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2015年4月26日 復活節第4主日ミサ説教 川越カトリック教会 加藤智神父  


私たちを抱き起こす(復活させる)ために、どこにでもいるキリストを語ります。


category: カトリック川越教会

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アンソロジー井上神父の言葉(1)井上洋治神父の言葉に出会う(38)第4部   

「風」第98号2015年春

一 「南無アッバ」の由来


散歩のとき、白い雲の浮かぶ青空を眺めながら、すがすがしいまでに透明なけやきの葉ずれのささやきを聞いていると、なにか心が、見える世界の彼方へと、すーっとはこび去られていくようなやすらぎとこころよさとをおぼえます。先日、その葉ずれのささやきにすっぽりと自分をとけこませていたら、ふっと自然に次のような言葉が口をついてでてきました。
 
アッバ アッバ 南無アッバ
   イエスさまにつきそわれ
    生きとし生けるものと手をつなぎ
   おみ風さまにつつまれて
  アッバ アッバ 南無アッバ

このところずっと法然の魅力にひかれ、その生涯を貫いている精神に感動していたので、おのずからに南無という言葉が口をついてでたのでしょう。(詩集『南無アッバ』あとがき、一九九九年 初冬)


これが、井上神父自身が語る「南無アッバ」の誕生話の最初です。

神父は、これまで日本語として定着してきたキリスト教の「愛(アガペー)」をあえて「悲愛」と訳し、キリスト者の姿勢を「南無アッバ」という一語に集約する神学を打ち立てました。これらの造語は、すでに仏教用語として日本に定着している「慈悲」や「南無阿弥陀仏」などを想起させます。そのために短絡的な人々の間では、井上神父は仏教とキリスト教を混交しようとしているのではないか、と誤解されることさえあります。そうした危険をおかしてまで、なぜあえてこのような造語を用いるのでしょうか。

「悲愛」という言葉の成立については、本稿でも触れましたが(『心の琴線に触れるイエス』五五頁他)、仏教の「慈悲」から「悲愛」への発想経過を見ると、どちらかといえば神学的、学問的考察の結果として行き着いた造語と言えるでしょう。一方、「南無アッバ」の方は、かなり事情が異なります。

ここには、「南無」が「法然」研究による思い入れをきっかけとして、「おのずからに」湧き出た言葉であることが告白されています。そして、「ふっと自然に」「南無アッバ」という祈り(詩)が「口をついてでた」といいます。それは、リジューのテレジア、あるいはエレミアスとの邂逅以来数十年、神父が心に暖めつづけてきたイエスの神観を示すキーワード「アッバ」と、日本文化の中で馴染んできた「南無」とが神父のなかで自然につながった――思わず結び合った瞬間なのだと思います。

つまり「南無アッバ」は、理性による学問的考察の結果ではなく、井上神父の自然な心情から直感的、体験的に導かれた祈りであるということです。

こうして導かれた「南無の祈り」を実践したときの効用を、神父は次のように語っています。


僕はキリスト教徒ですが、「南無阿弥陀仏」という言葉には強く惹かれますね。空っぽになれるんだと思うんです。・・・・
僕は、いつも「南無アッバ」って称えているんです。仏教の「南無」とキリスト教の「パパ」を合わせて、「南無パパ、南無パパ」と日々やってるわけです。

そうするとやっぱりなんかすごく嫌なことがあっても落ち着いてくるんですよ。そんなことをやっているのは、キリスト教で私一人かもしれないですけれどね。

でも声に出してやってるとね、自分のなかにたしかな変化が起こるんだね。・・・・(井上洋治・寺内大吉対談「南無」と称える―広大なるものを身中に『The法然』第七号、二〇〇一年七月、二〇~二一頁)


先の「あとがき」が「一九九九年 初冬」に書かれたものなので、これは井上神父が「南無」の祈りを実践したときの初期の「南無アッバ」体験を語ったものと考えられます。

ここには「南無・・・・」になぜ「強く惹かれる」のか、どうして「空っぽになれる」のかは述べられていません。しかしともかく結果として「落ち着いてくる」し、「たしかな変化が起こる」というのです。これは、「南無アッバ」が現実的な効用(利益)を伴うという意味を含んでいます。

神父はじめ一般的にキリスト教は、いわゆる現世御利益ということには消極的ですが、祈りによる精神的な満足を否定するものではありません。晩年の井上神父もミサのなかで、「南無アッバ」のこうした直接的な効用を説いていました。そうした点でも、やはりこの祈りが、日本人である神父の自然な心情に合致しているものであることが伺われます。


この祈りが、何かいまの私の心情のすべてを表現しているように思われる(『南無アッバ』一七三頁)


以後、二〇一四年三月に亡くなるまでの十五年間は、ひたすらに「南無アッバ」へと集約されていく生涯だったのだと思います。晩年の井上神父は、〝わたしは、いろいろ本なども書かせてもらったけれど、今はこの祈りだけでいい〟と言っていました。
   *
求道俳句誌「余白の風」会員のSさんから、古い本を読んでいて偶然「南無アッバ」を見つけた、として一通のお手紙をいただいたのは、東日本大震災前の一月頃だったと思います。

わたしはびっくりしてすぐに、教えてもらった書名をたよりに、あちこちのインターネット書店を検索しました。幸運なことにそう時間をかけずにある古書店で、当の上智大学宗教教育研究所編『キリスト教を生きる祈り』(エンデルレ書店、一九七四年)という赤表紙の本を入手することができました。

この本は、第二十回上智大学夏期神学講習会講話集として、一九七三年の夏に、「祈り」をテーマに行われた十五名の方々の講演録をおさめています。当時の長江恵浦和司教をはじめ、カルメル会の奥村一郎神父、ドミニコ会の押田成人神父、浜尾文郎東京教区補佐司教など、わたしが井上神父と話したり飲んだりしていた頃に、よく話題に上った人達の名前が見受けられます。

そのなかの一人に、イエズス会司祭・上智大学神学部教授のP・ネメシェギ神父の名前があります。神父は「祈りの神学」と題して、

<人間は、正しく生きようとするなら、祈らなければなりません。祈りを忘れた人間は、さえずることを忘れた小鳥と同じです。・・・・したがって、真の祈りが何であるかということを神学的にみきわめ、その真の祈りの境地に達するよう、常に努力することは、何にもまして大切なことでしょう。>(一一七頁)

と述べ、「イエスの祈り」から始まって、「キリスト者の祈りの本質」を探り、「祈りの共同体性」「個人的な祈り」「自由な形でともに祈る」「絶え間ない祈り」等々、三十頁に及ぶ講話をまとめています。

まず注目すべきは、「イエスの祈り」としてネメシェギ神父が最初に引用しているのが、「ゲッセマネの祈り」であるということです。

<アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。>(『マルコによる福音書』一四章三六節)

井上神父が天に召される直前、この祈りを繰り返していたことが思い出されます。そして、

<イエスは一人で祈られましたが、実際には決して孤独ではありませんでした。>(一一八頁)

<イエスの祈りは、彼が「アバ」(父、お父様)と呼んだ神との絶え間ない対話です。>(一一九頁、傍点原文)

と解説しています。

その後、何度もイエスの「アバ」に触れて話を進めています。そして最後の項目「避けるべき危険」として、祈りについて五つの「警戒すべき」事柄をあげます。それをまとめてみますと次のようになります。

① 祈りを自分の欲望の手段として乱用しないこと。
② (行動すべきときに)祈りを行動のかわりにしないこと。
③ イエスも教えたように、祈りは多言を要さないこと。
④ 祈りの型の多様性を認めること。
⑤ 祈りに際して初心を忘れず、自負心を避けること。

どの項目についても今読んでみても、説得力のある話となっています。そしてこの③のなかで、ネメシェギ神父は次のように述べているのです。

<祈りはまさに、人間の貧しさの体験からほとばしり出た、真心からの叫び声でなければなりません。・・・・このような根本態度を表すためには、「神よ、私を助けてください」「イエスよ、私をあわれんでください」「キリエ・エレイソン」「ホザンナ」「アレルヤ」などのような単純な言葉の方が適切です。このような言葉を繰り返し用いることによってこそ、人は心の貧しさを身につけ、そこから真実でなまの信仰をもつようになります。仏教では古くから「ナム南無」という語が祈祷語として用いられています。これはサンスクリット語のあて字でして、原語は「帰依する」「より頼む」ことを意味します。多くの祖先が全幅の信頼を置いて唱えたこの「南無」という言葉を、日本のキリスト者も自分の射祷として用いたらよいのではないでしょうか。キリスト者の祈りは、もちろんキリストの祈りへの参与ですから、大慈大悲であるおかたを呼び求める際には、キリストが用いた「アバ」という言葉を用いるのがふさわしい、と思います。それで、日本のキリスト者は信頼をこめて、南無「アバ」と叫ぶとよいのではないでしょうか。>(一四四頁)

みなさん、驚かれましたか? わたしもびっくりして目を疑いました。先ほども書いたように、この講演は一九七三年の夏に行われたものです。井上神父の「南無アッバ」の第一声(一九九九年)どころか、処女作『日本とイエスの顔』(一九七六年)よりさらに三年も前に、「南無アバ」を提唱したのが、このネメシェギ神父だったということ。

このことを確認したわたしは、やはりどうしても、井上神父自身に確かめたくなり、手紙を書きました。するとすぐ、二〇一一年二月七日、神父から電話がありました。曰く、


〝ネメシェギ神父の「南無アバ」については、ぜんぜん知らなかった。ただ、一九七〇年五月から一九七三年三月までの三年近くは、ネメシェギさんと神学校で隣の部屋だった。休憩室も同じだったから、その間に確かにいろいろ話し合っていた。いい人だったが、法然や日本文化について、また「南無」や「アッバ」について話し合ったことはない。彼が、とくに「アッバ」を強調していたとも、聞いていない。〟


その後井上神父は中目黒へ移って、『日本とイエスの顔』を執筆していきます。今のところわたしも井上神父と同様、ネメシェギ神父がこの講演集以外に「南無アバ」を提唱し、あるいは推奨したという話や文章には出会っていません。

ネメシェギ神父の「南無アバ」と井上神父の「南無アッバ」。これは普通に考えれば、やはりまったくの偶然という他はありません。二人に数年間の交流があったにしても、右の電話での話のとおり、「南無ア(ッ)バ」に関する接点は皆無なのですから。

ここからはわたしの推測です。思うに、日本人が長い間培ってきた伝統的宗教心を理解するヨーロッパ出身のネメシェギ神父が、その伝統と、神父の「祈りとはどうあるべきか」との考察から、日本人キリスト者に対して、このような祈りはどうか?と提示したのが「南無アバ」ということ。それはネメシェギ神父の、いわば宗教的考察からの信仰的発明といえるのではないでしょうか。

先に見たとおり、「アバ」については、祈りをテーマにしたこの講演でも繰り返し言及されていますが、「南無」については一回だけです。井上神父からわたしが聞いた先の話も参考にすれば、もしかしたらネメシェギ神父は、この講演のために原稿を用意している時、あるいは実際の講演のなかで、「南無」と「アバ」を結びつけてはどうか、というひらめきを持ったのではないでしょうか。

いずれにしろ、神父の育ち来たった文化的背景や精神風土から「思わず」口をついて出た、という意味での「ひらめき」ではなく、どちらかといえば神学的な考察から出た言葉だと思うのです。

そしてそれから四半世紀後、偶然にも井上神父が、同じ「南無アッバ」を発見することになります。神父は「風」第八一号(二〇〇九年春)のなかで、「南無アッバ」との出会いについて、次のように回想しています。


一九九九年の五月のある日、さつき晴れに澄んだ心地よい青空のもと、私はひとり、けやき並木を散歩しながら、けやきの枝とかろやかにたわむれている風の音を聞いていた。と、そのとき、全く突然に、「南無アッバ」という祈りの言葉が、私の口をついてでたのである。

「風の家運動」をはじめてから十三年、ずっとアッバの求道性を歩み続けてきた私ではあったが、「南無アッバ」という言葉が突然に口をついて出たのには、正直言って、私としても思いがけない驚きであった。

それは、ちょうど海底を流れている幾つかの潮流が、夢中になって求道にあえぎ、苦しんでいる私をとらえ一つになって、私を一気に「南無アッバ」という岸辺に打ち上げてしまったという思いだったのである。(「南無アッバ」の祈りとお札につつまれて(一)、四頁)


「全く突然に」「口をついてでた」「南無アッバ」。これは閃きというより、啓示に近いかもしれません。だからこそ「思いがけない驚き」をともなうものだったのでしょう。先のネメシェギ神父の「・・・・南無『アバ』と叫ぶとよいのではないでしょうか」といった、いわば理性的な語り口の勧めとはまったく異なります。

井上神父はこの「驚き」を、「夢中になって求道にあえぎ、苦しんでいる私」が意識しない(できない)所で、「海底を流れている幾つかの潮流が」「一気に『南無アッバ』という岸辺に打ち上げてしまった」のだと分析します。そして、十年以上経っても、


未だに私には、この意識下をも含めた深い潮流が、どうして「南無アッバ」という岸辺に
私を打ち上げたのか、その道すじは全くわからない。(同)


といいます。

それまで「恩人」としてきたベルグソン(理性知から体験知への気づき)、テレーズ(赤子・童心の道)、パラマス(汎在神論へのヒント)、エレミアス(アッバの発見)への「アッバのお導き」そして、


法然上人への深い尊敬の念が、無意識にそこにはたらいているとは充分に考えられはするのだが、しかしどうもそれだけではないような気が私にはするのである。(五頁)


として、「南無アッバ」の発心について、


東洋人とか日本人とか言えるかどうかはわからないが、私自身の血の中にしっかりと根づいて流れている何かが、アッバのお招きと関係づけられている気もして仕方がないのである。(同)


と言っています。このあと、「もぐらの穴ほり」のように、井上神父の「無意識の底」にある、前者以外の「古人、先輩」について思いを巡らします。

この経過は、先のネメシェギ神父が「南無アバ」にたどり着いた経緯と比較すると、ちょうど逆の関係になり興味深いものです。ネメシェギ神父は「祈りの神学」を「イエスの祈り」の「アバ」を根幹に置いて展開しながら、日本人になじみのある「仏教」の「南無」に注目して、「日本のキリスト者」へのアドバイスとして「南無『アバ』と叫ぶ」ことを奨励します。つづめていえば、「祈りはどうあるべきか」という「神学」的考察――イエスの祈りを原点とした総論的考察から出発し、各論として日本の伝統を加味した祈りの形――「南無アバ」にたどり着いた、いわば理性知的な営みの所産ということになりましょう。

それに対し井上神父の場合は、「無意識の底」から思わず口をついて出た体験知としての「南無アッバ」がまずあって、のちに「もぐらの穴ほり」のようにその根底を理性知的に振り返ろうとするのです。わたしは、神父が学生時代に出会った心の師ベルグソンから学んだ、「~について知る」ことと「~を知ること」という二方法の考え方を思い起こします。

さらにうがった見方をすると、この「南無アッバ」という言葉は、これまでの日本人キリスト者からはけっして出て来る言葉ではなかったろうとも思うのです。少なくとも、日本人キリスト者がネメシェギ神父のように理性的に考えて、「こういう祈りはどうですか」という形ではけっして提案しはしないと思います。なぜなら、これまでの西欧直輸入のキリスト教に疑いを持たず、これを基準に是非を判断してきた日本のキリスト教のなかで、「南無・・・・」などと唱えれば、たちまち「混交主義だ」、「異端だ」と非難されるのは、目に見えているからです。たとえそうした祈りがいいのではないか、と思いついたとしても、それを公言してまで広めようとする日本人キリスト者はいないだろうと思います。

皮肉なことですが、「南無アバ」はことさら西欧を意識しない――絶対視しない外国人であるネメシェギ神父だからこそ、「こういうのはいかがですか?」と日本人に向かって言えたのだと思うのです。(つづく)


category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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アッバ讃句コーナー(第11回)  

「風」第98号2015年春掲載

*選者コメント
神父様のご帰天一周年に寄せて
ひと枝の啓翁桜たてまつる師の道行に沿いて送れよ  金尾哲也

 道行に啓翁桜咲きいでし南無アッバの祈りに添いて  金尾裕子

*本誌九七号井上洋治神父追悼特集拙作<登りゆく目白坂には満開の河津桜が風に吹かれり>と同じ現場での作歌とみました。それぞれに神父様との思い出は尽きない。同信の道ずれとして、ご縁と絆を改めて思う。

南無アッバ山茶花真白二人目の産月近きまご孫娘を労る  魚住るみ子(練馬)

南無アッバ肩冷ゆる夜半目覚めたりアッバの祈りめつむりとなふ

*年明けに米寿を迎えられる由、おめでとうございます。私の亡父が米寿の祝いの時、まずは母に感謝の言葉を述べていたことを思い出します。どうぞいつまでもお元気で。

南無アッバ二人目曾孫も男の子なり降誕祭のその日生れぬ

*「二人目も男の子」!末は神父かイクメンか。昔は家の跡継ぎとして男子出産を喜んだものですが、今はまた違った楽しみがありますね。おめでとうございます。

真中に主が居て日溜り草の花  片岡惇子(名古屋)

*いつも「主」が中心にいる日常は、心も安定する。

落葉の全てが終り祈りの時

*「全て」が終わったように思える時こそ祈りの始まり。

時雨るるや生かされ生きて生かされる

*「生かされる」ことと「生きる」こととが一致する瞬間。

一瞬の決意寒水手に受ける

*お手紙に「今年はあれもこれもでなく、一点だけ励んでみます」と「決意」を新たにされていました。わたしたちの信仰も、「南無アッバ」の「一点突破」型でいい!

大寒や寂しさだけが固まりぬ

*「寂しさ」は「固まり」、喜びは拡がるとも。

この冬木早暁の月かかりけり  佐藤淡丘(豊田)

この道や冬満月の影や濃し

 冬暁の天空は、なんと美しいことだろう。上弦の月に明けの星(金星)が、風鈴のように寄り添い神秘な輝きを放ってくれる。
 この神聖な光を体にくるみ、「南無アッバ」と唱え、大地に三度跳躍を繰り返すとき、心身共に、宙と一体化する感覚にとらわれるから不思議である。これを信仰というのでしょうかね。お笑い下さい。

*「会神の丘」では無限に俳句やアッバ讃句が生まれそうですね。そうした宗教体験は、「宙と一体化する感覚」と共に、淡丘さんの血肉となって信仰を成長させてくれるのだと思います。

連嶺や一つ残りて春の星

摘みたればさみしき記憶なずな薺かな

早朝、「会神の丘」で独り祈るとき、一陣の風が、まさに「おみ風さま」となって通り過ぎるのを何度か味わうことがあります。
三位一体の神さまは、こうして触れんばかりのお恵みを下さるのですねぇ。
再びひれ伏して祈りました。南無アッバ、南無アッバ、と。

*「会神の丘」での「南無アッバ」。これが淡丘さんの「一点突破」ですね。昔、ある神父様に「最近ロザリオをやっているのですが、これをやっていれば何か見えてきますか」と聞いたことがありました。すると、「十年続けたら、何も見えなくてもいい、ということが見えてくるよ」と言われたことを思い出しました。

淑気満つ南無よアッバよLET IT BE  瀧野悦子(京都)

*「南無よ」がユニーク。修辞的にはおかしいのですが、その心はよくわかります。私なども、よく「アッバさま」などと言ってしまうのですね。そのまま訳したら「おとうちゃんさま」ですから理屈では間違いでしょう。しかし祈り言葉は理屈ではありません。お任せの心から思わず出てくる言葉を大事にしたいと思います。「南無アッバ」「おみ風さま」・・・のように。

会ふ度に大きくなりし孫七人戦無き世を祈るアッバに

*世代交代は寂しくもありうれしくもある。

今ここが神の国だと神父説くアッバとわたしそしてあなたも

*神の国は完成に向けて、すでに始まっている。

復活の頃に良くなるきっとなる癌病棟に友をのこして

*希望は確かに私たちを支える。それを気休めというのは傍観者の言葉。

み恵みで旧友と会ふ秋の昼  赤松久子(高知)

友情に時の隔ては無かりけり

昔のプロテスタントの友人が、東村山から訪ねて来てくれました。二人の体調と生活日程から、実際に会える瞬間があるなど奇跡としか思えず、「アッバは本当に必要なものはちゃんと与えて下さるのだ」と、しみじみ感じたことでした。

*お友達との再会を準備してくださったアッバ。その喜びと感謝の気持ちが御作に表れています。クリスマスカードありがとうございます。そこに記された一句も頂きました。

星々の示すブラックホールかな

*輝く「星々」が指し「示す」のが、「ブラックホール」という暗闇――あたかも神の「無」のようです。

宇宙より見ゆる高知の小さき灯よ

*逆に、高知から見れば皆「小さき」星々よ。

禁断のエデンの林檎甘かりし    新堀邦司(立川)

*「わかっちゃいるけど止められない」。人の業や欲望はどうにもならない。しかしそういう、どうしようもない私たちが構成するこの世を、アッバは裁かず「然り、よし!」とされた。

立つときも小鳥は赤き実を零す

*「立つ鳥跡を濁さず」ということわざがありますが、どんな所からも去るときは必ず痕跡を残すもの。できるだけ良いものを残したいのが人情ですが、そうはいかないのが人生。そこに「ゆるし」の福音がある。

体調も心も崩れてみ光とあう  山本久子(庄原)

*「み光」や「あう」など、ひらがなが生きている。幼子の心そのまま、なるがまま。

この痛みを大切に南無アッバ

*こういう境地は「十字架の逆説」がわからなければ出てこない。

南無アッバ、薬をポケットに列車に乗る

*なぜか芥川の「蜜柑」を思い出しました。

冬の空一人が逝きて一人あ生る  平田栄一(蓮田)

*井上神父様が亡くなられてはや一年。私のところには昨年七月に初孫が生まれました。時代の移り変わりを感じます。

片言に読める福音日向ぼこ

倫理説く聖句は嫌い銀杏散る

*生前、神父様から「道徳主義から脱した日本のキリスト教を模索してください」とお手紙を頂いたことがありました。

罪の棲む身にも望みや曼珠沙華

*アッバの前に素直に頭を下げること、そこに希望が沸くという福音。

草萌や信じるもののあるように  早見紀美恵「驢馬」
伝えてよ校庭はみな牡丹雪  あざ蓉子「花組」
夕顔や薬を忘れないように
裸木や徐々に夫婦になってゆく  森須蘭「祭演」
巻き戻し出来ぬ人生蜜柑剥く
 ――アッバ讃句応募規定――
 井上神父の「アッバ讃句」にならい、皆さんの南無アッバの祈りを短い求道詩歌にしてお送りください。「風」読者であればどなたでも応募できます(無料)。「~~南無アッバ」という形のほか、俳句・短歌・川柳・自由律・一行詩などでもけっこうです。採否選者一任。投稿先=平田栄一


category: アッバ讃句コーナー

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2015年4月19日 復活節第3主日ミサ説教 川越カトリック教会 加藤智神父  


この世の願望で目がさえぎられていた弟子たち、そして私たち。
そういう私たちの目を、
繰り返し、繰り返し、復活のイエスは、
私たち一人一人に訪れ、
目を開かせてくださる。


category: カトリック川越教会

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2015年4月12日 復活節第2主日ミサ 川越カトリック教会 加藤智神父説教  


ヨハネ20・19~31 トマスの信仰、私の信仰


category: カトリック川越教会

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2015年4月5日 復活の主日ミサ 川越カトリック教会 加藤智神父説教   


加藤神父は、残念がら井上神父と直接会うことはできなかったのですが、井上神学の良き理解者です。


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日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

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