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amazon-井上洋治神父の本  




category: 井上神父の思い出

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category: ○お知らせ・報告

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書評:神父が書いた詩集――井上洋治著『風の薫り』を読む――(六)  

 「ベランダで」以後の『風の薫り』所収作品の創作年代を調べてみると、一九九〇年から九七年まで、ほぼ年を追うごとに作品数が増えており、近年の井上氏の詩想のますますの充実ぶりがうかがえる。そして、巻末に「風の家の祈り」(一)、同(二)の二作品を載せて一巻をしめくくっている。



   風の家の祈り(一)



 アッバ。

 迷ってしまった一匹の子羊をどこまでも探し求める羊飼いのように、暖かな春の日も、凍りつくような冬の日も、今日までの私の人生を、いつも暖かく見守ってきてくださったお恵みを心から感謝いたします。私があなたのことを、疑ったときも、また忘れていたときでさえ、たしかに、あなたは私をお忘れにはなりませんでした。

 この日本の土地にそのあなたの悲愛の芽が育ち、一人でも多くの人が、御子イエスによる真のよろこびと自由と平安とを見出すことができますように。

 主キリストによって アーメン。



   風の家の祈り(二)



 アッバ。

 利己主義に汚れている私たちの心を、あなたの悲愛の息吹で洗い浄めて下さい。

 空を行く雲、小川のせせらぎ、一輪の野の花が捧げる祈りに合わせて、私たちの祈りをあなたの御前で澄んだものとして下さい。

 人々の弱さ、欠点、罪を裁くことなく、まずこれらを受け入れられた御子イエスの悲愛の心に、私たちの心を近づけて下さい。また、御子イエスが、深い哀しみと痛みを背負って、重い人生を歩んでいた人たちの心を映しとり、受け入れ、友として生きられたように、私たちにもそのような人々の心を映しとれる友の心をお与え下さい。

 苦しみも、哀しみも、喜びも、すべてをあなたの御手から受けとることによって、私たちの日々の生活が、あなたの悲愛の息吹きの働きの場となることができますように。

 主キリストによって アーメン。



 この二作品は、『風の薫り』中の配列では最後になるが、調べてみると、この二つの「祈り」の初出は全作品中最も早く(それぞれ『風』二十号と二十一号)、氏の思(詩)想の始めであり終わりである――アルファでありオメガであることを意味する。本論の冒頭で、「『神がイエスをよみがえらせ、高く挙げて主とした』という信仰宣言は、すっぽりとイエスがそのまま余白の次元に入りこみ、生かされ、余白を吹きぬける風と一体化し、生きとし生けるものの根底を吹きぬけることとなったということに他ならないのではないか。」という『余白の旅』所収の言葉は、長い精神遍歴の果てに見つけた氏の信仰宣言であると指摘したが、それを敷衍し、具体化した「祈り」がこの二つの祈り――詩なのだと思う。つまり、これらは氏のキリスト教信仰の中核であると同時に、キリスト教文化内開化への実践であると言えるのである。

 二つの祈りは「アッバ」で始まる。この語は、イエスの思想あるいはキリスト教信仰を理解する上で大変重要なキーワードである。

 「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(マルコ14.36)

 これはイエスが、逮捕される前、ゲッセマネの園で祈ったときの言葉として伝えられている。イエスの祈りはすべてこの「アッバ」という呼び掛けで始まっていたと指摘する聖書学者もいる。この言葉は、幼児が父親を親しみを込めて呼ぶときのアラム語である。現代の日本人に置き換えれば、「パパ」とか「お父ちゃん」などに相当するのだろう。旧約時代、「神」をこのように親しく呼ぶことはなかった。このことが、イエスがファリサイ派などから反感を買った一因ともなった。ともあれ、イエスに至って初めて、神の厳格さ――父性より、やさしさ――母性の強調という、神観の転換が行われたのである。

 イエスにならい、「風の家の祈り」は、この「アッバ」から始まるのである。日本でも(とくにカトリックでは)様々な祈祷書が出版されているが、「神よ」「父よ」あるいは「天の父よ」などから始まる祈祷文はあっても、「アッバ」をそのまま使ったものは、未だないのではなかろうか。

 「風の家の祈り」(一)第二段落「迷ってしまった・・・・」は、『ルカによる福音書』一五章あるいは『マタイによる福音書』一八章に出てくる、有名な「迷い出た羊のたとえ」を援用する。「利己主義に汚れている私たち」は、ときに意識的に、ときに無意識のうちにたびたび人生の方向を見失ってしまう子羊のような存在である。しかし、「アッバ」なる神は、迷わない九十九匹をそのままにしてでも、群れから迷い出た一匹の子羊を自ら探し回る羊飼いのような方なのである。その一途な「悲愛」〓アガペーは、「暖かな春の日も、凍りつくような冬の日も」また、私たちが「疑ったときも」「忘れていたときでさえ」変わらないものなのだと宣言する。これは、一方的な神の悲愛への絶対的信頼と感謝の祈りと言えるだろう。

 第三段落「この日本の・・・・」は、「御子イエス」によって宣言され、もたらされたそうした普遍的な「悲愛の芽が」、「この日本」という特殊な場に生きる私たちに文化内開化インカルチュレーションすることを願う。

 「風の家の祈り」(二)は、(一)で示された神からの悲愛を受けている私たちが、日常のなかでそれに応えるための祈りである。つまり〝愛の実践〟のための祈りということになる。

 はたして、キリスト教的な隣人愛とはどんなものであろうか。ここで、『マタイによる福音書』五章に出てくる「山上の説教」で有名な箇所、「敵を愛せ」とか「右の頬を打たれたら左の頬も向けよ」などに代表される、いわゆる〝無償の愛〟を連想する人は多いだろう。そしてその困難さととも――それゆえに――直観的に、そこにキリスト教的な偽善の匂いを嗅ぎ取る日本人も多いのではないだろうか。私は、日本にキリスト教が根づかない原因は、復活や奇跡理解への躓きよりも、倫理や道徳の問題の方が大きいと考える。明治以降、キリスト教すなわちピューリタニズムと解釈してしまう傾向が日本人には根強いのではないか。この論の最初に、キリスト者である私が酒を飲みたばこを吸っているのを知った周囲の人によく驚かれる、という経験を書いたが、このことなどは、キリスト教を儒教的な道徳宗教と誤解している典型的な例と言えるだろう。

 井上氏は、イエスが語った言葉はすべて待機説法だと言う。すなわちイエスは、ある時、ある場所で、特定の具体的な人たちに向かって語ったのである。現代のようにテレビやラジオあるいは書物などを通して、不特定多数の人たちに呼び掛けたわけではないのだ。だから、売春婦や徴税人に語る言葉と、ファリサイ派の人に語る言葉とはときには正反対にもとれるのである。たとえば前述の「山上の説教」などは、本来様々な場面で語られたイエスの言葉をマタイが、彼の属していた共同体のために集め、編集したものである。したがってその言葉の一つを、語られた状況を考慮せず、単独で取り上げ、普遍化することは危険なのである。

 このことを踏まえて、キリスト教的な〝隣人愛〟というものをどんなものかと考えたとき、よく引き合いに出されるのは、『ルカによる福音書』一〇章に出てくる「善いサマリア人のたとえ」である。追いはぎに襲われ半殺しになったユダヤ人を同胞の祭司やレビ人は見捨ててしまう。「ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した」(10.33,34)というものである。サマリア人はユダヤ人とは敵対関係にあった。「隣人を愛せ」というときの「隣人とはだれか」と問う律法の専門家に対して、イエスは「行って、あなたも同じようにしなさい。」と答えるのである。ここはたしかに、山上の説教の「敵を愛せ」につながる箇所である。キリスト教の愛は理性的な愛だと言う人がいる。心情的に敵を愛することができなくても、敵を憎む心情のまま、愛の行為を行うことはできる、と考えるのである。この「善いサマリア人のたとえ」もそのようなものとして受け取るべきなのだろうか。

 井上氏は、この「たとえ」を解釈するとき、「サマリア人」の心情に注目する。このサマリア人は、半殺しになっている人を見て、「憐れに思」ったのである。この原語スプランクニゾーマイという言葉は、本来「腹わたがちぎれる」というほどの強い意味を持っているという。つまり、助けずにはおれない、止むに止まれぬ心が沸き上がったのである。相手に憎しみを抱きながらも、しかし理性的にはかくあるべしと計らったから助けたのではないのだ。思わず助けてしまったといった方がよいかもしれない。そういう自然の心の動きを表しているのである。井上氏は言う、

 「ここで注意しなければならないのは、悲愛の行為というのは相手の思いを中心とする行為ですから、相手が今何を願い、何を必要としているかということが、自分の心の鏡にうつる必要があります。埃に汚れている鏡には物がうつりにくいように、・・・・そういう状態では、自分はその人のためにやっているつもりでも、実際は自分のエゴイズムが満足させられるだけで、本当にその人が必要としている、あるいは望んでいることを的確に行うことができない危険に陥ることもありうるわけです。

 したがって悲愛の行為というのは、ただ努力するというだけでは不十分で、祈りという行為が基盤になければいけないのだと思われます。心の鏡に、このサマリア人のようにスプランクニゾーマイしたら、つまり本当に憐れに思われたら、そこからはおのずから水があふれ出るように、悲愛の行為というものは行われるものではないか、というような気がわたしはしています。」(『福音書を読む旅』308~309頁)

 祈りによって「おのずから」「あふれ出る」悲愛の行為こそが大切なのである。実はルカは、この「善いサマリア人のたとえ」の後に「マルタとマリア」の話を続ける。イエスを迎える「マルタは、いろいろのもてなしのためにせわしく立ち働」(10.40)く女性であ り、一方「マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入」(10.39)る女性である。マル タが「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」と言ったのに対し、イエスは「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(10.41,42)と答えるのである。「善いサマリア人のたとえ」で「行って、あなたも同じようにしなさい。」と言ったイエスが、立ち働くマルタと対照的に主の話に聞くという祈りの姿勢に専心するマリアを積極的に肯定していることを考え合わせると、祈りから悲愛の行為へという井上氏の見解はますます当を得たものと、私には思われるのである。

 ちなみに、十六世紀以来、カトリックとプロテスタントとの間で教義上の最大の争点だった「義認」(神による救い)の解釈について、バチカンとプロテスタント最大のルーテル教会の間で、十月に共同宣言に調印するという。そこでは「義認はただ神の恵みによるものであり、善行によって得られるものではなく、人は信仰によってのみそれを受け、善行のうちにその実が表れるということに、両教会が合意する」(朝日新聞99.8.24夕刊)と述べら れるというのである。信仰(祈り)の実としての善行(悲愛の行為)というエキュメニカルな考えを、井上氏は先取りしていたと言えるだろう。

 こうした全体のモチーフのもとに、「風の祈り」(二)は、(一)と同様、第一段落「アッバ」への呼び掛けからはじまる。

 しかし、祈りの姿勢といっても、私たちの祈りは、得てして「ああしてください、こうしてください」というあれこれの自我欲求を神にぶつけるだけに終始してしまうことが多い。そこで第二段落では、そうした「利己主義に汚れている」心が神の悲愛の息吹き――聖霊によって浄化されることを願う。

 第三段落は、「空を行く雲、小川のせせらぎ、一輪の野の花」など自然が捧げる祈りに合わせて人間が祈る――自然とともにある人間という、即自然的な井上神学の特徴をよく表している。

 第四段落前半は、前述のように山上の説教に代表されるような、イエスの倫理的言葉伝承に弱い日本人には、重要な信仰告白である。つまり、イエスの言葉伝承だけでなく、物語伝承を仔細に検討していくならば、一見厳しいイエスの言葉の裏に、「人々の弱さ、欠点、罪をさばくことなく、まずこれらを受け入れられた御子イエスの悲愛の心」が前提されているということである。「みだらな思いで他人の妻(口語訳「女」)を見る者はだれでも 、既に心の中でその女を犯したのである。」(マタイ5.28)という厳しい言葉が、『ヨハネに よる福音書』八章冒頭の「姦通の女」の物語状況の中で語られたとする井上氏の解釈は、その典型であろう。そして第四段落後半では、「わたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」(マタイ8.17)と信仰告白されるイエスにならい、人生の重荷を担って苦しんで いる人々の「心を映しとれる友の心」――マルタのように焦り行動する態度ではなく、マリアのようにまず神に聞き、あのサマリア人のように自ずから「腹わたする」悲愛の心を辛抱強く願うのである。

 最終段落はこの「祈り」の、あるいはこの詩集の総括として、私たちの人生共通の究極目的とも言えるものを指し示しているように思われる。

「『苦しみも哀しみも喜びも、すべてをあなたの御手から受けとることによって、わたしたちの日々の生活が、あなたの悲愛の息吹きのはたらきの場となることができますように』というふうに、わたしの人生はわたしの人生であると同時に、それ以上に神さまがご自分のはたらきをなさる場なのだという思いで、神さまの前にたたずんでいく必要があると思います。」(『福音書をよむ旅』315頁)

 苦しみや困難がなぜ存在するのか、だれにも簡単に答えることはできない。しかし私たちはとくに、病み、苦しみ、老いていくとき、こんな苦しい自分の人生が何のためにあるのかとしばしば問わずにはおれない。そして私たちの自我はもがき、あがき、さらに苦しむのである。そんなとき、「本当の自分の人生の主人公は自分ではなく、神さまなのだということに改めて想いをはせること」(前掲書327頁)、それが「祈り」なのである。



  うらを見せおもてを見せてちるもみじ



 これは、良寛が死の床で口ずさんでいたといわれる句である。井上氏はイエスの十字架の死を思うたびにこの句を思い出すという。「苦しみも悲しみも喜びも」すべてを含めた私たちの生活が、神の「悲愛の息吹きのはたらきの場」となっていくとき、狭い自我を超えた、一人ひとりの人生の目的が達成されていくのである。

                                   (おわり)

【以上、『風(プネウマ)』誌 第52号(1999.9)~第54号(2000.4)連載】


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書評:神父が書いた詩集――井上洋治著『風の薫り』を読む――(五)  

ベランダで



ベランダに出て

  こうやって

   青い空を眺めていると



そっと

  あなたが横にすわって

いっしょに

  空を見ていてくださるような

     そんな気がしてくる



そして

  老いと死とを超えた生命を

  やさしく語ってくださった

 あなたのお言葉を

ほんのすこしでも

   疑うなんてことが

どんなに失礼なことかに

    気づかされて

    恥かしさで

 胸が一杯になってくる



そうすると

   なんだか空の青さが

   どんどん大きくなってきて

   ふわっと そんな私を

  包みこんでくださるように

     思えてくる

                一九八九年 十月十日



 井上神父は一九八六年春、「風の家」をはじめる。その機関誌『風プネウマ』創刊号の趣意書には「・・・・日本人の心の琴線にふれる〓イエスの顔〓をさがして、一人でも多くの日本の人たちに、イエスの福音のよろこびを知ってほしい、そう願って、この「風の家」をはじめました。」とある。第二号ではさっそく八木重吉が特集されるが、井上氏が宗教と文学について繰り返し述べていることには次のような理由がある。すなわち〝宗教的体験は日常の言語では正確に表現できない深層意識にかかわるものであるから、詩や文学といった象徴的深層言語によってもっともふさわしく表現される〟というのである。したがって、「日本人」の宗教体験は、日本語の詩や童謡によって最もよく表現されるということになるだろう。重吉が『風』で真っ先に取り上げられたゆえんであろう。



  祈り

ゆきなれた路の

なつかしくて耐えられぬように

わたしの祈りのみちをつくりたい       重吉



 重吉の詩は、キリスト教の日本文化内開花をめざすものにとって最も示唆に富んだ教材といえる。そして井上氏自らも自作の詩を『風』に掲載していく。その最初のものがこの「ベランダで」という詩である。編集室の山根道公氏によれば、この詩は井上氏が「あんまり青空がきれいなのでベランダから眺めていたら、こんな詩ができた」と言って山根氏に見せたものだそうである。

 この作詩の前年、一九八八年には『まことの自分を生きる』が出版されている。そこで取り上げられているのは、宮沢賢治・芭蕉・西行・良寛であり、「まえがき」によれば、これら氏の「いつもずっと心の友であった」人たちをイエスに紹介する気持ちで書いた本である。一読、キリストへの求道といえども、日本人が日本語を離れてはなしえない、という氏の確信が伝わってくる。そして最後の「イエス」の項で〝復活〟について触れ、次のように記す。

 「復活とは、死んだ人間がまたこの三次元の世界に生き返ってくる蘇生とはちがう。神の御手に、永遠の生命によみがえることである。とはいえ、宗教体験を日常の言語で正確に表現することはきわめてむずかしい。宗教的体験は表層意識にではなく、深く深層意識にかかわっているものだからである。宗教的体験はその意味で、厳密には象徴的にしか表現することはできない。したがってイエスの弟子たちも、この出来事の宗教的体験を、象徴的に、文学的にしか語っていない。」(177頁)

 「ベランダで」は「一本の老木」からさらに六年後の作品である。前述のとおり、「一本の老木」は老いの意味を積極的に語り、慰めに満ちた作品ではあった。しかし、「冬枯れの丘に」「立ちつくしている」老木は直接的にはどこまでも孤独な存在であった。しかし「ベランダで」において、「老いと死とを超えた生命を」語られた者(作者)は、ひとりではない。といって、対座しているのではない。「あなた」(イエス)は「横にすわって いっしょに 空を見ていてくださる」方なのだ。ある種の心理療法では相談者を正面ではなく、横に座らせて話を聞くという。私も学校現場で、扱いの難しい生徒を脇に座らせて、同じ方向を向きながら話をする(聞く)ということがある。すると、自然に心を開いてくれるということをしばしば経験した。そんなイメージを持った作品である。

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する」(ヘブライ11.1)ことである。しかし人間であるかぎり、ときに「ほんのすこしでも 疑うなんてことが」あるにちがいない。しかしイエスが傍らに「すわって いっしょに」いてくれるということ、そして、命をかけて「老いと死とを超えた生命を」保証してくれていることに気づいたとき、もう一度信仰の世界にわれわれは引き戻されるのである。終連、「そうすると なんだか空の青さが どんどん大きくなってきて ふわっと そんな私を 包みこんでくださるように 思えてくる」はそうした安心感を見事に言い表わしている。並んで座っている作者とイエス――ルオーの絵にあるような「エマオの旅人」を連想させる――を「包みこんでくださるように」「空の青さが」広がっている。この「空」が父なる神を象徴していることは間違いないだろう。井上氏は「シンポジウム 日本カトリシズムの原点と成熟」(1982.戸田義雄編『日本カトリシズムと文学』所収)のなかで、「十字架のヨハネ」が、真上から見た十字架のイエスを描いた珍しい絵があることに触れ、次のように語っている。

 「北森神学だと神の本質が痛みだというわけです。本質そのものが痛みであると。・・・・私の場合には痛みというのはあくまでもイエスの痛み、裏切ってゆく弟子たちを包むイエスの痛みなのです。そしてそのイエスの痛みも、裏切った弟子たちの哀しみも共に何か御父の、神の、やわらかな夕陽に包まれているような感じの世界なんですよ。・・・・だから私には、やはり十字架のイエスを本当に包み込んでいるさらに大きな、何か手みたいなものを感じさせる絵でなきゃ・・・・。」

 もう一度、「ベランダで」を振り返ってみよう。単純に図式化してしまうことは避けなければならないだろうが、あえてすれば、この詩は次のような神学的な構造を持っているように思われるのである。(第一連)自然への気づき↓(第二連)自然・人間と共にあるイエスへの気づき↓(第三連)イエスによる永遠の命への回心↓(第四連)自然・人間・イエスを共に包み込む御父の愛への気づき――ここには、免れがたく老いと死へ向う重苦しい自己が、自然・イエス・父なる神の愛の同心円に包み込まれていくにつれ、次第に相対化し、いわば〓軽み〓を帯びていくという宗教の世界があるといえる。


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書評:神父が書いた詩集――井上洋治著『風の薫り』を読む――(四)  

 「憧れ」からさらに六年後の一九八三年、井上氏五十六歳のときの作品が詩集中三番目の作品「一本の老木」である。



一本の老木



 厳しい冬の青空を背にして

 葉を落とし 寒さに耐えながら

  たった一本でこんなところにたっている老木よ



 あなたは一体何を思っているのか



 その昔 元気で緑の葉をつけていた頃

 たくさんの小鳥たちが翼を休めにやって来た

  あの楽しい日々を思っているのか



 夏 暑い日の午後

 汗をふきながら あなたの木陰で休んでいった

  あの若いカップルのことを考えているのか



 あるいはまた

 こんなところに一本だけとり残されてしまった自分の運命を

  この厳しい冬空に問いかけているのか



 あなたの気持ちはわかるなどと

 そんな思いあがったことをぼくはいわない

  でも一つだけ

  ぼくにもあなたに言ってあげられることがあると思うのだ



 もう小鳥もよりつかない

 若い男女も見むきもしない

 そんな枯れきったあなたが

 そこにじっと立ちつくしているからこそ

  この冬枯れの丘は美しいのだということを



 『日本とイエスの顔』出版以降の氏は、キリスト教の日本文化内開花をめざして、著作活動を中心に、講演、聖書研究会など精力的に活動している。ここで前号で記した年譜に続けて、以後の氏の主な著作を一覧してみよう。



『日本とイエスの顔』(1976 北洋社)

『私の中のキリスト』(1978 主婦の友社)

『ざっくばらん神父と十三人』(対談集1979 主婦の友社)

『余白の旅――思索のあと』(1980 日本基督教団出版局)

『イエスのまなざし――日本人とキリスト教』(1981 日本基督教団出版局)

『愛をみつける――新約聖書のこころ』(1981 潮文社)

『新約聖書のイエス像』(1982 女子パウロ会)

『人はなぜ生きるか』(1985 講談社)

『キリストを運んだ男』(1987 講談社)

『まことの自分を生きる』(1988 筑摩書房)

『風のなかの想い』(1989 山根道公共著 日本基督教団出版局)

『キリスト教がよくわかる本』(1989 PHP)

『パウロを語る』(佐古純一郎対談 1991 朝文社)

『イエスをめぐる女性たち』(1992 弥生書房)

『イエスへの旅』(1993 日本基督教団出版局)

『福音書を読む旅』(1995 NHK出版)

『小雀健チャン物語』(1996 聖母の騎士社)

『イエスに魅せられた男』(1996 日本基督教団出版局)

『風の薫り』(1997 聖母の騎士社)

『我等なぜキリスト教徒となりし乎』(安岡章太郎対談1999 光文社)



 「一本の老木」が作られた前年、一九八二年に出版された『新約聖書のイエス像』には次のような記述がある。

 「このごろ、私はつくづくと、人生は老後こそがたいへんなのだと思いしらされるようになった。・・・・目に見える生産と能率だけを価値とする現代社会の風潮のなかで、ただ食べて寝ているだけで何も生産せず、かえって人の世話になってその人の能率を低下させていることしかしていない老人は、そうは言わなくても、なんの存在価値もないもののように見なされ、また自分でもそう思うようになる。〓皆の邪魔でしかない私のような者がな ぜ生きていなけれ ばならないのでしょう〓そう老人から問われるたびに、私 は胸がぎゅ っとしめつけられるような痛みをおぼえる。〓 存在していることが価値がないと自分で決めつけることはできません。それをおきめになるのは神様だけです〓そう 確信をもって言えるようになったのは、私にとってもそう昔のことではない。」(138~139頁 傍戦平田)

 実際、小生も井上師をはじめ何人かの神父を知っているが、傍で見ていても、つくづく大変な職業だと思う。その人たちは皆若い頃から毎日のように老人や病人に接し、生死の究極の問題を突き付けられているのだから。しかし共感――共苦という点から言えば、若い神父と経験を重ねた神父とは生身の人間である以上、自ずと差が出てくるにちがいない。〓存在それ自体に価値がないとは言えない〓と確信を持てるようになったのが「そう昔のことではない」とは、この時期、年齢から推しても氏自身、老後の悲哀というものが切実な問題として実感されるようになってきたからではないだろうか。自らも今から数年前、緑内障を患うなど老いやそれにともなう病の苦しみを体験している。

 「大自然の中の草花が、大きく美しい牡丹も、人目につかないような道端の小さな名も知られていないような花も、みんな無心に己の生命を生きることによって、己自身の美しさ以上に大自然の美しさを表現しているように、私たち一人ひとりの人生も、神から置かれたそれぞれの場で己の役割を生きていくものなのではないか。私たちの人生は己を表現する以上に、私たちをささえているもっと大きな何かを表現していくものではないか。」(139頁 傍線平田)

 自分の生きていく目的や意味は何なのか。とくに老いや病をきっかけに、だれでもが必ず問わずにおれない問題である。「一本の老木」という詩をつくった一九八三年一二月に氏が行った「クリスマスが語りかけるもの」という講演、あるいは翌八四年に行った「宗教のこころ」という講演でも繰り返し、確信をもって主張する。

 「私たちの人生というのは、私たちが何かをし、それによって私たち自身を表現するものではなくて、神が――神という言葉がお嫌いな方は、私たちをささえている大自然の生命と受けとめてくださっても結構ですが――私たちの生涯において己れ自身を表現させるものだ、ということなのであります。」(『人はなぜ生きるか』15頁、197頁 傍点井上)

 人間の視点から見て、役に立つとか立たないということを問題とする限り、老人や病人に生きがいや人生の意味はない。そうではなく、「神」または「大自然の生命」が自らを表現するのが人生の目的だというのである。いわば「あちら様が主になって自分が従になる」(同16頁 傍線井上)という「逆主体的段階」の生き方こそが大切なのである。

 「一本の老木」は厳しい寒さのなかに佇み(第一連)、元気 だった昔を回顧し(第三、第四連)、ときに行く末に不安を覚えている(第五連)。そんな「老木」へ「一つだけ言ってあげられ る」こととして氏は断言する、「枯れきったあなたが/そこにじっと立ちつくしているからこそ/この冬枯れの丘は美しいのだ」(終連)と。

 ここまで書いてきて私は、この終行から二行目の「こそ」に注目する。冬枯れの丘が美しいのは、「老木」が枯れきり、そこにじっと立ちつくしているから「こそ」なのだ。幾多の年輪を刻んだ老木が、気負わず、そのままの姿をさらけだしているからこそ、その立っている場としての丘は美しい。「冬枯れの丘」の美しさは「枯れきったあなた」〓「老木」でなければ演出できないのだ。ここには、老い(や病)に対する受け取り方が「主体的段階」を越え、ひとたび「逆主体的段階」に移行したときかえって、周囲を魅了する美しさとして現世的にフィードバックするという、老いの積極的意味が強調されているのである。



  風に己れを

  委せきって

  お生きなさい (ガラティア5.16)  洋治


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書評:神父が書いた詩集――井上洋治著『風の薫り』を読む――(三)  

 前掲「願い」について、氏は自伝的エッセー集『余白の旅――思索のあと』(日本基督教団出版局)の中で、次のように語っ ている。

 (渡仏前から所有している唯一の本である文語訳新約聖書の間にはさんであった)「この詩をみたとき、今の自分の生活を振りかえってみて、私はまことに慚愧にたえなかった。しかしこの拙い感傷的な詩に表現されている魂の憧れだけは、今も私の心に脈打っていると思う。自己顕示欲の強い私だからこそ、路傍の一輪の名もない花の心に限りなく惹かれるのであろうが、この魂の憧れを失ったときこそ、私のキリスト者としての生命の終りだというような気がするのである。」(51頁)

 『風の薫り』では「この魂の憧れ」が次のようにうたわれていく。

憧れ

 木々の若芽がそっと 鳥に恋している

   そんな恥じらいが

  しずかに きこえてくる

    春の宵がある



 若葉の露が 明るく雲と語っている

   そんなはなし声が

   はっきり きこえてくる

    夏の朝がある



 一枚の枯葉が そっと大地にかえる

   そんな音が

   かすかに きこえてくる

    秋の夕べがある



  さらさら さらさら

   透明な風が

   柔らかな光になって

    沈黙の大地をふきぬける



 一九七六年、四十九歳で『日本とイエスの顔』を出版した翌年の作品である。前述、一九五〇年フランス渡航直前の二十三歳の作品「願い」との間に二十七年もの歳月が流れている。にもかかわらず、作品的に何の違和感もなく連続していることにまず驚かされる。それは、これら二つの詩の間で氏が二十七年間暖め続けてきたものが不変であったことを意味する。そして二十七年前の「願い」の中で「難しい神学は何一つわからないでも・・・・」と繰り返したあの初心を確認するかのように、以後の詩が溢れ出てくるのである。

 しかし、この二十七年間は氏にとってけっして平坦な道ではなかった。以下、『余白の旅』からこの間の精神遍歴を少しく年譜風に辿ってみたい。



1950.6.入信の動機となったテレジアの跡を追ってカルメル会修道院入会のため渡仏。船中、遠藤周作氏と出会う。7月、ボルドーより車で1時間ほどにあるブルッセ村の修道院に入会。在仏二年目に遠藤氏の訪問を受ける。厳しい日課であったが、そのなかで「型」への信頼を得たり、一種の甘美体験なども経験する。

1951.10.3.誓願を立て正式会員になる。アルル近くの修道院に移り、司祭向けの勉強開始。しかしトミズムに対する激しい葛藤を経験する。

1953.リヨンの修道院からカトリック大学へかよって勉学する。文化というものの重みを経験し、日本人のままキリスト者になれるはずだという確信が芽生える。

1954.ローマのインターナショナルカレッジへ。信仰対象を理性で証明しようとすることへの不快感。良き指導者フィリップ氏から影響を受ける。貴重な二つの体験、「言語の重み」体験――生涯のテーマ「日本人とキリスト教」への発展とルカ伝十八章による福音書体験。

1955.北フランスのリールへ。滞欧最後のこの二年で漠然としていた課題が明白になっていく。精神分析学・深層心理学・精神身体医学等を含め猛勉強――「人が人を審くことはできない」、「イエスが命をかけたアガペーとは、人に石を投げない姿勢である」との結論を得る。また、「ことばによらない」東方神学に共鳴し、「無」・「場」・「余白」など後に井上神学のキーワードとなる考えのヒントを得る。

1957.春.「田舎の家」で祈り、カルメル会退会を決意。

1957.12.石神井の神学校に編入。和辻哲郎・鈴木大拙・小林秀雄など日本文化について独習。京都・奈良を度々散策。「心の奥に眠っていたものが目覚める」自覚。

1960.3.司祭叙階。助任司祭として世田谷教会へ赴任。「心の奥底に目覚めてきたもの」をそっと育てる決心。ヨーロッパで獲得したものと「目覚めたもの」との調和が生涯の課題を解く鍵となる。

1962.洗足教会の助任司祭に。ルージュモンによる「エロス」と「アガペー」についての示唆。一般誌『理想』に「キリスト教の日本化」と題する論文を発表。

1964.真生会館へ移る。大きな精神的危機に直面するなかで、堀辰雄・立原道造・西行・芭蕉等に触れ、日本人として自然への思慕を確認。法然へも親近。

1966.5.日野の豊田教会へ赴任。遠藤周作著『沈黙』を読む。ユダの心理分析。酒・煙草・産児制限・再婚等、信者の現実問題に直面。

1967.6.教会堂再建のため、青梅―豊田を往復。祈りについて、マリア、小教区制について、またブルトマンの「非神話化」についての考察。

1971.石神井の大神学校へ指導係として赴任。「空」・「無」・「風」・「キリストの体」・「復活」・「贖罪」について考察。この三十年間の考えを一冊にまとめようとの思いを強くする。

1974.中目黒のフランシスコ修道院へ。

1976.『日本とイエスの顔』を北洋社から出版。初版三千部、半年で三刷、非キリスト者からも大きな反響を得る。「余白」についての気づき――

 

 こうした年譜は、カトリックや井上氏の著作に親しんでいない読者にはわかりにくい部分もあろうが、少なくとも、たとえばキリスト教用語であるアガペーに「悲愛」という文字を当てたり、神の働きを「余白」として説明するなど、井上神学のキーワードが、以上一瞥したような三十年間の呻吟のなかから生み出されたものであることは理解することができよう。

 そしてこうした精神遍歴を経た後、氏は次のような境地に至るのである。

 「以前は美しく死にたいとか、意識がなくなったとき変な見苦しいことばを口にしないかなどと気にかけたこともあった。しかし私の人生が私自身を表出するものではなく、余白の風が私自身の人生を通して自らを表出するものである以上、そんなことはどうでもよいことだと思うようになった。」(『余白の風』260頁)

 われわれが人生の意味を問うのではなく、人生がわれわれに意味を問うている、とはフランクルの言葉だが、人生とは、「私自身を表出するものではなく、余白の風が私自身の人生を通して自らを表出するものである」との境地は、まさに人生の意味のコペルニクス的転回というべきであろう。

 「憧れ」は、一対一の自然との対話というよりも、自然のなかにある自分というもの、さらにその自然に溶け込んでしまうような人生の軽みを感じさせる詩である。まさに「対自然」ではなく「即自然」をうたった詩であるといえる。さらにこれが、氏のキリスト者としての思いの果てに見つけた「自然」であることが了解されれば、終連の「透明な風」はまさしく「余白の風」であり、「柔らかな光」とはそこに働くキリストを象徴するものということになるだろう。

 わが家の居間には、十八年前妻と私の結婚記念に師から頂いた次のことばを記した色紙が掲げられている。



  余白の風        

   露草の如く

  神の悲愛に遊ばん    洋治


category: 井上神父の思い出

thread: 聖書・キリスト教

janre: 学問・文化・芸術

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書評:神父が書いた詩集――井上洋治著『風の薫り』を読む――(二)  

 この詩集中唯一、フランス出発前の詩「願い」の第二連、三連は次の通りである。

 難しい神学は何一つわからないでも

 素晴らしい説教は何一つできなくても

   夕日に映える

    ぶなの木の林で

   小鳥たちと一緒に神の愛をうたう

  そのような

  そのような人に 私はなりたい


 難しい神学は何一つわからないでも

 素晴らしい説教は何一つできなくても

   誰一人通らない山の小路に

  それでも微笑みながら咲いている花のような

  そのような

  そのような人に 私はなりたい


 「夕日に映える/ぶなの木の林で/小鳥たちと一緒に神の愛をうたう」、「誰一人通らない山の小路に/それでも微笑みながら咲いている花のような」には仏渡航前すでに、自然と一体となって救われたいという氏の強烈な「願い」が込められていたのである。

 氏はカトリック受洗前後も、当時のキリスト教に違和感を持っていたという。おそらくそれは、自然の一部として自覚される日本人である自分が直感的に抱く、西欧直輸入のキリスト教への反発であったのだろう。「対自然的な人間中心主義」と「即自然的な私の自然観」との軋轢、葛藤は渡仏していよいよ先鋭化していった。氏がこの問題解決の糸口を以下のようなパウロの書簡に見出だすまでどれほどの年月を費やしたことだろう。

 「このギャップを乗り越えさせてくれたのは、何といっても第一にパウロの『コロサイの信徒への手紙』の次の言葉でした。『神は御子の十字架の血によって平和を打ち立て、天にあるものであれ、地にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。』」(1.20)(「あとがき」)

 『コロサイの信徒への手紙』は、『エフェソの信徒への手紙』・『フィリピの信徒への手紙』そして『フィレモンへの手紙』と並んで、パウロの獄中書簡のひとつである。『コリントの信徒への手紙』など、およそパウロの手紙には相手方への苛立ちや怒りなど、彼の激しい性格を反映している記述が多いのであるが、獄中書簡には落ち着いたパウロの心境がにじみ出ているものが多い。

井上氏も「もしパウロの手紙の中で最も好きなものは?と聞かれれば、私は躊躇なく『フィリピ』をあげる。」と述懐している。日本人キリスト者には人気のある手紙である。当の『コロサイ』は、一章一五節から二〇節が、「賛歌」といわれ、この手紙が書かれる前からすでに存在していたものである。

 「御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、・・・・万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。」(15~17)

 『コロサイ』全編を通して、「すべての造られたもの・・・・に対するキリストの首位性と卓越性について述べられている」(フランシスコ会訳聖書解説)。「すべての造られたもの」とはすなわち「万物」であって、人間に限ったものではなく、山川草木、生きとし生けるものすべてを含むのは当然である。ここには、ユダヤ・キリスト教系列の、神―人間―自然というヒエラルキーは薄まり、キリストを「頭」とし、万物を一体として救おうとする神の意志が強調されている。万物同根の仏教的な思想に近い。

 「ここには人間中心主義は全くみられません。万物、即ち生きとし生けるものは人間を含めてすべて御子キリストによって救われるのだとパウロは言っているのです。・・・・『万物はキリストに根を同じくする存在』即ち『万物同キリスト根』であるといえるのだと思います。」(「あとがき」)

 こうしたことからキリスト教を「汎キリスト論」「汎在神論」(パンエンティズム)と捉え、神と自然とは「不一不二の関係」にあると氏は言う。さらに、『マタイによる福音書』の有名な山上の説教や『ルカによる福音書』の並行箇所にある「空の鳥を見よ・・・・野の花を見よ・・・・」を引用し、「これらのイエスのまなざしやパウロの教えに接したとき」、旧約聖書にみられる「動物差別の教えは、神の言葉ではあっても、それはイエスさまによって、乗り越えられ、過去のものとされた神の言葉であって、イエスさまの教えは決して人間中心主義ではないのだ。」ということを井上氏は確信していったのである。

 「そして長い間苦しんできた、キリスト者としての私と、日本的な自然観を持つ私とのギャップを私なりに埋めることができたと思ったのでした。」(同)

 これほど明確に、井上氏の回心記が述べられている文章は他の著作には見当らない。

 「・・・・詩集『風の薫り』はこのギャップが私なりに何とか埋められたと思えたとき、作品の巧拙はぬきにして、ともかく初めて自分の心を素直にうたいあげることができた作品なのです。」(同)

 こうした「あとがき」から、この一冊の詩集が読者を意識せずかなり自由に書かれ、それだけに氏の心情、喜びをホットに伝えるものであることが窺える。この拙文をしたためているとき氏から頂いた手紙にも、次のように記されていた。

 「『風の薫り』は『日本とイエスの顔』『余白の旅』とは全くちがいますが、またそのちがったところで、私がこめられていると思っているので、正しい評価をいただいて、まことに嬉しく思っています。」(98.9)

 「『風の薫り』が私の生涯の中でしめている位置をこんなに正確に把握してくださったのはあなたがはじめてです。」(98.11)

 『日本とイエスの顔』や『余白の旅』についてはここで詳述するいとまはないが、とくに前者は井上氏の処女作であり、遠藤周作氏は前述の通り、「この井上神父の本は、私の考えでは、戦後出たキリスト教関係の本の中で、日本人の神父が自分の歯で噛み砕いたキリスト教についての説明、もしくは体験を語ったもので、このような本はほかになかったと思います。」(『私のイエス』)と絶賛している。

 以上見てきたようなパウロの書簡の他に、井上氏の回心に決定的な影響を与えた書物として、リジューのテレジアの伝記『小さき花』がある。むしろ後者との出会いの方が早い。彼女との出会いものちに形成される井上神学に重大な影響を及ぼしている。ここでそのテレジアについて一言しておきたい。

 「イエスさまは、この神聖なかまどに行くただひとつの道を、私にこころよくお示しくださいました。その道とは、おん父の腕のなかに、なんの恐れもなく、まどろむ幼な子の委託です・・・・。」(原稿B)

 「おお、イエスさま!私を天にまでのぼらせるエレベーター、それは、あなたのみ腕なのでございます。ですから、私は大きくなる必要はありません。かえって、小さいままでいなければなりません。」(原稿C)

 テレジアの霊性スピリチュアリティは一言でいえば、〝幼な子の 道〟である。それは救いへ至るために苦行に励むような自力の道ではなく、母の胸に抱かれて安んじて眠る幼児のように、「イエスのエレベーター」に乗って救いに至ろうとする絶対他力の道である。このテレジアの霊性を知るに及んで、氏はカルメル会入会を決意したのである。

ちなみに、テレジアにはほとんど奇跡的な事績がないにもかかわらず、カトリック教会は彼女の死後異例なスピードで聖人の位に上げ、近年「教会博士」というトマス・アクィナスにも匹敵する称号を与えている。混迷する現代社会のなかで教会が、テレジアの霊性を高く評価しているということは意味深長である。

 この原稿を書いている最中(98.12.27)、「風の家」に伺ったおり、一枚の色紙を頂いた。そこには次のように筆書きされていた。はるかにほど遠いぼくの理想の境地です、ということであった。

    はて、さて

     夕焼けのお空から

     詩のひとつも

      釣れるかなあ

    ま、

      釣れても

       釣れなくても

       いいとするか


category: 井上神父の思い出

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書評:神父が書いた詩集――井上洋治著『風の薫り』を読む――(一)  

 まず、次の言葉に注目したい。

 「『神がイエスをよみがえらせ、高く挙げて主とした』という信仰宣言は、すっぽりとイエスがそのまま余白の次元に入りこみ、生かされ、余白を吹きぬける風と一体化し、生きとし生けるものの根底を吹きぬけることとなったということに他ならないのではないか。」(井上洋治著『余白の旅』-思索のあと-「余白」より)

 これは井上洋治神父が長年の思索、精神的彷徨の果てに見つけた信仰宣言クレドと言って よいものである。その内実はこれからゆっくり追っていくとして、まず注目したいのは 、この表現が大変に日本人的、文学的な文体であるということである。「余白を吹きぬける風と一体化し、生きとし生けるものの根底を吹きぬける・・・・。」

こうした表現には、どう見ても一般に考えられているキリスト教的、教義的、哲学的な印象はない。むしろ、西行や芭蕉に代表されるような日本の伝統的文化の流れを感じさせる文体である。〝ふつうの日本人〟がキリスト教に対して持つ印象はどんなものだろうか。内村鑑三以来のリゴリズム――真面目かもしれないが、どこか世間離れしていて融通がきかない。

それが固定観念となって、そうしたイメージからはみ出すようなクリスチャンを見ると一言揶揄してみたくなる――こんなところだろうか。いまだに私が酒を飲み、煙草を吸っていると、「えっ、平田さんってクリスチャンだったんですか?」などと目を見張られてしまう。困ったものだ。

 詩歌集を出すというのは、だれにとってもうれしいことである。井上洋治神父は、初めて詩集を出したのである。しかし、著者自身の、「たんに嬉しいというだけでなく、実に大きな意味を持っています。」(『風の薫り』「あとがきにかえて」189頁)との弁は、出版による神父自身 の個人的うれしさを越 えて、この詩集がわたしたち日本人とキリスト教に関して重大な 問題提起をしているということを意味しているのである。そのことを少しずつ作品を見ながら、これから明らかにしていこうと思う。

 すでに潮文社刊『わが青春の春夏秋冬』第ニ集でも書いたことだが、最初に私と井上神父との関係に簡単に触れておきたい。カトリック的に言えば、井上神父は私の霊的指導者ということになろうか。(したがって以下、井上神父を「師」と記すこともある。)今から十八年前の一九八〇年、就職浪人中だった私は故遠藤周作氏の『私のイエス』(祥伝社)と いう本に出会った。キリスト教に求道しながら、 当時の教会の雰囲気に馴染めないでい た私は、この本に大変共感した。その最後の項目「もっとキリスト教を知りたい人に」という所に次のように書いてあった。

 「さしあたって、イエスの一生について、もっと詳しく私の考え方をお知りになりたい方は、『イエスの生涯』、あるいは、井上洋治神父の『日本とイエスの顔』という本を読んでいただきたいと思います。

 とくに、この井上神父の本は、私の考えでは、戦後出たキリスト教関係の本の中で、日本人の神父が自分の歯で噛み砕いたキリスト教についての説明、もしくは体験を語ったもので、このような本はほかになかったと思います。その意味で、私は、この井上神父の本を自信を持って、高校生や大学生におすすめしたいと思うわけです。」(230頁)

 中高校生時代からずっとファンだった遠藤氏がこうまで言っているのだから間違いない・・・・私の期待は裏切られなかった。すぐに井上神父に電話、輪読会に出席。親しくなるにつれて、お酒をご馳走になったり、故渡辺一夫先生のお宅に連れていってもらったこともあった。井上師は大変私をかわいがってくれて(もちろんだれにでも親切だったのだが)、飲み代はすべて神父持ちであった。八一年受洗。結婚式には得意の美空ひばりを歌ってもくださった。あのとき出席者はおそらくだれも井上師が神父だとは思わなかったであろう。――そんなことがあって以来のお付き合いというわけである。

 さて、前置きはこのくらいにして『風の薫り』一冊を開いてみよう。パラパラめくってすぐ気づくことは、ともかくだれでも読める(小学生にはちょっと無理かな)詩集であるということだ。詩六十篇、童謡十一篇、それに師が主宰する〝風の家〟の祈りが二つ、合計七十四篇の構成になっている。

願い

 難しい神学は何一つわからないでも

 素晴らしい説教は何一つできなくても

   悲しく泣いている

     一人の魂のかたわらで

  そっと一緒に泣いてあげることのできる

  そのような

    そのような人に 私はなりたい

 冒頭の詩「願い」の第一連である。全編にわたって、氏が愛読する八木重吉を彷彿させる文体だが、この詩の六、七行目は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思わせる。しかし重吉の初期の詩にありがちな張りつめた、思い詰めた雰囲気はどの詩にも感じられない。使われている言葉に限って言えば、失礼ながら、ひっくり返っていても読めるのが、強味となっている。ちなみに氏は、宮沢賢治については『まことの自分を生きる』(筑摩書房)の中で取り上げているが、次のように書いている。

 「ちょうど理性と本能とが、ときに相反しながら、しかも相即して生をかたちづくっていくべきであるように、美をどこまでも追求していく情熱にかられた主我的段階と、大自然のいのちの息吹きプネウマ(風プネウマ)に己れをまかせていく無我的段階とは、相反しながらしかも相即していくべきであるという相反相即そうはんそうそくの関係にあるのではないかと思うのである。・・・・私を魅了しつくす人物は、この相反相即を何らかの形で厳しく生きぬいていった人物のように思えるのである。」(34~35頁)

 そういう「人物」として宮沢賢治のほか、氏は芭蕉・西行・良寛を同書で取り上げ論じ、最後にイエスを紹介する形になっているのだが、このように書く氏の念頭に、おそらく現代作家としては、旧友であり日本人とキリスト教というテーマについては同志である遠藤周作氏のことも念頭にあったことは疑いない。いずれにしろこの言は、俳句に限らず何かを創作しようとする者にとって傾聴に値する。

 この作品から次の「憧れ」まで、氏が「あとがき」に「その間は私は詩というものを全くといっていいほどつくっていないのです。」と言っているように、二十七年間の「空白」がある。この「空白」が意味するものこそ、井上氏の生涯のテーマ――キリスト教の日本文化内開花インカルチュレーションへの苦闘の道 のりであった。氏は、大学在学中にカト リックに受洗、卒業後フランスのカルメル会修 道院に行く。その船にたまたま同乗したのが、留学生の遠藤周作氏であった。

 その八年あまりの修道生活のなかで氏は、「ヨーロッパが二千年の長い間につちかってきた精神風土と、私(井上)の血の中に流れているものとの間のギャップに悩まされ続け」る(『風の薫り』「あとがきにかえて」190頁)。それは、「ヨーロッパの近代に顕著な『対自然的な人間中心主義』」と「即自然的な私の自然観」との軋轢、葛藤であった。


category: 井上神父の思い出

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わが心の春夏秋冬─心の不発弾--求道記(2)  

神父に初めて会った日の帰路、どっぷり暮れて北風が吹く駅頭で、「先生、復活とはどういうことですか?」と私はやぶからぼうに質問した。師は確か、「・・・・心だけの復活、体だけの復活というのはありえない」といった趣旨のことを言われたと記憶する。

別れ際、今度は師の方から、「あなた、お酒飲みますか?」と聞いてきた。私はまたまた戸惑った。求道中、あちこちの教会に出入りして、いろいろなキリスト者に出会ったが、自分から酒に誘うような聖職者を見たことがなかったのである。「ええ?! きらいな方ではありませんが・・・・」とやっと答えた。そんな私をにこにこしながら、「じゃあ今度一杯やりましょう」と微笑みながら誘ってくださった。安堵とうれしさで胸が熱くなった。

その後、幸いにも再就職が決まり、この少人数で自由な輪読会にしばらく通わせていただいた。老若男女、ときどき居眠りする会のメンバーであったが、そういう私たちを温かく包み込むようにして師は、日本人の心情で正直に捉えたイエスについて淡々と語り続けた。

  六月のキリストの神遊ぼうよ

輪読会には半年ほど通ったが、その間自ら洗礼を受けたいという気にはならなかった。もちろん師の方から受洗を勧めるようなことは一度もなかった。人生の師に巡り会えた、迷ったらこの方に相談すればいい、そういう気持ちで落ち着いていた。

ところが翌年6月頃突然洗礼を受けたくなった。そのときの心境を分析するのはむずかしい。新しい職場での不安もあったかもしれない。が、それだけではない。越えがたいと思っていたキリスト教の敷居、実はそんなものは最初からなかったのだ、今あるがままの自分でよいのだ、ということに私は師によって徐々に気づかされていった。

青年時代からずっと心底にあった虚無感や不安は、たしかにすぐ解決するようなものではないかもしれないが、少なくとも私以上に、ふがいなく弱いこの私のことを知っていてくださる方が確かにいるということ・・・・。そうであればまずその方を自ら受け入れること、そこからがスタートなのだ・・・・師のうしろ姿がそう語っているように思えた。

1981年8月受洗。カテドラルの庭で蝉時雨が時を満たしていた。

  不発弾眠る杜の蝉しぐれ

同年、私は結婚し、その披露宴では得意の(?)?美空ひばり?を歌って会衆をわかせる師であった。以来、度々お会いしてはお酒をご馳走になった。わが家の床の間には師の<余白の風 神の悲愛に 露草の如くに 遊ばん>の色紙が掲げてある。長男洋一の「洋」は師のお名前から一文字をいただき、これも事後承諾。

1986年、私は再度転職し、公立高校の社会科教員となった。この頃から私は求道の一環として自由律俳句を始め、その延長として近年、『今を生きることば』他のエピグラム集をまとめた。これらを今読み返してみると、井上神父との出会いがなければ生まれなかったであろ想が多々あることに気づく。感謝にたえない。

──わが青春に投下されたあの?不発弾?はどうなっているだろう。今も心に突き刺さったままかもしれない。あるいはこのまま何事もなく朽ちて、いずれ土にかえることになるのかもしれない。いずれにしろ、その不安な行く末を見つめるに、今は、?ひとりではない?という信が少しずつ芽生えてきているように思う。

  アースに触れた夕日 もう泣かない


(潮文社『わが心の春夏秋冬』第二集「心の不発弾」より)


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わが心の春夏秋冬─心の不発弾--求道記(1)  

 寺の庭に錆びついていた、あの不発弾はどうなっているだろう。境内の黒土に尻半分を埋め、斜めに突き刺さって、いかにも「不発」というにふさわしい。その姿に、訪れる者は〝いつ爆発するやも知れない〟という不安に駆られる。わが心の不発弾は──。

 この寺の管理下にある近くの観音堂に、わが家の墓地がある。今から40年近く前、その堂内に安置されている阿弥陀像の首から、小さなマリア像とくすんだ木製の十字架が発見された。西国から逃げてきたキリシタンに恋した、名主の娘の供養を願って、父親が奉納したものだという。

1980年春、就職浪人の私は不安定な立場にあった。同時に精神的にも、学生時代からずっと棚上げにしてきた、〝生き方に対する根本的な迷い〟をどうにもごまかすことができなくなっていた。図書館に通い詰め、哲学書や宗教書を貪る日々が続いた。

しかし書物からは結局、納得のいくような答えは見つからず、いつしか近隣のキリスト教会へ顔を出すようになった。そうした中で次第に、求道するならキリスト教で、という考えが固まっていった。しかし一方で、教会特有の禁欲的な、あるいは不自然な親切さとでもいうような雰囲気にどうしても馴染めず、それがキリスト教の敷居の高さの象徴として感じられた。

  神を呼び神を疎ましく生きている

夏になって、作家遠藤周作氏の著書から井上洋治という神父のことを知った。同じ頃、あるプロテスタントの集会でも、神父の『日本とイエスの顔』という著書を紹介された。プロテスタントの人がカトリックの神父の本を紹介するとは・・・・「何かある!」と思った。

私は意を決して神父に電話した。受話器の向こうで淡々とした、しかし明らかに温かい人柄を直感させる神父の声が応じた。東京の某所で輪読会をしているから、よかったら参加してみては、と言う。瞬間、初心の者にそんな資格があるのだろうか、とも思ったが、求道に行き詰まりを感じていた私は、晩秋のとある土曜日、思い切って出かけて行った。

有名作家が推薦する神父の輪読会だから、さぞかし多くのインテリが集まっていることだろう、目立たないように末席に、と思いながら恐る恐るドアを開けると、さして広くない集会室に四、五人。学生、OL,それに中年の婦人が二人ほど。面食らった。正面に座っているのが井上神父であった。

電話での声と顔が一致した。「平田君ですか?」と神父から声をかけてきた。私はあまりに予想外の光景に戸惑いながら、生半可な返事をした。しかしいかにもやさしいまなざしは、予想通りでほっとした。師は日本文化とイエス、ないしはキリスト教について淡々と語った。私は、細大漏らさず師の話を聞こうと必死でメモをとった。

井上洋治神父は終戦直後大学を卒業し、カルメル会という厳しい修道会で学ぶべく、フランスへ向かった。その船の四等船室でたまたま旅を共にしたのが、公費留学生の遠藤周作氏であった。氏のエッセーに、夜の更けた甲板でひとり跪いて祈る井上青年の姿が描かれている。井上神父と遠藤氏は、宗教者と文学者という立場の違いこそあれ、期せずして同じ問題意識、〝日本人とキリスト教〟という大テーマを抱えて帰国することになる──。

(潮文社『わが心の春夏秋冬』第二集「心の不発弾」より)


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