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キリスト教はなぜ日本で広まらないのか  

*キリスト教はなぜ日本で広まらないのか、そんなことをいつも考えています。

アメリカ式の大衆伝道、っていうのありますよね。

実はぼくは1980か81年かに、ビリーグラハム氏が日本に来日して、後楽園かすごい大きな集会に出たのです。

そのときの内容はとりあえず省略しますが、・・・・ともかくぼくの結論として「これはとてもキリスト教にはついていけない」というものでした。

これは正直な告白です。

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category: キリスト教の難しさと問題

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コメント

辛いキリスト教

何年か信仰を続けてきました。
神でも仏でも徹底的に求めて求めて、聖職者に過剰な期待はせず、聖典解釈は自分なりに書籍も読み考えて、場合によっては他派の聖職者も尋ね歩いて、それでも現在キリスト教に疑問を感じることがあります。
観念論なので、考えが及ばないと無条件に神にあけわたすのも洗脳・思い込みのように感じることもあります。
納得できず信仰しているのは現代人には辛いような気もします。

あれだけ膨大な聖典を無条件に従える人は、そういないのじゃないでしょうか。聖書解釈が意外な内容だった時は更にショックで、教会組織のやり方に合わない時は本当に落胆します。

コバ #hPMBWIjk | URL
2011/04/12 15:27 | edit

コメントありがとうございます

はい、難しいところですね。
理性の納得と心情的にしっくりするということ。
それができれば苦労はないのですが。。。。

やはりどこかで、理性の納得を飛び越える、という所が
信仰にはあるのでしょう。
とくに旧約聖書は歴史・文化がまったく違う民族宗教の聖典ですから、より感覚的に違和感があるのだと思います。

余白 #oBO5MkqQ | URL
2011/04/13 07:21 | edit

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