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第2部(18)史実から真実へ1.史実と真実(「風」第77号2007年冬掲載)  

<信仰は当初から、「神話的」言語、または表象的言語で、

実存的実在を表していたのである。

実存的実在が深い体験としてある場合には、

通常の合理的言語の枠を越えるのである。>

(レオン・デュフール著『イエスの復活とその福音』八〇頁、三保元訳、新教出版社、オンデマンド版)

レオン・デュフールは、このように、信仰の内実は、

「神話的言語」「表象的言語」で語られるものであって、

通常わたしたちが使う「合理的言語の枠を越える」ものである、といいます。

したがって、右書における氏の詳細な復活論は一貫して、

新約聖書の「表象的言語」――象徴性を読み解くことを中心に展開しています。

井上神父の復活論は、神父自ら語るように、

このレオン・デュフールから大きな影響を受けています。

<・・・・復活したキリストは、それ自体は本来、

歴史的なナザレのイエスのように目に見える、対象化しうるものではなくて、

普通の肉眼には見えず、また対象化することもできないのです。

復活のキリストは体験する以外にとらええない原事実です。

だからこそ、人によって、復活のキリストとの出会いの体験を、

生前のイエスの姿として、旅人の姿として、

あるいはまた強烈な光としてあらわしたのです。>

(『日本とイエスの顔』第六章)

「対象化しえない復活のキリスト」は

「体験的にしかとらえられない原事実」である、と神父は強調します。

この考えから、

前出『ルカによる福音書』<弟子たちに現れる>(二四章三六~四三節)では、

「対象化しえない」復活体の三次元的可視性でなく、

「体験的にしかとらえられない」イエスによるゆるしを

重視する立場がとられているのです。

それは、復活の外見的史実へのこだわり

(もちろん、史的事実を無視するということではありません)より、

「イエスによるゆるし」という内的真実を重視する姿勢といえます。

これはまさに、井上神父の視点から、

福音書の「表象的言語」を読み解いた結果にほかなりません。

そして、復活にイエスのゆるしを見る、というこの結論は、具体的には

<実際に「歴史的」なことを証明することを、第一に考えているものとは逆に、

本書では、テキストが語りかけるのを聞くことから始めなければならない>

(『イエスの復活とその福音』二七頁)

<まず、テキストを通して得られる一連の解釈を把握すること、

・・・・次に、歴史的事実の意味の、焦点を定めること>

(同三一六頁)

という、レオン・デュフールの立場と同様、あくまで新約聖書、

福音書に表象された言語を手がかりにしながら、

まず、その「テキストが語りかける」内実に、追体験的に耳を傾ける、

という謙虚な姿勢から出たものです。

前述したように、一求道者としての井上神父は、

<あれかこれか>の実存的選択を決意して、

現在の「アッバ神学」にたどり着いた(アッバの岸辺に流され着いた)わけですが、

それは、この復活解釈に典型的にみられるように、

けっして、ひとりよがりな思い入れからではなく、

丹念に、繰り返し「テキストに聞く」という、謙虚な姿勢と、

祈りから出た結論にほかならない、といえましょう。

本稿で筆者は、井上神学の特徴をさぐるために、神父が聖書の行間を、

いかに丹念に読み取ろうとしているか、ということにこだわってきました。

この「行間読み」の姿勢こそ、

ここにいう「表象言語の読み取り」ということになるのだと思います。

<人間が神の行動の奥義において神に至るのではなく、

神だけが人間に出会うために行為されるのであって、

その行為は現実の出会いとして知覚的に受けとめられるものではない。

イエスを復活させた神の行為は歴史的認識の対象ではなく、

理性のみによって、経験から出発して得られる認識ではないのである。

つまり、すべての人間がそのまま知りうる事実ではないのだ。>

(同三二五頁)

イエスの復活体が、特定の選ばれた「証人」や「使徒」だけに顕現された

(『使徒言行録』二章三二節、一〇章四一節、一三章三一節など)ということは、

復活者顕現がアッバによる目的的主体的行為であったことを示唆していますが、

右のレオン・デュフールの言葉、傍線部はそのことをのべており、

また後半は、復活が科学的客観的な認識の埒外にあることを示唆しています。

それゆえなおさら、井上神父のように、

福音書の行間を求道者として追体験的に読む――アッバに耳傾ける、

ということの重要性が強調されるのだと思います。
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