「南無アッバ」を生きる ホーム »2008年04月
2008年04月の記事一覧

世界広報の日&ブラジル移民の日  

福音書はキリスト教最初の広報。
小さなレベルでの私たちの広報も大切。

かつて、神戸からブラジルに向った移民の子孫が、
現在では、たくさん日本に在住。

こちらからミサ説教が聞けます→http://page.freett.com/yohaku5/koe.htm



category: カトリック川越教会

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1.「罪意識」の普遍性-第19回:無意識の真実-『風』第78号2008年春  

師イエスの弟子たちの復活(者顕現)体験は、まさに、パウロと同じ、

<罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。>

(『ローマの信徒への手紙』五章二〇節b)

という、喜びの体験だったにちがいありません。


ただしその「罪」は、必ずしもパウロが右の手紙の中、

ユダヤ教の文脈で語る、この節の前半、

<(旧約の)律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるため>

という意味付けを必要とするものではなかったと思います。

というのは、

弟子たちが師イエスを「裏切った」がゆえに感じた「後ろめたさ」や

「罪悪感」といった「罪意識」は、食物規定や清浄規定に

代表される特定民族の文化的背景から生まれた旧約律法を

前提としなくても、

およそ、人間として誰でも直感するものだと思えるからです。


このような「罪意識」は、時代や文化をこえて普遍的に、

わたしたちにも容易に理解できるものです。

井上神父や遠藤周作氏の説は、このように、

旧約の律法違反とは一線を画す「罪意識」によって

展開される復活論だからこそ、わたしたち日本人の神学としても、

大きな共感をもって迎えられているのだと思います。

この点は、先に指摘した「罪意識の広義性」に通じるものでもあります。


こう考えてきますと、井上神父や遠藤周作氏が、

普遍的罪意識につながる、イエスに対する「裏切り」という、

具体的な史実を中心に、

最後の晩餐から復活に至る弟子たちの内的真実をとらえていることが、

大きな意味を持ってくるのではないか、と改めて気づくのです。

この地点から掘り起こされる「罪」、

あるいは「罪意識」を常に念頭に置きながら、井上神父は、

<福音書は、生前から死後の「復活者顕現物語」まで、

まさに一貫して、ゆるしのまなざしによる、

弟子たちや人々の回心の物語なのである。>

(『わが師イエスの生涯』一九一頁ほか)

と繰り返し述べているのだと思われます。


category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝(ヨハネ15)  



テーマ:使徒会議

わたしにつながっていなさい。





今日の福音には、「つながる」という言葉が繰り返し出てきます。

考えてみれば、キリスト信仰の要は、内容的には復活や三位一体やら、
いろいろ難しい定義はあるかもしれませんが、

要は、キリスト・イエスに「つながる」という、
単純な一言に、集約されるのではないでしょうか。

少なくとも、キリストに「つながる」ことが、
日々キリスト者の生活の心構えとなるべきでしょう。


あとは、アッバがいいようにしてくださいます。
南無アッバ













category: 日記・音声・小話

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神の国に入るには、多くの苦しみを経なくては(使徒14)  


テーマ:挫折、祈り、励まし、活動

キリストの苦しみと復活

キリストの平和





南無アッバ

























category: 日記・音声・小話

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ジャン・ワレ神父が着任されました  

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4月から着任された、ジャン・ワレ神父様(写真右)。
(写真左は、4/29に司祭叙階予定のディン助祭様)

同じフランス人でも、前任のシャール神父様とは、また一味違ったキャラの持ち主。
私は、どちらの神父様とも、浦和教会からお世話になっています。
ワレ神父様は、栃木の松ヶ峰教会からの転任です。

松ヶ峰時代は、井上洋治神父様を招待して、講演会をされたこともありました。

こちらから録音声が聞けます→http://page.freett.com/yohaku5/koe.htm
神父様から許可をいただきましたので、
今後、できる限り、ミサ説教の生の音声をアップしていきます。
とくに、いろいろな理由で、ごミサに来られない方のお役に立てれば、幸いです。
信仰の喜びをともに分かち合いましょう。


category: カトリック川越教会

thread: 聖書・キリスト教

janre: 学問・文化・芸術

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4月12日アッバミサ報告  

晴天に恵まれ、今月も100名をこえる人たちが参加してくださいました。

井上神父様は、3月末にお風邪を召され、もう大分良いのですが、
ご高齢のため、大事をとって、お休みされました。

しかし、たくさんの方々のお祈りに支えられ、
いつもどおり、すばらしいごミサになりました。

心より、お礼申し上げます。
今後とも、より多くの方々のご参加を、お待ちしております。

ミサ説教:伊藤幸史神父「『風の家』今後のこと」
ミサ前講話:平田栄一「復活信仰の根拠」

こちらからアクセスすると、音声が聞けます。
http://page.freett.com/yohaku5/

なお、次回は、5月10日(土)14:00(午後2時)同所にて。


category: 井上神父の思い出

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山崎方代「こんなもんじゃ」より-求道短歌コレクション-第148号  

太書きの万年筆をたまわりぬキリスト様は何も呉れない
     
ひび黒き茶碗と箸を取り出してひとり誕生祭(ノエル)の夜を送れり

教会の屋根の上にもすてられし下駄の上にも雪は降りつむ

はじけたる無花果の実を食べておる顔いっぱいがキリスト様だ

縄跳びの赤い夕日の輪の中に少女が十字を切っている


    
主宰著作
『心の琴線に触れるイエス』(聖母文庫 五二五円)
『俳句でキリスト教』(サンパウロ 一六八〇円)
『雨音のなかに』(ヨルダン社 一三六五円)
『人の思いをこえて』(同 一六八〇円)
『今を生きることば』(女子パウロ会 絶版)
『やわらかな生き方』(サンパウロ 絶版)

本誌「余白の風」(一九九〇年創刊)は俳句を中心として、日本人の心情でとらえたキリスト信仰を模索する機関誌です。
毎月発行しています。
どなたでもご自由に投句・感想等をお寄せください。
(採否主宰一任)


○締切=毎月末。返信用切手一枚を同封してください。

○会費は無料です。

但し通信費援助として、切手(八〇円、五〇円、一〇円)をカンパしていただけると有難いです。

○投稿先:ホームページ「今を生きることば」
又は、〒 平田栄一まで


category: 求道詩歌誌「余白の風」

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豊田市  佐藤淡丘-第148号  

雨を容れ白れんの空冥くなる

信仰を夜目に確かむ雪柳

踏青の一歩にやさし二歩なるも

トロッコの胸板乾く春の泥

剪定の背伸びの数や愛はある


 毎朝、月の満ち欠けを眺めているうちに、いつの間にか、日の出の時刻が早まりました。

「春はあけぼの、やうやうしろくなり行く、山ぎわすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる」。

 これはご存じの『枕草子』の一節ですが、このように足もとの小石もよく見えるようになると、次の祈りの言葉を思い出しながら、木々と戯れます。

「山と丘は、あなたたちを迎え、歓声をあげて喜び歌い、野の木々も手をたたく」
(イザヤ書五五・十二)

 主の復活を誰もいない丘で独り称える、こんな姿を、皆さんには、ちょっと滑稽にうつるかもしれませんね。

 でも申し上げましょう。

「ご復活おめでとうございます」と。

南無アッバ


*改めまして、主のご復活おめでとうございます。
教会で盛大にお祝いする復活祭があってもいいですが、淡丘氏のように、早暁の自然の中で、アッバにそっと語りかけるお祝いも、すばらしいものですね。

きっと集団の祈りとはまた違った発見が多々あるのではないか、また報告を楽しみにしています。


category: 求道詩歌誌「余白の風」

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ボリビアで働く野原昭子さんに-第148号  

     名古屋市  片岡惇子
  
春の土一粒の種受け入れて

働く人春の光受け美しき

流れて水春を流れて煌めけり


葦松明湖岸に妖し春告げる

三角に残る春田や神のもの

鳥帰る旅人は重き足引いて

春雷や湖波立たさせ目覚めよと

桜咲く光より早く闇くぐり


 京都山科に人に会いに出かけたその帰り、足を伸ばして弟夫婦のところへ立ち寄りました。

たまたまその夜、琵琶湖開きの葦松明を燃やす行事があるとのことで、一泊することとしました。

宵の七時。

湖岸を渡る風は心地よく、一発の花火を合図に、一斉に点火され、激しく燃えていきます。

同時に若者たちによる和太鼓の演奏が始まりました。

心を打ちたたいて、激しく炎と同化していきます。

やがて、その命を終わろうとする気だるい一瞬が訪れて、燃え尽きていきます。

こうして、琵琶湖に春が告げられます。

翌日には、琵琶湖を埋めつくしていた鳥たちも、一斉に帰っていきました。

この地は、近江米の米どころで、まだまだ田んぼが残ってはいますが、あちらこちら宅地化され、近い将来全てが消えていくような、不安を感じます。

日本の食料はどうなっていくのか。

春の風物詩の中に、暗い暗示を見ます。


*ここにも、地域間の、あるいは昔と今の光と影を見る思いです。
物事には、必ず両面、多様性があり、この世では、それはすべて相対的なものです。
完全なものは、神の国完成の時まで待たねばなりません。

それまで、わたしたちは「一粒の種」として、「松明」として、与えられた時と場で、生かされるよう祈りましょう。


category: 求道詩歌誌「余白の風」

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さいわい-第148号  

     秦野市 長谷川末子

県営団地に住む人は
リッチな人は少なくて
貧しいけれど強いです
世話好き おしゃべり お節介
いつも評がぱっと立つ

月一回の清掃日
ベトナム、フィリピン、中国語

片言交じりの日本語も

ピアスの少女も参加して
紅葉のお手々も草むしり

自治会長のパトロール
けんかの仲裁うまい事
夜は恋猫鳴いている
春には桜がどっと咲き
花より団子の団地です



*昭和三十年代を描いた「三丁目の夕日」という漫画が映画化されました。

あの時代の人情が残っていないからこそ、懐かしんで流行る。

でも、今や別の形――在日外国人を交えた団地生活に、昔のよき時代を見る思いです。


category: 求道詩歌誌「余白の風」

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日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

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