「南無アッバ」を生きる ホーム »2005年06月
2005年06月の記事一覧

余白こと平田栄一著『俳句でキリスト教』出版!  

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category: 平田栄一求道詩歌(1)

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おまかせ  

元気でね
 機影に手をふり南無アッバ


遠藤氏の『侍』の最後の場面を思わせる。
「ここからあとは、あの方が。。。」

家族、友人、どんなに親しく囲まれていても、死んで行くときは一人。。。

不慮の事故、病気、、、ひとたび別れれば、再び会える保障はどこにもない。。。

最後の最後まで、いや、あの世までも責任をもってくださるのは、アッバお一人のほかない。。。


category: 井上神父の名言

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遠足連作  

http://plaza.rakuten.co.jp/zazenneko/diary/200506090001/
羽田空港集合~上野点呼、あいにく雨となり。
遠足へイエス様と行こうかな

いつの間に梅雨入り美女の大あくび

モノレールここもイエスの梅雨空か

梅雨曇り水平線なきイエスかな

梅雨雲の低きを流るミサの鐘

イェスさまへ日々の思いを梅雨めきぬ


category: 平田栄一求道詩歌(1)

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気がつけば夏足元に転がれり  

http://plaza.rakuten.co.jp/zazenneko/diary/200506080000/
こちら日本も、入梅でしょうか。

ガリラヤの海辺を行くイエス
井戸の傍にたたずみ、サマリアの女に水を求めたイエス
足を洗う水が出てこないのを皮肉った、おかしみのイエス

どのイエスともいっしょにいたい。


category: 平田栄一求道詩歌(1)

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日本人と欧米人の自然観  

http://plaza.rakuten.co.jp/zazenneko/diary/200506070000/
いうさん、面白いですねー。
そうすると、改めて欧米の人たちにとって、自然というのはどういう意味があるのかな??なんて、思います。
「自然の懐に抱かれたリゾート地・・・・」なんてコピーがよくありますよね。
そのあたりはどう感じられるのだろうか?
それから、イエスの「ごらん空の鳥、野の百合・・・・」なんかはどうでしょう??

どんどん興味と疑問がわいてくる。。。
また教えてください。
(といって、あまり「旦那君」にしつこく問いかけないように、嫌われちゃうからね 笑)


category: 平田栄一求道詩歌(1)

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イエスと性  

向かいの席 むきだしの少女の白い腿に
 思わず目を閉じ南無アッバ
(『アッバ讃美』p.13)
神父がエロティズムを詠うということ自体で、驚いたり、眉をひそめたりする向きも、いまだにあるやもしれない。
それならば、「女を見て欲情を抱くものはすでに・・・・」と言ったイエスに性の悩みや問題は最初からなかったろうか?
イエスが救い主であり、神(の子)であるということは、人間として、男性として当然ぶつかるであろう性の問題に、当初から超然としていたこととイコールではない。

それにしても、井上神父のこの一句には、どこにも卑猥さがない。イエスの性に対する感覚も、そのようではなかったか。。。


category: 井上神父の名言

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病む友と共に  

どうか、お体に無理のないように。
人生のスピードは神様が定めるものだと思っています。
早い人もいれば、遅い人もいる。
どっちがいいとか、優れているとかは、誰にも言えない。
あえていえば、神様がそのひとにとって「よし」と決めた歩みを、
着実にする人こそが最も優れた人生を送っているのだと思います。


category: ○雑記

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