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第2部(18)史実から真実へ4.エマオの旅人(「風」第77号連載2007年冬)  

 井上神父のライフワーク完成の書ともいうべき『わが師イエスの生涯』でも、

外的史実と内的真実とを区別しながら、次のように語っています。

<河合隼雄の言うように、物語とは、初めに物語作者の深層意識に

到底言葉では言い表せないような強いインパクトを持った

深層意識的原体験の事実というものが与えられ、

それが表層意識に浮かびあがって来て心全体につながり、

また人にも伝えようとして言葉となり展開されていったものだとすれば、

確かに物語は歴史的事実とは言えないかもしれないが、

しかしその物語の奥には、深層意識的原体験の事実とも呼べるものが

横たわっているはずである。

いまこの深層意識的原体験の事実を「真実」という言葉で表現してみれば、

物語は歴史的事実を伝えていないかもしれないが、

しかしその奥には深い真実が秘められているのである。>
(一五頁)

右の「歴史的事実」(外的史実)と「深層意識的原体験の事実」

=内的「真実」とを区別する考え方は、

本章冒頭のレオン・デュフールの言葉や、

遠藤周作氏の聖書解釈にも通じるところですが

(『イエスの生涯』第九章、第十三章など)、

井上神父は右書の最終章、

一一章「師イエスの逮捕と死と復活」においても、

「復活者顕現物語」として<エマオの旅人>

(『ルカによる福音書』二四章一三~三五節)を、

この考え方にもとづいて読み解いています。

<エマオの旅人>以下の「復活者顕現物語」は、

『ルカによる福音書』とそれに続く『使徒言行録』を結ぶ扇の要にあたり、

記者ルカにとって重要なペリコーペであったことは間違いないでしょう。

また、井上神父が「生命を削る思いで書き上げた」

『わが師イエスの生涯』の最後「復活」の項で<エマオの旅人>を

中心に語るということは、神父にとってもこのペリコーペが、

「復活者顕現物語」のなかでも最も思い入れがある話だからではないでしょうか。

筆者個人としても、この物語は大変美しく、

かつ最も示唆に富んだものだと思っています。

私事ながら、先年出版した拙著『俳句でキリスト教』(サンパウロ)でも、

このペリコーペを、

旅びとや夏ゆふぐれの主に見ゆ

という、山口誓子の印象的な句とともに取り上げました。

<ふつうに「復活者顕現物語」とよばれている物語は、

史実をそのまま語ったものではない。すでに述べたように物語は、

深層意識に強いインパクトを受けた物語作者の宗教体験が、

日常意識の座にのぼってくるときにとる形式である。>
(『わが師――』一九〇頁)

右のように井上神父はまず、前述した「史実」と「真実」の関係を、

復活者顕現物語のなかで展開される「史実」と「物語」形式の関係として確認します。

その上で、<弟子たちに現れる>や<イエスとトマス>と同様、

<エマオの旅人>の「二人の弟子」が置かれていた状況から、

その当時の彼らの心境を、ていねいに「推測」します。

すなわち、『ルカによる福音書』に淡々と描かれた、ほんの二節、

<ちょうどこの日、二人の弟子が、

エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、

この一切の出来事について話し合っていた。>
(二四章一三、一四節)

という記述を、最後の晩餐からイエスの十字架死の状況までも最大限考慮に入れ、

その「行間」が読み取られていきます。いわく、

<二人の師の弟子が、絶望と自己嫌悪にとらわれて、

重い心と足をひきずりながら、エマオという村にむかって歩いている。

この二人の弟子は十二弟子とはちがって、師と同じ席にいたわけではないが、

しかし「ゆるしの晩餐」にはあずからせていただいた弟子たちである。

だからこそ十二人の弟子と同じく師イエスが十字架を背負って

血まみれになってお倒れになったときも、師を見捨て、

裏切ってお慰めにもでなかった自分たちの卑怯さと、だらしなさに、

後悔の念に打ちひしがれ、シャロンの野の夕暮れよりも、

もっともっと重く、暗い心と足をひきずりながら歩いていたのである。>
(一八九~一九〇頁)
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コメント

史実より真実

明けましておめでとうございます!

今年もよろしくお願いします。


資料の信憑性や「史実」かどうかに、あまり潔癖になりすぎると、
豊潤さと大きさ持った祖師を、かえって小さくしてしまいますので、
可能な限り資料を収集した上で、その物語が伝えようとしている「真実」を読み取ろうとする姿勢は、
とても大切だと思うし、すごく共感します。

いとー #- | URL
2008/01/02 10:28 | edit

いとー様

あけまして、おめでとうございます。

史実と真実は、さまざま微妙な問題を
わたしたちに、提供していますね。

今後ともよろしくお願いいたします。

余白 #oBO5MkqQ | URL
2008/01/03 07:07 | edit

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