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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問合せ 略歴 著書

アンソロジー井上洋治神父の言葉(44)  

井上神父が創刊した「風」誌に毎号連載しています。
第104号、2018年春

(44)

〇 神中心主義

<『ヨハネによる福音書』は、死に瀕する十字架のイエスさまがおっしゃった最後のお言葉は「成し遂げられた」であったと記します。このお言葉は、日本語訳で受身形で記されるように、原文でも受身形になっています。

つまり、イエスさまの十字架上の死は、イエスさまがご自分に与えられた役割、すなわち人類の救いという役割を果たし終えられた時なのだということでもあり、またそれ以上に、神様、おん父、アッバがご自分の業を御子イエスさまにおいて完成された時なのだ、とヨハネは言っているわけなのです。>(著作選集5、一四頁)

<三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。>(マルコ一五・三四)

<三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。>(マタイ二七・四六)

<イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。>(ルカ二三・四六)

<イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。>(ヨハネ一九・三〇)

これら、イエスが十字架上で口にしたと伝えられる最期の言葉について考えてきましたが、ここで井上神父は、四福音書のうち最も新しいとされる『ヨハネ』では、最後の言葉が「成し遂げられた」であったということ、そしてそれが受け身形であることに注目します。

すなわち、「完成させる」「成就する」を意味するテレオーの受動態テテレスタイ(三人称・単数・現在完了)というギリシア語です。

ちなみにこの少し前、

<この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。>(一九・二八)

の「成し遂げられた」も同じ動詞の受身形が使われています。

井上神父は、ヨハネ一九・三〇が受身形であることから第一に、イエスの十字架死がアッバから与えられた「役割」――使命であったということ、第二に、その使命が死において「果たし終えられた時」――完成の時であったということを読み取ります。

そして第三に、これを同時に人生の主役であるアッバからみれば、「御自分の業」を「イエスさまにおいて」――イエスを通して「完成された時」でもあるのだ、と述べています。

これらのことから、イエスの生死を通じて、その主役はあくまで御父なるアッバであり、それゆえイエスがこの世において果たすべき役割・使命・仕事は、そもそもアッバから与えられたものであること。

そしてその生涯が外から、あるいはたとえ人間イエス本人からでさえどんなに不完全に見えようとも、主役であるアッバから見れば「ごくろうだったね。よくやってくれたね」と言われるような――死をもって完成されるものなのだ、ということ。

さらに、その完成をアッバも御自身のこととして喜んでくださっているのだ、と言っているのです。

解説書では、

<テレオーは『ヨハネ福音書』においてのみテテレスタイという【受け身形】で現れる(一九・二八、三〇)。

……テテレスタイはイエスの死を神の勝利と解釈するこの福音書記者の神学的意図に対応する意味深長な表現なのである。>(『ギリシア語新約聖書釈義事典Ⅲ』三九〇頁)

と言っています。

ちなみに、テレオーと同義のテレイオオーを原形とする動詞が『ヨハネ』には、

<イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げる(テレイオーソー)ことである。>(四・三四)

<父がわたしに成し遂げるように(テレイオーソー)お与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。>(五・三六)

<わたしは、行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて(テレイオーサス)、地上であなたの栄光を現しました。>(一七・四)

などに出てきますが、これらはすべて受け身形ではなく、神の業=使命を自ら積極的に果たそうとするイエスを主体にした記述になっています。

さらに敷衍すると、件のヨハネ一九・二八、三〇節と同じ動詞テレオーの受動態が二コリント一二章にも出てきます。

<すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。

力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。

だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。>(一二・九)

この「十分に発揮されるのだ」と新共同訳で訳されたテレイタイ「完全にされる」は、現在形の受動態です。これを踏まえてこの部分を少し敷衍してみましょう。

「力は弱さの中で……」というとき、ここでの「力(デュナミス)」は後段から「キリストの力」という意味に解釈できます。

そしてその力が受け身として働く――「完全にされる」とはどういうことでしょう。

「わたしの恵みはあなたに十分である」と言っている「キリストの力が」「完全にされる」というなら、その力を完全にする使役主体はキリストではなく別の方――御父であるということになりましょう。

そしてその力が働く「場」がわたしたちの「弱さ」だというのです。


本稿第一部でわたしは、アッバなる御父と御子イエスとの関係を、「直結構造」的な北森神学に対して、井上アッバ神学は「包括構造」であるということを指摘しました(『心の琴線に触れるイエス』五四頁)。

井上神父が好んだ十字架像に、「十字架のヨハネ」の手になる、十字架を上から見下ろした絵があります。

この作品に象徴されるように、井上アッバ神学は、父なる神が子なるイエスを包み込む――神が主となり子が従となる「神中心主義」的傾向が強いといえましょう。

青野氏が指摘するように、パウロ神学にもそうした傾向が見られます。

まず十字架の悲惨さに目を向ける「十字架の神学」のパウロと、イエスの十字架死を神の勝利に直結させるヨハネとは多くの点で異なりますが、井上神父が注目したヨハネ一九章の件の箇所に関しては、神アッバが主人となり、イエスが忠実なその手足・「作品」となる、という捉え方――「神中心主義」において、パウロや井上アッバ神学と響き合います。

こうして、弱さの骨頂である十字架においてこそ、アッバからのキリストの力が逆説的に発揮されるのです。


〇 「水晶」から「窓ガラス」へ

<ちょうど窓ガラスがこわれなければ、外を吹いているそよ風が部屋のなかに入ってこないように、イエスさまがご自分をこわし、十字架上で死んでくださらなければ、暗い部屋に光を導き入れ、私たちの心の闇に希望と喜びの光をもたらしてくださることもなく、「アッバの息吹」「御(お)御(み)風(かぜ)さま」が私たちをあたたかく包み込んでくださることはなかったのです。

つまりそこにイエスさまの十字架の死の深い、深い意味があったのです。>(著作選集5、一五~一六頁)

井上神父の言葉に接したことのある方にはおなじみの、いわゆる「窓ガラスのたとえ」です。わたしが神父に出会った頃は、よく「水晶」にたとえて、「イエスさまは、いわば水晶のように、百パーセントアッバの御心をそのまま映し出す方だった……」という言い方をしていました。

いつ頃「水晶」から「窓ガラス」にたとえが変化したのか、あるいは多用するようになったのかはわかりませんが、内容的な理由をわたしなりに推測してみますと、ポイントは「水晶」と「窓ガラス」の〝硬度〟ではないかと思うのです。

科学的には硬度即強度ではありませんが、言葉のもつ一般的なイメージとして、水晶(玉)より平らな(窓)ガラスは壊れやすいものでしょう。

右引用文の前段で井上神父は、「わたしを見た者は、父を見たのだ」(ヨハネ一四・九)という聖句を引きながら、現代人にわかりやすいようにアッバを「外の光」、イエスを「窓ガラス」に見立てて、この二者の性質と関係について語っています。

それを整理すると次のようになります。

①「室内」「部屋」(この世)にはどんなすばらしいものがあっても、「外の光」(アッバの赦しのまなざし)を中に入れることはできない。

②しかし「透明なガラス」でできた「窓ガラス」(イエス)だけは、部屋の一部で(万物とともにこの世に)ありながら、外の光を部屋の中に入れることができる――アッバの赦しのまなざしをイエスだけはわたしたちに届けてくれる。

③また、わたしたちが窓ガラスを見るときは、窓ガラスと同時に外の光や景色を見ている――わたしたちがイエスを見るとき、同時にアッバや神の国を見ていることになる。

このように、キリスト教の正統教義とされるイエスの神人両性を含む信仰内容が、この「窓ガラス」のたとえに見事に「現代風に」表現されていることがわかります。

そのうえで右引用文では、窓ガラスが「こわれなければ」そよ風が部屋に入らないように、アッバの赦しのまなざしをわたしたちの心に「直接」運び入れるためには、「イエスさまは自分をこわし、十字架で死んでくださらなければ」ならなかったのだ、と述べているのです。

このように「窓ガラス」のたとえには、イエスを通してアッバの御業が完成するためには、どうしても十字架の死が必要であった――ガラスはこわれなければならなかったことが説得的に述べられています。

とすれば、「水晶」であるよりは、「窓ガラス」である方が、より身近に実感できるたとえとなるのです。


これは、従来の教義表現で言えばイエスによる「十字架の犠牲」とか「身代わり」ということになりましょう。

しかしそのように表現されるときの贖罪論的な感性が、ユダヤ的背景を持たない日本人には、なかなか実感しにくい、ということを先に見た遠藤周作や井上神父は訴えてきたのでした。

それに比べると「窓ガラス」のたとえは、「贖罪」や「犠牲」といった重苦しい言葉を使わず、「アッバの息吹」や「希望と喜びの光」が強調されており、それらが日本人の感性に訴えるのだと思います。

井上神父に出会った多くの人をして「窓ガラスのたとえはわかりやすい」と言わしめている理由は、この辺りにあるのでしょう。

そして、この死によって「守導者」たる「おみ風さま」(どちらも井上神父の造語)――「聖霊」が弟子たちをあたたかく包み、彼らを回心に導いていきました。

「勧善懲悪の神ヤーウェ」から「赦しの神アッバ」へ、という弟子たちの神観の大転換をもたらした「イエスの赦しのまなざし」。

それが弟子たちの「深層意識にくいこまされ」るためには、どうしてもイエスの十字架の死が必要だったのです。

「そこにイエスさまの十字架の死の深い、深い意味があったのです」と神父が言うゆえんです。

「水晶」から「窓ガラス」のたとえへの移行は、「こわれる」こと、すなわちイエスの「十字架の死」を井上神父が特段に重視していることの証左と言えましょう。

さらにその「死」について、次のようにも述べています。

<イエスさまが十字架上で、孤独な、苦悩にみちた、屈辱的な死をおひきうけくださったことによって、アッバの息吹が、私たち生きとし生けるものの生命の根底をさわやかに吹きぬけるようになったのです。>(著作選集5、九四頁)

二〇〇六年、「風の家」二十周年を記念する「風」特別号、第七二号で井上神父は、新しい「在世間キリスト者の求道性」として、「南無アッバ」の祈りをすすめています。

その前段として右のとおり、イエスの死が、「十字架上で、孤独な、苦悩に満ちた、屈辱的な死」であったからこそ、「アッバの息吹」――無条件の赦しのまなざし、おみ風さま、聖霊が、わたしたちに注がれるようになったのだ、と明確に述べています。


〇 お守り札の効用

<そのようなときでも「お守り札」を枕もとに置いてくださるだけで、パウロが『ローマの信徒への手紙』八章で言っているように、アッバの「おみ風さま」は、私たちの弱さを助けてくださり、イエスさまも、ご自分の背負われた十字架の苦しみに、私たちの苦しみをとけこませ、私たちの代わりに祈ってくださると信じます。>(著作集5、三五頁)

「そのようなとき」とは、「大手術」の後や「死」直前の「苦しみ」「不安」などを噛みしめているとき、すなわちわたしたちが極限状態に置かれたときのことです。

ここでは「そのようなとき」にも井上神父が確信することとして、三つのことが述べられています。

それは、①お守りの役割、②聖霊の働き、③イエスの働きです。

①「南無アッバ」のお守りについてのこの文章(「風」第七二号)では全体として、病気の治癒などいわゆる「現世利益」を否定しています。

しかしお守りによる、この祈りの現世的効用は否定していません。

すなわち、苦しみは「受け入れる人の心の持ち方によってずいぶんと変わる」という、神父自身の経験をもとに、

<この「お守り札」は、あくまでもアッバのくださる苦しみ、喜び、哀しみ、そういったすべてを魂のやすらぎのうちに受け入れることのできる心をお願いするものです。>(同)

と述べているとおりです。

つまり、自己中心的に自分の都合がいいように状況を変えてもらう、ということが「現世御利益」だとすれば、そうではなく、今が「苦しみ、喜び、哀しみ」などどのような状況にあっても、「すべてをやすらぎのうちに受け入れる」ように自分を変えていただくという意味での「効用」です。

生前、井上神父が宗教の役割として強調していた自己相対化――「逆主体的段階」の祈りということです。


②『ローマ書』には次のようにあります。

<同様に、〝霊〟も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきか知りませんが、〝霊〟自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。>(八・二六)

「うめきをもって執り成す」方=聖霊=「おみ風さま」が「私たちの弱さを助けて」くれる。

それは、「『お守り札』を枕もとに置く」ことによる。

しかもそれ「だけで」と言い切っているのですから、あたかも「お守り札」が「おみ風さま」を呼び起こすがごとくです。

ここにも「お守り札」の効用を認めていることがわかります。「お守り札」が救いの道具になっている、という言い方は語弊があるかもしれませんが、要はそれだけ井上神父のなかで、自力に頼ろうとしない「南無の心」――自己相対化――お任せの心が強いということなのだと思います。


③そして「十字架」のイエスの助力に言及します。

まず、「イエスさまも」と言っているのですから、②同様、ここでもイエスの祈りはお守り札によって呼び起こされる、と言っていることになります。

第二に、その祈りは「十字架」のイエスの祈りだということです。青野太潮氏が指摘するように、パウロによれば復活して現存するイエスは、「十字架にかけられたまま」の姿です(一コリント二・二、青野『パウロ 十字架の使徒』一一五頁他)。

このことは、②で引用したローマ書の「霊のうめき」とも符合します。

第三に、このイエスの助力の仕方は、神父の表現によると、自らの「十字架の苦しみに、私たちの苦しみをとけこませる」というのです。

キリスト者の間ではしばしば、

<わたしは苦しみをキリストの十字架に合わせ、わたし自身と人々の罪を償います。>(『カトリック祈祷書 祈りの友』「病気の時の祈り」)

というような言い回しを聞きますが、「とけこませる」という表現はあまり聞いたことがありません。

そう言われてみれば、苦しみを「合わせる」より「とけこませる」という表現の方が、共苦の連帯感、一体感、内面化は一層強いように思います(拙著『心の琴線に触れるイエス』八四頁以下「聖徒の交わり――連帯の神学」参照)。

しかもその助力は、「おみ風さま」と同様、イエス=あちらさまが主体となってなされるのです。

そしてなにより、この表現が、井上神父の「遺言」(同『「南無アッバ」への道』三四一頁)にあった提言の一つである「汎在神論」に通じる表現であるということです。

汎神論とは――

<……〝絶対他者としての超越神〟としてだけではなく、同時に〝すべてを包み込んでいてくださる神〟

……汎在神としての神をも同じように認める必要がある……太陽からでてくる光は、あたたかな春の日ざしとして、また秋の夕暮のしずかなたそがれとして、生きとしいけるものをやさしく包みこみ、生かしてくれている

……この灼熱の太陽とおだやかな日ざし、すなわち神の本質とエネルゲイア(はたらきといってもよいかもしれません)はその根元において一つであり、決して別のものではない

……キリスト教は決して汎神論ではないけれども、本質とはたらきを断絶する超越一神論ではなく、汎在(パンエン)神論(テイスム)と呼ばれるべきものなのだ……。>(著作選集5、一四三~一四四頁)

わたしたちが神を理解するために「汎在神論」を推奨する、右の井上神父の弁には「とけこます」という言葉は出てきませんが、「すべてを包みこんでいてくださる神」は、「生きとしいけるものをやさしく包みこみ、生かしてくれている」「光」――「春の日ざし」、「秋のたそがれ」、「おだやかな日ざし」のような方なのだと言っています。

とすれば、この「光」が生きとしいけるものを生かすために、わたしたちを外側から「包みこむ」だけでなく、わたしたちの内側へ、体内へととけこんでいき、わたしたちを中から変容してくだるはずです。

ちなみに、『岩波キリスト教辞典』では汎在神論を次のように説明しています--

<万有内在神論(panentheism):神の内在が全宇宙を包括し、その中に浸透しているとする思想。

それゆえ宇宙のあらゆる部分は神の内にあるが、逆に神は宇宙全体に尽きない超越的存在であることを認める点で、宇宙と神とを同一視する汎神論とは明確に異なる。>(九一三頁)


第四に、この場合のイエスの役割は「私たちの代わりに祈る」ということ。わたしたちが祈って、それに応えてイエスが「やすらぎ」を与えてくれる、というのではないのです。

イエスはわたしたちの祈りの代弁者だというのです。もちろん、その祈りの対象はアッバです。つまり、「やすらぎ」を与える主体はアッバだということです。

イエスはむしろわたしたちの側に立って、いっしょに祈ってくれる。こうした所にも「悲愛」=共苦が強調され、また前述したように、救いにおける井上アッバ神学の神(アッバ)中心主義が表れています。(つづく)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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アンソロジー井上洋治神父の言葉(43)  

井上神父が創刊した「風」誌に毎号連載しています。
第103号、2017年冬(43)

〇 十字架は「悲愛」の頂点

本連載第一部で、「罪と苦しみ」という問題を考えるきっかけとしてわたしは、井上神父と佐古純一郎氏の対談を引用しました。そのなかで「十字架」の意味について、二人は次のように語っています。その一部を再掲します。

<佐古 ‥‥イエスはいったい何で殺されてしまったかということになっちゃうと、イエスをあんな苦しみに遭わせたのはおれじゃないかというところに出てきて、やっぱり罪の、「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう」という問題が出てきているんですな、私なんかは。

井上 私はね、むしろ、イエスの十字架というのは私たち一人一人の人生の苦しみをそこでいわばmitleidenして(共に担って)くれたという感じです。これからの私たち一人一人の苦しみというものを、あそこにおいてイエスはすでに受け取って、神様のもとにさし出してくださっているんだという感じです。

佐古 そのことは、まったくそうですわ。

井上 だから、「惨めな」というか‥‥。もちろん、私たちのために死んでくださったというのはあるわけですけれども、そのときのニュアンスの置き方ですかね。例えばパウロとヨハネを並べると、パウロは、ユダヤ人に対してだと思うのですけど、もっぱら犠牲とかそういう面を強調しますね。

ヨハネの場合は、むしろギリシャ教父たちが言うように、こちらに来てくださって、みんなをぞろぞろと愛で包んで、また向こうに戻ってくださったという感じがありますよね。

だから、私はそっちのほうがどうも考えやすいというか、何か、私の人生を先につかまえてくださって、これからの死の苦しみを、もうすでに先に一緒に歩んでくださって、もう行ってくださったから、私の人生は保障されているというか、キリストがもっていってくださった。>(『パウロを語る』一八七~一八八頁)

対談での話し言葉をそのまま文章にしているので、ちょっとわかりにくい部分がありますが、井上神父の言いたいことは明白です。

すなわち、神父にとってイエスの十字架は、罪を贖う「犠牲」としてよりも、わたしたちが人生の途上で味わう、様々な喜びや苦しみや不安――その最大のものが死への不安だと思いますが――そういうものをイエスが「すでに受け取って」=先取りして、「もうすでに先に一緒に歩んでくださって」いる。

それゆえに「私の人生は保障されている」のだ、という絶対的な安心を与えてくれるものなのです。

ひとことでまとめれば、わたしたちがどんなにひっくり返ろうが、人生全体がイエスを通してイエスと「共に」アッバに「包容」されている、という信仰による安心――そういうものを、悲愛の頂点としての十字架に見ているのが、井上アッバ神学なのだと思います。

そしてわたしは、十字架のイエスが一糸まとわぬ「全裸」であったという事実は、イエス自らがどん底まで降りてわたしたちを引き上げてくださる、という「保障」を決定的なものとする象徴のように直観したのでした。

つまり、わたしたちの人生がどんなにひっくり返っても――そのようにしか思えない状況にあっても、けっしてこのイエスの十字架を頂点とするアッバの悲愛の御手から零れ落ちることはないのだ、という確信を与えられたように思ったのでした。

人生の喜びも悲しみも苦しみも――すっぽりイエスの十字架を頂点とする生涯のうちに「包容」される安心、それが井上神父がなんとしても、わたしたちに伝えたかった福音だったのではないでしょうか。

「全裸」――人類、否、万物が経験したことのない、また今後も経験することがないだろう「屈辱」と「苦痛」の中で、「十字架につけられ給いしまま」(ガラテヤ三・一、文語訳)今も「うめき」(ローマ八・二六)つつ、吾らの人生のあらゆる時と場面に「つきそい」(風の家の祈り)「共に」(悲愛の「悲」)歩んでくださるイエス――。

こうした信仰をわたしは、井上アッバ神学から学び、近年さらに青野神学によって確信することができるようになったのでした。

〇 イエス最期の叫び

<しかし、『ヨハネによる福音書』一四章以下では、イエスさまの悲惨な死がいかに栄光に輝いているものであるかということをヨハネが説明しています。非常に心打たれる箇所です。

もちろんそれは、当時のユダヤ教の人たちに「弟子たちにも裏切られて、素っ裸で吊るされて、そして呻いて死んでいったあんなやつを、なんで神の子だ、救い主だなんて言っているんだ、おまえら少し頭がおかしいんじゃないか」と言われたことに対するヨハネの弁論でもあるわけですが、「あの出来事は栄光の時であったのだ」とヨハネは一生懸命繰り返すのです。>(著作選集5、一四頁)

「素っ裸で」吊るされ、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と「呻いて」、前述のとおり「見捨てられて」死んでいったイエス。今度は、この「呻き」――『マルコ』におけるイエス最後の「叫び」について考えてみます。

この断末魔の叫びをどう受け取るかについては、拙著『すべてはアッバの御手に』最終章、第十章で井上神父の考えをわたしなりに敷衍しましたが、今ここでは、その人間イエスの惨めな姿、「叫び」を目の前で見聞きしていたと福音書が伝える、異邦人であるローマの「百人隊長」の言葉に注目したいと思います。

<百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。>(マルコ一五・三九)

この節にある「このように」とは何をさすのか。三七節の「大声を出し」たことか、あるいはその前の三四節「大声で叫ばれた」ことでしょう。三八節には「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」とあります。ちなみに『マタイ』の並行箇所を見ると、

<百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。>(二七・五四)

となっています。『マルコ』を下敷きにして書かれたと思われますが、『マタイ』は「百人隊長」他のイエス処刑目撃者の「神の子」発言を、「地震やいろいろの出来事を見」たことによる、としています。

成立年代の最も新しいと考えられる『ヨハネ』はもちろんのこと、三つの共観福音書でさえ、このイエスの最期の記述には大きな違いがあります。

とくに『マルコ』と『ルカ』を比較するなら、その違いは歴然としています。

神に恨み言を叫んで息果てる『マルコ』に対して『ルカ』は、

<イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。>(二三・四六)

と記述し、

<百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。>(同・四七)

と続けます。

「この出来事」が、四四~四五節にある「全地が暗くなり」「太陽が光を失って」「神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた」ことを指すのか、あるいはイエスが大声で叫んだことをも含むのかわかりませんが、いずれにしろ、イエスの立派さ、神の栄光の顕現によって、「この人は正しい人だった」と、百人隊長らに告白させています。

しかし、『マルコ』に戻って、素直に文脈をたどるならやはり、イエス自身の絶望の叫びを伴った死に様こそが、「百人隊長」をしてイエス=「神の子」告白をなさしめたのだ、と読まざるを得ないと思います。

<いまこの【物語における】深層意識的原体験の事実を「真実」という言葉で表現してみれば、物語は歴史的事実を伝えていないかもしれないが、しかしその奥には深い真実が秘められているのである。>(著作選集4、一三頁)

福音書がイエスの伝記や「事実」の忠実な歴史書ではなく、当時のキリスト者の信仰の「真実」を宣言した書物であり、わたしたちがその<真実>――「福音」に出会うための「実践指導書」(井上神父)である、という立場に立つならば、四福音書の「どれが正しいか?」という問いは、相対化されていくかもしれません。

しかし、信者かどうかにかかわらず、一般常識から見れば、『マタイ』のような異常現象を起こし、『ルカ』のように、神への執り成しの祈りや信頼を示す「スーパーマン」のようなイエスをこそ、「神の子」あるいは「正しい人」にふさわしいと思うのが当然でしょう。

青野氏も新約聖書の最初に位置する『マタイ』の強烈な記述の影響のためか、ある時期までは、百人隊長の告白は、様々な異常現象を見たがゆえのことと思い込んでいたそうです(『「十字架につけられ給ひしままなるキリスト」』一七一頁他)。

しかしマルコは、己が運命を嘆き、神に異議を申し立て、不信を露わにした――「罪人」イエス――「このようにして」死んだイエスをこそ、「神の子だったのだ」と、異邦人に告白させているのです。改めて考えてみると、これは大変衝撃的なことです。

〇 「罪人」イエスと「共に」

わたしが毎月一回おこなっている南無アッバの集い&講座では現在、井上アッバ神学の「共にいます神」ということをめぐって、ブルトマンの非神話化や聖書の実存的解釈の重要性について話しています。

その第七七回では、「共にいます神」をめぐって、二〇一六年十月の「風の家」三十周年記念集会で取り上げられた「悲愛」の「悲」――「悲しみ」ということに触発されて、井上アッバ神学と青野神学の十字架の意味について次のように話しました。


井上神父はキリスト教で言うアガペーを、日本語聖書でよく使われる「愛」ではなくて、「悲愛」と訳しました。

このなかの「悲」というのは、仏教の方で言う「慈悲」や「大悲」の「悲」から連想したといいます。

そして大事なことは、これらの「悲」には、単に悲しむというのではなくて、「共に悲しむ」「共に苦しむ」というときの、「共に」ということが含まれているということです。

それでわたしが思い出すのは、いつだったか、井上神父が講座か講演でもおっしゃっていましたし、個人的にも聞いたことがあるのですが、「人生というのは悲しいものです」と言うのです。

わたしはこの言葉を最初に聞いたとき、「おやっ?!」というか、正直ちょっと嫌な感じがしたのです。

というのは、わたしは二十代で教会の門をたたき、神父にたどり着いたわけですが、なぜそういう求道を始めたのかといえば、あのころ自分なりに抱えていたいろいろな問題があり、そうしたことがもたらす「悲しみ」や、生きづらさから何とか逃れたい、楽になりたいと思ったからです。

つまり悲しみの解決を願い、きっとそうしてもらえると期待して神父を訪ねたわけです。

それがどうでしょう。神父からは、人生はそもそも悲しいものなのだ、ということを聞くとは。

そのようなことを何回か、神父がしみじみと語るのを聞いたのでした。

しかしその後、井上神父に師事して少しずつ学んでいくにつれ、このように「身もふたもない」と思った人生の「悲しみ」の問題が、実は神父がいう「悲愛」(アガペー)ということと密接に結びついていることに気がついていきました。

十月の記念集会でも、若松さんが「悲愛」について基調講演をしましたが、座談会では「必ずしも悲しみがいやされること自体が、救いではないのではないか」というような意見も出ました。

わたしはこれをきっかけにして、その後もこの「悲しみ」について改めて考えてみました。するとまず浮かんだのが、青野太潮先生がおっしゃっているイエスの逆説的な福音ということです。

すなわち、『マタイ』の山上の、あるいは『ルカ』の平野の説教として伝えられているイエスの言葉、「悲しむ人々は、幸いである」(マタイ五・四)、「貧しい人々は、幸いである」(ルカ六・二〇)という逆説の福音です。

これらは古来、いろいろな解釈がなされてきました。たとえば、ルカの「貧しい人々・・・」をマタイが「心の貧しい人々・・・」とし、日本の「共同訳」のようにこれを、「ただ神により頼む人々・・・」と解するなどといったようなことです。

しかしどれも十分に説得的ではないように思います。

それは、これが「逆説」であり、逆説というのは本来合理的に十分には説明できないものだからです。

逆説が真理とわかるのは、経験的事実を重ねていったときだと思います。

この点は、井上神父のベルクソン以来の「体験主義」や「信仰の神秘」への言及に通底するものがあります。

辞書で「逆説」を引くと、その例として「急がば回れ」というのがあげられています。

これもあれこれ考えを重ねた結果として真理だとわかるというより、たくさんの人が経験して、「ほんとうにそうだなあ」と納得したので、定着していったのだと思います。

この点は、ベルクソンの影響を強く受けた井上神父が、頭でイエスの語った真理「について知る」だけではだめで、ほんとうに真理「を知る」ためには、体験しなければならず、その意味で「新約聖書は実践指導書(ガイドブック)」である、と言っていたことに通じます。

わたしは、先ほどの座談会で出た「悲しみは必ずしも癒されることが救いではないのではないか」ということも、イエスのこの説教の逆説――「悲しむ人々は幸い」ということに通じるのではないかと思ったのです。

青野太潮先生の御説を参考にさせていただくなら、このイエスの語った福音の逆説は、十字架においてイエスご自身が身をもって証することになります。

ご存知のように、『マルコ』によればイエスは、十字架上で、あの有名な、不可解な、一見「神の子」らしくない、絶望の叫びをあげて息を引き取ります。

<わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか>(マルコ一五・三五)

これも古来様々に解釈されてきた箇所です。『ルカ』や『ヨハネ』は、この叫びを「神の子」らしい威厳とやさしさに満ちた辞世の言葉に換えた節もあります。

史実は、単に大声を上げられただけかもしれません。

井上神父は、死にゆく人の断末魔の意外な叫びだけをあまりにも重視するのは、イエスさまに「失礼」である、といった見解を持っていました。

しかしわたしはこの箇所に関しては、青野先生の御説を支持しつつ、わたしの思うところを述べたいと思います。

この箇所のショックな点は、まずイエスを「神の子」と告白する福音書にはふさわしくないと思われるイエスの叫びを(おそらくあえて)載せていることです。

すなわち、イエスが「アッバ」(パパ)と呼んで絶対の信頼を寄せていたはずの神に向かって、「自分は一生懸命アッバの御心にそって忠実に生きて来たではありませんか。

それなのに最後の最後で、どうしてわたしを見捨てたのですか?!」と、アッバに嘆きとも、疑問とも、不信ともとれる抗議をしているということです。

しかもマルコは、この十字架の目撃者である(ユダヤ人から見れば不信仰者の)異邦人、ローマの「百人隊長」の口を通して「神の子」宣言をしているのです。

つまり、アッバに不信の罪を犯した――自ら罪人となったイエスを、不信人な異邦人こそが、「神の子」と見抜いたとしているのが『マルコ』なのです。

青野氏は、信仰義認論は、パウロの十字架解釈だ、と言います。

どういうことかというと、おそらくイエスに会った事もなく、また十字架の事件に立ち会ってもいなかったであろうパウロは、あのダマスコの回心を含めての前後、イエスの十字架刑死の意味について思い巡らし、よく考えた。

そうして得た結論は、イエスの「十字架」は、直接的には「愚かさ」や「弱さ」や「つまずき」や「(律法による)呪い」を意味するが、しかしそのようにして生きて死んでいったイエスをこそ、神アッバは「よし!」「しかり」とし、復活させたのだということ。

すなわち、十字架は「愚かさ」「弱さ」「つまずき」「呪い」でありつつ、同時に真の「賢さ」「強さ」「救い」「祝福」をも、逆説的に意味しているのだということなのです。

『ローマ』四章五節では、「不信心な者」をそのまま無条件無制限に義とする神アッバが語られています。

<不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。>

ここには、イエスの十字架や死を罪の贖いと信じれば救われる、ということは一切言われていません。

「不信心な者を」そのまま「義」とする――「よし」とする――神が受け入れてくださる、ということが大前提になっている。そのうえで、何も「働きがなくても」そういう神さまを「信じる」=信頼するとき、その信頼がさらに「義と認められる」と言っているのです(拙著『「南無アッバ」への道』第一〇章一〇「信仰義認論」とアッバ神学、参照)。

例にあげられるアブラハムやダビデについても、イエスの死による贖いを通しての義ということではまったく言われていない。

そしてイエスは、上のような逆説的福音を説きつつ、ご自身が十字架において絶望の叫びを上げ、「不信心な者」「つまずいた者」「罪人」となられた。

「そのようにして」死んだイエスを神アッバは、太古の昔からの御心――無条件無制限のゆるし原則のとおり、「よし!」「しかり」「義」とし、復活させたのです。青野氏は言います。

<すなわち、決定的な救いの出来事としてのキリストの十字架の死は、まさに「弱さ」「愚かさ」以外の何ものでもないのであり、しかもそれこそが、弱く罪深く、そして神なき者が、ただ信仰によってのみ義とされるというパウロの教えに表わされているように、真の救いなのだということである。>(『「十字架の神学」の成立』一八頁、傍点原文)

あるいは、「荒井献氏への批判的対論」のなかでは、次のように述べています。

<いずれにしても、ここ【ローマ八・三b】でイエスが「罪」あるいは「罪の肉と同じさま」における存在、すなわち「罪人」と考えられているということの中には、あの十字架の最期において神を疑い、彼自身の上に生起した不条理ゆえに神に抗議するという意味での「罪人」イエスという捉え方の反映はないであろうか。

つまりイエスの十字架上の絶叫を凝視することに通ずる捉え方がないであろうか。しかし神は、まさにこの「罪人」イエスをこそ、救済をもたらす者とされたのだ、というのが、パウロの逆説なのではないのか。>(同書、二七三頁)

井上神父から学んだ、先の「全裸のイエス」。

青野氏から学んだ、この「罪人イエス」――「罪人」となられたイエスこそ、われらを救う方――これほど逆説的で、かつ慰めに満ちたメッセージはありません。

教会にはふつう、

<この大祭司(イエス)は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。>(ヘブル四・一五)

と伝えられています。

イエスの生涯には徹頭徹尾「罪」がなかった、それ以外はわたしたちと同じだった、そのような「神の子」であるから罪人であるわたしたちを救ってくださるのだ、というのが正式な教会の教えでしょう。

しかし、右に引用したように、イエスを「罪深く、そして神なき者」すなわち「罪人」イエスとして捉えるというのはタブーなのでしょうか? 

異端でしょうか? 

人間イエスの意図していなかった所で、「なんで私がこんな目に遭わなければならないのですか」と叫んで、嘆いて、自ら「不信心な者」となられたイエス。

その「罪人」の頭をこそ、アッバは「無条件・無制限にゆるし」、「よし!」として復活させた。

罪の極みまでわたしたちと「同様に」なり、今も「十字架に架けられ給いしままに」「うめき」つつ「共に」いてくださるイエス。

こうしたイエスこそ、井上神父が言う所の「悲愛」の頂点――十字架において、わたしたちを救ってくださるイエス、と言う信仰告白につながるのではないでしょうか。

それはアッバにとって、イエスという「作品」における御業の完成でもあります。

わたしたちも、アッバが大事にしてくださった「作品」――人生の完成をめざして、このようなイエスと共に、イエスにならい――弱さと罪深さのなかで、「うめき」つつも「南無アッバ」「南無アッバ」と唱えつづけること、それこそがアッバがわたしたちに望んでおられる生き方なのではないでしょうか。
(つづく)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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連載エッセイ「井上洋治神父の言葉に出会う」(42)  

井上神父が創刊した「風」誌に毎号連載しています。
第102号、2017年春
(42)4-5inouesinpunokotoba.pdf
項目
○二つの神学のベクトル
○井上アッバ神学の「十字架」
○「赦しの晩餐」
○「赦し」とは「見捨てない」こと
○「全裸」のイエス
(つづく)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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連載エッセイ「井上洋治神父の言葉に出会う」(41)  

井上神父が創刊した「風」誌に毎号連載しています。
第101号、2016年秋
(41)第4部アンソロジー井上神父の言葉 4.pdf
目次
○アッバ神学とパウロ主義
○青野太潮神学との出会い
○母性的福音理解
○イエスの十字架と死
○イエスの「ゆるし」宣言と贖罪死
○日本人の感性

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(40)第4部アンソロジー井上神父の言葉3  

「風」第100号「風の家」創設30周年記念号より
2016年春(*冊子では井上神父の言葉からの引用を示す囲み□が消えてしまっています。正しくはこちらのPDFをご覧ください。)
(40)第4部アンソロジー井上神父の言葉3.pdf
○人生マラソン--折り返し地点
○パウロを解釈する
○お借りしたものを返す
○人生の意味
○完成のとき
○あの頃

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アンソロジー井上神父の言葉(2)井上洋治神父の言葉に出会う(39)第4部   

「風」第99号 2015年秋

〇日本語の信仰告白


神がイエスをよみがえらせ、高く挙げて主とした」という信仰宣言は、すっぽりとイエスがそのまま余白の次元に入り込み、生かされ、余白を吹き抜ける風と一体化し、生きとし生けるものの根底を吹き抜けることとなったということに他ならないのではないか。(『余白の旅――思索のあと』一九八〇年、二五六~二五七頁)


わたしがこの文を取り上げるのは、もう三度目になります。最初は、「風」五二号に発表した『風の薫り』についての書評。二度目は連載「井上神父の言葉に出会う」第一部(『心の琴線に触れるイエス』一二三頁)の本誌上です。

そして今回、連載の第四部「アンソロジー・井上洋治神父の言葉」として、前回取り上げた「南無アッバ」の由来に続けて、この部分を三たび取り上げさせていただくことにします。

その最大の理由は、わたしも含めて日本の人たちが井上神学=アッバ神学に、素手で触れたとき、まずどんなところに惹きつけられるのだろうか、その最大公約数的な要素を含む文章を取り上げたいと思ったからです。いや、神学などと大上段にかまえるのではなく、井上神父の文章のどこに惚れたのか、初心を思い出してみたのです。

するとそれは、キリスト教の内実を、いわゆるキリスト教用語を使わずに、井上神父自身が実感をもって正直に日本語で語った言葉だったから、ということに思い至ったのです。その典型が、「悲愛」であり「南無アッバ」であったわけです。

もちろん神父に出会った当時は、そんな理屈はまったくわかりませんでした。まったく直感的なものだったと思います。しかし、わたしだけでなく、井上神父の著作や人となりに接して共鳴した多くの人たちが、同じ経験をされているのではないでしょうか。その好例が、三度引用させてもらう右の言葉なのです。神父は、

「神がイエスをよみがえらせ、高く挙げて主とした」という信仰宣言――あるいは「・・・・三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、・・・・」という使徒信条を、

<すっぽりとイエスがそのまま余白の次元に入り込み、生かされ、余白を吹き抜ける風と一体化し、生きとし生けるものの根底を吹き抜けることとなったということに他ならないのではないか。>

と喝破します。

仮にこの一文から「イエスが」という主語を抜かして読んでみれば、なおさら納得できるのですが、この日本語の文章をわたしたち日本人は、何の抵抗も無く自然に受け取ることができます。キリスト教が日本語になる、というのは、具体的にこういうことをさすのだと思います。

そして最大の問題は、この一文の主語である「イエス」を、どう日本人として理解し、受け取るか、ということです。井上神父や遠藤の一生をかけた苦心は、この問題に尽きるとも言えましょう。


〇理性知と体験知


<<について知る>>という、理性と概念による自然科学的なもののとらえ方、合理主義的な発想にあまりにも慣らされすぎてしまった現代の私たちは、ここで、日本文化が長いあいだたいせつにしてきた<<を知る>>というもののとらえ方を思い出し、<<について知る>>ことだけが唯一の知識であるという偏見を思いきって打ち破ることが必要であると思います。(『日本とイエスの顔』初版一九七六年、第一章 いのちとことば)


処女作『日本とイエスの顔』において井上神父はまず、ものを「知る」方法として、「~について知る」という概念、言葉による知と、「~を知る」という体験的な知とを区別します。

この区別は、神父が哲学を志すきっかけとなったベルクソンから学んだことですが、現代のわたしたちは前者=理性知に傾きすぎており、いまや、日本文化が長い間大切にしてきた「~を知る」体験知を思い出すべきである、といいます。

その上で、どんなに知識を蓄えても、そこへ向けて出発しようとしない限り、ほんとうの意味でものを知ることはできない、として右のように述べているのです。


〇体験的に知る


聖書、特に新約聖書が行為を要求する実践指導の書であり、私たちに永遠の生命への道を説きあかしてくれる書であるなら、一念発起してその教えに従おうと決意し、行為を起こさないかぎり、ほんとうの意味でイエスの教えをわかることはできないと思います。(同)


すでに十年以上も前になりますが、わたしが本連載「井上神父の言葉に出会う」を始めたとき、「序にかえて」のなかで引用した一文です。

井上神父は神学者や聖職者であるよりは、自らを「求道者」「宗教家」と位置づけていたのではないかと思います。それは自らが「ほんとうの意味でイエスの教えをわかること」をめざし、リジューのテレジアを手本に、イエスの弟子たらんと「一念発起」渡仏して以来、変わることのない行動的な姿勢から読み取ることができます。

ただ気を付けなければいけないのは、「行為を要求する」と神父が言うとき、その「行為」とは、いわゆる「行為義認」としての律法的な行為を意味しているのではない、ということです。つまり、これこれをしなければ、神に「義」=正しいと認められない、あるいは救いにあずかれない、ということではないのです。このあたりのことはすでに本連載第三部で、井上神父の使う「行為」という言葉を3種に分類し、「条件行為」「信仰行為」「応答行為」と名付けて関係を考えたところですが、ここで奨励されている「一念発起」して「その教えに従おうと決意し」起こさなければならない「行為」とは、「祈り」に代表される「信仰行為」だということです。

昔、神父と飲んでいて、「(井上)先生はなぜ、プロテスタントではなくカトリックになったのですか?」と質問したことがありました。そのとき井上神父が「カトリックには『行ぎょう』があるから」と答えたのを憶えています。いわずもがな、これは、プロテスタントには祈りがないなどと言いたいわけではありません。

では、「祈り」を「行」として捉える、とはどういうことか。次のように言っています。


自分が主である世界から従になる世界に転換するのには、どうしても〝行ぎょう〟ということが必要です。型に入るということはそういうことなのです。祈りにはいろいろなかたちがあるかもしれませんが、「祈り」というのも一つの行であります。(『人はなぜ生きるか』二七頁)


これもすでに、第三部で一度引用した言葉ですが、ここには救われる=「永遠のいのちをえる」ためにはどうすればいいか、が簡潔に述べられています。まず救いのためには①「主我的段階」から「逆主体的段階」への転換――自己相対化が必要であるということ、②そのためにはどうしても「行」が必要なこと、そして③「行」ずるということは「型に入る」ということ、この3点です。

「祈り」を「行」としてとらえるということは、まずその目的が「あちら(神=アッバ)が主」であり、「こちら(私)が従」である、と自覚することにある。そしてそのためには「行」という「型」に入ることが必要だというのです。

こうした祈り--行--型という捉え方から見えてくるのは第一に、「心のなかで祈る」という言い方とは対極にあるような祈り――実践的あるいは行動的、具体的な祈り、とでもいうべき類の祈りです。井上神父が「一念発起」して、フランスへ渡り、厳しいカルメル会の修行に身を投じた、というのは、その典型的な例と言えるでしょう。この意味では、「一念発起」――発心ほっしんから祈りが始まっているともいえるわけです。わたしたちはそこまでできないにしても、求道者、信仰者として実際に、家を出て、電車やバスに乗って、あるいは歩いてミサや礼拝に行く、というのも「行動的な祈り」の一部と言えましょう。

この「行動する祈り」という視点で、これまでのわたし自身の拙い求道生活を振り返ってみますと、面白いことに気づきます。いや、面白いというより、本来は反省すべきことなのかもしれませんが……。

わたしが井上神父から洗礼を受けたのは、一九八一年八月三十日です。その猛暑の日、洗礼に続いて、聖体、堅信、結婚の秘跡をいっしょに受けさせていただきました。もっとも結婚については、相手(つまり今の妻)が信者ではありませんでしたが。

わたしがどうして洗礼を決意したのか、については『すべてはアッバの御手に』(聖母文庫)などにも概略書きましたが、その前後のこととして今でもよく覚えていることがあります。それはたとえば、洗礼を受けたらミサに毎週行かなければいけないのか、とか献金や維持費はいくら払えばいいか、というようなことが気になっていた、ということです。「なんだ、そんなことか」と思うのは、それなりに信者生活に慣れた人の感想でしょう。

キリスト教、あるいはイエスにひかれて、洗礼を受けたいと思ったとき、意外にブレーキになるのが、まことに具体的なこうした信仰生活の「あるべき姿」のようなものなのです。加えて当時は、家族の反対というのもありました。そしてまさに、この「あるべき姿」が問題なのです。現に、わたしがカトリックだと知った周囲の反応はまず、「じゃあ、平田さんは、毎週教会に行ってるんですか(行ってるんですね)」というものです。「では、聖書を読んでいるんですか」というのも、たまにありますが、「神とはどういう方ですか」「イエスはどんな人ですか」というような質問は、まずありません。

要するに世間一般も、信者・求道者自身も、「信仰」というのは、生活のなかで日常とはちがう何か特別な非日常なことをする、というニュアンスをもって受け取っているのではないかと思うのです。なんらかの明示的な信仰を持っている人について、「あの人は宗教をやっている」という言い方もよき聞きます。生徒から「先生は、宗教をやってるんですか」と面と向かって言われると、なんとなく嫌な感じがします。それはたぶん、「宗教をやる」=「(普通じゃない、もっといえばまともじゃない)おかしなことをやっている」という風に思われているのだろうなあ、と感じるからだと思います。

しかし、井上神父が亡くなって1年半、神父が遺したこと、わたしたちに遺してくれたものを振り返る今、やはり最大のものは、「南無アッバ」の祈りの実践なのではないか、と改めて思うのです。確かに神父はたくさんの貴重な書き物や思い出を、わたしたちに遺してくれました。しかし、前に述べたように、晩年の神父は、


わたしは、いろいろな本を書かせてもらったけれど、今はこの祈り(南無アッバ)だけでいい。


と言っていました。極論のように聞こえますが、井上神父の思いとしても、自身の全求道生活が、この祈りに集約されているのだ、と納得していたからこその述懐なのでしょう。

本誌前号に掲載された藤原直達神父の言葉にも、次のようにあります。

<「アッバ、アッバ、南無アッバ」で最後まで貫かれた姿こそが、宝だと思います。井上神父様の「アッバ」に至るまでの書き物を、たとえ全部捨てても、最後の「アッバ」の称名には、大きな価値があるでしょう。>

前述したように、わたしは本連載第三部で、宗教的な「救い」と「行い」に関連して、井上神父の考える「行為」を三つに分類しました。すなわち、救われた者がそのことに応える「応答行為A」、救われるために必要となる「条件行為B」、そして祈りに代表される「信仰行為C」、という三つです(「風」第九一号四〇頁以下)。そして、井上神学=アッバ神学の特徴として、行為Cを幅広く解釈し、重視している、ということを指摘しました。

かつてのわたしは、井上神父から洗礼を受けた後も、ながらく行為Aと行為Bを混同して悩んでいました。それが、神父の「信じるという行為」という言い方に出会った時、その悩みや葛藤から解放されたのでした。


イエスが・・・・間違いなく私たちを見えない神の御手の中につれていってくださる方であることを信じるという行為が要求されるのだとも説明しているわけです。(『人はなぜ生きるか』一三三頁)


すなわち、わたしたちが「一念発起してイエスの教えに従おうと決意し、起こさなければいけない行為」とは、井上神父にとっては、端的に「信じるという行為」であり、その内実は第一に「祈り」の実践ということなのです。

それまでのわたしは、信じることと(信)と行うこと(行)とを、無意識に二項対立的なものと思い込んでいたのでした。ですから自分の、いつまでも「善い行いの伴わない信仰」ということに焦り、悩んでいたのだと思います。受洗後四、五年経った頃だと思いますが、井上神父に尋ねたことがあります。

「先生、僕は洗礼を授けてもらったのに、何も変わっていないように思うんですが・・・・。」

すると神父は即、

君ね、ほんとうに変わったか変わってないかは、神様の目から見なければ、わかるものじゃないじゃないか。そういうのは傲慢だ!
と、わたしを一喝したのでした。

当時、「南無アッバ」という具体的な祈りは、まだ井上神父の口からは出ていなかったわけですが、その境地――アッバと呼べる主におまかせ!という求道の目標について、わたしはまだ十分に思いをいたすことができないでいたのでした。

右の「信即行」「祈り=行い」とでもいうような、神父の求道性に接したとき、信か行かで分裂していたわたしの心は、ともかくも目標とする「着地点」のようなものが、おぼろにも見えてくるような気がしました。こうして、キリスト教でいう「愛」といわれるものも、積極的に前に出ていく「為す愛」に対して、「為さざる愛」というものもあるのだなあ、とわかってきたのでした。井上神父がいう「悲愛」は、まさに後者の「実践」――祈りの実践を最優先することを意味していたのだと思います。

そして自身も臨終間際まで、「南無アッバ」の祈りを実践しつつ天に召されたのでした。


〇どう祈るか
これも受洗の前の話ですが、井上神父に具体的にどう祈りを実践したらいいのか、聞いたことがありました。すると神父は、奥村一郎神父の書いた『祈り』という本を推薦しつつ、


たとえば、月に何回かミサに行くとか、聖書を毎日何ページとか決めて読めばいい。


と、まことに簡潔に答えてくれました。

また、受洗後しばらくはロザリオの祈りを熱心に唱えていた時期があったのですが、これについても、「先生、最近はロザリオをよく祈っているのですが、これを続けていれば何か見えてきますか?」と質問すると、井上神父は、


うん。十年続けていれば、見えてくるものがある。つまり、何も見えなくてもいいのだ、ということが見えてくる。


と答えたものでした。

これなども、当時は何か狐につままれたように感じたのですが、今振り返れば、何らかの境地に自分が達しようなどという不遜な思いを捨てて、自らの思いをもアッバにお任せせよ、「南無アッバ」せよ、という教えだったのだと思います。


〇父なしには落ちない


ちょうど私たちが飛んでも泣いても笑っても、この大きな大地の外に出ることがないように、私たちは大地のように大きな暖かな神の掌の中で生き育っているのだというやすらぎと勇気と希望、それこそイエスが死を賭けて伝えようとしたものだと思います。(『日本とイエスの顔』第二章 聖書を読むにあたって)


この一文は、『マタイによる福音書』の次の言葉を彷彿とさせます。

<二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。>(一〇章二九節、新共同訳)

しかし、新約聖書学の佐藤研氏は、この聖句を次のように訳出しています。

<二羽の雀は一アサリオンで売られているではないか。しかしその中の一羽すらも、あなたたちの父なしに地上に落ちることはない。>(岩波訳)

ギリシア語聖書(ネストレ第二七版)を見ると、新共同訳で「父のお許しがなければ」に当たる箇所は、「アネウ トゥー パトロス」となっており、「お許し」に相当する言葉は見当たりません。つまり、直訳としては「父なしに」が正しい。佐藤氏は、岩波訳の当該聖句の傍注で、次のように述べています。

<すなわち、地に落ちる時は神が支えてくれる、の意。「父なしに」をほとんどすべての訳は「父のお許しがなければ」(新共同訳)などに敷衍しているが、あらずもがなである。思想的には、一23の「インマヌエル」、二八20の「共にいる」参照。>(傍点原文)

新共同訳以外にも、現在日本に一般に流布している口語訳や新改訳、フランシスコ会訳も、「父の許し」と敷衍しています。

井上神父は生前、「翻訳というのは一種の創作である」というような指摘をされていましたが、なぜ多くの訳が原語にない「父の許し」という敷衍をしたのか。なぜ素直に直訳して「父なしに」としなかったのか。わたしは翻訳やギリシア語の専門家ではありませんので軽々なことは言えませんが、志村真氏(中部学院大学短期大学部)によれば、日本語聖書の「父の許し」翻訳は、アメリカで長い間使われた『改訂標準訳(RSV、1952年)』の影響が大きいといいます。

翻訳のプロが先人の訳を参考にすることは、当然のことでしょう。また、その言葉が置かれた文脈――前後関係にそって翻訳するというのも当たり前のことだと思います。さらに、マタイの神学、新約聖書の神学の理解・受け止め方・・・・と行けば、やはりそこには井上神父が言ったように、「翻訳は一種の創作」といった要素が、当然入ってくるものなのだと思います。ということは、創作的要素が全く入らない翻訳というものはありえない、ということになりましょう。

とすると問題は、原著者の意図をどのように反映した訳にするか、ということになると思います。右の例をうがって見れば、最初に「父のお許し」と訳した人は、父=神が、生きとし生けるものの運命を決定していく主体である、という神観を持っていたことは間違いないでしょう。しかし、人生の主役があちらにある、というのならば、井上神父の主張も同じです。

それよりも問題なのは、この訳の場合、「お許し」を出す「父」アッバが、あたかも生死の門に立つ閻魔大王のように、わたしたちの人生の外に立って第三者的に、生死の許可を出している、という印象を与えることにあるのだと思います。この「父」は人生の「審判者」であって、「同伴者」ではないのです。つまり、アッバたる神の「悲愛」で最も大切な「共に」が抜け落ちているということです。(つづく)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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アンソロジー井上神父の言葉(1)井上洋治神父の言葉に出会う(38)第4部   

「風」第98号2015年春

一 「南無アッバ」の由来


散歩のとき、白い雲の浮かぶ青空を眺めながら、すがすがしいまでに透明なけやきの葉ずれのささやきを聞いていると、なにか心が、見える世界の彼方へと、すーっとはこび去られていくようなやすらぎとこころよさとをおぼえます。先日、その葉ずれのささやきにすっぽりと自分をとけこませていたら、ふっと自然に次のような言葉が口をついてでてきました。
 
アッバ アッバ 南無アッバ
   イエスさまにつきそわれ
    生きとし生けるものと手をつなぎ
   おみ風さまにつつまれて
  アッバ アッバ 南無アッバ

このところずっと法然の魅力にひかれ、その生涯を貫いている精神に感動していたので、おのずからに南無という言葉が口をついてでたのでしょう。(詩集『南無アッバ』あとがき、一九九九年 初冬)


これが、井上神父自身が語る「南無アッバ」の誕生話の最初です。

神父は、これまで日本語として定着してきたキリスト教の「愛(アガペー)」をあえて「悲愛」と訳し、キリスト者の姿勢を「南無アッバ」という一語に集約する神学を打ち立てました。これらの造語は、すでに仏教用語として日本に定着している「慈悲」や「南無阿弥陀仏」などを想起させます。そのために短絡的な人々の間では、井上神父は仏教とキリスト教を混交しようとしているのではないか、と誤解されることさえあります。そうした危険をおかしてまで、なぜあえてこのような造語を用いるのでしょうか。

「悲愛」という言葉の成立については、本稿でも触れましたが(『心の琴線に触れるイエス』五五頁他)、仏教の「慈悲」から「悲愛」への発想経過を見ると、どちらかといえば神学的、学問的考察の結果として行き着いた造語と言えるでしょう。一方、「南無アッバ」の方は、かなり事情が異なります。

ここには、「南無」が「法然」研究による思い入れをきっかけとして、「おのずからに」湧き出た言葉であることが告白されています。そして、「ふっと自然に」「南無アッバ」という祈り(詩)が「口をついてでた」といいます。それは、リジューのテレジア、あるいはエレミアスとの邂逅以来数十年、神父が心に暖めつづけてきたイエスの神観を示すキーワード「アッバ」と、日本文化の中で馴染んできた「南無」とが神父のなかで自然につながった――思わず結び合った瞬間なのだと思います。

つまり「南無アッバ」は、理性による学問的考察の結果ではなく、井上神父の自然な心情から直感的、体験的に導かれた祈りであるということです。

こうして導かれた「南無の祈り」を実践したときの効用を、神父は次のように語っています。


僕はキリスト教徒ですが、「南無阿弥陀仏」という言葉には強く惹かれますね。空っぽになれるんだと思うんです。・・・・
僕は、いつも「南無アッバ」って称えているんです。仏教の「南無」とキリスト教の「パパ」を合わせて、「南無パパ、南無パパ」と日々やってるわけです。

そうするとやっぱりなんかすごく嫌なことがあっても落ち着いてくるんですよ。そんなことをやっているのは、キリスト教で私一人かもしれないですけれどね。

でも声に出してやってるとね、自分のなかにたしかな変化が起こるんだね。・・・・(井上洋治・寺内大吉対談「南無」と称える―広大なるものを身中に『The法然』第七号、二〇〇一年七月、二〇~二一頁)


先の「あとがき」が「一九九九年 初冬」に書かれたものなので、これは井上神父が「南無」の祈りを実践したときの初期の「南無アッバ」体験を語ったものと考えられます。

ここには「南無・・・・」になぜ「強く惹かれる」のか、どうして「空っぽになれる」のかは述べられていません。しかしともかく結果として「落ち着いてくる」し、「たしかな変化が起こる」というのです。これは、「南無アッバ」が現実的な効用(利益)を伴うという意味を含んでいます。

神父はじめ一般的にキリスト教は、いわゆる現世御利益ということには消極的ですが、祈りによる精神的な満足を否定するものではありません。晩年の井上神父もミサのなかで、「南無アッバ」のこうした直接的な効用を説いていました。そうした点でも、やはりこの祈りが、日本人である神父の自然な心情に合致しているものであることが伺われます。


この祈りが、何かいまの私の心情のすべてを表現しているように思われる(『南無アッバ』一七三頁)


以後、二〇一四年三月に亡くなるまでの十五年間は、ひたすらに「南無アッバ」へと集約されていく生涯だったのだと思います。晩年の井上神父は、〝わたしは、いろいろ本なども書かせてもらったけれど、今はこの祈りだけでいい〟と言っていました。
   *
求道俳句誌「余白の風」会員のSさんから、古い本を読んでいて偶然「南無アッバ」を見つけた、として一通のお手紙をいただいたのは、東日本大震災前の一月頃だったと思います。

わたしはびっくりしてすぐに、教えてもらった書名をたよりに、あちこちのインターネット書店を検索しました。幸運なことにそう時間をかけずにある古書店で、当の上智大学宗教教育研究所編『キリスト教を生きる祈り』(エンデルレ書店、一九七四年)という赤表紙の本を入手することができました。

この本は、第二十回上智大学夏期神学講習会講話集として、一九七三年の夏に、「祈り」をテーマに行われた十五名の方々の講演録をおさめています。当時の長江恵浦和司教をはじめ、カルメル会の奥村一郎神父、ドミニコ会の押田成人神父、浜尾文郎東京教区補佐司教など、わたしが井上神父と話したり飲んだりしていた頃に、よく話題に上った人達の名前が見受けられます。

そのなかの一人に、イエズス会司祭・上智大学神学部教授のP・ネメシェギ神父の名前があります。神父は「祈りの神学」と題して、

<人間は、正しく生きようとするなら、祈らなければなりません。祈りを忘れた人間は、さえずることを忘れた小鳥と同じです。・・・・したがって、真の祈りが何であるかということを神学的にみきわめ、その真の祈りの境地に達するよう、常に努力することは、何にもまして大切なことでしょう。>(一一七頁)

と述べ、「イエスの祈り」から始まって、「キリスト者の祈りの本質」を探り、「祈りの共同体性」「個人的な祈り」「自由な形でともに祈る」「絶え間ない祈り」等々、三十頁に及ぶ講話をまとめています。

まず注目すべきは、「イエスの祈り」としてネメシェギ神父が最初に引用しているのが、「ゲッセマネの祈り」であるということです。

<アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。>(『マルコによる福音書』一四章三六節)

井上神父が天に召される直前、この祈りを繰り返していたことが思い出されます。そして、

<イエスは一人で祈られましたが、実際には決して孤独ではありませんでした。>(一一八頁)

<イエスの祈りは、彼が「アバ」(父、お父様)と呼んだ神との絶え間ない対話です。>(一一九頁、傍点原文)

と解説しています。

その後、何度もイエスの「アバ」に触れて話を進めています。そして最後の項目「避けるべき危険」として、祈りについて五つの「警戒すべき」事柄をあげます。それをまとめてみますと次のようになります。

① 祈りを自分の欲望の手段として乱用しないこと。
② (行動すべきときに)祈りを行動のかわりにしないこと。
③ イエスも教えたように、祈りは多言を要さないこと。
④ 祈りの型の多様性を認めること。
⑤ 祈りに際して初心を忘れず、自負心を避けること。

どの項目についても今読んでみても、説得力のある話となっています。そしてこの③のなかで、ネメシェギ神父は次のように述べているのです。

<祈りはまさに、人間の貧しさの体験からほとばしり出た、真心からの叫び声でなければなりません。・・・・このような根本態度を表すためには、「神よ、私を助けてください」「イエスよ、私をあわれんでください」「キリエ・エレイソン」「ホザンナ」「アレルヤ」などのような単純な言葉の方が適切です。このような言葉を繰り返し用いることによってこそ、人は心の貧しさを身につけ、そこから真実でなまの信仰をもつようになります。仏教では古くから「ナム南無」という語が祈祷語として用いられています。これはサンスクリット語のあて字でして、原語は「帰依する」「より頼む」ことを意味します。多くの祖先が全幅の信頼を置いて唱えたこの「南無」という言葉を、日本のキリスト者も自分の射祷として用いたらよいのではないでしょうか。キリスト者の祈りは、もちろんキリストの祈りへの参与ですから、大慈大悲であるおかたを呼び求める際には、キリストが用いた「アバ」という言葉を用いるのがふさわしい、と思います。それで、日本のキリスト者は信頼をこめて、南無「アバ」と叫ぶとよいのではないでしょうか。>(一四四頁)

みなさん、驚かれましたか? わたしもびっくりして目を疑いました。先ほども書いたように、この講演は一九七三年の夏に行われたものです。井上神父の「南無アッバ」の第一声(一九九九年)どころか、処女作『日本とイエスの顔』(一九七六年)よりさらに三年も前に、「南無アバ」を提唱したのが、このネメシェギ神父だったということ。

このことを確認したわたしは、やはりどうしても、井上神父自身に確かめたくなり、手紙を書きました。するとすぐ、二〇一一年二月七日、神父から電話がありました。曰く、


〝ネメシェギ神父の「南無アバ」については、ぜんぜん知らなかった。ただ、一九七〇年五月から一九七三年三月までの三年近くは、ネメシェギさんと神学校で隣の部屋だった。休憩室も同じだったから、その間に確かにいろいろ話し合っていた。いい人だったが、法然や日本文化について、また「南無」や「アッバ」について話し合ったことはない。彼が、とくに「アッバ」を強調していたとも、聞いていない。〟


その後井上神父は中目黒へ移って、『日本とイエスの顔』を執筆していきます。今のところわたしも井上神父と同様、ネメシェギ神父がこの講演集以外に「南無アバ」を提唱し、あるいは推奨したという話や文章には出会っていません。

ネメシェギ神父の「南無アバ」と井上神父の「南無アッバ」。これは普通に考えれば、やはりまったくの偶然という他はありません。二人に数年間の交流があったにしても、右の電話での話のとおり、「南無ア(ッ)バ」に関する接点は皆無なのですから。

ここからはわたしの推測です。思うに、日本人が長い間培ってきた伝統的宗教心を理解するヨーロッパ出身のネメシェギ神父が、その伝統と、神父の「祈りとはどうあるべきか」との考察から、日本人キリスト者に対して、このような祈りはどうか?と提示したのが「南無アバ」ということ。それはネメシェギ神父の、いわば宗教的考察からの信仰的発明といえるのではないでしょうか。

先に見たとおり、「アバ」については、祈りをテーマにしたこの講演でも繰り返し言及されていますが、「南無」については一回だけです。井上神父からわたしが聞いた先の話も参考にすれば、もしかしたらネメシェギ神父は、この講演のために原稿を用意している時、あるいは実際の講演のなかで、「南無」と「アバ」を結びつけてはどうか、というひらめきを持ったのではないでしょうか。

いずれにしろ、神父の育ち来たった文化的背景や精神風土から「思わず」口をついて出た、という意味での「ひらめき」ではなく、どちらかといえば神学的な考察から出た言葉だと思うのです。

そしてそれから四半世紀後、偶然にも井上神父が、同じ「南無アッバ」を発見することになります。神父は「風」第八一号(二〇〇九年春)のなかで、「南無アッバ」との出会いについて、次のように回想しています。


一九九九年の五月のある日、さつき晴れに澄んだ心地よい青空のもと、私はひとり、けやき並木を散歩しながら、けやきの枝とかろやかにたわむれている風の音を聞いていた。と、そのとき、全く突然に、「南無アッバ」という祈りの言葉が、私の口をついてでたのである。

「風の家運動」をはじめてから十三年、ずっとアッバの求道性を歩み続けてきた私ではあったが、「南無アッバ」という言葉が突然に口をついて出たのには、正直言って、私としても思いがけない驚きであった。

それは、ちょうど海底を流れている幾つかの潮流が、夢中になって求道にあえぎ、苦しんでいる私をとらえ一つになって、私を一気に「南無アッバ」という岸辺に打ち上げてしまったという思いだったのである。(「南無アッバ」の祈りとお札につつまれて(一)、四頁)


「全く突然に」「口をついてでた」「南無アッバ」。これは閃きというより、啓示に近いかもしれません。だからこそ「思いがけない驚き」をともなうものだったのでしょう。先のネメシェギ神父の「・・・・南無『アバ』と叫ぶとよいのではないでしょうか」といった、いわば理性的な語り口の勧めとはまったく異なります。

井上神父はこの「驚き」を、「夢中になって求道にあえぎ、苦しんでいる私」が意識しない(できない)所で、「海底を流れている幾つかの潮流が」「一気に『南無アッバ』という岸辺に打ち上げてしまった」のだと分析します。そして、十年以上経っても、


未だに私には、この意識下をも含めた深い潮流が、どうして「南無アッバ」という岸辺に
私を打ち上げたのか、その道すじは全くわからない。(同)


といいます。

それまで「恩人」としてきたベルグソン(理性知から体験知への気づき)、テレーズ(赤子・童心の道)、パラマス(汎在神論へのヒント)、エレミアス(アッバの発見)への「アッバのお導き」そして、


法然上人への深い尊敬の念が、無意識にそこにはたらいているとは充分に考えられはするのだが、しかしどうもそれだけではないような気が私にはするのである。(五頁)


として、「南無アッバ」の発心について、


東洋人とか日本人とか言えるかどうかはわからないが、私自身の血の中にしっかりと根づいて流れている何かが、アッバのお招きと関係づけられている気もして仕方がないのである。(同)


と言っています。このあと、「もぐらの穴ほり」のように、井上神父の「無意識の底」にある、前者以外の「古人、先輩」について思いを巡らします。

この経過は、先のネメシェギ神父が「南無アバ」にたどり着いた経緯と比較すると、ちょうど逆の関係になり興味深いものです。ネメシェギ神父は「祈りの神学」を「イエスの祈り」の「アバ」を根幹に置いて展開しながら、日本人になじみのある「仏教」の「南無」に注目して、「日本のキリスト者」へのアドバイスとして「南無『アバ』と叫ぶ」ことを奨励します。つづめていえば、「祈りはどうあるべきか」という「神学」的考察――イエスの祈りを原点とした総論的考察から出発し、各論として日本の伝統を加味した祈りの形――「南無アバ」にたどり着いた、いわば理性知的な営みの所産ということになりましょう。

それに対し井上神父の場合は、「無意識の底」から思わず口をついて出た体験知としての「南無アッバ」がまずあって、のちに「もぐらの穴ほり」のようにその根底を理性知的に振り返ろうとするのです。わたしは、神父が学生時代に出会った心の師ベルグソンから学んだ、「~について知る」ことと「~を知ること」という二方法の考え方を思い起こします。

さらにうがった見方をすると、この「南無アッバ」という言葉は、これまでの日本人キリスト者からはけっして出て来る言葉ではなかったろうとも思うのです。少なくとも、日本人キリスト者がネメシェギ神父のように理性的に考えて、「こういう祈りはどうですか」という形ではけっして提案しはしないと思います。なぜなら、これまでの西欧直輸入のキリスト教に疑いを持たず、これを基準に是非を判断してきた日本のキリスト教のなかで、「南無・・・・」などと唱えれば、たちまち「混交主義だ」、「異端だ」と非難されるのは、目に見えているからです。たとえそうした祈りがいいのではないか、と思いついたとしても、それを公言してまで広めようとする日本人キリスト者はいないだろうと思います。

皮肉なことですが、「南無アバ」はことさら西欧を意識しない――絶対視しない外国人であるネメシェギ神父だからこそ、「こういうのはいかがですか?」と日本人に向かって言えたのだと思うのです。(つづく)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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井上洋治神父の言葉に出会う(37)第31章11~15(第三部おわり)  

「風」第97号2014年夏・秋掲載

一一 「人を裁く」ことの問題点

パウロの回心――「主我的段階」から「無我的段階」へ――を考えるために、旧約聖書から『ヨブ記』、新約聖書から<金持ちの男>ほか、いくつかのペリコーペに触れてきました。少し補足します。

件の『ルカによる福音書』一八章<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>(以下、<<たとえ>>とも略記)でイエスが批判したのは、「こんな駄目な人間(徴税人)とは私はちがうのだ」という「ファリサイ派」の「人を裁く姿勢」(『キリストを運んだ男』三三頁)――悲愛の欠如ということでした。そして井上神父は、

<イエス自身とファリサイ派との衝突の原因はまさにそこにあったのである。>(同)

と言っています。
「人を裁き」、人に石を投げるということは、もちろん良くないことですし、それが「悲愛の欠如」であることは、まったくそのとおりです。ただわたしたちは日々の生活の中で、たいていは口に出さないまでも心の中で、しばしば人を裁いてしまっているように思います。「裁くな」と言われても無意識に裁いてしまう、そこにいかに自己中心性――エゴイズムが根強いものかを感じるわけですが、ここでもう少しわたしなりに――例の青野神学にヒントをもらいながら(多分に我田引水的になるかもしれませんが)――考えてみたいと思います。すなわち、なぜ、そこまでイエスは「人を裁く」ということを嫌ったのか、ということをです。

本稿第三部ではずっと件の<<たとえ>>について井上神父の著書をほぼ時系列的に見てきたわけですが、処女作『日本とイエスの顔』において、すでに井上神父は、「神に代わって」「人を審(裁)く」ことこそ、イエスが最も嫌った姿勢であると強調しており、それを受けてわたしは、

<他者を裁かないことが、イエスの言う正しさであり、それは「ひかえ」の姿勢そのものということになります。>(「風」第八一号、三九頁)

とも述べました。
なぜ「裁いてはいけない」のか、わたしの言葉で言い換えれば、なぜ「ひかえ」の姿勢が奨励されているのか、『キリストを運んだ男』では井上神父は次のように述べます。

回心前のパウロに見られるように、「自分のために神を求めている」主我的段階にある者は、一生懸命ではあるが、ややもすると、

<天に代わるという、傲慢と思い上がりのもっとも大きなあやまち、罪の状態に陥るおそれがある。パウロによれば、本当の意味における罪とは唯一つしかない。それは神の前に己れの義を立てることに他ならない。>(三六頁)。

――これが青野氏のいう「単数で語られる罪」だったわけです。つまり主我的段階にとどまる限り、知らず「傲慢と思い上がり」の「自己義認」が増していき、いつのまにか「神に代わり」「人を裁く」、そこに本来の罪があるということです。だから自己中心から自己相対化、宗教的には主我的段階から無我的段階への移行という回心が必要なのだ、というわけです。

一二 根底に神の「しかり」と「無条件のゆるし」

ここで少し突っ込んで、というより素朴な疑問として考えると、「神に代わって」「人を裁く」とはどういうことでしょうか。
「アッバ」なる神の本質は「悲愛」であり、したがってアッバは、

<悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる方>(『マタイによる福音書』五章四五節)

であり、

<不信心な者を義とされる方>(『ローマの信徒への手紙』四章五節)

であったわけです。それゆえに、

<人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。>(『マルコによる福音書』三章二八節)

とイエスは断言されたのだと思います。アッバの本質が「裁き」ではなく「ゆるし」である、という原点に帰ったとき、その根底にある「無条件・無制限のゆるし」を越えて――ファリサイ派であれ誰であれ、人が人を裁こうとするとき、それはアッバの「無条件・無制限のゆるし」を認めないこと、引いてはアッバの「悲愛の本質」を否定することになるのではないでしょうか。

この「無条件・無制限のゆるし」の「福音」は「無条件・無制限」ゆえに万人に開かれています。「そんなことはない。律法をしっかり守らない――(井上神父の表現を使うなら)『神様の顔に泥を塗っている』やつらにまで、そんな都合のいい話はない」とファリサイ派は考えたかもしれません。しかし事実は、井上神父が『ルカによる福音書』一八章の三つのペリコーペを検討しつつ<金持ちの議員>の「中心点」として述べたとおり、「人にはできない事も神にはできる」――この文脈で言えば、金持ち(でさえ)も神の国に入ることができるのです。誤解を恐れず言うなら、「そんな都合のいい話」であるからこそ、驚くべき「福音」(良き知らせ)と呼べるのではないでしょうか。

それゆえ、自他を分別し、自らを「ファリサイ」(分かたれた者)として「義人」「神を恐れる者」とし、律法を守らない(守れない)者を悪しき罪人して「裁く」ことは、アッバの御心から最も遠いことになります。反対にイエスは、また井上神父の愛するテレジアは、このように誰をも「裁くことなく、まず受け入れる」(風の家の祈り)母性原理に立つアッバを見事に見抜き、「赤子・童心」「子供心」をもって、安心してアッバに甘えることを奨励したのでした。

根本にアッバの「無条件・無制限のゆるし」、神の「しかり」があるということ、そして「裁く」ことは、その「しかり」の否定であるということ、このことを青野神学から学んだわたしは、アッバ神学=井上神学の「悲愛」ということも、より鮮明に理解できるようになったように思います。

さらに言えば本稿では、罪=エゴイズムの問題や「自己相対化」の必要を井上神学から学んできたわけですが、それらも神の「しかり」、「無条件・無制限のゆるし」があってはじめて問題になってくるのだ、ということも改めて知ったのでした。したがって、ここまで『キリストを運んだ男』で見てきたような、主我的段階から無我的段階への移行ということも然り。神の「無条件・無制限のゆるし」が大前提になっているということです。

井上神父は『わが師イエスの生涯』の中で、

<福音書は、生前から死後の「復活者顕現物語」まで、まさに一貫して、(アッバ、またそれを体現したイエスの)ゆるしのまなざしによる、弟子たちや人々の回心の物語である。>(一九〇~一九一頁ほか)

と言っています。だからこそ、イエスの弟子たちがどのように「回心」したか、引いてはわたしたちがどのように回心に導かれるのか、が福音書(新約聖書)の「実践指導書」(『日本とイエスの顔』)としての大切な意味になるわけです。しかしそのためにはまず、この定義の前半、「アッバのゆるしのまなざし」をしっかりと抑えていなければならないのです。

そこで今ふりかえれば、わたしが井上神父と出会い、洗礼を受けてから後も、「為す愛」の倫理問題などで心が揺れていたのは、このアッバの「無条件・無制限のゆるし」、神の「しかり」への信頼が不十分であったから、とも言えるのです。

一三 「回心」を振り返る

井上神父は『キリストを運んだ男』第二章で、『ルカによる福音書』二三章や『使徒言行録』七章、同九章などを引用し、福音記者ルカの意図をたどりながら、パウロの回心への道を次のように推測します。すなわち、『使徒言行録』にあるようなパウロの決定的回心――それはルカの文学的脚色を含むとしても――には、なんらかそれを「準備」する期間、出来事があったはずである。その最大のものが、ステファノの殉教にパウロが立ち会ったというルカの記事にある、と。

<ルカは、死の場面でのイエスの言葉と姿勢にステファノのそれを重ね合わせることによって、一体何を言いたかったのだろうか。パウロは、自分が迫害していたキリスト者の姿と重ね合わせにイエスの生き方を見、そこにおいてイエスの悲愛の真髄にふれたのだ、ルカはそう言いたかったのではないだろうか。>(四七頁)

これが「第二章 ファリサイ人と徴税人の祈り」の結語です。
さらに神父は、次の「第三章 回心への道程(みちのり)」に入って、パウロと「同種の体験」を「自分の中で想像力を使って拡大」することにより、「パウロの回心の過程に迫」ろうとします。そこで例の「リヨンの回心」体験が述べられます。これについては、井上神父の他の著作でも度々取り上げられていますが、本稿においても件の<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>を追っていく大きなきっかけになった重要な体験ですので、この本からも該当箇所を改めて引用してみたいと思います。

<今からもう三十年以上もまえのことになるが、私は大学を卒業してフランスに渡り、カルメル会という修道院で生活していたことがあった。カトリック教会に入信してからそう長い歳月がたっていないこともあって、ファリサイ派にも似た〝頑張リズム〟の生活を送っていた。全身の努力で、人はかくなければならないという道を走っていたような気がする。今から振りかえれば、まことに気恥ずかしいような、またいとしいような思いがするのであるが、とにかくそのときは一生懸命で、倒れてのち止まん、というような意気込みであった。しかし時がたつにつれて、何かある空しさというか、あせりというか、精神的な息苦しさというか、うまく言葉では表現できないが、何かそういった鈍い痛みのようなものが私の心をとらえていった。それはちょうど、走っても走っても追いかけてくる自分の影法師からのがれようとする努力にも似ていた。私は、更に自我との戦いへの努力に拍車をかけた。それでもなお何か、向こう側からどかんとぶつかってくる壁にであわないといったようなむなしさに追いかけられていたのである。私が先ほどの「ルカ福音書」一八章のイエスのたとえ話に出会ったのは、まさにそのようなときであった。>(五〇~五一頁)

本稿第三部でわたしは、この井上神父の回心体験を、『日本とイエスの顔』(一九七六年)や『余白の旅』(一九八〇年)などから取り上げ、その「強烈」で「深い」「衝撃と不安」に焦点をあてて分析を試みました。しかし右の引用箇所では、むしろその決定的な回心に至る前の精神状態が、神父自身によって詳しく語られています。それは、「人はかくなければならない」という「ファリサイ派」的「〝頑張リズム〟の生活」のなかで感じる「空しさ」「あせり」「息苦しさ」であり、また「鈍い痛み」を伴うものだったといいます。

しかしその苦しかった日々を「今」(一九八六、七年)振り返ると、「気恥ずかし」くも、「いとしいような思い」がすると言っています。おそらくそれは、処女出版である『日本とイエスの顔』から一〇年を経て、念願の「風の家」を立ち上げられたことによる安堵感のなかで、三十有余年前の「頑張リズム」の若き日々を客観視し、静かに受け入れている証左であると思います。そして同時にそれは、あの苦闘の日々から回心を経て今日に至るまでの、日本人キリスト者としての課題――自ずから心の琴線に触れるイエスを求めていくという長い旅路のはじまりを、忘れがたい思い出として常に心に刻んでいる証拠でもあるのではないでしょうか。

一四 三つの祈り

この回心体験を振り返りつつ井上神父は、パウロの「回心への道程」を推測していきます。

<律法に熱心であればあるほど、忠実であればあるほど、ある種の不安にも似たむなしさが、意識の奥からはいあがってくる気配をパウロは感じていたにちがいない。>(五一頁)

パウロのこの「不安にも似たむなしさ」は明らかに、ヨーロッパにおける修道士・井上が感じていた「あせり」「空しさ」と二重写しになっています。テレジアの境地を求めてはるばるフランスに渡り、修行に励みながらも、どこかでその努力が空回りしている「空しさ」。それは人一倍、律法の実行に励みながらも、ついには神との出会いにまで至らなかったパウロの「空しさ」と根を同じくするものと推測されます。

その根本原因とはすなわち、「からだの中の律法」、「常に自己を主として生きんとする、いわば業のようなもの」であると、神父は分析します。これがまさに、先に記したような、「人を支配する」「根源的な倒錯」としてパウロが最も重視した「単数で語られる罪」なのだと言えましょう。

こうして、律法に熱心である程わきあがる「むなしさ」――「律法において、神に出会い、相対化されえなかったもどかしさ」を感じていた迫害者パウロは、ステファノに象徴されるキリスト者たちの殉教を目の当たりにし、一八〇度の回心に導かれます。それはパウロが、こうした信者たちの、すなわちパウロが迫害してきた人たちの生きざまをとおして、「イエスの悲愛の精神にぶつかった」からである、と神父は言います。

<そのときパウロは、迫害しているキリスト者のなかで、自分に怨みや呪いを投げかけてくるのではなくて、あのイエスのような、またステファノのような祈りを神にむかって捧げる信徒に出会ったのではなかっただろうか。>(六八頁)
ルカの示した文脈から井上神父は、機が熟した迫害者パウロが出会ったのは、自分が迫害している当のキリスト者の、思いもかけぬ祈りであり、それは遡ってステファノの、そしてイエスの悲愛の祈りだったと推測します。

<張りつめられた糸はいつか切れる。熟した柿の実はいつか地に落ちる。
律法という神の意志を自らの背に荷い、律法を守らない者、駄目な者を片っぱしから裁き続けてきたパウロは、ふとあるとき、自分の歩んできた道の後ろに、パウロに無残に切り捨てられながらも、なお「罪人の私ですがどうぞよろしくお願いします」という、あの「ルカ福音書」一八章の徴税人の祈りを繰り返している人たちの、切々たる痛みと哀しみの叫びを聞いたのではなかっただろうか。そしてそれによって、それまでの自分の人生が、いっきょに足もとから、がらがらと音をたてて崩壊していくのをおぼえたのではなかっただろうか。>(六八~六九頁)

ルカによれば、迫害者パウロが聞いた「思いもかけない」祈り――「あのイエスのような」祈りとは、具体的には、『ルカによる福音書』二三章の言葉、

<「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」>(三四節)=(A)

<「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」>(四六節)=(B)

です。また、「ステファノのような祈り」とは、『使徒言行録』七章の言葉、

<「主イエスよ、わたしの霊をお受けください。」>(五九節)=(B′)

<「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」>(六〇節)=(A′)

です。
先に井上神父は、ルカがイエスとステファノの死の場面を重ね合わせることによって、当時の「キリスト者の姿」がパウロを回心に導いた、と言いたかったのだと推測していました(四七頁)。そしてここでは、<<たとえ>>にある「徴税人の祈りを繰り返している人たちの、切々たる痛みと哀しみの叫び」がパウロの回心を導いた、と言っています。ということは、神父のなかでは、イエスやステファノの末期の祈りと<<たとえ>>の「徴税人」の祈りとが同定されているということになるのではないでしょうか。

一五 結実する「徴税人」の祈り

右のイエスやステファノの祈りのうち、AやA′は、自分を迫害する者、敵を呪うのではなく、どこまでも赦そうとする、「ゆるし」と「とりなし」の祈りです。それはいかなる人をも裁かないアガペー・悲愛の究極の表出であり、パウロの見方からいえば、「不信仰」で働きのない者を無条件・無制限に赦す(『ローマの信徒への手紙』四章五節)――義とするアッバにならう、すなわち、後に「信仰義認論」として展開される神観にもとづく祈りと言えましょう。

また、BやB′は、すべてをアッバにお任せし、「ゆだねる」南無の祈りです。

そしてこれら「ゆるし」「とりなし」「ゆだねる」祈りが、井上神父によって「徴税人」の祈り――
<神様、罪人のわたしを憐れんでください。>(『ルカによる福音書』一八章一三節)

と同定されているのです。
この祈りの意味について神父はさまざま書いており、この場でもそれらを逐次取り上げ、述べてきました。本稿第三部は、およそその意味の探求に費やしてきたと言ってもよいでしょう。

たとえば、「悲愛へ導く行として」「いつでも自分の至らなさと醜さとに自分の胸を叩き」「しかし同時に、」「その(罪人の)自分をそのままの姿で包みこんでいてくださる神の無限の悲愛の心に感謝し、合掌し、少しでもイエスの心に自分を近づけてくださることを願っている」――「アッバへの絶対信頼の祈り」として(「風」八五号)。

あるいは、「自分の至らなさを恥じ、そしてわびる」――本稿第二部でみた「至らなさ」の自覚や「恥」意識、また「申し訳ない」と「わびる」ところの「罪意識」を持つ祈り――わたしたち日本人キリスト者が常に振り返るべき「信即行」の祈りの模範として(「風」九三号)等々。

これら三者――イエス、ステファノ、「徴税人」の祈りを同定する井上神父の思いとはどのようなものなのでしょう。

まず、「徴税人」の祈りは直接的には、自分は悪い者ではあっても、すべてをアッバにお任せしよう――罪人の自覚と神に対する全幅の信頼の祈りと言えます。ということは内容的に、先のイエスの祈りB、ステファノの祈りB′につながります。
しかしこの「徴税人」の祈りは、これまでみてきたように、罪の自覚と神への信頼に留まらず、そこから、祈る者を「イエスの心」へと近づけ、人に石を投げず、人を裁かない、「為さざる愛」――悲愛へと導く、積極的な意味を持ったものでした。まさにその具体が、イエスやステファノの最期の祈り――他者を「ゆるし」「とりなす」祈りA・A′として表出しているのではないでしょうか。

第三部では、井上神父が言及する「信仰の秘密」ということも検討しました。すなわち、なぜイエスは、ダメ人間とわかっているわたしたちに、それでも悲愛を説いたのか、という問題です。そこで得た結論は、わたしたちが、「徴税人」の祈りにならい、罪の自覚とアッバへの信頼を深めるほど、「イエスの心」――悲愛へと導かれるのだ、という一事です。そこに「信仰の秘密」があるのだと。

ルカの筆によれば、イエスの祈りはA→B、ステファノの祈りはB′→A′と、順序が逆になっています。これはわたしの推測ですが、ルカは、AA′―BB′の前後関係を不可逆的なものではなく、わたしたちが頭を下げるほど悲愛へ、悲愛の心が増すほどまた頭を下げる、という相互作用として捉えていたのではないでしょうか。

総じて、「徴税人」の祈りの究極的な形――悲愛の姿がイエスとステファノの最期の祈りに結実している、そのように井上神父は受け取っているのだと思います。(第三部おわり)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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井上洋治神父の言葉に出会う(36)第31章7~10    

「風」第95号2013年冬掲載
七 <金持ちの男>

ここでわたしはさらに、『マルコによる福音書』一〇章にある、<金持ちの男>の話を思い出すのです。井上神父は『キリストを運んだ男』の中ではこのペリコーペについて触れていないのですが、かつてわたしは、勤務校の「世界文化史」という授業のなかで、生徒に次のように解説したことがありました。まったく聖書の予備知識がないことを前提とした、高校生向けのものではありますが、今度は当時の原稿から抜粋させていただきます。
――――――――
<――『マルコによる福音書』一〇章一七~二七節を引用(略)――

「ある人が(イエスの所に)走り寄って、ひざまずいて尋ねた。」(一七節)という記述からは、この人のそのときの気持ちが察せられます。
 かなり焦りというか、せっぱつまった感じです。
 また、「ひざまずいて」というのですから、この人はイエスを尊敬していたんでしょうね。
 今まで話したことはなかったんだろうけど、うわさで伝え聞いたりしてイエスのことはだいたい知っていた、すごい人らしい・・・・そんな感じでしょう。
 そして呼びかける、「善い先生!」と。やっぱりイエスを尊敬していたことを思わせる言葉です。

 ところが、イエスはこの呼びかけに対して、「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。」(一八節)と答えます。
 このイエスの最初の反応は、どうだろう?
 すぐ思いつくのは、イエスの謙虚さ、謙遜ってことだね。

 「自分は『善い先生』などと呼ばれるほどの者じゃないよ・・・・」という、偉い先生だからこその謙虚さ――。
 ただぼくは、それだけのことなのかな? と勘ぐっちゃいます。
 何かもう少し深い意味が隠されてやしないか・・・・どうだろう?
 ・・・(略)・・・
このイエスの否定の言葉をもう少し、つっこんで考えてみたい。単にイエスの謙遜の思いから発した言葉じゃない、ということをね。

 それで、この場面をもう一度、想像してみましょう。
 「ある人」はイエスに「走り寄って」、「ひざまずいて」、いきなり、「永遠の命を受け継ぐためには、何をすればよいのでしょうか。」といいます。
・・・(略)・・・
きっとこの「ある人」は、すごく真面目で一途な人だったんでしょう。
 それはこの後の一八~二〇節あたりのイエスとのやりとりからもわかります。
 人生、いかに生きるべきか、ってことを真剣に考えていたんだろうね。
 だからこそ、ともかく早くその解答を「善い先生」に教えてもらいたい、そういう気持ちが強かったんでしょう。
 
 「金持ちの男」は、神の掟をいっしょうけんめい守って、幸福をつかもうとしました。
 原文一九節の、「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」っていうのは、「モーセの十戒」といって、キリスト教が出てくる母胎となったユダヤ教では、基本中の基本の掟です。

 ユダヤ教というのは、こういう掟=「律法」を怠りなく守ることで、救いに預かれる、って信じている宗教です。
 でもこうした掟をいくらきまじめに守ってみても、どうも今ひとついきいきした充実感がない・・・・。先祖代々の掟をしっかり守れば救われる、と言われてきたのに、どうもちがう感じがする・・・・、とても正直で、誠実な青年の気持ちです。
 でもなんでだろう?

 ここからはぼくの読み、解釈になるわけだけれど、それは根本的に、自分がいっしょうけんめい掟を守ろうとすればするほど、「おれがこの掟を守る、おれが頑張る、おれ、おれ・・・・」という「おれ」意識にがんじがらめになっちゃっていたんじゃないかと思うんです。

 まじめに人生を考えよう、もっといきいきと生きていきたい、そういう希望を持つからこそ、一生懸命頑張る。でも頑張れば頑張るほど、「おれ」が頑張ってる、自分が努力している、という意識=「おれ」意識にかたまっちゃう。まわりで人が倒れていようが、目に入らない・・・・そこに根本の問題がある。なんか哀しいけど、これがぼくたちの現実なんじゃないかな、って思う。

 この「金持ちの男」はある意味でぼくたち人間の代表といってもいいんじゃないかな、と思えてくるんです。
 そこで、「善い先生!」という彼の呼びかけに対して、イエスが「わたしはそういう者じゃないよ」ってかわしたのがジャブだとすれば、二〇節、彼が、「先生、そういうこと(掟)はみな、子供の時から守ってきました」と胸を張って答えたのに対して、今度は二一節、イエスが、「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」っていうのは、ノックアウト。つまり、「金持ちの男」の「おれ」意識=自我(自己)中心性をイエスがたたいた、ということじゃないだろうか。
 
 でもね、「金持ちの男」に意地悪したんじゃないと思う。
 それは、二一節の「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた」という言葉からも明らかだ。
 この男を思いやって、彼の「おれ」意識、自我にジャブをかまし、ノックアウトしたんだと思うんです。
 そういうふうに、ぼくはこの話を読んでいます。

 ぼくたちはいつも、なにかにしばられている感覚とか、将来への不安、そういうものから自由になることを願っていないかい。どんな高尚な哲学を持ってきてもこの現実は否定しようもない。
 
 <その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。>(二二節)
 
 この話でイエスは、結果的に彼を突き放したように終わっているけど、そうじゃないと思う。
 「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた」(二一節)という言葉には、この男はけっきょく財産を捨てられないだろう、ってことをイエスが十分承知していた、というニュアンスも含まれているんじゃないかな。

 それでも、この男に自分の中の「おれ」意識に気づかせる必要があった。そうしなければ、この人にほんとうの幸せはこない、そう思ったんだろうね、イエスは。
 この男が無意識にこだわっていた「おれ」意識。それは、「財産を捨てろ」といわれて、やっぱり「捨てられない」財産へのこだわりとして顕在化(表面にあらわれること)、意識化された。気づかされた。
 ・・・(略)・・・>(「『おれ』意識――自己中心性の問題」(二〇〇八年)より)
――――――――――
このペリコーペは、ヨブに病を契機とした自我粉砕体験があったように、この「金持ちの男」にも、イエスによって自我中心性の気づきが与えられたことを述べているのだと思います。

八 福音記者の編集意図

ちなみに、このペリコーペの並行箇所を含む各福音書の前後の構成は次のようになっています。


『マルコ』一〇章以下:離縁について教える→子供を祝福する→金持ちの男→イエス、三度自分の死と復活を予告する
→ヤコブとヨハネの願い
『マタイ』一九章以下:離縁について教える→子供を祝福する→金持ち青年→「ぶどう園の労働者」のたとえ→イエス、三度死と復活を予告する
『ルカ』一八章以下:「やもめと裁判官」のたとえ→「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ→子供を祝福する→金持ちの議員→イエス、三度死と復活を予告する


 この表を眺めてみますと、件の<金持ちの男>(「青年」または「議員」)は、三福音書とも<子供を祝福する>の直後に置いています。歴史的には『マルコ』が一番古いので、マルコの編集に『マタイ』と『ルカ』がならったもの、うがった見方をすれば、これら二つのペリコーペをつなげた福音記者マルコの編集に、マタイやルカが同意したということだと思います。

 では、この二つのペリコーペの「つながり」にはどんな編集意図があるのでしょう。先にわたしは<善いサマリア人>と<マルタとマリア>の「つながり」の意図を想像してみました。同じように、以下はわたしの推測でしかないのですが、アッバ神学を学ぶ者として、次のように編集意図を考えてみました。

すなわち、<金持ちの男>に上に述べたような、自己相対化の契機を促す意図があったとすれば、その直前にある<子供を祝福する>は、その意図への導入、同意、強調、あるいは補足する意味があったのだろう。と。

『ルカによる福音書』における<金持ちの議員>は、件の<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>と同じ一八章に、<子供を祝福する>を挟んでその後に配置されています。この編集にも大事な意図を感じます。
井上神父は「幼子の心・無心」と題した『日本とイエスの顔』第八章で、次のように語っています。

<ルカがこの話(<金持ちの議員>:平田注)を、先程も引用した〝取税人とパリサイ人の神殿での祈り〟のたとえ話と、童心に帰ることをすすめたイエスの言葉とのすぐ後に置いているということを、私たちは見のがしてはなりません。ルカがこの金持の役人の話を、前の二つの話と連関したものと考えていることは明らかなことだといえます。

だからこそ、ルカはこの三つの話を一八章に並べて編集するという作業をおこなったのだと思います。そう考えれば、この話の中心点は、持ち物を全部売り払えという点にあるのではなくて、いちばん最後の〝人にはできない事も、神にはできる〟というイエスの言葉にあることがわかります。>(二一一頁)

九 「幼子の心」と自己相対化

一九八〇~八一年にかけて、井上神父の『日本とイエスの顔』の輪読会に出ていた頃(『すべてはアッバの御手に』「プロローグ」参照)、この「子供」の態度が推奨されているのは、その純粋無垢な子供のイメージではなくーー子供は子供なりのエゴイズムを持っている――そのストレートな他者依存性にある、と聞いてショックを受けたことを思い出します。

若かったわたしには、他者依存――人に甘えるということが、どうにもマイナスのイメージでしか捉えられなかったからです。
しかし「子供」の他者依存性――「幼子の心」は自己絶対化たるエゴイズム(罪)をこえた自己相対化と密接に関係します。

<①弱ければ弱いほど、みじめであればあるほど、不完全であればあるほど、神はその人を愛してゆたかな恵みを下さるのだ。
②童心に立ち返って、只ひたすらにこの神の深い憐れみの愛を信頼すること――それだけでよいのだ。
③エゴイズムや汚れなどというものは、神のふところに飛び込みさえすれば神がご自身できれいにしてくださるのだ。>(『私の中のキリスト』七三~七四頁、数字①~③は平田付記)

これは、本稿第三部ですでに引用した井上神父の言葉ですが、晩年に「わたしの人生はテレジアに始まりテレジアに終わる」と神父に言わしめた、リジューのテレジアの霊性――「童心・赤子」の道が、端的に示されています。
この機会にこの言葉を使って、井上神学――アッバ神学における「幼子の心」と自己相対化との関係を確認しておきたいと思います。

①「弱ければ弱いほど、みじめであればあるほど、不完全であればあるほど、神はその人を愛してゆたかな恵みを下さる」とは、
<わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。>(『マルコによる福音書』二章一七節)
というイエスの言葉を思い起こさせます。それは、
<悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる>(『マタイによる福音書』五章四五節)
アッバなる方の、無条件・無制限の「ゆるし」を意味しています。

②この「ゆるし」「愛」「恵み」をいただくためには、「童心に立ち返って、只ひたすらにこの神の深い憐れみの愛を信頼すること」、ただ「それだけでよいのだ。」
今わたしは「いただくためには」と書きましたが、ここで気をつけなければいけないのは、②が①の必要条件になっているのではない、ということです。①なるアッバの「恵み」「ゆるし」――「愛」は、文字通り「無条件・無制限」なのであって、こちら側――人間の態度によって、それに応じて変わるものではないのです。

一〇 「信仰義認論」とアッバ神学

この辺りのことは「信仰」と「行い」についてすでに述べたことと関連してくるのですが、パウロは、
<不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。>(『ローマの信徒への手紙』四章五節)
と言います。「働きがなくても信仰がある」というとき、「働き(行為・律法)」に代わる「信仰」があれば「義」=正しい者とされるのだ、という意味で「信仰義認」が語られることがありますが、この聖句ではそうは言っていません。

まず根本原理として、「不信心な者を義とする」と宣言しているのです。「不信心な者」とは、文字通りには「信仰のない者」「不敬虔な者」であり、なかには、「神を神とも思わない者」などと説明している解説書もあります。つまりそもそもが、その人の「働き」(行い、律法)も「信仰」すらも問題にせず、無条件・無制限にゆるされる、ということを宣言しているのです。

その上で、そうした無条件・無制限の「ゆるし」をお与えになる「方を信じる」――神はそういう方なのだ、ということを受け入れて信頼するなら、その「信仰」が「義」とされる、というわけです。
パウロの「十字架の神学」研究で知られる青野太潮氏は、次のように述べています。

<なぜならば、パウロの信仰義認論は、神なき不敬虔な者を、たとえ働きがなくても、行ないがなくても義とされる神の意志に基づいているのであって、信仰とはただその神の意志を受容することを意味しているからである(ローマ四・三以下)。つまり、神が義と認められるのは、その弱さと罪深さ、足りなさのすべてを内に含んだままの人間そのものなのであって、そのいわば陰の部分を取り除いた「良質」の部分だけを義と認められるわけではないということが、そこでは意味されているのである。

このことは、神はまさに人間の弱さのうちに働かれるということとひとつであるということと同時に、将来の完全な救いが何か現実の弱さを担った生身の人間とは質の異なった存在を指示するのでは決してない――もちろんパウロの考える将来の救いが、生身の人間と同じ肉体を伴っているなどという意味ではもちろんない――ということをも意味しているのである。>(『「十字架の神学」の成立』一一九~一二〇頁、傍線平田)

とくに『ローマの信徒への手紙』四章五節を中心にパウロの「信仰義認論」を語る青野氏の考えは、アッバ神学を補強してくれるもののように思います。というのは、右に述べた意味での「信仰義認論」――無条件・無制限に罪人を「ゆるし」――「人をだめにしてしまうかもしれない程のゆるし」(青野)――「しかり」を与える神を信じるということは、まさに「アッバ」と呼ばれるにふさわしい母性原理の神に信頼することだからです。

前述のとおり井上神父は、『ルカによる福音書』一八章の三つのペリコーペの並び方を見据えて、<金持ちの議員>の「中心点」は、
<人にはできない事も、神にはできる>(二七節)
――人の知恵にはどんなに不可能と思えることも、神には可能なのだ、というエスの言葉にあると結論づけました。そのことと、神が、先の「信仰義認論」にあるような、無条件・無制限の「ゆるし」を与える母性原理の神――アッバであるということとを考え合わせるならば、次のよう言うことができるのではないでしょうか。

すなわち、わたしたちは安んじて、自らの計らい――「エゴイズムに汚れているこんなわたしではダメだ」という恐れをこえて、「童心・赤子」の心に帰って、テレジアのように大胆に、いわば図々しく、このダメなわたしを委ねるべきだということ。そして、
③そのときから、わたしたちの「エゴイズム」や「汚れ」は「神がご自身できれいにしてくださるのだ」ということです。

これを、現在のわたしなりに敷衍すれば、むしろ、「エゴイズム」や「汚れ」をこえて、あるいはそのままで、十字架のイエスに示された、アッバの無制限・無条件の「ゆるし」と「しかり」のなかに、抱き取られていくのだ、ということになります。その有り難さのなかでわたしたちは、少しずつ変えられ、自己相対化の道を歩ませて頂けるのではないでしょうか。(つづく)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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(35)第31章3~6 「風」第94号2013年夏・秋掲載  

三 パウロの回心

<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>からイエス自らが語った「結論」――だらしない「徴税人」の祈りは神に聞き入れられ、立派な「ファリサイ派の人」の祈りは聞き入れられなかった――によって心を揺さぶられ、ファリサイ派パウロは「回心」した、と井上神父は言います(『キリストを運んだ男』三一頁)。もちろんパウロ自身が、直接イエスの口からリアルタイムにこの<たとえ>を聞いた、というわけではないでしょう。そもそも、パウロが地上のイエスをどれだけ知っていたか、ということ自体が明らかにされていません。しかし直接ではなくても、イエスから強烈な感化を受け「回心」した最初期のキリスト者から、右の「結論」と同じ衝撃を迫害者パウロが受けたであろうことは、十分に想像できます。

以下、神父はこの迫害者であるファリサイ派パウロがどのようにして「回心」に至ったかを、検討していきます。
繰り返しになりますが、件の<たとえ>のポイントとしてイエスが問題にしたのは、ファリサイ派の「人を裁く姿勢」(三三頁)――悲愛の欠如ということでした。曰く、

<一人の人間の生の哀しみや痛みや喜びを、己れ自身の心の鏡にうつし、感じとり、行為することが、アガペー悲愛とよぶイエスのもっとも大切にした心の在り方であり、そこからおのずか自らにほとばしりでる行為であるとするならば、ファリサイ派に欠けていたものは、まさにこのアガペー悲愛の心と行為に他ならなかったのである。>(三五頁)

井上神父はここで、パウロの問題を「主我的段階(主体的段階)」と「無我的段階(逆主体的段階)という、二つのキーワードを使って説明しています。これらの言葉は、前著『人はなぜ生きるか』にも見られますが(一六頁)、ここでは、件の<たとえ>に登場する「ファリサイ派の人」と迫害者パウロが同定され、回心前のパウロは、「自分のために神を求めている段階」=主我的段階にあった、と考えています。それゆえに「無意識のうちに神の座にすわり、他人の弱さや哀しみを裁いて」しまうことになります。

<しかもその主我的段階においては、天に代わるという、傲慢と思いあがりのもっとも大きなあやまち、罪の状態に落ちいるおそれがある。パウロによれば、本当の意味における罪とは唯一つしかない。それは神のまえに己れの義をたてることに他ならない。>(三六頁)

四 二種類の「罪」と「愛」

パウロの「十字架の神学」を精緻に説き明かす青野太潮氏は、パウロ文書における「罪」について、次のように述べています。

<・・・(略)・・・パウロも、この伝統的な贖罪論を多くの箇所で受容してはいるが、しかしそこで前提されている律法違反としての(複数で語られる)罪過とは異なって、彼自身の展開においては常に「罪」を単数で用いることによって、それ以上にもはや分割不可能な根源的な倒錯、そしてそれゆえに人間を支配するひとつの力をそこに見ている。>(『「十字架の神学」の成立』一九八九年、ヨルダン社、四六六~七頁)

あるいは、

<・・・(略)・・・直接的に贖罪論的にイエスの死を解釈する伝承においては、「罪」はすべて複数で語られている・・・(略)・・・それに対してパウロが彼自身の言葉で「罪」に言及する時には、ほとんど常に単数でそれを語っている・・・(略)・・・つまり「罪」が複数で語られる時、それはあれやこれやと数え上げることのできる罪、すなわち具体的な律法違反の罪をさしているのであるが、パウロはそれに対して、もはやそのようには数え上げることなどできず、むしろ人間存在を根源的に規定している罪、それゆえ人間を支配している力としての罪のことを考えているのである。>(同、五〇五頁)

ややしつこく引用しましたが、ここに語られている「二種類の罪」を整理すると、次のようになります。すなわち、①伝統的な贖罪論につながる、旧約の「律法違反」として「あれやこれやと数え上げることのできる」「複数で語られる」罪と、②「分割不可能な根源的倒錯」ゆえに「人間を支配するひとつの力」、「数え上げることができず、人間存在を根底的に規定している」ところの、パウロが常に「単数で語る」罪、ということです。そして井上神父の先の言葉で、「ファリサイ派の人」や「回心前のパウロ」の「主我的段階」として問題になった「傲慢と思いあがり」につながる「神の前に己れの義をたてる」「唯一」の「本当の意味における罪」とは、すなわち右の②の「単数の罪」に同定されるのだと思います。

 この二つの罪の区別は、「宗教」を「倫理」や「道徳」に直結させがちな日本人求道者にとって、重要な示唆を与えてくれているように思います。たぶん、わたしだけではないと思うのですが受洗前後、信仰を持つまでは何でもなかったことが、信仰を持った途端に気になり出す、という経験をすることがありました。
ここでわたしは本稿第一部で、有吉佐和子氏が一九五〇年代に、
<小説を書くようになる前から、・・・(略)・・・教会が示す戒律や規則や信者の義務を果たすことがしんどくなっていた>(『心の琴線に触れるイエス』一一六頁参照)

と言っていたこと、あるいは井上神父が、

<殺すな、姦淫するな、盗むなといったような根本的な道徳律すら、イエスの教えのなかでは決して第一義的なものではない>(『私の中のキリスト』二一頁)

と言っていたことなどを思い出します。こうしたことを取り上げわたしは、「道徳的キリスト教」の問題点を縷々述べてきたのでした。

そして第二部では「復活」解釈をめぐって、井上神学における「罪」概念を模索しました(『すべてはアッバの御手に』二、三)。それらを今思い起こしながら、右の井上神父や青野太潮氏の「罪」解釈を参考にすると、わたしどもが多く「罪」と感じているものの内容は、実はパウロがいう「複数で語られる」罪、すなわち旧約の「律法違反」に相当する、「あれやこれや」の罪(々)なのではないか、と思えるのです。いわば「細則違反」の罪といってもいいかもしれません。

このことからやはり思い出すのは、繰り返し考えてきた「為す愛」と「為さざる愛」に関する問題です。わたしが受洗後の一九八〇年代半ば、「為す愛」にとらわれていたことはすでに詳述しました。しかしそこでわたしが勝手に想定した「為す愛」の内実というのは、右の罪の二分類に類比すると、いわば「複数で語られる愛」――「細目的な愛」――「あれもしなければ、これもしなければ」という気持ちに「焦る愛」だったのではないだろうかと思うのです。

五 <善いサマリア人>に続く<マルタとマリア>

前章で『ルカによる福音書』の<善いサマリア人>について触れましたが、そのすぐ後には<マルタとアリア>(一〇章三八~四二節)のペリコーペが続いています。イエスをもてなすために忙しく立ち働くマルタと、イエスの足下に座って話をじっと聞こうとするマリアの話です。

実は、<善いサマリア人>とそれに続く<マルタとマリア>のつながりについて、だいぶ以前に井上神父に聞いたことがありました。すなわち、<善いサマリア人>と<マルタとマリア>の二つのペリコーペの連続にルカ以後の編集――順序の入れ替えや、間にあった他のペリコーペの削除など――の手が加えられたか、どうかということをです。

なぜ、こんな質問をしたのか、といいますと、はじめて<善いサマリア人>を読んだ(聞いた)とき、わたしたちはどう思うだろうか、ということを考えてみたのです。少なくとも、わたしが最初に思ったのは、以前受け持った「倫理」授業の生徒と同じく「とても自分は、このサマリア人のようにはできない」(「風」九二号、二九頁)、というものでした。多くの読者も同じように思うのではないか、そしてそのことを福音記者ルカもわかっていて、ゆえに直後、<マルタとマリア>を置いたのではないか、とわたしは推測したからです。

この話のマルタは「行いの愛」を、マリアは「心の愛」を象徴している、とよく言われます。わたしの言葉を使えば前者が「為す愛」、後者が「為さざる愛」ということになると思います。そして、直前の<善いサマリア人>を読んだ読者が短絡的に、「行いの愛」=「為す愛」に走ろうとするかもしれない、そのこと(の危険性、と言ったら過言でしょうか)をルカは知っていた。知っていたからこそ、(どちらかと言えば)「心の愛」=「為さざる愛」を促すこの<マルタとマリア>のペリコーペを即つなげたのではないかと、というのがわたしの想像です。

多分に勝手な想像とは思いますが、先のわたしの質問に神父は、〝原ルカ以降に、編集の手は加わっていない〟と答えるとともに、わたしの「想像」にも、〝なるほど〟と言ってくれたのでした。

本稿でも<善いサマリア人>を「行いの愛」「為す愛」に直結させることの危険については既に述べましたが、わたしやマルタの「あれもしなければ、これもやらなければ」という焦りは、やはり「複数で語られる愛」――「細目的な愛」から出たものだったのではないか、と思うのです。そしてそのときは、細目的な愛の律法に違反しているという意識はあっても、その根本を問うような――単数で語られる、「根源的な倒錯」としての罪という感覚は、希薄だったのではないだろうか、とも思うのです。

六 ヨブの回心

自己中心の主我的段階にいる人間は、常に罪の危険にさらされ、「人を裁く」ことになります。これに対し無我的段階とは、「神のまえに自分が相対化される世界であり、自分が従となり、神が主となられる世界」、「我に死んで真の自己に生きる世界」です。ファリサイ派パウロの回心体験とは、この主我的段階から無我的段階へ、自分が主から従へ、「我に死んで自己によみがえる転換」だったのだと、井上神父は考えます(三六頁)。

このあと神父は、旧約聖書の『ヨブ記』をたどって、パウロの回心をさらに深く考えます。それは『ヨブ記』が、「苦」の問題をめぐって、

<主我的段階から無我的段階への宗教的生の深まりを示している不朽の名作である>(三七頁)

と、井上神父は考えるからだといいます。

『ヨブ記』はしばしば、人の善悪に神の正義が対応しているかを問う「神義論」を展開しているといわれますが、神父は著者が当時のユダヤ教に根強い「因果応報的」「御利益宗教的」な考え方に「反論」しているのだといいます。「こんな罰を受けるようなことはしていない」と主張するヨブも、「いや、気づかないうちに何らかの悪事を働いた罰なのだ」と考える三人の友人も、根本は同じ因果応報・御利益宗教的発想に立っているのです。この段階のヨブ――「我」が粉砕される前のヨブは、主我的段階に留まっていたのだと、井上神父は考えます。

かつてわたしは、この『ヨブ記』について、拙著に次のように書きました。少し長くなりますが、再掲させていただきます。
――――――――
【神は答えず】
ヨブ記読む木蓮の花明りかな 大隅圭子
(『福音歳時記』四月)

旧約聖書におさめられている『ヨブ記』――ヨブという善人が次々と災難に遭い、「なぜ、自分は何も悪いことをしていないのに、こんな目にあわなければならないのだろう?」と悩む物語です。

一たす一は二、人間真面目に努力すれば必ずよい報いがある。そういう因果応報的な発想がわたしたちの日々のやる気を支えている、というところがたしかにあります。ですから、突然の事故や病気に遭遇したとき、わたしたちは愕然とし、そして憤慨するのです――「なんでこのわたしがこんな不幸な目にあわなければならないのか・・・・」、「なんであんないい人が早死にするのか・・・・」と。『ヨブ記』のテーマは、民族や時代をこえて語られてきた、人類普遍の問いといってよいでしょう。

『ヨブ記』は難解だとよくいわれます。その難しさは、右の問いに対する答えがはっきりとは示されていない、という点にあります。

ヨブが友人たちと議論を重ねていくと、突然神が次のように答えます。

主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。//これは何者か。/知識もないのに、言葉を重ねて/神の経綸(国を治め整えること)を暗くするとは。/男らしく、腰に帯をせよ。//わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。//わたしが大地を据えたとき/お前はどこにいたのか。/知っていたというなら/理解していることを言ってみよ(三八・一~四)。

このあと延々と、さまざまな自然現象や人事について、「~を知っているか?」「~ができるか?」と神の詰問が続きます。そしてとうとう、ヨブは神に降参します。

わたしは軽々しくものを申しました。/  どうしてあなたに反論などできましょう。/わたしはこの口に手を置きます(四〇・四)。
   ・・・・・・・・
あなたは全能であり/御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。/あなたのことを、耳にしてはおりました。/しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。/それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し/自分を退け、悔い改めます(四二・二、五~六)。

 しかし「主(神)」は、「善人がなぜ苦しむのか?」という疑問に一般的な答えを提示してはいないのです。ヨブはただ彼の実存において、全能の神の前に右のように応じて黙したのだと思います。そして神はヨブが「正しく語った」(四二・七参照)と認めます。一たす一は二のはずだ、という人間の思いこみや傲慢を捨て、自らの実存のなかで神に人生をゆだねること、『ヨブ記』はそう教えているのではないでしょうか。

 掲句、夕暮れどき「木蓮」の咲く窓辺で『ヨブ記』に読みふける作者。その「花明り」にふと気づいたとき、『ヨブ記』から彼女なりの解答を得たのかもしれません。「かな」には独自な感動が込められています。(『俳句でキリスト教』三二~三五頁)

 「一たす一は二」という合理主義的考え方を人生に持ち込むとき、わたしたちは「因果応報」「御利益宗教」的人生観を持つようになるのだと思います。「主(神)」が、神義論に対して、「一般的な」――合理主義的な答えを提示せず、ヨブが神の前に「黙した」という所に、因果応報説・御利益宗教に対する著者の批判が込められているように思います。この合理主義的な「思い込みや傲慢を捨て」て、「実存の中で神に人生をゆだね」よう、というのが、右のエッセイの趣旨です。

 井上神父によれば、この転換が起こった時、ヨブは主我的段階から無我的段階に移ったことになります。

 <私の理解によれば、初めの頃のヨブは確かに信心深かったけれども、まだ神と出会って己れの「我」が粉砕されるという体験を持っていなかった。即ち、主我的段階にとどまっていたのである。それが、さまざまの苦悩をへて、遂に「神の前に悔い改める」、すなわち無我的段階へと入ったのである。>(三九頁)

神父は、主我的段階から無我的段階へ転換するためには、「神と出会って己れの『我』が粉砕される」――自我が砕かれるという体験が必要だと言っています。(つづく)

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(34)第29章『人はなぜ生きるか』における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>23、第30章「イエスのまなざし」における<たとえ>1~3、第31章『キリストを運んだ男』における<たとえ>1~2  

*「風」第93号2013年春掲載
二三 「信即行」としての祈りの模範

前号、<善いサマリア人>(『ルカによる福音書一〇章)から、
<隣人となるという悲愛の行為が、永遠のいのちを得るために要求される行為なのだ、というイエスの説明>(『人はなぜ生きるか』一三五頁)
を巡って、わたしたちは具体的にどうすればいいのか、ということを考えてきました。
そしてそれは、いわゆるガンバリズム――「後ろ鉢巻」で奉仕や人助けをする、というような短絡的なことではなく、「祈り」に象徴される「信仰行為C」によって自己相対化をはかること、何より第一義的には、「己れの心の汚さ」の自覚と「エゴイズムに汚れている自分の心への反省」が必要だということを学びました。

「私にとっての聖書」では、<善いサマリア人>の直後に、<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>が続きます。
<しかし口でいうのはやさしいことですが、実際にやってみると、私たちは誰しもが、隣人になるということの難しさをひしひしとはだで感ぜざるをえません。そして如何に自分の心がエゴイズムに汚れているか・・・・深く心の痛みを感じさせられる・・・・そのときイエスの嘉された取税人(以下「徴税人」と改:筆者注)の祈りが、私たちの口をついておのずからにでてくるのだと思われます。>(同)

 「条件行為B」や「応答行為A」としての隣人愛の「実践」に焦るのではなく、「人の思いを感じ取る」こと。しかしそれも容易にはできないわたしたちは、まず「エゴイズムに汚れている自分」を深く自覚すること。そのときわたしたちの心は、おのずと「徴税人の祈り」につながるというのです。

<徴税人は遠く立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った「神様、罪人のわたしを憐れんでください。」>(『ルカによる福音書』一八章一三節:新共同訳)
<自分の至らなさを恥じ、そしてわびるこの徴税人の祈りこそ、イエスが一番きらった〝人に石を投げ、裁く姿勢〟から私たちを守ってくれるものであるように思えます。>(一三六頁)

本稿第二部でわたしたちは、「至らなさ」の自覚や「恥」意識、また「申し訳ない」と「わびる」心が「罪意識」の日本的表現として、井上神学に多用されていることを見ました。(拙著『すべてはアッバの御手に』六七頁他)。

本エッセイ「私にとっての聖書」では結論として、そのような「罪意識」を持つ「徴税人」の姿勢が、わたしたち日本人キリスト者の常に振り返るべき祈りの模範として提示されているのです。そしてそれは、「〝人に石を投げ、裁く姿勢〟から私たちを守ってくれる」――「人に石を投げ」ず、「裁く」ことをしない「姿勢」――「為さざる愛」を自ずと促すこととなります。

<祈りとは、自分の小ささ、いたらなさを神の前に素直に認め、心をむなしくして、神の愛の息吹きを、天の風を、聖書の言葉でいえば聖霊を、心にお通し申し上げることに他なりません。>(同)
「信即行」としての「祈り」=「信仰行為C」から自ずと湧き出る「無心」――「心をむなしくして」「神の息吹き」=「聖霊」に身を委ねるということ。そして、時空を超えた「祈りによる聖霊の同時性」において聖書を理解する、ということ。「私にとっての聖書」はこのことを強調して結ばれます。


第三十章「イエスのまなざし」における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>

一 <たとえ>への思い入れ

『人はなぜ生きるか』にはもう一箇所、後半の「イエスのまなざし」――一九八一年刊の同名書とは別――と題した講話録に<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>が出てきます。この講話は、一九八四年六月に行われており、『人はなぜ生きるか』の「あとがき」(「一九八五年盛夏」)のほぼ一年前ということになります。

ということは、これはわたしの推測でしかないのですが、このところ長らく見てきた同書未発表エッセイ「私にとっての聖書」執筆とほぼ同時期になされた講演なのではないか、と思うのです。想像をたくましくするなら、件の<たとえ>が繰り返し話題にされるということは偶然ではなく、この時期井上神父のなかには、あの「リヨンでの回心」(「風」第八二号三九頁以下)を振り返るような心理的出来事が何らかあったのかもしれない、とも思うのです。このことは、前章の最初に述べた、わたしとの電話での神父の発言、
<その一文(「私にとっての聖書」)が書き下ろしなのは、「ファリサイ派の人と徴税人」の話を、あの本に入れたかったからだろう>(同第八七号三九頁)
との言葉からも伺えます。

「イエスのまなざし」では、ユダヤ教的メシア観を持っていた弟子たちが、生前のイエスを理解できず裏切ったこと(「一、ユダヤのイエス」)、しかし神の御手に迎えられたイエスは彼らをゆるし、愛してくれているという体験をしたことが語られます(「二、イエスの復活」)。

そしてタイトルと同じ――ということはここに主題があると推測できる――「三、イエスのまなざし」では、その「ゆるし」の「まなざし」がどのようなものであったかが解き明かされます。
すなわち、明治以来の日本のキリスト者に対するイメージは、本来の「イエスのまなざし」とは正反対のファリサイ派のものであり、このコントラストを浮き彫りにするために、かの<善いサマリア人>を語り、そしてここでも続けて<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>を話題にします。ただし前者については一頁ほどの解説なのに比べ、後者は数頁――次の項目にまで及んでいることは注目に値します。先にも述べたように、それだけこの<たとえ>が、当時の神父に強く意識されていたことを示唆するからです。

二 「ファリサイ派」の姿勢

井上神父は、この<たとえ>について、
<私たちもその場にいて、イエス御自身からこのたとえ話を聞いているつもりで読まなければいけないのではないか>(一七〇頁)
と述べてから、ファリサイ派と徴税人を対比しながら、非常にくわしく説明を加えています。そのなかで、「イエスのまなざし」を理解するための「重大な言葉」として、
<わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。>(『マルコによる福音書』二章一七節、新共同訳に改)
をあげます。

そうしてから神父は「四、イエスの悲愛」で<たとえ>に戻り、自らの罪に胸をたたいて「申しわけない」という「徴税人」の祈りが聞き入れられるであろうことには、自身傾倒するリジューのテレジアの霊性を引きつつ、理解を示します。

むしろ井上神父は、「立派な」ファリサイ派の祈りがどうして否定されなければならないのか、ということに注目します。当時の人たちも現代のわたしたちも、きっと疑問に思うだろうと。そういう「聞いている人達の価値観を全部ひっくり返して」「普通に立派であると考えられていることと全然違う次元のことをイエスは言ってる」(一七七頁)、そこに「ポイント」――「イエスのまなざし」の何たるかが示されている、というのです。

ここから「五、キリスト者とファリサイ派」に入って神父は、道徳的に「立派」ではあるけれども「裁きの目」で人を見るファリサイ派と、「人の悲しみのわかるまなざし」、「人の涙を感じとる心」を持つイエスとを、<罪深い女を赦す>(『ルカによる福音書』七章)、<姦通の女>(『ヨハネによる福音書』八章)等々のペリコーペに触れながら、鮮明に対比していきます。

<人に石を投げるというのは、イエスが一番嫌った姿勢です。なぜかというと、人に石を投げるということは、いつの間にか天に代わって人を裁いている、天に代わって人に石を投げているということだからです。>(一八四頁)
ファリサイ派的な「裁きの目」――「人に石を投げる」姿勢とは、「天に代わって」すなわち「神の代理人」となって人を裁くということです。その根本には「自分の力」に恃む驕り、傲慢、エゴイズムがあります。

この意味においてファリサイ派の「律法主義」は、先のABC三種の行為分類でいえば「条件行為B」に傾くきらいがありましょう。したがって、そのために「為す愛」があるとすれば、その危険性は、表面に現れた道徳的な善良さではなく、救いも愛も〝自分の力でできる〟のだという、自力信仰の驕りにあると言えます。そして、「自分はできる」という思い込み→「できない人間を裁く」という図式が自然に出来上がっていくのです。「自分はできる」と本気で思っている人にとって、隣の人の悲しみや痛み、涙を感じ取ることは至難の業だからです。

<キリスト者というのは、大体まじめで一生懸命な人がなる。そういう一生懸命な人たちが、一生懸命やっていますから、うっかりしているとファリサイ派の方にどんどん走るのです。>(同)
と井上神父が言うのは皮肉ではなく、キリスト者として常に心しておくべき忠告です。

三 エゴイズムを溶かす〝イエスのまなざし〟

では、イエスが命をかけて最も大切にした姿勢――悲愛はどのように実現するのでしょうか。
前エッセイ「私にとっての聖書」では、自らの「至らなさ」を自覚する「徴税人」の姿勢が、人を裁く姿勢からわたしたちを守ってくれることを学びました(二九章二三)。
本講話録「イエスのまなざし」では、次のように結論しています。

<一生懸命やりながら、ファリサイ派のようにならない、ふわっとした、やわらかな、隣の人の悲しみをうつす、そういうアガペーの心というもの、常に〝イエスのまなざし〟をみつめることが非常に大切なのではないかなと思うのです。>(一八五頁)

ここまで見てきたわたしたちは、この短い一文からも、井上・アッバ神学の三つの重要なメッセージを読み取ることができます。すなわち、「ファリサイ派のように」人を裁かずに、

①「ふわっとした、やわらかな、隣の人の悲しみをうつす」ことが「アガペー」の第一義であるということ。→「為す愛」より前に「為さざる愛」の重視。
②その「アガペーの心」は「イエスのまなざし」そのものであるということ。→悲愛はイエスの全生涯に体現。
③そしてわたしたちの具体的実践として、「常に」アガペーの体現たる「〝イエスのまなざし〟をみつめること」

この「〝イエスのまなざし〟をみつめる」という行為が、すなわち「祈り」であり、これまで述べてきた「行為C」また「為さざる愛」に同定されることはいうまでもありません。
こうして二つのエッセイ・講話からわたしたちは、自らの「至らなさ」「罪」を自覚する「徴税人」の姿勢を自分のものとするには、まず、「〝イエスのまなざし〟をみつめる」ということがキリスト者として最も大切なことである、という具体的なアドバイスを得ることができます。

結論として「〝イエスのまなざし〟を生きる」とき、
<その〝イエスのまなざし〟によって、私達のエゴイズムというものが次第に溶かされていく>(同)
――悲愛へと近づいていくのだと、神父は「日本人」キリスト者の「希望」を語ります。
ちなみに、「〝イエスのまなざし〟をみつめる」――イエスを凝視する、という具体的実践的教えは、本稿第二六章(「風」八五号)でとりあげた、井上神父のエッセイ「行を媒介とする真の自己獲得」において論じられた内容と一致します。その結語は次のとおりです。

<・・・神の悲愛は、「自己凝視」へとつながる「イエスへの凝視」と、「合掌・祈り心」とを忘れない限り、いつかキリスト者をあのイエスの姿へと少しずつ変貌させ近づけてくださるにちがいないのである。>(『イエスのまなざし』二五二頁)
このエッセイを末尾に置く一冊を(同名のエッセイを含まないにもかかわらず)、『イエスのまなざし』とタイトル付けした神父の思い入れが伝わってきます。

最後に、改めてこれらを年代別にながめてみましょう。処女出版『日本とイエスの顔』(一九七六年)から二年後に「行を媒介とする真の自己獲得」(一九七八年)が書かれ、『イエスのまなざし』(一九八一年)に収録されます。そして翌年、先に触れたサンドメルと出会い(一九八二年、「風」九〇号二八頁以下)、さらに二年後に聖公会聖マルチン教会において「イエスのまなざし」(一九八四年)が講話されています。続いて前章でくわしく見たエッセイ「私にとっての聖書」(一九八五年)が発表され、翌年、「風の家」が立ち上げられます。

こうして『日本とイエスの顔』出版から「風の家」設立までに次々と公にされる著作や講話のなかで、井上神父は繰り返し<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>を取り上げ、反芻し、その度に「悲愛」そのものである〝イエスのまなざし〟への思い、祈りを深めていったのだと思われます。


第三一章 『キリストを運んだ男』における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>

一 サンドメルによる開眼

すでに述べたように、一九八二年二月頃サンドメルの『天才パウロ』に出会った井上神父は、神を「アッバ」と呼ぶ母性原理の強いキリスト教へと「着地の決断」が与えられ、八六年「風の家」を設立する運びとなったのでした(「風」第八〇号井上文、第九〇号拙文)。

 一九八七年刊行の『キリストを運んだ男』(講談社)は、このサンドメルの大きな影響のもとに書かれた一書です。その「あとがき」では、一九八二年一月の「シンポジウム」(戸田義雄編『日本カトリシズムと文学』所収)をきっかけに、石川耕一郎氏を通じてサムエル・サンドメルと出会ったことを述べながら、神父は次のように書いています。

<サンドメルの著作「パウロの天才」(『天才パウロ』:筆者注)をむさぼるように読みふけった私は、まさに目からうろこが落ちるに似た知的開眼を味わったのであった。新約聖書という書物の全体構造が、はじめて、わかった、という思いであった。>(二〇三頁)

ちなみに、この『キリストを運んだ男』が一つのきっかけとなって三年後、本稿でも幾度か取り上げた、佐古純一郎氏との対談『パウロを語る』(一九九〇年)が行われたのでした(同書「あとがき」)。

先に見た井上神父の「信即行」という発想も、「パウロの立場を中心課題として理解していこうとするサンドメルの視座」(「風」第八〇号一四頁)を踏まえた「新約聖書の全体的把握」のなかで、深められていったものではないかと、私には思われます。こうした経過のもとに、本書は「風の家」設立後、最初にまとめられた著作となります。

二 パウロの二つの顔

件の<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>については、そのものズバリのタイトルで第二章全体を割いています。
<私自身もサンドメルの著作に深く影響された関係で、ルカの「使徒行録」執筆の目的の一つは、パウロの思想を弱体化させ、エルサレム中心主義の流れの中にだきこむことにあったのではなかったかと思っている。>(二六頁)
本稿第二九章「五『アッバのあたたかさ』をこそ」では、井上神父とわたしとのやりとりのなかで出てきたコンツェルマンが指摘した、ルカの「救済史観」について触れました(「風」第八八号四五頁以下)。

しかし神父は「そういう流れ」――「旧約」と「新約」を直線的につなげることには「留保」、というよりむしろ反対の姿勢をとります。「旧約」-「新約」間の「断絶性」にこそ、イエスの教えの本質を見ているからです。このことも本稿で縷々見てきたとおりですが、サンドメルらが指摘するように、パウロは「生粋のユダヤ人」であるより、きわめてディアスポラ・ヘレニスト――反エルサレム的性格を持っており、その意味では「ルカのエルサレム中心主義」にとっては、目の上のたんこぶ的存在だったと考えられます。そのパウロ――信仰義認論を基本としたパウロ主義は、わたしたちが想像する以上に、当時の教会にとって大きな影響を与えていた、というのがサンドメルの主張です。

そしてもう一点大事なことは、パウロにはこの反エルサレム的性格と同時に、きわめてエルサレム的といっていい、熱心なファリサイ派としての顔があったということです。
<いずれにしてもパウロが、回心以前は熱心なパリサイ派(以下、「ファリサイ派」と改:筆者注)の一人であったということは、パウロの回心を理解するうえで極めて重大なことであったと思われるのである。>(同)
そして「イエスとファリサイ派との衝突の原因が、また深くパウロの回心と関係している」として、<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>を引用しています。

この<たとえ>についてこれまで見てきたことは繰り返しませんが、その「結論」――道徳的に立派な「ファリサイ派の人」の祈りが聞き入れられず、だらしない「徴税人」の祈りが聞き入れられたという逆説を、まさに「晴天の霹靂として受けとめ、身体の奥底からゆさぶりあげられた者」(三一頁)の一人として、「ファリサイ派パウロ」をあげていることに、この章の眼目があるのです。(つづく)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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(33)第29章 三つの「行為」と二つの「愛」--ユダヤ人にはユダヤ人のように--「善いサマリア人」からの焦り--愛は自我行為ではない  

*「風」第92号2012年冬掲載
一九 三つの「行為」と二つの「愛」

前号では、神の愛への応答としての「行為A」、救いの条件としての「行為B」、そして祈りに代表される信仰としての「行為C」を、井上神父の言葉から抽出して、「信仰」と「行い」について考えてみました。そのなかで井上神父は、「行為C」を幅広く解釈し、強調していることが確認できました。

その具体を、「信仰」「帰依」「合掌」(祈り)「生きること」等々と敷衍していけば、それはたしかに、静的な信仰か動的な行為か、というような、単純な二律背反的「あれかこれか」の問題ではない、ということも了解できます。

<そういう意味では信仰と行為というのはそんなに対立するものじゃないかもしれませんね、広い意味に解すれば。>(『パウロを語る』一七七頁)

と神父が言うゆえんです。

このように福音に預かるために「行為C」を強調する神父は、ファリサイ派の自力救済的な「行為B」はもちろんのこと、救いの応答としての「行為A」をも殊更に奨励したり、強調するということはありません。

本稿第二部(『すべてはアッバの御手に』)では、「南無アッバ」の究極的な姿として、イエスのケノーシス(自己無化)的姿勢を見て取ることができる、という井上神学=アッバ神学からの結論を得ました。そこをスタート地点としてこの第三部を始め、イエスの--引いてはわたしたち日本人求道者の生き方のヒントとして--ケノーシス・タペイノース的姿勢をめぐって、井上神父の著作にあらわれた<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>を順次見ているところです。

これまでわたしは、「為す愛」と「為さざる愛」という言葉を使って、神父のいう「悲愛」が後者を強調している、とも指摘しました(「風」八二号四五頁他)。

この二つの「愛」は、どちらもわたしたちにとっては本来、右に述べた「応答行為A」の範疇にあるものと言えます。前号で触れたヒルティの「実践的愛」は、この「行為A」のなかで「為す愛」を強調していたのであり、それがわたしには「キリスト者かくあるべし」という「掟」として、息苦しく感じられたのだと思います。こうして、いつのまにやら、「応答行為A」と「条件行為B」が混同されていったのでした。

井上神父においては、「信仰」か「行い」かという「あれかこれか」の問題が、「信即行」という発想によって、乗り越えられ、あるいは少なくとも寛解しているように思われます。先に述べた焦り――キリスト者たるにふさわしい愛の業に励むべし!――のなかにいたわたしが、神父の「信即行」に触れて、直感的に安心感を覚えたのは、〝おまえの「信」はそのまますでに「行」になっているのだよ、何も特別なことをする必要はない、その信一筋でいけばいいのだよ〟そう言われているように思えたからでした。八〇年代半ば、受洗後四、五年のわたしが、「私にとっての聖書」の「信じることが行為」(信即行)という一言に接して、当時の緊張から解放されたのは、このような事情によるものと、いま振り返って思うのです。

二〇 ユダヤ人にはユダヤ人のように

『人はなぜ生きるか』中の未発表エッセイ「私にとっての聖書」で井上神父は、こうして「信じる行為の必要」(一三三頁)を述べた後、前述の『ヨハネによる福音書』の結びの言葉(二〇章三一節)以外に、「イエスはいのちを得るために何が必要かを説明」している箇所として、<善いサマリア人>(『ルカによる福音書』一〇章二五節~三七節)を挙げ、続けて件の<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>を置いています。本章冒頭に触れた、わたしの「勘違い?!」の「メモ」は、ここに記されています。

井上神父は当該エッセイのなかで、まず<善いサマリア人>を新改訳聖書から全文引用します。ご存知のとおり、このたとえは、福音書のなかで最も有名な話のひとつであり、これをどう読むかについても数多の研究や著作がなされています。高校「倫理」や「現代社会」の教科書・資料集などにも必ずといっていいほど、取り上げられてもいます。しかしここでは、わたしなりに井上神学の文脈から、読んでみたいと思います。

<善いサマリア人>で「律法の専門家」はイエスに、「永遠のいのち」=救われるためには「何をしたら」いいか聞いてきます。ただしその真の動機は、「イエスをためそうとして」のこと、とルカが解説しています。同じように彼が「では、わたしの隣人とはだれですか」とイエスに聞き返したときは、「自分を正当化しようとして」(岩波訳「自らを義としたいと望んで」)いた、とあります。こうしたことは、もし「律法の専門家」がイエスのアドバイスを聞いたとしても、まともにそれを受け取って何かをする気が、最初からなかった可能性を示唆しています。イエスはそのことを知った上で、以下のたとえを語ったのかもしれません。

しかしいずれにしろ、「律法の専門家」が求めたのは、「永遠のいのちを得るために要求される行為」なのですから、先の行為分類でいえば「条件行為B」ということになります。彼はユダヤ人ですから、こういう質問の仕方すなわち、何か特定のことをする(守る)ことによって救われると発想する――律法主義、行為義認につながる――のは自然です。もちろんイエスもユダヤ人だったわけですが、少なくとも安息日論争(『マルコによる福音書』三章)や清浄問答(同七章)に見られるように、相当に律法を相対視していたことは間違いありません。それゆえに最終的に十字架に追い詰められたといってよいでしょう。

しかしイエスはここで、「律法などどうでもいいものだ」とは言いません。ユダヤ教を超えていながら、ユダヤ人である「律法の専門家」に対しては、ユダヤ教の立場で――「律法には何と書いてあるか。・・・・」(二六節:新共同訳)「それを実行しなさい。」(二八節)などと応答します。ちなみに『ルカによる福音書』一八章の「金持ちの議員」に対しても、イエスは「・・・・という掟をあなたは知っているはずだ。」(二〇節)と答えています。ということは、少なくともこれらのぺリコーぺでは、イエスはユダヤ教的な律法・行為義認の立場から、彼らに答えを提供しているようにみえます。「ユダヤ人にはユダヤ人のように」(『コリントの信徒への手紙一』九章二〇節)とは、パウロ書簡の有名な言葉ですが、井上神父の強調するイエスの、あるいは新約聖書全般にわたっての「対機説法」的性格も含め、ユダヤ人イエスが同じユダヤ人の「律法の専門家」や「金持ちの議員」と問答をすれば、ユダヤ教の文脈のなかで行われるのは自然とも言えます。たとえ、イエスが本当に言いたかったことが別にあったとしても、です。

二一 <善いサマリア人>からの焦り

井上神父はこの中で、「律法の専門家」が「自分にとって隣人とは誰」かと問うたのに対し、イエスが「旅人にとって隣人は誰であったかと問いなおし」たことに注目します(一三四頁)。ここから、「隣人を愛するということは、」だれであれ「いま自分を必要としている人の隣人になるということであり、」この「隣人となるというアガペー悲愛の行為が、永遠のいのちを得るために要求される行為なのだ」と、イエスの考えを読み取っています(一三五頁)。

つまり、「救われるためには自ら隣人となる行為が不可欠だ」と言っているのです。この部分だけを読めば、八〇年代当時のわたしが感じた焦りを助長させる「愛の掟化」(条件行為B)、または「為す愛」のすすめのたとえとして読んでしまう人もいると思います。以前受け持った「倫理」の授業で、生徒に<善いサマリア人>の話を読ませ、感想を書いてもらったところ、この「あるサマリア人」の善良さに感動すると同時に、「とても自分にはできない」という意見が多かったことを思い出します。

縷々述べてきたように、「愛の掟化」に悩まされていた八〇年代のわたしが、このたとえを読んで不安になり、井上神父に教えを請う。『人はなぜ生きるか』に残された前述の、

<ルカ一五と一八章がイエスの眼目(井上TEL)>

とのわたしの「メモ」は、そういう心境のもとで書いたのだと思います。

「永遠のいのち」(救い)を得るために「何をしたらいいか」と聞く「律法の専門家」。「(愛)を実行せよ」というイエス。瀕死の人を懇ろに介抱する心優しい「あるサマリア人」。このように自ら「隣人となれ」と命じるイエス。そして井上神父自身もこのぺリコーぺを、

<隣人となるという悲愛の行為が、永遠のいのちを得るために要求される行為なのだ、というイエスの説明である>(一三五頁)

と受け取っています。それは、直前にあった「信即行」の発想と矛盾するように思われました。

「律法の専門家」とイエスのやり取りは、すべからく「条件行為B」を前提としてなされている、ということになります。わたしはまたまた、「山上の垂訓」のような厳しいイエスの「掟」に思い至るのでした。「救われたければ、おまえも行って同じようにせよ」と言われているように思うと、再びわたしは、「そんなことは無理です。でも何かしなければ・・・・いやできない」そういう焦りが戻ってくるように感じたのでした。

二二 愛は自我行為ではない

繰り返しになりますが、かつて井上神父から「日本人は倫理に弱い」と言われたように、キリスト教が日本に馴染まない最大の原因が倫理・道徳の強調にある、あるいは少なくとも、そのように見えてしまうから、というのがわたしの考えです。

<善いサマリア人>では、「永遠のいのちを得るために」、たしかに「隣人となるというアガペー悲愛の行為が要求」されています。それはイエスが言ったように最大の「掟」(『マルコによる福音書』一二章二八~三一節)には違いないのですが、だからといって、〝では自分もさっそく出て行って、困っている人を見つけ、隣人になろう、ならなければ!〟というような、自我が前に出て、律法主義的に――「条件行為B」としての「為す愛」を促すものではないのです。このことは本稿第三部(第二十二回以降)で、井上神父の<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>解釈から見えてきたことを振り返れば明らかです。

ここではそれを、神父の考える「救い」と「行い」そして「信仰」との関係をめぐって、当該「私にとっての聖書」以外に、本書『人はなぜ生きるか』に収録されている講演録・エッセイから少しく読み取ってみたいと思います。

<自我を「ひかえる」自己相対化>

<私たちの人生というのは、私たちが何かをし、それによって私たち自身を表現するものではなくて、神が――神という言葉がお嫌いな方は、私たちをささえている大自然の生命と受けとめてくださっても結構なのですが――私たちの生涯において己れ自身を表現させるものだ、ということなのであります。>(一五頁「宗教のこころ」希望がなくて生きられるか)

――わたしたちの人生の主役=主体は、わたしたち自身ではなく、アッバにある、と自覚することが、学問や芸術や道徳とも異なる「宗教の世界の核心」だということ。この言葉は直接的には、わたしたちが老病死の苦しみに出会ったときを想定して語られていますが、たとえどんなに善い「行い」であっても、がむしゃらに自我が前に出ることが抑えられ、「ひかえる」姿勢――「為さざる愛」が促されています。

<自覚行為としての祈りの必要>

<自分が主である世界から従になる世界に転換するのには、どうしても〝行〟ということが必要です。型に入るということはそういうことなのです。祈りにはいろいろなかたちがあるかもしれませんが、「祈り」というのも一つの行であります。>(二七頁「同」視点の転換のこと)

――前項のように「あちら様が主になって自分が従になる」「逆主体的段階」(一六頁)に入るためには「祈り」という「行」が「必要」なのだということ。すなわち、前述の救いに関する三つの行為分類でいえば、「信仰行為C」の必要が主張されているということです。

ただし井上神父は、

<祈りというのは、己れが従であることを、あらためてあちらさまの前に自覚する行為に他ならないからです。>(四八頁「日本人の宗教心」神聖な無)

とも述べています。祈りという「行為」が必要なのは、己れが従=脇役であることの「自覚」のためだということ。これは救いのための「行い」と「信仰」という、今問題にしている文脈にとって、見逃せない重要な指摘です。つまり、祈りとしての「信仰行為C」は、律法主義的な「条件行為B」のように、自力的に神の恵みを引き出そうとするための「必要」という意味で為されるものではないということです。

前号最後の段落(四〇頁以下)では、『パウロを語る』の一節から、井上神父の考える「信仰」と「行い」の関係を検証しました。そして「救済と行為」の流れを整理し、

<(神の)恵み→行為C→救済→行為A>

という結論を得たのでした。神の悲愛、ゆるしのまなざしは本来、太陽の光や慈雨のように、いつでもどこでもわたしたちに降り注いでいるものなのだ(『マタイによる福音書』五章四五節)、それこそがイエスが何としてでもわたしたちに伝えたかった福音でした。そういう意味では、わたしたちにはそれで十分であり、アッバの悲愛を引き出すために、それ以上何の「行い」も「祈り」も必要ないのです。しかしエゴイズム(自己中心)に汚れているわたしたちの心は曇った鏡のように、往々にしてアッバの悲愛を映し出すことができない。アッバの無条件のゆるしを素直に受け止め、受け入れることができないのです。そこに「祈り」「帰依」、少なくとも「尻を向けない」という、己れが従であることを「自覚する行為」が必要になってくる、ということです。「信仰行為C」とはそういうわたしたち自身のためにする「自覚行為」ということになりましょう。

<無心からおのずと溢れ出る悲愛>

そして、応答行為Aへとつながります。

三番目の講演録「日本の私とヨーロッパのキリスト教」は、本書のなかで最も早い時期、一九七七年のものですが、当時――処女作『日本とイエスの顔』出版直後の井上神父が、自らの「生き方」として考えていることを二つあげています。

一つは、日本のキリスト教を考える場合、「自然への親近感」や「聖霊」をとらえなおして、わたしたち一人一人が「自分の心情で」とらえたイエスの福音を、「自分の言葉で」語っていくということ。もう一つは、仏教でいう「無我」や「無心」ということが、イエスの福音においても非常に大切だ、ということです。

そしてこの「無心」「無我」に関連付けて、キリスト教の「愛」にアプローチします。すなわち、

<キリスト教でふつうに言う〝愛〟などというのも、イエスの姿勢などをじっと見ていますと、ふつうにキリスト教でいわれているものなどよりも、もっとずっと深い所に根ざしているような気がいたします。>(六一~六二頁)

と前置きしてから、わたしが<一九八五年十二月のTさん宛の手紙>(「風」八八号五二頁)に引用した部分を続けています。その主旨は、「悲愛」は「無我とか無心」と密接に関係し、そこから「おのずとあふれでてくる」隣人愛は、「後ろ鉢巻」の「努力と頑張りで」自分が「積極的に前にでていって遂行する」ものではない、ということです。つまり、「隣人愛」は「最大の掟」ではあるけれど、「他の掟」とはちがって、「無心・無我」から「応答行為A」として自然に湧き出てくるものなのだ、というのです。

すでにわたしたちは、神父が「新約聖書は救いのための実践指導書」であり、イエスを凝視する「祈り」=「行」の必要性を説いていることをも見ました(「風」第八五号二一頁以下)。この「無心・無我」は、「行」としての「祈り」すなわち「信仰行為C」に相関し、さらにケノーシス(自己無化)をめざす自己相対化、「南無アッバ」の道と方向を一にすることは明らかです。なぜならば、

<信じるということは、目をつぶってお委せしてついていくことであり、私たちの判断をも神にお預けする行為>(一三三頁)

だからです。

<第一に為すべきことは>

そして直後、この「隣人愛」――「悲愛」の「性格」を説明するために、ここでも件の<善いサマリア人>を引いています。もっともこちらの講演の方が、先の未発表エッセイより八年早いのですが、井上神父の着眼点・強調点は同じです。すなわち、「隣人を愛するとは、今自分を必要としている人の隣人となるということ」であり、その場合、「中心点を、自分から相手にうつして」いく、「相手の思いを中心にすえ」ること――思いやりが大切だ、ということです。

このことから、

<悲愛とは、その(1)人の思い哀しみ苦しみを自分に映しとり、感じとるところから(2)おのずから湧きでる行為である>(六三頁、(1)(2)は平田付記)

と定義しています。隣人愛=「隣人となる」ためには、「中心点を、自分から相手に移す」=自己相対化がはかられなければならない。そうしてはじめて(1)が可能となり、さらに(2)が「おのずから」続くという発想です。

大事なことは、井上神父の強調点が「自己相対化」及び(1)にあるということであり、あくまで(1)→(2)という順序・流れであって、(1)をスキップして表に現れる(2)を焦ってはならない、ということです。

<相手の思いを中心にすえず、ただ、そうだ、キリスト者は愛さなければいけない、などといってやたらに親切をしてみても、結果はしばしば、小さな親切、大きな迷惑ということにもなりかねないことになりましょう。>(同)

ここには、八〇年代のわたしのあの「焦り」がそのまま指摘されているように思います。

自己相対化から(1)への道――そこには「無我、無心に大へん近い」「柔らかな澄んだ心」が必要です。しかしエゴイズムに汚れている自分にはそれがありません。したがって、まず為すべきことは、「そういう心が欠けている自分、という自覚」、「エゴイズムに汚れている自分への反省」――

<イエスの水晶のように透明な、澄んだ心のまえで、己れの心の汚さを反省するという基本的な姿勢>(六四頁)

をとるということです。(つづく)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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(32)第29章 17 実践的キリスト教、 18 信即行  

*「風」第91号2012年夏秋掲載
一七 実践的キリスト教


サンドメルの話から『風』第八十号のエッセイを再読するような形になりましたが、アッバへの着地点を見つけ、「風の家」設立の準備をする中で書かれたであろう「私にとっての聖書」(『人はなぜ生きるか』所収)――後半は、いよいよ井上神父にとって、新約聖書がどういうものかを語っていきます。

<永遠のいのちを得るために>

まず神父は、聖書を通してのキリスト理解の大前提として、これまでも繰り返し述べてきた概念(理性)知と体験知、すなわち「~について知る」ことと「~を知る」ことの違いを、「分娩」や「見合い」を例に出して、説明します(拙著『すべてはアッバの御手に』五五~五七、八四~八六頁参照)。そしてキリストを、あるいはキリスト教の神を知るためには、概念的知識だけではだめで、いわば「見合いの場まで出かけて行く行為が要求される」として、次のように言います。

<イエスを、キリストを知るためには、どうしてもある行為が必要とされるわけです。その意味では、新約聖書は、私たちにイエスやキリストや神についての知識を伝える書である以上に、まず第一には、どうしたら私たちが永遠の生命を、神を知り、真の平安に到達できるのかを教える実践の書であり、人生の指導書(ガイドブック)であるといえます。>(一三二頁)

新約聖書が、理性知から体験知に導く実践指導書であるというこの発言も、井上神学の重要な主張であり、処女作『日本とイエスの顔』冒頭で掲げられて以来、繰り返し説かれてきたことです。わたしが井上神学に惹かれたきっかけも、まさにこの点が強調されていたからです。

ここでまた、少し思い出すことがあります。
本稿の最初のところでも触れましたが、井上神父に出会う前の大学四年生、一九七七、ハ年頃のわたしは、カール・ヒルティの著作に出会い、その『幸福論』や『眠られぬ夜のために』などを貪るように読んでいました(拙著『心の琴線に触れるイエス』一二頁以下。以後『心の琴線』と略記)。それがわたしにとって、はっきりと「聖書に出会った」と言える体験であり、そのヒルティの説く〝実践的〟なキリスト教に強く惹かれていったのでした。

その「実践性」とは何だったのかと、いま一度、当時の思いを振り返ってみたいと思います。すっかり黄ばんでしまった岩波文庫や『ヒルティ著作集』をめくってみます。すると、たとえば『幸福論Ⅰ』の目次――

一 仕事をするこつ
二 エピクテトス
三 絶えず悪者と闘いながら策略を使わないような処世の道は、どうしたら可能か
四 良い習慣
五 この世の子らは光の子らよりも利口である
六 時間をつくる方法
七 幸福
八 人間とは何だろう、どこから来て、どこへ行くのか、金色に光る星のかなたには誰が住んでいるのか?(白水社版)

これらをみてわかることは、「仕事をするこつ」や「時間をつくる方法」など、非常に実生活に即役立ちそうな、いわゆる「ハウ・ツー」的な意味での実践=実用的な項目が多いということです。

当時のわたしはヒルティから、宗教というものが単に心の持ちようの問題なのではなく、実生活と密接に結びついたものであることを学んだのでした。しかしそれで即キリスト教へということにはなりません。むしろ、ヒルティの思想の中心にあるキリスト論は脇へ置いておき、そこから導き出された、右の様な意味での実践論に具体的な生き方のヒントを見つけようとしていたように思います。

この辺りは、先に触れた明治期の青年のキリスト教受容の仕方と共通するところがあるように思います(『心の琴線』六三~六四頁)。

大学を卒業して二、三年はカントも読んでいました。すなわち、就職一年を過ぎた頃から、朝晩の通勤ラッシュのなかで、岩波文庫の『道徳形而上学原論』や『実践理性批判』などを少しずつ読むようになっていたのでした。これも、一つの実践的、具体的な指針を欲していた証拠でしょう。カントを選んだのは、学生時代に知った次の有名な言葉が思い出されたからです。

<それを考えること屡々にしてかつ長ければ長いほど益々新たにしてかつ増大してくる感歎と崇敬とをもって心を充たすものが二つある。それはわが上なる星の輝く空とわが内なる道徳的法則とである。>(『実践理性批判』第二部、結論)

カントは哲学を精緻な理論としてだけでなく、一生を通じて自ら誠実に実践した人物でした。ヒルティに接して以来、そういう実践の裏づけのある哲学者に耳を傾けることこそが大事なことのように、わたしには思えたのでした。

<それだから聖書で、『汝の隣人を愛せよ』『汝等の敵をすら愛せよ』と命じている章句もまたこのように解すべきであることは言うまでもない。実際、傾向としての愛なら、命令されるまでもないからである。しかし義務にもとづく仁愛の念は、いかなる傾向によっても促進されることを必要としないにも拘らず、それどころか抑えることのできないほどの自然的な嫌悪の情によってはばまれるようなことがあっても、それは実践的愛であって[感性にもとづく]受動的愛ではない。この実践的愛の根拠は、意志のなかにあり、感覚的な性向のなかにあるのではない、行動の原則のうちに存し、徒らに温柔な同情心のうちに存するのではない。それだから命令され得るのは、まさにこの実践的愛にほかならないのである。>(『道徳形而上学原論』第一章 道徳に関する普通の理性認識から哲学的な理性認識への移り行き)

そしてヒルティも言います。
<あなたは、できるだけ隣人の霊と肉の幸福を増そうと心がけねばならない。まことの愛は隣人をその人自身において愛するのでなくて、神において愛する。>(『眠られぬ夜のために』第一部、十一月八日)

<だから、マタイによる福音書第五章から第七章までを読んで、正直に、「そうだ、これは宗教の最もよき、最も真実の、永遠に価値ある真髄である。私は多分それを実行しているとはいえまいが、しかし実行することを願い、また真面目にやってみようと思う、」と言う者は、真のキリスト者である。>(『眠られぬ夜のために』第二部、五月四日)

これらの言葉に接することにより宗教が、単なる心の持ち方をこえた、愛を伴う実践的なものなのだと思え、わたしは素直に感動したのでした。

しかし、自分が具体的に――たとえば教会に通ってキリスト教に求道しようとしたとき、次第にカントの道徳論やヒルティのキリスト教が、正直〝きつい〟と感じるようになっていきました。キリスト教が実践的であるという魅力は同時に、わたし自身にも道徳的倫理的に厳しい禁欲と隣人愛を要求する宗教ということをも意味しているように思えたのです。ここでカントの場合、定言命法(無条件)的な愛の実践を、「もし幸福になりたいなら・・・・」という仮言命法的に扱うことは理屈として無理があるかもしれません。しかし、つまるところ現実のわたしたちは、幸福――生き生きと生きていくことを願いつつ、そこにエゴイズム(罪)が忍び込んできて様々な不幸を招く、ということを繰り返しているわけです。

この堂々巡りから抜け出る――「永遠のいのちを得るために」はどうしたらいいのか、その「ガイド」を新約聖書に求めたとき、ヒルティらは直接的に「実践的愛」を求めている、というふうにわたしは受け取ったのでした。当時のわたしは、アッバに掬い取られた悦びから自ずと溢れ出る悲愛、というような発想を持つ余裕はありませんでした。それは、井上神学に対する理解の未熟さが根本にあったことはもちろんです。しかし私生活の上でも、ちょうどその頃、数年間の煩悶・熟慮の末、二度目の転職を決意し、教職に転じようとしていた時期でもありました。その気負いと焦りの時期と重なるのです。いずれにしろ、わたしの「愛の掟化」の根底には、応答としての愛を救いの条件と混同してしまう――そのように新約聖書を読んでしまう傾向があったように思います。「神を呼び神を疎ましく・・・・」という思いの始まりです

一八 信即行

読者には、すでに本稿で述べた「為す愛」と「為さざる愛」との対比について思い出していただければ幸いです(「風」第八二号四四頁以下)。それを今の文脈にあてはめるなら、カントやヒルティの「実践的愛」は前者を志向し、井上神学は後者を特徴とするものといえましょう。「為す愛」に囚われ、「神を疎ましく」思い始めていた頃のわたしは、井上神父の『日本とイエスの顔』に出会ったときも、

<新約聖書は、永遠の命を得るための実践指導書>

という件を詠んだとき、〝ああまた倫理――何か特別な愛の行いが要求されてくるのか〟と反射的に身構えてしまうのでした。

やがてわたしは、井上神父が「新約聖書は実践の書であり、人生の指導書(ガイドブック)である」というとき、その意味するところは、カントやヒルティとは似て非なるものであることに気づいていきます。

これまで<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>(『ルカによる福音書』一八章)をめぐって、たとえば他者に「石を投げない」「裁かない」(『日本とイエスの顔』第七章など)――己を「わきまえ」「ひかえる」ケノーシス、タペイノース的姿勢といった、井上神父のいう「悲愛」の「為さざる愛」としての性格を検証してきました。あるいは悲愛へと導く「行」を奨励する場合も、先のヒルティやカントの直接的「実践的愛」のすすめとは対照的に、それがややもすれば偽善をはらむ可能性すらあるものとして、注意を要することを神父は指摘していました(「風」第八五号)。そこで奨励される「行」とは、イエスをまねた「個々の行為」ではなく、イエスの生き様を鏡とする「自己凝視」と「祈り」の姿勢であることを、わたしたちは学びました。

そして今「私にとっての聖書」で井上神父は、「人生の指導書」である新約聖書について、『ヨハネによる福音書』の次の言葉を引用します。

<これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。>(二〇章三一節、新共同訳)

井上神父は、前述した「イエスを、キリストを」また「永遠の命を、神を知る」ために「どうしても必要なある行為」として、この句から次のような解釈を導き出しています。

<・・・・そのためには、イエスが見えない神を御自分のうちに宿しておられる神の子であること、即ち間違いなく私たちを見えない神の御手の中につれていってくださる方であることを信じるという行為が要求されるのだとも説明しているわけです。>(一三二~一三三頁)

神父は繰り返します。
<信じるということは、目をつぶってお委せしてついていくことであり、私たちの判断をも神にお預けする行為であると思います。>(一三三頁)

ここまで読んだときわたしは正直、肩の荷が下りたように感じたのでした。「私にとっての聖書」のこの箇所においては明確に、「信じるという行為」――「信じる」ことが即ち救いのために「必要」な「行為」であると明言されているのです。このことは、「愛の掟化」に悩んでいた八〇年代半ばのわたしにとって、それこそ「目からうろこ」の大発見でした。それまでは、〝救いのために必要なのは、信仰か行いか〟という、古くからある問いに、もちろんそれは、パウロが言うように、第一に信仰なのだが、心のどこかで、洗礼を受け信者になったからは〝クリスチャンらしい〟愛の実践――たとえば「ボランティア」や「奉仕」という言葉に象徴されるような善行を漠然とイメージしていたのかもしれません――伴うべきではないか、という思いに囚われていたように思います。今思えば、それは救済論としては、旧約の律法(行為)義認から新約(パウロ)の信仰義認へと転換したものを、再び行為義認へと逆戻りしかねない事態を意味していました。中世カトリック教会とルターの対立が想起されます。

そうした気負いや焦りが解消され、イエスへの信頼一筋でいいのだ、それが救いのための第一の「行い」であって、さらにその先に、結果として、わたしが何をする(ようになる)か、またしないかはアッバにお任せすればいい――そう思えるようになったのでした。

このいわば〝信即行〟ともいうべき発想について、井上神父は次のようにも述べています。以下は、本稿第一部で取り上げた、佐古純一郎氏と井上神父との対談『パウロを語る』でわたしが引用したやりとり(『心の琴線』二〇頁以下)の直前に出てくる発言です。対談が「行為義認」と「信仰義認」という話に及んだところから引用します。((A)~(C)は平田付記)

<井上 行為(A)というものは摂取された人の感謝の思いから出てくるものじゃないかと思うんです。行為(B)によって義認されるというのはファリサイ派でしょう。パウロは、それはだめだと言うのでしょう。我々はファリサイ派ではなくてキリスト教徒だから、当然すべては神の恵みと恩寵による。しかしそのためには帰依することが必要である。尻向けていたんじゃ、やっぱり、ちょっとぐあいが悪い。

ですから、問題はこういうことかもしれません。要するに、帰依するというのも一つの行為(C)なのかどうかということ。そう考えますと、信仰は一つの行為かもしれませんね。帰依するというのは、手を合わせて拝むことですから、やっぱり行為で、頭だけで数学や物理みたいに考えることではないですね。だから、私は信仰というのは生きることだといつも言うから、生きるというのは行為だから、そういう意味では信仰と行為というのはそんなに対立するものじゃないかもしれませんね、広い意味で解すれば。>(『パウロを語る』一七六~一七七頁)

ここには、井上神父の考える「信仰」と「行為」の関係が、非常にわかりやすく説明されています。
わたしたちキリスト者は、「行為義認」――自らの行いによって正しくあろうとする、という意味で自力救済――のファリサイ派ではないから、大前提として「神の恵みと恩寵」がある。それに対する「感謝の思い」から相応の「行為」が出てくる、ということです。ここまでは、キリスト信仰として特別なことは言っていません。

しかしこの後、「帰依」ということを問題にします。「三宝に帰依する」などというように、この言葉はもと仏教語ですが、「南無」とともに日本人にはなじみの深い言葉です。その「帰依」を重視し、「神の恵みと恩寵に」与るためには、「帰依することが必要である」とし、けっきょく「帰依」「信仰」「合掌」そして「生きること」は「広い意味で」すべて「行為」なのだというのです。

少し整理してみましょう。右の井上神父の言葉には、三種類の「行為」が語られているように思われます。まず、行為Aは「摂取された人の感謝の思いから出てくる」というのですから、結果・応答としての行為と言えましょう。
次に「行為によって義認される」という場合の行為Bは、救われる条件・前提としての行為です。ファリサイ派が律法遵守を重視するというとき、行為B→救済、という流れになり、自らが行為Bを起こさなければ救済はありえない、という意味で、自力救済的といえます。それはややもすれば、自己の善行を数え上げて神を動かそうとする自己中心――エゴイズム、高慢の温床ともなるでしょう。

キリスト者はそうではない。行為Bから始まるのではなく、その逆、救済→行為A、という流れであり、その発端は「神の恵みと恩寵」にあるといいます(恵み→救済→行為A)。この意味で行為Aは他力本願的意味を持っています。わたし自身の問題を振り返れば先に触れたように、八〇年代のわたしは、この行為Aと行為Bとを無意識に混同してあがいていたように思います。

ではキリスト者として、「すべては神の恵みと恩寵による」のならば、自分からは何もすることはないのか、というと、井上神父は「ノー」と言います。「神の恵みと恩寵を受ける「そのためには帰依することが必要である」というのです。こうなると、今度は帰依が恵みの前提条件になり、帰依→恵み→救済→行為Aというふうに理解しそうです。しかし神父は直後、「尻向けていたんじゃ、やっぱり、ちょっとぐあいが悪い」と言い足しています。つまり「帰依する」ということは、端的に、神様に尻を向けないこと、という意味になります。このことから、神様はいつもこちらを向いていてくださっている――井上神父に言わせれば、むしろうしろから寄り添い、あるいは抱きかかえていてくださっている――お方である。わたしたちがそっぽを向こうが、尻を向けようが、アッバの姿勢は変わらない。

まさに、
<悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる>(『マタイによる福音書』五章四五節)

方です。ですから、「帰依」が神の「恵み」を引き出す条件(帰依→恵み)ではない。むしろ常なる恵みのもとで帰依する(恵み→帰依)ということ。アッバに「尻を向けない」「アーメン」と答える、「よろしくお願いします」と頭を下げる、ということだと思います。

直後神父は、
<要するに、帰依するというのも一つの行為(C)なのか>
と自問し、「帰依」「信仰」「手を合わせて拝むこと」=合掌、そして「生きること」を同定していますから、これらすべては「行為C」であると結論できます。

以上の流れをまとめると、恵み→行為C→救済→行為Aということになると思います。前述した行為Bでも、また行為Aでもない(実際、井上神父には行為Aは自ずから溢れ出るという信念がある――後述)行為Cを重視し、幅広く解釈している所に、井上神学の特徴があるように思われます。(つづく)

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(31)-22 「風」第90号掲載分の残り全文  

先の「風」八〇号のエッセイに戻ると、その困難な時期は、『沈黙』以後二十年近くに及んだことになります。
まさにそれだけの「時間がかかった」のです。そしてわたしにとっては、あの三十年前のやり取り――さらっとかわされたような会話の根底にある、神父の苦闘を今更ながら垣間見る思いがしたのです。

一五 パイロットの不安

前回述べたように、井上神父にとってテレジアの母性的神観が「確信」となるのは、編集史研究の成果によるところが大きいのですが、〝それにしても〟という意味合いで次のように述べています。

<確かに、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、パウロと、それぞれには明白なイエス観、救済観があると思われるが、どうもそれぞれの間には、到底妥協しえないほどの違いがあると思わざるをえなかったのである。>(前掲号、一二頁)

神父が『日本とイエスの顔』を一九七六年に書きあげて後、「編集史研究の書に多く接する」ようになったことは、先に紹介した同書一九九〇年版の「あとがき」にあるとおりです。しかしそうした研究の中でまず最初に感じたことが、新約聖書著者間にある救済観の「到底妥協しえないほどの違い」だったのでしょう。先の「聖書を勉強すればするほど」あせりを感じていた、との発言は、こうした状況を指しているものと思われます。それは、学者や評論家としてではなく、「イエスの弟子」たる求道者として「生きよう」とすれば、なおさらのことであったと推察できます。

<・・・・どうしても、これがイエスの福音だという統一した視点がとらえられなければどうにもならないわけなのである。>(同)

「ああかもしれない」「こうともいえる」では一生をかけることはできない――福音の、新約聖書の「統一した視点」を求めて呻吟する当時の井上神父は自らを、次のようにたとえています。

<当時の私の心境は、ちょうど、上空を飛行しながら、ようやく着地点を見つけ、着地を決断したヘリコプターのパイロットが強い風と濃い霧のために着地点がかすんでしまい、どうにも着地できず、いたずらに燃料を消費しつつ上空をむなしく飛びまわっていなければならないという、そんなパイロットのあせりと不安にも似たものだったような気がするのである。>(一二~一三頁)

テレジアやエレミアスを通して教えられた「アッバの求道性」に対する確信は揺らぐことはなかったものの、今一歩の所で「着地」できない「あせりと不安」を、

<ともかく風や霧を一時的にはとりはらって、着地へと私(井上神父)の行動をかりたてるきっかけとなったのが、サンドメルの『天才パウロ』という著作だったというわけだったのである。>(同)

一六 パウロ主義の影響

サムエル・サンドメル(一九一一~一九七九年)はアメリカ生まれのユダヤ教ラビで、聖書とヘレニズム文学を講じ、とくに一世紀のユダヤ教と新約聖書の関係に関心をもっていました。ユダヤ系アメリカ人として、キリスト教を理解しようという趣旨で、たくさんの書物を書いています。先の石川耕一郎氏が井上神父にサンドメルを紹介したのも、

<キリスト教からみたパウロではなく、ユダヤ教側からみたパウロというのも、新しい視点で面白いのではないでしょうか。>(一〇頁)

という趣旨だったといいます。ただ残念ながら、邦訳されているものは今のところ『ユダヤ人から見た新約聖書』(一九五六年初版、邦訳一九九六年、ミルトス)だけのようです。

このなかでサンドメルは、パウロがラビ的正統ユダヤ教でもなく、現代の改革ユダヤ教とも相容れない立場から出発している、として次のように述べています。

<パウロについての私見は、The Genius of Paul : A Study in History(引用者注:『天才パウロ』)を参照されたい。私見では、パウロはギリシア系ユダヤ人で、彼の時代のパレスチナのユダヤ人とは思想も感じ方も大きく異なっていると見ているので、新約聖書の説明をパレスチナのユダヤ教にのみ求める人には不本意に思われるかもしれない。>(二九頁「改めての序の言葉」)

パウロがヘレニズム・ユダヤ教出身であることを強調し、そこからパウロ主義の特徴を導き出そうとするのは、

<ユダヤ人としての著者に伝統的な反パウロの意識が残っていて、パウロの思想をユダヤ教の流れから別のものと見てしまうためなのだろうか>(三七七頁)

と「訳者」(平野和子・河合一充氏)は「疑念」を呈しています。しかし、パウロに関しては著者自ら「少数派」であることを自認しつつも、様式史研究ほか当時の新約聖書学の成果を踏まえた、説得力ある所見を新約聖書全般にわたって述べているように、わたしには思われます。

『天才パウロ』は右書とほぼ同じ時期、一九五八年に出ており、序文では、とくに五、六章に注目するよう、自ら促しています。

<もし、イエスの時代以後にイエスに関する教会の姿勢が各福音書に認められるとするなら、その時パウロ主義とその影響もまたそれらのうちに見出されるだろうし――彼の手紙が福音書より先に書かれたという合理的な論拠おいて――パウロのメッセージが最も早く書かれた福音書の成立前に流布していたということにもなろう。>(『The Genius of Paul』復刻版、Nabu Public Domain Reprints Ⅴ、一二八頁 私訳)

つまりサンドメルの主張は、福音書を含めた新約聖書全般にわたってディアスポラ・ユダヤ人であるパウロの影響――肯定するか、否定するかは別として――が大きいということにあるのです。

井上神父はヘレニストとヘブライストとの対立がイエス理解に由来するという荒井献氏の論に助けられながら、サンドメルによって先の「着地できないパイロットの焦り」を克服できたことを、次のように述べています。

<そこで私は、『新約聖書』を構成している書物を、すべて賛成であれ、懐疑的であれ、ともかくパウロの立場を中心課題として理解していこうとするサンドメルの視座を自分のものとすることによって、初めて、着地できずにとめどない飛行をくり返さざるをえないように追いつめられていたパイロットの焦りと悩みのような心情から脱けでて、地上着陸を決断しえたというわけだったのである。>(前掲号、一四頁)

先にも、ミサにおける聖書朗読の順番の問題に触れましたが、カトリックでは福音朗読を御言葉の祭儀の頂点と位置付けています。それゆえに福音朗読は聖職者が行うよう指示されているのです。伝承からイエスの言行が記されているのが福音書ですから、キリスト教会(とくにカトリック)が、これを重視するのは当然かもしれません。こうして福音書が主でパウロ文書は従という、ヒエラルキーができていきます。

しかしサンドメルに指摘されるまでもなく、歴史的には、パウロの手紙――少なくともパウロ自身の手になるものと思われる七書簡=『ローマの信徒への手紙』『コリントの信徒への手紙Ⅰ』『同Ⅱ』『ガラテヤの信徒への手紙』『フィリピの信徒への手紙』『テサロニケの信徒への手紙Ⅰ』そして『フィレモンへの手紙』の執筆(五一年頃~六三年頃)は、四福音書や『使徒言行録』ほか新約聖書諸文書の成立(七〇年代以降)よりも早いことが、明らかとなっています。とすれば、それらの文書がパウロの書簡、もしくは律法から信仰へというパウロ主義の影響――その賛否は別として――を相当に受けているにちがいない、これがサンドメルの主張です。

<パウロの手によらない新約聖書中の文書もほとんどすべて、パウロ主義の影響を受け、常にかあるいは時々、肯定的にも否定的にも、パウロ主義によって形作られている、と私は信じている。>(前掲書、一五六頁 私訳)

イエスの悲愛のまなざしに捉えられながらも、今ひとつ旧約の裁きの神を思わせるイエスの言葉の受け取り方に戸惑っていた井上神父にとって、この指摘はまさに〝目からうろこ〟の読書体験だったのではないでしょうか。

ポイントは、福音書とパウロ文書、どちらが主でどちらが従か、ということではなく、新約諸書が書かれるときにはすでに、パウロの思想は、今まで考えられてきた以上に、原始教会内に流布しており、相当な影響力をもっていたということです。イエスの言行を直接記したとされる福音書といえども、パウロの思想と無縁に、独自に成立したのではない、「パウロの立場を中心課題として理解していこうとするサンドメルの視座」とはそのようなものと考えられます。

こうして井上神父は、「律法から信仰へ」というパウロの信条を曲解し、ならば「悪行何ら差支えなし」として、非道徳な行為を繰り返す「キリスト誇り」――極端なパウロ主義者にマタイやルカのグループが頭を痛めていたこと、それゆえに「山上の説教」のような厳しい言葉をイエスの口にのせざるを得なかった、ということに思いを馳せるようになったのでした。

<サンドメルの著作によって、一見矛盾しているかのようにみえる、マタイ・グループやルカ・グループとパウロとの間の対立を超えることのできた私は、ここではじめて、エレミアスの「アッバなる神」の指摘を完全に自分のものとすることができた。>(前掲号、一六頁)

「着地の決断」に至り、わだかまりのとけた井上神父は、一九八六年春、「風の家運動」を開始します。カトリック教会からの除名、破門という危惧や不安はあったものの、日本の人たちの心の琴線に触れるイエスの福音を伝えよう、そういう秋空のように澄んだ心境を持ったのでした。(次号につづく)

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(31)-21 自ら生きる道  

しかし直後『沈黙』をきっかけに、聖書に実存的に――学者としてでなく、一求道者として、日本人としてもう一度真剣に向き合うようになったとき、その「確信」を自分だけではなく、他者=日本人にどう「納得」してもらうか、という課題が、より切実なものとなっていきます。
「・・・・やっぱり時間がかかった」という感懐は、その苦闘を物語るものだったのです。


井上神父は、自らを学者ではなく、一宗教家と自覚している。
外から眺めるのではなく、自ら一つのキリスト道を生きることが、引いては同じ日本人の信仰に寄与するという確信を持つ。

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(31)-20 正統なキリスト信仰  

青年時代にテレジアに出会い、一九六〇年代前半に法然との邂逅によって「確信」となった悲愛の神アッバ、そして「やさしいイエス」。


井上神学では、イエスはアッバを忠実に写す、水晶・ガラス窓のような方。
ゆえにその性質は一致する。
イエスを見た者は神を見たのだ、というヨハネ神学にも通じる。

法然との邂逅は異端ではなく、むしろ正統キリスト信仰への「確信」ともいえる。

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(31)-19 禁書から数十年  

この言葉は、一九六五年に発表された、遠藤周作氏の『沈黙』以後、とくに「聖書を真剣に読み直すようになった」という文脈のなかで語られています。


実際にある教区では「沈黙」は禁書扱いされていました。
昨年は、遠藤周作没後15年で、記念的行事も催され、カトリック新聞にも何度も取り上げられました。
隔世の感があります。

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(31)-18 あれかこれか  

旧約の恐い神、「『マタイによる福音書』が示す厳しいイエス」ではなく、テレーズが示す悲愛のアッバ、「やさしいイエス」。その「確信」を持つまでには「やはり〔相当な〕時間がかかった」と言っているのです。


律法主義-父性原理-厳格-小乗的・・・・
信仰主義-母性原理-受容-大乗的・・・・
さまざまな対比ができる。
どちらをイエスの本質・神観とみるかで、そのあとのことがすっかり変わる。

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(31)-17 納得できない聖書  

だから、テレーズが示したようなイエス様はたしかに書かれていますが、でも、『マタイによる福音書』が示しているイエス様というのは、もっともっと厳しい。
――略――
自分にどう納得させていくか、ということに、やっぱり時間がかかった……。」>
(拙著『すべてはアッバの御手に』八七~八八頁)


そりゃあ、時間がかかったと思います。
ましてや私などは、正直いまだに、やっぱりここは納得できないな、という箇所がいっぱいありますもの。

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(31)-16 統一性のない聖書  

井上「いや、変化じゃなくて、それが確信というか、そういう〔悲愛の〕方だったんだと……。
福音書というのは、実にいろんな視野から書かれていて、それだけ読んだら矛盾している言葉が、うじゃうじゃあるわけです。


田川建三さんだったか、聖書にはあらゆる対になる反対の思想が入っている、というようなことを言ってましたね。
加藤隆さんだったかは、新約思想を統一するのは不可能だ、というようなことも言ってます。

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(31)-15 クリスチャンイメージの変化  

(〔 〕内は平田の補足)
<聞き手「でも、イエス様のそういう姿〔悲愛が一番大事で、必ずしも掟を守ることではない〕というのは、聖書のなかやいろいろなものに書かれている、テレーズもそうですが、わかっておられる部分もあるわけですよね。それが、法然を経ることによって、変化してきたということでしょうか?」


現在の平均的な日本人であれば、キリスト教が「掟」と結びつく、という発想はそんなに強くないんじゃないかと、わたし個人は、周囲の知り合いをみて思います。

禁欲的だ、という感じも薄れているように思う。

クリスチャンのイメージは、一般人に近づいているのですかね?

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(31)-14 NHK「すべては風のなかに」  

一四 「確信」までの時間

ここでわたしは、二〇〇六年にNHK教育テレビで放映されたインタビュー「すべては風のなかに」での井上神父の言葉を再び思い出すのです。

本稿でもすでに紹介したところですが、その一部をもう一度抜粋してみます。


ネット検索したら、この番組を文章に起こしてくださっているサイトhttp://www1.kcn.ne.jp/~hk2565/kokoro-314.htmを見つけました。
サイトからは連絡先がわからないので、勝手ながら、ここでお礼を申し上げるとともに、リンクさせていただきます。

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(31)-13 宿題の書  

受洗後も父性的・道徳的キリスト教観から抜け出られないでいたわたし自身をいま振り返ると、こうした当時の井上神父の心情に改めて親近感を覚えるとともに、わたしの不躾な問いに対する、一見そっけない返答の背景にも、神父のたゆまぬ求道的苦難があったのだ、ということを感じざるをえません。


まこと、遠藤周作さんが書いていたように、福音書は私たちに宿題を差し出す書物ですね。

奇跡、復活、神観・・・・・。

もっとも、仏教も上座部仏教が日本に入ってきたら、どうなったのでしょう?

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(31)-12 マリア信仰の発展  

当時神父の心はたしかに、テレジアから教えられた「赤子・童心」――「アッバの求道性」に「がっちり捕えられて」おり、「少しもゆらいではいなかった」ことは事実でしょう。

しかし一方で、福音書の中に散見する旧約的父性の神を思わせるイエスの言葉との葛藤を持ち合わせおり、そうしたジレンマのなかで、あの〝やさしいイエス〟発言があったのだ、ということを知ったのです。


西欧に伝わったキリスト教が、マリア信仰を拡大していったのも、福音書に残る父性的表現に対する緩和剤だったのかもしれない。

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(31)-11 神父の正直な葛藤  

繰り返しますが、かの「シンポジウム」(一九八二年一月)で神父は、

<私のイエスはやさしいのです。イエスのまなざしはやさしいわけですよ。> 

と発言しています。

しかし右の述懐によれば、「天才パウロ」と出会う(同年二月頃と推定)前の神父は、そうしたやさしいイエスには「似合わない」「旧約の裁きの神ヤーウェを思わせるような師イエスの言動や言葉」に、「どうにもならない袋小路に追いつめられていくというようなあせり」を感じていたというのです。

ということは(わずかの時間差ですが)、先の発言は、そうした「あせり」を感じつつなされたものと推察できるのです。


おそらくその時間差は、1~3ヶ月程だったのではないか。

いずれにしろ時間の長さより、神父が葛藤の中で「私のイエスはやさしいのだ」と発言したことが、私には親近感を持たせてくれたのでした。

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(31)-10 恐さから優しさを見抜く目  

例えば、遊女や徴税人といった、当時の社会では罪人、駄目人間の代表と目されていた人たちをも、悲愛のまなざしで手をひろげてあたたかく迎え入れている師イエスの生き方に対して、それとはどうも似合わない、むしろ嵐と火の中でシナイ山頂に降下する旧約の裁きの神ヤーウェを思わせるような師イエスの言動や言葉が、また福音書の中には見出されるのを認めざるをえなかったからである。>(一〇~一一頁)


だからこそ、というべきか。テレジアのように、その恐い福音書?のなかから、やさしいアッバの本質を見抜いた目、というのは、学者ではなく、幼子のような、小さな求道者だからこそのことだったのかもしれない。

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(31)-9 恐いイエスの顔  

確かに当時の私はすでにテレーズの「赤子・童心の求道性」と深いかかわりを持つ「アッバの求道性」にがっちりと捕えられてはいた。

それは少しもゆらいではいなかったのだが、しかし同時に、どうもそのアッバの求道性とは全く違っているかのような側面が感じられる師イエスの言葉が、福音書の中にはかなり見出されるように思えたからである。


旧約や黙示文学からの影響は相当にあったろうが、ともかくも福音書に書かれてしまった恐いイエスの顔をどう理解すればいいのか、これは正直な求道をするものには、大きな問題なのだ。

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(31)-8 学ぶほど焦る  

<サンドメルの「天才パウロ」と出会うまでの私は、聖書を勉強すればするほど、どうにもならない袋小路に追いつめられていくというようなあせりのなかにうごめいていた。


誠実、正直に新約聖書に向かうほど焦りが出てくる、そういう経験は、学者としてでなく、「あれかこれか」一つの道を生きようとする求道者としての姿勢をあらわす。

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(31)-7 邦訳はないようですが。。。=「風」第90号  

それは、右シンポジウムで出会ったユダヤ教学の石川耕一郎氏から送られた、サムエル・サンドメルの『天才パウロ』という本のコピーを読んだ井上神父が、「目からうろこが落ちる」体験をした、として次のように述べているからです。



いくつか版はあるようですが、私が持っているは、この廉価版で、240ページ程。

5,6章だけでも参考になり、面白いです。

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(31)-6 大きな決断=「風」第90号  

しかしあれから四半世紀、本誌に連載された井上神父のエッセイ「漂流――南無アッバまで(五)」(第八〇号)を目にしたとき、実は神父にとってもあの頃――一九八〇年代前半は、信仰的な一つの転機、「決断」の時だったことを、わたしは知ったのです。


井上師には、いくつもの転機がある。

若き日のベルグソンやテレジアとの出会い、例の<たとえ>による回心ほか。。。

わたしは、このサンドメルによる「決断」も、これがなければ、今の「風の家運動」がないほど、大きな出会いだったのだと思う。

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(31)-5 表情が浮かぶメモ=「風」第90号  

こうずけずけと質問するわたしに、神父は怪訝そうな顔をして、

「そうかなあ・・・・。『マルコ』とか読むとそんなことはないと思うが・・・・。」

などと答えてくれたのですが、それでも正直わたしの心はすっきりしないままでした。


この返答は、そのときの井上師の表情も合わせて、よく憶えています。

話を聞くとき、メモをとって、それをまた帰りの電車のなかで、思い出して、補足していました。

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(31)-4 危ない質問?=「風」第90号  

「先生(井上神父)のお話を聞いていると、イエスはやさしい、やさしいとおっしゃいますが、実際福音書を読んでみると、これこれじゃなきゃ地獄に行くぞ、みたいな話が多いじゃないですか?」


こういう質問の仕方は、やはり、飲み屋でしたのでしょうね。

でもたぶん、勉強会でも、趣旨は同じことを質問していたと思います。

それで怒られたこともあったような。。。。

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(31)-3 私のイエスはやさしい=「風」第90号  

<私のイエスはやさしいのです。イエスのまなざしはやさしいわけですよ。>(戸田義雄編『日本カトリシズムと文学』二〇一頁、一九八二年一月十四日「シンポジュウム」記録)

という神父に、あの頃、何かの勉強会の後だったかと思うのですが、若かったわたしは思い切って質問したことがあります。


だいたいは、信濃町の真生会館でやっていた勉強会に出ていました。

あの頃のテープを聞くと、井上師はかなり早口で、まくしたてる、というか、張り切っていたのがよくわかります。

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(31)-2 不安定なればこそ=「風」第90号  

前述したように、本書を最初に読んだ一九八五、六年頃のわたしは、井上神学に接しながらも、勝手な、いわば愛の掟化によって正直なところ、「神を疎ましく」思う心情から抜け出られないでいました。

わたしが最も頻繁に井上神父と会ったのは、受洗前の一九八〇年の暮れから「風の家」設立の八六年頃だったと思います。


あの頃、すなわち私が25歳~30歳くらいは、ほんとうによく飲ませていただきました(笑)。

井上師との思い出の多くが、酒と結びついています。

その間に私は2度の転職を経験しており、そういう不安定さも求道に拍車をかけたのだと思います。

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(31)-1 思い入れのエッセイ=「風」第90号  

一三 サンドメルとの出会い

このあと、本書『人はなぜ生きるか』で井上神父は、パウロの『ガラテヤの信徒への手紙』の、

<あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。>(三章二六節)

や『ローマの信徒への手紙』を引いて、旧約律法をこえたキリスト信仰について述べます。


著作順に、ずっと<たとえ>=ルカ18章「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえを見てきましたが、この『人はなぜ生きるか』は、ことのほか長くなりました。

それだけ、私としても思い入れのある井上神父のエッセイなのです。

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(30)-29 母性的宗教の必然性  

その上で、ユダヤ教は本来的に父性原理の強い宗教、キリスト教は母性原理の強い宗教であり、そこに異質性、「断絶」を見るがゆえに、旧約聖書―前篇、新約聖書―後篇という聖書読みの危険を指摘しているのです。(つづく)


どんな宗教にも、父性-母性の要素はあるだろう。

しかし、これまでのキリスト教はヨーロッパ経由で父性に傾きすぎていた。

その緩衝としてマリア信仰が流布した、という説もある。

隠れキリシタンの信仰は、マリアをこえて観音信仰にも近い変容を遂げた。

大乗仏教伝来から鎌倉仏教の広まりを見ても、日本人にはどうしても、母性的宗教が必要なのである。


この連載は、(31)へつづきます。2012年4月予定

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(30)-28 他宗教に学ぶ  

ただ、話が少し戻りますが、井上神父は先の<旧約聖書と新約聖書の違い>の項で、

<キリスト教は、新約聖書の理解のために、この旧約聖書をユダヤ教から拝借しているのだ・・・・借りてきていながら、・・・・多分に自分流によんでいる・・・・キリスト教という信仰の立場からユダヤ教の聖書を読んでしまっているのだという自覚も、ユダヤ教の人たちのまえで素直にキリスト者は認めなければいけない>(一二〇頁)

と述べていたことにも注意しておきたいと思います。

ここには、キリスト教絶対優位の立場に立ってユダヤ教を見下すような姿勢はまったく見られません。

すでに、神ならぬ人間が、さまざまな宗教を比較し、その優劣を云々することの問題を検討しましたが(拙著『すべてはアッバの御手に』一〇〇頁「ヘリコプターのたとえ」以下参照)、ここでも、キリスト教の母体となったユダヤ教に対して、謙虚な物言い――姿勢が貫かれています。


他宗教から多くのことを学ぶ、という姿勢は、井上師に『法然』などの著書があることでも明らか。

しかしそれは、内容的に2つの宗教を足して2で割るというようなものではない。

あくもで、他宗教信仰者の「姿勢」に学ぶのである。

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(30)-27 ミサの聖書朗読  

当然のごとく聖書は、「旧約」-「新約」の順に編集されています。

また通常ミサのなかでは、第一朗読として多く旧約聖書が読まれ、その後、新約聖書――福音書が読まれます。

このパターンに慣れていけば、特別に注意されない限り会衆は、「旧約聖書を前篇、新約聖書を後篇というふうに受け取り、両方を同じ重要さで読んでしまう」のがふつうだと思います。

こうしたところにも、ユダヤ教とキリスト教を「ごちゃまぜに」してしまう危険があります。


よく知識人が、「新約より旧約の方が面白い」という言い方をする場合がある。

そういうことと、今、生きるために実存的に聖書を読もうとすることとは、まったく違うことである。

ミサの中で、繰り返し読まれる聖書だが、やはり旧約には父性-母性という視点を別にしても、文化的にもピンとこない所が多いと思う。

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(30)-26 決定的な聖書観  

これは、「旧約」-「新約」間に「完全な断絶」を見る井上神父のラディカルな主張であり、わたしたち求道者に聖書の読み方を具体的に示すものです。

と同時にこれは、先にみた『日本とイエスの顔』の「あとがき」で想定された「最大の問題」への実践的回答であり、さらに神父が、コンツェルマンの示したルカの「救済史観」――「旧約」「新約」の流れを直線的に観る――に待ったをかけたこととも合致してくるのです。


キリスト教が父性的か母性的か、という問題の根本にあるのが、この旧約-新約の関係である。

その意味では、結果としての神の性質以上に、この関係をどう見るか(聖書観)は決定的な意味を持つだろう。

「新約は旧約を完成する」という、よくあるキリスト教の見方も、その内実はさまざまである。

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(30)-25 完全な断絶  

<旧約聖書は新約聖書を理解するためにのみユダヤ教から借用>

以上のようなヤーウェからアッバへの、イエスによる神観の「発展、変容」(一二二頁)は、その飛躍の大きさから「爬虫類から鳥類への進化にたとえ」(一二六頁)られるといいます。

そしてそこには一民族宗教から「世界宗教」への「完全な断絶」があったとし、その「当然の結論」として次のように述べます。

<キリスト教にとっては、旧約聖書は新約聖書を理解するためにのみ、ユダヤ教から借用してきている書物であります。

旧約聖書を前篇、新約聖書を後篇というふうに受け取り、両者を同じ重要さで読んでしまえば、キリスト教の理解が混乱してわけがわからなくなってしまうことは当然のことといわなければなりません。>(一二七頁)


この「爬虫類から鳥類への進化のたとえ」は、非常にわかりやすいと思います。

同じ生物。動物として、大元の祖先は同じであるけれども、
いまや、似ても似つかないもの、母性・父性ということなら、
正反対のようになっている2つの宗教ということです。

この「断絶」をどう見るか、ということが、井上神学への賛否の大きな分かれ目だといえましょう。

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(30)-24 悪人が先に  

ちなみに、右傍線部に該当する聖句、『マタイによる福音書』五章四五節b前半の原文は、

<父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ・・・・>

と、「悪人」(ポネールース)が先になっています。

穿った見方かもしれませんが、こうした細かい所にも、イエスの「悪人」に対する悲愛のあたたかなまなざしが感じられるように思います。


「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(歎異抄)を思い出させる有名な聖句。

「最も小さい者のひとりを大切に」ということを、重視したマタイの編集が働いているかもしれないが、
悲愛を本質とする、ラディカルなイエスの生き方をよく表現している。

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(30)-23 信頼か行動か  

そして歴史の流れを通じて神はそれぞれの顔をお示しになったが、最終的にイエスを通して御自分の真の姿を愛の神として全面的に示されたのだというのがキリスト教の信仰だということ、この点をはっきりさせたかったからに他ならないのです。>(一二六頁)


この点は、常に振り返るべき原点です。

この一点を忘れると、キリスト教が戒律・律法主義に、易々と変貌してしまう。

教会の歴史も、神の愛によって働く信仰主義と、律法を守る行動主義かで、いつも揺れ動いてきました。

怒る神→やるかやらないかの行動を迫る律法主義
愛の神→そのままで受け入れてくれる信頼主義

こんな図式が見えてきます。

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(30)-22 『ふしぎなキリスト教』の誤解  

そのうえで神父は、「旧約」と「新約」の神観を比較して次のように結んでいます。

<・・・・「善人にも悪人にも陽をのぼらせ、雨を降らせ」(る)・・・・イエスのとらえた父なる神が、いかに同時に母親的な包みこむ暖かさを持っている神であり、旧約の神ヤーウェとはどんなに対照的な性格をおびているか・・・。



たまたま立ち寄った本屋で、ベストセラーになっているという『ふしぎなキリスト教』という本があり、その冒頭をちょっと読んでみると、まずはじめに、キリスト教とユダヤ教は基本的に同じで、イエスを認めるかどうかの違いだけ、
といったようなことが書かれていたのであきれた。

このあと、論が展開していくのかもしれないが、のっけからこれだと、ますますキリスト教が誤解される。

たしかどこかの書評に、この本を読んで、自分は日本人で、キリスト教でなかったのが良かった、などどいうのが載っていたのを思い出した。

困ったものです。

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(30)-21 旧約に垣間見えるやさしい神  

一二 「旧約」「新約」の軽重

<ユダヤ教のヤーウェ>

前項で、「旧約」から「新約」へ神観が一八〇度転換したことを強調した井上神父は、この項で詳細に、イスラエル民族のヤーウェ神理解の歴史的変遷を述べますが、その基本的性格――怒りと嫉妬の「顔」は、あまり変わらなかったと言います。


旧約にも慈しむ神、憐れみ深い神の性質は垣間見えます。

これも以前わたしは、神父に直接、聞いたことがあります。

「旧約のなかにも、詩編のいくつかのように、やさしい神の顔はありますよね」と。

井上神父はそれを認めたうえで、
「しかし、基調として、怒る神・裁く神が色濃く出ている」
というお答えでした。

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(30)-20 キリスト教の母性原理を捉えなおす  

わたしに語った通り神父は、修道時代のリヨンでの回心を促した「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえを紹介しようと、当該未発表エッセイを『人はなぜ生きるか』に収録したのでした(本誌第八七号三九頁)。

しかしその動機の背景には、右に述べたような母性的キリスト教への確信が強く働いていたのではないか、とわたしは推測するのです。

ということは、かの<たとえ>を母性原理のなかで神父が捉え直していった、ということをも意味するのではないでしょうか。


遠藤-井上師の「キリスト教の仕立て直し」のキーワードは、「母性原理」という言葉に要約されるでしょう。

(但し、この場合の「母性」は、現実の個々の不完全な母親のイメージ=現代では、幼児虐待などをイメージしてしまうケースもあろう=ではなく、人を裁く前に受容する「やさしさ・包容力」の象徴として)

テレジアにひかれ、リオンでの<たとえ>による回心。

<たとえ>は、人を裁かず、アッバに頭を下げる大切さを教える。

この点が、明確に「母性」の要素として捉えなおされた。

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(30)-19 旧約と新約との断絶  

こう考えますと、なぜ神父がこの「書き下ろし」をかの講演集に収録したかったのか、また、穿ってみれば今回わざわざ、わたしにコンツェルマンの名をあげて、ルカの救済史観への留保を示唆したのか、という理由がよりよく理解できるように思います。

すなわち、井上神父は編集史研究の成果により、新旧約の連続・直線的発展性を強調するルカの救済史観をこえた所に、アッバのやさしさ――イエスの母性的神観を確信していった、ということです。


この点が、従来の教会が新旧約の連続・直線的発展性にもとづく神学を基本としてきたこととの大きな違いです。

この意味では、新約聖書を「旧約の成就」として見る、というこれまでのキリスト教観をも見直すことになるでしょう。

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(30)-18 深化する神学  

本題『人はなぜ生きるか』の「私にとっての聖書」(一九八五年)に戻って考えますと、このエッセイが書かれたのは、『日本とイエスの顔』(一九七六年)の初版から九年目、さきの「あとがき」(一九九〇年)の五年前です。

ということはこの一文は、右に述べたような「確信」が、井上神父のなかで「ますます」強くなっていった時期に書かれたものということになります。


井上神学が、最初から固定的なものではなく、井上神父の思想や体験と共に、深化し発展していったということ。

私たちが20数冊の著作を読むときには、そのことも頭に入れておきたい。

昔、井上師に、「Aの本にはこう書いてありますが、Bにはああ書いてありますが。。。。」みたいなことを聞いて、お叱りを受けたことがありました。(笑)

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(30)-17 アッバに賭ける  

このバイアス部分をできるかぎり元の形に還元していくことによって、イエス本来の人となりや言動が垣間見えてくる――井上神父が「編集史研究」の成果によって「ますます」強くした「確信」とは、このようにして得られたものと思われます。


こうしたことは手探りの、気の遠くなるほど手間のかかる、大変な仕事でしょう。

また、私たちのような凡夫でさえ、相反するような性格や気質、考えを持ち合わせた「この人間--未知なるもの」です。

とすれば、どんなにか研究が進んでも、イエスの本質に関する議論は絶えないとも思われます。

しかし、ああかもしれない、こうともいえる、では信仰を生きることはできない。

そこにはどうしても「賭け」の要素は残るのだと思います。

そして、井上師は「アッバ」というキーワードに賭けた。

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(30)-16 福音書はバイアスがかかっている  

すなわち福音書記者マルコにはマルコの、マタイにはマタイの編集目的や関心があり、その方針にそって、伝承の取捨選択・構成がなされ、ときには加筆修正や削除など、伝承そのものを「変える必要」もあったということです。

大まかに言えば、それぞれの伝承は福音書記者の意図や関心によって、さまざまなバイアス(偏り)がかけられて編集されたわけです。


人間的な意図が聖書に反映されていることは、否めない。

ただ、そのように編集された聖書が「聖なる」書ではない、ということは簡単には言えないでしょう。

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(30)-15 井上洋治著『人はなぜ生きるか』における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>をめぐって ( 『風』第89号 )  

さらに、それらの伝承は客観的時系列的に福音書として編集されたのではなく、各福音書記者がそれぞれの意図

――ここでも個人というよりは所属する共同体の「目的」――を持って現在の形にまとめられたということ。

それを明らかにしたのが「編集史研究」です。




井上神父は、「様式史」と「編集史」の関係を、石庭にたとえています。

すなわち、石庭を眺めたとき、「この石はどこから持ってきたのだろう」と考えるのが、様式史研究。

「これらの石はどういう意図で配置されたのだろう」と考えるのが、編集史研究。

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求道詩歌誌「余白の風」

南無アッバの集い&平田講座

最後の南無アッバミサ

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