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2006年09月の記事一覧

求道俳句会誌「余白の風」第127号 2006年10月号  

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Copyright © 2005 余白こと平田栄一, All rights reserved.本誌(1990年創刊)サイトは俳句を中心として、日本人の心情でとらえたキリスト信仰を模索するための機関誌です。毎月発行しています。どなたでもご自由に投稿・感想をお寄せください。(採否主宰一任) 投稿先:掲示板 ホームページ「今を生きることば」

<目次>
主宰作品 1
アンソロジー井上洋治神父の名言 1
キリスト者が読む山頭火 1
求道詩歌会員作品-486 1
新刊紹介 4
後記にかえて 6

主宰作品
層雲9月号より
宿題おわった仕舞湯の細い水音   栄一

捨て猫そそくさよぎる庭の向うの聖堂

寝坊の子を叱って出た朝のラッシュ

聖書より句集ミサより一人の聖堂が好き

夢も明日もいらない猫の満ち足りた夕餉

アンソロジー井上洋治神父の名言
回心に導いた「たとえ」
「 このたとえ話には、師イエスが何をもっとも大切にされたかが実によく言いあらわされていると言わざるをえない。これは師にとって、旧約の神ヤーウェの顔にとって代わる、アッバと呼びかけることのできる神の顔の高らかな宣言に他ならなかったのである。」(『わが師イエスの生涯』第5章p.93)

「このたとえ話」とは、『ルカによる福音書』18章の「ファリサイ派の人と徴税人のたとえ」。
井上神父は、福音書のなかで最も大切なイエスの教えとは、ここ18章と、同じ『ルカによる福音書』の10章だという。

実際神父自身の宗教体験として、

「私自身信者になってから数年間というものは、自分ではイエスの教えを生きようとしているつもりで、実はパリサイ派の姿勢に近づいてしまっていることに全く気づかなかったのでした。フランスのリヨンの町の灯りがきれいに見おろせるフルビエールの丘の修道院の一室で、ある夜読んだ次の『新約聖書』の一節が、私にそれまでの生き方の間違いを教えてくれたのでした。」(『私の中のキリスト』序章p.22)

と告白し、この「ファリサイ派の人と徴税人のたとえ」を引用している。神父の真の回心を導いた重要な箇所である。 (8/12)

キリスト者が読む山頭火
「鉢の子」より。
木の葉散る歩きつめる

「木の葉散る」リズムで、「歩きつめる」山頭火。

この「リズム」を想像するとき、カトリック信者が思うのは、まずロザリオの祈り。
主の祈りとアヴェマリアを繰り返す。
単調ななかにも心地良い一定のリズム。

そして今は、「南無アッバ」の祈り。
アッバアッバ、南無アッバ」と繰り返す。。。
「木の葉」が御心のままに、使命を果たし、静かに散っていく。
裏を見せ、表を見せて、無心に散っていく。
そのリズムに合わせて歩きたい。

踏みわける萩よすすきよ

前書きに、「昭和二年三年、或は山陽道、或は山陰道、或は四国、九州をあてもなくさまよふ」とある。

あてどなく「さまよふ」山頭火が、「萩」や「すすき」を「踏みわける」・・・・それは、己が自我の置き所を探す旅ではなかったか。

しかし、自我が対象を「踏みわけ」ようとする分別は、山頭火の心に、平安をもたらすことはなかったのではないか。

「~よ~よ」に、救いを求める山頭火の切実さが込められている。

求道詩歌会員作品-486
[485] CMから Name:yohannna
シチューの コマーシャルに おしえられ

あの、暑かった夏がうそのように涼しい日々ですが急な気温の変化に体がびっくりしてるようです。
テレビのコマーシャルもちゃっかりシチューのCMが何回もながされます。
 ゆるしあう 微笑みは 神様にもらった~♪
 最高の贈り物~♪

流れる声から松任谷由実さんの歌らしいですが・・。
なんだかテレビから流れてくるCMを聞くたびに神様から微笑んでお互いにゆるしあいなさい!と言われているような気になるのはどうしてなんでしょう?
実は私が、ある事で気持ちに怒りを感じているせいでしょうか?・・不思議なふしぎなコマーシャル。

[486] RE:CMから Name:栄一
ええ、ええ、まったく文脈のなさそうな流れ?から、アッバのメッセージじゃないか?!と思うことは、度々ありますねー。
それはほんとに、まさか?って思うことの中に。
やっぱり、アッバは、ものすごく狡猾?巧みなんだと思います。

[483] 饅頭 Name:末子(原稿)
直径10cm厚み5cmのお饅頭二つ頂戴しましてね。何年振りの珍しさ。早速蒸かして皿に盛る。がぶりと噛んだら歯が立たない。ビニール取らずに食いついた。皮が厚くて餡子がびっしり。遠い母を思い出す。戦後の混乱ひどかった。食うや食わずの日が続く。四人の子供は食べ盛り。父は靴の修理屋に、母は何かを仕入れて売って。母の初婚は仲良しの甘い二人が饅頭屋。その頃起きた日露戦。妻と別れて戦争に行った夫に砲弾が。摘出できず夫は命を失った。再婚してから四姉妹生まれて苦しい日が続く。母は時々むしパンと饅頭作ってくれたっけ。甘いあんこに厚い皮「ふうふう」してから食べていた。いつも貧しい生活に父の笑顔は消えていた。母は気丈で愚痴の一つ漏らす事さえしなかった。ある夜母の溜息と細い泣き声襖越し聞いてしまった私は震える儘に朝が来る。長い時は過ぎたけど父母は鏡だ。両親老後は仕合わせに笑顔をいつも見せていた。

[484] RE:饅頭 Name:栄一 Date:2006/09/12
一つのお饅頭から、幼い記憶を呼び起こし、今の仕合わせを振り返る。。。。
それは、私たちを取り巻くモノが、ただのモノじゃないということです。
どんなささいなものでも、過去の歴史や未来の希望や現在、、、いろんなものを背負って、私たちの眼前に、メッセージを与え続ける。

マタイの
「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない」(10:26)という言葉を思い出しました。
すべては「神の記憶」に。。。。

[481]  Name:末子
にわか雨鉦叩丈鳴いている

秋の灯に旧約聖書解けぬまま

秋の夜恋人慕うバスを聞き

朝顔の枯葉ながめつ吾が姿

秋進む足る事多く戴きて

一輪の菊に思いの深まりて

秋暑し抜歯の夫のいとおしく

[482] RE: Name:栄一
静かに季節が巡って、秋が深まり行く様子がよく伝わってきます。
俳句は素直なのが一番。
短いけれど、連作として読むと、けっこういろいろなことが云えるものです。

[479] 秋の空 Name:つぼみ
秋の空は高い空
アッパは何所にいるのでしょう
天にも地にも何所にでも
愛の心につつまれて
私は今日も生きて行く
愛の聖堂もう一度
生きているなら又行ける
いつか私の半身も動くと信じて
辛くても
リハビリ重ねて生きてゆく
高い空には幸せが一杯詰まって降りてくる
ありがとう

[480] RE:秋の空 Name:栄一
いつも感謝を忘れないつぼみさんの詩には、とても励まされます。
「秋の空」は、井上神父も大変好きな情景で、実際、お母様と見た秋の夕焼け空の幼年期の体験が、今のアッバ神学の種になっていると、私は推察しています。

[477]  Name:淡丘(原稿)
青蛙一村にして争はず

蚊帳吊草かの傾きを知る人ぞ

絶対の電線帰燕並びゐて

魚跳ねて秋の一湾しずもれり

夕蝉や箸そろへたる独り膳

冠省・・・・
「南無アッバ」は、おしゃるように、長い時間がかかるように思います。
井上神父の「神の働きの場」としての人生、これを機会によく考えてみたいと思います。
栄一様の句、

聖書より句集ミサより一人の聖堂が好き

私の心の琴線にピタリ、であります。

[478] RE: Name:栄一
>青蛙
あちこち勝手な方向を向いて鳴いていても、心は一つなんでしょうね。
>蚊帳吊草
あのてんでな、微妙な傾きは千差万別で、ひとつとして同じものはない、「知る人」はアッバだけ??
>絶対の
東京であった電線事故を彷彿とさせます。
が、何万?ボルトもヘイチャラな帰燕の姿に、アッバの「絶対の」配慮を思います。
>魚跳ねて
「古池」の港版のようです。それからの静寂に何か在る。。。
>夕蝉や
ときに「独り膳」に、「夕蝉」の声を肴に、じっくり料理とお酒を味わう、、、う~ん、けっきょく飲む話にもっていってしまう私です(笑)。

[474] 地球光 earth light Name:万梨
ナイフ刺すメロンは地球儀のごとし

地球光電話で逢えるもどかしさ

あの星と月と自分は黄金比

極上の火球の雫が一滴

天高き都会は神のオブジェかな

アルバイトに追われているうちに9月になってしまいました。夏休みは後3週間。そろそろレポートをしなければと思いつつも進んでいません(^_^;)なんだかへとへとです。
今日、絵画と詩の展示会に、俳句をパネル展示しました。朗読などもあって、面白いイベントでした。上の俳句は朗読したものです。緊張しました~。

[476] RE:地球光 earth light Name:栄一
忙しくされてるようですね。学生は暇より忙しいくらいがいいと、ぼくは思っています。(健康は気をつけてね)
展示会ごくろうさまでした。何より、他のいろんな作品・作者に出会えたのが、これからにとってよかったんじゃないですか。
上4句、どれも新しい発見があって面白い。
とくに、
>あの星と月と自分は黄金比
これがいいですね。
若いときにいろんな作品に会い、たくさん作る、とてもいいことです。

[473] 一応「お嫁さん」を Name:いう
忙しかったりコンピューターが不調だったりでしばらく遠ざかっていました。それと、いまだんな君の両親が遊びに来ています。それで一応嫁らしきことを・・・と(^^;)。(でも、日本だったら二度と嫁ぎ先の敷居をまたげないようなことばかりしてしまっています(>v<;)-!これでいいのかと思ったり、敷居をまたぐなんて概念、ないからいいか、と思ったり。(^^;)。)

ありがたきことかなアメリカ敷居無し

[475] RE:一応「お嫁さん」を Name:栄一
曖昧性、ボーダレスと発想すると、日本の方に思うけど、そうか、アメリカに敷居はないから、出入り口に関しては、欧米が曖昧なのか。。。
う~ん、そういう国だから、嫁義父母という関係もボーダレスってことで、、、、変な論理?

[471]  Name:末子(原稿)
 雨
九月一日
雨が降る
朝顔十二個咲きました
洗濯物は軒の下
外を眺める網戸越し
ポプラが十本横並び
小鳥の宿り木声がする
昨日は食べて遊んだね
今日はたっぷり休もうね

 地震
昨日地震がやって来た
震度四と報じてる
夫は椅子に動かない
私は傍で座ってる
無言で天井眺めてる
灯りの紐が揺れている
二人が同じ部屋にいる
唯それ丈の事だけど・・・・

 落し文
初秋は道端草むらに
落し文を見るでしょう
どなたが書いて
どなたに送る
知っているのは
風だけど黙って
去ってしまいます
そっと聞かせて
欲しいです

 雨音
朝から雨が降っている
ほうほうほうと
降っている
こんもり茂るつつじにも
赤みを帯びた柿の実も。
きりぎりすは葉の影に
秋の蝉も黙ってる
誰もが心穏かに
優しい雨の音を聞く

[472] RE: Name:栄一
七五調が心地いいですね、秋の気配。
>雨
イエス様が現代に生きて「山上の説教」するとしたら、「野の花・空の鳥」のところでは、こういう風に云われたんじゃないでしょうか♪
>地震
「唯それ丈の事」なんだけど、人が死を意識して一生を振り返ったとき、思い出すのは、特別なことではなく、ほんの小さな、そのときは「それだけのこと」と思っっていたことだ、といいます。
大切な思い出として刻まれるでしょう。
>落し文
風=プネウマ=聖霊は、私たちの言葉も悩みもすべて包み込んで、黙って神様アッバ(お父ちゃん)のところへ持っていってくださるのですね。
>雨音
今度はアッバの方からの語りかけでしょうか。
雨音も風音も、神様からのメッセージとして、草木も虫も、じっくり味わっているのでしょう。
私たちにもそういう耳が与えられますように。

[463] 私事ながら Name:栄一
06年8月30日われに返る。あ!今日受洗満25周年だった

先ほど、ある事を決意して、某所にファックスしたのです。そして、少しソファーで休憩しようとした途端、思い出したのです。今日は記念日、しかも銀婚。
こんなことも、やぱ、偶然じゃないような。。。。
神様はどんな所にも(心の内奥にも)介入してくる、、、面白いですね。

新刊紹介『講座 日本のキリスト教芸術3 文学』
http://www.bp.uccj.or.jp/book.php?CD=00611
書中「詩歌」「キリスト教俳句の系譜」のなかで、「余白の風」にも投句くださっている新堀邦司氏が、平田栄一についても書いてくださっています(168-169頁)。 シリーズ「1音楽」「2美術・建築」で、それらは読んでいないのですが、この「3文学」については、B6版290頁弱のなかに、「小説」「詩歌」「児童文学・戯曲・評論」と、その中の各項目とも、偏りがなく、非常にバランスよく書かれ、編集されているということ。 しかし、その結果、当然ですが、個々の作家についてはどうしても網羅的で、急ぎ足になってしまいます。 この本でパノラマ的に全体を見、興味がある作家については、各項ごとに付された参考文献を当たるのがいいでしょう。 そういう意味では、人口1%しかいない日本のキリスト教芸術のガイドブックとして最適な本です。

[465] RE:私事ながら Name:いう
受洗記念、おめでとうございます!25年!(^o^)v

[466] RE:私事ながら Name:もず
そういえば、余白さんとうちの妻とは同じ受洗日でしたね。おめでとうございま~す!
「余白の風」の感想、もう少ししてUPします。

[467] RE:私事ながら Name:栄一
いうさん、ありがとうございます。
あの猛暑だった、目白の東京カテドラルを思い出します。
私は受洗と同時に結婚式も続けてやっていただいたので、実質これが結婚記念日でもあるわけで。。。実際銀婚日でもあるわけです。
それで、気がついて帰途に、こんなもの
http://blog-imgs-31.fc2.com/y/o/h/yohaku5/CIMG4596.jpg
を買って帰りましたーウツボカズラ。深い意味なし(笑)。

もずさん、ありがとうございます&そう!そちらの奥様と同じ受洗日、ええ、思い出しました。遅ればせながら、おめでとうございます。よろしくお伝えください。
お子様もずんずん大きくなっているご様子。お幸せにー♪

[468] おめでとう~☆ Name:あんじー 
 いやー、めちゃくちゃ久しぶりに覗いてみたら受洗25周年記念&結婚記念 だというのでこれはカキカキしなければ! と思い留まりました。
 おめでとうございまーす! 
ウツボかずら? 結婚と掛けているのか、はたまた懐の深さを強調? いやたぶんやっぱり深い意味無いんだろうな。(><;)
 
 これからも益々の活躍・伝道がなされて、余白を通して御心が表されますよう祈ってます。

[469] RE:私事ながら Name:栄一
あんじーさん、ありがとう!
ほいほい、おひさしゅー、ございます。
まだ、このサイト見てくださってるだけで、感激!

貴女、今もアメリカだよね?
ここのいうさんもアメリカ在住です。
また気が向いたら、アクセスしてください。
(昔、チャットで話していた頃がなつかしい、、、)

[458] 初秋 Name:末子(原稿)
買物肩に重い荷を/二人の暮らしも荷が多い/好きな魚に茶のボトル/洗剤野菜牛乳ビール/病気知らずの丈夫者/杖持つ紳士はお留守番/夕暮れ少し早くなる/つくつく法師が鳴いている/秋の気配はあちこちに/肩に触れた風が云う/「さあもう少し頑張って」/トントントンのトットントン/帰りましたの合図です/ドアが開いて手が延びて/夫は荷物を引き寄せる/夫が居るから買い物を/夫が居るから家事が好き/夜の祈りは感謝です

[459]  Name:末子(ハガキ)
朝顔の新芽朽葉の交じりいて

[461] RE:初秋 Name:栄一
>初秋
お二人の静かな生活。
結句「夜の祈りは感謝です」この一語が、出てくるまでには、その前全部が必要なんですね。
こまごまとした家事、、、生きるということは、すなわち生活すること。人の営みは日々単純なものです。
>朝顔
生は死を、死は生を孕んでいる。そんな言葉がありました。

花咲き継ぎ人いき継ぎて神の業   栄一

[454] みえるものの奥にあるもの。 Name:NK
いつの世もみえぬ力に神宿り

常に世はみえぬ力や働かん

井上師の昨日の説教。
ベルクソンから始まって、私にとっては非常に興味深いものでした。

[455] RE:みえるものの奥にあるもの。 Name:栄一
井上師は、テレジアに出会う前、ベルグソンに出会ったときの喜びは相当なものでした。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/98/0000045398/60
/img6264ed4e5pheyo.jpeg?t=20060828095443
これは昨年11月に戴いた手紙です。
分析思考では物事の本質は見えない。「直観」による、、、、どこか芸術・文学に通じますね。

[456] 「直感」は「直観」。 Name:NK
世間一般の既成概念を根底から覆すような、
人間の今日までの定義づけなんかでは到底収まり切れるもんじゃない ----
そういう「何か」が存在する...そんな話を聞いただけで、私はわくわく♪してしまいます。(^^)
ああ。やっぱり人間も単なる一生物なんだなー。たいしたことしてねーなと。苦笑。
でも、単なる一生物だからこそ、人間も「直感」を大切にしていいのではと。
「直感」から湧き出てくるというか、噴き出てくるというか...それが「芸術」といわれるものなのでしょう。

[452] コスモス Name:つぼみ
秋風に
揺られて咲いてる
コスモスは
私の心の子守唄
父の強さを感じ取り
母の優しさ秘めて咲く
母と歩いたあの道も
絵にも描いた牧場にも
思い出包んで咲いていた
庭に咲いてるコスモスと
笑顔で会話する時は
とっても幸せ感じます

秋の便りが聞えてきました、日曜日教会へ行く途中で見たコスモスの花を思い出しました、
何年か前にプログに乗せた詩ですが、

[453] RE:コスモス Name:栄一
ええ、ええ、もう秋の気配がひしひしですね。
今年は熱帯夜が史上最高だとか。
でも、もう確実に秋が近づいてる。
コスモス、、、大好きな花です。
ひょろっひょろして、繊細で、でも強い!!
母性も父性も兼ね備えた花。。。
そういえば、子供たちが通った保育園の保護者会に、ぼくが「コスモスの会」と名づけたことが思い出されます。

[449] キリスト教短歌 Name:栄一
  ヨハネ6:54
イエスの血イエスの肉が永遠の命の糧と宣べし魚屋   栄一
  集会祈願
東風北風の交わる所アッバ居りイエスはボクのガリラヤに居る
  記念日
言祝ぐや天の元后聖マリア母知らぬ子の思いは遥か
  信を問われて
南無の心の他に信者の印なし喜怒哀楽は誰でも同じ

信仰を持ちても悲喜は交々に只事ある毎の南無アッバ

[445] 冷夏のまま Name:いう
届かない招待状や夏終わる

[447] RE:冷夏のまま Name:栄一
ん?何の招待状だか、気になりますねー(余計なお世話ですが)。
待ってるものが来ない、あるいは、こちらから届けたはずが届かない、、、神を待つ気分ですかね。。。

後記にかえて
大井さんの句
先程、ボクが所属してる現代俳句協会の月刊誌『現代俳句』9月号が届きました。
その「新緑の森」というページに、「南無アッバ」と題して3句。そのうちの1句、

知命の桜耳順の梅や南無アッバ   大井恒行

びっくり!です。
大井さんはよく存知上げている俳人で、同人誌でもお世話になり、拙著『俳句でキリスト教』でも作品を使わせていただいていますが、まさか井上神父の十八番「南無アッバ」が出てくるとは思いませんでした(笑)。

たぶんボクら「風の家」と関係ない人で、この言葉を使ったのは、初めてでしょう。正直、うれしいです。
やっぱ、「南無アッバ」は引力あるんですね~!
---アッバ、アッバ、南無アッバ!---

投稿方法:掲示板に直接か、原稿用紙にてペン書き楷書でお願いします。郵送の方は、返信用に80円切手を同封してください。投稿先 平田栄一
正式なものはこちらからごらんください。


category: 求道詩歌誌「余白の風」

tag: キリスト,井上洋治神父,俳句,聖書,イエス,アッバ,自由律,
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口語俳句と二人の師  

「埼玉県現代俳句協会報」第51号より。
和田美代氏が、戦後口語俳句俳句運動の中心的存在であった、故内田南草氏とその主宰誌「感動律」の編集・発行にあたった、故瀬戸青天城氏を回顧して、よい文章を書いている。

これほど哀しいものがない握りこぶし   南草

世界がうごく朝のトイレに腰かけて

わが前の灰皿一つ海が鳴りどおし

どこから撃たれてもよい春の岬に立つ

長生きして神様次の駅はどこ


「感動律」の主旨に
「我々は、俳句の伝統を重んずる一方、現代人の感動、感覚を最も適切に表現するため、現代語をもって俳句を作る」とある。

いつも誰かのうしろにいて葉牡丹咲かせる   青天城

潰しの利かぬ男の頭上かっこう鳴く

いちばん深い湖を見ている残り時間


青天城氏は、実は私と同じ蓮田市にお住いだった。
生前からご自宅は知ってはいたが、とうとうお訪ねすることはなかった。今、振り返ると悔やまれる思いがする。

ちなみに、この号には第27回会員作品展の「出典目録」が載っているが、その筆頭は、顧問の句、

山鳴りときに狼そのものであった   兜太

7(4)・4(7)・8のリズム。これは自由律ではないのだろうか。。。参照


category: 平田栄一求道詩歌(3)

tag: 俳句,
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何のためにという目的を忘れて、真の「人間」として生きることが「自由」ということなのである。  

荻原井泉水著『此の道六十年』「層雲創刊」より。
巻頭にのせたヘルマンバールの詩の一節。

井泉水は信念の人で、好き嫌いもはっきりし、嫌なことは絶対しない頑固な人だった。
直接知る人から聞くと、句会のときも厳しく叱咤したという。

文壇-俳壇をつなぐ、総合誌的な意図をもった「層雲」創刊だったが、その独走的な編集姿勢が、碧梧桐らの反発を買っていく。

しかし、この、有季定型伝統の「ホトトギス」に継ぐ、最古の自由律俳句誌「層雲」は、紆余曲折をくり返しながらも、創刊95年(1911年~)、あと5年で100周年となる。


category: 平田栄一求道詩歌(3)

tag: 俳句,
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平田栄一求道句文集(1)  

神を呼び神を疎ましく生きている     1986.08

信仰などいらぬという涼しい目をしている

自由律俳句誌「層雲」に最初に載った二句です。
有季定型だけを俳句とする考えは別としても、自由律から見ても、けっして巧い作品とはいえないでしょう。

しかし、「処女作に著者のすべてがある」とよく言われますが、今この二句を振り返ると、この格言に自ら納得してしまうのです。


category: 平田栄一求道詩歌(2)

thread: 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など

janre: 学問・文化・芸術

tag: 俳句,キリスト教,聖書,イエス,栄一,
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踏みわける萩よすすきよ  

前書きに、
「昭和二年三年、或は山陽道、或は山陰道、或は四国、九州をあてもなくさまよふ」
とある。

あてどなく「さまよふ」山頭火が、「萩」や「すすき」を「踏みわける」・・・・それは、己が自我の置き所を探す旅ではなかったか。

しかし、自我が対象を「踏みわけ」ようとする分別は、山頭火の心に、平安をもたらすことはなかったのではないか。

「~よ~よ」に、救いを求める山頭火の切実さが込められている。



category: キリスト者が読む山頭火

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木の葉散る歩きつめる   山頭火  

CIMG2632.jpg「鉢の子」より。

「木の葉散る」リズムで、「歩きつめる」山頭火。

この「リズム」を想像するとき、カトリック信者が思うのは、まずロザリオの祈り。
主の祈りとアヴェマリアを繰り返す。
単調ななかにも心地良い一定のリズム。

そして今は、「南無アッバ」の祈り。
「アッバ、アッバ、南無アッバ」と繰り返す。。。
「木の葉」が御心のままに、使命を果たし、静かに散っていく。
裏を見せ、表を見せて、無心に散っていく。
そのリズムに合わせて歩きたい。


category: キリスト者が読む山頭火

thread: 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など

janre: 学問・文化・芸術

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