「南無アッバ」を生きる ホーム »アッバ讃句コーナー
カテゴリー「アッバ讃句コーナー」の記事一覧

日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問合せ 略歴 著書

アッバ讃句コーナー(第12回)   

「風」第99号2015年秋掲載

*選者コメント

遠き日の一日を借りて田水張る  佐藤淡丘(豊田)
梅雨寒や心の棘のありどころ
蝸牛殻に潮騒宿しをり
青あらし水甕の水溢れざる
あぢさゐとひらがなでかくうなじかな

 井上神父さまが、お亡くなりになられても「アッバ神学」は、今も私の中に生きています。その実践の場は、早朝の「会神の丘」であります。自分を無にして、キリストへの「信入」です。
 キリストの中へ自分を棄てる。そのとき、みたまの力により、塵芥のように大地に溶け込み、心から「南無アッバ」と唱え、そして癒されてゆくのです。アーメン、南無アッバ。

*③「蝸牛」にとっての「潮騒」は、それこそ数億年の遠い記憶かもしれません。⑤最近、初孫娘が生れました。こんな光景がいつ見られるのか、楽しみです。

平和旬間バトンを握り南無アッバ  F・フランシスカ(八王子)
九条が揺れる震度に目を覚ます
十字架の平和しみじみと八月
留守番をしたと嵩増す夏の草
熱風の街生かされているふしぎ
緑蔭の清風に会う南無アッバ

*②公民館だよりに、「九条守れ」の句を載せなかったことで世論が沸騰している。市は「世論を二分するテーマは避けるべき」と勝手に判断する前に、全公務員に課せられている「(「この」=現行)憲法尊重擁護の義務」(九九条)があることを忘れてはならない。

忘れ易きなづき脳を励まし記憶をたどる あれは あの時 南無アッバ 魚住るみ子(練馬)
嬰児はすとんと寝入りぬ母を呼び泣きゐしものを母の乳足らひ 南無アッバ
春深しバス停二つまどろみぬ

*①「老いは今まで頂いてきたものを一つずつお返し申し上げる時」と井上神父は常々おっしゃっていました。その寂しさのなかにあっても「南無アッバ」②老いる程に、私たちはこの「嬰児」の単純さ、素直さに学ぶべきなのでしょう。

向日葵や果てるところに君がゐる  片岡惇子(名古屋)
壊れゆく命を包み百日紅
百日紅風に逆らひ瞬に散る
蝉時雨半音下げて祈りの刻
八月や言葉失ひロザリオ繰る
八月やどの道行くも焦げ臭き

*どの句にも日常と非日常の対比が巧みに表現されている。④「蝉」も「祈りの刻」には音程を変える。⑤「ロザリオ」を唱え始めてしばらくすると、心と頭が澄み切ってきて唱える「言葉を失う」時がある。共感。

学童の声に負けじと苗育つ  西川珪子(一宮)
うすものや母の墓なり南無アッバ
戦なき世を願ふ八月の水
大き種抱へる枇杷の原罪は

*近年とみに暑い日本の夏は、考えさせられる事件や話題も多い。③集団的自衛権、原子力発電所再稼動問題・・・「八月」の死者の声いかに。④「大き種」に象徴される人間の「罪」。むろん「枇杷」に責任はない。

飛び去らず我に寄り来る蛍かな  ユックリン(広島)
飛び立てず我に寄り添う蛍火よ

*二句並べての出句、味わいの違いを考えさせられる。①強い「蛍」②弱い「蛍」という印象がまずあって、しかし、「寄り来る」より「寄り添う」方に、人生同伴者の親近感は深いかと。

著作集伝へ行くらむ師の思ひ  赤松久子(高知)
師とつま亡夫と同じ命日桃の花
指細り結婚リング右の手に
ヘルパーと別れを惜しむ五月闇
愛らしき地産地消の苺かな
友よりのトマト食みつつ南無アッバ

    使えなくなったカード(詩)
 神父さまにさし上げようと/用意していたイースター・カード//お目にご負担がかからないようにと/考えに考えぬいた短い言葉の下書き//それらを地上に残して/ あなたは/ アッバのみ許に行ってしまわれた。//下書きは破ってしまったけれど/このカードは誰にもあげず/ずっととっておきますね。/ 南無アッバ

*④それが今生の「別れ」にならないとも限らない。井上神父に最後にお会いしたとき、不自由な身体をおして見送ってくれた。神父は「最期」と覚悟していたのかもしれない。

鳥たちは瑞枝に歌ひ復活祭  新堀邦司(昭島)
復活祭の花を献げて父母の墓
地ビールの名も「深大寺」ほろ苦し
父の日や少し濃い目のウイスキー

「風」(井上洋治神父追悼特集)を一晩で読ませていただきました。一度もお会いする機会がなかったのに、井上洋治神父様のお人柄と「南無アッバ」の信仰を身近に感じることができました。読み終えて、私も思わず「南無アッバ」と口に出してしまいました。「南無アッバ」は、神様の寛やかな愛に包まれていることへの心からの感謝が込められた言葉ですね。
 神様への全幅の信頼から発せられた言葉ですね。よほど身近に神様の存在(共在)を感じられなければこの言葉は口にできないと思います。
 井上神父様のご提言の中で、「下からの神学」「即自然的神観」には共鳴するものがあります。

*新堀さん、ありがとうございます。このところ、生前は井上神父と直接面識のなかった何人もの方から、このように神父を慕うお言葉を頂いており、心より感謝申し上げます。

桑の木に登れば見える主の姿  平田栄一(蓮田)
患難は望みを産めり秋の山

 ――アッバ讃句応募規定――
 井上神父の「アッバ讃句」にならい、皆さんの南無アッバの祈りを短い求道詩歌にしてお送りください。「風」読者であればどなたでも応募できます(無料)。「~~南無アッバ」という形のほか、俳句・短歌・川柳・自由律・一行詩などでもけっこうです。採否選者一任。投稿先=平田栄一

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

アッバ讃句コーナー(第11回)  

「風」第98号2015年春掲載

*選者コメント
神父様のご帰天一周年に寄せて
ひと枝の啓翁桜たてまつる師の道行に沿いて送れよ  金尾哲也

 道行に啓翁桜咲きいでし南無アッバの祈りに添いて  金尾裕子

*本誌九七号井上洋治神父追悼特集拙作<登りゆく目白坂には満開の河津桜が風に吹かれり>と同じ現場での作歌とみました。それぞれに神父様との思い出は尽きない。同信の道ずれとして、ご縁と絆を改めて思う。

南無アッバ山茶花真白二人目の産月近きまご孫娘を労る  魚住るみ子(練馬)

南無アッバ肩冷ゆる夜半目覚めたりアッバの祈りめつむりとなふ

*年明けに米寿を迎えられる由、おめでとうございます。私の亡父が米寿の祝いの時、まずは母に感謝の言葉を述べていたことを思い出します。どうぞいつまでもお元気で。

南無アッバ二人目曾孫も男の子なり降誕祭のその日生れぬ

*「二人目も男の子」!末は神父かイクメンか。昔は家の跡継ぎとして男子出産を喜んだものですが、今はまた違った楽しみがありますね。おめでとうございます。

真中に主が居て日溜り草の花  片岡惇子(名古屋)

*いつも「主」が中心にいる日常は、心も安定する。

落葉の全てが終り祈りの時

*「全て」が終わったように思える時こそ祈りの始まり。

時雨るるや生かされ生きて生かされる

*「生かされる」ことと「生きる」こととが一致する瞬間。

一瞬の決意寒水手に受ける

*お手紙に「今年はあれもこれもでなく、一点だけ励んでみます」と「決意」を新たにされていました。わたしたちの信仰も、「南無アッバ」の「一点突破」型でいい!

大寒や寂しさだけが固まりぬ

*「寂しさ」は「固まり」、喜びは拡がるとも。

この冬木早暁の月かかりけり  佐藤淡丘(豊田)

この道や冬満月の影や濃し

 冬暁の天空は、なんと美しいことだろう。上弦の月に明けの星(金星)が、風鈴のように寄り添い神秘な輝きを放ってくれる。
 この神聖な光を体にくるみ、「南無アッバ」と唱え、大地に三度跳躍を繰り返すとき、心身共に、宙と一体化する感覚にとらわれるから不思議である。これを信仰というのでしょうかね。お笑い下さい。

*「会神の丘」では無限に俳句やアッバ讃句が生まれそうですね。そうした宗教体験は、「宙と一体化する感覚」と共に、淡丘さんの血肉となって信仰を成長させてくれるのだと思います。

連嶺や一つ残りて春の星

摘みたればさみしき記憶なずな薺かな

早朝、「会神の丘」で独り祈るとき、一陣の風が、まさに「おみ風さま」となって通り過ぎるのを何度か味わうことがあります。
三位一体の神さまは、こうして触れんばかりのお恵みを下さるのですねぇ。
再びひれ伏して祈りました。南無アッバ、南無アッバ、と。

*「会神の丘」での「南無アッバ」。これが淡丘さんの「一点突破」ですね。昔、ある神父様に「最近ロザリオをやっているのですが、これをやっていれば何か見えてきますか」と聞いたことがありました。すると、「十年続けたら、何も見えなくてもいい、ということが見えてくるよ」と言われたことを思い出しました。

淑気満つ南無よアッバよLET IT BE  瀧野悦子(京都)

*「南無よ」がユニーク。修辞的にはおかしいのですが、その心はよくわかります。私なども、よく「アッバさま」などと言ってしまうのですね。そのまま訳したら「おとうちゃんさま」ですから理屈では間違いでしょう。しかし祈り言葉は理屈ではありません。お任せの心から思わず出てくる言葉を大事にしたいと思います。「南無アッバ」「おみ風さま」・・・のように。

会ふ度に大きくなりし孫七人戦無き世を祈るアッバに

*世代交代は寂しくもありうれしくもある。

今ここが神の国だと神父説くアッバとわたしそしてあなたも

*神の国は完成に向けて、すでに始まっている。

復活の頃に良くなるきっとなる癌病棟に友をのこして

*希望は確かに私たちを支える。それを気休めというのは傍観者の言葉。

み恵みで旧友と会ふ秋の昼  赤松久子(高知)

友情に時の隔ては無かりけり

昔のプロテスタントの友人が、東村山から訪ねて来てくれました。二人の体調と生活日程から、実際に会える瞬間があるなど奇跡としか思えず、「アッバは本当に必要なものはちゃんと与えて下さるのだ」と、しみじみ感じたことでした。

*お友達との再会を準備してくださったアッバ。その喜びと感謝の気持ちが御作に表れています。クリスマスカードありがとうございます。そこに記された一句も頂きました。

星々の示すブラックホールかな

*輝く「星々」が指し「示す」のが、「ブラックホール」という暗闇――あたかも神の「無」のようです。

宇宙より見ゆる高知の小さき灯よ

*逆に、高知から見れば皆「小さき」星々よ。

禁断のエデンの林檎甘かりし    新堀邦司(立川)

*「わかっちゃいるけど止められない」。人の業や欲望はどうにもならない。しかしそういう、どうしようもない私たちが構成するこの世を、アッバは裁かず「然り、よし!」とされた。

立つときも小鳥は赤き実を零す

*「立つ鳥跡を濁さず」ということわざがありますが、どんな所からも去るときは必ず痕跡を残すもの。できるだけ良いものを残したいのが人情ですが、そうはいかないのが人生。そこに「ゆるし」の福音がある。

体調も心も崩れてみ光とあう  山本久子(庄原)

*「み光」や「あう」など、ひらがなが生きている。幼子の心そのまま、なるがまま。

この痛みを大切に南無アッバ

*こういう境地は「十字架の逆説」がわからなければ出てこない。

南無アッバ、薬をポケットに列車に乗る

*なぜか芥川の「蜜柑」を思い出しました。

冬の空一人が逝きて一人あ生る  平田栄一(蓮田)

*井上神父様が亡くなられてはや一年。私のところには昨年七月に初孫が生まれました。時代の移り変わりを感じます。

片言に読める福音日向ぼこ

倫理説く聖句は嫌い銀杏散る

*生前、神父様から「道徳主義から脱した日本のキリスト教を模索してください」とお手紙を頂いたことがありました。

罪の棲む身にも望みや曼珠沙華

*アッバの前に素直に頭を下げること、そこに希望が沸くという福音。

草萌や信じるもののあるように  早見紀美恵「驢馬」
伝えてよ校庭はみな牡丹雪  あざ蓉子「花組」
夕顔や薬を忘れないように
裸木や徐々に夫婦になってゆく  森須蘭「祭演」
巻き戻し出来ぬ人生蜜柑剥く
 ――アッバ讃句応募規定――
 井上神父の「アッバ讃句」にならい、皆さんの南無アッバの祈りを短い求道詩歌にしてお送りください。「風」読者であればどなたでも応募できます(無料)。「~~南無アッバ」という形のほか、俳句・短歌・川柳・自由律・一行詩などでもけっこうです。採否選者一任。投稿先=平田栄一

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

アッバ讃句コーナー(第10回)   

「風」第97号2014年夏・秋掲載

本コーナーも、今回は井上神父追悼特集としたいと思います。
たくさんのお悔やみや作品を頂きました。感謝申し上げます。
その中から佐藤淡丘さんの御文より――
「井上洋治神父さまが、お亡くなりになられました。とてもさみしい気分の毎日です。
「アッバ神学」の道にたどり着いたのも、俳誌「余白の風」とのであいが、きっかけです。この間、平田主宰より、井上神父の求道者的性格の強い文章に接し、正に孫弟子である私が、「南無アッバ」の実践と確信に至った、この十年を、今も不思議な想いでふり返っています。心からありがとうございました、と申し上げます。南無アッバ。 深悼」

以下、お寄せ頂いた追悼作品より紹介します(◎○選者推薦作)。

初蝶の美妙な距離を待ちわびる  佐藤淡丘(豊田)
○ぼんぼりや枝の先なる花の冷
糸桜と毛筆で書く机辺かな
囀りの上半分を眺めゐる
しみじみと仰ぐ桜よ歳足らふ

○さくらさくら天より届くエールかな  瀧野悦子(京都)
春召さる洋治神父にありがとう
南無アッバアッバよアッバよ南無アッバ今日も明日も南無南無アッバ

苺一つになって心は豊かなり  西川珪子(一宮)
○雛納め末期もここに飾りたし
白菜鍋二人がいいな一人言
咳込めば痛みし胸の冥さかな
風花や舞いつつ消ゆる人の逝き

木蓮やふと立ち止まり過去を見る  赤松久子(高知)
今をこそ生きてゐるらし白木蓮
想ひ出はアッバに捧げ今日生きる
文旦の香り目に沁み南無アッバ
師を偲ぶ季節となりぬ四旬節
○南無アッバ枕許には師の〝讃句〟
師のみ前感謝とともに百合捧ぐ

病棟で一期一会の分かち合い  フランシスカ井上(八王子)
検査待ち祈る時間を給わりて
満開を見下ろす異界から花見
◎南無アッバ教えし人の南無アッバ
逝く人へ桜を添えて南無アッバ

南無アッバ 南無アッバとて逝きましぬ  魚住るみ子(練馬)
○一途にも南無アッバの道みもとへとゆきたまひし跡われら従きゆく
汚染水もれ出づるにもすべの無くそれでも原発を続けますか

豌豆の花咲く忘れ伸びきりぬ  片岡惇子(名古屋)
春愁や鏡の中の我が素顔
主の遺言聖書を詠みし風光る
生きた水求め上りし雪の川
○復活の命の恵花吹雪
知ったから主の道探す春の泥

○春一番吹く風にのり師は天へ  宮坂佳子(横浜)

「風」よりの開いた手紙読み進み神父様が、と訃報を知る  横田晴美(入間)
温かき人柄が包むミサ思う懐しき声聞こゆ神父様
○わが苦難見抜いたように近づきて「駅までどうです、歩きませんか」
神父様ふいといかれた天国はどんなところでございましょうか
 
童心の道こそ命と喝破した井上洋治神父は逝けり  平田栄一(蓮田)
二十代失業中の吾にさえまともに対せし神父の悲愛
寄贈誌より
○風鈴のあの世この世の音となる  あざ蓉子「花組」
○波郷忌の二合の酒をあたためぬ  新堀邦司「日矢」
 ――アッバ讃句応募規定――
 井上神父の「アッバ讃句」にならい、皆さんの南無アッバの祈りを短い求道詩歌にしてお送りください。「風」読者であればどなたでも応募できます(無料)。「~~南無アッバ」という形のほか、俳句・短歌・川柳・自由律・一行詩などでもけっこうです。採否選者一任。投稿先=平田栄一

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

アッバ讃句コーナー(第九回)  

「風」第95号2013年冬掲載

蝉の声あまり聞かざる年なりき  赤松久子(高知)
台風の過ぎたるあとのちぎれ雲
被災地を癒し給へや秋の風
キリストに惹かれて歩む霊の道
亡き夫は〝風〟に惹かれし人なりき

腰の痛みにペイン・クリニックに通い始めた由。お辛いことでしょう。そうした中でも、「被災地」に思いを馳せ、また亡き御主人やお子様への思いを温められる。まさに「無我」も「主我」もありません。

十字架に孤独預けてあじさゐに降るしめやかな雨を見てをり  井口萬里子(三浦)
信仰はおのおの深くしまひゐてミサ終へし後の茶をくつろげり
黙想の庭に鳥の音 騒音は遥か下にて渦まきてゐる

①イエス様の「十字架」に合わせて私たちの「孤独」や「つまづき」「弱さ」を捧げましょう。アッバはそれらを「共感」「祝福」「強さ」に変えてくださいます。そこに「福音」がある。③二つの「音」の間を一字空けてみました。

和やかな語らひ想ふ須波なる南無アッバの家健やかにこそ  魚住るみ子(練馬)
南無アッバ朝戸出心清しきを今日のひと日に恙あらすな

「風の家」須波分会を立ち上げた荒木さんとるみ子さんは、井上神父を通しての旧知の仲。お二人とも温厚なお人柄で、南無アッバを生きておられます。

台風やノアの箱舟空のまま  片岡惇子(名古屋)
韮の花傷つき見えし主の十字架
青柿や怒り捨てつつ赤くなる
修院を風にまかせて秋の蝶
マリア像祈りし両手秋つかむ

①ちょっと考えさせる句。「箱舟」が「空」ということは、新たな大地へノア他生き物たちが希望を持って降り立ったからか、はたまた途中で台風にみまわれて・・・?!

ごんぎつね足に絡まる彼岸花  佐藤淡丘(豊田)
古びたる聖書いとほし秋初め
ふくよかな母の面影白桔梗
紙芝居昔語りにいわし雲
名月や木の間がくれに従いてくる

私事ですが、昔吾子に、初めて「ごんぎつね」のアニメを見に連れて行った時、「かわいそうだ~」と、心配になる程いつまでも号泣したのでした。その長男も今や三十路。おかげさまで無事に新家庭を築いています。

主を賛ふバッハに長き夜をあづけ  瀧野悦子(京都)
秋さぶやまあるくなりぬ夫の肩
秋日差す洋書のならぶ襄の部屋
弾いてみたき八重のオルガン秋澄めり
深秋や新島邸に神在まし

③~⑤NHK「八重の桜」も終盤ですね。これを機に、私たちとしては日本人とキリスト教というテーマを一人一人考えてみては、と思います。カトリックの方ではちょうど「信仰年」の総括が行われています。

形見なるロザリオ古りぬ敗戦忌  新堀邦司(国立)
空蝉のなほ執着の姿かな

井上神父は「どんな人でもその死後に残すものは大きい」とおっしゃっていました。まして私たち日本人キリスト者にとって、「形見」として「ロザリオ」が残されれば、その方の一生の信仰が語りかけてくるでしょう。

「ルルドへの行進」の絵のよな宵の空瞬くうちに色は移りて  小林昌子(甲斐市)

シルクロードの印象的な絵を書いた平山郁夫画伯ですね。

孫たちと笑いの中の西瓜わり感謝のうちに南無アッバアーメン  藤居康二郎(竹原)

お子さんやお孫さんたちと近くの海に海水浴に行かれた時の御作。第五句(結句)が破調になっている(九音)件ですが、五音(定型)+四音なので、このままで気になりません。

愛が足りないミモザが塀をはみ出して  神野紗希(「祭演」四五号より)
現世いま歪みはじめる花筏

これらの句に出てくる「愛」や「現世」をキリスト者として読んでみると、また新しい発見があるように思います。

たましいの打ち寄せられる春の暮  あざ蓉子(「花組」六〇号より)
虫の夜や本を開けば死者のこえ

3・11で失われた多くの命。しかしその「たましい」は、アッバの懐で永遠に憩います。

十字架に「渇く」イエスや酷暑ゆく  平田栄一(蓮田)
髪洗う毎に御国は近づけり
主の御名の力や如何に大豆蒔く

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

憎らしき彼も神の子春愁い  平田栄一(蓮田)  

聖櫃の開け放たれし聖土曜

ある読者が、拙著『俳句でキリスト教』の書評に「キリスト教的な素材は日本語で切り取られた日常の中に置いて違和感は無い」と書いてくださいました。キリスト教求道俳句をめざす私たち日本人キリスト者にとって、これほどうれしい言葉はありません。

 ――アッバ讃句応募規定――
 井上神父の「アッバ讃句」にならい、皆さんの南無アッバの祈りを短い求道詩歌にしてお送りください。「風」読者であればどなたでも応募できます(無料)。「~~南無アッバ」という形のほか、俳句・短歌・川柳・自由律・一行詩などでもけっこうです。採否選者一任。投稿先=「余白の風」主宰・平田栄一

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

春の月光の中に夫逝けり  石川れい子(稲城)  

屍と三日三晩や春の月
いのち生る生死一如や南無アッバ

三月にご主人が帰天されてから、次元の異なる「新たな夫婦関係がスタート」したと言うれい子さん。おまかせ信仰あればこそ、「南無アッバ」が効いてきます。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

生きる夢南無アッバアーメン孫の笑み  藤居康二郎(竹原)  

「生きる夢」は御「孫」さんと作者本人の両方にかかっています。その間を取り持つのが、中句「南無アッバアーメン」という、完全信頼への道。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

逝きし人凍星となり煌めきぬ  西川珪子(一宮)  

復活祭玉子の由来解くわたし
大桜生かされて咲く齢かな

電子辞書が手放せない由。誰にも、記憶力・聴力・視力・・・・今までフルに使わせて頂いていた能力をアッバにお返しする時期が来ます。そこにどんな意味を見出すことができるか、信仰が問われます。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

明日という来ぬ日に心せかされてイヌノフグリの青に気づかず  塚田明人(坂城)  

目も見えて耳も聞こえて不平かな感謝忘れた欲の囚人
殺さない 動き回らず空仰ぎ光身に受け実を結ぶ木よ

①「気づけず」を「か」に直しました。この方が自然かと。②「不平言う」では弱いですかね。③「殺さない」がどこに係るか戸惑うので、一字空けてみました。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

神ありと素直に思ふ山笑ふ  佐藤淡丘(豊田)  

釘の掌や十字架像に花吹雪
花菜風水気たっぷりこの地球

「『何もないのに似ているけれどすべての物を持っている』とはキリスト信者である」という、内村鑑三の言葉に感銘したという淡丘氏。「(わたしたちは)悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。」(二コリント六・一〇)キリスト教の「逆説」的味わい。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

母泣くやバラの花束胸に抱き  新堀邦司(国立)  

初孫と仰ぎて今日の桜かな

この度上梓された『武と愛の人 新島八重の生涯』(里文出版、一六〇〇円+税)は、八重とキリスト教の出会いが語られ、興味深い力作。ぜひ御一読を。お子様の御結婚やお孫さんのご誕生など、益々ご活躍の邦司兄。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

母の日や遺影の母の鼻動く  片岡惇子(名古屋)  

天国の門見つからず蝶遊ぶ
雨模様紫陽花の芽に時動く

①「鼻動く」②「蝶遊ぶ」③「時動く」など、動きのある御作が揃う。①亡くなられたお母様はいたずら好きか(笑)。新鮮な表現。②「天国の門」が「見つからず」焦るのではなく、探す過程を楽しむがごとき「蝶」には、余裕がある。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

北国へ赴任の君へ毛糸の手袋風邪ひきたまふな南無アッバ  魚住るみ子(練馬)  

南無アッバうすづく空の水浅黄西より茜明日をのぞ希まむ

遠い地へ「君」を見送る心――寂しさ、心配、思いやり。しかし今見上げる「茜」の「空」は、遠くにいる「君」の上にも続いているのだ。そう思うときのアッバのまなざし。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

時を超え神父の声がキリストの声に聞こゆる漁りの浜  井口萬里子(三浦)  

洞窟に祈る老婆のつぶやきがミサ黙祷の合間に聞こゆ
跪くペトロにイエスの指す行手彫像影絵の湖のさざなみ

アッバの思い、イエスの御心はどのように伝わっていくのでしょう。「神父」や「老婆」や「ペトロ」あるいは自然――いずれも日常のありふれた出来事をとおして。そして罪深い私たち自身をも通して。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

アッバの目背に感じつつ床を拭く  赤松久子(高知)  

歩けなくなる日の予感南無アッバ
ヘルパーは愛犬の死に耐へてをり

老いの不安やヘルパーさんとの交流の中で、しっかりとわが道を生きておられる久子さんの姿が、御作に反映しています。あたたかな「アッバの目」をいつも感じていたいものです。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

第八回  

父の日のなにはともあれ南無アッバ  瀧野悦子(京都)
団欒の真中にアッバ夏の夜
南無アッバいのちふくらむめだかの子

句作再開の由。詠みたい時が詠み時。アッバの促しを抑えることはできません。ちなみに私は日々の祈りとして、新約聖書一章の黙想と求道俳句一句作を自らに課しています。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

福音の聴聞聴従冬麗  平田栄一(蓮田)  

恨み言ひとつも言わず死んでゆくタマは偉いとつくづく思う

今大学三年の三男が小学生だった時から飼っていた猫が逝きました。最期は小さく「ニャー」と一声。その生き様死に様は、あっぱれという他ありません。

 ――アッバ讃句応募規定――
 井上神父の「アッバ讃句」にならい、皆さんの南無アッバの祈りを短い求道詩歌にしてお送りください。「風」読者であればどなたでも応募できます(無料)。「~~南無アッバ」という形のほか、俳句・短歌・川柳・自由律・一行詩などでもけっこうです。採否選者一任。投稿先=「余白の風」主宰・平田栄一

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

良寛に分けてやりたき落葉かな  新堀邦司(国立)  

聖夜劇ヨセフの台詞少なかり

家族への感謝を書いて日記果つ

①良寛さんならこの「落葉」一枚に、私たちよりもっともっと詩を、そしてアッバの心を見つけてくれるかも。②目の付け所がすばらしい。「男は黙って・・・・」少ない言葉に盛り込まれた思いが偲ばれる。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

国々の言葉違へど響き合ひガリラヤ湖上に讃美歌流る  井口萬里子(三浦)  

自然木組み合はせたる十字架の思ひは深しガリラヤの浜

旅行詠二首。①言葉は通じなくても「響き合う」心――大事なものは目に見えず、頭の理解を超えている。②「十字架」の悲惨と、ガリラヤの「自然」の中に憩うがごときそれとのコントラスト。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

雪の坂犬の瞳にいたはられ  赤松久子(高知)  

電線を揺らして遊ぶ寒鴉

日脚伸びめぐる月日や南無アッバ

真顔にて歩み行く猫春浅し

「犬」や「鴉」や「猫」にも「いたはられる」うれしさ。お正月には、お姑さんから受け継いだ味のお雑煮を、やさしい娘さんが届けてくださった由。どうぞお元気で。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

傍らに人ゐて雪の温かく  西川珪子(一宮)  

人生とは木枯に舞ふ落葉かな

咳込めば無数の棘の動く胸

どんど焼善男善女の声高く

お正月に体調を崩された由。その後いかがでしょうか。しかし、周りの方の温かさを感じられたとも。「遠い親戚より近くの他人」ともいいます。お大事に。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

深い闇光差し来ぬ海底であえぎ歩めど守られて今  塚田明人(坂城)  

死にたいと嘆く友より「菊の花美しきかな」と文に涙す

大腸の検査室にも主いますなり痛みも恐れも消えてなくなる

キリスト教には〝苦しみの神秘〟という発想があります。それを体験するとき、主の「十字架の逆説」の意味が、おぼろに見えてくるのでしょう。苦しみにおける連帯――南無アッバ。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

われありと思ふ白息吐くほどに  佐藤淡丘(豊田)  

しぐれてはひとりのほかはなかりけり

霜柱微光さしこむ是非もなし

トルコ―エジプトの旅は如何でしたか? 退職後も大変アクティブに活動されていますね。井上神父も著書のなかで、《~について知る》ことと《~を知る》ことの違いを、ガイドブックと実際の旅のたとえで強調しています。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

名曲の月の砂漠よ哀しかりはるばる遠き寒のみ空に  小林昌子(甲斐)  

長調より短調が人生の基調と思う日本人は多いのではないでしょうか。しかしその「哀しみ」こそが逆説的に「喜び」となる所に、「十字架」が立っている。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

冬の日や隣人遠く迷いをり  片岡惇子(長崎)  

闇ありて光見つけし沈丁花

大根の苦味残りてルカ四章

雛の日に生まれ遺影の母生きる

「闇」があるから「光」が、「苦味」があるから旨みが、死があるから「生」が引き立つ。その事実・真実に、「南無アッバ」と素直に言える日を待つ。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

「内容の濃き時間」とふ重み老い深む身に賜へかし南無アッバ  魚住るみ子(練馬)  

友おも念ひ繰るロザリオや日脚伸ぶ

「老い深む」程、心身の「重み」が押し寄せる。しかし同時に、一日一日がかけがえのない「濃き時間」として、過去の思い出の上に堆積していく。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

アッバ讃句コーナー(第七回)  

ホスピスの友と歌へる聖夜かな  石川れい子(稲城)

初春やホスピスに居る誕生日

ありがとう握る友の手暖かし

生誕も帰天も睦月神の時

介護や見取り、同時にお孫さんのご誕生で、生死一如の貴重な経験をされた由。今、イエス様のご生誕から受難を経て、復活へとつながるご生涯を共に黙想しましょう。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

暖かき部屋外の枯枝なす儘に  長谷川末子(秦野)  

機嫌よき甲斐駒ケ岳夏の空  新堀邦司(立川)

高遠のご城下は今蝉時雨

つまずきを抱えしままに吾が内のポプラは秋の風に吹かれり  平田栄一(蓮田)

 ――アッバ讃句応募規定――
 井上神父の「アッバ讃句」にならい、皆さんの南無アッバの祈りを短い求道詩歌にしてお送りください。「風」読者であればどなたでも応募できます(無料)。「~~南無アッバ」という形のほか、俳句・短歌・川柳・自由律・一行詩などでもけっこうです。採否選者一任。投稿先=下記余白メール

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

歌碑めぐりマリアの像に出会ひたりザビエルゆかりの堺の町にて  松永弘之(品川)  

秋風に海の遠鳴り菓子舗跡

*日本各地にもアッバの思いは届きます。「歌碑めぐり」での「マリア」との出会い。ここにもアッバのお導き、ご縁がある。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

パンフィリアのパウロ歩みし山灼くる  広谷和文(世田谷)  

婚宴の熱き踊りの輪に入れり

トルコへ旅されたご様子。二千年前のパウロに思いを馳せる。同じ情景を前にしても、見る人の思いは様々、アッバが一人ひとりに囁く。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

稲の花人の視線に育てられ  西川珪子(一宮)  

颱風の過ぐるを待つ間鶴を折る

雨漏りの音気にかかる芋嵐

①「人の視線に育てられ」た稲は、実るほど頭を垂れる。反対に、人間は自然に育てられているのに傲慢になる。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

大花野人の跡絶へし径をゆく  佐藤淡丘(豊田)  

被災地のこほろぎ鳴きてかぎりなし

コスモスに明るい大き空が要る

②日本人は、虫や動物の鳴き声を最も言語に近い形で理解するという。「被災地」の「こおろぎ」が何かを訴えている。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

理科系の小六男孫がこの四月神は在すか真直ぐに問いき  小林昌子(甲斐)  

考古博小一女孫は原人像見て人間は元ゴリラかな

子供の問いにはハッとさせられることがある。素朴な疑問ほど奥が深い。しかし神を神とも思わぬ人間でさえ救う神であれば・・・・(ローマ4・5参照)。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

ちちろ鳴く闇の深きに南無アッバ  喜多正規(奈良)  

秋の夜や手習ふ文字の南無アッバ

わがすべて色なき風にゆだねけり

③「色なき風」が佳。「南無」や「余白の風」を連想させる。また「すべて」(無限)と「なき」(ゼロ)という対照も意味深長。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

虫時雨山を唸らし主の息吹  片岡惇子(長崎)  

黄彼岸花佳作の人生と言われ

冬瓜の蔭れて実る孤独かな

どんな老後を過ごすか、過ごせるか、死はどのように訪れるのか・・・・。身近に信仰の大先輩がいることは心強いですね。南無アッバ。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

言ひわけはすまじと思へ露こぼす萩の下枝よ南無アッバ  魚住るみ子(練馬)  

様ざまの悔あれ寝覚めの朝床に赦しを乞ひぬ南無 南無アッバ

②新しい発想とか、「悔」とか、良い事も気になることも、「寝覚めの朝床」は思いの宝庫のようなもの。それらすべてを「アッバ」へお委せ。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

ひつじ雲法然さんと腰おろす  井上望月(熊本)  

十二才のマリアさまですすみれ草

①「ひつじ雲」と「法然さん」の取り合わせが絶妙。やさしさに秘められた強さを持つ法然さんの傍に「腰おろす」安らぎ。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

コスモスや胎動に湧く母ごころ  石川れい子(稲城)  

月昇る眠れぬ夜の静寂かな

花嫁の父の涙は十三夜

③中七「父の涙や」ではなく「――は」とした点。一般的にいえば、「や」の方が切れがはっきりし、無難でしょう。しかし、あえて「は」としたことにより、一句一章的に「十三夜」に重心がかかります。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

確めてこころに容れむ少しずつ信仰宣言吾の遅唱する  井口萬里子(三浦)  

讃美歌の和音の中をキリストの体のパンが咽喉(のみど)を通る

①まず「信仰宣言」ありき、ではなく、自らの「こころ」の中でケリュグマ(信仰定型)に至る道程を「確めて」行く、下からの神学が問われています。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

アッバ讃句コーナー(第六回)=「風」弟92号より  

今号もできるだけたくさん、皆様の佳品をご紹介していきます。

使徒の書に胸ときめかす夜長かな  赤松久子(高知)

神義論陰で悪魔が嗤ひをり

敬老会クラリネットの音がひびく

距離を置くすべなく祈る南無アッバ

②全知全能かつ善なる神がなぜこの世の悲惨を見逃すのか、という「神義論」。その前提に人間の傲慢がある。それを「悪魔の嗤ひ」と喝破する。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

アッバ讃句コーナー(第五回)=「風」第91号  

 今年は猛暑が続きましたね。皆さま熱中症は大丈夫でしたか? 今号もたくさんの作品の中から汗を流しながら、選ばせていただきました。暑さを吹き飛ばす佳作をご紹介します。なお、今回からお住まいの県市町村を付記させていただきます。日本の多様な地域性も作品の幅を広げます。

月桃の乳色の花雨浄む   河口儀子(石垣)

石垣での充実した暮らしがよく伝わってきます。私は三十年前に新婚旅行で行ったきりですが、最近は観光開発ですっかり環境が変わってしまった由、アッバの手になる自然をなんとか残したいものですね。

紫陽花に牧師の犬も目を細む   松永弘之(品川)

動物の目に映る花はどんなものなのでしょう。「イエスの見た(目で)空が見たい」とは井上神父がよくおっしゃることです。

目に見えぬものを求めて風を聞く  赤松久子(高知)
アンデレの如く床しき額の花

いつも精力的な句作に頭が下がります。求道の一途さと詠み口の素直さが表裏一体になった作品を楽しませて頂いています。

母の日や産んでくださりありがとう  石川れい子(稲城)
豆の花咲かせて天へ橋架けり

太宰治は「生まれてすみません」と書きましたが、父母への心からの感謝は、相当な苦労と歳月の裏づけあればこそでしょう。

ロザリオを繰り沐浴の順を待つ病の友へ思いを馳せて  フランシスカ井上(八王子)

少し手を入れました。ルルドへの巡礼の旅にロザリオを繰る姿が目に浮かびます。私は時々ロザリオを使って「アッバ アッバ 南無アッバ」とやっています。

落ち椿蕾のままを愛しけり  片岡惇子(名古屋)
行く春やつひの住家の闇匂ふ

傾聴ボランティアをしながら、豊かな老後をすごされている作者の姿が思われます。「人間の目にどんなに不完全に見えようとも、死は完成の時」とは井上神父が繰り返し説くお言葉です。

池に東風水鳥の列吹かれゆく  佐藤淡丘(豊田)
花の塵しづかに踏みてゆるされる

他に、<浸り浮く蛙の背中なに思ふ><春の雨池をたいらに平らにす><老鶯のさみしからむと我に告ぐ>など全句、万物を生かす水を囲んで、鳥、蛙、花が賛歌を歌います。

たかんなの傷を両手で撫でてをり  西川珪子(一宮)
神宿る新樹の森の深さかな

「たかんな」=竹の子。私たちが生きていくとき避けられない「傷」や罪。しかしそこに寄り添う悲愛とゆるしの現実が、「撫でてをり」に集約されています。

「本当に」などとたやす容易く思ふまじ神の御掌なる領域なれば  井口萬里子(三浦)
キリストの眼ざし容るるところなき空しさの中白梅に遇ふ  

こちらもたくさんの歌を送ってくださいました。第一首、季語を入れる俳句にはなりにくい神学的な内容も、短歌ならば盛り込める。そういう強みを感じさせる一首。

寒の内苦楽ありても御手の中  長谷川末子(秦野)
浅知恵のあせりを神は知り給ふ

小我をこえた大我的境地を目指す性向は、短歌より俳句に強いように思います。俳人長谷川櫂氏が、東日本大震災でまず作ったのは短歌でした。

空蝉の軽ろき命や南無アッバ  喜多正規(奈良)
秋風に吹かれて散歩南無アッバ

軽みと「南無アッバ」は縁語のようです。西欧文化の重厚なキリスト教に対して、「ふわっ」とした生き方を感じさせる日本型のキリスト教があっていい。

風の子と言はれてみても春炬燵  瀧野悦子(京都)
雪雪だ子等いっせいに駆け回り

この二句から始まって、<淡雪や御手を広げしマリアさま><雪白しわたしの心も白くなれ>そして<かんしゃくのくの字を取りて今日一日南無の心で過ごしたきもの>へと精神遍歴の一連として読むことができます。すなわち、第一、二句=無邪気な日常。第三句=宗教世界への気づき。第四句=宗教的実存へ。そして第五首=再び日常に帰るときの願い。

老い深み忘れ易きをかこてども佳き話聴くよろこびをなむ  魚住るみ子(練馬)
生涯に悔なき人はあらざるをはな桜花爛漫の下かげに佇つ

記憶力の衰えは仕方ないと思いつつも、寂しくなることも。それだけに一瞬一瞬の今を大切に生きようとする作者の姿勢が「よろこびを」もたらす。

きよしこの夜妻と二人のクリスマス  新堀邦司(立川)

独立していった子供たちの後には、久しぶりの夫婦二人だけの生活が戻る。一抹の寂しさはあっても、主と共なる満ち足りた時間が流れる幸せ。

時は満ち神の国が近づけば女子は集いぬパルコの五階  平田栄一(蓮田)

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

アッバ讃句コーナー(四)=「風」第90号  

主のご復活おめでとうございます。

 東日本大震災三・一一から一年、今この一年を振り返るさまざまな表現活動がなされています。短詩型文学では俳人である長谷川櫂さんが『震災歌集』(中央公論新社)を出したことや、それまで短歌や俳句をまったく作ったことのない被災者が、次々と溢れる思いをこの小さな器に載せて表現している状況が紹介されています(朝日新聞二月二〇日、「短歌」三月号等)。

 湧き上がる思い、やるせなさ、人の優しさ・・・・これらを表現したい、伝えたい、記録しておきたい。そのとき俳句や短歌はやはり、日本人に最も身近な表現手段なのだと、改めて感じています。
 
枝四方に生きよ生きよと枯木立  瀧野悦子
咲き満つるおいきざくら老木桜に抱かるる  相原恭子

老いにまつわる二句。前句は老いの諦観どころか、若きを叱咤励ます元気。
後句は、カトリック六甲教会・二水会合同句集から。

浅ましの老木桜やあす翌が日に  小林一茶
を踏まえた作かと思われます。ただ、この俳諧歌には、「或る山寺に/うつろ木の一なん有ける/今にも枯るゝばかりなるが/さすが春のしるしにや/三ツ四ツふたつ つぼみけるを」とありますが、恭子さんの句では、「咲き満つる」満開! 私たちをも抱きとってくれるほどの頼もしさ。

井上神父に「一本の老木」という詩があります。昨年六月立川教会で、この詩を紹介しながら、久々の講演がありました。以下はその要約です。
――――――――――
「神様が主人公の私たちの人生」
井上洋治神父(立川教会11年9月広報より)

学生時代に出会ったリジューの聖テレジアの霊性に惹かれて以来、生涯を通して聖テレジアの後姿を追いかけて生きてきたように思います。私は聖テレジアの弟子として八四歳という老年を迎え、長いマラソンの最後に競技場へ入ってきたような今、八四歳ならではの話をしたいと思います。

 「厳しい冬の青空を背にして葉を落とし
  たった一本でこんなところに立っている
  老木よ」、で始まるこの詩は風の家を始めた五十代半ばの張り切っていた時代に書きました。
若い自分が寒さに震えて立っている老木の姿に感動して書いたのですが、今私はその老木になっています。外から老いを眺めることと、実際に老いを背負って生きていることは全く異なります。

 老いというのは若いときには自分のものだと思っていた視力や健康を少しずつ神様にお返ししながら生きているということです。人の為に何かする、役に立つという根底の生きがいすらお返ししています。若い人に“老い”というものをどうしても理解してもらえない、一人ぼっちになってしまうという恐れもあります。年のせいで団欒の中に入れない、大勢の中の孤独感は辛いものです。ついこの前までできていたことができなくなるのも辛いです。そうしたことで落ち込んだ時には地動説を唱えたコペルニクス的転換が必要です。

 アウシュビッツに収容されていた精神科医のヴィクトル・フランクル著、「夜と霧」は人間の限界状態の中で書かれたものです。自分が人に何ができるか、喜んでもらえるかということを考えていては収容所では生き延びることはできません。何もできないけれど、苦しいけれど、家族や友人が私にどう生きて欲しいと思っているか、その人たちの眼差しを感じられれば生き延びることができたというのです。

 私たちに何ができるか、役立つかを考えることが難しい時に、他者(神様)の眼差しを思い、その眼差しを受け止めれば、そこに人生の意味が現れてきます。現実に何もできなくなっても、他者の気持ちを受け入れるところに人生の意味があるのです。

 “自分が何をするか、社会で役立つか”ではなく、神様がその人を通して何を伝えようとしておられるのか、神が望まれることをする場が人生なのです。粗大ゴミになっていく自分になんの意味があるのかと思い煩わず、神が私という作品を作りそれを使って神の望みを示しておられるということに気付き、考えをそのように転換しなければ、老いの虚しさはなくなりません。

 聖テレジアは神が作られた大自然の中の小さな白い花になり、神が語られることを示していきました。
 「南無アッバ」と唱えてアッバ、お父ちゃんに全てを無心にお任せして生きていきましょう。
 「山路きて なにやらゆかし すみれ草」
――――――――――
 その他の作品を紹介します。

  寄り添ひて咲く山茶花の絆かな  西川珪子
  子規庵の玻璃に明治の冬日影  広谷和文
  実行は難しいです南無アッバ  フランシスカ井上
  春雷や旅の終りを告げ知らす  片岡惇子
十二月八日の空やレノンの忌  新堀邦司
  老いの手におふだ札を握る四旬節  赤松久子
冬のバラおおせのごとし南無アッバ  佐藤悦子
短夜や眠れずひたすら南無アッバ  喜多正規
  天までの梯子となりし焚火かな  佐藤淡丘
  負ひきれぬ罪多けれど春近し  長谷川末子
  祈念せし彼岸の人よ初電話  石川れい子
  救はれて洗礼受けし思ひなり更くる夜星のきらめきて止まず  井口萬里子
  南無アッバ望月輝やき空を統ぶ満たされ祈らむ平安をこそ  魚住るみ子
  実名と事細かなる願い事日夜聞きおり絵馬の神様  平田栄一

 ――アッバ讃句応募規定――
 井上神父の「アッバ讃句」にならい、皆さんの南無アッバの祈りを短い求道詩歌にしてお送りください。「風」読者であればどなたでも応募できます(無料)。「~~南無アッバ」という形のほか、俳句・短歌・川柳・自由律・一行詩などでもけっこうです。採否選者一

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

アッバ讃句コーナー(第三回)  

「風」第89号より

 クリスマスおめでとうございます。今号にはたくさんの作品をお寄せいただきました。日本人であれば小学校以来、俳句や短歌のようなものは必ずどこかで作ったことがある、といいますが、今回頂いたお手紙のなかにも「日記に書きとめておいたもの」とか、「昔の手帳にあった句を直して」などとあり、短詩型がいかに日本人の心性に親しいものであるかが伺われます。ぜひ続けておつくりください。
 
  儘ならぬ人の世と聞く神在す  長谷川末子

 上中句と下句の断絶にどきりとします。自分としては、あれこれ誠実に努力してきたつもりなのに結果がでない「儘ならぬ人の世」。人生は、世間はその繰り返し。そして気がつくと、身体も心もくたびれ果てている、まさに儘ならぬ状態。しかしそのとき作者は「神在す」現実に気づいたというのです。儘ならない――自我が満たされないからこそ神がいる――わたしたちの狭い自我をこえて、アッバは必ず「万事益となるように働き給う」(ローマ八・二八)と受け取る信仰。

  南無アッバうさぎのやうにサクサクとレタスの歯ざはり今日が始まる  魚住るみ子

 朝の静けさのなかで、うさぎのようにレタスをサクサク食べる、それだけで幸福を感じられる作者の穏やかな人柄。そして今日一日を「南無アッバ」の心で過ごそうという、真摯な祈りと覚悟が垣間見えます。

  秋の風声さまざまに運びくる  佐藤淡丘

 おみ風さまが、秋にふさわしい声を運んでくる。風(プネウマ)そのものは聞くことも見ることもできませんが、アッバのお作りになった、あらゆる作品が風に応えて音をたてる。わたしたちが耳を澄ませば、その共鳴音を聞くことができます。

天高し呼気に合わせて南無アッバ  喜多正規
あらし台風の夜独り唱ふる南無アッバ  赤松久子

万物がおみ風さまに共鳴して声をあげるとき、思わずわたしたちもこの大合唱に参加せずにはいられなくなります。

てんにいます/おんちちうえをよびて/おんちちうえさま/おんちちうえさまととなえまつる/いずるいきによび/入りきたるいきによびたてまつる/われはみなをよぶばかりのものにてあり(八木重吉)

いつでもどこでも南無アッバ!

秋夜長レクチオ・ディヴィナのヨハネ伝  佐藤悦子
教はりて来し会場に傘つぼめ入ればロマ書の輪読きこゆ  井口萬里子

「レクチオ・ディヴィナ」=聖なる読書。究極の祈りは聖書を只ゆっくり読むこと、ともいわれます。受洗間もない頃、わたしは井上神父に「どんなふうに祈ったらいいでしょう?」とお聞きしました。すると神父は「たとえば、聖書を一日何ページとか決めて読めばいい」とアドバイスしてくださったことを憶えています。わかってもわからなくても、毎日少しずつ。

 その他の作品をご紹介します。紙面の都合でお寄せいただいた全ての作品を載せることはできませんが、それらは次回以降の候補作品として預からせていただきます。

吾亦紅アッバに托す二つの忌  田中七子
秋高し体重計の針の先  石川れい子
うなだれしコスモスの種風に飛び  片岡惇子
マリアとマルタマリアになれずちちろ虫  瀧野悦子
いも粥をすすり原爆記念の日  新堀邦司
病葉の散る一瞬を祈りつつ  西川珪子
夏落葉うつくしき影ひき連れて  大木孝子
聖霊の包みし中の分かち合い  フランシスカ井上
ハリスト正教会にて購いし新約聖書は文語にござる  平田栄一

 ――アッバ讃句応募規定――
 井上神父の「アッバ讃句」にならい、皆さんの南無アッバの祈りを短い求道詩歌にしてお送りください。「風」読者であればどなたでも応募できます(無料)。「~~南無アッバ」という形のほか、俳句・短歌・川柳・自由律・一行詩などでもけっこうです。採否選者一任。

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

アッバ讃句コーナー(第二回)  

今年五月に『求道俳句集』を私家版で発行しました(本文末尾参照)。おかげさまで多くの方にお読みいただき、大変うれしく、この場を借りて御礼申し上げます。

ところで、その読者の少なからぬ方から度々耳にしたのが、「私も少し勉強させて頂きます」という声でした。自分としては、楽しみながらの求道=「道楽」として始めた俳句・短歌だったので、「うーん、勉強ですか?」と、正直ちょっと驚いたのでした。(しかし、「求道俳句」という、わたしのネーミングにどこか堅いイメージが付き纏うのかも・・・・。)

それで今回は、全く初心の方を対象に、「求道詩歌の作り方」のようなものをご紹介したいと思います。今後は「私も俳句で遊んでみます!」という声が多くなることを期待して。(以下、「余白の風」入会希望者に配布している文章を要約します。)
―――――――――――――――――――――
 求道詩歌にご興味をいただきありがとうございます。
 ここでは、初心の方のために、私なりに簡単な作り方のヒントを述べてみたいと思います。

 一、求道詩歌とは
 ひとことで言うなら、「道を求める心から詠む詩歌」といえます。普通の俳句や短歌とどうちがうのか、とよく聞かれますが、最初は違いを意識せず、自由に詠めばいいのです。あえていうなら、普通の詩歌より、少し聖書の言葉を取り入れたり、神や信仰を意識した詩歌を作ってみましょう、という運動です。

二、どのように作るのか
あなたがすでに、俳句・短歌などを作っておられるなら、いままでよりちょっと生き方や信仰、求道ということを意識しながら作ってみましょう。
もしあなたが初心の方なら、次のような作り方を例として、あげておきます。わたしが実践しているやり方です。

①神に向かう――聖書の一段落か一節をゆっくり読んで黙想し、印象に残った言葉を書き出してみる。典礼暦に沿った箇所がいいかもしれません。

 例えば、これを書いている今日は「受難の火曜日」なので、「ヨハネによる福音書」一三章二一~三三節、三六~三八節などから「裏切り」「ユダ」「ペトロ」・・・

②自分に向かう――ときに吾にかえって身辺を見渡し、気づいたことを書きとめてみる。
「今朝の空は澄み渡っている」・・・・

 ③右の二つを工夫してつなげてみる。
【ユダとペトロの裏切り今朝の空すみわたる】――このままで、自由律作品としてもよいでしょう。
【ユダペトロ裏切りの空すみわたる】――五七五に整えて俳句になりました。

④もうひと工夫(推敲)
 ここで聖書に戻ると、場面は「夜」です。そこで、
【ユダ仰ぐ裏切りの月澄み渡る】――「空」を「月」に替えて、また一句。
さらに、
【裏切りし弟子をみつめるまなざしは朧の月をこえて清けし】――こんな短歌にもなりました。
三、継続は祈り
だれでも最初からうまくはできません。自分のスタイルを限定せず、いろいろためしてみましょう。極論をいえば、あれこれ工夫したあげく、作品が完成しなくてもいいのです。工夫していく過程そのものが「祈り」なのですから。
―――――――――――――――――――――
では、今号のアッバ讃句歌をご紹介します。
月明かり一本松を照らしゆくイーハトーブや南無南無アッバ  佐藤悦子
音もなく風をもてくる黒揚羽  佐藤淡丘
わたしは/わたしの聖堂に/ゆっくりすわる  竹原陽子
庇まで伸びて曲った今年竹  西川珪子
網戸渡る風の姿は見へねども  長谷川末子
春の野に縄文の風吹きにけり  広谷和文
父の日や南無南無アッバ南無アッバ  石川れい子
気が付けば余白の風に酔っている  フランシスカ井上
天命を待ち侘びている蝸牛  片岡惇子
この国に嗚呼鎮魂の桜咲く  新堀邦司
伏しがちの春ともなりぬ水たひら  大木孝子
鯉のぼり石けりの輪描き並べ遊びし跡へ月明の南無アッバ  魚住るみ子
スーちゃんの逝きたる翌日わが句集最終稿を入稿せしも  平田栄一

 ――アッバ讃句応募規定――
 井上神父の「アッバ讃句」にならい、皆さんの南無アッバの祈りを短い求道詩歌にしてお送りください。「~~南無アッバ」という形のほか、俳句・短歌・川柳・自由律・一行詩などでもけっこうです。(採否選者一任)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
新刊・平田栄一『求道俳句集』(私家製 B6版九七頁)定価五〇〇円。ご注文は平田まで

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

第1回アッバ讃句コーナー(「風」第87号より連載開始)  

編集室からの要望により、このコーナーを新設し、担当させて頂くことになりました、平田です。よろしくお願い致します。
詩心と求道ということが古来、日本の伝統の中では切っても切れない、表裏一体の密接な関係にあったことは、井上神父も西行、芭蕉、良寛などをとりあげ、しばしば言及してきたところです。
神父ご自身も、

 朝 目覚め 命なりけり南無アッバ   (『南無の心に生きる』あとがき)
 自己嫌悪そっとさしだし南無アッバ       〃

などのアッバ讃句をはじめ、多くの詩を発表してきました。
そして、「風の家」運動が、井上神父から私たち在世間キリスト者にバトンタッチされようとしている今、イエス様、アッバを慕うすべての人が南無の心を育くむ具体的な活動が求められています。それはまた、わたしが提唱してきた求道詩歌運動の目指す所でもあります。その一つの具体的な試み、祈りの場としてこの「アッバ讃句コーナー」がお役に立てれば幸いです。皆様のアッバ讃句をお待ちしています。
では、さっそく今号の作品をご紹介しましょう。

ふりしきるふりしきる雪南無アッバ  石川れい子

「ふりしきる」のリフレインと五七五の定型感が、しんしんと降る雪のリズムを刻んでいます。「ふりしきる」をひらがなにしたところも、雪の純白や柔らかさを表現するには効果的ですね。この雪のように、アッバに無心に委ねる心を起こしたいものです。
種田山頭火の有名な句に、「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」(修証義)と詞書して
 生死のなかの雪ふりしきる  (大正一五年)
というのがあるのを思い出しました。

隠し味の塩になれよと説きたまふつつしみ歩まむ南無南無アッバ  魚住るみ子

「山上の説教」(『マタイによる福音書』五章)にまつわるアッバ讃歌としての短歌です。まさに「隠し味」が効いて、「つつしみ歩まむ」作者の人柄がよく出ています。ここでまた思い出される名句に、
勇気こそ地の塩なれや梅真白  中村草田男
というのがあるのですが、よくみるとこの『マタイ』の箇所は、

地の塩になれとは言わず地の塩であるとぞ言えりイエスは吾に  平田栄一

というように、〝おまえたちは、そのままで「地の塩」なんだよ〟とも読めるんですね。その「塩気」がなくなるのはたしかに問題ですが、だからといって偽善的に神様の前に、良い子に振る舞うのは本末転倒です。わたしたちの原点はどこまでも「アッバ!おとうさまー、よろしくお願します」という、アッバの御前に素直に頭を下げる者――あの「徴税人」(『ルカによる福音書』一八章)の祈りでありたいと思います。
以下、お寄せいただいた他の作品から選びます。俳句や短歌ははじめてという方は、どうぞ参考にしてみてください。

南無アッバ祈れば嬉し春の夜  藤田治子
暁の空に向かいて南無アッバ今日一日を委ねまつらん  佐藤悦子
闇ひらく神の光に春うらら  片岡惇子
春の星天の笑くぼとなりたまふ  佐藤淡丘
紅梅の幹も紅なり神の業  西川珪子
余生にも日の当たりけり帰り花  新堀邦司
初東風に雲満たされて波アッパ  河口儀子
本当のことはほんとに言えないの元気元気と強がりの君  瀧野悦子
夕焼けに満たされ帰る南無アッバ  井上文子
胸中に棲む人ひとり冬の銅鑼  大木孝子
日々の糧今日も賜る冬温し  長谷川末子
折り紙の朝顔咲ける老いの家  岩崎姫公子
アリョーシャの国へ白鳥帰りけり  広谷和文

 先ほども触れたアッバに対するわたしたちの態度と同様、アッバ讃句(歌)も上手下手を気にするのではなく、南無の心を第一として素直に表現してみましょう。
 ――アッバ讃句応募規定――
 井上神父の「アッバ讃句」にならい、皆さんの南無アッバの祈りを短い求道詩歌にしてお送りください。「~~南無アッバ」という形のほか、俳句・短歌・川柳・自由律・一行詩などでもけっこうです。(採否選者一任)

category: アッバ讃句コーナー

tb: 0   cm: 0

求道詩歌誌「余白の風」

南無アッバの集い&平田講座

最後の南無アッバミサ

全記事表示リンク

カテゴリ

▲ Pagetop