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2019年9月【新刊】平田栄一求道俳句集4『星屑のアダム』  

星屑のアダム

平田栄一求道俳句集第4弾!
『星屑のアダム』

大活字なので、ご高齢の方にも読みやすい!

「俳句は祈り」をモットーに三十有余年続けてきた句作。
習作・実験作を含む祈りの軌跡。
本句集には、既刊3句集に採らなかった438句(最多)を収録しました。
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井上洋治神父の色紙画像(モノクロ)6枚を掲載


ヨブ記繙く雨上がりに残る雷鳴

一歩譲る度猫背になってゆく

冬晴れをゆるり歩めるイエスかな


ぜひご一読ください。

(A5版、187頁、ソフトカバー、定価1,500円+〒180円)

お申込みは直接、平田まで、メールにてご連絡ください。


category: ○著書

tag: 悲愛のこころ,アッバを呼ぶ,
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平田栄一求道俳句集3『悲愛のこころ』  

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平田栄一求道俳句集第三弾!
『悲愛のこころ』

総ルビ付き

著者三冊目の求道俳句集をお届けいたします。

本句集には、自由律俳句を含め第二句集に採らなかった319句を収録しました。


祖父の愛した山高帽そっと秋日に置く

手指死人のように組み夜の雨安らかに聞く

ままならぬゆえに御旨と知れる月



どなたにも読みやすいように、全作品にふりがなをつけました。ぜひご一読ください。

(A5版、170頁、ソフトカバー、表紙写真・デザイン著者、定価1,000円+〒180円)

お申込みは直接、平田まで、メールにてご連絡ください。


category: ○著書

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平田栄一編著・求道俳句誌『余白の風』抜粋集  

ただいま品切れとなっています。
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『求道俳句誌集 余白の風(抜粋)』
平田栄一 編著(A4版、214頁、定価 1,500円+〒360円)
創刊30周年、200号突破記念事業

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ごあいさつ

本誌「余白の風」は、一九九〇年の創刊以来、さまざまな紆余曲折を経ながらも現在まで、二十八年間発行を続けてまいりました。

これもひとえに会員・読者の皆様のおかげと心より感謝申し上げます。

本誌は自由律俳句の会「層雲青年句会報」から始まり、広く短詩を含めた通信句会「青年句会報」を経て、現在の求道俳句誌「余白の風」となりました。

こうした趣旨の変遷とともに、発表形式も変化し、現在の形に落ち着きました。

ここに、創刊三十年を前にした記念事業として、既刊号の中から、現在の発表形式が定着した第一三六号(二〇〇七年五月)以降第二三二号(二〇一八年五月)まで、十一年間の会報を一冊にまとめさせていただきます。

今後とも、故・井上洋治神父の教えて下さった「南無アッバ」の心を養うために、共に詠ってまいりましょう。

二〇一八年初夏
主宰・平田栄一
南無アッバ

ご注文は、平田まで、メールにてご連絡ください。


category: ○著書

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平田栄一求道俳句集2『アッバを呼ぶ』  

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大きな活字で読みやすい!
井上洋治神父帰天4周年を記念

初心以来三十年間に発表してきた求道俳句の中から、定型句を中心に三百余句を厳選して一冊にしました。

井上神父は、イエスの教えとして最も大切な「悲愛」の心と古来日本人の「物の哀れを知る心」は根を同じくし、それは俳句道や歌道につながっている、と述べています。

所収一句なりとも、皆様の祈りに響き合うものがあれば、幸甚の至りです。

どこまでもゆるされて雲風に乗る
秋分や神の国への回帰線
夫々に十字架はある冬の蝶


(A5版、186頁、定価1,000円、〒180円)

ご注文は、平田まで、メールにてご連絡ください。


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平田栄一著『「南無アッバ」への道』-井上洋治神父の言葉に出会うⅢ  

img002_20160321211848f12.jpg『心の琴線に触れるイエス』『すべてはアッバの御手に』に続く、連載「井上洋治神父の言葉に出会う」第3弾!。
『ルカによる福音書』18章<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>をめぐる考察から少しずつ見えてくる、イエスのまなざし。
そのまなざしにゆだねることにより悲愛へと導かれる、日本人キリスト者・求道者の生き方を模索します。
定価800円+税。聖母文庫
(サイン本ご希望の方は直接平田までご連絡ください。送料込み千円)

◎青野太潮先生からのコメント「何箇所かに私へのご言及があって大変嬉しく思いました。大変よく書かれていて感心いたしました。おまとめになるのはそれなりに大変なことですが、ほんとうにご苦労さまでした。井上洋治先生もお喜びのことでしょうと確信しております。」


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平田栄一著『すべてはアッバの御手に』-井上洋治神父の言葉に出会うⅡ  

井上洋治神父の言葉を通して、主イエスに出会う旅へ。。。
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アッバ神学案内書、第2弾!

*一日本人求道者である著者が「出会った」井上神学の一端を正直に紹介します。井上神父のアッバ神学からイエス様に出会うことを願って。

*「風」誌連載中のエッセイ「井上洋治神父の言葉に出会う」第二部に加筆・訂正して、まとめました。

聖母文庫 定価500円(税別)

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平田栄一著『心の琴線に触れるイエス』-日本人のためのキリスト教入門  

井上神学初の本格的案内書が手軽な文庫サイズで登場!
平田栄一の新刊!06年12月発行(聖母文庫)定価525円(税込)

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ISBN4-88216-274-1

*こんなキリスト教があった!日本人の感性に合った信仰を求めつづけてきた井上洋治神父の言葉を、著者の体験を交えながら、わかりやすく解説――はじめての井上神学案内

*日本人の自然な感性で受けとめられるキリスト教を求めて――遠藤周作の畏友・井上洋治神父のキリスト教を、一求道者の目でわかりやすく解説

*イエスとともに、アッバの風に己を委せきって生きる――日本人求道者のためのキリスト教――井上洋治神父に長年師事してきた著者の体験にもとづく格好の井上神学入門書。

*「風」誌連載エッセイ「井上洋治神父の言葉に出会う」第一部(1)~(10)を大幅に加筆・訂正して、まとめました。

○お求めは、聖母の騎士社アマゾン書店

06年12月16日のアッバミサで、井上神父ご自身&山根道公氏が本書を紹介しています。(MP3)


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平田栄一著『俳句でキリスト教』  

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平田栄一著『俳句でキリスト教
サンパウロ、2005年6月新刊)

楽しみながら、自然に祈りへと誘う「求道俳句」の世界。

さまざまな俳句作品を、日本人キリスト者として読み解きながら、
本当に大切なものは何か、今をどう生きるか、
どう祈るかを模索した、
日本人とキリスト教を同時に生きるためのエッセイ集。

俳句またキリスト教のちょっと変わった
入門書としてもお読みいただけます。


「句作を自らの求道形式とし、
また祈りとして実践してきた著者。
日本人キリスト者たちが自らの信仰体験を
どのように俳句に詠み込んでいるかを、
春夏秋冬、多くの作品を取り上げて読み解く。
俳句を語る中にカトリックである著者自身の
聖書理解と深い信仰が伺われ、教えられる。」
(六甲カトリック教会図書室)

ハードカバーB6版270頁、本体価格1600円+税。
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平田栄一エッセイ詩集4『雨音のなかに』  

アフォリズム(警句・断章)風の文で、人生について辛口、甘口、ヒーリング、ホッとするもの、ズバッと物言うものなど一気に読めて、味わい深い短文集。
雨音表紙
著者からのコメント

「読んでいるときは面白いが何も心に残らないような本と、読んでいるときは少しかたいが、やがて心の中で生命の泉となって湧きでる本とがある。この本の読者は、やがて生命の泉が心のなかに湧きでるのを感じられるに違いない。」(カトリック司祭 井上洋治氏 書評より)

「本書には会心の作ともいえるエピグラムがたくさん集められている。一つ一つの作品が夜のしじまの中に小さな音色を奏でては読者の魂に安らぎと優しさとを与えてくれる。読み終えると何かしら心が潤されたような気持ちにさせられる。」(東京YMCA総主事 新堀邦司氏 書評)

120頁 本体価格1300円 ISBN4-8428-0289-8

<作品抜粋>

〇雨音のなかに
身体は疲れていても頭の芯が冴えていて眠れない、
という夜がたびたびあります。
そんなある夜、彼は冴えた頭のなかに、
神を探そうと熱心に祈りました。
しかし、一時間ほど祈っても、
頭の片隅にすら神を見つけることはできませんでした。
彼に安らぎを与えてくれる神はいなかったのです。
とうとう眠ることをあきらめかけたとき
──それはもう明け方近かったようです──
夜更けから降り続いていた雨の音に、ふと気づきました。
彼は自分の意識を、頭のなかから窓の外の雨音に転じました。
ただひたすら、雨音に聞き入ろうとしました。
自然に、神をあえて探そうという努力を止めました。
ほどなく、ある種の安らぎが彼を満たしていきました。
雨音の中の神──

〇生きかたを問う
価値観が多様化し、混迷をきわめる世の中で、
生き方が問われています。
父としての、母としての、夫として、妻として、子として、
友人として、社会人として・・・・。
しかし、これらはすべて抽象的・一般的な
「父」「母」「友」等々としての
生き方が問われているわけではないのです。
いまここで、他にかわることのできない一人の人間が、
同じように、かけがえのない一人ひとりの人間を相手としたとき、
どう向き合うのか、どう生きるのかが問題にされているのです。
わたしたちは、親としてこうあるべき、子としてこうあるべき、
真の友としてこうあるべき・・・・という言い方をよくしますが、
すべての親や子や親友に完全に共通した、
普遍的な在り方など、ありはしないのです。
常に具体的な、人それぞれの、実存的な状況の中で、
隣人からなにが期待され、どう応えようとするのか、
あるいは何を拒否しようとしているのか──
いずれにしろ、わたしたちの生き方は、
常に身近なところで問われているのです。



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平田栄一エッセイ詩集3『人の思いをこえて』  

(1999年 ヨルダン社)

自分の生き方について、悩みながらも苦しい現実を乗り越えていこうと願う人が、新しい視点を見いだす助けとなる、短いけれど心に沁みて力となる、聖書から着想を得た言葉を詩的文体で示す。

「本書は、著者平田栄一氏の『今を生きることば』『やわらかな生き方』に次ぐ、第三番目のエピグラム集である。氏は『層雲自由律』同人として層雲新人賞をとるなど、自由律俳句の世界でも大いに活躍している俳人であり、また同時にキリスト教の信仰を持つ日本人キリスト者である。前二書にも、著者の詩人としての、そして日本人キリスト者としての研ぎ澄まされた生へのまなざしはよくあらわされているが、本書にいたって、氏のキリスト教信仰に根ざした生への凝視は、いっそうよく発揮されているといえよう。著者の生活体験からにじみでているこれらの言葉を、老若男女、信者であるないを問わず多くの方々に、是非一読していただきたいものである。」(カトリック司祭 井上洋治氏 書評より)

168頁 本体価格1600円 ISBN4-8428-0282-0


神のまなざしへの祈りに導く(カトリック司祭・井上洋治・評)

本書は「生きる」「神と人間」「コトバ」「祈り」「イエス・キリスト」という五部から構成されているが、その全体を貫いている基調音は、本書の題名が示しているように、人の思いをこえて私たちの生活の上に注がれている神のあたたかなまなざしであり、本書はそのまなざしへの祈りへと自然に私たちを導いてくれる力を持っているように思われる。

本書は、はっと気づかされるような言葉、じっと考えこませられる言葉、本当にその通りだと共感させられるような言葉、そういったすぐれた言葉にあふれているが、いまその二、三をここで紹介してみよう。

本書は次のような「問い」ではじまっている。

問い

なぜ人間は(ときとして悪人より善人が)

苦しまなければならないのか?

なぜ病気がなくならないのか? こうした不条理に

だれも簡単に答えることはできません。

もしこの種の問題に、あたかも理路整然とした

即答を用意している宗教や哲学があるとすれば、

それに対して、わたしたちは直感的に

警戒心を持つものです。

それはおそらく、こうした問いが

常にわたしたちの身近にありながらも、

どこか人間の分際を超えたところから、

問おうとするわたしたちが

むしろ問われている、といった

主客逆転の性格を持つものだからではないでしょうか。

私たち人間の頭で世の中を見渡せば、確かにこの世は不条理に満ちている。おそらく誰しもが人生で一度や二度は真剣に自らに問う問題であるに違いない。何故善人が苦しんで悪人が栄えていくのか、何故なんの罪もない無垢な幼児がこんな悲惨な死をとげなければならないのか。著者はこの問いには、二たす二は四、三たす三は六、などといった理路整然とした答えはないことを認めつつ、少しずつ私たちを、人間の本然の姿である「祈りの姿」へと導いていってくれる。

シナリオ

神様は偉大な作家です。

最高の喜びをともに分かち合う、

という結論に向かって人や自然をつくり、

それぞれに使命と役割、そして自由を与えられます。

ただし結論へ至るシナリオ(道)は

わたしたちの「思いを高く超えて」(イザヤ55:9)います。

ここには人生の主人公は自分ではなく神さまなのだというキリスト教信仰が、実に明白に表現されている。ここまでくれば、祈りまではあと一歩である。

祈り始めた人へ

祈り始めた人は、いくら祈っても

神からの応答がないことにがっかりするかもしれません。

でもほんとうに何もなかったのでしょうか?

こちらからだけの一方通行の祈りだったのでしょうか?

・・・・・・・・・・

しばらく静寂のなかで祈るうち、

そのように直接には応答してくれそうもない

神を〝待つ〟ことの

楽しさを知るようになっている

自分に気がつきませんか?

わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。

神にわたしの救いはある。(詩編62:2)

著者の生活体験からにじみでているこれらの言葉を、老若男女、信者であるないを問わず多くの方々に、是非一読していただきたいものである。

(財団法人キリスト教文書センター「本のひろば」1999年12月号)

人の思いをこえて


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日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

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