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2007年09月の記事一覧

求道俳句とキリスト教「余白の風」第142号  

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2007年10月発行
Copyright © 2005 余白こと平田栄一, All rights reserved.

主宰作品  蓮田市 平田栄一

ルカ7・36~50
父の日の青い色紙にルカ七章

  マタイ5・38~42
万緑のうちにひと日を賜りぬ

  マタイ5・43~48
わが内に敵味方あり桜桃忌

  マタイ6・24~34
御心のままに野の百合空の鳥

  マタイ10・7~13 聖バルナバ使徒記念日 
小鞄に夏帽ひとつ使徒の旅

  マタイ5・20~26
和み得ぬ業の深さや梅雨近し

  ルカ2・41~41 聖母のみ心の記念日 
不甲斐なき子の行く末や桜桃忌

松岡耕作氏評:他の作品からもおおかた察しがつくが、作者はカトリック俳人。
太宰治は代表作「斜陽」「人間失格」などにも見られるように、屈折した罪悪意識や、虚無的、頽廃的な社会感覚の作品が多い。
「敵味方」の内心の葛藤にも、信仰心が加味される。
(「麦」一〇月号より)

今月の作品と寸感(*余白)

        名古屋市 片岡惇子
しみじみと寂しさ聴きてちちろ鳴く

萩のつぶ掌にころその命

幼子の心に添うて秋桜

我も又使徒よと説かる青き柿

秋暑しロザリオ繰りて闇に入る

*惇子さんは、淡丘さんご紹介の新しいお友達です。どうぞ、末永くお付き合いください。

四句目、「青柿」にも「使徒」としての役割を見ています。青柿がだんだん熟れていって、色を変え、自然の一部として、大自然の生命を静かに歌い上げていく。

そういう意味では、すみれもタンポポも同じ。
でも最後には、柿の実は、人やカラスや鳥たちに食べられてしまうか、地に落ちるか・・・・、いずれにしろ儚い運命とも受け取れます。

しかしそこに信仰の目があれば、ものの見方が一八〇度違ってくるでしょう。

ミシガン州  いう
泣く子抱くじゃがいもひとつむいたまま

いつまでも黒猫抱いて秋の雨

マタイ20・1~16
秋は来ぬ日毎に求む実りかな

羊点々と草はむ牧場かな

水打ちの雫かわして銀やんま

竜巻ややり過ごす地下の部屋ひんやり

子が寝入り夫も寝ていて夜半の秋

8月29日 洗礼者ヨハネの殉教

サロメ舞う心痛めど曼珠沙華

秋蝶やまつろいもせずすれ違う

*終句、「秋蝶」は、それぞれてんで勝手に飛んでいるようですが、わたしたちの知らない言語?で対話しているのかもしれません。彼らが言葉のいらない信頼で結ばれているような感覚を呼び起こします。

作品全般に、作者の「泣く子」や「寝ている夫」に対する、暖かい目が感じられ、ときに「竜巻」や「心痛む」が日常を襲いながらも、落ち着いた生活を送っている様子がうかがえます。

主宰著作『心の琴線に触れるイエス』(聖母文庫 五二五円)、『俳句でキリスト教』(サンパウロ 一六八〇円)、『雨音のなかに』(ヨルダン社 一三六五円)、『人の思いをこえて』(同 一六八〇円)ほか。

豊田市  佐藤淡丘
夕虹の消えゆくまでの愛はある

木下闇万物淡き光もち

秋たつや王朝人の衣は絹

一院や全山を占む法師蝉

爽やかに笹舟すべり吹かれしを


山と丘はあなたたちを迎え
歓声をあげて歓び歌い
野の木々も手をたたく(イザヤ書55・12)

 秋冷の日の出前、暁けの星(金星)の美しさは、神の国の到来を告げるかのようです。
 やがて東の空が白むに従い、山ぎわに金色の太陽が昇り、天地は一気によろこびの朝を迎えます。

〝南無アッバ〟背後にある木々もイザヤ書にある如く、まさに「手をたたく」ように見えてくるから不思議です。こちらも思わず〝主の復活をたたえよう〟と応え、手を差しのべるのです。
 そこには、人知を超えた交流が漲り、時折吹く風に、聖霊の息吹さえ感ずることがあります。

*「神は細部に宿る」という言葉がありました。「夕虹」や「淡き光」など、幽かなものに「愛」やアッバの慈しみを感じとれる作者の細やかな心情が思われます。

そういう淡丘氏にとって、最も充実した時間が日の出前後の黎明の刻なのでしょう。早起きは三文の得といいますが、私も歳のせいか、最近お仲間入りしたようです(笑)。

高校倫理「キリスト教」授業録2
すでに君たちも知ってるとおり、現代ぼくらが生きている社会は〝自給自足〟の原始社会じゃない。つまり、自分が必要とする物やサービス――こういうのを経済学では〝財〟というんだけど、ここでは簡単に〝モノ〟としておきましょう――そういうモノすべてを、自分で生産するってことは、ほとんどないよね。買うのが基本。

資本主義の社会では、〝分業と協業〟によって互いにモノを生産し、それらをしじょう市場を通じて分配し消費する、そういうしくみになってる。

こうした生産・分配・消費の仲立ちをするのが貨幣(カネ)です。
そして原則的には法律に反しないかぎり、貨幣=カネがあればそれを元手(資本)として、〝何でも自由に〟生産し、あるいは自由に買って消費することができるのが、ぼくたちが住んでいる社会です。

三 カネで自由になる?

さて、この資本主義社会の構造のなかで、ぼくら一人ひとりはどう考え、どう行動するだろうか、ちょっと考えてみたいと思います。
たぶん、こうした社会のしくみのなかでは、「この世のなかカネさえあれば・・・・」という〝拝金主義〟が知らずしらずのうちに蔓延していくのではないだろうか。現実にそういう人をたくさん見るし。

それは、カネ自体を崇め奉るということではもちろんありません。
この場合、カネがモノ(ときにヒトも)を〝自由〟に動かしたり、貯めたりできる便利な道具・手段だということが、直接的にはあるでしょうが、その根本にあるのは、先の見えない人生の不安に備える、ということだと思います。

平たく言えば〝カネがあれば何かと不自由しない〟ということです。
そうじゃないって言う人もいるかもしれないけど、大人たちが金や地位や名誉に執着するのは、こうした不安からの自由を求めてのことなんだね。

こういうカネやモノが、すぐ幸福を約束するものでないことは頭では十分わかっているんだけど、これらが〝とりあえず〟何も打つ手のない不安から一時的にも解放してくれそうな気がするわけです。
でも、これを下世話なこと、俗世間的として排除すれば人間の本質を見誤ることになる。

問題はそれから。〝とりあえず〟のことがその分をわきまえず、知らず知らずのうちに〝すべて〟――「目的」そのものとなってしまうことが多いんだね。

本質的に自己目的化しやすい性質がカネやモノにはある。
これらはすべて本来、ほんとうに自由になるための、あくまでも「手段」――通過点であるべきはずだったものだけど、ぼくら人間はいつのまにかそれを目的そのものと化してしまう危険があるわけです。

こうして自己目的化すれば、それをできるだけ効率よく、より多く、より強く求めていくことになる。俗に言う〝欲に駆られる〟という状態です。
人間が本来自由であるべき主体的な自己を失って、欲望に振り回され、コントロールできなくなるわけです。
主客逆転。何が(だれが)人生の主役かわからなくなってしまう。

そう、君たちといっしょに考えたいのは、本当の自由とは何か、どうすれば、本当に自由になれるのか、そして最後は人生の意味へ・・・・。
それをこれから、いくつかの話を題材にして、考えていきたいと思います。

四 金持ちの男

まずは、カネの話が出てきたところで、それにまつわる第一の話――
(『マルコによる福音書』一〇章一七~二七節引用 略)
     *
「イエスが・・・・」という書き出しでわかると思いますが、この話は、『新約聖書』におさめられている「福音書」にある話です。
『新約聖書』というのは、今は本屋さんに行くと、一冊になってるけど、実は最初から一冊の本じゃないんです。二七の文章や手紙をまとめた、いわば合本です。

書かれた時期や場所、書いた人もいろいろです。それを、のちのキリスト教会が一冊にまとめたんだね。
どういう基準でまとめたかというと、それらはすべて、「イエスがキリスト(つまり救い主)である」という信仰を宣言しているってことです。

「救い」とか「信仰」って何か?ということは、また、あとで考えましょう。
今は、そういう趣旨でつくられた『新約聖書』のうち、「福音書」というのは、イエスの伝記のような体裁をとった信仰宣言書、というものだと思ってください。

君たちのなかには、「おれは宗教はきらいだ」という人もいるだろうけど、ここではイエスを一人の人間として、まず見ていきたいと思います。

後記

最近、歩くこと=ウォーキングに凝っています。発端は、人間ドックで、ちょっとだけ、血糖値が高かったこと。しかし、始めてみると、見慣れた街中なのに、こんなものがあったのかぁ、といろいろ新しい発見があって、楽しいです。お金のかからない健康法です。

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本誌「余白の風」(1990年創刊)は俳句を中心として、日本人の心情でとらえたキリスト信仰を模索するための機関誌です。毎月発行しています。どなたでもご自由に投句・感想等をお寄せください。(採否主宰一任)会費無料。返信用切手一枚を同封して頂けると有難いです。
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category: 求道詩歌誌「余白の風」

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信じ得ぬゆえの祈りか九月尽  栄一  

ルカ16・19-31
この世の賜物

Ⅰテモテ6・11-16
信仰の戦い


category: 平田栄一求道詩歌(3)

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明け切らぬ御堂に灯しミカエル祭  栄一  

ヨハネ1・47-51
天使ら昇降する
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category: 平田栄一求道詩歌(3)

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ルカ9・18-22 ひとり祈るイエスのそばに、弟子たちが  

秋暑き道行く前期終業日  栄一


category: 平田栄一求道詩歌(3)

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ルカ9・7-9 ヘロデ、イエスに会いたがる  

彼岸明け道よぎる犬と目が合うて  栄一


category: 平田栄一求道詩歌(3)

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ルカ9・1-6 十二人の旅  

青き踏む回峰行の気分もて  栄一


category: 平田栄一求道詩歌(3)

thread: 神社・神道

janre: 学問・文化・芸術

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ルカ8・19-21 わが母、わが兄弟  

また一人知人の逝きし彼岸かな  栄一


category: 平田栄一求道詩歌(3)

thread: 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など

janre: 学問・文化・芸術

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ルカ8・16-18 光は必ず現れる  

秋分や待ちくたびれて季の動く  栄一

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野木~古河駅周辺を歩く 1万6000歩


category: 平田栄一求道詩歌(3)

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2007年10月号「麦」掲載作品  

原生林(巻頭)
  ルカ7:36-50
父の日の青い色紙にルカ七章

  マタイ5:38-42
万緑のうちにひと日を賜りぬ

  マタイ5:43-48
わが内に敵味方あり桜桃忌

  マタイ6:24-34
御心のままに野の百合空の鳥

地熱集
  聖バルナバ使徒記念日 マタイ10:7-13
小鞄に夏帽ひとつ使徒の旅

  マタイ5:20-26
和み得ぬ業の深さや梅雨近し

  聖母のみ心の記念日 ルカ2:41-41
不甲斐なき子の行く末や桜桃忌


category: 平田栄一求道詩歌(2)

thread: 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など

janre: 学問・文化・芸術

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ルカ16・1-13  

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赤羽教会早朝ミサ/お彼岸中日 赤羽教会~南北線東川口へ 1万5000歩

懇ろにミサを上げたり秋彼岸  栄一


category: 平田栄一求道詩歌(3)

thread: 言霊(格言・名言・自分の考え)

janre: 学問・文化・芸術

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日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

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