「南無アッバ」を生きる ホーム »2016年01月
2016年01月の記事一覧

01/30のツイートまとめ  

yohaku5

@mitakaforest 同感です。理屈でなく、今ここにあることの幸いーーそれは苦しみや弱さがあっても、むしろそこにおいてこそ力を発揮するアッバを、身をもって示された。当時の人たちはそれを見抜いて、アッバと叫んだんでしょうね。南無アッバ
01-30 06:37



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01/29のツイートまとめ  

yohaku5

真理よりイエスと共におるが幸  ヨハ8。ドストエフスキーは、「たとえ真理がキリストの外にあったとしても、わたしは真理と共によりむしろキリストと共にとどまりたい」と言った。自然科学的「真理」では手の届かない次元での「美しいキリスト」を慕い続けたドストエフスキー。その心に共感する。
01-29 21:06



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01/27のツイートまとめ  

yohaku5

十字架に溶かす苦難や寒晒し  マコ一五。わたしたちが苦しみにあるとき、「アッバの『おみ風さま』は、私たちの弱さを助けてくださり、イエスさまも、ご自分の背負われた十字架の苦しみに、私たちの苦しみをとけこませ、私たちの代わりに祈ってくださると信じます。」(井上著作選集5)南無アッバ
01-27 20:42



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01/25のツイートまとめ  

yohaku5

キリストがわが内に生く冬の朝  ガラ二。「生きているのは、もはや私ではなく、キリストが私の内に生きている」(二〇節)。ただしこのキリストは、「十字架につけられている」(一九節)キリスト。今の苦しみを祈りのなかで、十字架のキリストに合わせるとき、主と共にわれらはアッバに抱かれる。
01-25 18:30



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01/24のツイートまとめ  

yohaku5

うわ言の「アッバ」と聞こゆ夜長し  ロマ八。この手紙の頂点をなすといわれる第八章。聖霊=おみ風さまによってわたしたちが、神を「パパ!」と親しく呼べるのだということ、悪事をも含めた「万事」をアッバは「益となるように」取り計らって下さるのだということなど、重要な教えが凝縮されている。
01-24 20:28



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01/23のツイートまとめ  

yohaku5

おみ風にまかせて生きよ寒の月  ガラ五。「霊の導きに従って歩みなさい」(一六、二五節)と訳されている聖句を、井上神父は「風にまかせ切ってお生きなさい」と訳す。わたしたちは神様の子供として、「アッバ」と叫ぶ霊=プネウマ=風をいただいたのだからあとは、その導きにゆだねるほかない。
01-23 20:59



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01/22のツイートまとめ  

yohaku5

1月23日(土)南無アッバの集い&平田講座 https://t.co/6jsT9rjEnS
01-22 06:12

わが思いアッバにゆだね山眠る  フィリ三。「あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださる。」日々の生活は迷いの連続――ああかもしれない、こうかもしれない――所詮は不完全な人間の判断。しかし最後はアッバに委ねるなら、必要な修正をアッバが示してくださる。
01-22 21:06



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1月23日(土)南無アッバの集い&平田講座  

寒い中ですが、お気をつけておいでください。
初めての方もどうぞ。


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01/21のツイートまとめ  

yohaku5

地に伏してアッバに祈る寒夜かな  マコ一四。イエスの祈りは、いつも「アッバ」で始まっていた。「アッバ」とは、パパ、おとうちゃん、といった幼児語。主は十字架に向かう前も「ひどく恐れてもだえ始め」アッバに祈った、と福音書にある。わたしたちも苦しい時にこそ率直に、アッバに甘えればいい。
01-21 20:18

@mitakaforest そうですね。今、著作集をめくりながら、このツイッター句文を進めています。書きながら、井上神父の声がよみがえってくるのを、実感しながら。南無アッバ。いつも、返信ありがとうございます。
01-21 20:25



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01/20のツイートまとめ  

yohaku5

青き踏む大工イエスはガリラヤに  マタ一三。「大工」と訳された原語「テクトン」は、あちこちを巡回する「何でも屋」や家具職人のような仕事だった。それゆえイエスは、貧しいガリラヤ地方の人々の苦しみや悲しみを肌で感じておられたに違いない。イエスのアッバに対する祈りの原点は、ここにある。
01-20 18:19



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