「南無アッバ」を生きる ホーム »2006年05月
2006年05月の記事一覧

普遍的な寂しさ  

ここまで書いてきて、「層雲」6月号が届きました。

その中から、私が選んだ秀句を紹介します。巻頭に古い句が載っています。

俺を敵する人もない恋する人もない   木村末吉

さびしい句ですね。昭和2年、21歳で亡くなった青年です。

そう、昭和2年というのは、うちのお袋が生まれた年、いや、それより、井上神父の生年ですね。

人間の寂しさとは時代をこえている、ということを改めて思います。


category: 平田栄一求道詩歌(3)

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酒の縁  

ところで、このパターンというのは、私だけじゃなかったようで、今「風」編集室をやってる、私より5歳下のYさんも、「ぼくも同じでした」と言ってます。

井上神父のファンは、今やあらゆる年齢層に広がっていますが、「風の家」設立前にも、こうして若い人の心をつかむのがお得意だったようです(笑)。

よく、「井上神父のところに集まる人は、なぜか酒飲みが多い」と言われますが、こういう事情があるのかもしれません。

念のためお断りしておきますが、井上神父のファンは、下戸やお酒を飲まないご婦人方も多数いる、ということ、いわずもがな、ですね。
----南無アッバ----


category: 井上神父の思い出

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信仰談義と酒  

「あなたみたいに、面と向かって質問してくる人はめずらしい」と、あきれられたこともありましたが、「でも、君みたいな人は、私は嫌いじゃないですよ」と、言ってくれたときは、ほっとしました。

そうした神学というか、信仰問答がひとしきり終わる頃になると、たいてい神父の方から聞いてくるのです。

「ところで、今日は君、これからどうしますか? 時間ありますか?」みたいな感じです。

当然わたしは、「ええ、大丈夫です!」と答えます。

そして、目白坂を話しながら降りていったり、新宿まで出たりして、、、いろいろな飲み屋につれていってもらうのが、恒例になりました。


category: 井上神父の思い出

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質問責め  

それで、一生懸命、あちこちに赤線を引いたり、ノートにメモしたりして、井上神父の目の前で開く。

「ここにこう書いてあるのに、こっちの本では、こう言ってますよね。どうしてですか?」

みたいな会話が続くわけです。

これがけっこう2時間くらいは、毎回質問コーナーみたく恒例になりました。

今おもい返すと、ありがたく、贅沢のことでした。

それで、あまりしつこく質問して、しまいには、「そんな昔書いたことは、知らん」みたいに怒られたこともありました(笑)。


category: 井上神父の思い出

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初校  

これは異例の速さです。つまり1年先の出版なのですから。。。

このあたりの事情は、、、、??

そしてもうすぐ、推敲が終わります。。。あと数ページ。

そろそろ「あとがき」を考えねばなりません。

その場合、ちょっと気になるのが、執筆時期の経過の問題です。

この第一部の連載を始めたのは、今から数年前ですから、大げさに言えば、神学状況が変化している可能性がある。。。

しかし、およそ井上神父の神学--アッバ神学は、表現が微妙に変化しているものの、骨格は不変です。

これは、今回の連載をしてみて、はっきりわかったことです。

----南無アッバ----

昔、まだそれこそ受洗前後、井上神父がいらした目白のカテドラルによく通いました。
1980年から数年くらいです。

そのときは、たいてい前もって井上神父の本を何か読んでおくのです。

なんせ、一対一で、当時無職(会社を辞めて就職浪人中)だった、なんでもない一青年のために、わざわざ時間をとってくださるのですから。。。


category: 井上神父の思い出

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あれから20年   

いよいよ、「風の家」20周年記念ミサが行われます。

私の受洗が、「風の家」設立より前5年、つまり今年は、受洗25周年ということになります。

そういうわけで、私にとっても今年は、記念すべき年なのですが、井上神学をめぐる話を、これから少しずつ語っていきたいと思います。
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まずは、卑近なところで、私の仕事にかかわる部分から--

井上神父主宰の「風(プネウマ」誌に連載しています、「井上神父の言葉に出会う」その「第一部」を大幅加筆・訂正したものが、実は、来年、聖母文庫として、出版される予定です。

このことは、公言するのは、ここが初めてです。

来年の出版予定なのですが、実は早くも、すでに「初校」が、とっくに来ています。

一般的には生原稿から初校までは、版組がありますから--といっても今はCDやFDなどの電子媒体があるので、やろうとすれば早いですが、普通は、出版予定のせいぜい半年前くらいに、送られてきます。


category: 井上神父の思い出

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手紙を書くように  

ルカによる福音書 / 1章 3節
そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。

私の経験でも、ものを書くときは、読者が具体的であるほど、筆が進みます。

文章が苦手という人も、誰かに出す手紙だったら、すらすら書けた経験があるでしょう。

この福音書の著者ルカさんは、そういう意味で「テオフィロ」様に献上する、という体裁をとったのです。

おそらくルカにとっては、相手はだれだってよかったんじゃないかな。

ともかく自分が伝え聞いて、信じた=信頼した福音を書きたかったのだと思います。

では、ルカが本当に対象にした読者はだれでしょうか?


category: 日記・音声・小話

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福音書の無名性  

ルカによる福音書 / 1章 1‐2節
わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。

今はこうして、ブログなぞあるから、だれでも簡単に表現活動が出来る。

そこには正直、多少なりとも自己顕示欲求があるだろう。
そうでなければ、公開する必要はないのだから。

しかし、その書きたい内容が、想像ではなく、事実「実現」したこと、自分の目で「目撃」したこと、しかも驚くべき喜びの知らせ=「福音」だったら、どうだろう?

自分の考えに共感してもらいたいとか、さらには才能が認められるとか、名が後世に残るとか、そういう著者顕示欲求は、消え失せてしまうに違いない。

その意味で、これだけ有名な--おそらく世界一有名な「福音書」という本は、最大の「無名の著書」といえる。


category: 日記・音声・小話

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教師から教員に  

さて、今日は、早朝から採点しまくらなきゃならない。

ボクは教師なんです。

「教師」って自分で言うのは恥ずかしい時代ですかね。

最近は「教員です」、ということにしています。

なんとなくずいぶん田舎じみた響きになるものです。

・・・・こうやって、仕事しなきゃと思いつつ、ついパソに向ってます。

向ったところで、なかなか本題--ここは「ゼロからの聖書」でした--に入れないない、何かと未練がましいのであります。


category: 日記・音声・小話

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ダ・ヴィンチ・コードから  

世間では、今、「ダ・ヴィンチ・コード」が大流行?

ホントにイエスはマグダラのマリアと結婚して、子供まで、、、

などと、クリスチャンでない人にまで心配をかけている(笑)。

どうなんでしょうねー?

などというと、「おまえは、カトリックのくせに、どう思うんだ?」

などと詰問されそうですが、、、、

わりと、ってか、かなりの日本人キリスト者は、冷静なんじゃないですか?


category: 日記・音声・小話

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