「南無アッバ」を生きる ホーム »2012年03月
2012年03月の記事一覧

セシウムも人の命も目に見えず神より近き冬の青空  栄一  

「短歌人」2012年3月号


category: 「短歌人」掲載歌

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枯田をゆく秩父鉄道見下ろしつつ憲法改正論を講ぜり  栄一  

「短歌人」2012年3月号


category: 求道俳句のすすめ

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第九に似た音節のあるブラームス一番を聴く冬至かぼちゃと  栄一  

「短歌人」2012年3月号


category: 求道俳句のすすめ

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みな同じ方を向いて学びいる学習室をこよなく愛す  栄一  

「短歌人」2012年3月号


category: 求道俳句のすすめ

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(30)-29 母性的宗教の必然性  

その上で、ユダヤ教は本来的に父性原理の強い宗教、キリスト教は母性原理の強い宗教であり、そこに異質性、「断絶」を見るがゆえに、旧約聖書―前篇、新約聖書―後篇という聖書読みの危険を指摘しているのです。(つづく)


どんな宗教にも、父性-母性の要素はあるだろう。

しかし、これまでのキリスト教はヨーロッパ経由で父性に傾きすぎていた。

その緩衝としてマリア信仰が流布した、という説もある。

隠れキリシタンの信仰は、マリアをこえて観音信仰にも近い変容を遂げた。

大乗仏教伝来から鎌倉仏教の広まりを見ても、日本人にはどうしても、母性的宗教が必要なのである。


この連載は、(31)へつづきます。2012年4月予定


category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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(30)-28 他宗教に学ぶ  

ただ、話が少し戻りますが、井上神父は先の<旧約聖書と新約聖書の違い>の項で、

<キリスト教は、新約聖書の理解のために、この旧約聖書をユダヤ教から拝借しているのだ・・・・借りてきていながら、・・・・多分に自分流によんでいる・・・・キリスト教という信仰の立場からユダヤ教の聖書を読んでしまっているのだという自覚も、ユダヤ教の人たちのまえで素直にキリスト者は認めなければいけない>(一二〇頁)

と述べていたことにも注意しておきたいと思います。

ここには、キリスト教絶対優位の立場に立ってユダヤ教を見下すような姿勢はまったく見られません。

すでに、神ならぬ人間が、さまざまな宗教を比較し、その優劣を云々することの問題を検討しましたが(拙著『すべてはアッバの御手に』一〇〇頁「ヘリコプターのたとえ」以下参照)、ここでも、キリスト教の母体となったユダヤ教に対して、謙虚な物言い――姿勢が貫かれています。


他宗教から多くのことを学ぶ、という姿勢は、井上師に『法然』などの著書があることでも明らか。

しかしそれは、内容的に2つの宗教を足して2で割るというようなものではない。

あくもで、他宗教信仰者の「姿勢」に学ぶのである。


category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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(30)-27 ミサの聖書朗読  

当然のごとく聖書は、「旧約」-「新約」の順に編集されています。

また通常ミサのなかでは、第一朗読として多く旧約聖書が読まれ、その後、新約聖書――福音書が読まれます。

このパターンに慣れていけば、特別に注意されない限り会衆は、「旧約聖書を前篇、新約聖書を後篇というふうに受け取り、両方を同じ重要さで読んでしまう」のがふつうだと思います。

こうしたところにも、ユダヤ教とキリスト教を「ごちゃまぜに」してしまう危険があります。


よく知識人が、「新約より旧約の方が面白い」という言い方をする場合がある。

そういうことと、今、生きるために実存的に聖書を読もうとすることとは、まったく違うことである。

ミサの中で、繰り返し読まれる聖書だが、やはり旧約には父性-母性という視点を別にしても、文化的にもピンとこない所が多いと思う。


category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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03/24のツイートまとめ  

yohaku5

@DogRuskin お気に入り登録ありがとうございます。
03-24 17:37

@DogRuskin 今、講座から帰宅したところです。
03-24 17:41

@DogRuskin 井上師は現在引退されていますが、お元気にされています。お祈りください。南無アッバ
03-24 17:45



category: ツイッター記事

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(30)-26 決定的な聖書観  

これは、「旧約」-「新約」間に「完全な断絶」を見る井上神父のラディカルな主張であり、わたしたち求道者に聖書の読み方を具体的に示すものです。

と同時にこれは、先にみた『日本とイエスの顔』の「あとがき」で想定された「最大の問題」への実践的回答であり、さらに神父が、コンツェルマンの示したルカの「救済史観」――「旧約」「新約」の流れを直線的に観る――に待ったをかけたこととも合致してくるのです。


キリスト教が父性的か母性的か、という問題の根本にあるのが、この旧約-新約の関係である。

その意味では、結果としての神の性質以上に、この関係をどう見るか(聖書観)は決定的な意味を持つだろう。

「新約は旧約を完成する」という、よくあるキリスト教の見方も、その内実はさまざまである。


category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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(17)規定変更のお知らせ(主宰)=第195号2012年3月発行  

 東日本大震災から一年を迎え、皆様にはさまざまな思いが去来していることでしょう。

改めて、犠牲となられた方々のために祈りを共にし、これからの私たちの道を模索しましょう。

 さて、本誌「余白の風」(創刊一九九〇年)は、当初隔月で、七五号(二〇〇二年七月)からはほぼ毎月発行してまいりました。

しかし、この四月からは主宰の仕事の都合により、まことに勝手ながら、再び隔月発行とさせて頂きたいと思います。何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。


南無アッバの集い&平田講座 於:四谷ニコラバレ
3/24、 4/28、 5/26(土)


――「余白の風」入会案内――
*どなたでも参加できます。初心者歓迎。
*投稿は原稿用紙使用。採否主宰一任 *締切=奇数月末
*投稿先:平田 *年会費千円(送料共)


category: 求道詩歌誌「余白の風」

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