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2009年09月の記事一覧

第23回(5)黄金律と銀の教え-人に石を投げない心-『風』誌第82号  

「キリスト教の愛」といったとき、代表的な言葉としてよく例に出されるのが、山上の説教のいわゆる「黄金律」です。

<だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。>(『ルカによる福音書』六章三一節、『マタイによる福音書』七章一二節a)

これは「為す愛」を総括的にすすめる教えといえます。新約聖書ではこの言葉が有名ですが、実は旧約聖書(続編)には次のような言葉もあります。

<自分が嫌なことは、ほかのだれにもしてはならない。>(『トビト書』四章一五節a)

これは「為さざる愛」といえましょう。黄金律に対して「銀の教え(教訓)」などという言い方もされてきたようです。

興味深いことに、これと同じような対応が、『論語』にもあります。

<己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す(己の欲する所を人に施せ)>(雍也第六)――為す愛

<己の欲せざる所人に施す勿れ>(顔淵第一二、衛霊公第十五)――為さざる愛

ご存じのとおり一般的には、聖書では「黄金律」=為す愛の方が、論語では後者「施す勿れ」=為さざる愛の方が、よりよく知られています。

『キリスト教辞典』(岩波)によると、為す愛に対して、為さざる愛の「否定的な形」に類する文言は、儒教、仏教、ジャイナ教、イスラーム教、ゾロアスター教ほか、ギリシア・ローマ文化圏など世界中に多数みられるといいます。ユダヤ教のラビ・ヒレルが、「これをもって律法の総括であるとした」という話も残っています。

実は「福音書以後のキリスト教でも否定形の方をイエスの言葉として伝えるものが多い[ディダケー一・二、トマス行伝八三]。」ともいいます。つまり、世界的な愛の歴史においては為さざる愛が大勢を占めてきた。にもかかわらず、キリスト教会形成の途上で「為す愛」が強調されていったのではないか、と推測できるのです。

それと同時に、世界的・伝統的な「為さざる愛」は、少なくともキリスト教会のなかでは、相対的に低く見られていったのではないか、とも思えるのです。「黄金律」に対して、「銀の教え」という言い方にも、そのことがうかがえます。ちなみに、手元にある『新共同訳略解』(日本基督教団出版局)を見ますと『ルカによる福音書』六章三一節については、

<黄金律と呼ばれるもの。「人にされたくないことを、人にするな」は古今東西を問わずみられるが、それは、基本的には、報復を避けるための互恵的行為。>(一八三頁)

などとされ、いかにも銀より金のキリスト教の黄金律が上位にあるかのごとく解説されています。
さて果たして、銀の教えは基本的に、「報復を避けるための互恵的行為」なのでしょうか。また黄金律の積極的な愛に対して、消極的な愛として、下位に置かれるべきものなのでしょうか。わたしにはそうは思えません。

少なくとも、先の井上神父の言葉にもあったように、まず「私たちがいかに人を愛することから遠い至らない人間であるかを謙虚に自覚し、私たちをも受け入れて一緒に食事をしてくださるであろうイエスの前に心からそれを恥じること」――「愛の欠如の自覚」から出発すべきものだとすれば、第一の愛として、あの「ファリサイ派」のようには人を裁かない、「為さざる愛」があげられるのではないかと思うのです。

こうして、人を裁かない、人に石を投げない、といった「為さざる愛」が強調されている――少なくとも「為す愛」の前提として「為さざる愛」が主張されているのが、井上神学の「悲愛」の一つの特徴といえるのではないでしょうか。それはまた、東洋的な、あるいは日本的な心性からのアガペー解釈、受け取り方につながるものでもあると思います。

(次号=09年12月予定=につづく)


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第23回(4)為す愛、為さざる愛-人に石を投げない心-『風』誌第82号   

さて、井上神父が、<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>から、「足もとをすくわれるような衝撃と不安」を感じたのは、神父自身がファリサイ派と同じ道を歩んでいたのではないかということに気づいたからでした。

と同時に、イエスが示し、十字架を覚悟で大切にしたものにも気づかされることになります。それはファリサイ派には「欠けていた」「人間としていちばんたいせつなもの」すなわち「悲愛の心」です。

井上神父は、
<悲愛の心、キリストの説いた愛の心とは、人に石を投げない心であり、人の弱さや哀しみや醜さを己れの尺度で切捨て審かない心です。>(同前、第七章「悲愛」一七九頁)

と説明し先に、「アガペーは相手の弱さやみじめさを己れに荷う愛」と述べたことを、具体化しています。その上で、「普通の意味での道徳的な見方だけからすれば、」たしかに立派だったファリサイ人ではなく、そのように「祈ることのできない」取税人の方がアッバに受け入れられる、と喝破したのがイエスだといっています。

わたしがここで注目したいは、右の引用に典型的にみられるように、神父が「悲愛」たるアガペーを説明するとき、「~しない」という否定詞を多用しているという点です。すなわち、井上神父の場合、「汝、~すべし」という作為・能動よりも――少なくとも、能動的である以前に、まず「~しない」という不作為にこそ、アガペーの本質を見出していると考えられるのです。

そして、他者に対して「石を投げない」「審かない」という不作為の根底にあるものがまさに、自らを省みてわきまえ、控える――これまで述べてきたケノーシス・ペタイノース的姿勢といえるのではないでしょうか。この「わきまえ」や「控え」は、謙虚に自らを省みなければできることではありません。

「取税人」が「ファリサイ人」のように立派に「祈ることができない」のは、そのように謙虚に自らを省みたからでしょう。そういう「取税人」をこそ、アッバは受け入れるのだ、とイエスは明言したわけです。

「悲愛」の基本姿勢がこのようなものだとするならば、わたしたちがアガペーというものを考えた場合、いわば〝為すアガペー〟に対して〝為さざるアガペー〟というものも考えられるのではないか、とわたしは思うのです。それはどちらもアガペーの要素ではあるけれども、井上神学の場合は後者が第一義的に重要視されている。

このことが、わたし自身の経験からも、また様々な求道を重ねた末に井上神学にたどり着いた人たちとの語らいからも、日本人求道者・信者の、いわゆるキリスト教倫理への不自然な、ぎこちない構えを、ほぐしてくれているように思います。

ここでもう一度、本稿第二部で引用した『新約聖書のイエス像』からの一節をあげておきたいと思います。

<大切なことは、私たちがいかに人を愛することから遠い至らない人間であるかを謙虚に自覚し、私たちをも受け入れて一緒に食事をしてくださるであろうイエスの前に心からそれを恥じることにあるのである。

私たちのように愛から遠い人間が、この愛の欠如の自覚もなしに、ただただ親切をしなければならないという意識で、後ろはちまきでがんばれば、下手をすると、偽善と自己満足のなんともいえない不愉快なにおいを発散して歩くことにもなりかねないことを、深く反省してみる必要もあるにちがいない。>(第七章「隣人となるということ」一二八~一二九頁)

これは、『ルカによる福音書』一〇章の「善きサマリア人のたとえ」に言及しながらの井上神父の言葉ですが、いま問題にしている「為す愛」「為さざる愛」について、神父のはっきりした見解を示しているという点で重要な発言だと思いますので、ここに再掲しました。

わたし自身、「キリスト教の愛とは何なのか」あるいは「自分にその愛は可能なのか」ということを考えるとき、たびたび思い浮かぶ箇所なのです。


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第23回(3)回心への原体験-人に石を投げない心-『風』誌第82号   

 こうして神父の回心体験を振り返るとき、一点触れておきたいことがあります。
本稿の冒頭でわたしは、自分と聖書との出会いについて井上神父のそれと並行しながら述べました(『心の琴線に触れるイエス』「序にかえて」)。

神父が聖書とイエス・キリストに真に出会ったのは、「キリスト教入信前の学生時代、あるハンセン病院を訪れたとき」だったといいます。それは具体的には神父の洗礼が「二十一歳の誕生日の前日」であったことから考えて、十代の後半から二十歳までの頃のことでしょう。

 <(ハンセン病患者に対し)こわいものにでもふれるような態度しかとれなかった昼間の自分の姿に、深く自己嫌悪にとらわれ、寝つかれないままに、哀しみの潮騒に心洗われていた私は、しかしふと、波打ちぎわに残された一片の桜貝にも似た、ある暖かな思いが、ポツンとその哀しみの波打ちぎわに残されていることに気づき始めたのでした。

それは、なにか、私はゆるされている、という思いにも似たものでした。>(『日本とイエスの顔』第一章「ことばといのち」)

 井上青年の聖書とイエスとの「真の出会い」が、ハンセン病患者を通しての「自己嫌悪」と「・・・・一片の桜貝にも似た、ある暖かな思い」――「私はゆるされている、という思いに似たもの」をともなっていたということ、わたしにはそれが大変興味深く思われます。

というのは、本稿で述べた「復活の前にあるもの」(第十一回)、あるいはそれに関連して述べた「罪意識の前提性」(第十八回)といった、井上神学を語るときに重要な事柄の萌芽を早くも、受洗前の井上青年のこの心情に見る思いがするからです。

イエスが復活する前、弟子たちは師を裏切ったことによる「自己嫌悪」を抱えて、鬱々としていました。その「自己嫌悪」や「後ろめたさ」は、弟子たちの「罪意識」に結びつくものでした。そしてそれらが前提となって、弟子たちの復活体験――イエスによるゆるしの体験が起こったのでした。

井上神父は福音書が一貫して、イエスの「ゆるしのまなざしによる、弟子たちや人々の回心の物語」(『わが師イエスの生涯』一九一頁ほか)であると繰り返し語り、その視点から神学を展開しています。

わたしは、井上神父がこのような視点を持つに至った原体験が、多感な青年期における右のハンセン病院での体験だったのではないか、少なくともその遠因の一つにはなっているのではないか、と推測するのです。

すなわち、聖書という象徴を介して、ハンセン病者から感じた井上青年の「自己嫌悪」が、イエスを裏切った弟子たちの「自己嫌悪」に対する心情的理解――体験的共感を生み、また促したということ。

同時に、「私はゆるされている、という思いに似たもの」――それはほのかな思いであったかもしれませんが――を感じたことが、イエスのゆるしのまなざしへの予感として、準備されていったのではないか、と想像するのです。


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第23回(2)井上神父の回心体験-人に石を投げない心-『風』誌第82号   

 その直後井上神父は、自身が「フランスの大学に通っていた頃、ある晩」この一節を読んで、
<それからの生き方に大きな影響をあたえられた程の強烈な衝撃を受けた>(同書、一七九頁)
と告白しています。

 ここ数回にわたり、本誌上において神父は『漂流――「南無アッバ」まで』と題して、これまで大きな影響を受けた人物――ベルグソン、テレジア、法然、エレミアス等々について、順次語ってきましたが、右の「イエス自身が語ったたとえばなし」は、新約聖書中の御言葉としては同じくらい、あるいはそれ以上に「大きな影響」と「強烈な衝撃」を受けたものだったのではないでしょうか。

これを即内村鑑三的な劇的回心体験「コンボルション」(conversion)に比することは適当でないかもしれませんが、この御言葉が神父を「根底からゆさぶり」、その後の神父の生き方を変えさせることになったという意味では、やはり一種の回心体験と言っても過言ではないと思います。

それが具体的にどのような「衝撃」であったのかを、井上神父は続けて語っています。

 <司祭になろうとフランスにわたり、そのときまで自分なりに一所懸命頑張っていた私を根底からゆさぶったものは、それまで自分の生きてきた道はキリスト教徒としての道ではなくて、実はパリサイ人の道ではなかったかという問いかけでした。このルカ福音書一八章のパリサイ人の祈りを、私は結局続けてきていたのではないか、というおそれにも似た驚きでした。>(同前)

 それは御言葉から、ということはイエス、アッバからの問いかけであり、「おそれにも似た驚き」だったというのです。

 このときのショックを神父は、自伝的エッセイ『余白の旅』では、次のように述べています。

 <私がローマ滞在中にえた今一つの貴重な体験は、全くキリスト教的な意味あいのものであって、ある意味ではキリスト者としての私の生き方そのものに関係するもっとも大切なものであった。

 ある夜、寝る前に何気なく読んだ次の「ルカによる福音書」の一八章のイエスのたとえ話に、私は深い衝撃をうけたのであった。

・・・・(<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>引用)>・・・・

 それまでにも何回も、私はこのイエスのたとえ話を読んでいたはずであった。しかし、その夜私は、イエスに従って生きてきたと思いながら実は自分はパリサイ派に従って生きてきたのではないかという思いに、ちょうど足もとをすくわれるような衝撃と不安とを感じたのである。>(「暗中模索」八七~八九頁)

 右二つの箇所を合わせ読むとき推測できることは、先ほど言ったように、井上神父がこのペリコーペから受けた「衝撃」は、「強烈」で「深い」ものであったにはちがいありませんが、それはいわゆる〝救い体験〟とは、一線を画すものだった、ということです。なぜなら神父のこの時の体験は、アッバからの「問いかけ」であり、「おそれ」であり、また「不安」をも伴う種類の「衝撃」だったからです。

すなわち、多くの回心記によくあるような法悦、平安、歓喜の涙等々を伴うような回心体験ではなかったということです。むしろ井上神父の場合は、それまでの生き方を一八〇度変えるよう反省を促し――その意味では文字どおり回心なのですが――そこに留まることをゆるさず、次の行動、アッバへのリアクションを問われる類のものだったといえましょう。すなわち「パリサイ人の道」から真の「キリスト教徒としての道」へと方向転換が迫られたのでした。

 <私が完全に福音書のイエスに捕えられたのはそのときからである。イエスとパリサイ派は何が原因であんなに烈しく対立したのだろうか、押しよせてくる数々の疑問をかかえて、私の図書館通いがはじまった。そしてこのとき受けた衝撃の種は、次第次第に心の中で大きな樹となって成長していったのである。>(同前)


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第23回(1)悲愛は可能か?-人に石を投げない心-『風』誌第82号   

 『日本とイエスの顔』のなかで、<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>が全文引用のかたちで大きく取り上げられるのは、第七章「悲愛」においてです。井上神父はここでまず、アガペーを「悲愛」と訳したゆえんを語っています。

<アガペーの愛は相手と同じ立場に立って、無心に〝共に喜び共に泣く〟(ロマ書一二章一五節)愛であり、相手の弱さやみじめさを最終的には己れの上に素直に荷う愛であるといえましょう。

もし〝悲〟という字が、本来は人生の苦にたいする呻きを意味し、共に苦しむおもいやりを意味するものであれば、アガペーは悲愛とでも訳すのがいちばんふさわしいと思います。イエスの孤独と苦悩と裏切りに耐えた十字架の死は、まさにこの悲愛のもっとも崇高な姿をあらわしているといえるでしょう。>(『日本とイエスの顔』一六三頁)

 「悲愛」の語源については第一部でも取り上げましたが(『心の琴線に触れるイエス』第三章「共に在す神」の再発見)、そういうイエスであるからこそ、十字架以前も生涯を通じて、ファリサイ派のように
<かくあるべしという基準をもって人を審くまえに、その人が哀しみと孤独のうちに背負って来た十字架を受けとめ、その人の心をそのあるがままの姿において感じとめ>(前掲書、一六八頁)

られたのです。

 しかし人間に、そんなアガペー・悲愛は、

<可能なのだろうか、人間は口では皆なんとかいっていても、結局は人を見下すことに密かな喜びと幸福感を味わっているのだし、最後には自分がいちばん可愛くなるにきまっているのではないだろうか。そういう疑問がすぐ私たちの心にはわいてきます。たしかに人間は醜いものだし、弱い反面残酷だし、またこの上なく身勝手なものだと思います。>(同書、一七七~一七八頁)

と、理想を語ることだけではすまされない、わたしたちの現実、疑問を井上神父が代弁します。

ここでわたしたちは、「人を見下すことに密かな喜びと幸福感を味わっている・・・・」という言葉が、前回とりあげた同書第四章「イエスの神・アバ」で脚注が付された「・・・・他人を見下げることに幸福を覚え」(17)という言葉と符合していることに気づきます。すなわち、この第七章では「悲愛」ということをめぐって、<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>を、おもに他者との関係でもう一歩考察を深めることになるのです。

「悲愛アガペーは可能か」という疑問に対し、まず神父は、イエスに対する全幅の信頼をもって、次のように前置きします。

 <しかしイエスは、私たち人間がどういうものであるかということは骨の髄まで知っていました。その上でなおあの崇高な悲愛アガペーを生き、かつ説いたのだと思います。そしてむしろその点にこそ、イエスがもっとも示したかった信仰の秘密がかくされているように思われます。>(同書、一七八頁)

 わたしたちが「醜く」「残酷」なダメ人間だということを、イエスは十分知りつくしたうえでアガペーを説いた、そこにこそ「信仰の秘密」があるというのです。そして、

<悲愛が共にということをもっともたいせつにするのであれば、人を軽蔑し見下すことは、悲愛とは程遠いこと>(同前)

として、<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>を全文引用しています。


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9月の南無アッバミサ前講話をアップしました  

編集室の山根道公氏が「風誌アーカイブ」をめぐって、お話しました。
http://page.freett.com/yohaku5/


category: 井上神父の思い出

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第165号 2009年 9月発行   

求道詩歌で南無アッバ
Copyright©1990余白
平田栄一,All rights reserved.

前月号推薦句

百日紅燃え尽きる時無風なり  惇子


主宰近詠

蓮田市  平田栄一

イエスというぶどうの木から実を結ぶ

キリストと共なる生死パセリ食む

人去りて平和は残る荒布採り

夏めきて恵みの雨を待つ心

在りて有る確かな方よ聖五月

子供の日父とイエスは一つなり


 皆様、この度は遠方遙々わたしの拙い話を聞きに来てくださり、まことに有難うございます。思わずも「余白の風」のオフ会も兼ねることができました。感謝です。


作品とおたより(*主宰寸感)
 
文京区  大木孝子

泰山木の白引き寄せむ死に際は

お母ちやまもお父ちやまもゐる草の市

おろかさも懐かしきかな茄子の馬

ことなべて水からくりの如しとも


*「野守」三七号「空蝉」三三句から選ばせて頂きました。作為はないのですが、選句は偶々最終頁に偏ってしまいました。勝手ながら全句を連作として読んだ時、紆余曲折の果て、俳句的軽みの南無の世界とでも言えるような感覚を予感させます。


名古屋市  片岡惇子

蝉時雨森震わせて命かな

緑陰や余白の刻を頂いて

蝉時雨マザー・テレサの言葉聴く

入道雲誇ることなく黙し聞く

向日葵を対峙して見る翳かな

苦瓜の登り詰めしは天の門

睡蓮の半開きにて黙示録

八月や罪なきものは石投げる

あかとんぼの輪の中にいる平和かな


*短い命の限りを尽くして精一杯鳴く「蝉」、汗を拭いてふと佇む緑陰に感じる「余白の刻」、日常と求道生活のなかで、充実した時間を過ごす作者の姿がうかがえます。


豊田市  佐藤淡丘

連れ犬のはたと躓く晩夏かな

歩すたびにばったの円弧透きにけり

刈り残しカンナ一群れ更に燃ゆ

幼帽揺らぐ白さや捕虫網

葬の日は爪を隠せりさるすべり


一介の男(七三才)は、ナント三年ぶりに上京したことになります。名古屋から四人組が連れだって「井上神父の言葉に出会う」講座に心を弾ませて出発しました。四谷の交叉点に降り立つと、上智大、そしてイグナチオ教会が目に飛び込んで来ると同時に、カトリック教徒としての安堵感というか誼(よしみ)が湧いてくるのを覚えたものです。

平田先生(「余白の風」主宰)に初めてお会い出来る期待感を胸に会場(四谷ニコラバレ)に入るや否や、名古屋組の三人の女性は、ちゃっかりと一番前の席に陣取り、先生の講演を一語も洩らさじと聴き入っていました。

井上神父の「アッバ神学」を易しく新鮮な思いでうかがった後、喫茶店でお仲間を入れての「わかち合い」も、これからの発展を予感させる、またとない機会でした。感謝。

*第二句、ポイントは「円弧透きにけり」。人生も歩むほどにその足跡が透き通っていくようなものであったなら、なんと素晴らしいことか。求道の果ての憧れの境地です。


一宮市  西川珪子

燦めきて何処まで昇る蜘蛛の糸

夫の通夜を偲びて

過ぎし日の速さ通夜の日パリー祭

亡夫ありて吾れありぬ白き百合

夜風背に金魚を掬う子の瞳

夏木立円の教会千の風

みつ豆や今を語らう風は愛


*先の「淡丘」氏の「円弧」の句に対して、こちらは第一句、「蜘蛛」の句が対応するように思います。地面を這うばったに対して、何処までも天へ昇ろうとする蜘蛛糸の足跡が輝く――。


秦野市  長谷川末子

常夜燈蝉の乱舞は夜明けまで

捨てられし鬼火の赤火の如く

秋出水死を選びたる主婦ありて

敗戦日抑留わすれぬ夫に添ふ

外は夜集(すだ)く虫の音主は近く


うりずん
一月の寒さにじっと耐え/春の芽吹きは春初め  /その瑞々しさを「うりずん」と/沖縄びとは云うそうな//残暑に苦しむ私達/初秋の風の有難さ/寒さがあって感謝する/暑さがあって感謝する/年を取って気付く事/長い恵みと導きを

*こちらの第一句は、惇子さんの「蝉」の句に対応します。命の限り鳴く蝉もあれば、何を思うてか「常夜燈」に乱舞する蝉。心はさらに複雑な思いがします。


講座「井上神父の言葉に出会う」から:余白

(以下は、〇九年八月二十二日(土)、四谷ニコラバレ会議室において行われた講義をもとに、再構成したものです。講師:平田栄一)

 早いもので、井上神父様にわたしが最初にお会いしてから二十九年が経ちました。そのいきさつは今度の新刊『すべてはアッバの御手に』のプロローグに書きましたが、先ほど計算してみましたら、最初にお会いした一九八〇年といいますと、神父様が五三歳のときなんですね。実はわたしが、いま五三なんです。ですから、今のわたしの歳の神父様にわたしが会っていたんです。

だけど、今のわたしがもし、わたしのような青年に会って、「いっしょにお酒を・・・・」なんて言われたら、きっと断ると思います(笑)。なんとなくかまえちゃうと思うんです。でも、井上神父様はそうじゃなかったんですね。すーっと会ってくれて――だいたい初日からお酒に誘われちゃうんですから(笑)。それは驚きますよ、それまでのわたしは神父に酒を誘われるなんて、思ってもみなかったですから。もちろんうれしかったです。

 それからお酒が病みつきになったわけではありませんが、神父様の所に行くと、まず、神父様の本にあちこち赤傍線を引っ張ったのを持って行って、「先生、ここにはこう書いてあるんですが、こっちにはそうじゃないのは・・・・」みたいなことを質問します。するとたいてい、あまりいい顔はされない(笑)。それで、「あなたみたいに、人が書いた本に線を引いてきて、本人の目の前でこれはおかしいって言う人は初めてだよ」などと言われました。しかし、とってもよくしてくださって、本当に感謝しています。

 さて、お配りした図版の方をごらんください。ここに丸を二つ描いて、その中を矢印が貫いています。これはどういう意味かと申しますと、今、わたしの方で自分のことを随分しゃべってしまいましたが、やはり、わたしだけでなく、皆さんの求道生活は、さまざまな環境、事情のなかに置かれているわけです。わたしのように、就職浪人から具体的な求道が始まった人、あるいは学生さんで学校浪人がきっかけとか、御病気で長く療養されているとか、ご家族にいろんな問題があるとか・・・・。

で、そういうことと、井上神父様が書かれた本なり、ミサでのお話なり、いろいろテープや講演、NHKなどのお話などを聞かれたり、読んだりしたときに、これはまったく別の人――あの方はすごく偉いから、そういうふうに信じられるのだ、という感じで思っていると、いつまでも先に進まないんじゃないか――わたしもそうでした。

つまり、偉くてすごい、というところばり見ていると、自分との間に垣根というか敷居を作ってしまうことになる。ですから、どこかで接点、この図でいうと、丸と丸が重なってる部分で共感をもって求道する。神父様の本を読んで、たまたま手に取った一冊がピンとこなくても、別のもので、神父様の求道生活を私たちの求道生活が追っていくような考え方でいけば、少しずつでも成長していくのではないかと思います。

 どうしてこんなことを最初にお話しするかというと、これは、神父様の本の読み方ということだけでなく、あとでまたお話しするかと思いますが、こういう感覚の問題が、キリスト教の原点と関係があると思うからなんです。どういうことかというと、キリスト教の原初的な体験というのは、カール・ラーナーの言葉を要約すれば、「人間イエスは救われた。

だから同じ人間であるわたしたちも救われる」という、単純素朴な一事でした。つまり、イエスがキリスト=救い主だと断言できる原点には、イエスとぼくらは同じ人間なんだという感覚が、当時の人にあったということです。誤解を恐れずにいえば、それがないとキリスト教は始まらない。あの人は俺たちと違って、偉い人なんだ、出来が違うんだ、といった感覚だけじゃ、キリスト教は始まらなかったのです。(つづく)

 〇九年八月新刊『すべてはアッバの御手に』著者直送サイン本は、出版記念サービスとして郵送料・税共無料とし、一冊五〇〇円にてお頒けいたします。著者連絡先まで直接お申し込みください。



○本誌は、井上洋治神父の提唱する「南無アッバ」の心を生きるため、俳句を中心として、共に道を求め、祈り合うための月刊誌です。A4版1枚両面刷り
見本

○どなたでも、賛同される方の参加をお待ちしています。(原稿採否主宰一任)
○締切=毎月末
○年会費二千円(半年千円 誌代送料共)
○連絡先:余白メールへ。


category: 求道詩歌誌「余白の風」

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