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カテゴリー「○求道詩歌」の記事一覧

ヨハネ伝求道俳句4:38~  

誰彼の労苦に実る吾が身かな

主の業を見たり聞いたり信じたり

ガリラヤに帰るイエスや梅雨晴れ間

御言葉を信じる父や子を生かす

ベトザタをそっと立ち去るイエスかな


category: 求道俳句ヨハネ伝

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ヨハネ伝求道俳句4:30~  

町を出でイエスのもとへ人集う

主の業が主の肉となる五月闇

刈り入れを待つ畑あり主の御前

永遠の命に至る実を集む

蒔く人も刈る人も皆喜びぬ


category: 求道俳句ヨハネ伝

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求道俳句ヨハネ伝4:14~  

主の水を飲みて命の泉湧く

サマリアの女は乞えり春の水

真実と霊もて祈る時来たる

霊の神コロナ禍に今何してる

自らをメシアと明かすイエスかな

(朝日歌壇近詠5/31)
晴れの日はスロージョギング雨の日は壁スクワットほぼ定着す


category: 求道俳句ヨハネ伝

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ヨハネ伝求道俳句3:35~  

御父は御子にすべてを委ねたり

ただ信じ命を得よと春の月

井戸端に佇むイエス春の旅

サマリアの女に水を主は乞いぬ

井戸深し主より賜わる生ける水


category: 求道俳句ヨハネ伝

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ヨハネ伝求道俳句3:19~  

光より闇を愛する吾もあり

神に在る者は真理を行えり

露払い終えてヨハネは退けり

御国から来られる方をいただかん

神の子は神の言葉を語られり


category: 求道俳句ヨハネ伝

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ヨハネ伝求道俳句3:8~  

おみ風に吹かれて行かん神の国

主は天に上りて吾ら救われり

独り子を賜わり賜う命かな

御子によりアッバは救う四月尽

御子の名を信じて安し春の雲


category: 求道俳句ヨハネ伝

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ヨハネ伝求道俳句2:24~  

わが心知りて憐れむイエスかな

ニコデモや主を訪ね来る春の夜

御国へと新たに生まれん暮の春

老い人に寄り添うイエス春惜しむ

水と霊くぐりて入る神の国


category: 求道俳句ヨハネ伝

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ヨハネ伝求道俳句2:12~  

春深しカファルナウムに主は下る

都へと上るイエスや春惜しむ

神殿に暴れるイエス夏近し

アバ思う心は燃えて四月尽

復活の体は祈りの場となりぬ


category: 求道俳句ヨハネ伝

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求道俳句誌「余白の風」第244号   

2020年5月
俳句や短歌をつくりながら、
「南無アッバ」の心を養いましょう。

片岡惇子さん追悼特集

初出・142号(07年10月)
しみじみと寂しさ聴きてちちろ鳴く
萩のつぶ掌にころその命
幼子の心に添うて秋桜
我も又使徒よと説かる青き柿
秋暑しロザリオ繰りて闇に入る

*惇子さんは、淡丘さんご紹介の新しいお友達です。どうぞ、末永くお付き合いください。
四句目、「青柿」にも「使徒」としての役割を見ています。青柿がだんだん熟れていって、色を変え、自然の一部として、大自然の生命を静かに歌い上げていく。そういう意味では、すみれもタンポポも同じ。
でも最後には、柿の実は、人やカラスや鳥たちに食べられてしまうか、地に落ちるか・・・・、いずれにしろ儚い運命とも受け取れます。しかしそこに信仰の目があれば、ものの見方が一八〇度違ってくるでしょう。

143号(07年11月)
冬瓜や丸だ四角だ言い切れず
曼珠沙華空なる墓に女たち
萩こぼる母の涙は見えずとも
ノアの舟秋蝶も乗せ時を待つ
烏瓜夕日よりなお赤く在り

*「夢か現か」といいますが、ちょうど聖書世界は、史実と真実が折り混ざっていますね。「冬瓜」は「丸」か「四角」か、「空なる墓」の意味するものは、「烏瓜」と「夕日」の赤さは等々、夢現の自在な境地を読み込んでいる佳品です。

144号(07年12月)
ひたすらに歩みし道に柿熟す

*「柿」は「人生」でもありましょう。甘く、ときに渋く色づく、それもよし。

我が背を父が抱きし秋茜

*幼い時は肉親の「父」が、そして信仰を持ってからは、「アッバ」が抱いてくださる。

しがらみを解きて発つ日の十三夜

*完全に解放されるのは天国へ旅立つときなのでしょうね。

香ばしきホスティア戴く天高し

*教会によって、微妙にホスチアの味が違うのも、楽しいもの。

石蕗の花確たるものと出会いけり

*うちの「石蕗」は今が盛りです。そして、長く咲き続けます。どことなく安心感のある黄色い花。

冬の薔薇マザーテレサの笑顔透け

*寒い日にもキリリと咲く強い花。まさにマザーの的確な形容。

黄落や新たな命の主の祈り

*「黄落」は終末ではなく、「新たな命」の始まりを告げるのですね。

凍てし月放蕩息子待つ父や

*愚息を三人抱えた身である私には、ストレートに響く。

落葉や神に囚われ自由となり

*そうかー、「神に囚われる」ことが、本当の「自由」なのですね。

小春日やバベルの塔より読み始む

*人間の歩みを考えるには、「バベルの塔」は、最も示唆に富んでいる。

145号(08年1月)
今年も白と薄紅色の小振りの葉牡丹を一株ずつ買って、小さな柿の木の下に地植えをしました。これで正月の準備完了。葉牡丹は、広辞苑にはヨーロッパ原産、キャベツの一品種とあります。白、黄、紫紅、鮮紅、淡紅など、どの葉の色も美しく、いつも迷います。その葉の縮緬状のやわらかさは、優しく包みこんでくれるようで、安らぎを与えてくれます。その葉に降りて、光っている朝露の美しさも、又、特別です。これは、私への恵みなのですが、目の悪い私には、ダイヤモンドのように映ります。

私の所属する平針教会の御聖体台の後方の窓は、幼子を中心に渦巻にはめられたステンドグラスで出来ています。夕日が落ちて、暗くなっていくその瞬間の美しさには、感動します。闇の中に光をみるのです。葉牡丹をみると、その情景と重なります。(07・12・25)

葱刻む日常の中に祈りかな

*まな板に飽かずトントントン・・・・リズムも心地よい。細部と単純な繰り返しの中に、神が宿る。

謙遜や枯菊に幽か香の残り

*その「枯菊」もすばらしいですが、その「幽か」な香に気づく作者の心持がうれしいです。

枯葦やなびく彼方に創世記

*三句目、「枯葦」の向うの原初世界とも、イザヤ書の「傷ついた葦・・・・」からの発想とも、奥深い。

葉ぼたんの静かに包む神の影
        神の影=奥村一郎選集⑥より

葉ぼたんや貧しき人の宿となり

*エッセイと響きあって、読者の理解と発想を助けてくれます。一見簡素な葉牡丹の魅力を教えていただきました。

辞世241号(19年11月)
秋日和主の前に吾が時消ゆる
優しさは突然凍みてアッバ父よ
主はどこに葡萄の種の一粒が
大夕焼け混乱鎮めアッバ父よ
主の創造涼し子の涙(るい)アッバ父よ
裸の王ゴルゴタの道誰も居ぬアッバ父よ

*片岡惇子さん、07年以来13年間、本誌にお付き合いくださり誠にありがとうございます。
09年8月真夏、四谷での私の第一回目の講座に遠方名古屋から淡丘さんらとご参加くださったこと、今でもよく覚えています。
私たちの信仰では、生死は常に交わるもの、どうぞ天国から私たちの求道俳句に参加し、応援してください。南無アッバ


作品とエッセイ *選評

豊田・佐藤淡丘
散る桜 残る桜も 散る桜  良寛
本誌と共に永い間の句友でありました、片岡惇子さん(名古屋市)が亡くなりました(享年八十歳)。元々、彼女とは同信(カトリック信者)の誼もあり、誌上はもとより、日常でも肝胆相照らす仲でした。
思えば入会当初、名古屋の知人と四人で上京、「四谷ニコラバレ」の平田先生の講座に押しかけたりして、「俳句でキリスト教」の精神を切磋琢磨した良き時代でもありました。
彼女は役所仕事が永かったこともあり、恬淡とした人柄で、信仰と奉仕に生涯を捧げた俳人でもありました。でもこの四月二十日、楚々として天に召されてしまいました。
生前の本誌のご恩を忘れず、ここに本人にかわり篤く御礼を申し上げたいと存じます。南無アッバ・南無アッバ

振り返る忘れ得ぬ人落花中
花の塵刻を待たずに溶けにけり
つれなくも独りを託つ花の冷え


高知・赤松久子
マグダラのマリア唱へる〝南無イエス〟
司祭なれば主イェスを〝我が師〟と呼びたまふ
マスク顔春風にあて南無アッバ
春の川さざ波立てて南無アッバ

*①「南無アッバ」は一般の人には説明が必要で、「南無キリスト」ならすぐわかってもらえる、というご意見をいただきました。ご存じの通り、「南無アッバ」は井上神父さまが、いわば啓示のように神様から与えられた称名です。内観をされている藤原直達神父さまは「南無イエス」を提唱されていますが、井上神父と「同じ感覚」であるとおっしゃっています。各々の感覚にピタリとするものでいいのではないでしょうか。


昭島・新堀邦司
友逝くと名残の雪の降りやまず
鎌倉は雨となりけり実朝忌
梅が香や立志の君の旅姿
河津より花の便りや西行忌
帰る日の近し白鳥天仰ぐ

*①⑤「私たちの国籍は天にあります。」(フィリピ3・20)コロナ禍で多くの方が亡くなっています。その方たちの生涯はすべてアッバの記憶に残ります(拙著『心の琴線に触れるイエス』五章参照)。


ヨハネ伝求道俳句:平田栄一
コロナ禍終息を願って
ヨハネ伝1・1~3より
御言(コトバ)は初めにありて年明くる
神共に在ます正月南無アッバ
言即神と見抜けり初鴉
初めより神と共なる言かな
万物や言によりて在らしめり


「余白の風」入会案内


category: 求道詩歌誌「余白の風」

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ヨハネ伝求道俳句2:3~  

主の時を母は知らずに春暮れり

子は母の思いを知れり春過ぎて

水がめに水あふれんや春の宵

春の水酒に変わりて宴盛(さか)る

花時に最初のしるし主は為せり


category: 求道俳句ヨハネ伝

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