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カテゴリー「キリスト者が読む山頭火」の記事一覧

日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

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踏みわける萩よすすきよ  

前書きに、
「昭和二年三年、或は山陽道、或は山陰道、或は四国、九州をあてもなくさまよふ」
とある。

あてどなく「さまよふ」山頭火が、「萩」や「すすき」を「踏みわける」・・・・それは、己が自我の置き所を探す旅ではなかったか。

しかし、自我が対象を「踏みわけ」ようとする分別は、山頭火の心に、平安をもたらすことはなかったのではないか。

「~よ~よ」に、救いを求める山頭火の切実さが込められている。

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木の葉散る歩きつめる   山頭火  

CIMG2632.jpg「鉢の子」より。

「木の葉散る」リズムで、「歩きつめる」山頭火。

この「リズム」を想像するとき、カトリック信者が思うのは、まずロザリオの祈り。
主の祈りとアヴェマリアを繰り返す。
単調ななかにも心地良い一定のリズム。

そして今は、「南無アッバ」の祈り。
「アッバ、アッバ、南無アッバ」と繰り返す。。。
「木の葉」が御心のままに、使命を果たし、静かに散っていく。
裏を見せ、表を見せて、無心に散っていく。
そのリズムに合わせて歩きたい。

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まつすぐな道でさみしい  

(12)
<歩かない日はさみしい。飲まない日はさみしい。(俳句を)作らない日はさみしい。>

と日記に書いた山頭火は、今日も行乞姿で歩き続けます。
山頭火が生きた道はけっして平坦ではありませんでした。山あり谷ありの凸凹人生です。迷いもあれば、お酒や色の欲も捨てきれない道でした。
他人を悪くいわず逆に自己批判が強かった山頭火は、こうした自分の不甲斐なさにたびたび打ちのめされました。その挙げ句が、熊本での自殺未遂でした。
出家してからも、放浪と酒の虫がおさまらず、庵を飛び出します。酒も放浪もついに止められなかったのは、世間的には意志の弱さ、甘えと片づけられるかもしれません。妻や子、あるいは俳句の仲間、善意の人たちにさんざん迷惑をかけ通した山頭火。
しかしそうした一連の不祥事、優柔不断、紆余曲折にあっても、わたしは山頭火の一生は、「まっすぐな道」、一筋の道を見つめていたのではないか、と思うのです。それは、神仏を求める道、まことの生き方を求める道、救いを求める道でした。

カトリック信者は、「道」といえばまず、十字架の道行きを思い出すでしょう。
福音書ではイエスの受難と死の描写に最も多くの紙面が割かれています。福音書とは本来、イエスの受難史に前置きとして生前史をつけ加えたものだ、とまでいう聖書学者もいるくらいです。新約聖書全体が「イエスはキリストである」という信仰告白に貫かれていますが、その中心はイエスがどのように苦しみ、どのように死んだか、その道行きにあるともいえるのです。

山頭火は自らの救いを求めて放浪しましたが、イエスは人類の救いのために十字架の「道」を「まっすぐ」に進んでいきます。その道の果てに、人間として味わう極限の屈辱と苦しみに満ちた死を遂げたのです。
しかしそのイエスを神は見捨てることはしませんでした。

<神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。>(使徒二・二四)

孤独と屈辱と苦しみに満ちた十字架へ向かった「まっすぐな道」は、暗黒の死を通り抜け、復活へと続く道だったのです。そして、この前代未聞の道をたどったイエスが、今度は、すべての人を救いへと導く「道」そのものとなったのです。

<わたしは道であり、真理であり、命である。>(ヨハネ一四・六)

もちろん山頭火がめざす「まっすぐな道」にもイエスは同伴者として寄り添い、道そのものとなってくれることでしょう。そこに思い至れば山頭火の歩む道は、けっして孤独で「さみしい」ばかりの道ともいえないのです。

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講座・南無アッバの集い

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