「南無アッバ」を生きる ホーム »2011年08月
2011年08月の記事一覧

使命の自覚-遠い先はわからなくても、今日なすべきことを  

「わたしはそのために遣わされたのである。」(ルカ4:43)


category: 今日、心に残った言葉

thread: 聖書・キリスト教

janre: 学問・文化・芸術

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迷ったときは、アッバの御心の根本に戻ろう!  

テサロニケの信徒への手紙一 / 5章 9節
神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。
提供:日本聖書協会


category: 今日、心に残った言葉

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「六十歳の男」  

1981年4月
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(『イエスの生涯』を書いてから)十五年たって六十になった今も、私のなかに確たる安心感は依然としてなく、疑いの青い業火が時にはもっとみじめに燃えあがってくることもある。(p.90)
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「充実した生命に嫉妬し、これを陵辱し、破壊してやろうとする強い快感がひそんでいることを巧みな筆致で描き出している。」(解説:井上師)


category: 遠藤周作文学ノート

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「ある通夜」  

1983年
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生命の充実したものを破壊する悦び。我々はそれを罪とよぶ。しかし罪のなかに何という快感がひそんでいるだろう。(p.71)
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「人間の心の闇にひそむサディズム」(井上解説)


category: 遠藤周作文学ノート

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「授賞式の夜」  

1981年
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「子供のユングはその時もう神のなかに愛と、そんな不条理なことをする心があると考えたんだ。だが君の作品の神は・・・・決してそんなあくどいことはしない」(p.57)
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「人間誰しもが持っている偽善性」(井上師解説)


category: 遠藤周作文学ノート

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「夫婦の一日」  

1981年

(気休めのまじないについて)以下、抜粋
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「こんなことやったって・・・・無意味じゃないか、え、わかるだろ」(略)
しかし、これで良いのだと言う感情が心の半分で生まれ、その感情が少しずつ胸に広がっていく。
「これで・・・・」
打ちこまれ、わずかに頭の残った杭に砂をかけながら私は妻に言った。
「気がすんだろ」
妻はニッと笑って、うなずいた。(p.31)
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この文庫本の解説は、井上洋治神父。
この短編に登場するI神父は、井上師ではないのか?


category: 遠藤周作文学ノート

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08/25のツイートまとめ  

yohaku5

「風編集室」主催の南無アッバの集い&講座「井上神父の言葉に出会う」は、8月27日(土)予定通り行います。お暑い中ですが、お気をつけてご参加ください。
08-25 08:59



category: ツイッター記事

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「もの見えぬ者」とイエスは繰り返し  

叱咤するなり愛ある故に
(マタイ22:13-22) 函館より


category: 求道俳句のすすめ

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08/21のツイートまとめ  

yohaku5

聖書日記<それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。>(マタイ16:15) 昨夜は4、5年ぶりで高校時代の友人4人で飲む。昨日のことは忘れても、30年以上前のことは昨日のことのように憶えているのが不思議。
08-21 16:13

「わたし(イエス)は誰か」という問いは、史的興味以上のもの。 「イエスの生涯・事件は何だったのか」「それとあなたはどう関係するのか」さらに「この世をどう見るか」「人生の意味は何か」という問いを、背後に控えている問いなのだ。
08-21 16:14



category: ツイッター記事

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自己受容の根拠は神が創られた  

この世を神が愛したことに(ヨハネ3:16)


category: 求道俳句のすすめ

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日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

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