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カテゴリー「平田栄一求道詩歌(1)」の記事一覧

【風死してアッバに一事を任さるる  栄一】 (27節)  

予習福音 マタイ11章25-30節

暑い日が続きます。
げんなりしつつも、アッバから任された
自分の小さな使命を、少しずつ少しずつ果たす。

ときどき立ち止まって祈りつつ。


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【聖ペトロパウロ忌暑き水曜日  栄一】  

マタイ16:13-19

いろいろな面で、正反対の二人。
だが、イエス様だいすきーという点ではピタリと一致。
その一途さを見習いたい。

今日も暑くなりますね。
どうぞお元気で、
南無アッバ


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【御心に適う時とて梅雨明ける  栄一】 (26節)  

予習福音 マタイ11章25-30節

南九州の方では梅雨明け宣言。
こちらはまだまだでしょうかね。

今日も非常な暑さですが、
「幼子の心」=南無アッバで乗り切りましょう。


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予習福音 マタイ11章25-30節【まいまいに幼子の道はるかなり  栄一】 (25)  

昨日のお説教にあったように、イエス様の話は「幼子」こそがよく理解したのだろう。


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予習福音 ヨハネ6:51-58 求道俳句一節一句  

風止まり永遠(とわ)の命のパンを受く(51節)

しし鍋をつつけば議論かまびすし(52)

人の子の肉を食みたり梅雨晴間(53)

復活の曙光まぶしき招き猫(54)

「まことの血」を飲みて潤う猛暑かな(55)

南無アッバわが血肉となれるまで(56)

御言葉を入れたポケット汗まみれ(57)

先祖より賜るパンや梅雨湿り(58)


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【「血を飲み」て「肉を食う」とはイエスへの全幅信頼南無アバならん】  

予習福音 ヨハネ6:51-58 #namuabba


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【「わたしの血」「わたしの肉」とは晩餐のイエスの思いか御言葉に聞く】   

予習福音 ヨハネ6:51-58 #namuabba


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求道詩歌のすすめ-カトリック新聞記事から  

句作通して信仰養う
″求道詩歌″はキリストへの旅
(カトリック新聞2010年3月28日付第4045号。中央協著承第CS2010-1号)

信仰を俳句や短歌などに詠みながら、キリストという「道」を共に「求」め、祈り合おうと、埼玉県・川越教会の平田栄一さん(54)=写真=20年前に「求道(きゅうどう)詩歌」を創始した。

平田さんの試みは、キリスト教を日本文化に土着化させようという取り組みの一つ。
俳人でエッセイスト、そして高校教師の平田さんに話を聞いた。

平田さんが「求道詩歌」を始めたのは、26歳で洗礼を受けて五年後の-九八六年のことだ。

洗礼を受けたという感動はあったものの、日々、信仰生活を送っているという″実感″がわかなかった。

「信仰生活に祈りが必要だということは、頭では理解していましたが、具体的に祈ろうとするとどうにもうまくいかず長続きしませんでした。

信仰生活が行き詰まっていた時、私に洗礼を授けてくれた井上洋治神父(東京教区)の『道を求めるためには、まずは一つの型に入ることが必要』という言葉を思い出したのです。

そんな折、書店で出合ったのが、種田山頭火の句集でした」

俳句は元来、「楽しむもの」。
そこに「求道」というものを取り入れれば、楽しみなから、自然に心の糧を得る「修養」ができるのではないか、と平田さんは考えたのだ。

以来、句作を自らの求道形式、また祈りととらえて実践してきた。

例えばこんな具合だ。

「癒えぬまま秋夕暮れを主と泣きぬ」(定型)

「夕べ鍵穴から預言者が出てゆく」(自由律)

旬会報も発行

平田さんは、自由律俳句結社「層雲」に所属し、九○年には新人賞を受賞、その後、「層雲青年句会」を立ち上げ、
句会報も創刊。

自身が当初から貫いてきた「求道」精神を前面に打ち出し、2001年、同結社から独立した。

現在、句会報は「余白の風」(毎月発行A4判1枚両面刷)と改名、年会費二千円で、会員たちがインターネットや郵送で「求道詩歌」を投稿し、〝祈りの場″としている。

一般的に「キリスト教俳句」には、「教義を宣伝するもの」という伝道のイメージが付きまとってしまうが、平田さんが提唱する「求道詩歌」は、自分自身を含め、一人一人が「キリストという道(生き方)を探求する」旅人だという求道の姿勢を貫いたものだ。

「創作形式は、俳句、短歌、一行詩など、短詩系文学全般です。

句会報は、文学的興味だけではなく、キリストという道を求める人たちに開かれていて、詩と生き方の自由な探求の場になれば」と平田さんは話す。

「求道詩歌」の作り方としては、まず ①日々の信仰生活を、メモ形式で書き留めていく。

次に ②題材として聖書の一節をゆっくりと時間をかけて読む。

そして⑧自分の信仰や聖書の題材から感じ取ったものを、詩歌で表してみる。

「求道詩歌を日記として書くのも楽しいです。

経験の有無、上手下手、季語や定型などを気にせず、自由な気持ちで、まず一行作ってみる。

あれこれ思い巡らし、言葉を紡ぐ過程で、次第に神に自分を委ねる心が養われていくことが大事なのです。

そうであれば、結果的に作品化できなくてもいいと思っています」

また「求道詩歌」では、平田さんの著書『俳句でキリスト教』(サンパウロ)にもあるが、表面的には〝普通の詩歌″でも、求道者としてその作品の中に宗教性を見いだしながら読んでいくことができるという。

「遠藤周作さんや、井上神父は、日本人の心の琴線に触れるキリスト教の姿を模索し続けてきました。

求道詩歌も、日本人キリスト者が、俳句や短歌といった、日本文化の中で自分たちの信仰をどう表現していくかという意味で、キリスト教を日本文化の中で開花させていく運動の一つになり得ると思っています」

と平田さんは話していた。


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求道短歌2010年2月立春~  

2/4~こちら


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マルコ6・1-6  

人々もイエスも共に驚きて日を送りなんナザレの町に


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