「南無アッバ」を生きる ホーム »2019年01月
2019年01月の記事一覧

01/30のツイートまとめ  

yohaku5

https://t.co/uP5AfGxJ9T
01-30 17:38



category: ツイッター記事

tb: 0   cm: 0

01/29のツイートまとめ  

yohaku5

風強し https://t.co/RR432nNCOI
01-29 14:37



category: ツイッター記事

tb: 0   cm: 0

01/28のツイートまとめ  

yohaku5

ドストエフスキーに寄せて https://t.co/O9JTSjGCfT
01-28 19:45



category: ツイッター記事

tb: 0   cm: 0

要約・南無アッバの集い&平田講座第52回  

実施14-10-18
「余白の風」第236号掲載
(テキスト『心の琴線に触れるイエス』聖母文庫)

〇前回まで、テキスト55頁■「痛み」と「悲愛」の第二段落、「共に」を巡って、野呂芳男氏の北森神学批判から、〝北森神学は、怒る神を前提とした父性原理が強く、戦後の日本人が欲した苦しみを共にしてくれる神ではなかった〟ということをお話ししました。

母なる神は、遠藤周作の「同伴者イエス」、井上洋治の「アッバ」、また青野太潮の「ために」でなく「ともに」のキリスト論などによって、ようやく開花してきたといえましょう。
 
次に進みます。

56頁A
「また彼(パウロ)は『ローマの信徒への手紙』八章で次のように言っています。

『つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。

被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。』(八章二一節)

ここでの被造物クティシスという言葉は、人間以外の生きとし生けるものをさしていると考えられますが、パウロはここで、この生きとし生けるものは、私たちと共にうめいている(スステナゾー)と言っています。

このスステナゾーという動詞はステナゾー、うめくという動詞にスン、共にという意味の前置詞をつけたもので、この共にというところに、人間中心主義をこえたパウロの、人間と生きとし生けるものとの深い共生感がうかがわれます。」

(『風の薫り』一九三~一九四頁 傍線平田)


「共に」という、パウロに見られる「共生の神学」の例示です。

この井上神父の言葉はここでは「人以外の生きとし生けるもの」との共生を強調していますが、「共にうめく」という所は「十字架の神学」を想起させます。

青野流に言えば、ただ共生するのではなく、「十字架」を共にする、という点が強調されるわけです。


 井上神父はご存知のように、晩年は老いの苦しみを正直に訴えていました。

これまでもお話ししましたが、そういうことを言う神父様というのは、私も見たことがない。

愚痴をいう神父というのはいましたが、こういうふうに弱みや寂しさを、あたかも逆告解のように、一般の私たちに率直に言える井上神父というのは、やはり人間的なプライドをこえて、イエスさまに、アッバさまに捕らえられていたからこそだったのではないか、と思うのです。


 そういう井上神父は、青野氏がいうような十字架の「弱さ」を共に生きた、すなわちパウロが言った「わたしもまたイエスのように」(一コリント二・三)という福音のポイントを生きられたのではなかったでしょうか。

だから晩年のあの神父の泣き言のような発言も、それをただ「神父ともあろう者が情けない」と受け取るのは、考えが浅い、ということになると思います。


「余白の風」入会案内
このブログサイドバーからメールでお問合せください。


category: 南無アッバの集い&四谷講座

tag: 「余白の風」,第236号,
tb: 0   cm: 0

01/27のツイートまとめ  

yohaku5

@yomutokaku しかも、青空文庫などネットでも無料で、文字の大きさも自由に読める環境が整いつつある。有難い、なんと贅沢な時代だろう。
01-27 10:37

RT @yomutokaku: 書店に行き、数百円出せば、二千数百年前に生きたプラトンの著作を、日本語で読むことができる。考えてみると、とんでもなく素晴らしく、また、すごいことではないだろうか。そのとき私たちは「本」という器に入った目には見えない叡知への扉を手にしているのである…
01-27 10:37

RT @201yos1: 神は常に新しい。だからこそ、「私が在るだろうもので私は在るだろう」というのが、神によってモーセに告げられた自らの名前であったのだ。人間が精緻な神学体系を築き上げて、神の存在やその在り方を厳密に把握することができたと考える時、人間は神に近づくどころか、最…
01-27 10:38

@yomutokaku 今日は蓮田市図書館でのお話ありがとうございました。よい「言葉」をたくさんもらいました。
01-27 16:15

@yomutokaku その本屋さんがとうとう身近から消えてしまいました。今や車か電車に乗らなければ新刊が置いてある本屋には行けません。青年時代、小遣いをためて、自転車を飛ばして買いに行った本の感触を思い出します。
01-27 21:56



category: ツイッター記事

tb: 0   cm: 0

01/26のツイートまとめ  

yohaku5

何度も挫折したからこそ、再読を重ね、そのたびに新しい「コトバ」と出会える喜びもある。 https://t.co/j0M2OxG8VX
01-26 09:22

RT @yomutokaku: 風邪をひいている時は、どんなに美味な食べ物も、私たちの身体は受け付けない。言葉と心の関係もこれに似ている。「心が風邪をひく」という表現があるが、こうしたときは、心が温かくなり、安心して眠れるような言葉が必要だ。もちろん、役に立つ言葉、強壮効果のあ…
01-26 09:22

RT @yomutokaku: 第三詩集『燃える水滴』(亜紀書房)が発売となります。名久井直子さんの美しい装丁です。ぜひ、お手にとって頂けましたらと存じます。石牟礼道子さんへの追悼詩もいくつか書きました。どの本も心を込めますが、この詩集には特別なおもいがあります。お読みいただけ…
01-26 09:23



category: ツイッター記事

tb: 0   cm: 0

01/25のツイートまとめ  

yohaku5

RT @mitakaforest: @yohaku5 イエスさまがご覧になり、テレジアさまも仰ぎ見た空・・・よき空か、そうでない空か、すべては自分の「受容の姿勢」にかかっているように思います。どんな杯も、「御手から頂き直して」佳きものと喜びのうちにいただくことができれば、曇天の…
01-25 11:47

RT @mitakaforest: @yohaku5 佳きものしかお与下さらない、私以上に私を知ってくださっているお方だから・・・そう思って、今ここを大切に、懸命に時を紡ぐ・・・光のアーチのあの彼方に、笑顔をたたえてきっとお待ちくださっている・・・そう思える幸せが信仰の醍醐味・…
01-25 11:47



category: ツイッター記事

tb: 0   cm: 0

南無アッバの集い・井上神父の言葉に出会う:平田講座  

明日1月26日(土)予定通り行います。
http://yohaku5.blog6.fc2.com/blog-entry-2830.html
寒い中ですが、お気をつけておいでください。
初めての方も大歓迎!


category: ○お知らせ・報告

tb: 0   cm: 0

アッバに呼ばれる  

『アッバを呼ぶ』自句補注  蓮田・平田栄一

ミサ毎に蕾やわらぐ桜かな

逃げ水を追うて迷いし羊かな

外灯に群れることなし冬の蝶

人生の帳尻如何に復活祭

神ともに在(いま)せば蒼し秋の空



*①典礼暦を人生の歩みとして。

②迷い込んでもアッバの方から探してくれる。

③孤独な道の果てに。

④ルカ16・19「金持ちとラザロ」参照

⑤イエスが見た青空


〇平田栄一求道俳句集
第2集『アッバを呼ぶ』(千円)
第3集『悲愛のこころ』(千円)
お申込みは、平田まで。〒一八〇円


category: 求道詩歌誌「余白の風」

tag: 第236号,悲愛のこころ,アッバを呼ぶ,
tb: 0   cm: 0

01/24のツイートまとめ  

yohaku5

@mitakaforest そして、その総監督者は、絶対信頼に値する方!
01-24 19:28

@mitakaforest 「御手から頂き直す」とてもよい発想ですね。
01-24 19:31

@mitakaforest はい。井上神父の原点は「イエスさまの見ていた青空が見たい」という素朴な願いだったと思います。
01-24 19:33

RT @yohaku5: @mitakaforest はい。井上神父の原点は「イエスさまの見ていた青空が見たい」という素朴な願いだったと思います。
01-24 19:34

RT @mitakaforest: @yohaku5 『「自我実現」ではなく、「自己実現」』人生の主役の座をアッバに明け渡し、自分の望みではなく、総監督であられるアッバのご意向を忠実に演じることこそが自己実現、そんなイメージと捉えています。
01-24 19:35

RT @mitakaforest: @yohaku5 『一つの祈りを十年続けていれば、見えてくるものがある』すとんと落ちます。「南無アッバ」と、神さまを信頼してすべてを委ね、すべてを佳きものと御手から頂き直して、日々の行いと言葉を紡ぐ・・・その繰り返しを10年、また10年と続け…
01-24 19:35

RT @yohaku5: @mitakaforest 「御手から頂き直す」とてもよい発想ですね。
01-24 19:35

RT @mitakaforest: @yohaku5 『井上神父の生涯の願いは、イエス様が見ていた空が見たかった、というものです。』神父さまの詩にもありますね。神父さまの設えてくださったお窓を通して、私達もイエスさまが見上げた空を仰ぎ見ることができます。「南無アッバ」と唱えてす…
01-24 19:36

RT @mitakaforest: @yohaku5 『亡くなった人が存命中より身近に感じられるという経験はよくあることです。私にとっては井上神父や父などがまさにそういう人です。』全く同感です。ふと天を仰ぐと「南無アッバ、南無アッバだよ」と、井上神父様のお声が聞こえてきます。
01-24 19:37

@mitakaforest キューブラーロスの「人生は愛の学び舎」を思い出しました。
01-24 20:56

-- 続きを読む --


category: ツイッター記事

tb: 0   cm: 0

日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

全記事表示リンク

リンク

検索フォーム

▲ Pagetop