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カテゴリー「福音と自由律」の記事一覧

キリストを食べる--ロゴスを味わう(2)  

カトリックの礼拝にあたるものはミサという祭儀である。
ミサの中心は聖体拝領である。それは教義から言うと、ホスチュアというパン(ふつうは病人でも食べやすいウエハース)がミサの中で聖変化し、なんとキリストの体になってしまうのだ。

ここまできて、とてもばかばかしくてついていけないという向きもあるだろうが、ともかく教義上はそういうことになっている。

聖変化の(司祭の)ことばによってキリストは、パンの外観のもとに、祭壇上に自ら現存なさいます。(ミサ式次第『キリストと我等のミサ』)

 聖書での根拠は『マタイ』『マルコ』『ルカ』三つの福音書(これを共観福音書と言う)に共通する、あのダビンチの絵で有名な「主の晩餐」のシーンである。

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言った。「取りなさい。これはわたしの体である。」(マルコ一四・二二他)

 この「パン」をめぐる解釈はカトリックとプロテスタント、あるいはプロテスタント宗教改革者の間でも大論争になった。

つまり、「パン」を聖変化した「キリストの体」そのものと見るか、それともキリストの「しるし」として解釈するか、である。
しかしここで聖体論を展開するつもりはない。
むしろわたしの興味は、「キリストの体」を食べるときの感覚の問題である。

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む人は、わたしの 内にいつもおり、わたしもまたその人の内にいつもいる・・・・わたしを食べる人はわたしによって生きる。」弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「これは実にひどい話だ。だれがこんな話を聞いていられようか。」( ヨハネ六・五六、五七、六十)


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海藤抱壺キリスト教俳句瞥見(二)  

 抱壺に関しては木下信三氏が『層雲』に発表された綿密な調査論文(s59年7月号以降)が あるが、そのキリスト信仰の内実となると、事の性質上それを知ることはきわめて難しい。しかも、前号に私が仮に定義した「キリスト教俳句」の概念――作品自体からキリスト教に関わると推察できるキーワードを持つ俳句――に従えば、抱壺の〝キリスト教俳句〟はきわめて少ないのだ。

 ここで、俳句の中にわざわざ〝キリスト教俳句〟などという分類を置くこと自体に抵抗を感じる向きがあるかもしない。それはおそらく俳句にドグマを持ち込む宣教文学的要素に対する嫌悪感からだろう。エリオットは、たいていの宗教詩がよくない理由は、「信心深い不正直」にあると指摘している。つまり、「自分が感じるようにではなく、感じたいように書く」ために、ドグマを述べるに留まってしまうということなのだろう。この「不正直」の臭みが付きまとうかぎり、文学としての評価は低くなる。

 小説の方ではどうだろうか。たとえば、遠藤周作は布教のために小説を書いているのではない、と言うが、「私の小説を読んで、結果として、キリスト教に魅力を感じてくれたら、私もいいなとは思うけど、無理やりにどうです、きれいでしょう、立派でしょうというのは、文学をゆがめるからしませんよ。・・・・」(『私にとって神とは』傍点引用者)と付け加えている。しかし、氏がカトリックであることを知らずに「ぐうたら」シリーズを読んで面白がっている読者は多いはず。一方、三浦綾子ははっきりとキリスト教宣教の意志を明言して、小説を書いている。その他現在活躍しているキリスト者小説家として、曽野綾子、三浦朱門、高橋たか子、大原富枝等々がいるが、彼らの作品がキリスト教徒でない人々に広く受け入れられていることは周知のとおりである。

 こうした現象は散文形式が、キリスト者でない日本の一般読者の心情に訴える現実描写の中に、宗教的信念を折り込むことを可能にしているからではないだろうか。言葉を凝縮する詩や、いわんや俳句・短歌となれば、自分が信じたいことと現に感じていることとのギャップにどうしても苦しまなければならない。

 日本のキリスト者で信仰を述べながら、かつ文学的であることに成功した稀有な例として、八木重吉を上げることができる。

    
  私は
  基督の奇蹟をみんな詩にうたいたい
  マグダラのマリアが
  貴い油を彼の足にぬったことをうたいたい
  出来ることなら
  基督の一生を力一杯詩にうたいたい
  そして
  私の詩がいけないとこなされても
  一人でも多く基督について考える人が出来たら
  私のよろこびはどんなだろう        
(S1年 ノートA)
                        
 しかし重吉にしても、信仰を直接うたったものよりは、自然を前面に出した作品の方が完成度において優れていることを彼自身も知っていたのだろう。そのことは、生前発行の処女詩集『秋の瞳』から死後出版された第二詩集『貧しき信徒』へ至る注意深い自選の様子からもうかがえる。

    素朴な琴
  この明るさのなかへ
  ひとつの素朴な琴をおけば
  秋の美くしさに耐へかね(て)
  琴はしずかに鳴りいだすだらう        
(『貧しき信徒』)
                        
 彼の短詩傾向については、白鳳社版『八木重吉詩集』の解説で鈴木亨氏が当時の短詩流行の風潮に触れた上で、『秋の瞳』所収の、
      
    夜の薔薇(そうび)     
  ああ
  はるか
  よるの
  そうび
  薔薇


を例に上げ、「当時俳壇に広く行なわれていた自由律俳句の気息も感じられる。とくに・・・・尾崎放哉――そのうた口に通うものを、彼(重吉)の詩を通観して覚えずにいられない。」と指摘していることに注目したい。

こうした重吉と自由律俳句の関係について私は数年前、キリスト教文学研究者の山根道公氏から、重吉が具体的に自由律俳句の影響を受けていたかどうかはわからない、としながらも、「重吉の∧詩∨と題して自分の詩観を述べた、「万葉の調律も必要でない/芭蕉の調律も必要でない/私自らに必然なものだけが尊い/私はどんな風にうたってもかまわない/ただ私の道は一つの外に無い」という詩がありますが、影響のあるなしではなく、この重吉の到達した詩観そのものに、何か「自由律俳句」の根底と通じるものがあるのではないかと思うのです。」とのお手紙をいただいたことを付記しておく。

 同時代を生きた抱壺(1901~1940年)より十年程も短命だった重吉(1898~1927年)の作品傾向は晩年、同じ肺結核という死に至る病の過程でほとばしるままに、より簡潔で短く、より直接に信仰をうたうようになっていく。

  ほんとうに
  かんげきがさえてくれば
  みじかいことばにもられてくる
  (T14年 詩稿)


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抱壺キリスト教俳句瞥見(一)  

 成人してからキリスト者となり、さらに「層雲」の門を叩いた私にとって、海藤抱壺は、彼の作品を知りさらに昭和九年に発行された生前唯一の句集『三羽の鶴』に次のような<あとがき>があることを知るに及び、最も関心の深い俳人となった。

 「・・・・私は又信仰に入つてゆきたい人間でもあった。然し、十七八の頃より聖書に親しんできたその信仰は、求めて徹し得ざる悩みに終始した――俳句に據つて神に到らう――私は独りさう思ふやうになつた。句作に研ぎ澄した詩。魂の極みに、かの預言者エリヤの聴いた「静かなる細微き(ホソ)き声」は響いて来ないであらうか・・・・。とまれ、私はこの儘の姿で、句を作る心境に於いて救はれるのでなければ救はれないに違ひない。」

 ここに出てくる、「預言者エリヤの聴いた『静かなる細微き声』」とは、旧約聖書列王紀上第十九章のくだりである。

迫害されて「主(神)よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」と困憊するエリアに主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい。」と言う。

すると「見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。
しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。それを聞くと、エリアは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。」(19・11-13)

そして新たな活力と使命を受けて再出発するである。
 この印象的な話はキリスト教でも有名で、文学的にも美しく宗教的にも深い意味をもつ。唯一絶対神と言えば、山や岩を砕く大風、地震、火などに象徴される激しく厳しい神を想像するのだが、ここではそうしたものの中には神がいなかったと言うのである。

目立たない、「ささやく」ような声で語りかけて来る神のイメージは意外である。抱壺が病と戦いながら、磨ぎ澄まされた感覚の中で求めていた神とはそういう神であった。

 「俳句によって神に到ろう」――ここにはエロスを突き抜けて、アガペーへ到ろうとする抱壺の決意が告白されている。キリスト教の日本文化内開花、すなわち日本的キリスト教を模索する井上洋治神父は、その著『まことの自分を生きる』の中で、西行・芭蕉・宮沢賢治などを日本の「すぐれた宗教性を持った偉大な芸術家」として取り上げ、次のように言う。

「ちょうど理性と本能とが、ときに相反しながら、しかも相即して生をかたちづくっていくべきであるように、美をどこまでも追求していく情熱にかられた主我的段階と、大自然のいのちの息吹(風)に己れをまかせていく無我的段階とは、相反しながらしかも相即していくべきであるという相反相即の関係にあるのではないかと思うのである。

これを西洋キリスト教のカテゴリーでいえば、エロスとアガペーの相反相即の関係となるのであろう。そして、すぐれた宗教性を持った芸術家においては、この美の追求のエネルギーが人一倍強いからこそ、またそれを方向づけようとする求道の指向性も強くなり、その相反相即の中の相反の相乗的な烈しさに、魅力的な人間像がうまれてきているように思うのである。」

 抱壺俳句も、「美の追求」と「求道の指向性」という二つのベクトルの相反相即関係から生まれたものと言えるだろう。「・・・・私は又信仰に入つてゆきたい人間でもあった。・・・・その信仰は、求めて徹し得ざる悩みに終始した。」とあるように、彼の作品に見られる静かな俳境と表裏一体の関係で、求道上の葛藤・悩みが繰り返されていたに違いない。

 以下、作品自体からキリスト教に関わると推察できるキーワード(下線部分)を持つ俳句を〝キリスト教俳句〟と仮に定義し、抱壺の信仰の内実を推察してみたい。

  クリスマスも独り、鐘のやうな夜まはりで  s6年30歳

 昭和四―五年頃抱壺は耳を病んでいた。

    一時、聾して
  音なき部屋に花を愛する          s4年
  障子に風のかげ差す耳を病みてをる     s5年


 その病も昭和六年には小康を得たのだろう。回復した耳と∧自然の敏感な反応器と化∨(吉本隆明)した結核患者の生理、そしてなにより抱壺自身の生来の鋭敏な感性、そうしたものが「夜まわり」の音さえ教会の「鐘」のように聞こえさせたのだ。

「クリスマス」に「独り」床にいる孤独感。正直、「なぜ自分ひとりがこんな身に・・・・」という嘆き、淋しさもあったろう。しかしその孤独感の中で、キリストの生誕から十字架上の死去を思い巡らす抱壺にとって、イエスの生涯に倣う微かな満足感が湧いてきてはいなかっただろうか。

仏教寺院の鐘の地を這う響きとは対照的に、天から降るようにして鳴るキリスト教会の「鐘」の明澄な響きは、神からの福音の象徴であるから。

  息安く仰臥してをりクリスマス      石田波郷


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十 自由律と信仰  

B:二つ目の問題は、前回触れた個人レベルでの神のとらえ方と関連して、朱鱗洞その他の例で見てきたように、教会を含めて日本のキリスト教が神の父性と母性どちらに重点を置くか、さらに父性といっても短絡的な律法主義に走ることなく、かつ母性といっても日和見的信仰でないものをどう教えるかが大きな問題だね。

 それにしても、朱鱗洞自身は「信仰を失った」と言ってるけど、文字どおり受けとっていいものかどうか。

A:というと?

B:彼は『安息日』の中で、「新たに自分の心に神を見出さねばならぬ。」「強い新らしい信仰の生活に入らねばならない」と言い、その方法は意識のうえでは「ほんとうに、トルストイの教えを受け入れ」ることだと考えている。

信仰を失うきっかけになったトルストイ主義をこの時点(大正五年十一月)でなお捨てようとはしなかった。
しかし一方で彼の内実は、「自然のなかに愛と人生の輝きをみる。そして人生のなかに自然と愛と生命の輝きをみたい」(十六夜吟社)とあるように、俳句をうたうことのなかで失った信仰をとりもどそうとしていたように思えるんだ。
(だがこれで即キリスト教を超えたとみるのは性急。)

A:ここでいう「愛」が「神の愛」につながると・・・・

B:人がどのような形で神に出会うかはさまざまだけど、ひとたび出会ったなら、今度は(いや、それ以前から!)神の方がその人を手放さない。
たとえ本人が意識的に「信を捨てた」としても必ずなんらかの形で神がその人の人生に痕跡を残すんじゃないかと・・・

こういうことは、以前(本稿一参照)君に「お目出度い話」と言われたけれど、「信仰する」というと、ふつうは「自分が神を信じる」ことを意味するけど、本当は自分が信ずる以前に、神の方から自分に近づき、自分を導いてくれていたことに気づく〓信における主客の転換〓ということなんだと思う。

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛し・・・・ここに愛があります。わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。」(ヨハネの手紙一1・10・19)

 意識上の厳格で理性的な信仰に朱鱗洞の内実はついていかなかったんじゃないか―彼は自力主体の信にひとたび死ななければならなかった。
 しかし神が彼を離さなかったとしたら、どういうことになるのか。

 朱鱗洞は大正六年の評論『俳壇の新人荻原井泉水氏』(三)の中で、井師の「建設的新俳句観」として、
「吾等が日常の内的生活を省るとき、それはいかに雑駁なものであり不純なものであるかを覚ゆるのである(中略)されば、吾等が句作的努力に依る不断の内省と選練とを重ねて、概念的な踏襲的な思想を漸次に剥脱さしてゆくならば、その剥脱したる丈、純真本然の実在の相が見えて来るのである。」(傍点筆者)

と言い、これに全面同意し、自ら忠実に実践した。
朱鱗洞にとって「概念的踏襲的な思想」とは何か?
それは、以前捨てた教会的信仰であるとともに、今や内心に感激のないトルストイ主義ではないのか。
おそらく彼は句作のなかで自然のやさしい光に触れ、理性的信に呼応する厳格・父性的な神のイメージを、彼の心底と体全体で受け入れられる母なる神のイメージに、知らず転換して(否、むしろ転換させられて)いったんじゃないかな。

それはもはや伝統的に体系化された教義的信仰ではないけれどね。

  麦は正しくのびてゆき列をつくりたり
  牛のまなこにあつめたる力燃ゆるなり
  闇にすつかりひらいたる桜にあゆむ

      (朱鱗洞の晩年大正七年六月の作品より)

A:そういえば、「自然のなかに神をみる」という考えは井泉水にもあったね。こういう考えは日本人にはしっくりくると思う。

B:ただ、つきつめて考えれば、どんなに内容的に(これまでみてきたような)母性的キリスト教であっても、「イエスがキリスト(救い主)である」と明言する限り、他の諸々の思想と区別されなければならない。

その点から言えば宿命的に排他的であり父性原理を免れない。一方、日本人にとっての自然は最終的にはすべてを受容してくれる母性原理として感受される。

だから厳密な意味でキリスト信仰をもって自然をうたうときは、常に父母向性間の緊張と葛藤がある。しかし自由律が本領を発揮するのは、まさにこのへんだと思う。

キリスト信仰にしろプロレタリア思想にしろ、日本人のもつ自然観(母向性)を大切にしながら微温的な花鳥諷詠に還元されず、特定の思想を積極的にうたう(父向性)短詩型文学を指向するとなると、自由律は最も意志的な俳句形式といえるんじゃないかな。

A:う~ん、むずかしいところだね。でも、君が自由律に魅かれたわけがわかってきたよ。

  ほんとうに
  かんげきがさえてくれば
  みじかいことばにもられてくる(八木重吉) 


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九 神の父母性と日本人  

A:これまでみてきたことをふりかえると、日本人はどうもキリスト教にはなじめないんじゃないかな?

B:そう簡単に結論は出せないけど、いままでみてきただけでも、そこに大きく二つの問題があると思う。
ひとつは個人レベルでの神の捉え方あるいはイメージの問題。もうひとつは集団レベル、つまり教会のあり方の問題だね。

前者について言えば、内村鑑三のように、たとえば武士道精神に引きつけてキリスト教の厳しい父性的な面を受け入れられる日本人は少ないだろうね。ユダヤ教のイメージ、裁く神のイメージがそのままもちこまれているのが、明治以降の日本のキリスト教だと思う。

A:ぼくなんかも聖書を読むとどうしてもイエスの厳しい面にひっかかってしまう・・・。日本人はとくに倫理・道徳に弱いんだね。

B:だけど、砂漠に育ったユダヤ教の厳しい神のイメージを、ほんとうは神様ってのは「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しいものにも正しくないものにも雨を降らせてくださる」(マタイ5・45)方なのだ、というふうにやさしい、母なる神のイメージに転換したのがイエスなんだと思うよ。

A:そういうイエスのやさしい面というのは今まであまり強調されてこなかったように思うけど。

B:ここで注目したいのは、こうした父性的な神観念と文学とは、日本では二律背反の関係になりやすいということ。
ちょっとはしおった言い方になるけど、白鳥のほか志賀直哉や有島武郎など当時、文学を志す青年が一度は内村をとおしてキリスト教にひかれながら、けっきょく離れていったのは、内村の説く厳しい神を受け入れられなかったからだと思う。

この時点で彼らは信仰より文学をとったといえるかもしれない。このことは俳句や詩を作るときにも問題になるだろうね。
日本的キリスト教詩人として有名な八木重吉も内村にひかれながらも、晩年はいわば「イエスの御名をひたすら呼ぶ」といった、浄土真宗的な、母性的神への信仰に徹底していく。だから重吉の場合は結果として詩も信仰もどちらも死に至るまで両立できたんじゃないかな。

A:朱鱗洞の場合もトルストイアンをめざす父性的神信仰からなんらかのかたちで母性的神信仰へ転換できれば、教会を離れてもキリスト信仰をあるいは維持できたかも。

B:人間の罪を厳しく糾弾する神に正面から対決するだけの自我の強さが、日本人にはないのかもしれない。


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八 座  

B:たとえば、君が例に出した姦淫に対する戒めは、ヨハネ伝八章の「姦通の女」の話のところで語られたと解釈すると、ぴったりするんじゃないかな。(ヨハネ7・53~8・11参照)。

もともと聖書の書かれた文化や歴史的な背景は、今の時代とはまったく違うんだから、それを前提としないで、聖書の言葉を個別に普遍化するのは問題だよ。

A:でもそうすると、聖書は書かれた時代と場所に生きていた人にしか理解できないってことにならないかい?

B:そこだよ、問題は。最初に書かれたときに、どういう背景があったのかをまず知る。そのためにはやはり、学問の力が必要さ。聖書学や考古学の存在理由もそこにある。

ただ、ひととおりそういうことがわかってからは、時代をこえてわれわれに語りかけるメッセージを聴くということが大切なんだ。

A:聖書を現代的に解釈する作業が必要なんだね。

B:そう。さらに注意しなきゃいけないのは、聖書を現代的に解釈する場合、同じ現代人といっても、たとえば西欧人と日本人では背負っているメンタリティが違う。

日本人が生きてきた歴史や風土を無視して、西欧的にアレンジされたキリスト教をそのまま日本へ持ち込んだって、そっぽを向かれるだけだよ。そういう意味じゃ、西欧のキリスト教だって、絶対なものじゃない。

A:その考え方、俳句の解釈論にもつながるね。

B:うん。俳句の場合も、前(「朱鱗洞の淋しさ」)に触れたように、ある作品を理解するために は、作者の生きた時代背景やおいたち、思想などを知っておくことは大切だと思う。

でもその後はひとたび作者から離れて、作品そのものに、俳句の言い切らなかったいわば余白の部分に読者である自分を投入していく。

そういう作業を丹念に繰り返していくとき、作者と読者である自分とが、ひとつの作品を通じて、時代や場所を越えて交流できるんじゃないかな。

A:俳句における作者と読者のダイナミックな交わり!

B:現代は、価値の多様化とか心の時代なんていわれるけど、一方通行の情報過多のなかで、ぼくらの生き方は知らずしらずのうちにステレオタイプ化し、自分も他者も見えなくなっている。

そういう失われた自分と他者を再発見し、心の交流を取り戻す場という意味で、俳句を現代的な「座」の文学として捉えなおすことができると思うよ。


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七 コンテクスト  

A:朱鱗洞は、崇高な理想を抱いて教会を出たけど、けっきょく信仰を失うはめになったのか・・・・。

B:トルストイ主義は、理性的にわかりやすいし、人生問題を真面目に考えようとする青年期にはとくに魅かれるものがあると思う。

戦前は白樺派の人たちを中心に、トルストイはずいぶん読まれていた。

しかし武者小路実篤など、トルストイにかなり影響されながらも、結局は独自の思想を見いださざるをえなかったんだと思う。

A:いくら朱鱗洞でも、「山上の垂訓」をそのまま実行するなんてできることじゃないよ。

だけど実際イエスは、ずいぶん厳しいことも言ってるだろ?
「情欲を抱いて女を見る者は、心の中ですでに姦淫したのである。もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。」(マタイ5・28~29)とか。

こういう言葉を聞くと、正宗白鳥じゃなくても、男ならだれでもつまずくよ。

B:こういう言い方はユダヤ特有の誇張法だと解釈する人や、内村鑑三のように、イエスの弟子など特に修業をつんだ人たちに対して言われたんだとか、昔からいろんな解釈があった。

トルストイは、これは万人がそのまま実行すべき徳目だと主張している。

ぼくも長い間こういう厳しい要求がどうしてイエスからでてきたのか疑問だった。

ただ忘れちゃいけないことは、いわゆるトルストイ主義は、トルストイ自身の人生遍歴、彼が生きたロシアの教会や政治状況、その中で苦しむ貧しい民衆の姿を見ていくうちに、やむにやまれずでてきたものだということ。

だから彼自身には真実な道であっても、その背景を無視して、信仰形態だけを日本人がまねたところで、うまくいくとは思えないな。

宗教が理性的徳目主義として普遍化されてしまったら、信仰は死んじゃうよ。

A:イエスの嫌った律法主義と変わらなくなっちゃう?

B:紙一重ってところだろうね。
トルストイの信仰だけでなく、「山上の垂訓」にしても、つぎつぎにでてくるイエスの要求が、どういうコンテクスト(文脈)のなかで語られたのかってことを考えることが大切だと思う。

もともと「山上の説教」は、イエスがある時一度に語ったことではなく、いろいろな場合に言ったことの寄せ集めだからね。

A:あるイエスの言葉だけを取りだして、あれこれかってに読み込んで解釈するのは危険だってことか。

B:このことは、聖書解釈全般に言えることだと思うよ。


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六 朱鱗洞の淋しさ  

A:トルストイアンをめざして教会を離れた朱鱗洞の信仰は、その後どうなったんだろう?

B:『安息日』によると、彼は教会を離れるとともに「何時の間にか祈る事も忘れて」しまい、「信仰がないから淋しい」と告白している。
だから「といって教会的信仰へは復りたくない。新たに自分の心に神を見出さねばならぬ」といった、ジレンマと焦りを感じている。

A:そのへんのところ、彼の俳句からわかるかい?

B:直接うたった朱鱗洞の句は見当らないけど、『安息日』を発表した大正五年の作品、たとえば

  わが淋しき日にそだちゆく秋芽かな  (一月)
  冬日さぶしくわが制服の埃が浮けり  (二月)
  夜の雨の太さ淋しう居りぬ      (九月)
  ふうりんにさびしいかぜがながれゆく (十月)


などの句に出てくる「淋し」さには、キリスト信仰を失ったがゆえの、そういう意味では日本人として特殊な淋しさが、含まれているとぼくは思う。

たとえ句作の時にはそれと意識しなくても、信仰の有無は作者の生活感にとって支配的なものだろうし。

A:朱鱗洞の句をそういうふうに読んだことはなかったなあ。
でも、『安息日』と重ね合わせれば、そういう読み方もできるか。
君はキリスト教徒だしね・・・・。

B:なんか、不満そうだね。

A:いや、これは俳句の捉え方の問題だけど、たとえば山頭火や放哉にしても、俳句そのものと俳句以外の資料、そして読者との関係ということ。

B:たしかに、さまざまな資料によって、作者の本意をどこまでも知ろうとする謙虚さは必要だと思う。

だけどどんなに周辺知識をつけても、最終的には、読者がもっている日常の問題意識や人生観の方が、句の解釈に大きく影響すると思うんだ。

短歌が言い切る文学だとすれば、俳句はその成立過程からも、いわば解釈の半分以上は読者任せの文学として成立している。

その意味では、読み手に引き付けて自由に解されることを最もゆるしている文学と言ってもいい。

朱鱗洞もぼくにとっては、自分の問題意識を離れては考えられないな。

だから、もし対読者への作句態度を問題にするなら、読者の潜在的なイメージをどれだけ引き出す力があるかで句の良し悪しが問われるんじゃないかな。


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五 鑑三・トルストイ・朱鱗洞  

A:一般的な日本人にとって、キリスト教がかたくるしいイメージをもつようになったのはどうしてかな?

B:明治以降日本に入ってきたキリスト教は、おおむねアメリカのピューリタニズムの系統を引いている。

A:それで日本の教会は、禁欲的な雰囲気が強いわけか。

B:さらに、教育勅語への拝礼拒否で「不敬事件」を起こしたり、日露戦争反対などで有名になった無教会の内村鑑三の信仰は、儒教的・武士道的な要素が強かったし。

A:教会の内でも外でも倫理・道徳が前面にでてきやすい傾向があったということだね。

B:直接は言わなくても、クリスチャンとしての良心という言い方で、キリスト教に対する厳格な印象を世間に与えたことはたしかだね。
正宗白鳥などのように青年時代の一時期、内村に傾倒した文学者は多かったけど、けっきょくみんな彼のもとを離れていったのは、そういうキリスト教の厳しいイメージについていけなかったからだと思うよ。

A:そういえば野村朱鱗洞は夜間中学在学中にキリスト教信者になったけど、のちに教会から離れていったね。彼の場合も白鳥などと同じ理由なの?

B:朱鱗洞自身の書いた小品『安息日』によると、大正二、三年を境に教会から彼の足が遠のいている。
それは「トルストイの厳峻な理性的信仰」を知って、虚偽的・形式的な「教会の空気の不純さを慨嘆」したからだと言う。
多感な彼には礼拝を守っていれば救われているというような、教会の偽善的な雰囲気ががまんできなかったんだろうね。

A:トルストイの信仰ってのはどういうの?

B:隣人愛をつらぬくために、キリスト教からあらゆる神秘的な要素を剥ぎとって、怒ってはならない、姦淫してはならない、悪をもって悪に抵抗してはならないといった、「山上の垂訓」(マタイ伝五章以下参照)に代表される戒めを、そのまま守ろうとする極端な理性主義といっていい。

A:そうすると朱鱗洞の場合、白鳥とは逆に内面的な厳しさを自分から求め、己れに課していくために教会を離れた形だね。俳句だけでなく信仰生活に対しても、明治青年の実直さをつらぬこうとしたのかな。

B:近代以降日本人がもっている、キリスト教は厳しいという一般的なイメージは、内村鑑三とトルストイ、この二人によってつくられてきたところが大きいと思うよ。


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四 教会  

A:会社をやめた不安をどうやって乗り越えたの?

B:最初は心の支えを求めて、いろんな本をむさぼった。だけど独学には限界があるし、「今をどう生きるか?」という問いには、哲学は答えてくれないような気がしたんだ。―

A:それで宗教に魅かれていったというわけか。

B:学生時代は、ぼくも「宗教」というものに何かうさん臭い、独善的なイメージをもっていたし、必要も感じなかったから、西洋哲学なんかもキリスト教に関する部分は全部とばして読んでいたようなところがあった。

A:日本人がキリスト教につまずく原因はなんだろう?

B:いろいろあると思うけど・・・・たとえば、おもしろい調査があるよ。「イエス」「キリスト教」「教会」と並べて、日本の大学生にそれぞれに対する好感度を聞いたら、イエスはもっとも人気があって、教会はいちばん人気がなかったというんだ。

A:イエスというカリスマ的人物には魅力を感じるけど、組織化された宗教∥教会は嫌い、というわけか。

B:ぼくが最初にでかけた教会は、何といったらいいか、皆まじめで熱心で親切な人たちなんだな。

A:そりゃなによりじゃないか。

B:だから、礼拝に行かないと電話や手紙がきちゃうんだ。「どうしたんですか?」ってね。それから、禁酒禁煙は教会の規定にはないけど、飲まない人がほとんどだったし。

A:なるほど。たしかに日本のキリスト教はかたくるしくて、おしつけがましいイメージがあるね。ぼくらのような呑んべにはとてもついていけないや、ハハハハ。

B:普通の日本人、たとえば現代のサラリーマンが信仰を求めて教会に行った場合、福音の本質にたどりつくまえに表面的な道徳や倫理というレベルで、門前払いをくってしまう求道者は多いと思う。

明治以来のキリスト教が日本に根づかないのは、第一に日本人の生活や心情に合った信仰のもち方を無視した、教会や宣教の有り方に問題があるんじゃないかな。

しかし、さっきの調査結果からいっても、教会という組織を離れて、イエスの福音に接したいという日本人は意外と少なくないと思うよ。

A:ぼくは酒も好きだけど、落ち込んだときとか、よく聖書をめくったりする・・・・考えてみるとぼくなんかも、現代の隠れキリスト者?の気(け)があるのかな。


category: 福音と自由律

thread: 信仰・希望・愛

janre: 学問・文化・芸術

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日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

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