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作品とエッセイ1-147号-p.2  

(*主宰寸感)
         豊田市 佐藤淡丘

 楽譜巻き梅の小枝をそつと打つ

 薄氷の愛(かな)しき傷も天のもの

 眠る町黒町のまゝ初の雪

 吹かれつゝ薄氷ときに無辺際

 淡雪の裏側にゐて天仰ぐ


 今回、わが俳句工房とは、と少し洒落こんで自問自答してみました。その答は「坂道の背面歩行」であります。

早朝丘に登り太極拳を舞った後、一旦坂を下り、再び頂点に向けて背面歩行を始めます。

闇の中、白線との距離を計りながら、くねった道をずんずん後ろに歩みますが、その数約四百歩、時間にして四~五分の行程であります。

 このとき、ふと句意が浮かぶのです。それっとばかりにメモをとりたいのですが、生憎そこは暗闇、口で呟きながら帰りの街灯下まで記憶の網をかぶせます。

何故この坂道の背面工房(?)が俳句に効くのでしょうか。

つらづら考えると、どうも背中で感ずる明日の景色と腹式呼吸が脳の言葉中枢を刺激するのではないかと思っています。

皆さん、一度やってみてください。


*「背面工房」とは、新発見ですね。

きっと脳医学的になにか、大発見の材料になるかもしれませんよ(笑)。

興味深く思います。

たしかに、早朝は私どもも、パッパッと句が浮かぶことが多いです。

夜中に浮かんだ句は、朝になるとたいていどうしようもない駄作が多いのですが、早朝句は、それほど手直しがいらないくらい完成度高いという経験があります。

p.3へ続く
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