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高校倫理「キリスト教」授業録3-第145号  

五 都合の悪い言葉ほど史的事実!?

「ある人が(イエスの所に)走り寄って、ひざまずいて尋ねた。」(一七節)
という記述からは、この人のそのときの気持ちが察せられます。

かなり焦りというか、せっぱつまった感じです。

また、「ひざまずいて」というのですから、
この人はイエスを尊敬していたんでしょうね。

今まで話したことはなかったんだろうけど、
うわさで伝え聞いたりしてイエスのことはだいたい知っていた、
すごい人らしい・・・・そんな感じでしょう。

そして呼びかける、「善い先生!」と。

やっぱりイエスを尊敬していたことを思わせる言葉です。

ところが、イエスはこの呼びかけに対して、
「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。
神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。」(一八節)と答えます。

このイエスの最初の反応は、どうだろう?

すぐ思いつくのは、イエスの謙虚さ、謙遜ってことだね。

「自分は『善い先生』などと呼ばれるほどの者じゃないよ・・・・」という、
偉い先生だからこその謙虚さ――。

ただぼくは、それだけのことなのかな?
と勘ぐっちゃいます。

何かもう少し深い意味が隠されてやしないか・・・・どうだろう?

さっきもいったように、福音書というのは、
「イエスをキリスト(救い主)」と証言し、
またその信仰を強めるために書かれた書物でした。

とすれば、それを書いている著者、つまりこの場合は「マルコ」
――その他にもマタイ、ルカ、ヨハネなどがいます――
福音書記者にとっても、
読者である原始キリスト教団(初期のキリスト教会)の人たちにとっても、
イエスは当然、「善い先生」だったはずだよね。

ところがそれを否定するような言葉が、イエスの口から出た――。

これは、「イエスこそキリストだ、神の子だ」と宣言する福音書の趣旨や目的、
原始教団の信仰に、あまり都合のいい言葉じゃない。

でも面白いことに、そういう言葉が福音書には、
ところどころ残っているのです。

さっきぼくは、福音書というのは
「伝記のような体裁をとった信仰宣言書」といったけど、
その意味は、
ぼくたちが普通にいう「伝記」や「歴史書」とはちょっとちがうということです。

つまり、年表を文章にしたようなかたちで、
何年の何月何日に何があって、イエスはこう言った、
次には何々をした・・・・というように、いわゆる5W1Hを時間順(時系列)に、
歴史的事実を述べていく、というようなことには、
あまり関心が払われていないのです。

むしろ、福音書記者は、「イエス=キリスト」を宣言するために、
集めた資料を、けっこう自由に再構成しています。

こういう話を聞くと、たぶんきみたちがすぐ気にするのは、
イエスはマリアが処女だったのに生まれたとか、
奇跡を起こして水の上を歩いたとか、ただでさえ信じられないのに、
そのうえ信仰のために史実(歴史的事実)をねじ曲げたような本が、
いったいどれだけ信用できるか、ってことじゃないですか?

これ、「福音書の史実性」という古くから議論されてきた問題です。

だけど逆に言えば、こういう福音書、
あるいは新約聖書全体の性格から考えると、
「おれは、善い先生なんかじゃないよ」みたいな、
キリスト教にとって一見都合の悪いように思える記事ほど、
史実性が高い、とはいえないだろうか。

典型的なのは、ペトロや弟子たちの裏切りの場面――

弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。
(『マルコによる福音書』一四章五〇節)

イエスの死後、初期キリスト教会のトップとなっていった弟子たちが、
まっさきにイエスを裏切って、逃げてしまった、と書かれているのです。

こんなことは、どう見ても教会にとって都合のいいことじゃない。

権威が傷つくでしょ。

そういうことを、ちゃんと記録しているのです。

これは明らかに史的事実だと思います。

同じように、さっきのイエスの言葉、
「なぜ、わたしを『善い』と言うのか・・・・」というのも、
実際イエスが語ったそのままの言葉なんじゃないかと思います。

当時の教会や信者に都合の悪いような言葉が、イエス自身の口から実際に出て、
多くの人が憶えていた。

だから、簡単に削ったり、変えたりできなかったと推測されるからです。

それだけに大きな意味を持っていると、ぼくは考えます。

だから、このイエスの否定の言葉をもう少し、つっこんで考えてみたい。

単にイエスの謙遜の思いから発した言葉じゃない、ということをね。
(つづく)
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