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カテゴリー「今日、心に残った言葉」の記事一覧

日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

この世の悲惨と御国の希望をつなぐイエス  




天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りする(ヨハネ1:51)



南無アッバ


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あちら様から呼びかけてくる人生  

「わたしに従いなさい」(ルカ9:59)

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だれにも決断の時がある  

イエスは、エルサレムに向かう決意を固められた。(ルカ9:51)

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ふがいないペトロを信頼するイエス様のお姿(井上説)  

「あなたは、神からのメシアです」(マタイ16:13以下参照)

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イエスとは何か?と問うことは  

ひとつの愛かもしれない。
「いったい、何者だろう。こんなうわさの主は。」(ルカ9:9)

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神の壮大な計画  

アッバは私たち、罪びとを招き(マタイ9:13)、
一人ひとりに、それぞれ恵みを与え(エフェソ4:7)、
キリストの体を作り上げてゆく(12)。
そして、キリストに向かって成長し(15)、
補い合って、
自ら愛のよって造り上げられてゆく(16)。

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足るを知る=知足(ちそく)  

信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道(Ⅰテモテ6:6)
食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべき(同:8)

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苦しみの意味  

キリストは苦しみにより従順を学ばれ、救いの源となられた(ヘブライ5:8-9)

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迷いが出たときは原点に戻れ!  

神は裁くためでなく、救うために御子を遣わされた(ヨハネ3:17)

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力強い御言葉!  

若者よ、あなたに言う。起きなさい(ルカ7:14)

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百人隊長の謙虚さ  

ひと言おっしゃってください(ルカ7:7)

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偏り見ないことの何と難しいことか  

まず自分の目から丸太を取り除け(ルカ6:42)

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万事が益となるように共に働く(ローマ8:28)  

(なぜなら)神は我々と共におられる(から)(マタイ1:23)

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南無イエス、南無キリスト、南無アッバ  

キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられる(コロサイ3:11)

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老いも若きも同じ一日、この一日を大切に  

あなたがたは、キリストにおいて満たされている(コロサイ2:10)

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すべての人に神から与えられた使命がある  

立って、真ん中に出なさい。(ルカ6:8)

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日々新たな気持ちで  

新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れねばならない。(ルカ5:38)

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見込みがないと思うときにも  

「しかし、お言葉ですから網を降ろしてみましょう」(ルカ5:5)

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使命の自覚-遠い先はわからなくても、今日なすべきことを  

「わたしはそのために遣わされたのである。」(ルカ4:43)

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迷ったときは、アッバの御心の根本に戻ろう!  

テサロニケの信徒への手紙一 / 5章 9節
神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。
提供:日本聖書協会

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一月十五日  

ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました。

(サムエル記上一章一五節:九~二〇節参照)

ずっと子供のいなかったハンナが主に懇願し、ついに男子(サムエル)を授かるくだりです。

夫エルカナにいくら慰められても、やはり、子供を持っているペニナに見下された劣等感、恥は拭い去れなかったのかもしれません。

しかし、動機は何であれ、「主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました。」
「訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです」(一六節)という、
ハンナの率直な信頼の態度を、神は「よし」とされたのです。

また、その願いがかなう前に、「彼女の表情はもはや前のようではなかった」(一八節)
――悩ましいものではなかったという点にも注目しましょう。

ハンナが明るくなったのは、自分を偽らず、主に率直に願いを注ぎ出し、
さらに、祭司エリに「安心して帰りなさい」(一七節)と声をかけられたからでしょう。

このようにわたしたちは、神=アッバへの絶対信頼と、他者との関わりの中で癒されていくということを、今日は学びたいと思います。

冬晴れをゆるり歩めるイエスかな  栄一

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宇津井健さんと瀬戸内寂聴さんの対談  

宇津井「妻はC型肝炎になったとき、井上洋治神父の洗礼を受けましたから、死期が迫っても堂々としていました。

その姿に打たれて、私も一昨年の誕生日に洗礼を受けました。」

寂聴「・・・・さっきお話の出た井上神父さま、私もよく存じあげているんですよ。

遠藤周作先生のお友達で、素晴らしい方ですね。

あの方のお世話で、作家の方も随分とクリスチャンになっているんです。

私は途中で、ちょっと違う、やっぱり私は仏教かなと思って、随分悩みましたけれど、ご紹介くださった遠藤さんと神父さまに思い切ってそう申し上げたら、おふたりとも全く怒らないで、「そうかもしれないね。よかったね」って言ってくださった。」

(「いきいき」2007.6月号より抜粋)

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自然現象と神の国  

偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。(ルカによる福音書12章56節)

イエスの手厳しい言葉が続く。

『略解』は、イエスが「このように認識における二重構造をもつ人々を<<偽善者>>と呼んでいる」とする。

とまれここでは、自然現象と神の国宣教を別次元に捉えようとする態度が批判されているのである。

とすると、われわれ日本人のように、西欧から見れば過剰ともいえるほど、自然現象の中に、様々な人生論的意味を読みとろうする態度は、あながち批判されるばかりではなかろう。

枯れ枝に一声鳴いてたじろがぬ時を見分ける鳥のまなざし   栄一

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永遠に続く苦しみはない  

自分の十字架を
イエスさまと背負って
あとはアッバに
お委せしよう

マタイによる福音書10章より。

考えてみると「自分の十字架」って、いろいろありますよね。

体や心の弱さ、持って生まれた性格、家族や友人のこと。。。。

「諦める」っていう言葉は、「明(あか)らめる」って言葉から来ているそうです。

つまり、物事の本質をごまかしなく、明らかにするってことが、諦めること。

だから、本来、マイナスのことじゃないのです。

二、三日前は、35度とかで、どうなっちゃうんだろ、って思ったら、もう、梅雨寒のような過しやすい今日。

背負ってるときは、永遠に続くとも思われる十字架ですが、「永遠」はこの世にはありえません、良いことも、悪いこともね。

---アッバ、アッバ、南無アッバ!---

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イエスの周りに集う  

>31:マルコによる福音書 / 3章 31-35節
・・・・大勢の人が、イエスの周りに座っていた。・・・・イエスは、・・・・周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」

イエスは、「周りに座っている人々」を「私の母、兄弟」だといった。
すなわち、イエスの周りに集う者は、血縁に関わらず、イエスの家族となる。

彼らは、集まって、イエスの話に耳を傾けていたことだろう。
イエスのもとに集い、その話に耳を傾ける者、それはまた、「神の御心を行う人」ともなる。

わたしたちも、いつも御言葉のもとにつどい、耳傾ける者となりますように。

アッバ・イエス 南無アッバ

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使徒の使命  

>マルコによる福音書 / 3章 14-15節
そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。

イエスが十二人を選んだのは、上3つの理由によるという。
彼らに連なる私たちも、同じ使命を負っているとみてよい。

すなわち私たちの為すべきは、
①「自分のそばに」・・・・いつも祈る心をもってイエスのそばを離れないこと。
--ヒルティは人の最高の幸せは「神のそば近くにあること」といった。
②「宣教」・・・・それぞれ与えられた立場と力で、福音を述べ伝えること。
--伝道は、聖職者任せの問題ではない。
③「悪霊を追い出す」・・・・必ずしも奇蹟的なものを意味しない。広く神の支配に協働すること。なにより、家庭・職場など日常の中で、南無アッバの祈り心で生活すること。

いつくしみ深い父よ、みことばといのちのパンで養われた私たちを強めてください。(拝領祈願)

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蛇脳で見る  

>マルコによる福音書 / 3章 11節
汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、「あなたは神の子だ」と叫んだ。

聖書世界では、天使や悪霊は、人間より霊的能力が高いとされている。
マルコ福音書で最初にイエスを「神の子」と見抜いたのは、「汚れた霊ども」であった。

今、『ナムの道もアーメンの道も--ある隠修士との対話』(藤原直達神父編)を興味深く読んでいる。
この「ある隠修士」であるせん足カルメル会士・田中輝義神父は、次のように語る。
「(私たちは)主観的なものである生身の「生命単位」(=蛇脳)の内に思索の材料を頂いているのだから、それをベースに思索せよ」と(15頁)。

「蛇脳」とは、「脳幹と小脳の間にある爬虫類脳」であり、「生命単位が電光石火の如く光るのは、大脳における自我意識においてではなく、脳幹にある生命単位、蛇脳においてです。私はこれこそが生命の共通性であるという立場をとっています。」云々。

霊的な目でものを見る、イエスを見る、というのは、理性的・客観的・合理的な大脳の働きではなく、主体的・主観的・「生身」の「底」から見る、ということなのかもしれない。

http://www.com-unity.co.jp/naikan/annai.htm

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かたくなな心  

>マルコによる福音書 / 3章 5節
そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。

律法遵守だけにとらわれて、目の前の人の苦しみに思いをいたすことができない心--「かたくなな心」をイエスは悲しまれた。

アッバ、わたしたちのなかにもある「かたくなな心」--日々の煩いへのこだわり、名誉欲、エゴイズム、所有欲、見栄・・・・を取り除いてください。

思い通り、思惑通りの結果にならないときにも、アッバへの信頼を失うことなく、希望をもちつづけることができますように。


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常識をこえて  

>サムエル記上 / 16章 7節
しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」

今日記念日の聖アントニオは、「地上の富にとらわれることなく」(奉納祈願)神の呼びかけに応えて、荒れ野にひきこもりました。

第一朗読では、ダビデの選びの様子が語られます。
サムエルが「この人だろう思った」者ではなく、意外な人物--ダビデを主は選びます。

福音朗読(マルコ2:23-28)では、「安息日論争」において、当時の人たちが常識と考えていた律法解釈を、イエスはひっくり返して言います、
「安息日は、人のために定められた」と。

こうして今日語られる御言葉全体から、私たちがいかに「目に映ること」--人の外見や容姿、富や財産、世間的常識に囚われているかを教えられます。

アッバ、イエスは、こうした「わたしたちの心の目を開き、わたしたちがどんな希望に召されているかを示してくださいます。」(アレルヤ唱:エフェソ1:17-18)

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イエスの神観  

>主はあなたに出陣を命じ、行って、罪を犯したアマレクを滅ぼし尽くせ、彼らを皆殺しにするまで戦い抜け、と言われた。・・・・主の御言葉を退けたあなたは、王位から退けられる。(サムエル上15:16-23)

今日の第一朗読箇所。この預言どおり、サウルは王位を去ることになる。
しかし、これをキリスト者はどう読み、かつ信者でない人にどう伝えるだろうか?

たしかに、ここは、「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物」などではなく、「主の御声に聞き従うこと」を教えるためだ、といえるかもしれない。

しかし、「罪を犯した」とはいえ、敵を「皆殺しにするまで戦い抜け」と命じる厳父の神を、わたしたちは心から信頼することができるだろうか?

イエスがこのような旧約の神観を否定・超克し、神は慈父のような「アッバ」なる方だと見抜いたところにこそ、「新しいぶどう酒」の意味がある(今日の福音朗読マルコ2:18-22)。
そしてこの福音は「新しい皮袋」に入れなければならない。

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呼ばれています  

>コリントの信徒への手紙一 / 6章 14節
神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。

今日ミサ、第一朗読ではサムエルが神に呼び出され、エリのもとに何度も行ったこと、福音朗読ではヨハネ1章、洗礼者ヨハネがイエスを見つけ、弟子たちが次々イエスのもとに呼ばれていく様子が描かれています。

これらの記事から、神からの召命は、多く他者を通して行われるということを私たちは教えられます。

何気ない日常の人と人のつながり、そして人と自然との接触のなかで、私たちは神の声を聞くことになるのです。

こうして人を介し、自然を介し、イエスを介して、イエスがアッバに復活させられたように、私たちも復活へと招かれています。

今朝のミサはひさしぶりに、暖かな風に恵まれました。

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選ばれるということ  

>医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。(マルコ2:17)

典礼暦聖書では、第一朗読でサウルがサムエルから油をそそがれる場面(サムエル上9-10)が読まれ、福音朗読では、イエスはレビに「わたしに従いなさい」と呼びかけます。

掲句では、「丈夫な人」より「病人」、「正しい人」より「罪人」を招くイエスの姿--

ということから、今日のテーマは神の「選び」ということだと思います。

わたしはこれらの御言葉から、次の句を連想します。

>ヨハネによる福音書 / 21章 22節
イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」

現代生活は、昔と比べれば遥かに便利で快適で、自由に見えます。
ところが実際のわたしたちは、見栄、やっかみ、嫉妬、他者の目や行動、、、、等々に縛られ、人生の本質をしばしば見失ってはいないでしょうか。

「ひとのことは私に任せなさい。あなた自身私についてきなさい」とイエスは言います。

人にはそれぞれに「選び」がある。
もちろん「健康な人」にも「丈夫な人」にも選ばれた「使命」があります。

そこのところで人に左右されてはいけない。
今日の福音はそのように教えているように思います。

外は久しぶり、音のするほどの雨です。

毎日のミサの友

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他者の祈りによって救われる  

>イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦(ゆる)される」と言われた。(マルコ2:5)

このペリコーペ後半の権威問答より、私は前半の状況、担架でか、動けない中風の人を何とか癒してあげてほしいと、四人の男が運んできて、屋根に穴をあけてまで、イエスに近づこうとした信仰。。。

何度読んでもこのくだりに感動する。
イエスへの全幅の信頼こそキリスト信仰の要。
その典型がこの「四人の男」にあらわれている。

「中風の人」自身にどれだけ信仰があったかはわからない。
イエスが見たのはむしろ、彼を連れてきた「その人たち」-「四人の男」の信仰の方である。

彼らの信頼にイエスは即こたえる。

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帰還命令  

>ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献(ささ)げて、人々に証明しなさい。(マルコ1:44b)

イエスはハンセン病を癒したあと、このように言って、彼を社会復帰させる--帰還命令。

「勝ち組・負け組」という言葉が流行語になり、株やネットで瞬時に大金を手にする一握りの若者と、多くのニートやひきこもりを、現代社会は現出させている。

イエスの福音は、ただ精神的な安心を得るためだけではない。
ひとたび福音の恩恵にあずかった者は、教会からこの世のただ中へと背を押され、社会的動物として、具体的にどう生きるかが、問われている。

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さわやかな伝道  

>イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」(マルコ1:38)

自分の使命、何をすべきか、またその意味を知っている人の幸せ。

「宣教する」といっても、イエスのこの姿勢には、不思議と、おこがましさや押しつけがましさは感じられない。

イエスだけでなく、伝道はすべてのキリスト者の使命であり、喜びであり、さらに楽しみでもある。
言葉によるか、行動によるか、その他なんでもそれぞれが得意とする道を選べばいい。
そのために、こうしたブログも有り難い道具。

いずれにしろ伝道は、ここのイエスのように、さわやかに行きたい。

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疲れを癒す  

授業初日は疲れますねー。
そういうときは、この聖句で、安らぎましょう。

マタイによる福音書 / 11章 28節
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

詩人星野富弘さんが、最初に出会った句だとか。
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聖書と合わせて、コンコルンダス(聖書語句索引)を一冊手元に置くと便利ですよ。
私は大型のものを使っていますが、お手頃なのは、これ↓など。
新共同訳聖書コンコルダンス

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thread: 言霊(格言・名言・自分の考え)

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最良のぶどう酒  

「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」(ヨハネ2)

イエスが最初の奇跡を行ったという「カナの婚礼」の場面。

ここはよく、旧約の時代から新約の新しい喜びの象徴、と理解されます。

しかし、この最も「良いぶどう酒」こそイエス様ご自身なのではないでしょうか。

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thread: 癒し

janre: 心と身体

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悲愛のリレーランナー  

マタイ10:17-22 ステファノ殉教者祝日

このペリコーペは、「由来と背景の異なる種々のロギアが、迫害というモチーフで結び合わされ、・・・・イエスに帰せしめ得る部分はほとんどなく、教会の事後預言がイエスの発言として弟子派遣説教の中に折り込まれたものである。」(注解1)

とはいえ、この箇所をステファノの殉教(使徒7章)と合わせて読むとき、大きな示唆を受ける。
ローマの百人隊長に「本当に、この人は神の子(ルカでは「正しい人」)だった」(マルコ15:39)と言わしめた十字架上のイエスの姿と、サウロ(パウロ)の回心の背景にあるステファノをはじめとする殉教者の姿とが重なるのである。
そして敵をどこまでもゆるすこの姿勢は、アッバの悲愛の心の体現であった。

日々祈るわたしたちにも、少しずつアッバの心が伝染し、世々悲愛のリレーランナーとなることができますように。

アバ霊(たま)よ街から街を吹き抜ける   栄一

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いかようにしても光は勝つ  

ヨハネによる福音(1:1-14)

命の光を<民は受け入れず>(11)<暗闇は理解しなかった>(5)。
わたしたちは、罪や弱さや怠慢、エゴイズムによって、目が遮られ、暗闇の中を歩く。
そして失敗し、無気力になる。間違いを犯し、互いに争う。

にもかかわらず・・・・<光は暗闇の中で輝き、暗闇は光に打ち勝たなかった>(5)。
南無の心は、この光――弱さも罪も<万事が益となるように共に働かす>(ローマ8:28)アッバに信頼する心。

このように光は、いかようにしても必ず勝つのだが、この福音を知った者は、それでもあえて悪に留まろうとするだろうか?

秋霖や万事御国(みくに)へ招かれん  栄一(2005.11余白の風116号)

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信頼の予型  

ルカによる福音(2:15-20)。

<マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。>(19)

イエス懐胎以来、めまぐるしく事が運んでいく。その意味を探ろうとするマリア。
受胎告知のとき、天使の言葉に「戸惑い、考え込んだ」(1:29)マリアは、「お言葉どおり、この身に成りますように」と、すべてをアッバに委ねた。
今また、イエス誕生の出来事をいくら「思い巡らし」ても、ついにその意味が明らかになったわけではないだろう。
しかしわからないままに、今回もアッバにすべてを委ねたに違いない。

イエスがアッバに全幅の信頼を寄せた、その予型をマリアに見ることができる。

  降誕や天地を御子が縫合す   栄一(2004.05紫・山紫集)

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福音の逆説  

ルカによる福音(2:1-14)

イエスの誕生によって「今日」(11)救いが地上に実現していることを、ルカは伝える。
しかしそのしるしは、「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」にほかならない。
救い主は、人の目にはまったく目立たない、貧しく、小さく、つまらない者としてわたしたちの前に示されたのである。
驚くべき救いの実現が、驚くほど小さな事から始まる、という福音の逆説。

一方、当時世界最強のローマ皇帝の行動(勅令発布)が、ベツレヘムでのこの小さな救い主の誕生に貢献する。
ここにも福音の逆説がある。

「二タラントの者」とて生きんクリスマス  栄一(マタイ25:22より)

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救いの多様性  

ルカによる福音(1:67-79)

77節「罪のゆるしによる救いをその民に知らせる」は、「救いを体験的に知らせる」ことである(注解)。

聖夜を迎える今日、わたしたちは自らの救いの体験を、どう受け取り、どう伝えるかを考えよう。

今日の箇所「ザカリアの賛歌」は旧約の文脈にそった救いを語る。
しかし、わたしたちはそれぞれの置かれた文化・環境において、これを受け取り直さなければ、体験的に実感することはできない。

こうしたインカルチュレーションとともに、さらに個人史をもそこに重ね合わせることになるだろう。

そう考えると、「救い」とは十把一絡げのものでなく、個々の国民性・個人史を網羅する多様性に富んだものでなければ、普遍性をもたないことになる。

今届いた井上神父からのクリスマスカードには、
「時の流れを超えて
風(プネウマ)の営みのなかで
私たち一人一人の人生を
共に歩んでくださる
イエスさまのお誕生」
とあった。
井上クリカ

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産んで育てるということ  

ルカによる福音(1:57-66)

「この幼子はいったい、どんな者になるだろうか。」(66)
天使の予告どおりに事が進んでいくにしても、母になるエリサベト、父になるザカリアに人間として不安がなかったということは、考えられない。
マリアやヨセフも場合もこの点は同じだろう。

無事に生まれてくるだろうか、という心配から始まって、子が成長するまで幾度、「どうなってしまうのだろか」という場面に直面することか。
それを乗り切っていくことが、父になること、母になるということである。

小さな生命を育むという喜び、楽しみとともに、不安や苦労の種によって、父母自身も教えられ、訓練され、神の国へと準備される。
それは本来最大の楽しみとなるはずである。

今日の朝刊トップの見だしに、「人口減 産めぬ現実」
とあった。

category: 今日、心に残った言葉

thread: 子育てのつぶやき

janre: 育児

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無条件の福音  

ルカによる福音(1:46-56)

マグニフィカトと呼ばれる有名なマリアの賛歌。
ここにも逆転・「逆説」の思想が見られる。
「畏れる者」に「憐れみ」、「思い上がる者」は「打ち散らされ」、「権力ある者」は「引きおろされ」、「身分の低い者を高く上げ」、「飢えた人を良い物で満たし」、「富める者を空腹のまま追い返す」神。

貧しく、健康にも恵まれず、あらゆる能力に劣っている、と自信をなくしていた人々には、この逆説の神の論理は、文字通り「福音」であり、ストレートに心に沁みたことだろう。
それが無条件に、「浄不浄・信不信を問わず」というラディカルなものであってみれば、なんと新鮮な響きの福音ではないか。

律法、善行、信仰・・・・あらゆる条件を超えたところにイエスの見た福音があったのではないだろうか。

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出会い  

ルカによる福音(1:39-45)

マリアがエリサベトのところに出かけていき、二人が出会う。
二人の交歓が美しく描かれている箇所。
ロザリオの祈り、喜びの第二玄義として度々祈ってきたが、一五(二〇)玄義のなかでも、最も美しい光景を黙想できる箇所である。
マリアとエリサベト、イエスとヨハネの霊的出会いは、二人の母の胎内にまで溯ると、ルカは伝えている。

今日は、「出会い」、あるいは「縁」の不思議に思いをいたす。
半生を振り返れば、何気ない出会い、偶然のように思えることの積み重ねによって、今の自分がある。
たとえば、井上神父との出会い。
あのとき遠藤周作氏の本に出会っていなかったら、井上師との出会いもなかった。
同じころプロテスタントの一信者に出会わなければ、やはり井上師を知ろうともしなかったろう。
書物、人、事件・・・・そしてさらに病や苦しみなど、一見マイナスな事柄こそ、大切な出会いのチャンスになっているのではないか。

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母としての覚悟  

ルカによる福音(1:26-38)

今週の主日の福音と同じ箇所。
カトリック信者は、毎日のようにアヴェマリアを唱えるが、黙想の度に新鮮さを失わないペリコーペである。
「おめでとう、恵まれた方。主はあなたと共におられる。」(28)
「どうして、そのようなことが・・・・」(34)
天使ガブリエルの祝福と励ましを受けて、マリアは「fiat mihi」(我になれかし」と答える。
そのすばやい転換、覚悟、潔さ・・・・母あるいは女性としての強さか・・・・。

わが子たちが生まれた頃を思い出す。
たしかに、産み月が近づくと、恐いものがなくなったように、温和でどっしりした妻の姿があった。
そして、お産に立ち合ったときの感動がよみがえる。

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全てが準備される  

ルカによる福音(1:5-25)

ルカは洗礼者ヨハネを、ザカリアとエリサベトの子として描く。
イエスの誕生(出現)に向けて、ヨハネが旧約と新約の橋渡しとなり、またイエスに従属するものとして物語が展開する。
エリサベトがマリアの、ザカリアがヨセフの予型として描かれる。

イエスの宣教第一声は、「時は満ちた」(マルコ1:15)というものだが、すでにイエス誕生以前に、救いの準備の時が満ちていたのである。

アッバ、主の降誕に向けて、私たちの心を準備させてください。
日々の「不安」や「恐怖」(12)、障害(20)や「恥」(25)をも、神の国への「喜び」(14)へとつながるものとして、希望を失わず生きることができますように。

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御心のままに  

ルカによる福音(1:26-38)

待降節最終週です。
クリスマスまで、ルカ1章が読まれます。

「恐れることはない。」(30)
「神にできないことは何一つない。」(37)
「お言葉どおり、この身に成りますように。」(38)

マリアへの言葉は、私たちへの言葉でもあります。
マリアはイエスの受難に向けて、後にどんなにか心配し、不安を抱き、悲しんだことでしょう。
しかし、どんなに辛くても、不安でも、悲しみに打ちひしがれてしまうようなことはなかったのではないでしょうか。
マリアの心は、このお告げ以来、アッバへの全幅の信頼が、文字通り心底に重石のようにしっかりと据えられたからです。

不可能を可能にする確信(37)と、ただしそれは、自分のエゴを通すのでなく、どこまでもアッバの御心の実現へのゆだね(38)--
このマリアに、イエスのオリーブ山での祈りの予兆を見る思いがします。
それはどちらも「南無アッバ」の祈りです。

「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」(22:42)

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「系図」が暗示するもの  

マタイによる福音(1:1-17)

今日の黙想箇所については、拙著新刊『俳句でキリスト教』の冒頭の句評をごらんください。→「系図」が暗示するもの
(出版にあたって加筆訂正してあるかもしれません。)

主の系図冬青空を貫きて   栄一

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今、ここに  

ヨハネによる福音(5:33-36)

イエスは人の証しでなく、ヨハネの証し以上のもの、
「わたしの行っている業そのものが、証しする」(36)という。

病気は治らず、戦争は絶えず、殺人事件が頻発し・・・・
この現代にあって、わたしたちはどこに福音の証しを見ることができるだろうか。

しかしイエス存命中も、すべての者が癒されたわけではなかった。
初期キリスト教団にも、いさかいや議論が絶えなかった。
証しとしての神の業が小範囲で行われつつ、同時に広く悲惨も絶えてなくなることはなかったのだ。

その状況は、今も昔も変わらない。
逆にいえば、今、ここにも、目を凝らせば、イエスの業を、証しを「見聞きする」ことができるのではないか。

たとえば、マザーテレサの活動・・・・
いや、あの聖人のような活動とは比べものにならないにしても、身の回りに、あるときのわたしたちの行動や思いの中に、小さなイエスの「業」が行われていた、いや今も行われているのではないだろうか。
目を凝らし、耳を澄まそう。

目を凝らし耳澄ませて聞く冬の業   栄一

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平田栄一の本

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

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