たちが復活したイエスに出会ったという体験は「絶対体験」だったのだ、ということを、信じる、そこに賭けているということになるわけです。

さあ、いったいいつから、そんなに思い切ってしまったのか(笑)・・・・と、さらに考えますと、これは、キリスト者それぞれに実存的な理由があるでしょう。

 私自身のことを振り返れば、まず、第一に、井上神父様との出会いは最も大きいものです。それは、私の信仰の、いわば木の幹のようなものなのです。

神父様に出会って、そのお人柄に触れ、「復活は、よくわからないけれど、こういう方が信じているのなら、まちがいない・・・・」正直、受洗礼前後、そんな気持ちが働いたのだと思います。

 『歎異抄』は、親鸞さんの凝縮した言葉に満ちていますが、そのなかに、全国から教えを聞きたくて、集まった人たちに言った、次のような言葉があります。

「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと、よきひとのおほせをかぶり、信ずるよりほかに別の子細なきなり。」

 すなわち、「よき人(法然上人)のお言葉をいただいて、信ずる。」信頼できる人の仰せに賭ける、運命を託す。ほかに道はない、という、そういう思い切り、決断!
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