「南無アッバ」を生きる ホーム »2009年10月
2009年10月の記事一覧

ルカ14・1-6   




ファリサイの家でイエスは病人の手を取りいやし帰還を命ず  栄一



イエスは、ファリサイを嫌わないお姿。


category: 平田栄一求道詩歌(1)

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ルカ6・12-19  

たっぷり黙想材料のある箇所

>イエスの教えを聞くため
知的理解をこえて、共にいるため

>病気をいやしていただくために来て
共にいること=癒しとも

>イエスから力が出て、すべての人の
癒しの交わりを通して交流

この福音物語一場面に居合わせるように



招かれて福音にある吾思う癒しの力満ち充てる中に  栄一



福音から即教訓や道徳を導き出そうとしてはいけない。


category: 平田栄一求道詩歌(1)

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ルカ13・18-21   




自ずから成長し給う神の国われら信じて成るに任せよ  栄一





category: 平田栄一求道詩歌(1)

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第166号 2009年 10月発行  

求道詩歌で南無アッバ
Copyright©1990余白平田栄一,All rightsreserved.

前月号推薦句

泰山木の白引き寄せむ死に際は  孝子


主宰近詠

蓮田市  平田栄一

狂おしきまでに闇の秋澄めり

デニーズの暗き点りや虹の果て

妬み持ち穴惑いたり夜の底

ガラシャ忌や代理母女児を産みにけり

隣人に堅きアリバイ冬薔薇

古傷や微かに疼きチヌス祭

子を認め得ぬ親として秋愁う

程々に神の働く九月かな



作品とおたより(*主宰寸感)
 
練馬区  魚住るみ子

万歩計たしかめて見る青葉蔭

青梅やざつと水切る大き笊


転機
この世には偶然はないくす奇しくもわが賜ひたる転機なるらむ

*科学の話であれば、「偶然はない」という論もありますが、人生のこととなると意見が分れる。しかしどのような試練も、アッバから「賜ひたる転機」と受け止められるなら、前向きに生きられる。


名古屋市  片岡惇子

法師蝉鳴き止む時は天の門

時雨るるは蝉の習性我が気質

無花果の熟すを待てず闇となる

柿熟す重ねし齢のありがたき

秋桜優しさと車座になり

天高しいろいろ有りて父の掌に


*<法師蝉>天の門の内側で泣き続けているのかも。<無花果>直接には夕暮か、「闇」との組み合わせが見事。<天高し>父の掌にある「いろいろ」が四文字で一生を表現しつくした様。


豊田市  佐藤淡丘

二の腕をふとさすりをり秋初め

木の実落ち一山耳をそばだてる

新涼や背で感ずる次なる人

卓袱台に古びし聖書九月尽

鵙鳴くやあかときの嶺高遠に


『俳句でキリスト教』平田栄一著の後段に【弱さを受け入れる】と題して、次の「求道俳句」が掲載されている。

踏絵あり非日常の日常や  岸 美世

この作者、岸はる美よ世姉が、去る九月二十一日天国に召された。八十一歳の高邁な生涯であった。俳人・小川双々子の門に亡夫、岸貞男と共に重鎮をなし、品性の優れた句を表出し続けた。敬虔なカトリック教徒でもある。初学の私に対しても優しく接してくれる姉のような人柄でもあった。特に平和問題に関心が高く、時の政府の保守化に対しては常に鋭い眼で新聞に投稿、警鐘をならし続けていた。

本書に右の句を見た時、自分のことのように嬉しく、すぐさま本人に連絡したことなど忘れません。ここに生前の作品の一端をご披露し、この不思議な「であい」に想いを馳せている昨今です。深悼。

わが余命枯野に入りて計りをり 岸美世

コスモスやわたしが風になってゆく 〃

*美世様が、そちらの教会の方だということも、また、このような活動をされているということも、寡聞にして私はまったく知りませんでした。ただ掲句は「現代俳句」誌で一読、印象深く、記憶に残るものでした。これもアッバの御縁ですね。お祈りします。


立川市  新堀邦司

帰省子にまばゆき家族ありにけり

遺されし自画像若く敗戦忌


高層住宅
星空に近く住まひて星祭る
定年後
肩書きの取れて涼しき暮らしかな
少年は
青りんご齧りアダムの罪知らず
(「日矢」九、十月号より)

*<帰省子><青りんご>次代を担う若者を暖かく見守る目があります。<遺されし>若き自画像が語りかけてくるようです。<星空>天井を抜けるようなロマン。


一宮市  西川珪子
岸美世さん追悼
愛の人命のゆらぐ秋灯り

病床に秋風重くよどみをり

心臓のモニター凝視す芋嵐

呼びかけに答えみ瞳ひら開く秋桜

仰向けの空蝉アッバの掌に

また一つ灯りの消ゆる吾亦紅

天国への道示したる曼珠沙華

鶏頭の命赤あか燃え尽きぬ


*淡丘さんと同じ教会でしたね。お二人の句を読み合わせると、美世様のお人柄がしのばれます。<仰向け>一連のなかで際立ちます。アッバの慈しみを、ともに黙想しましょう。


秦野市  長谷川末子

稲畑の額を彩る曼珠沙華

落葉掻個体となりし蝉も掻く

友来る両手に野菊ゆさゆさと

在りし師と秋の吟行長安寺

秋明菊並ぶ羅漢の頬ゆるぶ

秋時雨供花も頭も通り行く

冬瓜にねじり鉢巻顔を彫り


 猫
母は白黒、子は真色け/母が寝そべりや子も真似る/獲物ねらって母消える/子等は遅れて走るけど/戻って来たのは子猫だけ/野良は泣かない強いのだ/兄弟じゃれてぴょんと立つ/神様見てるがんばって

*<落葉掻>「個体」が強烈な印象、現実直視。全句にに直接、神仏は出てきませんが、まっすぐな求道性が感じられます。<猫>最後に神様が出てきたのもいい。


講座「井上神父の言葉に出会う」から(二):余白

(以下は、〇九年八月二十二日(土)、四谷ニコラバレ会議室において行われた講義をもとに、再構成したものです。講師:平田栄一

 わたしたちの求道生活を導いてくださるのは、それはもちろん神父様ではあるのですが、その奥にはこの図の矢印で描いたようなイメージで、後ろに控えているアッバだということ。アッバに呼ばれているということ。あの世から呼ばれた――お迎えがくるなどと日本人のお年寄りは、半分冗談で半分本気で使うことがあるかもしれませんが、わたしはこれはいい表現だと思います。

あの世から呼ばれるというと、なにか死のことばかり考えているようですが、そればかりじゃない。あの世っていうのは天の国の言い換えだと思うのです。そういう意味で言えば、アッバが神の国から呼んでいる、導いている。そしてそれは死んでから始まるのではなくて、もう今から始まっている、というのがキリスト信仰だと思います。

そういう意味で言えば、井上神父様の書かれたもの、言われたことにわたしたちが少しでも共通点を見つけていくということは、アッバが引っ張っているということと同じだと思います。そういうふうに考えてわたしも連載を始めたのです。

次の頁、3頁ですが、これは連載の一章の所で触れたことです。わたし個人の経験もありますが、もう一つ「U先生」と書きましたが、高校時代の恩師だった英語の先生のこともわたしが何か書こうと思った大きなきっかけになりました。U先生は本来の専門はフランス語教育でしたので、カトリックに非常に興味を持っておられました。

で、わたしも妻も同じ高校の同窓生だったものですから、仲人をしていただいたり――ですから、井上神父様にも一度お会いになっています。そういうことで、卒業後も何回かお宅にお邪魔していました。
で、わたしが洗礼を受けた報告に行ったとき、すごくびっくりされたのです。「きみ、よく思い切ったね」というのです。一九八一年のことです。

どうしてそんなにびっくりするのかなあ、と思い、話しているうちに、わかってきました。先生はカトリックになりたいと思っていたのです。ある意味じゃ日本よりフランスが好きなような方ですから、そういう意味では井上神父様と合わないかもしれませんが(笑)、カトリックになりたくても告解がダメだ、ということなのです。もちろん信者ではないから、やったことはない。

わたしたちも同じですが、少なくとも私の場合は、告解をそこまで考えてはいなかった、あることは知ってましたが。でも、U先生は、頭の方から入っていこうというか・・・・ともかく「よく、きみ、そういうことに耐えられるね」という調子なのです。わたしは、「ああ、そういうものなんですかねえ」そんなに苦痛なのかなあ、などとその時思ったことを憶えています。

おそらくこの問題の裏には「罪」ということ、そして自分の犯した罪を人前でしゃべる、というカトリック教会の秘跡に対する日本人の感性、という問題があるのではないかと思ったのです。10:05(つづく)


○本誌は、井上洋治神父の提唱する「南無アッバ」の心を生きるため、俳句を中心として、共に道を求め、祈り合うための月刊誌です。A4版1枚両面刷り
見本

○どなたでも、賛同される方の参加をお待ちしています。(原稿採否主宰一任)
○締切=毎月末
○年会費二千円(半年千円 誌代送料共)
○連絡先:余白メールへ。


category: 求道詩歌誌「余白の風」

thread: 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など

janre: 学問・文化・芸術

tag: 井上洋治,平田栄一,求道俳句,
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日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

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