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復活信仰の根拠5.絶対体験という矛盾  

 そもそも、「体験の絶対性」あるいは「絶対体験」という言葉が、私には、大変奇異に聞こえたのでした。

なぜかというと、「絶対」というのは、神様にしかあり得ないこと、時空を超えた普遍的・無条件的な意味を持つ言葉なわけです。

それに対して、本来「体験」というのは、どこまでいっても相対的でしかない人間の、個別・具体的・条件制約的な言葉です。

 そういう神の領域の言葉と、人間の領域の言葉――矛盾する二つの言葉が、くっついている。俳句の方では、「二物衝撃」といって、異質なものを取り合わせて面白みを出す、という手法があります。

私が感じたのは、それに似た新鮮さだったのではないか。

 普通に考えれば、パウロやイエスの弟子たちといえども、相対的な人間でしかない、もしかしたら一回か、せいぜい数回かしか経験できなかったような、たまたまの、それも、必ずしも学問があったわけでもない人間の体験は、ますます信用できない、と思うのが、一般的はずですね。

それを絶対化してしまう危険、というものを、一般の人たちからは指摘されるかもしれない。
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