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6.無意識に働きかける神-第19回:無意識の真実-『風』第78号2008年春  

ここまで書いてきた筆者の頭には、次の聖句が思い浮かびます。

<だから、以前のような生き方をして情欲に惑わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、
心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、

真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。>
(『エフェソの信徒への手紙』四章二二~二四節)

この句にいう「心の底から」という言葉は、現代心理学に置き換えれば、
「無意識から」ということになるのではないでしょうか。

そして、日本語に訳されたこの聖句を読むと、
なにやら道徳的なニュアンスが強く感じられるのですが、
大事なことは、わたしたちが「古い人」から「新しい人」へと、

無意識領域から「新たにされて」(受動態)変容させられる――新たにする主体は意識的な「私」ではなく、あくまでアッバ=神だということです。遠藤氏の指摘するように、

無意識はたしかに、わたしたちのどろどろした欲望がうずまく「汚れた場所」でもあるのでしょう。しかし、そこでこそアッバの力が主導的に関わるのです。
筆者は、井上神父が最初の著作『日本とイエスの顔』において、「新約聖書は、行為を要求する実践的指導書である」と指摘し、神父自らもその教えを実践してきたことに、まず感銘した、

と述べてこの稿を起こしました(『心の琴線に触れるイエス』序にかえて)。
そして、第二部では、その内容として、井上神学の聖書に対する求道者としての体験的実存的読み方の特徴を一覧してきたわけです。

今、井上神父の畏友であった遠藤氏の信仰論を垣間見ながら、これまで述べてきた井上神学の実存的体験的諸特徴を思い返すとき、これらはすべからく深層意識=無意識レベルにまで届く体験、

ということを念頭に置いて神父は語っていたのではないか、と感慨を新たにするのです。そして、
〝人間の生き方は、理性によっては根本的には変わらない〟と、

若き日に心理学を相当勉強したという井上神父が、繰り返し述べるところの真意が理解できるように思うのです。(つづく)
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