「南無アッバ」を生きる ホーム »2010年06月
2010年06月の記事一覧

06/29のツイートまとめ  

yohaku5

朝日新聞2010年6月29日(火)夕刊:「追憶の風景」「境地に触れた小僧修行」カトリック司祭 井上洋治フランスでの修行時代を懐かしく回想しています。 #namuabba
06-29 21:29



category: 『日本とイエスの顔』

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修行時代の井上洋治神父:朝日新聞  

朝日新聞2010年6月29日(火)夕刊:「追憶の風景」「境地に触れた小僧修行」カトリック司祭 井上洋治
フランスでの修行時代を懐かしく回想しています。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201006290248.html


category: 井上神父の思い出

thread: 聖書・キリスト教

janre: 学問・文化・芸術

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06/28のツイートまとめ  

yohaku5

宗教の場合は、人間が自分をどうにももてあましてしまう動物だというところから来ているように思います。自分で自分の人生に責任が持てないということ。 #namuabba
06-28 08:20

「いや、動物だって、責任はもってやしない」そうなんですが、人間のやっかいなところが、時間や記憶の能力があることで、自分の人生の全体を見渡してしまう、見渡そうとしてしまうことにあります。 #namuabba
06-28 08:22

「時間と記憶」は、最近読んでるベルグソンの影響が大きいかもしれません。これに「持続」という考えを入れてくれば、、、、やはり宗教的にならざるをえないような。 #namuabba
06-28 17:11



category: 『日本とイエスの顔』

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06/27のツイートまとめ  

yohaku5

ツイッターフォロー返し自動ツール、というのをインストールしたのですが、これは、いちいちIDパスワードを入れないと起動しないようです。
06-27 09:58

さて、話を、「しっくりいく」キリスト教ということに戻します。昨日、講座のために井上神父の書いたリジューのテレジアに関するエッセイを読んでいて、改めて感動しました。
06-27 10:26

まず①テレジアは、旧約聖書を「まともに」読んでいないということ。また、「幼子の道」を発見する大きなヒントになった「箴言」(旧約聖書中、「詩篇」の次の文書)の言葉、
06-27 10:30

それは、箴言9:4ですが、ここ、新共同訳ではどう訳しているかというと、「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。」これが4節前半。 #namuabba
06-27 10:35

後半は、「知恵」(9:1)(これは神と考えていいと思いますが)は「意志の弱い者には」(9:4b)「わたしのパンを食べ、・・・・酒を飲むがよい」(9:5節) #namuabba
06-27 10:40

ただそれは、「浅はかさを捨て、命を得るために/分別の道を進むために」(9:6)といっているのですね。 #namuabba
06-27 10:43

つまり、旧約聖書では、まあ、常識的といっていいかな、「浅はかな者」を矯正するために、神が招いている、って文脈です。 #namuabba
06-27 10:46

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category: 『日本とイエスの顔』

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06/26のツイートまとめ  

yohaku5

それで今の教会を考えてみると、、、たとえば今朝も、これから子供を学校に送って、その足で近くの教会に行くんです。これは毎週に日課になっていて、薄暗いお御堂で一人、そうだなあ、20~30分くらいお祈りします。
06-26 06:08

お祈りといっても、ボーっと聖櫃とか、十字架とか眺めながら、座ってるってだけなんですが、これが、なかなか、気持ちよく、落ち着くんですね。
06-26 06:09

お寺も、教会も、そういう単純な快感「きもちいいー」ってのが、まず必要、ってかそれが原点なんでしょうね、へんに気取ったり、禁欲的であるよりも。
06-26 06:11

賀川豊彦の『死線をこえて』の復刻版が、図書館にあったので借りてきた。まえがきで山折哲雄氏が、「日本・・・・のキリスト教の土着化に心をくだいた伝道者」として、賀川を評価している。
06-26 17:20



category: 『日本とイエスの顔』

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06/25のツイートまとめ  

yohaku5

Reacently I bought CEV that is the Bible translated for children or us English beginners. so that I can read it easily, quickly and happly.
06-25 09:01

そうか、民間は今日ボーナスですかー
06-25 09:53

フォロー「する」「される」同じにしました。
06-25 09:54

なぜかツイッターからの報告が迷惑メールになっていた。。。。
06-25 09:55

いままで、フォーロー通知下さった方、すみませんでした。
06-25 09:56

今後は100%リフォロー目指します。
06-25 10:02

That book, CEV is a paper back, so it is very cheap!
06-25 10:08

さて、ここでは、興味ある方に、井上洋治神父のキリスト教信仰を、少しずつご紹介することにしましょう。質問がある方は、そのつど声をかけてください。 #namuabba
06-25 13:27

まず、一般的な話から。宗教が嫌いな人は多いですよね。私もイメージの仕方によっては、嫌いな方です。たとえば、「おしつけ」「独善」「人を裁く」「非常識」「怖い」・・・・こんなイメージが「宗教」という日本語にはついて回りますから。
06-25 13:31

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category: 『日本とイエスの顔』

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2010年6月12日 南無アッバのミサ  

ミサ前講話:広谷和文先生
http://page.freett.com/yohaku5/
ミサ後講話:井上洋治神父
替え歌「夕焼け小焼けで日が暮れて」
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category: 井上神父の思い出

thread: 聖書・キリスト教

janre: 学問・文化・芸術

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06/11のツイートまとめ  

yohaku5

明日6/12は、南無アッバのミサです。皆様、よろしくお願いいたします。ここだけ情報=ミサ前小講話は、広谷和文先生の予定です。 #namuabba
06-11 08:19

数日前、井上師から電話あり、「阪田寛夫さんの『バルトと蕎麦の花』というエッセイがどこに載ったか--もう10年以上前--探してほしい」と言われました。 #namuabba
06-11 08:24

阪田さんの続き。それでネットで探したら、すぐ見つかった。 #namuabba
06-11 08:46

すぐに注文して、すぐ手に入った、幸い。 #namuabba
06-11 09:11

「新潮」昭和61年12月号でした。
06-11 09:12

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category: 『日本とイエスの顔』

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06/07のツイートまとめ  

yohaku5

早いもので、今週土曜は南無アッバミサですね#namuabba
06-07 17:59



category: 『日本とイエスの顔』

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第174号 2010年6月発行  

井上洋治神父のうた
yuyakekoyake_640.jpg
*5月8日、井上神父司祭叙階金祝記念として、出席者に贈呈された神父自筆の「かえうた讃美歌 原詩―夕焼け小焼けのあかとんぼ―」。ミサ後に皆で唱和しました。

「おみかぜ御神風」=聖霊のなかで、あかとんぼが「南無アッバ」の祈りをささげます。日本人キリスト者としての大安心は、こうしたうたのなかに如実に表れています。


会員作品とエッセイ(*主宰句評)

秦野市  長谷川末子

短か夜も難病の友支へらる

句の友の逆縁の報白牡丹

さへずりや生を給はる喜びを

  七十五才
足腰弱くなって来た 世渡り上手になってきた 囲りも少し見えて来た 打たれ強くなってきた ど忘れ失敗増えてきた 三度の食と住む所着る物すべて与えられ今生かされるこの恵み。死ぬ日はいつか知らないが 今日一日の有難さ しあわせ者を感謝する

*その年代にならなければ見えてこないものがあるのですね。


蓮田市  平田栄一

はや父の一周忌となり葬式と同じ晴れ日の同じ顔ぶれ

夜はすぐ眠くなりすぐ目が覚めるスワンのごとく何かを待ちて

苦しみは主の苦しみと思い為せ喜びの実は天に結べり
一ペトロ4・7~13 ヨハネ15・16


稲城市  石川れい子

  南無アッバ
アッバ アッバ 南無アッバ/初めて集った 聖堂に/あふれるばかりの人々が/井上洋治神父さまの/司祭叙階五十年/南無アッバのミサで歌ふなり//「夕焼け小焼けのあかとんぼ/御神風(おみかぜ)さまにつつまれて/夕べのお祈り捧げてる/南無の祈りの美しさ」//一人ひとりにおのづから/ご聖体をくださる神父さま/長いながい行列の/一番うしろの私も/対面できた うれしさに/元気百倍いただいて/「アッバ アッバ 南無アッバ!」と。//「南無アッバ」と直筆の/お守り札が届きました/絹の袋につつまれて//企業戦士で同世代/五十年を生きたひと夫/病に伏した床の中/届いた手づくりお守りと/五月のある日でかけたら/無事に一人で行けました//アッバ アッバ 南無アッバ/祈りの内にひとつです/日本人にはぴったりの/祈りのことばをありがとう//アッバ アッバ 南無アッバ
 井上洋治神父さまに感謝をこめて
             二〇一〇年五月
薫風を入れて酢の飯艶を出し

*鮮やか、丁寧に金祝の情景が思い出されます。神父様もご主人もどうぞご自愛ください。


八王子市  井上文子

ひたむきに愛しましたと花の散る

あたふたと隙間で祈る主婦の日日

独り言増えて独りでないと知る

*「独り言」は祈りかもしれませんね。であれば、二人、三人・・・・寂しくない。


練馬区  魚住るみ子
  金祝のミサ     
一人ひとりの名を呼び祈りたまふとふ御姿偲び胸にあふるる

人の業の罪をゆるしてせな背を押す聖霊の風わが上にしも

*この金祝は神父様はもとより、多くの人にとって意義深いものとなりました。感謝


名古屋市  片岡惇子

柿若葉アッバの与ふ平和聴く

薔薇散るや崩れる我を叱りつつ

更衣今ここにある生命かな

*柿若葉、薔薇、更衣・・・・季節の変化のなかで、アッバ御声を聴きつつ。


大和市  佐藤悦子

痛みつつ目覚める夜半の南無アッバ

待ちわびる夜明けのひかり南無アッバ

十字架にほほえむ御顔南無アッバ

「南無アッバは懐かしい故郷の言葉・・・・」(172号)
実は、私が小学生の頃、故郷の農村で毎日外で遊んで夕方、家に帰る頃、アッバまたねー、とか、アーバねと言い合いながら、仲間の子供たちと別れていきました。

今でしたら、バイバイ、さようなら、ということでしょうか。不思議とどこかで聞いたことのあるなじみ深い言葉だと感じていました。何か関係があるのでしょうか。おもしろいですね。

*広辞苑を引くと、「あばよ=(「さあらばよ」からか)別れの時の挨拶。さようなら。」とありました。寅さんなんかがよく「じゃあな、あばよ!」って、くるっと背を向けて去っていく情景が浮かびますね。

ちなみに、「あっぱ=(東北地方北部や長崎県・種子島で)母。」「あば=(東北地方北部で)母」というのもありました。興味深いです。


豊田市  佐藤淡丘

葉桜を抜けて弾ける乙女らは

緑陰にハートのトランプ忘れゐし

雨含む花アカシアを掌で受ける

年を経るにつれて、聖母マリアのとりなしと慈しみに心を寄せるようになっていました。そんなとき、所属している教会が献堂三〇周年の記念行事として、マリア像を庭先に建てることになり、一年がかりでこの五月、聖母月にふさわしく、純白のマリア像が美しく建立されました。

一番喜んだのは、教会学校の子供達と、そのお母さんでした。
「○○ちゃん、また来週マリアさまに会いに来ましょうね。」ミサを終えた子供達は、マリア像にペコリと頭を下げ、去り去ってゆく姿はまことに微笑ましく、カトリック教会のよさを改めて確認したひとときでした。

*イエス様のなかにマリア性をみている井上神学は、エキュメニズムの中で大きな意味をもつものと思います。


立川市  新堀邦司
  「日矢」5月号より    
蕗味噌に添へ懐かしき便りかな

入念に準備運動草青む

万象の動きはじめて春確か

*蕗味噌、運動、万象へ、目が外へ向いて行く明るい季節になりました。


求道詩歌のすすめ(抄):余白

(南無アッバミサ前小講話10-4-10:四谷ニコラバレ )
 およそ日本人なら、俳句や短歌や短い詩の1つ,2つは、学生時代でも作った、作らされたご経験があるのではないでしょうか。まずそれを思いだして、日々の信仰生活――ミサにあがったり、聖書を読んだり、自然や人に触れ合って感じたことを、短い言葉でいいあらわしてみる。独り言の日記のようでもいいのです。その場合、人様が見るとか、どこかに発表するとか、そういうことを考えない方がいいと思います。好きなように、好きな形で作る。

 以前にもここで浄土真宗の妙好人の話を少ししましたが、浅原才一などの歌や八木重吉の詩などは、「求道詩歌」の良い見本だと思います。そして今なら、もし「求道詩歌」をやってみたい、という人がいた時、私がお手本として勧めるのは、井上神父様のアッバ賛句です。神父様はこんなことは意識していないだろうし、私がこんなことをいうのはまこと口はばったいのですが、神父様の句は私が提唱している「求道詩歌」を、はからずも最も良く具現しているように思うのです。たとえば、

  朝 目覚め 命なりけり南無アッバ
  皿洗い茶碗こわして南無アッバ
  心傷つけてしまいなすすべもなく南無アッバ

これらは、短くて、やさしい言葉だけを使っています。だからだれでも一読共感できる。それからリズム。ここでもう「南無アッバ」について説明する必要はないと思いますが、この言葉で下句5音をしっかり結んでいるので、上句に自在な言葉(音数)をもってきても、安定しています。このことは心情的にはどういうことかというと、私たちの身の上に何があっても、最終的にアッバにお任せするんだ、という祈りになっているのですね。そしてなにより、ご自身の言葉で詠んでいる、ということ。それはすなわち日本人の血、素質から自ずと流れ出るところからアッバなり、イエスなりを詠うということです。このように、まさに私どもが行っている求道詩歌運動の目指す所を体現しているお歌なのです。

 さて、昨年の12月の、このミサで神父様は、これからの日本のキリスト教への提言として、「下からのキリスト論」「神をアッバととらえる、テレジアの幼子の道」そして、「汎在神論」ということを上げておられましたが、これに関して「風」82号09年夏秋号に次のような、神父様の言葉があります。

「キリスト教は、決して、汎神論ではないけれども、しかし本質とはたらきを断絶する超越一神論ではなく、汎在神論(パンエンティスム)と呼ばれるべきものなのだ、という東方神学に目覚めることが絶対に大切なことなのだと思われます。そこではじめて、歌道や俳句道が、キリスト信仰のなかで抹殺されることなく、その息を吹き返すことができるのだと思います。」

ここには、汎在神論としてキリスト教を捉えることと、日本人の求道方法としての歌道や俳句道との相性が明確に述べられています。四半世紀にわたり、細々とですが私自身俳句や短歌と関わってきて、いまこの神父様のお言葉の意味が、少しですがわかってきたような気がします。と同時にまた、このような捉え方を今の日本のキリスト教の中で実現していくことの難しさも、感じつつありますが、先ほどの神父様の3つの提言を実現するための一助ともなれば、自分としてはうれしいことだなあ、と思っています。南無アッバ、南無アッバ、南無アッバ


*本誌は、井上洋治神父の提唱する日本人のキリスト信仰を生きるため、詩歌を中心として、共に道を求め、祈り合うための会誌です。
*初心の方はもちろん、どなたでも、賛同される方の参加をお待ちしています。(原稿採否主宰一任)
*締切=毎月末 *年会費二千円(半年千円 誌代送料共)
*入会案内 余白メールへ。
*ご意見ご感想をお寄せ下さい。
yohakunokaze-mihon_convert.jpg見本誌A4判両面刷1枚


category: 求道詩歌誌「余白の風」

thread: 求道詩歌

janre: 学問・文化・芸術

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日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

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