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作品とエッセイ2-第147号-p.3  

名古屋市 片岡惇子

春の雪灰を受けたる気怠さや

淡々と道行く人に春の雪

寂しさを焦がして雪降る黙々と

残雪や自我を煮る鍋小さ過ぎ

道凍り転びてもこの道歩む

一人なり一人であらず花芽堅く

手離して多くを得たり椿落つ

天上に燃ゆる音残し椿落つ

只一つイエスの祈りアッバ 雪



 暦の上では春ですが、今冬初めて名古屋にも積雪がありました。

一週間経ってもところどころに雪が残っています。

この日も雪模様。

夕方から雪になると予報が出ています。

そんな中、カルメル会のベルナルド神父様の「イエスは祈られた」という「祈り」についてのお話を聞きに出かけました。

――イエス様は、寂しい所で祈っておられた。

山へ行き、夜を徹して祈られた。

キリストの祈りは、ただ一つの言葉〝アッバ〟父よ。だけでした。

言葉を発する必要はありませんでした。

私の祈りは、神とのコミュニケーションが祈りです。

神とのつながりがあるように――祈り――私の存在は、ここから始まります。

心で祈ってください。

あなたの愛を神様は望んでいます。――

 静かな、安らかな時間をいただきました。


*「祈り」をどうとらえるか、実行するかは、拙著『俳句でキリスト教』のまえがきでも書いたとおり、わたしにとって、俳句を始めた動機ともなるものです。

沈黙のなかで自ずから湧いてくる「アッバ」の一言が、究極の祈りであるということ――「南無アッバ」


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