「南無アッバ」を生きる ホーム »2015年12月
2015年12月の記事一覧

12/30のツイートまとめ  

yohaku5

弱さこそ神の力や蚯蚓鳴く  Ⅱコリ一二。病の治癒を願ったパウロは、「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」と主に言われます。キリストの福音は逆説に満ちています。弱さゆえに十字架につけられたイエスを見上げるとき、私たちは「弱いときにこそ強い」(一〇節)との信仰を頂くことになるのです。
12-30 12:10



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12/29のツイートまとめ  

yohaku5

主にありて主のごと歩め冬の空  Ⅰヨハネ二。「イエスのように歩め」(六節)などと言われたら、たいていの人は引いてしまうかもしれない。しかし、それはイエスの真似をしろ、ということではないだろう。井上神父は「イエスの個々の行為ではなく、それらが出てくる姿勢をこそ見つめなさい」と言う。
12-29 17:21



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12/28のツイートまとめ  

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ゆるされて生きよ幼子殉教忌  マタイ二。罪のない人や子供たちが犠牲になる現実は、いつの時代も、今も変わらない。それは、直接加担しないまでも、私たちの内に潜む罪性と無関係ではありえないだろう。にもかかわらず、私たちは今こうして生きている、ゆるされている。その現実がすでに福音である。
12-28 13:17



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12/27のツイートまとめ  

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母は子を心に納め聖家族  ルカ二。多言せず子の成長を見守る母。曲がりなりにも三人の子を育ててきた身としては、なかなかできることではないと実感します。しかしよく見れば、マリア様もいつも沈黙していたわけではない。その一言のタイミングとその後の対応。それらも含めて見習いたいと思います。
12-27 15:04



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12/26のツイートまとめ  

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主を迎え入れしステファノ殉教忌  使徒7章。典礼暦では、主イエスの誕生を祝った翌日が、キリスト者最初の殉教者を記念する祝日になっています。福音記者ルカは、パウロをこの殉教に立ち会わせることによって、イエスの悲愛が彼を回心に導いたことを言いたかったのだと、井上洋治神父は推測します。
12-26 10:17



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12/25のツイートまとめ  

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肉となる言や如何に降誕祭  ヨハ1・14。ミサで使う「聖書と典礼」に、この節にいう「肉」は「特に、弱く滅びゆくものとしての人間を指す」とある。古来神学の方では神と神の子との関係が議論されてきたが、理屈はともかく、イエスが私たちと同じ弱さを背負ってくださったというのは有難いのです。
12-25 14:22

立派な日記は書けないが、やめられないので続けています。 https://t.co/pjA2NJ6VrS
12-25 14:25



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12/24のツイートまとめ  

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成れかしと祈るマリアやクリスマス  ルカ1・38。結婚前のマリアはイエス懐妊を疑います。しかし、天使に「神にできないことはない」と言われたとき、「お言葉どおり、この身に成りますように」と頭を下げます。先の見えない不安が高まるときこそ、素直にゆだねる心をマリアに学びたいと思います。
12-24 20:11



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12/23のツイートまとめ  

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幼子の心で天皇誕生日  マタ19・14より。マタイ一九章は、神が結び合わせてくださったものを離してはならない、天の国は幼子のような者たちのもの、そして、人にはできなくても神は何でもできる、という三つの話が連続しています。いずれも、アッバへの無条件の信頼――無心をすすめています。
12-23 13:47



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12/22のツイートまとめ  

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感謝込め祈り祈られ冬至かな  コロ4・2-3より。この時期は毎年忙しないですが、『コロサイの信徒への手紙』は、様々なアドバイスの後、最終章で「~によろしく。~がよろしくと言っています」と伝えて結ばれます。今年もいろいろありましたが、やはり最後は感謝と祈り合いで終わりたいものです。
12-22 20:45



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12/21のツイートまとめ  

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どこまでも赦す福音年忘れ  マタ18・22より。マタイによる福音書は山上の説教(5章以下)のように、ユダヤ教よりもっと厳しい道徳的な教えをイエスの口にのぼらせている。しかし同時に「どこまでも赦せ」ということも繰り返す。それは、アッバご自身が無条件・無制限の赦しの方だからである。
12-21 20:39



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