「南無アッバ」を生きる ホーム » 求道詩歌誌「余白の風」 »主宰作品-第148号2008年4月発行

主宰作品-第148号2008年4月発行  

求道俳句とエッセイ「余白の風」
Copyright©2005余白・平田栄一,All rightsreserved.

  蓮田市 平田栄一

主の祈り   ルカ11・1−4

秋光や陰り始めて聖書閉づ

神の指から神の国  ルカ11・15−26

芭蕉忌や海越え来たる便りあり

神の前の豊かさ   ルカ12・13−21

選りて行く日陰日向や秋の旅

必要なことはただ一つ ルカ10・38−42

秋冷の水で洗いし泣きっ面

求めよ、さらば   ルカ11・5−13

朝寒や聖書に探す今日の糧

神の言葉を聞く幸い ルカ11・27−28

受験子の座右に対訳聖書かな 

ヨナのしるし   ルカ11・29−32

そこはかとなく秋色に染まりたり

 年度替りは、学校現場では卒業・入学というおめでたい話と、進路の合否をめぐる明暗とが錯綜して、あわただしい毎日が繰り返される。

とくに、受験した企業や大学が、すべて不合格のまま、卒業していく生徒への言葉には、神経を使う。
 そんなときわたしは、よく次のように言う。

「どんなに努力しても、どんなに祈っても、欲しいものが手に入らないときがあるよね。

だけどそういうときは、きっと神様が、もっと良いもの、もっと君にふさわしいものを、用意してくれているんだよ・・・・。」

 そういうと、どの生徒もたいていは、怪訝そうな、「信じられない」という顔をする。しかしほんとうは、その先が言いたいのだ。

「なぜって、神様は『アッバ、お父ちゃん』って呼べる、優しい方だからだよ。

そういう方が、意地悪をして、子供が本当に望んでいるものを与えない、なんてことは考えられないじゃないか。

――魚を欲しがる子供に、蛇を与えたり、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親はいない。

悪い人間でも、自分の子供には良いものを与えるのだから、ましてアッバは・・・・
(ルカ一一・一一~一三参照)。」

 ここまで言いたいのを、ぐっとがまんして、去っていく生徒の後姿を見送る。
関連記事


category: 求道詩歌誌「余白の風」

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://yohaku5.blog6.fc2.com/tb.php/1079-93d40e89
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

全記事表示リンク

リンク

検索フォーム

▲ Pagetop