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科学と宗教  

*私は個人的には、科学と宗教の葛藤が、日本人の求道には大きな影響があるとはあまり思っていないのです。

たとえば、『マタイ』が典型ですが、まず処女懐胎がある、奇跡がある、たしかにどう受け取るか一つのハードルでしょう。

しかし、「求道心」を起こすときというのは、単純な場合なら、「もしイエスが神の子であればそのくらいのことはあってもおかしくない」そう思って通り過ぎることもできるんじゃないかと思うのです。

むしろ、日本人のつまずきは、その後に出てくる「山上の説教」に代表される厳しい倫理規定なのだと思います。

欧米人は彼らなりにそれを受けとめ、乗り越えたのでしょうが、日本人はこの倫理・道徳を持ち出されると非常に弱いんですね。

奇跡よりこちらの方がついていけない、と感じる人が多いのではないでしょうか。

これは深く突っ込めば、「罪と恥」の文化の違いなんてところまでいっちゃいそうですが。。。

もしあなたが指摘されたように、根本主義の問題が出てくるとすれば、そうした考えが現実の信者や求道者にリゴリズムを迫っていく場面で、ということなんじゃないかと思います。

もちろんそういう意味では、昔のゴリゴリのカトリックもつまずきであったわけです。

つまり聖書解釈や教義より、まず、表面に出てきた教会や印象が、日本人の現実主義的感性にどうマッチするか、ってなことなのだと思います。

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