「南無アッバ」を生きる ホーム »2008年03月
2008年03月の記事一覧

シャール・アンドレ神父様、川越教会で最後のミサ  

転勤により、川越での主任司祭としてのミサは、最後の第一ミサになりました。
お説教を含めたその全録音↓記録です。
http://page.freett.com/yohaku5/koe.htm
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category: カトリック川越教会

thread: 聖書・キリスト教

janre: 学問・文化・芸術

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南無アッバの集い&講座の場所  

四ツ谷駅麹町口出て、すぐ左斜めの建物、ふたば学園のニコラバレ。
新宿通りをはさんで、上智大の向かい側↓地図

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category: 井上神父の思い出

thread: 聖書・キリスト教

janre: 学問・文化・芸術

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後記-第147号-p.6  

本日は、勤務校の卒業式。毎年のことながら、感無量。

今年は、復活祭も早く来ますね。慌ただしさの中でも、心は、静かな祈りを持ちたいものです。

皆様が、主のご復活を、大きな喜びをもって迎えられますように。(余白)


主宰著作
『心の琴線に触れるイエス』(聖母文庫 五二五円)
『俳句でキリスト教』(サンパウロ 一六八〇円)
『雨音のなかに』(ヨルダン社 一三六五円)
『人の思いをこえて』(同 一六八〇円)
『今を生きることば』(女子パウロ会 絶版)
『やわらかな生き方』(サンパウロ 絶版)


本誌「余白の風」(一九九〇年創刊)は短詩型文学(俳句・短歌等)を中心として、日本人の心情でとらえたキリスト信仰を模索するための機関誌です。

毎月発行しています。

どなたでもご自由に投句・感想等をお寄せください。(採否主宰一任)

○締切=毎月末

○会費は無料です。

○投稿先:ホームページ「今を生きることば」から。


category: 求道詩歌誌「余白の風」

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作品とエッセイ4-第147号-p.5  

文京区 大木孝子

一月や純粋種といふをさびしめり

大寒の空を絞れば血の匂

馬刺食うて馬の嘶きでもするか

冴へ返るわが帆船をみんなみに

君と渡らむぜすきりしとの春の湖

赤きロザリオ空に翳さむ小鳥の死


(「野守」三一号より)

*俳句はモノに即して語らせる、といいます。

採録句、「純粋種」「馬刺」「帆船」といったモノが、それぞれの文脈のなかで、確かな語り口を持っています。

ちなみに〈赤き〉の句では
「避暑地の林道で出会った・・・小鳥の死、ひしがれた顔は横を向き、半潰れの体から数珠つなぎにはみ出る、美しいルビーのような内臓。つばらかな轢死の亡骸を思わずてのひらに、聖母の祈り。」

と自解している。

鮮烈なモノ語りと、作者のやさしさが共鳴して見事。

p.6へ


category: 求道詩歌誌「余白の風」

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作品とエッセイ3-第147号-p.4  

秦野市 長谷川末子

二月です外は苦手な団地っ子

二月です天気予報の雪だるま

二月です鴉の声も不安気に

二月です夫の長風呂声を掛け

二月です明けの明星目の前に


  冬大根
買い物袋の底に置く/太くて白い冬大根/次に目指すは鰤コーナー//夫の好きな鰤大根/ほんの少しの鰤かまを/捜す名人私です//日本酒好きの夫には/刺身の次の好物で/週に2回は煮ています


*【冬大根】この原稿を図書館でパソコンに打ち込んでいたら、想像して、よだれが垂れそうになってしまいました(笑)。

私とご主人、同じ嗜好ですね。

【二月です】五句は面白い。井上神父の「アッバ讃句」を思い出させます。

自在な発想に感心しました。

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category: 求道詩歌誌「余白の風」

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作品とエッセイ2-第147号-p.3  

名古屋市 片岡惇子

春の雪灰を受けたる気怠さや

淡々と道行く人に春の雪

寂しさを焦がして雪降る黙々と

残雪や自我を煮る鍋小さ過ぎ

道凍り転びてもこの道歩む

一人なり一人であらず花芽堅く

手離して多くを得たり椿落つ

天上に燃ゆる音残し椿落つ

只一つイエスの祈りアッバ 雪



 暦の上では春ですが、今冬初めて名古屋にも積雪がありました。

一週間経ってもところどころに雪が残っています。

この日も雪模様。

夕方から雪になると予報が出ています。

そんな中、カルメル会のベルナルド神父様の「イエスは祈られた」という「祈り」についてのお話を聞きに出かけました。

――イエス様は、寂しい所で祈っておられた。

山へ行き、夜を徹して祈られた。

キリストの祈りは、ただ一つの言葉〝アッバ〟父よ。だけでした。

言葉を発する必要はありませんでした。

私の祈りは、神とのコミュニケーションが祈りです。

神とのつながりがあるように――祈り――私の存在は、ここから始まります。

心で祈ってください。

あなたの愛を神様は望んでいます。――

 静かな、安らかな時間をいただきました。


*「祈り」をどうとらえるか、実行するかは、拙著『俳句でキリスト教』のまえがきでも書いたとおり、わたしにとって、俳句を始めた動機ともなるものです。

沈黙のなかで自ずから湧いてくる「アッバ」の一言が、究極の祈りであるということ――「南無アッバ」


p.4へ


category: 求道詩歌誌「余白の風」

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作品とエッセイ1-147号-p.2  

(*主宰寸感)
         豊田市 佐藤淡丘

 楽譜巻き梅の小枝をそつと打つ

 薄氷の愛(かな)しき傷も天のもの

 眠る町黒町のまゝ初の雪

 吹かれつゝ薄氷ときに無辺際

 淡雪の裏側にゐて天仰ぐ


 今回、わが俳句工房とは、と少し洒落こんで自問自答してみました。その答は「坂道の背面歩行」であります。

早朝丘に登り太極拳を舞った後、一旦坂を下り、再び頂点に向けて背面歩行を始めます。

闇の中、白線との距離を計りながら、くねった道をずんずん後ろに歩みますが、その数約四百歩、時間にして四~五分の行程であります。

 このとき、ふと句意が浮かぶのです。それっとばかりにメモをとりたいのですが、生憎そこは暗闇、口で呟きながら帰りの街灯下まで記憶の網をかぶせます。

何故この坂道の背面工房(?)が俳句に効くのでしょうか。

つらづら考えると、どうも背中で感ずる明日の景色と腹式呼吸が脳の言葉中枢を刺激するのではないかと思っています。

皆さん、一度やってみてください。


*「背面工房」とは、新発見ですね。

きっと脳医学的になにか、大発見の材料になるかもしれませんよ(笑)。

興味深く思います。

たしかに、早朝は私どもも、パッパッと句が浮かぶことが多いです。

夜中に浮かんだ句は、朝になるとたいていどうしようもない駄作が多いのですが、早朝句は、それほど手直しがいらないくらい完成度高いという経験があります。

p.3へ続く


category: 求道詩歌誌「余白の風」

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主宰作品-第147号-p.1  

2008年3月発行
Copyright © 2005 余白こと平田栄一, All rights  reserved.

  蓮田市 平田栄一

百人隊長の信仰     ルカ7・1~10

仰ぎ見る十字架優し敬老日


若者よ、起きなさい     7・11~17

復活の予兆あちこち露月の忌


広場に座して      7・31~35

虎落笛聞きて遊行の道遥か


天使ら昇降する   ヨハネ1・47~51

明け切らぬ御堂に灯しミカエル祭


からし種一粒ほどの信仰 ルカ17・5~10

宵闇に出口は見えずとも信ず


御言葉を蒔く       8・4~15

首筋の齢隠せず秋彼岸


十二人の旅        9・1~6

青き踏む回峰行の気分もて


ヘロデ、イエスに会いたがる   9・7~9

彼岸明け道よぎる犬と目の合うて


アッバミサ
幼子に示す知恵     10・17~24

花蕎麦や倒れしままに咲き盛り



p.2へ続く


category: 求道詩歌誌「余白の風」

thread: 聖書・キリスト教

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日本人にわかるキリスト教を求めて

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求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

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