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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

2018年度、南無アッバの集い&平田講座の日程  

「風編集室」主催の南無アッバの集い&平田講座「井上神父の言葉に出会う」を次の日程で行います。
途中から、または1回のみの受講も可能です。

○日程:原則として、毎月第4土曜日です。
2018年
4月28日(土)
5月26日(土)
6月23日(土)
7月28日(土)
8月25日(土)
9月22日(土)
10月27日(土)
11月24日(土)
12月22日(土)
2019年
1月26日(土)
2月23日(土)
3月23日(土)

○時間:13:30~15:00

○場所:幼きイエス会(ニコラバレ)会議室(03-3261-0825 四谷駅麹町口前)地図

○講師:平田栄一

○受講料:各回1,000円 当日、受付にてお支払いください。

○内容:下記文庫を補足しながら、井上洋治神父の説く日本人のキリスト信仰について考え、分かち合います。

○テキスト:『心の琴線に触れるイエス』(聖母文庫 525円 当日販売もあります。)

○問合せ:平田栄一 メール

*事前申し込みがなくても、参加可能です。

category: 南無アッバの集い&四谷講座

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アンソロジー井上洋治神父の言葉(44)  

井上神父が創刊した「風」誌に毎号連載しています。
第104号、2018年春

(44)

〇 神中心主義

<『ヨハネによる福音書』は、死に瀕する十字架のイエスさまがおっしゃった最後のお言葉は「成し遂げられた」であったと記します。このお言葉は、日本語訳で受身形で記されるように、原文でも受身形になっています。

つまり、イエスさまの十字架上の死は、イエスさまがご自分に与えられた役割、すなわち人類の救いという役割を果たし終えられた時なのだということでもあり、またそれ以上に、神様、おん父、アッバがご自分の業を御子イエスさまにおいて完成された時なのだ、とヨハネは言っているわけなのです。>(著作選集5、一四頁)

<三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。>(マルコ一五・三四)

<三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。>(マタイ二七・四六)

<イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。>(ルカ二三・四六)

<イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。>(ヨハネ一九・三〇)

これら、イエスが十字架上で口にしたと伝えられる最期の言葉について考えてきましたが、ここで井上神父は、四福音書のうち最も新しいとされる『ヨハネ』では、最後の言葉が「成し遂げられた」であったということ、そしてそれが受け身形であることに注目します。

すなわち、「完成させる」「成就する」を意味するテレオーの受動態テテレスタイ(三人称・単数・現在完了)というギリシア語です。

ちなみにこの少し前、

<この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。>(一九・二八)

の「成し遂げられた」も同じ動詞の受身形が使われています。

井上神父は、ヨハネ一九・三〇が受身形であることから第一に、イエスの十字架死がアッバから与えられた「役割」――使命であったということ、第二に、その使命が死において「果たし終えられた時」――完成の時であったということを読み取ります。

そして第三に、これを同時に人生の主役であるアッバからみれば、「御自分の業」を「イエスさまにおいて」――イエスを通して「完成された時」でもあるのだ、と述べています。

これらのことから、イエスの生死を通じて、その主役はあくまで御父なるアッバであり、それゆえイエスがこの世において果たすべき役割・使命・仕事は、そもそもアッバから与えられたものであること。

そしてその生涯が外から、あるいはたとえ人間イエス本人からでさえどんなに不完全に見えようとも、主役であるアッバから見れば「ごくろうだったね。よくやってくれたね」と言われるような――死をもって完成されるものなのだ、ということ。

さらに、その完成をアッバも御自身のこととして喜んでくださっているのだ、と言っているのです。

解説書では、

<テレオーは『ヨハネ福音書』においてのみテテレスタイという【受け身形】で現れる(一九・二八、三〇)。

……テテレスタイはイエスの死を神の勝利と解釈するこの福音書記者の神学的意図に対応する意味深長な表現なのである。>(『ギリシア語新約聖書釈義事典Ⅲ』三九〇頁)

と言っています。

ちなみに、テレオーと同義のテレイオオーを原形とする動詞が『ヨハネ』には、

<イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げる(テレイオーソー)ことである。>(四・三四)

<父がわたしに成し遂げるように(テレイオーソー)お与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。>(五・三六)

<わたしは、行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて(テレイオーサス)、地上であなたの栄光を現しました。>(一七・四)

などに出てきますが、これらはすべて受け身形ではなく、神の業=使命を自ら積極的に果たそうとするイエスを主体にした記述になっています。

さらに敷衍すると、件のヨハネ一九・二八、三〇節と同じ動詞テレオーの受動態が二コリント一二章にも出てきます。

<すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。

力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。

だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。>(一二・九)

この「十分に発揮されるのだ」と新共同訳で訳されたテレイタイ「完全にされる」は、現在形の受動態です。これを踏まえてこの部分を少し敷衍してみましょう。

「力は弱さの中で……」というとき、ここでの「力(デュナミス)」は後段から「キリストの力」という意味に解釈できます。

そしてその力が受け身として働く――「完全にされる」とはどういうことでしょう。

「わたしの恵みはあなたに十分である」と言っている「キリストの力が」「完全にされる」というなら、その力を完全にする使役主体はキリストではなく別の方――御父であるということになりましょう。

そしてその力が働く「場」がわたしたちの「弱さ」だというのです。


本稿第一部でわたしは、アッバなる御父と御子イエスとの関係を、「直結構造」的な北森神学に対して、井上アッバ神学は「包括構造」であるということを指摘しました(『心の琴線に触れるイエス』五四頁)。

井上神父が好んだ十字架像に、「十字架のヨハネ」の手になる、十字架を上から見下ろした絵があります。

この作品に象徴されるように、井上アッバ神学は、父なる神が子なるイエスを包み込む――神が主となり子が従となる「神中心主義」的傾向が強いといえましょう。

青野氏が指摘するように、パウロ神学にもそうした傾向が見られます。

まず十字架の悲惨さに目を向ける「十字架の神学」のパウロと、イエスの十字架死を神の勝利に直結させるヨハネとは多くの点で異なりますが、井上神父が注目したヨハネ一九章の件の箇所に関しては、神アッバが主人となり、イエスが忠実なその手足・「作品」となる、という捉え方――「神中心主義」において、パウロや井上アッバ神学と響き合います。

こうして、弱さの骨頂である十字架においてこそ、アッバからのキリストの力が逆説的に発揮されるのです。


〇 「水晶」から「窓ガラス」へ

<ちょうど窓ガラスがこわれなければ、外を吹いているそよ風が部屋のなかに入ってこないように、イエスさまがご自分をこわし、十字架上で死んでくださらなければ、暗い部屋に光を導き入れ、私たちの心の闇に希望と喜びの光をもたらしてくださることもなく、「アッバの息吹」「御(お)御(み)風(かぜ)さま」が私たちをあたたかく包み込んでくださることはなかったのです。

つまりそこにイエスさまの十字架の死の深い、深い意味があったのです。>(著作選集5、一五~一六頁)

井上神父の言葉に接したことのある方にはおなじみの、いわゆる「窓ガラスのたとえ」です。わたしが神父に出会った頃は、よく「水晶」にたとえて、「イエスさまは、いわば水晶のように、百パーセントアッバの御心をそのまま映し出す方だった……」という言い方をしていました。

いつ頃「水晶」から「窓ガラス」にたとえが変化したのか、あるいは多用するようになったのかはわかりませんが、内容的な理由をわたしなりに推測してみますと、ポイントは「水晶」と「窓ガラス」の〝硬度〟ではないかと思うのです。

科学的には硬度即強度ではありませんが、言葉のもつ一般的なイメージとして、水晶(玉)より平らな(窓)ガラスは壊れやすいものでしょう。

右引用文の前段で井上神父は、「わたしを見た者は、父を見たのだ」(ヨハネ一四・九)という聖句を引きながら、現代人にわかりやすいようにアッバを「外の光」、イエスを「窓ガラス」に見立てて、この二者の性質と関係について語っています。

それを整理すると次のようになります。

①「室内」「部屋」(この世)にはどんなすばらしいものがあっても、「外の光」(アッバの赦しのまなざし)を中に入れることはできない。

②しかし「透明なガラス」でできた「窓ガラス」(イエス)だけは、部屋の一部で(万物とともにこの世に)ありながら、外の光を部屋の中に入れることができる――アッバの赦しのまなざしをイエスだけはわたしたちに届けてくれる。

③また、わたしたちが窓ガラスを見るときは、窓ガラスと同時に外の光や景色を見ている――わたしたちがイエスを見るとき、同時にアッバや神の国を見ていることになる。

このように、キリスト教の正統教義とされるイエスの神人両性を含む信仰内容が、この「窓ガラス」のたとえに見事に「現代風に」表現されていることがわかります。

そのうえで右引用文では、窓ガラスが「こわれなければ」そよ風が部屋に入らないように、アッバの赦しのまなざしをわたしたちの心に「直接」運び入れるためには、「イエスさまは自分をこわし、十字架で死んでくださらなければ」ならなかったのだ、と述べているのです。

このように「窓ガラス」のたとえには、イエスを通してアッバの御業が完成するためには、どうしても十字架の死が必要であった――ガラスはこわれなければならなかったことが説得的に述べられています。

とすれば、「水晶」であるよりは、「窓ガラス」である方が、より身近に実感できるたとえとなるのです。


これは、従来の教義表現で言えばイエスによる「十字架の犠牲」とか「身代わり」ということになりましょう。

しかしそのように表現されるときの贖罪論的な感性が、ユダヤ的背景を持たない日本人には、なかなか実感しにくい、ということを先に見た遠藤周作や井上神父は訴えてきたのでした。

それに比べると「窓ガラス」のたとえは、「贖罪」や「犠牲」といった重苦しい言葉を使わず、「アッバの息吹」や「希望と喜びの光」が強調されており、それらが日本人の感性に訴えるのだと思います。

井上神父に出会った多くの人をして「窓ガラスのたとえはわかりやすい」と言わしめている理由は、この辺りにあるのでしょう。

そして、この死によって「守導者」たる「おみ風さま」(どちらも井上神父の造語)――「聖霊」が弟子たちをあたたかく包み、彼らを回心に導いていきました。

「勧善懲悪の神ヤーウェ」から「赦しの神アッバ」へ、という弟子たちの神観の大転換をもたらした「イエスの赦しのまなざし」。

それが弟子たちの「深層意識にくいこまされ」るためには、どうしてもイエスの十字架の死が必要だったのです。

「そこにイエスさまの十字架の死の深い、深い意味があったのです」と神父が言うゆえんです。

「水晶」から「窓ガラス」のたとえへの移行は、「こわれる」こと、すなわちイエスの「十字架の死」を井上神父が特段に重視していることの証左と言えましょう。

さらにその「死」について、次のようにも述べています。

<イエスさまが十字架上で、孤独な、苦悩にみちた、屈辱的な死をおひきうけくださったことによって、アッバの息吹が、私たち生きとし生けるものの生命の根底をさわやかに吹きぬけるようになったのです。>(著作選集5、九四頁)

二〇〇六年、「風の家」二十周年を記念する「風」特別号、第七二号で井上神父は、新しい「在世間キリスト者の求道性」として、「南無アッバ」の祈りをすすめています。

その前段として右のとおり、イエスの死が、「十字架上で、孤独な、苦悩に満ちた、屈辱的な死」であったからこそ、「アッバの息吹」――無条件の赦しのまなざし、おみ風さま、聖霊が、わたしたちに注がれるようになったのだ、と明確に述べています。


〇 お守り札の効用

<そのようなときでも「お守り札」を枕もとに置いてくださるだけで、パウロが『ローマの信徒への手紙』八章で言っているように、アッバの「おみ風さま」は、私たちの弱さを助けてくださり、イエスさまも、ご自分の背負われた十字架の苦しみに、私たちの苦しみをとけこませ、私たちの代わりに祈ってくださると信じます。>(著作集5、三五頁)

「そのようなとき」とは、「大手術」の後や「死」直前の「苦しみ」「不安」などを噛みしめているとき、すなわちわたしたちが極限状態に置かれたときのことです。

ここでは「そのようなとき」にも井上神父が確信することとして、三つのことが述べられています。

それは、①お守りの役割、②聖霊の働き、③イエスの働きです。

①「南無アッバ」のお守りについてのこの文章(「風」第七二号)では全体として、病気の治癒などいわゆる「現世利益」を否定しています。

しかしお守りによる、この祈りの現世的効用は否定していません。

すなわち、苦しみは「受け入れる人の心の持ち方によってずいぶんと変わる」という、神父自身の経験をもとに、

<この「お守り札」は、あくまでもアッバのくださる苦しみ、喜び、哀しみ、そういったすべてを魂のやすらぎのうちに受け入れることのできる心をお願いするものです。>(同)

と述べているとおりです。

つまり、自己中心的に自分の都合がいいように状況を変えてもらう、ということが「現世御利益」だとすれば、そうではなく、今が「苦しみ、喜び、哀しみ」などどのような状況にあっても、「すべてをやすらぎのうちに受け入れる」ように自分を変えていただくという意味での「効用」です。

生前、井上神父が宗教の役割として強調していた自己相対化――「逆主体的段階」の祈りということです。


②『ローマ書』には次のようにあります。

<同様に、〝霊〟も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきか知りませんが、〝霊〟自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。>(八・二六)

「うめきをもって執り成す」方=聖霊=「おみ風さま」が「私たちの弱さを助けて」くれる。

それは、「『お守り札』を枕もとに置く」ことによる。

しかもそれ「だけで」と言い切っているのですから、あたかも「お守り札」が「おみ風さま」を呼び起こすがごとくです。

ここにも「お守り札」の効用を認めていることがわかります。「お守り札」が救いの道具になっている、という言い方は語弊があるかもしれませんが、要はそれだけ井上神父のなかで、自力に頼ろうとしない「南無の心」――自己相対化――お任せの心が強いということなのだと思います。


③そして「十字架」のイエスの助力に言及します。

まず、「イエスさまも」と言っているのですから、②同様、ここでもイエスの祈りはお守り札によって呼び起こされる、と言っていることになります。

第二に、その祈りは「十字架」のイエスの祈りだということです。青野太潮氏が指摘するように、パウロによれば復活して現存するイエスは、「十字架にかけられたまま」の姿です(一コリント二・二、青野『パウロ 十字架の使徒』一一五頁他)。

このことは、②で引用したローマ書の「霊のうめき」とも符合します。

第三に、このイエスの助力の仕方は、神父の表現によると、自らの「十字架の苦しみに、私たちの苦しみをとけこませる」というのです。

キリスト者の間ではしばしば、

<わたしは苦しみをキリストの十字架に合わせ、わたし自身と人々の罪を償います。>(『カトリック祈祷書 祈りの友』「病気の時の祈り」)

というような言い回しを聞きますが、「とけこませる」という表現はあまり聞いたことがありません。

そう言われてみれば、苦しみを「合わせる」より「とけこませる」という表現の方が、共苦の連帯感、一体感、内面化は一層強いように思います(拙著『心の琴線に触れるイエス』八四頁以下「聖徒の交わり――連帯の神学」参照)。

しかもその助力は、「おみ風さま」と同様、イエス=あちらさまが主体となってなされるのです。

そしてなにより、この表現が、井上神父の「遺言」(同『「南無アッバ」への道』三四一頁)にあった提言の一つである「汎在神論」に通じる表現であるということです。

汎神論とは――

<……〝絶対他者としての超越神〟としてだけではなく、同時に〝すべてを包み込んでいてくださる神〟

……汎在神としての神をも同じように認める必要がある……太陽からでてくる光は、あたたかな春の日ざしとして、また秋の夕暮のしずかなたそがれとして、生きとしいけるものをやさしく包みこみ、生かしてくれている

……この灼熱の太陽とおだやかな日ざし、すなわち神の本質とエネルゲイア(はたらきといってもよいかもしれません)はその根元において一つであり、決して別のものではない

……キリスト教は決して汎神論ではないけれども、本質とはたらきを断絶する超越一神論ではなく、汎在(パンエン)神論(テイスム)と呼ばれるべきものなのだ……。>(著作選集5、一四三~一四四頁)

わたしたちが神を理解するために「汎在神論」を推奨する、右の井上神父の弁には「とけこます」という言葉は出てきませんが、「すべてを包みこんでいてくださる神」は、「生きとしいけるものをやさしく包みこみ、生かしてくれている」「光」――「春の日ざし」、「秋のたそがれ」、「おだやかな日ざし」のような方なのだと言っています。

とすれば、この「光」が生きとしいけるものを生かすために、わたしたちを外側から「包みこむ」だけでなく、わたしたちの内側へ、体内へととけこんでいき、わたしたちを中から変容してくだるはずです。

ちなみに、『岩波キリスト教辞典』では汎在神論を次のように説明しています--

<万有内在神論(panentheism):神の内在が全宇宙を包括し、その中に浸透しているとする思想。

それゆえ宇宙のあらゆる部分は神の内にあるが、逆に神は宇宙全体に尽きない超越的存在であることを認める点で、宇宙と神とを同一視する汎神論とは明確に異なる。>(九一三頁)


第四に、この場合のイエスの役割は「私たちの代わりに祈る」ということ。わたしたちが祈って、それに応えてイエスが「やすらぎ」を与えてくれる、というのではないのです。

イエスはわたしたちの祈りの代弁者だというのです。もちろん、その祈りの対象はアッバです。つまり、「やすらぎ」を与える主体はアッバだということです。

イエスはむしろわたしたちの側に立って、いっしょに祈ってくれる。こうした所にも「悲愛」=共苦が強調され、また前述したように、救いにおける井上アッバ神学の神(アッバ)中心主義が表れています。(つづく)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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アンソロジー井上洋治神父の言葉(43)  

井上神父が創刊した「風」誌に毎号連載しています。
第103号、2017年冬(43)

〇 十字架は「悲愛」の頂点

本連載第一部で、「罪と苦しみ」という問題を考えるきっかけとしてわたしは、井上神父と佐古純一郎氏の対談を引用しました。そのなかで「十字架」の意味について、二人は次のように語っています。その一部を再掲します。

<佐古 ‥‥イエスはいったい何で殺されてしまったかということになっちゃうと、イエスをあんな苦しみに遭わせたのはおれじゃないかというところに出てきて、やっぱり罪の、「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう」という問題が出てきているんですな、私なんかは。

井上 私はね、むしろ、イエスの十字架というのは私たち一人一人の人生の苦しみをそこでいわばmitleidenして(共に担って)くれたという感じです。これからの私たち一人一人の苦しみというものを、あそこにおいてイエスはすでに受け取って、神様のもとにさし出してくださっているんだという感じです。

佐古 そのことは、まったくそうですわ。

井上 だから、「惨めな」というか‥‥。もちろん、私たちのために死んでくださったというのはあるわけですけれども、そのときのニュアンスの置き方ですかね。例えばパウロとヨハネを並べると、パウロは、ユダヤ人に対してだと思うのですけど、もっぱら犠牲とかそういう面を強調しますね。

ヨハネの場合は、むしろギリシャ教父たちが言うように、こちらに来てくださって、みんなをぞろぞろと愛で包んで、また向こうに戻ってくださったという感じがありますよね。

だから、私はそっちのほうがどうも考えやすいというか、何か、私の人生を先につかまえてくださって、これからの死の苦しみを、もうすでに先に一緒に歩んでくださって、もう行ってくださったから、私の人生は保障されているというか、キリストがもっていってくださった。>(『パウロを語る』一八七~一八八頁)

対談での話し言葉をそのまま文章にしているので、ちょっとわかりにくい部分がありますが、井上神父の言いたいことは明白です。

すなわち、神父にとってイエスの十字架は、罪を贖う「犠牲」としてよりも、わたしたちが人生の途上で味わう、様々な喜びや苦しみや不安――その最大のものが死への不安だと思いますが――そういうものをイエスが「すでに受け取って」=先取りして、「もうすでに先に一緒に歩んでくださって」いる。

それゆえに「私の人生は保障されている」のだ、という絶対的な安心を与えてくれるものなのです。

ひとことでまとめれば、わたしたちがどんなにひっくり返ろうが、人生全体がイエスを通してイエスと「共に」アッバに「包容」されている、という信仰による安心――そういうものを、悲愛の頂点としての十字架に見ているのが、井上アッバ神学なのだと思います。

そしてわたしは、十字架のイエスが一糸まとわぬ「全裸」であったという事実は、イエス自らがどん底まで降りてわたしたちを引き上げてくださる、という「保障」を決定的なものとする象徴のように直観したのでした。

つまり、わたしたちの人生がどんなにひっくり返っても――そのようにしか思えない状況にあっても、けっしてこのイエスの十字架を頂点とするアッバの悲愛の御手から零れ落ちることはないのだ、という確信を与えられたように思ったのでした。

人生の喜びも悲しみも苦しみも――すっぽりイエスの十字架を頂点とする生涯のうちに「包容」される安心、それが井上神父がなんとしても、わたしたちに伝えたかった福音だったのではないでしょうか。

「全裸」――人類、否、万物が経験したことのない、また今後も経験することがないだろう「屈辱」と「苦痛」の中で、「十字架につけられ給いしまま」(ガラテヤ三・一、文語訳)今も「うめき」(ローマ八・二六)つつ、吾らの人生のあらゆる時と場面に「つきそい」(風の家の祈り)「共に」(悲愛の「悲」)歩んでくださるイエス――。

こうした信仰をわたしは、井上アッバ神学から学び、近年さらに青野神学によって確信することができるようになったのでした。

〇 イエス最期の叫び

<しかし、『ヨハネによる福音書』一四章以下では、イエスさまの悲惨な死がいかに栄光に輝いているものであるかということをヨハネが説明しています。非常に心打たれる箇所です。

もちろんそれは、当時のユダヤ教の人たちに「弟子たちにも裏切られて、素っ裸で吊るされて、そして呻いて死んでいったあんなやつを、なんで神の子だ、救い主だなんて言っているんだ、おまえら少し頭がおかしいんじゃないか」と言われたことに対するヨハネの弁論でもあるわけですが、「あの出来事は栄光の時であったのだ」とヨハネは一生懸命繰り返すのです。>(著作選集5、一四頁)

「素っ裸で」吊るされ、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と「呻いて」、前述のとおり「見捨てられて」死んでいったイエス。今度は、この「呻き」――『マルコ』におけるイエス最後の「叫び」について考えてみます。

この断末魔の叫びをどう受け取るかについては、拙著『すべてはアッバの御手に』最終章、第十章で井上神父の考えをわたしなりに敷衍しましたが、今ここでは、その人間イエスの惨めな姿、「叫び」を目の前で見聞きしていたと福音書が伝える、異邦人であるローマの「百人隊長」の言葉に注目したいと思います。

<百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。>(マルコ一五・三九)

この節にある「このように」とは何をさすのか。三七節の「大声を出し」たことか、あるいはその前の三四節「大声で叫ばれた」ことでしょう。三八節には「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」とあります。ちなみに『マタイ』の並行箇所を見ると、

<百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。>(二七・五四)

となっています。『マルコ』を下敷きにして書かれたと思われますが、『マタイ』は「百人隊長」他のイエス処刑目撃者の「神の子」発言を、「地震やいろいろの出来事を見」たことによる、としています。

成立年代の最も新しいと考えられる『ヨハネ』はもちろんのこと、三つの共観福音書でさえ、このイエスの最期の記述には大きな違いがあります。

とくに『マルコ』と『ルカ』を比較するなら、その違いは歴然としています。

神に恨み言を叫んで息果てる『マルコ』に対して『ルカ』は、

<イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。>(二三・四六)

と記述し、

<百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。>(同・四七)

と続けます。

「この出来事」が、四四~四五節にある「全地が暗くなり」「太陽が光を失って」「神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた」ことを指すのか、あるいはイエスが大声で叫んだことをも含むのかわかりませんが、いずれにしろ、イエスの立派さ、神の栄光の顕現によって、「この人は正しい人だった」と、百人隊長らに告白させています。

しかし、『マルコ』に戻って、素直に文脈をたどるならやはり、イエス自身の絶望の叫びを伴った死に様こそが、「百人隊長」をしてイエス=「神の子」告白をなさしめたのだ、と読まざるを得ないと思います。

<いまこの【物語における】深層意識的原体験の事実を「真実」という言葉で表現してみれば、物語は歴史的事実を伝えていないかもしれないが、しかしその奥には深い真実が秘められているのである。>(著作選集4、一三頁)

福音書がイエスの伝記や「事実」の忠実な歴史書ではなく、当時のキリスト者の信仰の「真実」を宣言した書物であり、わたしたちがその<真実>――「福音」に出会うための「実践指導書」(井上神父)である、という立場に立つならば、四福音書の「どれが正しいか?」という問いは、相対化されていくかもしれません。

しかし、信者かどうかにかかわらず、一般常識から見れば、『マタイ』のような異常現象を起こし、『ルカ』のように、神への執り成しの祈りや信頼を示す「スーパーマン」のようなイエスをこそ、「神の子」あるいは「正しい人」にふさわしいと思うのが当然でしょう。

青野氏も新約聖書の最初に位置する『マタイ』の強烈な記述の影響のためか、ある時期までは、百人隊長の告白は、様々な異常現象を見たがゆえのことと思い込んでいたそうです(『「十字架につけられ給ひしままなるキリスト」』一七一頁他)。

しかしマルコは、己が運命を嘆き、神に異議を申し立て、不信を露わにした――「罪人」イエス――「このようにして」死んだイエスをこそ、「神の子だったのだ」と、異邦人に告白させているのです。改めて考えてみると、これは大変衝撃的なことです。

〇 「罪人」イエスと「共に」

わたしが毎月一回おこなっている南無アッバの集い&講座では現在、井上アッバ神学の「共にいます神」ということをめぐって、ブルトマンの非神話化や聖書の実存的解釈の重要性について話しています。

その第七七回では、「共にいます神」をめぐって、二〇一六年十月の「風の家」三十周年記念集会で取り上げられた「悲愛」の「悲」――「悲しみ」ということに触発されて、井上アッバ神学と青野神学の十字架の意味について次のように話しました。


井上神父はキリスト教で言うアガペーを、日本語聖書でよく使われる「愛」ではなくて、「悲愛」と訳しました。

このなかの「悲」というのは、仏教の方で言う「慈悲」や「大悲」の「悲」から連想したといいます。

そして大事なことは、これらの「悲」には、単に悲しむというのではなくて、「共に悲しむ」「共に苦しむ」というときの、「共に」ということが含まれているということです。

それでわたしが思い出すのは、いつだったか、井上神父が講座か講演でもおっしゃっていましたし、個人的にも聞いたことがあるのですが、「人生というのは悲しいものです」と言うのです。

わたしはこの言葉を最初に聞いたとき、「おやっ?!」というか、正直ちょっと嫌な感じがしたのです。

というのは、わたしは二十代で教会の門をたたき、神父にたどり着いたわけですが、なぜそういう求道を始めたのかといえば、あのころ自分なりに抱えていたいろいろな問題があり、そうしたことがもたらす「悲しみ」や、生きづらさから何とか逃れたい、楽になりたいと思ったからです。

つまり悲しみの解決を願い、きっとそうしてもらえると期待して神父を訪ねたわけです。

それがどうでしょう。神父からは、人生はそもそも悲しいものなのだ、ということを聞くとは。

そのようなことを何回か、神父がしみじみと語るのを聞いたのでした。

しかしその後、井上神父に師事して少しずつ学んでいくにつれ、このように「身もふたもない」と思った人生の「悲しみ」の問題が、実は神父がいう「悲愛」(アガペー)ということと密接に結びついていることに気がついていきました。

十月の記念集会でも、若松さんが「悲愛」について基調講演をしましたが、座談会では「必ずしも悲しみがいやされること自体が、救いではないのではないか」というような意見も出ました。

わたしはこれをきっかけにして、その後もこの「悲しみ」について改めて考えてみました。するとまず浮かんだのが、青野太潮先生がおっしゃっているイエスの逆説的な福音ということです。

すなわち、『マタイ』の山上の、あるいは『ルカ』の平野の説教として伝えられているイエスの言葉、「悲しむ人々は、幸いである」(マタイ五・四)、「貧しい人々は、幸いである」(ルカ六・二〇)という逆説の福音です。

これらは古来、いろいろな解釈がなされてきました。たとえば、ルカの「貧しい人々・・・」をマタイが「心の貧しい人々・・・」とし、日本の「共同訳」のようにこれを、「ただ神により頼む人々・・・」と解するなどといったようなことです。

しかしどれも十分に説得的ではないように思います。

それは、これが「逆説」であり、逆説というのは本来合理的に十分には説明できないものだからです。

逆説が真理とわかるのは、経験的事実を重ねていったときだと思います。

この点は、井上神父のベルクソン以来の「体験主義」や「信仰の神秘」への言及に通底するものがあります。

辞書で「逆説」を引くと、その例として「急がば回れ」というのがあげられています。

これもあれこれ考えを重ねた結果として真理だとわかるというより、たくさんの人が経験して、「ほんとうにそうだなあ」と納得したので、定着していったのだと思います。

この点は、ベルクソンの影響を強く受けた井上神父が、頭でイエスの語った真理「について知る」だけではだめで、ほんとうに真理「を知る」ためには、体験しなければならず、その意味で「新約聖書は実践指導書(ガイドブック)」である、と言っていたことに通じます。

わたしは、先ほどの座談会で出た「悲しみは必ずしも癒されることが救いではないのではないか」ということも、イエスのこの説教の逆説――「悲しむ人々は幸い」ということに通じるのではないかと思ったのです。

青野太潮先生の御説を参考にさせていただくなら、このイエスの語った福音の逆説は、十字架においてイエスご自身が身をもって証することになります。

ご存知のように、『マルコ』によればイエスは、十字架上で、あの有名な、不可解な、一見「神の子」らしくない、絶望の叫びをあげて息を引き取ります。

<わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか>(マルコ一五・三五)

これも古来様々に解釈されてきた箇所です。『ルカ』や『ヨハネ』は、この叫びを「神の子」らしい威厳とやさしさに満ちた辞世の言葉に換えた節もあります。

史実は、単に大声を上げられただけかもしれません。

井上神父は、死にゆく人の断末魔の意外な叫びだけをあまりにも重視するのは、イエスさまに「失礼」である、といった見解を持っていました。

しかしわたしはこの箇所に関しては、青野先生の御説を支持しつつ、わたしの思うところを述べたいと思います。

この箇所のショックな点は、まずイエスを「神の子」と告白する福音書にはふさわしくないと思われるイエスの叫びを(おそらくあえて)載せていることです。

すなわち、イエスが「アッバ」(パパ)と呼んで絶対の信頼を寄せていたはずの神に向かって、「自分は一生懸命アッバの御心にそって忠実に生きて来たではありませんか。

それなのに最後の最後で、どうしてわたしを見捨てたのですか?!」と、アッバに嘆きとも、疑問とも、不信ともとれる抗議をしているということです。

しかもマルコは、この十字架の目撃者である(ユダヤ人から見れば不信仰者の)異邦人、ローマの「百人隊長」の口を通して「神の子」宣言をしているのです。

つまり、アッバに不信の罪を犯した――自ら罪人となったイエスを、不信人な異邦人こそが、「神の子」と見抜いたとしているのが『マルコ』なのです。

青野氏は、信仰義認論は、パウロの十字架解釈だ、と言います。

どういうことかというと、おそらくイエスに会った事もなく、また十字架の事件に立ち会ってもいなかったであろうパウロは、あのダマスコの回心を含めての前後、イエスの十字架刑死の意味について思い巡らし、よく考えた。

そうして得た結論は、イエスの「十字架」は、直接的には「愚かさ」や「弱さ」や「つまずき」や「(律法による)呪い」を意味するが、しかしそのようにして生きて死んでいったイエスをこそ、神アッバは「よし!」「しかり」とし、復活させたのだということ。

すなわち、十字架は「愚かさ」「弱さ」「つまずき」「呪い」でありつつ、同時に真の「賢さ」「強さ」「救い」「祝福」をも、逆説的に意味しているのだということなのです。

『ローマ』四章五節では、「不信心な者」をそのまま無条件無制限に義とする神アッバが語られています。

<不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。>

ここには、イエスの十字架や死を罪の贖いと信じれば救われる、ということは一切言われていません。

「不信心な者を」そのまま「義」とする――「よし」とする――神が受け入れてくださる、ということが大前提になっている。そのうえで、何も「働きがなくても」そういう神さまを「信じる」=信頼するとき、その信頼がさらに「義と認められる」と言っているのです(拙著『「南無アッバ」への道』第一〇章一〇「信仰義認論」とアッバ神学、参照)。

例にあげられるアブラハムやダビデについても、イエスの死による贖いを通しての義ということではまったく言われていない。

そしてイエスは、上のような逆説的福音を説きつつ、ご自身が十字架において絶望の叫びを上げ、「不信心な者」「つまずいた者」「罪人」となられた。

「そのようにして」死んだイエスを神アッバは、太古の昔からの御心――無条件無制限のゆるし原則のとおり、「よし!」「しかり」「義」とし、復活させたのです。青野氏は言います。

<すなわち、決定的な救いの出来事としてのキリストの十字架の死は、まさに「弱さ」「愚かさ」以外の何ものでもないのであり、しかもそれこそが、弱く罪深く、そして神なき者が、ただ信仰によってのみ義とされるというパウロの教えに表わされているように、真の救いなのだということである。>(『「十字架の神学」の成立』一八頁、傍点原文)

あるいは、「荒井献氏への批判的対論」のなかでは、次のように述べています。

<いずれにしても、ここ【ローマ八・三b】でイエスが「罪」あるいは「罪の肉と同じさま」における存在、すなわち「罪人」と考えられているということの中には、あの十字架の最期において神を疑い、彼自身の上に生起した不条理ゆえに神に抗議するという意味での「罪人」イエスという捉え方の反映はないであろうか。

つまりイエスの十字架上の絶叫を凝視することに通ずる捉え方がないであろうか。しかし神は、まさにこの「罪人」イエスをこそ、救済をもたらす者とされたのだ、というのが、パウロの逆説なのではないのか。>(同書、二七三頁)

井上神父から学んだ、先の「全裸のイエス」。

青野氏から学んだ、この「罪人イエス」――「罪人」となられたイエスこそ、われらを救う方――これほど逆説的で、かつ慰めに満ちたメッセージはありません。

教会にはふつう、

<この大祭司(イエス)は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。>(ヘブル四・一五)

と伝えられています。

イエスの生涯には徹頭徹尾「罪」がなかった、それ以外はわたしたちと同じだった、そのような「神の子」であるから罪人であるわたしたちを救ってくださるのだ、というのが正式な教会の教えでしょう。

しかし、右に引用したように、イエスを「罪深く、そして神なき者」すなわち「罪人」イエスとして捉えるというのはタブーなのでしょうか? 

異端でしょうか? 

人間イエスの意図していなかった所で、「なんで私がこんな目に遭わなければならないのですか」と叫んで、嘆いて、自ら「不信心な者」となられたイエス。

その「罪人」の頭をこそ、アッバは「無条件・無制限にゆるし」、「よし!」として復活させた。

罪の極みまでわたしたちと「同様に」なり、今も「十字架に架けられ給いしままに」「うめき」つつ「共に」いてくださるイエス。

こうしたイエスこそ、井上神父が言う所の「悲愛」の頂点――十字架において、わたしたちを救ってくださるイエス、と言う信仰告白につながるのではないでしょうか。

それはアッバにとって、イエスという「作品」における御業の完成でもあります。

わたしたちも、アッバが大事にしてくださった「作品」――人生の完成をめざして、このようなイエスと共に、イエスにならい――弱さと罪深さのなかで、「うめき」つつも「南無アッバ」「南無アッバ」と唱えつづけること、それこそがアッバがわたしたちに望んでおられる生き方なのではないでしょうか。
(つづく)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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連載エッセイ「井上洋治神父の言葉に出会う」(42)  

井上神父が創刊した「風」誌に毎号連載しています。
第102号、2017年春
(42)4-5inouesinpunokotoba.pdf
項目
○二つの神学のベクトル
○井上アッバ神学の「十字架」
○「赦しの晩餐」
○「赦し」とは「見捨てない」こと
○「全裸」のイエス
(つづく)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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罪人となられたイエスと共に  

南無アッバの集い&平田講座NO.77より


前回まで、井上アッバ神学の「共にいます神」をめぐって、ブルトマンの非神話化、実存的解釈の重要性についてお話してきました。

今回は、「共にいます神」をめぐって、10月の風の家30周年集会で取り上げた「悲愛」の「悲しみ」ということから、井上アッバ神学+青野太潮神学の十字架の意味についてお話しします。

井上神父はキリスト教で言うアガペーを、日本語でよく使われる「愛」ではなくて、「悲愛」と訳しました。このなかの「悲」というのは、仏教の方で言う「慈悲」や「大悲」の「悲」から連想したといいます。そして大事なことは、これらの「悲」には、単に悲しむというのではなくて、「共に悲しむ」「共に苦しむ」というときの、「共に」ということが含まれているということです。

それでわたしが思い出すのは、これはいつかの井上神父の講座か講演でもお聞きしましたし、個人的にお話ししているときにもよくおっしゃっていましたが、「人生というのは悲しいものだよ」と言うんですね。わたしはこの言葉を最初に聞いたとき、「おやっ?!」というか、正直ちょっと嫌な感じがしたのです。というのは、二十代で教会の門をたたき、神父様にたどり着いたのですが、なぜそういう求道を始めたかといえば、あの頃はあの頃で抱えていたいろいろな問題があり、そうしたことがもたらす「悲しみ」から脱却したい、というのがあったからです。つまり悲しみの解決を願って、期待して神父様を訪ねたのですね。

それがどうでしょう。神父様からは、人生はそもそも悲しいものなのだ、ということを聞く。たしかにしみじみではありましたが、わたしはそういうことを複数回、直接お聞きしたのでした。

しかしその後井上神父について少しずつ学んでいくにつれ、このように「身もふたもない」と思った「悲しみ」の問題が、実は井上神父がいう「悲愛」(アガペー)ということと密接に結びついていることを知っていきました。

10月の集会でも、若松さんが「悲愛」について基調講演をしましたが、座談会では「必ずしも悲しみがいやされることが、救いではないのではないか」という意見も出ました。

わたしもこれをきっかけにして、その後もこの「悲しみ」について改めて考えてみました。するとまず浮かんだのが、青野太潮先生がおっしゃっているイエス様の逆説的な福音ということです。すなわち、『マタイ』の山上の、あるいは『ルカ』の平野の説教として伝わっているイエスの言葉、「悲しむ人々は、幸いである」(マタイ5・4)「貧しい人々は、幸いである」(ルカ6・20)という逆説の福音です。

これらは古来、いろいろな解釈がなされてきました。たとえば、ルカの「貧しい人々・・・」をマタイが「心の貧しい人々・・・」とし、日本の「共同訳」のようにこれを、「ただ神により頼む人々・・・」と解するなどといったようなことです。しかしどれも十分に説得的ではない。それは、これが「逆説」であり、逆説というのは理では説明できないからです。逆説が真理とわかるのは、経験的事実だからです。辞書で「逆説」を引くと、その例として「急がば回れ」というのがあげられています。これもあれこれ考えて真理だとわかったというより、たくさんの人が経験して、「ほんとうにそうだなあ」と納得したので、定着していったのだと思います。

その意味で、ベルクソンの影響を強く受けた井上神父が、頭でイエスの語った真理「について知る」だけではだめで、ほんとうに真理「を知る」ためには、体験しなければならず、そのために「新約聖書は実践指導書(ガイドブック)」である、といっていたことと通じます。わたしは、先ほどの座談会で出た「悲しみは必ずしも癒されることが救いではないのではないか」ということも、イエスのこの説教の逆説――「悲しむ人々は幸い」ということに通じるのではないかと思ったのです。

青野太潮先生の御説を参考にさせていただくなら、このイエスの福音の逆説は、十字架においてイエスご自身が身をもって証することになります。ご存知のように、マルコによればイエスは、十字架上で、あの有名な、不可解な、一見「神の子」らしくない、絶望の叫びをあげて息を引き取ります。

<わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか>(マルコ15・35)

これも古来様々に解釈されてきた箇所です。『ルカ』や『ヨハネ』は、この叫びを「神の子」らしい威厳とやさしさに満ちた辞世の言葉に換えた節もあります。史実は、単に大声を上げられただけかもしれません。井上神父は、死にゆく人の断末魔の意外な叫びだけをあまりにも重視するのは、イエスさまに失礼である、といった見解を持っていました。しかしわたしはこの箇所に関しては、青野先生の御説を支持しつつ、わたしの信じるところを述べたいと思います。

この箇所のショックな点は、まずイエスを「神の子」と告白する福音書にふさわしくないイエスの叫びを(おそらくあえて)載せていることです。すなわち、イエスが「アッバ」(パパ)と呼んで絶対の信頼を寄せていたはずの神に向かって、「自分は一生懸命アッバの御心にそって忠実に生きて来たではありませんか。それなのに最後の最後に、どうしてわたしを見捨てたのですか?!」と、アッバに嘆きとも、疑問とも、不信ともとれる抗議をしているということです。

そしてマルコは、この十字架の目撃者である異邦人のローマの「百人隊長」の口を通して「神の子」宣言をしているのです。つまり、アッバに不信の罪を犯した――自ら罪人となったイエスをこそ、「ほんとうに神の子なのだ」と宣言しているのが『マルコ』なのです。

青野氏は、信仰義認論は、パウロの十字架解釈だ、と言います。どういうことかというと、おそらくイエスに会った事もなく、また十字架の事件に立ち会ってもいなかったであろうパウロは回心前後、イエスの十字架刑死の意味について、一生懸命考え、黙想したのだと思います。

そうして得た結論は、イエスの「十字架」は、直接的にはイエスの生き方の「愚かさ」や「弱さ」や「つまずき」や「(律法による)呪い」を意味するが、しかしそのようにして生きて死んでいったイエスをこそ、神アッバは「よし!」とし、「しかり」を与えているのだということ。すなわち、十字架は同時に真の「賢さ」「強さ」「救い」「祝福」をも、逆説的に意味しているということ。
ローマ書四章五節では、「不信心な者」をそのまま無条件無制限に義とする神アッバが語られています。

<不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。>

ここには、イエスの十字架や死を罪の贖いと信じれば救われる、ということは一切言われていません。「不信心な者を」そのまま「義」とする――「よし」とする――神が受け入れてくださる、ということが大原則になっている。そのうえで、何にも「働きがなくても」そういう神さまを「信じる」=信頼するとき、その信頼がさらに「義と認められる」と言っているのです。例にあげられるアブラハムやダビデの例も、贖いを通しての義ということではまったく言われていない。

そしてイエスは、上のような逆説的福音を説きつつ、ご自身が十字架において絶望の叫びを上げ、「不信心な者」「つまずいた者」「罪人」となられた。「そのようにして」死んだイエスを神アッバは、太古の昔からの御心――無条件無制限のゆるし原則のとおり、「よし!」「しかり」「義」とし、復活させたのです。青野氏は言います。

<すなわち、決定的な救いの出来事としてのキリストの十字架の死は、まさに「弱さ」「愚かさ」以外の何ものでもないのであり、しかもそれこそが、弱く罪深く、そして神なき者が、ただ信仰によってのみ義とされるというパウロの教えに表わされているように、真の救いなのだということである。>(『「十字架の神学」の成立』一八頁、傍点原文)

あるいは、「荒井献氏への批判的対論」のなかでは、次のように述べています。

<いずれにしても、ここ(ローマ八・三b、引用者注)でイエスが「罪」あるいは「罪の肉と同じさま」における存在、すなわち「罪人」と考えられているということの中には、あの十字架の最期において神を疑い、彼自身の上に生起した不条理ゆえに神に抗議するという意味での「罪人」イエスという捉え方の反映はないであろうか。つまりイエスの十字架上の絶叫を凝視することに通ずる捉え方がないであろうか。しかし神は、まさにこの「罪人」イエスをこそ、救済をもたらす者とされたのだ、というのが、パウロの逆説なのではないのか。>(同書、二七三頁)

教会には一般的に、

<この大祭司(イエス)は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。>(ヘブル四・一五)

と伝えられています。イエスの生涯には徹頭徹尾「罪」がなかった、それ以外はわたしたちと同じだった、そのような「神の子」であるからわたしたちを救ってくださるのだ、というのが正式な教会の教えでしょう。

しかし、右に引用したように、イエスを「罪深く、そして神なき者」すなわち「罪人」イエスとして捉えるというのはタブーなのでしょうか? 異端でしょうか? 人間イエスの意図していなかった所で、「なんで私がこんな目に遭わなければならないのですか」と叫んで、嘆いて、自ら「不信心な者」となられたイエス。その「罪人」の頭をこそ、アッバは「無条件・無制限にゆるし」、「よし!」として復活させた。罪の極みまでわたしたちと「同様に」なり、今も「十字架に架けられ給いしままに」「うめき」つつ「共に」いてくださるイエス。

こうしたイエスこそ悲愛の頂点――十字架につけられ、わたしたちを救ってくださる、と言う信仰告白につながるのではないでしょうか。それはアッバにとって、イエスという「作品」における御業の完成です。

わたしたちも、アッバが大事にしてくださった「作品」――人生の完成をめざして、このようなイエスと共に、イエスにならい――弱さと罪深さのなかで、「うめき」つつも「南無アッバ」「南無アッバ」と唱えつづけること、それこそがアッバがわたしたちに望んでおられる生き方なのではないでしょうか。(2016-11-26)

category: 南無アッバの集い&四谷講座

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連載エッセイ「井上洋治神父の言葉に出会う」(41)  

井上神父が創刊した「風」誌に毎号連載しています。
第101号、2016年秋
(41)第4部アンソロジー井上神父の言葉 4.pdf
目次
○アッバ神学とパウロ主義
○青野太潮神学との出会い
○母性的福音理解
○イエスの十字架と死
○イエスの「ゆるし」宣言と贖罪死
○日本人の感性

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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(40)第4部アンソロジー井上神父の言葉3  

「風」第100号「風の家」創設30周年記念号より
2016年春(*冊子では井上神父の言葉からの引用を示す囲み□が消えてしまっています。正しくはこちらのPDFをご覧ください。)
(40)第4部アンソロジー井上神父の言葉3.pdf
○人生マラソン--折り返し地点
○パウロを解釈する
○お借りしたものを返す
○人生の意味
○完成のとき
○あの頃

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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井上洋治神父第2回命日祭(3回忌)音録  

2016年3月13日(日)14~16時
於:幼きイエス会
主催:風の家
第2回命日祭(1)
第2回命日祭(2)

category: 南無アッバの集い&四谷講座

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アンソロジー井上神父の言葉(2)井上洋治神父の言葉に出会う(39)第4部   

「風」第99号 2015年秋

〇日本語の信仰告白


神がイエスをよみがえらせ、高く挙げて主とした」という信仰宣言は、すっぽりとイエスがそのまま余白の次元に入り込み、生かされ、余白を吹き抜ける風と一体化し、生きとし生けるものの根底を吹き抜けることとなったということに他ならないのではないか。(『余白の旅――思索のあと』一九八〇年、二五六~二五七頁)


わたしがこの文を取り上げるのは、もう三度目になります。最初は、「風」五二号に発表した『風の薫り』についての書評。二度目は連載「井上神父の言葉に出会う」第一部(『心の琴線に触れるイエス』一二三頁)の本誌上です。

そして今回、連載の第四部「アンソロジー・井上洋治神父の言葉」として、前回取り上げた「南無アッバ」の由来に続けて、この部分を三たび取り上げさせていただくことにします。

その最大の理由は、わたしも含めて日本の人たちが井上神学=アッバ神学に、素手で触れたとき、まずどんなところに惹きつけられるのだろうか、その最大公約数的な要素を含む文章を取り上げたいと思ったからです。いや、神学などと大上段にかまえるのではなく、井上神父の文章のどこに惚れたのか、初心を思い出してみたのです。

するとそれは、キリスト教の内実を、いわゆるキリスト教用語を使わずに、井上神父自身が実感をもって正直に日本語で語った言葉だったから、ということに思い至ったのです。その典型が、「悲愛」であり「南無アッバ」であったわけです。

もちろん神父に出会った当時は、そんな理屈はまったくわかりませんでした。まったく直感的なものだったと思います。しかし、わたしだけでなく、井上神父の著作や人となりに接して共鳴した多くの人たちが、同じ経験をされているのではないでしょうか。その好例が、三度引用させてもらう右の言葉なのです。神父は、

「神がイエスをよみがえらせ、高く挙げて主とした」という信仰宣言――あるいは「・・・・三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、・・・・」という使徒信条を、

<すっぽりとイエスがそのまま余白の次元に入り込み、生かされ、余白を吹き抜ける風と一体化し、生きとし生けるものの根底を吹き抜けることとなったということに他ならないのではないか。>

と喝破します。

仮にこの一文から「イエスが」という主語を抜かして読んでみれば、なおさら納得できるのですが、この日本語の文章をわたしたち日本人は、何の抵抗も無く自然に受け取ることができます。キリスト教が日本語になる、というのは、具体的にこういうことをさすのだと思います。

そして最大の問題は、この一文の主語である「イエス」を、どう日本人として理解し、受け取るか、ということです。井上神父や遠藤の一生をかけた苦心は、この問題に尽きるとも言えましょう。


〇理性知と体験知


<<について知る>>という、理性と概念による自然科学的なもののとらえ方、合理主義的な発想にあまりにも慣らされすぎてしまった現代の私たちは、ここで、日本文化が長いあいだたいせつにしてきた<<を知る>>というもののとらえ方を思い出し、<<について知る>>ことだけが唯一の知識であるという偏見を思いきって打ち破ることが必要であると思います。(『日本とイエスの顔』初版一九七六年、第一章 いのちとことば)


処女作『日本とイエスの顔』において井上神父はまず、ものを「知る」方法として、「~について知る」という概念、言葉による知と、「~を知る」という体験的な知とを区別します。

この区別は、神父が哲学を志すきっかけとなったベルクソンから学んだことですが、現代のわたしたちは前者=理性知に傾きすぎており、いまや、日本文化が長い間大切にしてきた「~を知る」体験知を思い出すべきである、といいます。

その上で、どんなに知識を蓄えても、そこへ向けて出発しようとしない限り、ほんとうの意味でものを知ることはできない、として右のように述べているのです。


〇体験的に知る


聖書、特に新約聖書が行為を要求する実践指導の書であり、私たちに永遠の生命への道を説きあかしてくれる書であるなら、一念発起してその教えに従おうと決意し、行為を起こさないかぎり、ほんとうの意味でイエスの教えをわかることはできないと思います。(同)


すでに十年以上も前になりますが、わたしが本連載「井上神父の言葉に出会う」を始めたとき、「序にかえて」のなかで引用した一文です。

井上神父は神学者や聖職者であるよりは、自らを「求道者」「宗教家」と位置づけていたのではないかと思います。それは自らが「ほんとうの意味でイエスの教えをわかること」をめざし、リジューのテレジアを手本に、イエスの弟子たらんと「一念発起」渡仏して以来、変わることのない行動的な姿勢から読み取ることができます。

ただ気を付けなければいけないのは、「行為を要求する」と神父が言うとき、その「行為」とは、いわゆる「行為義認」としての律法的な行為を意味しているのではない、ということです。つまり、これこれをしなければ、神に「義」=正しいと認められない、あるいは救いにあずかれない、ということではないのです。このあたりのことはすでに本連載第三部で、井上神父の使う「行為」という言葉を3種に分類し、「条件行為」「信仰行為」「応答行為」と名付けて関係を考えたところですが、ここで奨励されている「一念発起」して「その教えに従おうと決意し」起こさなければならない「行為」とは、「祈り」に代表される「信仰行為」だということです。

昔、神父と飲んでいて、「(井上)先生はなぜ、プロテスタントではなくカトリックになったのですか?」と質問したことがありました。そのとき井上神父が「カトリックには『行ぎょう』があるから」と答えたのを憶えています。いわずもがな、これは、プロテスタントには祈りがないなどと言いたいわけではありません。

では、「祈り」を「行」として捉える、とはどういうことか。次のように言っています。


自分が主である世界から従になる世界に転換するのには、どうしても〝行ぎょう〟ということが必要です。型に入るということはそういうことなのです。祈りにはいろいろなかたちがあるかもしれませんが、「祈り」というのも一つの行であります。(『人はなぜ生きるか』二七頁)


これもすでに、第三部で一度引用した言葉ですが、ここには救われる=「永遠のいのちをえる」ためにはどうすればいいか、が簡潔に述べられています。まず救いのためには①「主我的段階」から「逆主体的段階」への転換――自己相対化が必要であるということ、②そのためにはどうしても「行」が必要なこと、そして③「行」ずるということは「型に入る」ということ、この3点です。

「祈り」を「行」としてとらえるということは、まずその目的が「あちら(神=アッバ)が主」であり、「こちら(私)が従」である、と自覚することにある。そしてそのためには「行」という「型」に入ることが必要だというのです。

こうした祈り--行--型という捉え方から見えてくるのは第一に、「心のなかで祈る」という言い方とは対極にあるような祈り――実践的あるいは行動的、具体的な祈り、とでもいうべき類の祈りです。井上神父が「一念発起」して、フランスへ渡り、厳しいカルメル会の修行に身を投じた、というのは、その典型的な例と言えるでしょう。この意味では、「一念発起」――発心ほっしんから祈りが始まっているともいえるわけです。わたしたちはそこまでできないにしても、求道者、信仰者として実際に、家を出て、電車やバスに乗って、あるいは歩いてミサや礼拝に行く、というのも「行動的な祈り」の一部と言えましょう。

この「行動する祈り」という視点で、これまでのわたし自身の拙い求道生活を振り返ってみますと、面白いことに気づきます。いや、面白いというより、本来は反省すべきことなのかもしれませんが……。

わたしが井上神父から洗礼を受けたのは、一九八一年八月三十日です。その猛暑の日、洗礼に続いて、聖体、堅信、結婚の秘跡をいっしょに受けさせていただきました。もっとも結婚については、相手(つまり今の妻)が信者ではありませんでしたが。

わたしがどうして洗礼を決意したのか、については『すべてはアッバの御手に』(聖母文庫)などにも概略書きましたが、その前後のこととして今でもよく覚えていることがあります。それはたとえば、洗礼を受けたらミサに毎週行かなければいけないのか、とか献金や維持費はいくら払えばいいか、というようなことが気になっていた、ということです。「なんだ、そんなことか」と思うのは、それなりに信者生活に慣れた人の感想でしょう。

キリスト教、あるいはイエスにひかれて、洗礼を受けたいと思ったとき、意外にブレーキになるのが、まことに具体的なこうした信仰生活の「あるべき姿」のようなものなのです。加えて当時は、家族の反対というのもありました。そしてまさに、この「あるべき姿」が問題なのです。現に、わたしがカトリックだと知った周囲の反応はまず、「じゃあ、平田さんは、毎週教会に行ってるんですか(行ってるんですね)」というものです。「では、聖書を読んでいるんですか」というのも、たまにありますが、「神とはどういう方ですか」「イエスはどんな人ですか」というような質問は、まずありません。

要するに世間一般も、信者・求道者自身も、「信仰」というのは、生活のなかで日常とはちがう何か特別な非日常なことをする、というニュアンスをもって受け取っているのではないかと思うのです。なんらかの明示的な信仰を持っている人について、「あの人は宗教をやっている」という言い方もよき聞きます。生徒から「先生は、宗教をやってるんですか」と面と向かって言われると、なんとなく嫌な感じがします。それはたぶん、「宗教をやる」=「(普通じゃない、もっといえばまともじゃない)おかしなことをやっている」という風に思われているのだろうなあ、と感じるからだと思います。

しかし、井上神父が亡くなって1年半、神父が遺したこと、わたしたちに遺してくれたものを振り返る今、やはり最大のものは、「南無アッバ」の祈りの実践なのではないか、と改めて思うのです。確かに神父はたくさんの貴重な書き物や思い出を、わたしたちに遺してくれました。しかし、前に述べたように、晩年の神父は、


わたしは、いろいろな本を書かせてもらったけれど、今はこの祈り(南無アッバ)だけでいい。


と言っていました。極論のように聞こえますが、井上神父の思いとしても、自身の全求道生活が、この祈りに集約されているのだ、と納得していたからこその述懐なのでしょう。

本誌前号に掲載された藤原直達神父の言葉にも、次のようにあります。

<「アッバ、アッバ、南無アッバ」で最後まで貫かれた姿こそが、宝だと思います。井上神父様の「アッバ」に至るまでの書き物を、たとえ全部捨てても、最後の「アッバ」の称名には、大きな価値があるでしょう。>

前述したように、わたしは本連載第三部で、宗教的な「救い」と「行い」に関連して、井上神父の考える「行為」を三つに分類しました。すなわち、救われた者がそのことに応える「応答行為A」、救われるために必要となる「条件行為B」、そして祈りに代表される「信仰行為C」、という三つです(「風」第九一号四〇頁以下)。そして、井上神学=アッバ神学の特徴として、行為Cを幅広く解釈し、重視している、ということを指摘しました。

かつてのわたしは、井上神父から洗礼を受けた後も、ながらく行為Aと行為Bを混同して悩んでいました。それが、神父の「信じるという行為」という言い方に出会った時、その悩みや葛藤から解放されたのでした。


イエスが・・・・間違いなく私たちを見えない神の御手の中につれていってくださる方であることを信じるという行為が要求されるのだとも説明しているわけです。(『人はなぜ生きるか』一三三頁)


すなわち、わたしたちが「一念発起してイエスの教えに従おうと決意し、起こさなければいけない行為」とは、井上神父にとっては、端的に「信じるという行為」であり、その内実は第一に「祈り」の実践ということなのです。

それまでのわたしは、信じることと(信)と行うこと(行)とを、無意識に二項対立的なものと思い込んでいたのでした。ですから自分の、いつまでも「善い行いの伴わない信仰」ということに焦り、悩んでいたのだと思います。受洗後四、五年経った頃だと思いますが、井上神父に尋ねたことがあります。

「先生、僕は洗礼を授けてもらったのに、何も変わっていないように思うんですが・・・・。」

すると神父は即、

君ね、ほんとうに変わったか変わってないかは、神様の目から見なければ、わかるものじゃないじゃないか。そういうのは傲慢だ!
と、わたしを一喝したのでした。

当時、「南無アッバ」という具体的な祈りは、まだ井上神父の口からは出ていなかったわけですが、その境地――アッバと呼べる主におまかせ!という求道の目標について、わたしはまだ十分に思いをいたすことができないでいたのでした。

右の「信即行」「祈り=行い」とでもいうような、神父の求道性に接したとき、信か行かで分裂していたわたしの心は、ともかくも目標とする「着地点」のようなものが、おぼろにも見えてくるような気がしました。こうして、キリスト教でいう「愛」といわれるものも、積極的に前に出ていく「為す愛」に対して、「為さざる愛」というものもあるのだなあ、とわかってきたのでした。井上神父がいう「悲愛」は、まさに後者の「実践」――祈りの実践を最優先することを意味していたのだと思います。

そして自身も臨終間際まで、「南無アッバ」の祈りを実践しつつ天に召されたのでした。


〇どう祈るか
これも受洗の前の話ですが、井上神父に具体的にどう祈りを実践したらいいのか、聞いたことがありました。すると神父は、奥村一郎神父の書いた『祈り』という本を推薦しつつ、


たとえば、月に何回かミサに行くとか、聖書を毎日何ページとか決めて読めばいい。


と、まことに簡潔に答えてくれました。

また、受洗後しばらくはロザリオの祈りを熱心に唱えていた時期があったのですが、これについても、「先生、最近はロザリオをよく祈っているのですが、これを続けていれば何か見えてきますか?」と質問すると、井上神父は、


うん。十年続けていれば、見えてくるものがある。つまり、何も見えなくてもいいのだ、ということが見えてくる。


と答えたものでした。

これなども、当時は何か狐につままれたように感じたのですが、今振り返れば、何らかの境地に自分が達しようなどという不遜な思いを捨てて、自らの思いをもアッバにお任せせよ、「南無アッバ」せよ、という教えだったのだと思います。


〇父なしには落ちない


ちょうど私たちが飛んでも泣いても笑っても、この大きな大地の外に出ることがないように、私たちは大地のように大きな暖かな神の掌の中で生き育っているのだというやすらぎと勇気と希望、それこそイエスが死を賭けて伝えようとしたものだと思います。(『日本とイエスの顔』第二章 聖書を読むにあたって)


この一文は、『マタイによる福音書』の次の言葉を彷彿とさせます。

<二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。>(一〇章二九節、新共同訳)

しかし、新約聖書学の佐藤研氏は、この聖句を次のように訳出しています。

<二羽の雀は一アサリオンで売られているではないか。しかしその中の一羽すらも、あなたたちの父なしに地上に落ちることはない。>(岩波訳)

ギリシア語聖書(ネストレ第二七版)を見ると、新共同訳で「父のお許しがなければ」に当たる箇所は、「アネウ トゥー パトロス」となっており、「お許し」に相当する言葉は見当たりません。つまり、直訳としては「父なしに」が正しい。佐藤氏は、岩波訳の当該聖句の傍注で、次のように述べています。

<すなわち、地に落ちる時は神が支えてくれる、の意。「父なしに」をほとんどすべての訳は「父のお許しがなければ」(新共同訳)などに敷衍しているが、あらずもがなである。思想的には、一23の「インマヌエル」、二八20の「共にいる」参照。>(傍点原文)

新共同訳以外にも、現在日本に一般に流布している口語訳や新改訳、フランシスコ会訳も、「父の許し」と敷衍しています。

井上神父は生前、「翻訳というのは一種の創作である」というような指摘をされていましたが、なぜ多くの訳が原語にない「父の許し」という敷衍をしたのか。なぜ素直に直訳して「父なしに」としなかったのか。わたしは翻訳やギリシア語の専門家ではありませんので軽々なことは言えませんが、志村真氏(中部学院大学短期大学部)によれば、日本語聖書の「父の許し」翻訳は、アメリカで長い間使われた『改訂標準訳(RSV、1952年)』の影響が大きいといいます。

翻訳のプロが先人の訳を参考にすることは、当然のことでしょう。また、その言葉が置かれた文脈――前後関係にそって翻訳するというのも当たり前のことだと思います。さらに、マタイの神学、新約聖書の神学の理解・受け止め方・・・・と行けば、やはりそこには井上神父が言ったように、「翻訳は一種の創作」といった要素が、当然入ってくるものなのだと思います。ということは、創作的要素が全く入らない翻訳というものはありえない、ということになりましょう。

とすると問題は、原著者の意図をどのように反映した訳にするか、ということになると思います。右の例をうがって見れば、最初に「父のお許し」と訳した人は、父=神が、生きとし生けるものの運命を決定していく主体である、という神観を持っていたことは間違いないでしょう。しかし、人生の主役があちらにある、というのならば、井上神父の主張も同じです。

それよりも問題なのは、この訳の場合、「お許し」を出す「父」アッバが、あたかも生死の門に立つ閻魔大王のように、わたしたちの人生の外に立って第三者的に、生死の許可を出している、という印象を与えることにあるのだと思います。この「父」は人生の「審判者」であって、「同伴者」ではないのです。つまり、アッバたる神の「悲愛」で最も大切な「共に」が抜け落ちているということです。(つづく)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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アンソロジー井上神父の言葉(1)井上洋治神父の言葉に出会う(38)第4部   

「風」第98号2015年春

一 「南無アッバ」の由来


散歩のとき、白い雲の浮かぶ青空を眺めながら、すがすがしいまでに透明なけやきの葉ずれのささやきを聞いていると、なにか心が、見える世界の彼方へと、すーっとはこび去られていくようなやすらぎとこころよさとをおぼえます。先日、その葉ずれのささやきにすっぽりと自分をとけこませていたら、ふっと自然に次のような言葉が口をついてでてきました。
 
アッバ アッバ 南無アッバ
   イエスさまにつきそわれ
    生きとし生けるものと手をつなぎ
   おみ風さまにつつまれて
  アッバ アッバ 南無アッバ

このところずっと法然の魅力にひかれ、その生涯を貫いている精神に感動していたので、おのずからに南無という言葉が口をついてでたのでしょう。(詩集『南無アッバ』あとがき、一九九九年 初冬)


これが、井上神父自身が語る「南無アッバ」の誕生話の最初です。

神父は、これまで日本語として定着してきたキリスト教の「愛(アガペー)」をあえて「悲愛」と訳し、キリスト者の姿勢を「南無アッバ」という一語に集約する神学を打ち立てました。これらの造語は、すでに仏教用語として日本に定着している「慈悲」や「南無阿弥陀仏」などを想起させます。そのために短絡的な人々の間では、井上神父は仏教とキリスト教を混交しようとしているのではないか、と誤解されることさえあります。そうした危険をおかしてまで、なぜあえてこのような造語を用いるのでしょうか。

「悲愛」という言葉の成立については、本稿でも触れましたが(『心の琴線に触れるイエス』五五頁他)、仏教の「慈悲」から「悲愛」への発想経過を見ると、どちらかといえば神学的、学問的考察の結果として行き着いた造語と言えるでしょう。一方、「南無アッバ」の方は、かなり事情が異なります。

ここには、「南無」が「法然」研究による思い入れをきっかけとして、「おのずからに」湧き出た言葉であることが告白されています。そして、「ふっと自然に」「南無アッバ」という祈り(詩)が「口をついてでた」といいます。それは、リジューのテレジア、あるいはエレミアスとの邂逅以来数十年、神父が心に暖めつづけてきたイエスの神観を示すキーワード「アッバ」と、日本文化の中で馴染んできた「南無」とが神父のなかで自然につながった――思わず結び合った瞬間なのだと思います。

つまり「南無アッバ」は、理性による学問的考察の結果ではなく、井上神父の自然な心情から直感的、体験的に導かれた祈りであるということです。

こうして導かれた「南無の祈り」を実践したときの効用を、神父は次のように語っています。


僕はキリスト教徒ですが、「南無阿弥陀仏」という言葉には強く惹かれますね。空っぽになれるんだと思うんです。・・・・
僕は、いつも「南無アッバ」って称えているんです。仏教の「南無」とキリスト教の「パパ」を合わせて、「南無パパ、南無パパ」と日々やってるわけです。

そうするとやっぱりなんかすごく嫌なことがあっても落ち着いてくるんですよ。そんなことをやっているのは、キリスト教で私一人かもしれないですけれどね。

でも声に出してやってるとね、自分のなかにたしかな変化が起こるんだね。・・・・(井上洋治・寺内大吉対談「南無」と称える―広大なるものを身中に『The法然』第七号、二〇〇一年七月、二〇~二一頁)


先の「あとがき」が「一九九九年 初冬」に書かれたものなので、これは井上神父が「南無」の祈りを実践したときの初期の「南無アッバ」体験を語ったものと考えられます。

ここには「南無・・・・」になぜ「強く惹かれる」のか、どうして「空っぽになれる」のかは述べられていません。しかしともかく結果として「落ち着いてくる」し、「たしかな変化が起こる」というのです。これは、「南無アッバ」が現実的な効用(利益)を伴うという意味を含んでいます。

神父はじめ一般的にキリスト教は、いわゆる現世御利益ということには消極的ですが、祈りによる精神的な満足を否定するものではありません。晩年の井上神父もミサのなかで、「南無アッバ」のこうした直接的な効用を説いていました。そうした点でも、やはりこの祈りが、日本人である神父の自然な心情に合致しているものであることが伺われます。


この祈りが、何かいまの私の心情のすべてを表現しているように思われる(『南無アッバ』一七三頁)


以後、二〇一四年三月に亡くなるまでの十五年間は、ひたすらに「南無アッバ」へと集約されていく生涯だったのだと思います。晩年の井上神父は、〝わたしは、いろいろ本なども書かせてもらったけれど、今はこの祈りだけでいい〟と言っていました。
   *
求道俳句誌「余白の風」会員のSさんから、古い本を読んでいて偶然「南無アッバ」を見つけた、として一通のお手紙をいただいたのは、東日本大震災前の一月頃だったと思います。

わたしはびっくりしてすぐに、教えてもらった書名をたよりに、あちこちのインターネット書店を検索しました。幸運なことにそう時間をかけずにある古書店で、当の上智大学宗教教育研究所編『キリスト教を生きる祈り』(エンデルレ書店、一九七四年)という赤表紙の本を入手することができました。

この本は、第二十回上智大学夏期神学講習会講話集として、一九七三年の夏に、「祈り」をテーマに行われた十五名の方々の講演録をおさめています。当時の長江恵浦和司教をはじめ、カルメル会の奥村一郎神父、ドミニコ会の押田成人神父、浜尾文郎東京教区補佐司教など、わたしが井上神父と話したり飲んだりしていた頃に、よく話題に上った人達の名前が見受けられます。

そのなかの一人に、イエズス会司祭・上智大学神学部教授のP・ネメシェギ神父の名前があります。神父は「祈りの神学」と題して、

<人間は、正しく生きようとするなら、祈らなければなりません。祈りを忘れた人間は、さえずることを忘れた小鳥と同じです。・・・・したがって、真の祈りが何であるかということを神学的にみきわめ、その真の祈りの境地に達するよう、常に努力することは、何にもまして大切なことでしょう。>(一一七頁)

と述べ、「イエスの祈り」から始まって、「キリスト者の祈りの本質」を探り、「祈りの共同体性」「個人的な祈り」「自由な形でともに祈る」「絶え間ない祈り」等々、三十頁に及ぶ講話をまとめています。

まず注目すべきは、「イエスの祈り」としてネメシェギ神父が最初に引用しているのが、「ゲッセマネの祈り」であるということです。

<アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。>(『マルコによる福音書』一四章三六節)

井上神父が天に召される直前、この祈りを繰り返していたことが思い出されます。そして、

<イエスは一人で祈られましたが、実際には決して孤独ではありませんでした。>(一一八頁)

<イエスの祈りは、彼が「アバ」(父、お父様)と呼んだ神との絶え間ない対話です。>(一一九頁、傍点原文)

と解説しています。

その後、何度もイエスの「アバ」に触れて話を進めています。そして最後の項目「避けるべき危険」として、祈りについて五つの「警戒すべき」事柄をあげます。それをまとめてみますと次のようになります。

① 祈りを自分の欲望の手段として乱用しないこと。
② (行動すべきときに)祈りを行動のかわりにしないこと。
③ イエスも教えたように、祈りは多言を要さないこと。
④ 祈りの型の多様性を認めること。
⑤ 祈りに際して初心を忘れず、自負心を避けること。

どの項目についても今読んでみても、説得力のある話となっています。そしてこの③のなかで、ネメシェギ神父は次のように述べているのです。

<祈りはまさに、人間の貧しさの体験からほとばしり出た、真心からの叫び声でなければなりません。・・・・このような根本態度を表すためには、「神よ、私を助けてください」「イエスよ、私をあわれんでください」「キリエ・エレイソン」「ホザンナ」「アレルヤ」などのような単純な言葉の方が適切です。このような言葉を繰り返し用いることによってこそ、人は心の貧しさを身につけ、そこから真実でなまの信仰をもつようになります。仏教では古くから「ナム南無」という語が祈祷語として用いられています。これはサンスクリット語のあて字でして、原語は「帰依する」「より頼む」ことを意味します。多くの祖先が全幅の信頼を置いて唱えたこの「南無」という言葉を、日本のキリスト者も自分の射祷として用いたらよいのではないでしょうか。キリスト者の祈りは、もちろんキリストの祈りへの参与ですから、大慈大悲であるおかたを呼び求める際には、キリストが用いた「アバ」という言葉を用いるのがふさわしい、と思います。それで、日本のキリスト者は信頼をこめて、南無「アバ」と叫ぶとよいのではないでしょうか。>(一四四頁)

みなさん、驚かれましたか? わたしもびっくりして目を疑いました。先ほども書いたように、この講演は一九七三年の夏に行われたものです。井上神父の「南無アッバ」の第一声(一九九九年)どころか、処女作『日本とイエスの顔』(一九七六年)よりさらに三年も前に、「南無アバ」を提唱したのが、このネメシェギ神父だったということ。

このことを確認したわたしは、やはりどうしても、井上神父自身に確かめたくなり、手紙を書きました。するとすぐ、二〇一一年二月七日、神父から電話がありました。曰く、


〝ネメシェギ神父の「南無アバ」については、ぜんぜん知らなかった。ただ、一九七〇年五月から一九七三年三月までの三年近くは、ネメシェギさんと神学校で隣の部屋だった。休憩室も同じだったから、その間に確かにいろいろ話し合っていた。いい人だったが、法然や日本文化について、また「南無」や「アッバ」について話し合ったことはない。彼が、とくに「アッバ」を強調していたとも、聞いていない。〟


その後井上神父は中目黒へ移って、『日本とイエスの顔』を執筆していきます。今のところわたしも井上神父と同様、ネメシェギ神父がこの講演集以外に「南無アバ」を提唱し、あるいは推奨したという話や文章には出会っていません。

ネメシェギ神父の「南無アバ」と井上神父の「南無アッバ」。これは普通に考えれば、やはりまったくの偶然という他はありません。二人に数年間の交流があったにしても、右の電話での話のとおり、「南無ア(ッ)バ」に関する接点は皆無なのですから。

ここからはわたしの推測です。思うに、日本人が長い間培ってきた伝統的宗教心を理解するヨーロッパ出身のネメシェギ神父が、その伝統と、神父の「祈りとはどうあるべきか」との考察から、日本人キリスト者に対して、このような祈りはどうか?と提示したのが「南無アバ」ということ。それはネメシェギ神父の、いわば宗教的考察からの信仰的発明といえるのではないでしょうか。

先に見たとおり、「アバ」については、祈りをテーマにしたこの講演でも繰り返し言及されていますが、「南無」については一回だけです。井上神父からわたしが聞いた先の話も参考にすれば、もしかしたらネメシェギ神父は、この講演のために原稿を用意している時、あるいは実際の講演のなかで、「南無」と「アバ」を結びつけてはどうか、というひらめきを持ったのではないでしょうか。

いずれにしろ、神父の育ち来たった文化的背景や精神風土から「思わず」口をついて出た、という意味での「ひらめき」ではなく、どちらかといえば神学的な考察から出た言葉だと思うのです。

そしてそれから四半世紀後、偶然にも井上神父が、同じ「南無アッバ」を発見することになります。神父は「風」第八一号(二〇〇九年春)のなかで、「南無アッバ」との出会いについて、次のように回想しています。


一九九九年の五月のある日、さつき晴れに澄んだ心地よい青空のもと、私はひとり、けやき並木を散歩しながら、けやきの枝とかろやかにたわむれている風の音を聞いていた。と、そのとき、全く突然に、「南無アッバ」という祈りの言葉が、私の口をついてでたのである。

「風の家運動」をはじめてから十三年、ずっとアッバの求道性を歩み続けてきた私ではあったが、「南無アッバ」という言葉が突然に口をついて出たのには、正直言って、私としても思いがけない驚きであった。

それは、ちょうど海底を流れている幾つかの潮流が、夢中になって求道にあえぎ、苦しんでいる私をとらえ一つになって、私を一気に「南無アッバ」という岸辺に打ち上げてしまったという思いだったのである。(「南無アッバ」の祈りとお札につつまれて(一)、四頁)


「全く突然に」「口をついてでた」「南無アッバ」。これは閃きというより、啓示に近いかもしれません。だからこそ「思いがけない驚き」をともなうものだったのでしょう。先のネメシェギ神父の「・・・・南無『アバ』と叫ぶとよいのではないでしょうか」といった、いわば理性的な語り口の勧めとはまったく異なります。

井上神父はこの「驚き」を、「夢中になって求道にあえぎ、苦しんでいる私」が意識しない(できない)所で、「海底を流れている幾つかの潮流が」「一気に『南無アッバ』という岸辺に打ち上げてしまった」のだと分析します。そして、十年以上経っても、


未だに私には、この意識下をも含めた深い潮流が、どうして「南無アッバ」という岸辺に
私を打ち上げたのか、その道すじは全くわからない。(同)


といいます。

それまで「恩人」としてきたベルグソン(理性知から体験知への気づき)、テレーズ(赤子・童心の道)、パラマス(汎在神論へのヒント)、エレミアス(アッバの発見)への「アッバのお導き」そして、


法然上人への深い尊敬の念が、無意識にそこにはたらいているとは充分に考えられはするのだが、しかしどうもそれだけではないような気が私にはするのである。(五頁)


として、「南無アッバ」の発心について、


東洋人とか日本人とか言えるかどうかはわからないが、私自身の血の中にしっかりと根づいて流れている何かが、アッバのお招きと関係づけられている気もして仕方がないのである。(同)


と言っています。このあと、「もぐらの穴ほり」のように、井上神父の「無意識の底」にある、前者以外の「古人、先輩」について思いを巡らします。

この経過は、先のネメシェギ神父が「南無アバ」にたどり着いた経緯と比較すると、ちょうど逆の関係になり興味深いものです。ネメシェギ神父は「祈りの神学」を「イエスの祈り」の「アバ」を根幹に置いて展開しながら、日本人になじみのある「仏教」の「南無」に注目して、「日本のキリスト者」へのアドバイスとして「南無『アバ』と叫ぶ」ことを奨励します。つづめていえば、「祈りはどうあるべきか」という「神学」的考察――イエスの祈りを原点とした総論的考察から出発し、各論として日本の伝統を加味した祈りの形――「南無アバ」にたどり着いた、いわば理性知的な営みの所産ということになりましょう。

それに対し井上神父の場合は、「無意識の底」から思わず口をついて出た体験知としての「南無アッバ」がまずあって、のちに「もぐらの穴ほり」のようにその根底を理性知的に振り返ろうとするのです。わたしは、神父が学生時代に出会った心の師ベルグソンから学んだ、「~について知る」ことと「~を知ること」という二方法の考え方を思い起こします。

さらにうがった見方をすると、この「南無アッバ」という言葉は、これまでの日本人キリスト者からはけっして出て来る言葉ではなかったろうとも思うのです。少なくとも、日本人キリスト者がネメシェギ神父のように理性的に考えて、「こういう祈りはどうですか」という形ではけっして提案しはしないと思います。なぜなら、これまでの西欧直輸入のキリスト教に疑いを持たず、これを基準に是非を判断してきた日本のキリスト教のなかで、「南無・・・・」などと唱えれば、たちまち「混交主義だ」、「異端だ」と非難されるのは、目に見えているからです。たとえそうした祈りがいいのではないか、と思いついたとしても、それを公言してまで広めようとする日本人キリスト者はいないだろうと思います。

皮肉なことですが、「南無アバ」はことさら西欧を意識しない――絶対視しない外国人であるネメシェギ神父だからこそ、「こういうのはいかがですか?」と日本人に向かって言えたのだと思うのです。(つづく)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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井上神父作詞の替え歌賛美歌を皆で歌う! 井上洋治神父命日第1回野の花忌 2015年3月15日   

第1回野の花忌の最後は、井上神父が作って、こよなく愛した童謡を使った替え歌讃美歌。
https://www.youtube.com/watch?v=NIV2L7twKU8
このブログでは紹介できませんでしたが、
前三田文学編集長で作家の加藤宗哉さん、詩人・編集者の柴崎聡さん、そして「風の家」から出た批評家の若松英輔さんからも、お話をいただき、あっというまの2時間半でした。
今回参加できなかった方も、どうぞ来年はおいでください。
南無アッバ

category: 井上神父の思い出

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井上洋治神父命日 第1回 野の花忌 めずらしくフランス語の賛美歌を歌う神父  2015年3月15日  

https://www.youtube.com/watch?v=ry_iYcOEYDo

category: 井上神父の思い出

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「南無アッバ」の由来 井上洋治神父第1回野の花忌にて  

はじめて「南無アッバ」を提唱した人は!?
次回「風」に載る平田の原稿を山根さんが紹介しています。
https://www.youtube.com/watch?v=KXNhKgjCID4

category: 井上神父の思い出

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広谷和文牧師小話 井上洋治神父 第1回 野の花忌  

井上神父のご両親の思い出の土地。最も信頼寄せていた広谷牧師の心温まるお話です。
https://www.youtube.com/watch?v=2ii2IPjOHic

category: 井上神父の思い出

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井上洋治神父帰天1周年命日祭 祈りの式文  

2015年3月5日 伊藤幸史神父 野の花忌
https://www.youtube.com/watch?v=U7qbNP7JM4I

category: 井上神父の思い出

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井上洋治神父の言葉に出会う(37)第31章11~15(第三部おわり)  

「風」第97号2014年夏・秋掲載

一一 「人を裁く」ことの問題点

パウロの回心――「主我的段階」から「無我的段階」へ――を考えるために、旧約聖書から『ヨブ記』、新約聖書から<金持ちの男>ほか、いくつかのペリコーペに触れてきました。少し補足します。

件の『ルカによる福音書』一八章<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>(以下、<<たとえ>>とも略記)でイエスが批判したのは、「こんな駄目な人間(徴税人)とは私はちがうのだ」という「ファリサイ派」の「人を裁く姿勢」(『キリストを運んだ男』三三頁)――悲愛の欠如ということでした。そして井上神父は、

<イエス自身とファリサイ派との衝突の原因はまさにそこにあったのである。>(同)

と言っています。
「人を裁き」、人に石を投げるということは、もちろん良くないことですし、それが「悲愛の欠如」であることは、まったくそのとおりです。ただわたしたちは日々の生活の中で、たいていは口に出さないまでも心の中で、しばしば人を裁いてしまっているように思います。「裁くな」と言われても無意識に裁いてしまう、そこにいかに自己中心性――エゴイズムが根強いものかを感じるわけですが、ここでもう少しわたしなりに――例の青野神学にヒントをもらいながら(多分に我田引水的になるかもしれませんが)――考えてみたいと思います。すなわち、なぜ、そこまでイエスは「人を裁く」ということを嫌ったのか、ということをです。

本稿第三部ではずっと件の<<たとえ>>について井上神父の著書をほぼ時系列的に見てきたわけですが、処女作『日本とイエスの顔』において、すでに井上神父は、「神に代わって」「人を審(裁)く」ことこそ、イエスが最も嫌った姿勢であると強調しており、それを受けてわたしは、

<他者を裁かないことが、イエスの言う正しさであり、それは「ひかえ」の姿勢そのものということになります。>(「風」第八一号、三九頁)

とも述べました。
なぜ「裁いてはいけない」のか、わたしの言葉で言い換えれば、なぜ「ひかえ」の姿勢が奨励されているのか、『キリストを運んだ男』では井上神父は次のように述べます。

回心前のパウロに見られるように、「自分のために神を求めている」主我的段階にある者は、一生懸命ではあるが、ややもすると、

<天に代わるという、傲慢と思い上がりのもっとも大きなあやまち、罪の状態に陥るおそれがある。パウロによれば、本当の意味における罪とは唯一つしかない。それは神の前に己れの義を立てることに他ならない。>(三六頁)。

――これが青野氏のいう「単数で語られる罪」だったわけです。つまり主我的段階にとどまる限り、知らず「傲慢と思い上がり」の「自己義認」が増していき、いつのまにか「神に代わり」「人を裁く」、そこに本来の罪があるということです。だから自己中心から自己相対化、宗教的には主我的段階から無我的段階への移行という回心が必要なのだ、というわけです。

一二 根底に神の「しかり」と「無条件のゆるし」

ここで少し突っ込んで、というより素朴な疑問として考えると、「神に代わって」「人を裁く」とはどういうことでしょうか。
「アッバ」なる神の本質は「悲愛」であり、したがってアッバは、

<悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる方>(『マタイによる福音書』五章四五節)

であり、

<不信心な者を義とされる方>(『ローマの信徒への手紙』四章五節)

であったわけです。それゆえに、

<人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。>(『マルコによる福音書』三章二八節)

とイエスは断言されたのだと思います。アッバの本質が「裁き」ではなく「ゆるし」である、という原点に帰ったとき、その根底にある「無条件・無制限のゆるし」を越えて――ファリサイ派であれ誰であれ、人が人を裁こうとするとき、それはアッバの「無条件・無制限のゆるし」を認めないこと、引いてはアッバの「悲愛の本質」を否定することになるのではないでしょうか。

この「無条件・無制限のゆるし」の「福音」は「無条件・無制限」ゆえに万人に開かれています。「そんなことはない。律法をしっかり守らない――(井上神父の表現を使うなら)『神様の顔に泥を塗っている』やつらにまで、そんな都合のいい話はない」とファリサイ派は考えたかもしれません。しかし事実は、井上神父が『ルカによる福音書』一八章の三つのペリコーペを検討しつつ<金持ちの議員>の「中心点」として述べたとおり、「人にはできない事も神にはできる」――この文脈で言えば、金持ち(でさえ)も神の国に入ることができるのです。誤解を恐れず言うなら、「そんな都合のいい話」であるからこそ、驚くべき「福音」(良き知らせ)と呼べるのではないでしょうか。

それゆえ、自他を分別し、自らを「ファリサイ」(分かたれた者)として「義人」「神を恐れる者」とし、律法を守らない(守れない)者を悪しき罪人して「裁く」ことは、アッバの御心から最も遠いことになります。反対にイエスは、また井上神父の愛するテレジアは、このように誰をも「裁くことなく、まず受け入れる」(風の家の祈り)母性原理に立つアッバを見事に見抜き、「赤子・童心」「子供心」をもって、安心してアッバに甘えることを奨励したのでした。

根本にアッバの「無条件・無制限のゆるし」、神の「しかり」があるということ、そして「裁く」ことは、その「しかり」の否定であるということ、このことを青野神学から学んだわたしは、アッバ神学=井上神学の「悲愛」ということも、より鮮明に理解できるようになったように思います。

さらに言えば本稿では、罪=エゴイズムの問題や「自己相対化」の必要を井上神学から学んできたわけですが、それらも神の「しかり」、「無条件・無制限のゆるし」があってはじめて問題になってくるのだ、ということも改めて知ったのでした。したがって、ここまで『キリストを運んだ男』で見てきたような、主我的段階から無我的段階への移行ということも然り。神の「無条件・無制限のゆるし」が大前提になっているということです。

井上神父は『わが師イエスの生涯』の中で、

<福音書は、生前から死後の「復活者顕現物語」まで、まさに一貫して、(アッバ、またそれを体現したイエスの)ゆるしのまなざしによる、弟子たちや人々の回心の物語である。>(一九〇~一九一頁ほか)

と言っています。だからこそ、イエスの弟子たちがどのように「回心」したか、引いてはわたしたちがどのように回心に導かれるのか、が福音書(新約聖書)の「実践指導書」(『日本とイエスの顔』)としての大切な意味になるわけです。しかしそのためにはまず、この定義の前半、「アッバのゆるしのまなざし」をしっかりと抑えていなければならないのです。

そこで今ふりかえれば、わたしが井上神父と出会い、洗礼を受けてから後も、「為す愛」の倫理問題などで心が揺れていたのは、このアッバの「無条件・無制限のゆるし」、神の「しかり」への信頼が不十分であったから、とも言えるのです。

一三 「回心」を振り返る

井上神父は『キリストを運んだ男』第二章で、『ルカによる福音書』二三章や『使徒言行録』七章、同九章などを引用し、福音記者ルカの意図をたどりながら、パウロの回心への道を次のように推測します。すなわち、『使徒言行録』にあるようなパウロの決定的回心――それはルカの文学的脚色を含むとしても――には、なんらかそれを「準備」する期間、出来事があったはずである。その最大のものが、ステファノの殉教にパウロが立ち会ったというルカの記事にある、と。

<ルカは、死の場面でのイエスの言葉と姿勢にステファノのそれを重ね合わせることによって、一体何を言いたかったのだろうか。パウロは、自分が迫害していたキリスト者の姿と重ね合わせにイエスの生き方を見、そこにおいてイエスの悲愛の真髄にふれたのだ、ルカはそう言いたかったのではないだろうか。>(四七頁)

これが「第二章 ファリサイ人と徴税人の祈り」の結語です。
さらに神父は、次の「第三章 回心への道程(みちのり)」に入って、パウロと「同種の体験」を「自分の中で想像力を使って拡大」することにより、「パウロの回心の過程に迫」ろうとします。そこで例の「リヨンの回心」体験が述べられます。これについては、井上神父の他の著作でも度々取り上げられていますが、本稿においても件の<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>を追っていく大きなきっかけになった重要な体験ですので、この本からも該当箇所を改めて引用してみたいと思います。

<今からもう三十年以上もまえのことになるが、私は大学を卒業してフランスに渡り、カルメル会という修道院で生活していたことがあった。カトリック教会に入信してからそう長い歳月がたっていないこともあって、ファリサイ派にも似た〝頑張リズム〟の生活を送っていた。全身の努力で、人はかくなければならないという道を走っていたような気がする。今から振りかえれば、まことに気恥ずかしいような、またいとしいような思いがするのであるが、とにかくそのときは一生懸命で、倒れてのち止まん、というような意気込みであった。しかし時がたつにつれて、何かある空しさというか、あせりというか、精神的な息苦しさというか、うまく言葉では表現できないが、何かそういった鈍い痛みのようなものが私の心をとらえていった。それはちょうど、走っても走っても追いかけてくる自分の影法師からのがれようとする努力にも似ていた。私は、更に自我との戦いへの努力に拍車をかけた。それでもなお何か、向こう側からどかんとぶつかってくる壁にであわないといったようなむなしさに追いかけられていたのである。私が先ほどの「ルカ福音書」一八章のイエスのたとえ話に出会ったのは、まさにそのようなときであった。>(五〇~五一頁)

本稿第三部でわたしは、この井上神父の回心体験を、『日本とイエスの顔』(一九七六年)や『余白の旅』(一九八〇年)などから取り上げ、その「強烈」で「深い」「衝撃と不安」に焦点をあてて分析を試みました。しかし右の引用箇所では、むしろその決定的な回心に至る前の精神状態が、神父自身によって詳しく語られています。それは、「人はかくなければならない」という「ファリサイ派」的「〝頑張リズム〟の生活」のなかで感じる「空しさ」「あせり」「息苦しさ」であり、また「鈍い痛み」を伴うものだったといいます。

しかしその苦しかった日々を「今」(一九八六、七年)振り返ると、「気恥ずかし」くも、「いとしいような思い」がすると言っています。おそらくそれは、処女出版である『日本とイエスの顔』から一〇年を経て、念願の「風の家」を立ち上げられたことによる安堵感のなかで、三十有余年前の「頑張リズム」の若き日々を客観視し、静かに受け入れている証左であると思います。そして同時にそれは、あの苦闘の日々から回心を経て今日に至るまでの、日本人キリスト者としての課題――自ずから心の琴線に触れるイエスを求めていくという長い旅路のはじまりを、忘れがたい思い出として常に心に刻んでいる証拠でもあるのではないでしょうか。

一四 三つの祈り

この回心体験を振り返りつつ井上神父は、パウロの「回心への道程」を推測していきます。

<律法に熱心であればあるほど、忠実であればあるほど、ある種の不安にも似たむなしさが、意識の奥からはいあがってくる気配をパウロは感じていたにちがいない。>(五一頁)

パウロのこの「不安にも似たむなしさ」は明らかに、ヨーロッパにおける修道士・井上が感じていた「あせり」「空しさ」と二重写しになっています。テレジアの境地を求めてはるばるフランスに渡り、修行に励みながらも、どこかでその努力が空回りしている「空しさ」。それは人一倍、律法の実行に励みながらも、ついには神との出会いにまで至らなかったパウロの「空しさ」と根を同じくするものと推測されます。

その根本原因とはすなわち、「からだの中の律法」、「常に自己を主として生きんとする、いわば業のようなもの」であると、神父は分析します。これがまさに、先に記したような、「人を支配する」「根源的な倒錯」としてパウロが最も重視した「単数で語られる罪」なのだと言えましょう。

こうして、律法に熱心である程わきあがる「むなしさ」――「律法において、神に出会い、相対化されえなかったもどかしさ」を感じていた迫害者パウロは、ステファノに象徴されるキリスト者たちの殉教を目の当たりにし、一八〇度の回心に導かれます。それはパウロが、こうした信者たちの、すなわちパウロが迫害してきた人たちの生きざまをとおして、「イエスの悲愛の精神にぶつかった」からである、と神父は言います。

<そのときパウロは、迫害しているキリスト者のなかで、自分に怨みや呪いを投げかけてくるのではなくて、あのイエスのような、またステファノのような祈りを神にむかって捧げる信徒に出会ったのではなかっただろうか。>(六八頁)
ルカの示した文脈から井上神父は、機が熟した迫害者パウロが出会ったのは、自分が迫害している当のキリスト者の、思いもかけぬ祈りであり、それは遡ってステファノの、そしてイエスの悲愛の祈りだったと推測します。

<張りつめられた糸はいつか切れる。熟した柿の実はいつか地に落ちる。
律法という神の意志を自らの背に荷い、律法を守らない者、駄目な者を片っぱしから裁き続けてきたパウロは、ふとあるとき、自分の歩んできた道の後ろに、パウロに無残に切り捨てられながらも、なお「罪人の私ですがどうぞよろしくお願いします」という、あの「ルカ福音書」一八章の徴税人の祈りを繰り返している人たちの、切々たる痛みと哀しみの叫びを聞いたのではなかっただろうか。そしてそれによって、それまでの自分の人生が、いっきょに足もとから、がらがらと音をたてて崩壊していくのをおぼえたのではなかっただろうか。>(六八~六九頁)

ルカによれば、迫害者パウロが聞いた「思いもかけない」祈り――「あのイエスのような」祈りとは、具体的には、『ルカによる福音書』二三章の言葉、

<「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」>(三四節)=(A)

<「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」>(四六節)=(B)

です。また、「ステファノのような祈り」とは、『使徒言行録』七章の言葉、

<「主イエスよ、わたしの霊をお受けください。」>(五九節)=(B′)

<「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」>(六〇節)=(A′)

です。
先に井上神父は、ルカがイエスとステファノの死の場面を重ね合わせることによって、当時の「キリスト者の姿」がパウロを回心に導いた、と言いたかったのだと推測していました(四七頁)。そしてここでは、<<たとえ>>にある「徴税人の祈りを繰り返している人たちの、切々たる痛みと哀しみの叫び」がパウロの回心を導いた、と言っています。ということは、神父のなかでは、イエスやステファノの末期の祈りと<<たとえ>>の「徴税人」の祈りとが同定されているということになるのではないでしょうか。

一五 結実する「徴税人」の祈り

右のイエスやステファノの祈りのうち、AやA′は、自分を迫害する者、敵を呪うのではなく、どこまでも赦そうとする、「ゆるし」と「とりなし」の祈りです。それはいかなる人をも裁かないアガペー・悲愛の究極の表出であり、パウロの見方からいえば、「不信仰」で働きのない者を無条件・無制限に赦す(『ローマの信徒への手紙』四章五節)――義とするアッバにならう、すなわち、後に「信仰義認論」として展開される神観にもとづく祈りと言えましょう。

また、BやB′は、すべてをアッバにお任せし、「ゆだねる」南無の祈りです。

そしてこれら「ゆるし」「とりなし」「ゆだねる」祈りが、井上神父によって「徴税人」の祈り――
<神様、罪人のわたしを憐れんでください。>(『ルカによる福音書』一八章一三節)

と同定されているのです。
この祈りの意味について神父はさまざま書いており、この場でもそれらを逐次取り上げ、述べてきました。本稿第三部は、およそその意味の探求に費やしてきたと言ってもよいでしょう。

たとえば、「悲愛へ導く行として」「いつでも自分の至らなさと醜さとに自分の胸を叩き」「しかし同時に、」「その(罪人の)自分をそのままの姿で包みこんでいてくださる神の無限の悲愛の心に感謝し、合掌し、少しでもイエスの心に自分を近づけてくださることを願っている」――「アッバへの絶対信頼の祈り」として(「風」八五号)。

あるいは、「自分の至らなさを恥じ、そしてわびる」――本稿第二部でみた「至らなさ」の自覚や「恥」意識、また「申し訳ない」と「わびる」ところの「罪意識」を持つ祈り――わたしたち日本人キリスト者が常に振り返るべき「信即行」の祈りの模範として(「風」九三号)等々。

これら三者――イエス、ステファノ、「徴税人」の祈りを同定する井上神父の思いとはどのようなものなのでしょう。

まず、「徴税人」の祈りは直接的には、自分は悪い者ではあっても、すべてをアッバにお任せしよう――罪人の自覚と神に対する全幅の信頼の祈りと言えます。ということは内容的に、先のイエスの祈りB、ステファノの祈りB′につながります。
しかしこの「徴税人」の祈りは、これまでみてきたように、罪の自覚と神への信頼に留まらず、そこから、祈る者を「イエスの心」へと近づけ、人に石を投げず、人を裁かない、「為さざる愛」――悲愛へと導く、積極的な意味を持ったものでした。まさにその具体が、イエスやステファノの最期の祈り――他者を「ゆるし」「とりなす」祈りA・A′として表出しているのではないでしょうか。

第三部では、井上神父が言及する「信仰の秘密」ということも検討しました。すなわち、なぜイエスは、ダメ人間とわかっているわたしたちに、それでも悲愛を説いたのか、という問題です。そこで得た結論は、わたしたちが、「徴税人」の祈りにならい、罪の自覚とアッバへの信頼を深めるほど、「イエスの心」――悲愛へと導かれるのだ、という一事です。そこに「信仰の秘密」があるのだと。

ルカの筆によれば、イエスの祈りはA→B、ステファノの祈りはB′→A′と、順序が逆になっています。これはわたしの推測ですが、ルカは、AA′―BB′の前後関係を不可逆的なものではなく、わたしたちが頭を下げるほど悲愛へ、悲愛の心が増すほどまた頭を下げる、という相互作用として捉えていたのではないでしょうか。

総じて、「徴税人」の祈りの究極的な形――悲愛の姿がイエスとステファノの最期の祈りに結実している、そのように井上神父は受け取っているのだと思います。(第三部おわり)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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5月24日(土)平田講座やります=井上神父の写真無料配布も!  

四月の井上神父を偲ぶ会には、多数ご出席いただき、ありがとうございました。
そのため私の講座は1回お休みとなりましたが、
今回も前回に引き続き、参加者の方から、一言ずつ、
井上神父様の思い出を頂ければと思います。

講座内容予定:○北森神学と井上神学比較、○サンドメルと井上神父、など。

なお、偲ぶ会で配布された神父様の写真、その他(L版)を無料配布します(50枚)。

はじめての方はサイドバーをご覧ください。

category: 南無アッバの集い&四谷講座

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井上洋治神父からの手紙 2002年  


急に寒くなってきました。

その後、風邪と体調の方は如何ですか。

一日もはやく体調がもどられますよう

祈ります。

プネウマの原稿有難うございました。

小生の著作、考えを、ここまで深く

読みこんでくださったことに深い

感謝の念を禁じえません。同時に

あなたとの出会いをくださったアッバの

おはからいに、何か不思議な思い

を感じさせられています。

小生は夢中になって祈り、考え、書い

ているだけなので、このように、きれいに

整理していただいたものをみていると

ある種の感慨をおぼえます。

私に与えられたこの地上での役割は

間もなく終ると思いますが、平田さん

たちの活躍で、儒教や武士道と結びつ

いた道徳的キリスト教ではなく、アッバの

息吹き(プネウマ)の奏でる造化の子守唄

をイエス様と共に南無アッバの心できく

キリスト教が、日本の人々の心をやわらげ、

救いあげてくださる日の来ることを祈って



います。

どうも有難うございました。

寒さに向う折、どうぞくれぐれも

御身体大切に

十月三一日       井上洋治

平田栄一 様


02.11.4(月)返信

井上洋治神父様

前略、ご丁寧なお手紙有難うございました。

最初に、あまり感動しましたので、また勝手ながら、私のホームページに掲載させていただきましたこと、お許し下さい。

実際、井上神父様の生の声をお聞きしたいと思ってこのホームページにアクセスしてくださる方が多いのです。今後ともあまりに私的なことは別にして、できるだけ私信なども公開していくことをご許可いただければ幸いです。

さて、今回(「井上神父の言葉に出会う」=「風」62号掲載予定)の原稿は、明治以降の日本のキリスト教史を包括するような部分があるので、もしかしたら先生から書き直しを命じられるかもしれない、と覚悟していたものですから、正直ほっとしています。

実際少し勉強してみますと、日本のキリスト教の問題は、まさに日本精神史・文化史にまでも踏み込んでいくような大問題を含んでいるように思えます。ちょうど仕事上、昨年・今年と続けて「日本史」古代~中世も授業担当しているので、日本の仏教受容と儒教受容についても、さらに研究していくつもりです。

私の体調の方は相変わらずです。先月に風邪をひいて以来、持病の自律神経症状を様々併発しており、なんとか日々しのいでいる、という感じです。先生はじめ多くの方のお祈りだけが支えになっていることを、実感しています。本当に有り難いことです。

井上神学の理解についての過分なるお言葉、恐縮です。

私にとっては、今や、キリスト信仰と先生の諸著作・思想の研究は、誰のためでもない、何よりも私個人にとって切羽詰まった問題なのです。

先日、山根さんと四谷で飲みながら話していて、「元気がいいときは既存のキリスト教でもいいけど、人生のいろいろな苦しみに突き当たって気持ちが萎えているときは、やっぱり井上神学や遠藤文学が一番だね」という結論になり、二人で大いに盛り上がったものです(笑)。

元気があるときは、「勇ましく信仰の道を歩こう!皆さん、罪を犯してはいけません!キリスト者たるもの愛を実践しましょう!・・・・」といいます。こういう態度は、頼もしくはありますが、ややもすれば押しつけがましい道徳主義に陥り、イエスが最も嫌った「人を裁く」危険性があります。そして自分自身をも裁き、いつか息が切れる・・・・今まで、そういうキリスト者をたくさん見てきました。

私自身も若い頃、そうだったかもしれません。しかし、キリスト者たるものこうあるべきという態度が、仕事に挫折し、今のように身体の状況がままならず・・・・「あなたとの出会いをくださったアッバのおはからいに、何か不思議な思いを感じさせられます。」この先生からのお言葉は、まさに今のわたし自身の思いでもあります。

私のような強欲で傲慢な人間は、挫折や病気がなければ、イエスにも出会わなかったし、井上先生の思想にも触れようとしなかったでしょう。若い頃の私の野心を思い返すなら、もし頑強な精神と肉体があったならば、私は間違いなく無信仰で、傲慢な出世コースを目指したに違い在りません。

しかし神にあっては、そうは問屋が卸さなかったのですね、呵々。「おまえはそうじゃない。こっちの使命=日本のキリスト教のために、井上神学を世に紹介せよ=を果たしなさい。」今は、そう言われているように思えてなりません。井上神学の宣伝・・・・そういえば私は商学部出身でした(笑)。神さまがこんなところまで見越して、私のいい加減な大学進学の動機を御利用くださっていたとしたら、すごい!

遠藤先生の晩年の境地、「人生に無駄なものは何一つない」と実感をもって言えるまでには、正直まだまだ自信がありませんし、もっともっと神さまからの課題をクリアしなければならないのでしょうね。しかし、これも山根さんとの話、「でも、ぼくたちは進むべき方向は決まっているから、幸いなんだね。」

「私に与えられたこの地上での役割は間もなく終わる・・・・」。山根さんも最晩年の遠藤先生から同じようなお言葉をいただいたと聞いています。まことに淋しいことですが、微力ながら、井上神学の精神的リレーの一走者として、できるかぎりの努力をしていく所存です。

今後とも、ご無理をなさらず、後に続くわたしたちのために、日本人キリスト者のために、「祈り、考え、書いて」くださいますように。そのために先生のご健康が守られますように、お祈りします。

草々

平田栄一拝

category: 井上神父の思い出

thread: 聖書・キリスト教

janre: 学問・文化・芸術

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井上洋治神父追悼南無アッバミサで配布された写真  

枚数が足りなくて、カードを受け取れなかった方がいましたので、
写真原版をアップします。
井上洋治神父追悼南無アッバミサで配布された写真
実はこの写真は、わたしの妻が2005年3月に井上神父から洗礼を受けたときに、わたしが撮った写真の一枚です。
当時神父様がくらしていた西早稲田のマンションの一室です。

category: 井上神父の思い出

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4/27(日)井上洋治神父が出演したテレビ再放送!  

こころの時代
「すべては風の中に」と題して放映された、2006年4月放送の番組。
わたしも、連載で取り上げましたが、
テレジア、法然を経て、どのように「やさしいイエス」の確信を得たか、
率直に語る、貴重な映像です。

category: 井上神父の思い出

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井上洋治神父追悼南無アッバミサ  

4月26日(土)午後1時半~
幼きイエス会 聖堂
講座と同じ場所2F
その後、井上洋治神父を偲ぶ会を別所で行います。
お問い合わせは「風」編集室まで。

category: 井上神父の思い出

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井上洋治神父追悼記念音声アーカイブス(18):08 パウロのキリスト体験A  

慶應義塾大学文学部講義
08 パウロのキリスト体験A
07 弟子たちの復活体験B
07 弟子たちの復活体験A
06 イエスの受難と死B
06 イエスの受難と死A
05 奇跡物語・神の国B
05 奇跡物語・神の国A
04 イエスが生命をかけた姿勢2B
04 イエスが生命をかけた姿勢2A
03 イエスが生命をかけた姿勢B
03 イエスが生命をかけた姿勢A
02 イエス誕生までのユダヤ人の歴史B
02 イエス誕生までのユダヤ人の歴史A
01 新約聖書概説B
01 新約聖書概説A

2012年
「風の家」26周年記念講話(下)
「風の家」26周年記念講話(上)
2011年
「風の家」25周年記念講話

category: 井上神父の思い出

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井上洋治神父様のことを語り合いましょう!  

本日は、井上洋治神父のご葬儀に多くの方がご参列くださり、まことに有難うございます。

今週土曜日3月22日(土)の南無アッバの集い&平田講座は、皆さんの井上神父の思い出、また、神父の本や話の感想など、自由に語り、分かち合いたいと思います。

初めての方も含めて、アッバ神学に共鳴する方なら、どなたでもお出でください。

category: 南無アッバの集い&四谷講座

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井上洋治神父様の安らかな御顔  

大司教館に安置された神父様のご遺体に対面
「風の家」の方々と共に
半日ごいっしょさせて頂きました。

これまでのご苦労を思いつつも

何より神父様の安らかな御顔に
悲しみより安らぎ
寂しさより、これからずっと
すぐそばにいてくださる
静かな喜びが
感じられたのでした。

南無アッバ
南無アッバ
南無アッバ

category: 井上神父の思い出

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井上洋治神父様の葬儀ミサ日程  

3月17日(月)18:00~19:00 通夜
3月18日(火)13:00~15:00 告別式
於:東京カテドラル聖マリア大聖堂

お知り合いの方にも連絡を回していただけるよう、
お願い申しあげます。

「風の家」山根・平田

category: 井上神父の思い出

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井上洋治神父さま急逝  

突然ですが、
井上洋治神父さまは、3月8日(土)13:10
都内病院にて急逝されました。

ご葬儀等の日程は未定です。
決定次第、またお知らせします。

皆様のお祈りをお願い致します。
「風の家」山根・平田

category: 井上神父の思い出

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次回、南無アッバの集い&平田講座「井上洋治神父の言葉に出会う」は3月22日(土)13:30~  

第46回、内容予告「十字架のイエスの痛みをめぐって、井上神父のサンドメルとの出会い」
北森嘉蔵、井上洋治、青野太潮の神学を手がかりに、日本人とキリスト教について考え、分かち合います。

 初めての方は、サイドバーをご覧ください(場所等)。

category: 南無アッバの集い&四谷講座

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講座「井上洋治神父の言葉に出会う」第44回は1月25日(土)13:30~  

内容(予定)
・イエスの神性と人性--ヘブル書より


☚初めての方は、サイドバーをご覧ください。

category: 南無アッバの集い&四谷講座

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平田講座要約(第三〇回下~第三一回上)  

2012・11、12=テキスト『心の琴線に触れるイエス』
p・41D(続)
「アッバの働きの場」として、苦しみや挫折を「素直に受け入れよう」としても、私たちにはなかなか難しい。それで前回、これは井上神父はあまり触れていませんが、『ローマの信徒への手紙』四章五節を紹介したのです。

ここに出てくる「不信心(不敬虔)な者を義(正しい者)とする神」ということを、もう一度確認したいと思います。最近、「信仰と行い」を巡って、改めて「信仰義認論」や「贖罪論」をかじっているのですが、先日(二〇一二年夏)、井上神父様と話した時、私が「パウロ主義の基本は信仰義認ですよね?」と質問したのに対し、井上神父は、「それが簡単には言えない」との返事をされました。

ただ、「信仰義認」といったとき、カトリックはプロテスタントより馴染みがないかもしれませんが、私は福音の要だと思っています。
しかしこのローマ4・5をよく見ると、それは「行い」に換えて「信仰」で救われる、というのではないのですね。【加藤常昭説教集から該当箇所を紹介】

皆さんは、この話をどう読まれましたでしょうか。あとで分かち合いの時にでも感想を聞かせてください。わたしとしては――合理主義の否定ということが、まずあるのではないかと思うのです。

1+1=2ですが、こういう人間の合理主義を信仰にあてはめて、カトリックが、信仰+行い=救い、とか、プロテスタントが、いやいや、信仰=救い、だとか・・・こういうのは皆、人間の合理的論理的思考を、神様にあてはめた教義にすぎない、ということ。「勧善懲悪」や「贖罪」や「償い」という発想も、人間の算術的な発想、観念であるように思います。

神様の法則はそれをどんでん返しする、驚くべき「福音」だというのです。ローマ4・5は、業績や行いに換えての信仰ではないし、まして律法に換えての、あるいはそういう律法を集約して「愛を掟」化をしたものではないということ。大前提に、「アッバ」と呼べる神は、日頃は「神などいないかのように生きている」=「不信心・不敬虔」な私たちを「無条件」で救ってくれる!ということが言われている。

悲しいかな、こういうとすぐ、人間は極端に走る心配がある――(参考までに紹介=五木寛之『親鸞』「造悪無碍」=悪を働くこと障りなし=本願ぼこり、あるいは反対に「専修賢善」=ひたすら念仏し善い行いに励むべし)
けれども根本は、青野太潮先生がいうように、神の「無条件のゆるし」は、「もしかしたら人間をだめにしてしまう可能性をはらむ」程のゆるし=福音なのです!

そう聞かされても、すぐ「ホンマかいな!!?」と疑う、その私=まさに「不信心」な、ダメな私を、さらにその下に手を差し伸べて、抱き取ってくださる。疑って下へ、下へ落ちていく程に、もっと下の方から救い上げてくれる。そういう神様に信頼すれば、救われる――ここまでくると、もう信頼するしかない、と追い詰められちゃう感じですね(笑)。

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井上洋治神父の言葉に出会う(36)第31章7~10    

「風」第95号2013年冬掲載
七 <金持ちの男>

ここでわたしはさらに、『マルコによる福音書』一〇章にある、<金持ちの男>の話を思い出すのです。井上神父は『キリストを運んだ男』の中ではこのペリコーペについて触れていないのですが、かつてわたしは、勤務校の「世界文化史」という授業のなかで、生徒に次のように解説したことがありました。まったく聖書の予備知識がないことを前提とした、高校生向けのものではありますが、今度は当時の原稿から抜粋させていただきます。
――――――――
<――『マルコによる福音書』一〇章一七~二七節を引用(略)――

「ある人が(イエスの所に)走り寄って、ひざまずいて尋ねた。」(一七節)という記述からは、この人のそのときの気持ちが察せられます。
 かなり焦りというか、せっぱつまった感じです。
 また、「ひざまずいて」というのですから、この人はイエスを尊敬していたんでしょうね。
 今まで話したことはなかったんだろうけど、うわさで伝え聞いたりしてイエスのことはだいたい知っていた、すごい人らしい・・・・そんな感じでしょう。
 そして呼びかける、「善い先生!」と。やっぱりイエスを尊敬していたことを思わせる言葉です。

 ところが、イエスはこの呼びかけに対して、「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。」(一八節)と答えます。
 このイエスの最初の反応は、どうだろう?
 すぐ思いつくのは、イエスの謙虚さ、謙遜ってことだね。

 「自分は『善い先生』などと呼ばれるほどの者じゃないよ・・・・」という、偉い先生だからこその謙虚さ――。
 ただぼくは、それだけのことなのかな? と勘ぐっちゃいます。
 何かもう少し深い意味が隠されてやしないか・・・・どうだろう?
 ・・・(略)・・・
このイエスの否定の言葉をもう少し、つっこんで考えてみたい。単にイエスの謙遜の思いから発した言葉じゃない、ということをね。

 それで、この場面をもう一度、想像してみましょう。
 「ある人」はイエスに「走り寄って」、「ひざまずいて」、いきなり、「永遠の命を受け継ぐためには、何をすればよいのでしょうか。」といいます。
・・・(略)・・・
きっとこの「ある人」は、すごく真面目で一途な人だったんでしょう。
 それはこの後の一八~二〇節あたりのイエスとのやりとりからもわかります。
 人生、いかに生きるべきか、ってことを真剣に考えていたんだろうね。
 だからこそ、ともかく早くその解答を「善い先生」に教えてもらいたい、そういう気持ちが強かったんでしょう。
 
 「金持ちの男」は、神の掟をいっしょうけんめい守って、幸福をつかもうとしました。
 原文一九節の、「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」っていうのは、「モーセの十戒」といって、キリスト教が出てくる母胎となったユダヤ教では、基本中の基本の掟です。

 ユダヤ教というのは、こういう掟=「律法」を怠りなく守ることで、救いに預かれる、って信じている宗教です。
 でもこうした掟をいくらきまじめに守ってみても、どうも今ひとついきいきした充実感がない・・・・。先祖代々の掟をしっかり守れば救われる、と言われてきたのに、どうもちがう感じがする・・・・、とても正直で、誠実な青年の気持ちです。
 でもなんでだろう?

 ここからはぼくの読み、解釈になるわけだけれど、それは根本的に、自分がいっしょうけんめい掟を守ろうとすればするほど、「おれがこの掟を守る、おれが頑張る、おれ、おれ・・・・」という「おれ」意識にがんじがらめになっちゃっていたんじゃないかと思うんです。

 まじめに人生を考えよう、もっといきいきと生きていきたい、そういう希望を持つからこそ、一生懸命頑張る。でも頑張れば頑張るほど、「おれ」が頑張ってる、自分が努力している、という意識=「おれ」意識にかたまっちゃう。まわりで人が倒れていようが、目に入らない・・・・そこに根本の問題がある。なんか哀しいけど、これがぼくたちの現実なんじゃないかな、って思う。

 この「金持ちの男」はある意味でぼくたち人間の代表といってもいいんじゃないかな、と思えてくるんです。
 そこで、「善い先生!」という彼の呼びかけに対して、イエスが「わたしはそういう者じゃないよ」ってかわしたのがジャブだとすれば、二〇節、彼が、「先生、そういうこと(掟)はみな、子供の時から守ってきました」と胸を張って答えたのに対して、今度は二一節、イエスが、「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」っていうのは、ノックアウト。つまり、「金持ちの男」の「おれ」意識=自我(自己)中心性をイエスがたたいた、ということじゃないだろうか。
 
 でもね、「金持ちの男」に意地悪したんじゃないと思う。
 それは、二一節の「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた」という言葉からも明らかだ。
 この男を思いやって、彼の「おれ」意識、自我にジャブをかまし、ノックアウトしたんだと思うんです。
 そういうふうに、ぼくはこの話を読んでいます。

 ぼくたちはいつも、なにかにしばられている感覚とか、将来への不安、そういうものから自由になることを願っていないかい。どんな高尚な哲学を持ってきてもこの現実は否定しようもない。
 
 <その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。>(二二節)
 
 この話でイエスは、結果的に彼を突き放したように終わっているけど、そうじゃないと思う。
 「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた」(二一節)という言葉には、この男はけっきょく財産を捨てられないだろう、ってことをイエスが十分承知していた、というニュアンスも含まれているんじゃないかな。

 それでも、この男に自分の中の「おれ」意識に気づかせる必要があった。そうしなければ、この人にほんとうの幸せはこない、そう思ったんだろうね、イエスは。
 この男が無意識にこだわっていた「おれ」意識。それは、「財産を捨てろ」といわれて、やっぱり「捨てられない」財産へのこだわりとして顕在化(表面にあらわれること)、意識化された。気づかされた。
 ・・・(略)・・・>(「『おれ』意識――自己中心性の問題」(二〇〇八年)より)
――――――――――
このペリコーペは、ヨブに病を契機とした自我粉砕体験があったように、この「金持ちの男」にも、イエスによって自我中心性の気づきが与えられたことを述べているのだと思います。

八 福音記者の編集意図

ちなみに、このペリコーペの並行箇所を含む各福音書の前後の構成は次のようになっています。


『マルコ』一〇章以下:離縁について教える→子供を祝福する→金持ちの男→イエス、三度自分の死と復活を予告する
→ヤコブとヨハネの願い
『マタイ』一九章以下:離縁について教える→子供を祝福する→金持ち青年→「ぶどう園の労働者」のたとえ→イエス、三度死と復活を予告する
『ルカ』一八章以下:「やもめと裁判官」のたとえ→「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ→子供を祝福する→金持ちの議員→イエス、三度死と復活を予告する


 この表を眺めてみますと、件の<金持ちの男>(「青年」または「議員」)は、三福音書とも<子供を祝福する>の直後に置いています。歴史的には『マルコ』が一番古いので、マルコの編集に『マタイ』と『ルカ』がならったもの、うがった見方をすれば、これら二つのペリコーペをつなげた福音記者マルコの編集に、マタイやルカが同意したということだと思います。

 では、この二つのペリコーペの「つながり」にはどんな編集意図があるのでしょう。先にわたしは<善いサマリア人>と<マルタとマリア>の「つながり」の意図を想像してみました。同じように、以下はわたしの推測でしかないのですが、アッバ神学を学ぶ者として、次のように編集意図を考えてみました。

すなわち、<金持ちの男>に上に述べたような、自己相対化の契機を促す意図があったとすれば、その直前にある<子供を祝福する>は、その意図への導入、同意、強調、あるいは補足する意味があったのだろう。と。

『ルカによる福音書』における<金持ちの議員>は、件の<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>と同じ一八章に、<子供を祝福する>を挟んでその後に配置されています。この編集にも大事な意図を感じます。
井上神父は「幼子の心・無心」と題した『日本とイエスの顔』第八章で、次のように語っています。

<ルカがこの話(<金持ちの議員>:平田注)を、先程も引用した〝取税人とパリサイ人の神殿での祈り〟のたとえ話と、童心に帰ることをすすめたイエスの言葉とのすぐ後に置いているということを、私たちは見のがしてはなりません。ルカがこの金持の役人の話を、前の二つの話と連関したものと考えていることは明らかなことだといえます。

だからこそ、ルカはこの三つの話を一八章に並べて編集するという作業をおこなったのだと思います。そう考えれば、この話の中心点は、持ち物を全部売り払えという点にあるのではなくて、いちばん最後の〝人にはできない事も、神にはできる〟というイエスの言葉にあることがわかります。>(二一一頁)

九 「幼子の心」と自己相対化

一九八〇~八一年にかけて、井上神父の『日本とイエスの顔』の輪読会に出ていた頃(『すべてはアッバの御手に』「プロローグ」参照)、この「子供」の態度が推奨されているのは、その純粋無垢な子供のイメージではなくーー子供は子供なりのエゴイズムを持っている――そのストレートな他者依存性にある、と聞いてショックを受けたことを思い出します。

若かったわたしには、他者依存――人に甘えるということが、どうにもマイナスのイメージでしか捉えられなかったからです。
しかし「子供」の他者依存性――「幼子の心」は自己絶対化たるエゴイズム(罪)をこえた自己相対化と密接に関係します。

<①弱ければ弱いほど、みじめであればあるほど、不完全であればあるほど、神はその人を愛してゆたかな恵みを下さるのだ。
②童心に立ち返って、只ひたすらにこの神の深い憐れみの愛を信頼すること――それだけでよいのだ。
③エゴイズムや汚れなどというものは、神のふところに飛び込みさえすれば神がご自身できれいにしてくださるのだ。>(『私の中のキリスト』七三~七四頁、数字①~③は平田付記)

これは、本稿第三部ですでに引用した井上神父の言葉ですが、晩年に「わたしの人生はテレジアに始まりテレジアに終わる」と神父に言わしめた、リジューのテレジアの霊性――「童心・赤子」の道が、端的に示されています。
この機会にこの言葉を使って、井上神学――アッバ神学における「幼子の心」と自己相対化との関係を確認しておきたいと思います。

①「弱ければ弱いほど、みじめであればあるほど、不完全であればあるほど、神はその人を愛してゆたかな恵みを下さる」とは、
<わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。>(『マルコによる福音書』二章一七節)
というイエスの言葉を思い起こさせます。それは、
<悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる>(『マタイによる福音書』五章四五節)
アッバなる方の、無条件・無制限の「ゆるし」を意味しています。

②この「ゆるし」「愛」「恵み」をいただくためには、「童心に立ち返って、只ひたすらにこの神の深い憐れみの愛を信頼すること」、ただ「それだけでよいのだ。」
今わたしは「いただくためには」と書きましたが、ここで気をつけなければいけないのは、②が①の必要条件になっているのではない、ということです。①なるアッバの「恵み」「ゆるし」――「愛」は、文字通り「無条件・無制限」なのであって、こちら側――人間の態度によって、それに応じて変わるものではないのです。

一〇 「信仰義認論」とアッバ神学

この辺りのことは「信仰」と「行い」についてすでに述べたことと関連してくるのですが、パウロは、
<不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。>(『ローマの信徒への手紙』四章五節)
と言います。「働きがなくても信仰がある」というとき、「働き(行為・律法)」に代わる「信仰」があれば「義」=正しい者とされるのだ、という意味で「信仰義認」が語られることがありますが、この聖句ではそうは言っていません。

まず根本原理として、「不信心な者を義とする」と宣言しているのです。「不信心な者」とは、文字通りには「信仰のない者」「不敬虔な者」であり、なかには、「神を神とも思わない者」などと説明している解説書もあります。つまりそもそもが、その人の「働き」(行い、律法)も「信仰」すらも問題にせず、無条件・無制限にゆるされる、ということを宣言しているのです。

その上で、そうした無条件・無制限の「ゆるし」をお与えになる「方を信じる」――神はそういう方なのだ、ということを受け入れて信頼するなら、その「信仰」が「義」とされる、というわけです。
パウロの「十字架の神学」研究で知られる青野太潮氏は、次のように述べています。

<なぜならば、パウロの信仰義認論は、神なき不敬虔な者を、たとえ働きがなくても、行ないがなくても義とされる神の意志に基づいているのであって、信仰とはただその神の意志を受容することを意味しているからである(ローマ四・三以下)。つまり、神が義と認められるのは、その弱さと罪深さ、足りなさのすべてを内に含んだままの人間そのものなのであって、そのいわば陰の部分を取り除いた「良質」の部分だけを義と認められるわけではないということが、そこでは意味されているのである。

このことは、神はまさに人間の弱さのうちに働かれるということとひとつであるということと同時に、将来の完全な救いが何か現実の弱さを担った生身の人間とは質の異なった存在を指示するのでは決してない――もちろんパウロの考える将来の救いが、生身の人間と同じ肉体を伴っているなどという意味ではもちろんない――ということをも意味しているのである。>(『「十字架の神学」の成立』一一九~一二〇頁、傍線平田)

とくに『ローマの信徒への手紙』四章五節を中心にパウロの「信仰義認論」を語る青野氏の考えは、アッバ神学を補強してくれるもののように思います。というのは、右に述べた意味での「信仰義認論」――無条件・無制限に罪人を「ゆるし」――「人をだめにしてしまうかもしれない程のゆるし」(青野)――「しかり」を与える神を信じるということは、まさに「アッバ」と呼ばれるにふさわしい母性原理の神に信頼することだからです。

前述のとおり井上神父は、『ルカによる福音書』一八章の三つのペリコーペの並び方を見据えて、<金持ちの議員>の「中心点」は、
<人にはできない事も、神にはできる>(二七節)
――人の知恵にはどんなに不可能と思えることも、神には可能なのだ、というエスの言葉にあると結論づけました。そのことと、神が、先の「信仰義認論」にあるような、無条件・無制限の「ゆるし」を与える母性原理の神――アッバであるということとを考え合わせるならば、次のよう言うことができるのではないでしょうか。

すなわち、わたしたちは安んじて、自らの計らい――「エゴイズムに汚れているこんなわたしではダメだ」という恐れをこえて、「童心・赤子」の心に帰って、テレジアのように大胆に、いわば図々しく、このダメなわたしを委ねるべきだということ。そして、
③そのときから、わたしたちの「エゴイズム」や「汚れ」は「神がご自身できれいにしてくださるのだ」ということです。

これを、現在のわたしなりに敷衍すれば、むしろ、「エゴイズム」や「汚れ」をこえて、あるいはそのままで、十字架のイエスに示された、アッバの無制限・無条件の「ゆるし」と「しかり」のなかに、抱き取られていくのだ、ということになります。その有り難さのなかでわたしたちは、少しずつ変えられ、自己相対化の道を歩ませて頂けるのではないでしょうか。(つづく)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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明日、平田講座は予定通り実施します  

初めての方は、サイドバーの案内をご覧ください。

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平田講座要約(第二九回下~第三〇回上)  

2012・10・6=テキスト『心の琴線に触れるイエス』

以下の段落は、具体的なことも含めて、井上神父らしさがよく出ているところなので、少しずつ区切って見ましょう。

p・41C
「私たちが神の御手に摂取される」とは、救いのことです。そしてこの傍線部に、はっきりと、イエスの全生涯・苦しみを「通して」私たちが救われるのだ、と言う主張が見えます。

「通して」というのは、私たちとイエスが、同じ人間として苦楽を共にし、一体化、同化するということです。そんなことは畏れ多いという人がいるかもしれませんが、イエスをスーパーマンのように持ち上げてしまうばかりで、人間イエスにならうということがないと、そこのところに親近感といいますか、井上神父の言葉を借りれば、エンゲージできない。あとで青野太潮氏の「私もイエスのように」という話を紹介します。

また井上神父が「贖罪」とか「犠牲」という言葉を使っていないということにも注目したいと思います。少し補足しますと、「贖罪論」は、キリスト教の専売特許のように思われていますが、いろいろな宗教にみられます。パウロは消極的に、ユダヤ教からその伝統を受け継いだだけ、という見方も出来ます。またルカには贖罪論はありません。

しかし、パウロ以降の教会史を見ても、常にユダヤ教的キリスト教への揺り戻し、優位があったと言えます。しかし、律法(行為)義認を否定した信仰義認にこそ、キリスト教の新味があるのだと思います。

私見では、井上神学の立場からこれを見ると、行為義認は父性原理、信仰義認は母性原理に基づくともいえるように思います。

p・41D
これは一九八三年の講演ですが、その十年余り後に行われた「信仰の世界がもたらしてくれるもの」と題した聖書講座の抜粋を、拙著『すべてはアッバの御手に』に載せました。その中に、次のような件りがあります。

「自分の人生が、もっと大きい大自然の命が表現される場だと考えれば・・・・耐えることができる。」(一四六頁)
人の目から見れば、つまらない小さな人生としか思えなくても、そこに「アッバの働きの場」としての意味を思うなら、大きな意味がある。そこに生きて死ぬ意味がある。そのためには、苦しみや挫折を「素直に受け入れる」心、アーメンと同意するということが大切なのだと思います。その根拠は、十字架における神の「しかり」にあります。

毎月の南無アッバの集い&平田講座 於:四谷ニコラバレ 11/23(土)、12/21(土)

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(35)第31章3~6 「風」第94号2013年夏・秋掲載  

三 パウロの回心

<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>からイエス自らが語った「結論」――だらしない「徴税人」の祈りは神に聞き入れられ、立派な「ファリサイ派の人」の祈りは聞き入れられなかった――によって心を揺さぶられ、ファリサイ派パウロは「回心」した、と井上神父は言います(『キリストを運んだ男』三一頁)。もちろんパウロ自身が、直接イエスの口からリアルタイムにこの<たとえ>を聞いた、というわけではないでしょう。そもそも、パウロが地上のイエスをどれだけ知っていたか、ということ自体が明らかにされていません。しかし直接ではなくても、イエスから強烈な感化を受け「回心」した最初期のキリスト者から、右の「結論」と同じ衝撃を迫害者パウロが受けたであろうことは、十分に想像できます。

以下、神父はこの迫害者であるファリサイ派パウロがどのようにして「回心」に至ったかを、検討していきます。
繰り返しになりますが、件の<たとえ>のポイントとしてイエスが問題にしたのは、ファリサイ派の「人を裁く姿勢」(三三頁)――悲愛の欠如ということでした。曰く、

<一人の人間の生の哀しみや痛みや喜びを、己れ自身の心の鏡にうつし、感じとり、行為することが、アガペー悲愛とよぶイエスのもっとも大切にした心の在り方であり、そこからおのずか自らにほとばしりでる行為であるとするならば、ファリサイ派に欠けていたものは、まさにこのアガペー悲愛の心と行為に他ならなかったのである。>(三五頁)

井上神父はここで、パウロの問題を「主我的段階(主体的段階)」と「無我的段階(逆主体的段階)という、二つのキーワードを使って説明しています。これらの言葉は、前著『人はなぜ生きるか』にも見られますが(一六頁)、ここでは、件の<たとえ>に登場する「ファリサイ派の人」と迫害者パウロが同定され、回心前のパウロは、「自分のために神を求めている段階」=主我的段階にあった、と考えています。それゆえに「無意識のうちに神の座にすわり、他人の弱さや哀しみを裁いて」しまうことになります。

<しかもその主我的段階においては、天に代わるという、傲慢と思いあがりのもっとも大きなあやまち、罪の状態に落ちいるおそれがある。パウロによれば、本当の意味における罪とは唯一つしかない。それは神のまえに己れの義をたてることに他ならない。>(三六頁)

四 二種類の「罪」と「愛」

パウロの「十字架の神学」を精緻に説き明かす青野太潮氏は、パウロ文書における「罪」について、次のように述べています。

<・・・(略)・・・パウロも、この伝統的な贖罪論を多くの箇所で受容してはいるが、しかしそこで前提されている律法違反としての(複数で語られる)罪過とは異なって、彼自身の展開においては常に「罪」を単数で用いることによって、それ以上にもはや分割不可能な根源的な倒錯、そしてそれゆえに人間を支配するひとつの力をそこに見ている。>(『「十字架の神学」の成立』一九八九年、ヨルダン社、四六六~七頁)

あるいは、

<・・・(略)・・・直接的に贖罪論的にイエスの死を解釈する伝承においては、「罪」はすべて複数で語られている・・・(略)・・・それに対してパウロが彼自身の言葉で「罪」に言及する時には、ほとんど常に単数でそれを語っている・・・(略)・・・つまり「罪」が複数で語られる時、それはあれやこれやと数え上げることのできる罪、すなわち具体的な律法違反の罪をさしているのであるが、パウロはそれに対して、もはやそのようには数え上げることなどできず、むしろ人間存在を根源的に規定している罪、それゆえ人間を支配している力としての罪のことを考えているのである。>(同、五〇五頁)

ややしつこく引用しましたが、ここに語られている「二種類の罪」を整理すると、次のようになります。すなわち、①伝統的な贖罪論につながる、旧約の「律法違反」として「あれやこれやと数え上げることのできる」「複数で語られる」罪と、②「分割不可能な根源的倒錯」ゆえに「人間を支配するひとつの力」、「数え上げることができず、人間存在を根底的に規定している」ところの、パウロが常に「単数で語る」罪、ということです。そして井上神父の先の言葉で、「ファリサイ派の人」や「回心前のパウロ」の「主我的段階」として問題になった「傲慢と思いあがり」につながる「神の前に己れの義をたてる」「唯一」の「本当の意味における罪」とは、すなわち右の②の「単数の罪」に同定されるのだと思います。

 この二つの罪の区別は、「宗教」を「倫理」や「道徳」に直結させがちな日本人求道者にとって、重要な示唆を与えてくれているように思います。たぶん、わたしだけではないと思うのですが受洗前後、信仰を持つまでは何でもなかったことが、信仰を持った途端に気になり出す、という経験をすることがありました。
ここでわたしは本稿第一部で、有吉佐和子氏が一九五〇年代に、
<小説を書くようになる前から、・・・(略)・・・教会が示す戒律や規則や信者の義務を果たすことがしんどくなっていた>(『心の琴線に触れるイエス』一一六頁参照)

と言っていたこと、あるいは井上神父が、

<殺すな、姦淫するな、盗むなといったような根本的な道徳律すら、イエスの教えのなかでは決して第一義的なものではない>(『私の中のキリスト』二一頁)

と言っていたことなどを思い出します。こうしたことを取り上げわたしは、「道徳的キリスト教」の問題点を縷々述べてきたのでした。

そして第二部では「復活」解釈をめぐって、井上神学における「罪」概念を模索しました(『すべてはアッバの御手に』二、三)。それらを今思い起こしながら、右の井上神父や青野太潮氏の「罪」解釈を参考にすると、わたしどもが多く「罪」と感じているものの内容は、実はパウロがいう「複数で語られる」罪、すなわち旧約の「律法違反」に相当する、「あれやこれや」の罪(々)なのではないか、と思えるのです。いわば「細則違反」の罪といってもいいかもしれません。

このことからやはり思い出すのは、繰り返し考えてきた「為す愛」と「為さざる愛」に関する問題です。わたしが受洗後の一九八〇年代半ば、「為す愛」にとらわれていたことはすでに詳述しました。しかしそこでわたしが勝手に想定した「為す愛」の内実というのは、右の罪の二分類に類比すると、いわば「複数で語られる愛」――「細目的な愛」――「あれもしなければ、これもしなければ」という気持ちに「焦る愛」だったのではないだろうかと思うのです。

五 <善いサマリア人>に続く<マルタとマリア>

前章で『ルカによる福音書』の<善いサマリア人>について触れましたが、そのすぐ後には<マルタとアリア>(一〇章三八~四二節)のペリコーペが続いています。イエスをもてなすために忙しく立ち働くマルタと、イエスの足下に座って話をじっと聞こうとするマリアの話です。

実は、<善いサマリア人>とそれに続く<マルタとマリア>のつながりについて、だいぶ以前に井上神父に聞いたことがありました。すなわち、<善いサマリア人>と<マルタとマリア>の二つのペリコーペの連続にルカ以後の編集――順序の入れ替えや、間にあった他のペリコーペの削除など――の手が加えられたか、どうかということをです。

なぜ、こんな質問をしたのか、といいますと、はじめて<善いサマリア人>を読んだ(聞いた)とき、わたしたちはどう思うだろうか、ということを考えてみたのです。少なくとも、わたしが最初に思ったのは、以前受け持った「倫理」授業の生徒と同じく「とても自分は、このサマリア人のようにはできない」(「風」九二号、二九頁)、というものでした。多くの読者も同じように思うのではないか、そしてそのことを福音記者ルカもわかっていて、ゆえに直後、<マルタとマリア>を置いたのではないか、とわたしは推測したからです。

この話のマルタは「行いの愛」を、マリアは「心の愛」を象徴している、とよく言われます。わたしの言葉を使えば前者が「為す愛」、後者が「為さざる愛」ということになると思います。そして、直前の<善いサマリア人>を読んだ読者が短絡的に、「行いの愛」=「為す愛」に走ろうとするかもしれない、そのこと(の危険性、と言ったら過言でしょうか)をルカは知っていた。知っていたからこそ、(どちらかと言えば)「心の愛」=「為さざる愛」を促すこの<マルタとマリア>のペリコーペを即つなげたのではないかと、というのがわたしの想像です。

多分に勝手な想像とは思いますが、先のわたしの質問に神父は、〝原ルカ以降に、編集の手は加わっていない〟と答えるとともに、わたしの「想像」にも、〝なるほど〟と言ってくれたのでした。

本稿でも<善いサマリア人>を「行いの愛」「為す愛」に直結させることの危険については既に述べましたが、わたしやマルタの「あれもしなければ、これもやらなければ」という焦りは、やはり「複数で語られる愛」――「細目的な愛」から出たものだったのではないか、と思うのです。そしてそのときは、細目的な愛の律法に違反しているという意識はあっても、その根本を問うような――単数で語られる、「根源的な倒錯」としての罪という感覚は、希薄だったのではないだろうか、とも思うのです。

六 ヨブの回心

自己中心の主我的段階にいる人間は、常に罪の危険にさらされ、「人を裁く」ことになります。これに対し無我的段階とは、「神のまえに自分が相対化される世界であり、自分が従となり、神が主となられる世界」、「我に死んで真の自己に生きる世界」です。ファリサイ派パウロの回心体験とは、この主我的段階から無我的段階へ、自分が主から従へ、「我に死んで自己によみがえる転換」だったのだと、井上神父は考えます(三六頁)。

このあと神父は、旧約聖書の『ヨブ記』をたどって、パウロの回心をさらに深く考えます。それは『ヨブ記』が、「苦」の問題をめぐって、

<主我的段階から無我的段階への宗教的生の深まりを示している不朽の名作である>(三七頁)

と、井上神父は考えるからだといいます。

『ヨブ記』はしばしば、人の善悪に神の正義が対応しているかを問う「神義論」を展開しているといわれますが、神父は著者が当時のユダヤ教に根強い「因果応報的」「御利益宗教的」な考え方に「反論」しているのだといいます。「こんな罰を受けるようなことはしていない」と主張するヨブも、「いや、気づかないうちに何らかの悪事を働いた罰なのだ」と考える三人の友人も、根本は同じ因果応報・御利益宗教的発想に立っているのです。この段階のヨブ――「我」が粉砕される前のヨブは、主我的段階に留まっていたのだと、井上神父は考えます。

かつてわたしは、この『ヨブ記』について、拙著に次のように書きました。少し長くなりますが、再掲させていただきます。
――――――――
【神は答えず】
ヨブ記読む木蓮の花明りかな 大隅圭子
(『福音歳時記』四月)

旧約聖書におさめられている『ヨブ記』――ヨブという善人が次々と災難に遭い、「なぜ、自分は何も悪いことをしていないのに、こんな目にあわなければならないのだろう?」と悩む物語です。

一たす一は二、人間真面目に努力すれば必ずよい報いがある。そういう因果応報的な発想がわたしたちの日々のやる気を支えている、というところがたしかにあります。ですから、突然の事故や病気に遭遇したとき、わたしたちは愕然とし、そして憤慨するのです――「なんでこのわたしがこんな不幸な目にあわなければならないのか・・・・」、「なんであんないい人が早死にするのか・・・・」と。『ヨブ記』のテーマは、民族や時代をこえて語られてきた、人類普遍の問いといってよいでしょう。

『ヨブ記』は難解だとよくいわれます。その難しさは、右の問いに対する答えがはっきりとは示されていない、という点にあります。

ヨブが友人たちと議論を重ねていくと、突然神が次のように答えます。

主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。//これは何者か。/知識もないのに、言葉を重ねて/神の経綸(国を治め整えること)を暗くするとは。/男らしく、腰に帯をせよ。//わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。//わたしが大地を据えたとき/お前はどこにいたのか。/知っていたというなら/理解していることを言ってみよ(三八・一~四)。

このあと延々と、さまざまな自然現象や人事について、「~を知っているか?」「~ができるか?」と神の詰問が続きます。そしてとうとう、ヨブは神に降参します。

わたしは軽々しくものを申しました。/  どうしてあなたに反論などできましょう。/わたしはこの口に手を置きます(四〇・四)。
   ・・・・・・・・
あなたは全能であり/御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。/あなたのことを、耳にしてはおりました。/しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。/それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し/自分を退け、悔い改めます(四二・二、五~六)。

 しかし「主(神)」は、「善人がなぜ苦しむのか?」という疑問に一般的な答えを提示してはいないのです。ヨブはただ彼の実存において、全能の神の前に右のように応じて黙したのだと思います。そして神はヨブが「正しく語った」(四二・七参照)と認めます。一たす一は二のはずだ、という人間の思いこみや傲慢を捨て、自らの実存のなかで神に人生をゆだねること、『ヨブ記』はそう教えているのではないでしょうか。

 掲句、夕暮れどき「木蓮」の咲く窓辺で『ヨブ記』に読みふける作者。その「花明り」にふと気づいたとき、『ヨブ記』から彼女なりの解答を得たのかもしれません。「かな」には独自な感動が込められています。(『俳句でキリスト教』三二~三五頁)

 「一たす一は二」という合理主義的考え方を人生に持ち込むとき、わたしたちは「因果応報」「御利益宗教」的人生観を持つようになるのだと思います。「主(神)」が、神義論に対して、「一般的な」――合理主義的な答えを提示せず、ヨブが神の前に「黙した」という所に、因果応報説・御利益宗教に対する著者の批判が込められているように思います。この合理主義的な「思い込みや傲慢を捨て」て、「実存の中で神に人生をゆだね」よう、というのが、右のエッセイの趣旨です。

 井上神父によれば、この転換が起こった時、ヨブは主我的段階から無我的段階に移ったことになります。

 <私の理解によれば、初めの頃のヨブは確かに信心深かったけれども、まだ神と出会って己れの「我」が粉砕されるという体験を持っていなかった。即ち、主我的段階にとどまっていたのである。それが、さまざまの苦悩をへて、遂に「神の前に悔い改める」、すなわち無我的段階へと入ったのである。>(三九頁)

神父は、主我的段階から無我的段階へ転換するためには、「神と出会って己れの『我』が粉砕される」――自我が砕かれるという体験が必要だと言っています。(つづく)

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本日13:30、予定通り平田講座実施します。  

ちょっと雨模様ですが、お気を付けてお出でください。
初めての方はサイドバーをご参照ください。

category: 南無アッバの集い&四谷講座

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9月28日、南無アッバ・平田講座、予定どおり行います  

初めての方は、下記参考に。

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南無アッバの集い&平田講座要約(第二九回 上)  

2012・10・6=テキスト『心の琴線に触れるイエス』

復活において完成する救い、というテーマに入って、青野太潮神学を参考に、イエスの死と十字架を切り離して考える、その中で、贖いという問題をとりあげました。

伝統的な贖罪論の系列を考えるなら、罪=マイナスがゼロになるところまで、というイメージが強い。しかし井上神学にとっては、その先の復活で「澄んだ青空」のような、大きな希望のイメージがある。明るいイメージですね。私見になりますが、イエスの死までは怒られた子供が許されるまで、という感覚です。復活に行ってはじめてその子供が笑う。

ただ、使徒信条・信仰宣言のように時系列的に、十字架の次が黄泉に降って、次に復活して、昇天して・・・・ということではない。十字架即復活あるいは、イエスのサドカイ派との復活問答(マルコ一二章)から、イエスは御自身の復活以前にも、死人は生きている、という考えがあった可能性もある。

p・41
■十字架から復活へ
ここで「生老病死」にこだわったのは、やはり日本人にとっては、罪より四苦の解決の方が関心が深いと思ったから。
 病気・死・挫折など、人生のマイナスに逆説的に意義を見るキリスト教という視点は、遠藤さんも同じですね。その象徴としての十字架。ここも「十字架の神学」に通じる。青野氏によれば、「十字架」は「罪」や「贖い」に直結するのではなく、「弱さ」「愚かさ」「つまずき」に通じる。そこから逆説的に「救い」を見たのが、パウロ神学だと。

「十字架の逆説」とは、「人間にはどんなにそれが悲惨で弱弱しく見えようとも、神はそれを肯定的に見ている。そして、それでいいのだ、そこにこそ、神は「然り」を言っているのだ、と解釈する逆説」(青野『十字架の神学の展開』p・165、傍点平田)ということです。

また、「肯定的に思われることがらが常に即肯定的であるわけではなく、また否定的に思われることがらが常に即否定的であるわけでもなく、両者の間には、逆説的同一性が存在している」(p・175)という神学です。

毎月の南無アッバの集い&平田講座
於:四谷ニコラバレ 
9/28(土)、10/19(土)、11/23(土)

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本日13:30四谷講座あります。  

少し涼しくなるといいですね。
お気をつけてお出かけください。
南無アッバ

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南無アッバの集い&平田講座(第二八回)要約  

2012・9・15=テキスト『心の琴線に触れるイエス』

キリスト教における「救い」表現を日本的に考えよう、ということから、日本人キリスト者の例を見てきました。そして最後は遠藤周作さんの『侍』から、日本的信仰の方向性を考えました。

p・38
■復活において完成する救い
佐古純一郎牧師の神学では、わが「罪」の解決に重点があり、それにはまずイエスの「十字架」が必要であるといいます。こうしてそれは「贖い」信仰を強調するものでした。一方井上神学は、「苦」るしみに目が向けられ、そのためには十字架を含めたイエスの「全生涯」に注目することになります。ここから共苦(悲愛)を中心とする神学が展開されます。その結果、どちらかというと「十字架より復活」というニュアンスが強くなります。

ちょっと補足になるかどうか、最近わたしは、青野太潮先生というパウロ研究者(前回触れた田川建三さんのICU=国際基督教大学での教え子)の「十字架の逆説」という考えに惹かれています。その青野先生によると、「十字架」が「贖罪」に直結するという記述は、実は新約聖書には一つもない!というのです。そうではなくて、イエスの「死」が「贖罪」に結びつく。だから少なくともパウロ神学を考えるときは、まずイエスの十字架と死は区別しなければならない、と。

さらに余談ですが、作家の高村薫さん――『マークスの山』の直木賞作家ですが、この方が「中央公論」五月号で、「宗教は日本を救うか」というテーマで書いています。そこで御自身が浄土真宗に生まれ、カトリックからプロテスタントを経て――この方もICU卒ですが――高村氏が、なぜ最後に禅宗に行ったかということを振り返って述べており、大変興味深く、傾聴に値します。

その中で、日本人はなぜキリスト信者にならないのか、という問いに、「原罪」や「贖い」という考え方を受け入れがたいこと、そして「摂理」信仰も受け入れられない、といったことを体験的に述べています。
わたしには、先の青野先生の主張と共に、この高村氏の考えも井上神学を補足しているように思われます。

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本日、予定通り、四谷講座おこないます  

お暑い中ですが、お気をつけてお出でください。
初めての方、未信者の方ほか、
井上洋治神父の提唱する、
日本的キリスト教に興味のある方なら
どなたでもどうぞ!

くわしくはサイドバーをご覧ください。

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あさって5月25日(土)予定通り、四谷講座やります。  

初めての方は、左サイドバーをご覧ください。

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南無アッバの集い&平田講座(第27回)要約  

2012・8・25=テキスト『心の琴線に触れるイエス』
p・38
前回、救い「表現」を日本的に考えるということから、遠藤周作さんの『侍』を紹介しました。
今日はもう少し、『侍』(新潮文庫)から言葉を拾ってみましょう。「侍」といっしょに太平洋を渡った商人たちが、次々と洗礼を受けようとするのを、宣教師ベラスコが感慨に耽る場面で、次のように述べます。

「私の思い通りになったのである。自分がとったこの術策が多くの善良な基督教徒から非難されることは知っている。だが日本を神の国にするためには並みの手段では叶わぬ。たとえこの商人たちが利のため、取引きと商いとのために、主と洗礼を利用したとしても、神は洗礼をうけた彼らをお見棄てにはならぬであろう。一度、主の名を口にした者を、主は決して放し給わぬからだ。そう私は信じたいのである。」(一六八頁)

こういうような物言いは、この小説の文脈から推して、西欧キリスト教のずいぶん身勝手な見方のように思えますが、アッバの無条件のゆるしと抱擁性という、イエスの一番言いたかったことを念頭に置いて受け取れば、どんな下世話な理由で洗礼を受けても(受けなくても)、信頼一つで救ってくださるアッバを表現しているとも言えましょう。遠藤さんの信仰も、もちろん代弁している所があると思います。ちなみに、うちの奥さんの場合は、仏教のお葬式は暗くて嫌だ、というのが、最終的に受洗に踏み切った理由です(笑)。

「パードレさまたちがどうであろうと、私は私のイエスを信じております。そのイエスはあの金殿玉楼のような教会におられるのではなく、このみじめなインディオのなかに生きておられる――そう思うております」(二〇九頁)
これは、インディオの中に定住した日本人の元修道士が、「お前は切支丹を捨てたのか」と「侍」に聞かれて答えた言葉です。

その他、エスパニアでの司教会議の席のベラスコの言葉(二九一頁)、帰途再び出会う元修道士の言葉(四〇三頁)、評定所へ向かう時の名言(四七九頁)など、日本人としてキリスト信仰に生きようとする私たちに、大きな示唆を与えてくれます。

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(34)第29章『人はなぜ生きるか』における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>23、第30章「イエスのまなざし」における<たとえ>1~3、第31章『キリストを運んだ男』における<たとえ>1~2  

*「風」第93号2013年春掲載
二三 「信即行」としての祈りの模範

前号、<善いサマリア人>(『ルカによる福音書一〇章)から、
<隣人となるという悲愛の行為が、永遠のいのちを得るために要求される行為なのだ、というイエスの説明>(『人はなぜ生きるか』一三五頁)
を巡って、わたしたちは具体的にどうすればいいのか、ということを考えてきました。
そしてそれは、いわゆるガンバリズム――「後ろ鉢巻」で奉仕や人助けをする、というような短絡的なことではなく、「祈り」に象徴される「信仰行為C」によって自己相対化をはかること、何より第一義的には、「己れの心の汚さ」の自覚と「エゴイズムに汚れている自分の心への反省」が必要だということを学びました。

「私にとっての聖書」では、<善いサマリア人>の直後に、<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>が続きます。
<しかし口でいうのはやさしいことですが、実際にやってみると、私たちは誰しもが、隣人になるということの難しさをひしひしとはだで感ぜざるをえません。そして如何に自分の心がエゴイズムに汚れているか・・・・深く心の痛みを感じさせられる・・・・そのときイエスの嘉された取税人(以下「徴税人」と改:筆者注)の祈りが、私たちの口をついておのずからにでてくるのだと思われます。>(同)

 「条件行為B」や「応答行為A」としての隣人愛の「実践」に焦るのではなく、「人の思いを感じ取る」こと。しかしそれも容易にはできないわたしたちは、まず「エゴイズムに汚れている自分」を深く自覚すること。そのときわたしたちの心は、おのずと「徴税人の祈り」につながるというのです。

<徴税人は遠く立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った「神様、罪人のわたしを憐れんでください。」>(『ルカによる福音書』一八章一三節:新共同訳)
<自分の至らなさを恥じ、そしてわびるこの徴税人の祈りこそ、イエスが一番きらった〝人に石を投げ、裁く姿勢〟から私たちを守ってくれるものであるように思えます。>(一三六頁)

本稿第二部でわたしたちは、「至らなさ」の自覚や「恥」意識、また「申し訳ない」と「わびる」心が「罪意識」の日本的表現として、井上神学に多用されていることを見ました。(拙著『すべてはアッバの御手に』六七頁他)。

本エッセイ「私にとっての聖書」では結論として、そのような「罪意識」を持つ「徴税人」の姿勢が、わたしたち日本人キリスト者の常に振り返るべき祈りの模範として提示されているのです。そしてそれは、「〝人に石を投げ、裁く姿勢〟から私たちを守ってくれる」――「人に石を投げ」ず、「裁く」ことをしない「姿勢」――「為さざる愛」を自ずと促すこととなります。

<祈りとは、自分の小ささ、いたらなさを神の前に素直に認め、心をむなしくして、神の愛の息吹きを、天の風を、聖書の言葉でいえば聖霊を、心にお通し申し上げることに他なりません。>(同)
「信即行」としての「祈り」=「信仰行為C」から自ずと湧き出る「無心」――「心をむなしくして」「神の息吹き」=「聖霊」に身を委ねるということ。そして、時空を超えた「祈りによる聖霊の同時性」において聖書を理解する、ということ。「私にとっての聖書」はこのことを強調して結ばれます。


第三十章「イエスのまなざし」における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>

一 <たとえ>への思い入れ

『人はなぜ生きるか』にはもう一箇所、後半の「イエスのまなざし」――一九八一年刊の同名書とは別――と題した講話録に<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>が出てきます。この講話は、一九八四年六月に行われており、『人はなぜ生きるか』の「あとがき」(「一九八五年盛夏」)のほぼ一年前ということになります。

ということは、これはわたしの推測でしかないのですが、このところ長らく見てきた同書未発表エッセイ「私にとっての聖書」執筆とほぼ同時期になされた講演なのではないか、と思うのです。想像をたくましくするなら、件の<たとえ>が繰り返し話題にされるということは偶然ではなく、この時期井上神父のなかには、あの「リヨンでの回心」(「風」第八二号三九頁以下)を振り返るような心理的出来事が何らかあったのかもしれない、とも思うのです。このことは、前章の最初に述べた、わたしとの電話での神父の発言、
<その一文(「私にとっての聖書」)が書き下ろしなのは、「ファリサイ派の人と徴税人」の話を、あの本に入れたかったからだろう>(同第八七号三九頁)
との言葉からも伺えます。

「イエスのまなざし」では、ユダヤ教的メシア観を持っていた弟子たちが、生前のイエスを理解できず裏切ったこと(「一、ユダヤのイエス」)、しかし神の御手に迎えられたイエスは彼らをゆるし、愛してくれているという体験をしたことが語られます(「二、イエスの復活」)。

そしてタイトルと同じ――ということはここに主題があると推測できる――「三、イエスのまなざし」では、その「ゆるし」の「まなざし」がどのようなものであったかが解き明かされます。
すなわち、明治以来の日本のキリスト者に対するイメージは、本来の「イエスのまなざし」とは正反対のファリサイ派のものであり、このコントラストを浮き彫りにするために、かの<善いサマリア人>を語り、そしてここでも続けて<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>を話題にします。ただし前者については一頁ほどの解説なのに比べ、後者は数頁――次の項目にまで及んでいることは注目に値します。先にも述べたように、それだけこの<たとえ>が、当時の神父に強く意識されていたことを示唆するからです。

二 「ファリサイ派」の姿勢

井上神父は、この<たとえ>について、
<私たちもその場にいて、イエス御自身からこのたとえ話を聞いているつもりで読まなければいけないのではないか>(一七〇頁)
と述べてから、ファリサイ派と徴税人を対比しながら、非常にくわしく説明を加えています。そのなかで、「イエスのまなざし」を理解するための「重大な言葉」として、
<わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。>(『マルコによる福音書』二章一七節、新共同訳に改)
をあげます。

そうしてから神父は「四、イエスの悲愛」で<たとえ>に戻り、自らの罪に胸をたたいて「申しわけない」という「徴税人」の祈りが聞き入れられるであろうことには、自身傾倒するリジューのテレジアの霊性を引きつつ、理解を示します。

むしろ井上神父は、「立派な」ファリサイ派の祈りがどうして否定されなければならないのか、ということに注目します。当時の人たちも現代のわたしたちも、きっと疑問に思うだろうと。そういう「聞いている人達の価値観を全部ひっくり返して」「普通に立派であると考えられていることと全然違う次元のことをイエスは言ってる」(一七七頁)、そこに「ポイント」――「イエスのまなざし」の何たるかが示されている、というのです。

ここから「五、キリスト者とファリサイ派」に入って神父は、道徳的に「立派」ではあるけれども「裁きの目」で人を見るファリサイ派と、「人の悲しみのわかるまなざし」、「人の涙を感じとる心」を持つイエスとを、<罪深い女を赦す>(『ルカによる福音書』七章)、<姦通の女>(『ヨハネによる福音書』八章)等々のペリコーペに触れながら、鮮明に対比していきます。

<人に石を投げるというのは、イエスが一番嫌った姿勢です。なぜかというと、人に石を投げるということは、いつの間にか天に代わって人を裁いている、天に代わって人に石を投げているということだからです。>(一八四頁)
ファリサイ派的な「裁きの目」――「人に石を投げる」姿勢とは、「天に代わって」すなわち「神の代理人」となって人を裁くということです。その根本には「自分の力」に恃む驕り、傲慢、エゴイズムがあります。

この意味においてファリサイ派の「律法主義」は、先のABC三種の行為分類でいえば「条件行為B」に傾くきらいがありましょう。したがって、そのために「為す愛」があるとすれば、その危険性は、表面に現れた道徳的な善良さではなく、救いも愛も〝自分の力でできる〟のだという、自力信仰の驕りにあると言えます。そして、「自分はできる」という思い込み→「できない人間を裁く」という図式が自然に出来上がっていくのです。「自分はできる」と本気で思っている人にとって、隣の人の悲しみや痛み、涙を感じ取ることは至難の業だからです。

<キリスト者というのは、大体まじめで一生懸命な人がなる。そういう一生懸命な人たちが、一生懸命やっていますから、うっかりしているとファリサイ派の方にどんどん走るのです。>(同)
と井上神父が言うのは皮肉ではなく、キリスト者として常に心しておくべき忠告です。

三 エゴイズムを溶かす〝イエスのまなざし〟

では、イエスが命をかけて最も大切にした姿勢――悲愛はどのように実現するのでしょうか。
前エッセイ「私にとっての聖書」では、自らの「至らなさ」を自覚する「徴税人」の姿勢が、人を裁く姿勢からわたしたちを守ってくれることを学びました(二九章二三)。
本講話録「イエスのまなざし」では、次のように結論しています。

<一生懸命やりながら、ファリサイ派のようにならない、ふわっとした、やわらかな、隣の人の悲しみをうつす、そういうアガペーの心というもの、常に〝イエスのまなざし〟をみつめることが非常に大切なのではないかなと思うのです。>(一八五頁)

ここまで見てきたわたしたちは、この短い一文からも、井上・アッバ神学の三つの重要なメッセージを読み取ることができます。すなわち、「ファリサイ派のように」人を裁かずに、

①「ふわっとした、やわらかな、隣の人の悲しみをうつす」ことが「アガペー」の第一義であるということ。→「為す愛」より前に「為さざる愛」の重視。
②その「アガペーの心」は「イエスのまなざし」そのものであるということ。→悲愛はイエスの全生涯に体現。
③そしてわたしたちの具体的実践として、「常に」アガペーの体現たる「〝イエスのまなざし〟をみつめること」

この「〝イエスのまなざし〟をみつめる」という行為が、すなわち「祈り」であり、これまで述べてきた「行為C」また「為さざる愛」に同定されることはいうまでもありません。
こうして二つのエッセイ・講話からわたしたちは、自らの「至らなさ」「罪」を自覚する「徴税人」の姿勢を自分のものとするには、まず、「〝イエスのまなざし〟をみつめる」ということがキリスト者として最も大切なことである、という具体的なアドバイスを得ることができます。

結論として「〝イエスのまなざし〟を生きる」とき、
<その〝イエスのまなざし〟によって、私達のエゴイズムというものが次第に溶かされていく>(同)
――悲愛へと近づいていくのだと、神父は「日本人」キリスト者の「希望」を語ります。
ちなみに、「〝イエスのまなざし〟をみつめる」――イエスを凝視する、という具体的実践的教えは、本稿第二六章(「風」八五号)でとりあげた、井上神父のエッセイ「行を媒介とする真の自己獲得」において論じられた内容と一致します。その結語は次のとおりです。

<・・・神の悲愛は、「自己凝視」へとつながる「イエスへの凝視」と、「合掌・祈り心」とを忘れない限り、いつかキリスト者をあのイエスの姿へと少しずつ変貌させ近づけてくださるにちがいないのである。>(『イエスのまなざし』二五二頁)
このエッセイを末尾に置く一冊を(同名のエッセイを含まないにもかかわらず)、『イエスのまなざし』とタイトル付けした神父の思い入れが伝わってきます。

最後に、改めてこれらを年代別にながめてみましょう。処女出版『日本とイエスの顔』(一九七六年)から二年後に「行を媒介とする真の自己獲得」(一九七八年)が書かれ、『イエスのまなざし』(一九八一年)に収録されます。そして翌年、先に触れたサンドメルと出会い(一九八二年、「風」九〇号二八頁以下)、さらに二年後に聖公会聖マルチン教会において「イエスのまなざし」(一九八四年)が講話されています。続いて前章でくわしく見たエッセイ「私にとっての聖書」(一九八五年)が発表され、翌年、「風の家」が立ち上げられます。

こうして『日本とイエスの顔』出版から「風の家」設立までに次々と公にされる著作や講話のなかで、井上神父は繰り返し<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>を取り上げ、反芻し、その度に「悲愛」そのものである〝イエスのまなざし〟への思い、祈りを深めていったのだと思われます。


第三一章 『キリストを運んだ男』における<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>

一 サンドメルによる開眼

すでに述べたように、一九八二年二月頃サンドメルの『天才パウロ』に出会った井上神父は、神を「アッバ」と呼ぶ母性原理の強いキリスト教へと「着地の決断」が与えられ、八六年「風の家」を設立する運びとなったのでした(「風」第八〇号井上文、第九〇号拙文)。

 一九八七年刊行の『キリストを運んだ男』(講談社)は、このサンドメルの大きな影響のもとに書かれた一書です。その「あとがき」では、一九八二年一月の「シンポジウム」(戸田義雄編『日本カトリシズムと文学』所収)をきっかけに、石川耕一郎氏を通じてサムエル・サンドメルと出会ったことを述べながら、神父は次のように書いています。

<サンドメルの著作「パウロの天才」(『天才パウロ』:筆者注)をむさぼるように読みふけった私は、まさに目からうろこが落ちるに似た知的開眼を味わったのであった。新約聖書という書物の全体構造が、はじめて、わかった、という思いであった。>(二〇三頁)

ちなみに、この『キリストを運んだ男』が一つのきっかけとなって三年後、本稿でも幾度か取り上げた、佐古純一郎氏との対談『パウロを語る』(一九九〇年)が行われたのでした(同書「あとがき」)。

先に見た井上神父の「信即行」という発想も、「パウロの立場を中心課題として理解していこうとするサンドメルの視座」(「風」第八〇号一四頁)を踏まえた「新約聖書の全体的把握」のなかで、深められていったものではないかと、私には思われます。こうした経過のもとに、本書は「風の家」設立後、最初にまとめられた著作となります。

二 パウロの二つの顔

件の<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>については、そのものズバリのタイトルで第二章全体を割いています。
<私自身もサンドメルの著作に深く影響された関係で、ルカの「使徒行録」執筆の目的の一つは、パウロの思想を弱体化させ、エルサレム中心主義の流れの中にだきこむことにあったのではなかったかと思っている。>(二六頁)
本稿第二九章「五『アッバのあたたかさ』をこそ」では、井上神父とわたしとのやりとりのなかで出てきたコンツェルマンが指摘した、ルカの「救済史観」について触れました(「風」第八八号四五頁以下)。

しかし神父は「そういう流れ」――「旧約」と「新約」を直線的につなげることには「留保」、というよりむしろ反対の姿勢をとります。「旧約」-「新約」間の「断絶性」にこそ、イエスの教えの本質を見ているからです。このことも本稿で縷々見てきたとおりですが、サンドメルらが指摘するように、パウロは「生粋のユダヤ人」であるより、きわめてディアスポラ・ヘレニスト――反エルサレム的性格を持っており、その意味では「ルカのエルサレム中心主義」にとっては、目の上のたんこぶ的存在だったと考えられます。そのパウロ――信仰義認論を基本としたパウロ主義は、わたしたちが想像する以上に、当時の教会にとって大きな影響を与えていた、というのがサンドメルの主張です。

そしてもう一点大事なことは、パウロにはこの反エルサレム的性格と同時に、きわめてエルサレム的といっていい、熱心なファリサイ派としての顔があったということです。
<いずれにしてもパウロが、回心以前は熱心なパリサイ派(以下、「ファリサイ派」と改:筆者注)の一人であったということは、パウロの回心を理解するうえで極めて重大なことであったと思われるのである。>(同)
そして「イエスとファリサイ派との衝突の原因が、また深くパウロの回心と関係している」として、<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>を引用しています。

この<たとえ>についてこれまで見てきたことは繰り返しませんが、その「結論」――道徳的に立派な「ファリサイ派の人」の祈りが聞き入れられず、だらしない「徴税人」の祈りが聞き入れられたという逆説を、まさに「晴天の霹靂として受けとめ、身体の奥底からゆさぶりあげられた者」(三一頁)の一人として、「ファリサイ派パウロ」をあげていることに、この章の眼目があるのです。(つづく)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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今月は4月21日(日)です!  

日曜日ですので、ご注意ください。
時間はいつもと同じです。
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3月23日(土)第34回平田講座  

予定通り、実施します。
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南無アッバの集い&平田講座(第26回)要約:「余白の風」第201号掲載  

2012・7・28=テキスト『心の琴線に触れるイエス』

前回は、日本的に救いの「表現」を考えるということで、言葉や翻訳の問題から遠藤周作さんや三浦綾子さんを紹介しました。

p・38
遠藤さんは、「六十歳の男」(新潮文庫『夫婦の一日』所収――解説は井上神父)というエッセイの中で、四十代半ばで書いた『イエスの生涯』を書き直さなければならないと、言っています。大作『侍』(一九八〇年)を書き上げた後の発言ですが、これも最近新潮文庫で再読しました。これからの日本のキリスト教を考えるとき、いろいろなヒントがちりばめられていると、改めて感動しました。

遠藤さん自身が「この小説は僕の私小説みたいなものなんだよ。・・・・現在の僕の心境は、長谷倉の生き方、死に方の中に投影している」(解説「波」一九八〇年四月より)といっています。
今日は遠藤講座ではないのですが(笑)、日本のキリスト教を考える上で参考になりそうな言葉を、いくつか紹介します。

侍と旅を共にする宣教師ベラスコの言葉、「日本人は奇跡や業(ごう)の話には心惹かれるが、キリスト教の本質である復活やすべてを犠牲にする愛について語ると、途端に興ざめた顔をする。」(一一四頁)――「奇跡」というのはご利益信仰へ、また「業」というのは因果応報的発想につながるかもしれません。

情熱的なベラスコに侍と同行した松木という同郷者が言います、「仕方がないではないか。俺は日本に育ち、・・・・日本は烈しきことを好まぬ。俺にはベラスコ殿のような方は奇怪にさえ見える。」(一二二頁)――感性の違いでしょうが、この「烈しきことを好まぬ」というのはよくわかる気がします。

かつて、私が井上神父に出会う前、一九八〇年だったと思いますが、東京の後楽園球場で「ビリーグラハム大会」というのがありました。当時あちこちの教会を巡って求道を続けており、プロテスタントのどこかの教会で聞いて、私もその大会に出かけていったのでした。

たくさんの人が来ていて、それだけでも圧倒されましたが、球場の真ん中に据えられた舞台から、通訳を通して朗々と語りかけるビリーグラハム氏の姿――「大衆伝道」のすごさを目の当たりにしました。

ふと隣に座っている母娘連れを見ると、話の中で引用されている聖書箇所を熱心にチェックしていました。そして、「聖書の言葉と違う・・・・」とか二人の会話が聞こえてくるのです。「そりゃそうでしょ。英語聖書から通訳が翻訳して伝えているんだし、第一翻訳された聖書だって日本語も英語も何種類もあるんだから・・・」などと、つっこみを入れたくなったのを憶えています。

最後に、氏が「さあ皆さん! 私は罪を悔い改めて、神様の愛に身をゆだねますと、いま決心された方は、どうぞ前に出てきてください。さあどうぞ」というのです。そして、観客席のあちこちから、次々と人々が前に出て行きます。先ほどの親子も連れ立って降りて行きました。私にはとてもそんな勇気はありません。がらがらになった観客席で私は、自分だけが取り残されたような寂しさと、しかしこれは何かが違うのではないか、という割り切れなさを感じたのでした。

こうしてその時のことをいろいろ思い返してみますと、欧米からの直輸入ではない、「日本人の心の琴線に触れる」キリスト教というのを私なりに意識しだしたのは、この頃からだったように思います。

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本日、予定通り平田講座実施します  

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(33)第29章 三つの「行為」と二つの「愛」--ユダヤ人にはユダヤ人のように--「善いサマリア人」からの焦り--愛は自我行為ではない  

*「風」第92号2012年冬掲載
一九 三つの「行為」と二つの「愛」

前号では、神の愛への応答としての「行為A」、救いの条件としての「行為B」、そして祈りに代表される信仰としての「行為C」を、井上神父の言葉から抽出して、「信仰」と「行い」について考えてみました。そのなかで井上神父は、「行為C」を幅広く解釈し、強調していることが確認できました。

その具体を、「信仰」「帰依」「合掌」(祈り)「生きること」等々と敷衍していけば、それはたしかに、静的な信仰か動的な行為か、というような、単純な二律背反的「あれかこれか」の問題ではない、ということも了解できます。

<そういう意味では信仰と行為というのはそんなに対立するものじゃないかもしれませんね、広い意味に解すれば。>(『パウロを語る』一七七頁)

と神父が言うゆえんです。

このように福音に預かるために「行為C」を強調する神父は、ファリサイ派の自力救済的な「行為B」はもちろんのこと、救いの応答としての「行為A」をも殊更に奨励したり、強調するということはありません。

本稿第二部(『すべてはアッバの御手に』)では、「南無アッバ」の究極的な姿として、イエスのケノーシス(自己無化)的姿勢を見て取ることができる、という井上神学=アッバ神学からの結論を得ました。そこをスタート地点としてこの第三部を始め、イエスの--引いてはわたしたち日本人求道者の生き方のヒントとして--ケノーシス・タペイノース的姿勢をめぐって、井上神父の著作にあらわれた<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>を順次見ているところです。

これまでわたしは、「為す愛」と「為さざる愛」という言葉を使って、神父のいう「悲愛」が後者を強調している、とも指摘しました(「風」八二号四五頁他)。

この二つの「愛」は、どちらもわたしたちにとっては本来、右に述べた「応答行為A」の範疇にあるものと言えます。前号で触れたヒルティの「実践的愛」は、この「行為A」のなかで「為す愛」を強調していたのであり、それがわたしには「キリスト者かくあるべし」という「掟」として、息苦しく感じられたのだと思います。こうして、いつのまにやら、「応答行為A」と「条件行為B」が混同されていったのでした。

井上神父においては、「信仰」か「行い」かという「あれかこれか」の問題が、「信即行」という発想によって、乗り越えられ、あるいは少なくとも寛解しているように思われます。先に述べた焦り――キリスト者たるにふさわしい愛の業に励むべし!――のなかにいたわたしが、神父の「信即行」に触れて、直感的に安心感を覚えたのは、〝おまえの「信」はそのまますでに「行」になっているのだよ、何も特別なことをする必要はない、その信一筋でいけばいいのだよ〟そう言われているように思えたからでした。八〇年代半ば、受洗後四、五年のわたしが、「私にとっての聖書」の「信じることが行為」(信即行)という一言に接して、当時の緊張から解放されたのは、このような事情によるものと、いま振り返って思うのです。

二〇 ユダヤ人にはユダヤ人のように

『人はなぜ生きるか』中の未発表エッセイ「私にとっての聖書」で井上神父は、こうして「信じる行為の必要」(一三三頁)を述べた後、前述の『ヨハネによる福音書』の結びの言葉(二〇章三一節)以外に、「イエスはいのちを得るために何が必要かを説明」している箇所として、<善いサマリア人>(『ルカによる福音書』一〇章二五節~三七節)を挙げ、続けて件の<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>を置いています。本章冒頭に触れた、わたしの「勘違い?!」の「メモ」は、ここに記されています。

井上神父は当該エッセイのなかで、まず<善いサマリア人>を新改訳聖書から全文引用します。ご存知のとおり、このたとえは、福音書のなかで最も有名な話のひとつであり、これをどう読むかについても数多の研究や著作がなされています。高校「倫理」や「現代社会」の教科書・資料集などにも必ずといっていいほど、取り上げられてもいます。しかしここでは、わたしなりに井上神学の文脈から、読んでみたいと思います。

<善いサマリア人>で「律法の専門家」はイエスに、「永遠のいのち」=救われるためには「何をしたら」いいか聞いてきます。ただしその真の動機は、「イエスをためそうとして」のこと、とルカが解説しています。同じように彼が「では、わたしの隣人とはだれですか」とイエスに聞き返したときは、「自分を正当化しようとして」(岩波訳「自らを義としたいと望んで」)いた、とあります。こうしたことは、もし「律法の専門家」がイエスのアドバイスを聞いたとしても、まともにそれを受け取って何かをする気が、最初からなかった可能性を示唆しています。イエスはそのことを知った上で、以下のたとえを語ったのかもしれません。

しかしいずれにしろ、「律法の専門家」が求めたのは、「永遠のいのちを得るために要求される行為」なのですから、先の行為分類でいえば「条件行為B」ということになります。彼はユダヤ人ですから、こういう質問の仕方すなわち、何か特定のことをする(守る)ことによって救われると発想する――律法主義、行為義認につながる――のは自然です。もちろんイエスもユダヤ人だったわけですが、少なくとも安息日論争(『マルコによる福音書』三章)や清浄問答(同七章)に見られるように、相当に律法を相対視していたことは間違いありません。それゆえに最終的に十字架に追い詰められたといってよいでしょう。

しかしイエスはここで、「律法などどうでもいいものだ」とは言いません。ユダヤ教を超えていながら、ユダヤ人である「律法の専門家」に対しては、ユダヤ教の立場で――「律法には何と書いてあるか。・・・・」(二六節:新共同訳)「それを実行しなさい。」(二八節)などと応答します。ちなみに『ルカによる福音書』一八章の「金持ちの議員」に対しても、イエスは「・・・・という掟をあなたは知っているはずだ。」(二〇節)と答えています。ということは、少なくともこれらのぺリコーぺでは、イエスはユダヤ教的な律法・行為義認の立場から、彼らに答えを提供しているようにみえます。「ユダヤ人にはユダヤ人のように」(『コリントの信徒への手紙一』九章二〇節)とは、パウロ書簡の有名な言葉ですが、井上神父の強調するイエスの、あるいは新約聖書全般にわたっての「対機説法」的性格も含め、ユダヤ人イエスが同じユダヤ人の「律法の専門家」や「金持ちの議員」と問答をすれば、ユダヤ教の文脈のなかで行われるのは自然とも言えます。たとえ、イエスが本当に言いたかったことが別にあったとしても、です。

二一 <善いサマリア人>からの焦り

井上神父はこの中で、「律法の専門家」が「自分にとって隣人とは誰」かと問うたのに対し、イエスが「旅人にとって隣人は誰であったかと問いなおし」たことに注目します(一三四頁)。ここから、「隣人を愛するということは、」だれであれ「いま自分を必要としている人の隣人になるということであり、」この「隣人となるというアガペー悲愛の行為が、永遠のいのちを得るために要求される行為なのだ」と、イエスの考えを読み取っています(一三五頁)。

つまり、「救われるためには自ら隣人となる行為が不可欠だ」と言っているのです。この部分だけを読めば、八〇年代当時のわたしが感じた焦りを助長させる「愛の掟化」(条件行為B)、または「為す愛」のすすめのたとえとして読んでしまう人もいると思います。以前受け持った「倫理」の授業で、生徒に<善いサマリア人>の話を読ませ、感想を書いてもらったところ、この「あるサマリア人」の善良さに感動すると同時に、「とても自分にはできない」という意見が多かったことを思い出します。

縷々述べてきたように、「愛の掟化」に悩まされていた八〇年代のわたしが、このたとえを読んで不安になり、井上神父に教えを請う。『人はなぜ生きるか』に残された前述の、

<ルカ一五と一八章がイエスの眼目(井上TEL)>

とのわたしの「メモ」は、そういう心境のもとで書いたのだと思います。

「永遠のいのち」(救い)を得るために「何をしたらいいか」と聞く「律法の専門家」。「(愛)を実行せよ」というイエス。瀕死の人を懇ろに介抱する心優しい「あるサマリア人」。このように自ら「隣人となれ」と命じるイエス。そして井上神父自身もこのぺリコーぺを、

<隣人となるという悲愛の行為が、永遠のいのちを得るために要求される行為なのだ、というイエスの説明である>(一三五頁)

と受け取っています。それは、直前にあった「信即行」の発想と矛盾するように思われました。

「律法の専門家」とイエスのやり取りは、すべからく「条件行為B」を前提としてなされている、ということになります。わたしはまたまた、「山上の垂訓」のような厳しいイエスの「掟」に思い至るのでした。「救われたければ、おまえも行って同じようにせよ」と言われているように思うと、再びわたしは、「そんなことは無理です。でも何かしなければ・・・・いやできない」そういう焦りが戻ってくるように感じたのでした。

二二 愛は自我行為ではない

繰り返しになりますが、かつて井上神父から「日本人は倫理に弱い」と言われたように、キリスト教が日本に馴染まない最大の原因が倫理・道徳の強調にある、あるいは少なくとも、そのように見えてしまうから、というのがわたしの考えです。

<善いサマリア人>では、「永遠のいのちを得るために」、たしかに「隣人となるというアガペー悲愛の行為が要求」されています。それはイエスが言ったように最大の「掟」(『マルコによる福音書』一二章二八~三一節)には違いないのですが、だからといって、〝では自分もさっそく出て行って、困っている人を見つけ、隣人になろう、ならなければ!〟というような、自我が前に出て、律法主義的に――「条件行為B」としての「為す愛」を促すものではないのです。このことは本稿第三部(第二十二回以降)で、井上神父の<「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ>解釈から見えてきたことを振り返れば明らかです。

ここではそれを、神父の考える「救い」と「行い」そして「信仰」との関係をめぐって、当該「私にとっての聖書」以外に、本書『人はなぜ生きるか』に収録されている講演録・エッセイから少しく読み取ってみたいと思います。

<自我を「ひかえる」自己相対化>

<私たちの人生というのは、私たちが何かをし、それによって私たち自身を表現するものではなくて、神が――神という言葉がお嫌いな方は、私たちをささえている大自然の生命と受けとめてくださっても結構なのですが――私たちの生涯において己れ自身を表現させるものだ、ということなのであります。>(一五頁「宗教のこころ」希望がなくて生きられるか)

――わたしたちの人生の主役=主体は、わたしたち自身ではなく、アッバにある、と自覚することが、学問や芸術や道徳とも異なる「宗教の世界の核心」だということ。この言葉は直接的には、わたしたちが老病死の苦しみに出会ったときを想定して語られていますが、たとえどんなに善い「行い」であっても、がむしゃらに自我が前に出ることが抑えられ、「ひかえる」姿勢――「為さざる愛」が促されています。

<自覚行為としての祈りの必要>

<自分が主である世界から従になる世界に転換するのには、どうしても〝行〟ということが必要です。型に入るということはそういうことなのです。祈りにはいろいろなかたちがあるかもしれませんが、「祈り」というのも一つの行であります。>(二七頁「同」視点の転換のこと)

――前項のように「あちら様が主になって自分が従になる」「逆主体的段階」(一六頁)に入るためには「祈り」という「行」が「必要」なのだということ。すなわち、前述の救いに関する三つの行為分類でいえば、「信仰行為C」の必要が主張されているということです。

ただし井上神父は、

<祈りというのは、己れが従であることを、あらためてあちらさまの前に自覚する行為に他ならないからです。>(四八頁「日本人の宗教心」神聖な無)

とも述べています。祈りという「行為」が必要なのは、己れが従=脇役であることの「自覚」のためだということ。これは救いのための「行い」と「信仰」という、今問題にしている文脈にとって、見逃せない重要な指摘です。つまり、祈りとしての「信仰行為C」は、律法主義的な「条件行為B」のように、自力的に神の恵みを引き出そうとするための「必要」という意味で為されるものではないということです。

前号最後の段落(四〇頁以下)では、『パウロを語る』の一節から、井上神父の考える「信仰」と「行い」の関係を検証しました。そして「救済と行為」の流れを整理し、

<(神の)恵み→行為C→救済→行為A>

という結論を得たのでした。神の悲愛、ゆるしのまなざしは本来、太陽の光や慈雨のように、いつでもどこでもわたしたちに降り注いでいるものなのだ(『マタイによる福音書』五章四五節)、それこそがイエスが何としてでもわたしたちに伝えたかった福音でした。そういう意味では、わたしたちにはそれで十分であり、アッバの悲愛を引き出すために、それ以上何の「行い」も「祈り」も必要ないのです。しかしエゴイズム(自己中心)に汚れているわたしたちの心は曇った鏡のように、往々にしてアッバの悲愛を映し出すことができない。アッバの無条件のゆるしを素直に受け止め、受け入れることができないのです。そこに「祈り」「帰依」、少なくとも「尻を向けない」という、己れが従であることを「自覚する行為」が必要になってくる、ということです。「信仰行為C」とはそういうわたしたち自身のためにする「自覚行為」ということになりましょう。

<無心からおのずと溢れ出る悲愛>

そして、応答行為Aへとつながります。

三番目の講演録「日本の私とヨーロッパのキリスト教」は、本書のなかで最も早い時期、一九七七年のものですが、当時――処女作『日本とイエスの顔』出版直後の井上神父が、自らの「生き方」として考えていることを二つあげています。

一つは、日本のキリスト教を考える場合、「自然への親近感」や「聖霊」をとらえなおして、わたしたち一人一人が「自分の心情で」とらえたイエスの福音を、「自分の言葉で」語っていくということ。もう一つは、仏教でいう「無我」や「無心」ということが、イエスの福音においても非常に大切だ、ということです。

そしてこの「無心」「無我」に関連付けて、キリスト教の「愛」にアプローチします。すなわち、

<キリスト教でふつうに言う〝愛〟などというのも、イエスの姿勢などをじっと見ていますと、ふつうにキリスト教でいわれているものなどよりも、もっとずっと深い所に根ざしているような気がいたします。>(六一~六二頁)

と前置きしてから、わたしが<一九八五年十二月のTさん宛の手紙>(「風」八八号五二頁)に引用した部分を続けています。その主旨は、「悲愛」は「無我とか無心」と密接に関係し、そこから「おのずとあふれでてくる」隣人愛は、「後ろ鉢巻」の「努力と頑張りで」自分が「積極的に前にでていって遂行する」ものではない、ということです。つまり、「隣人愛」は「最大の掟」ではあるけれど、「他の掟」とはちがって、「無心・無我」から「応答行為A」として自然に湧き出てくるものなのだ、というのです。

すでにわたしたちは、神父が「新約聖書は救いのための実践指導書」であり、イエスを凝視する「祈り」=「行」の必要性を説いていることをも見ました(「風」第八五号二一頁以下)。この「無心・無我」は、「行」としての「祈り」すなわち「信仰行為C」に相関し、さらにケノーシス(自己無化)をめざす自己相対化、「南無アッバ」の道と方向を一にすることは明らかです。なぜならば、

<信じるということは、目をつぶってお委せしてついていくことであり、私たちの判断をも神にお預けする行為>(一三三頁)

だからです。

<第一に為すべきことは>

そして直後、この「隣人愛」――「悲愛」の「性格」を説明するために、ここでも件の<善いサマリア人>を引いています。もっともこちらの講演の方が、先の未発表エッセイより八年早いのですが、井上神父の着眼点・強調点は同じです。すなわち、「隣人を愛するとは、今自分を必要としている人の隣人となるということ」であり、その場合、「中心点を、自分から相手にうつして」いく、「相手の思いを中心にすえ」ること――思いやりが大切だ、ということです。

このことから、

<悲愛とは、その(1)人の思い哀しみ苦しみを自分に映しとり、感じとるところから(2)おのずから湧きでる行為である>(六三頁、(1)(2)は平田付記)

と定義しています。隣人愛=「隣人となる」ためには、「中心点を、自分から相手に移す」=自己相対化がはかられなければならない。そうしてはじめて(1)が可能となり、さらに(2)が「おのずから」続くという発想です。

大事なことは、井上神父の強調点が「自己相対化」及び(1)にあるということであり、あくまで(1)→(2)という順序・流れであって、(1)をスキップして表に現れる(2)を焦ってはならない、ということです。

<相手の思いを中心にすえず、ただ、そうだ、キリスト者は愛さなければいけない、などといってやたらに親切をしてみても、結果はしばしば、小さな親切、大きな迷惑ということにもなりかねないことになりましょう。>(同)

ここには、八〇年代のわたしのあの「焦り」がそのまま指摘されているように思います。

自己相対化から(1)への道――そこには「無我、無心に大へん近い」「柔らかな澄んだ心」が必要です。しかしエゴイズムに汚れている自分にはそれがありません。したがって、まず為すべきことは、「そういう心が欠けている自分、という自覚」、「エゴイズムに汚れている自分への反省」――

<イエスの水晶のように透明な、澄んだ心のまえで、己れの心の汚さを反省するという基本的な姿勢>(六四頁)

をとるということです。(つづく)

category: 連載「井上神父の言葉に出会う」

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明日、予定通り第31回平田講座開催します  

寒い中ですが、よろしかったらお出かけください。

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11月24日(土)南無アッバの集い&平田講座  

予定通り実施します。くわしくはブログサイドバーをご覧ください。
雨模様で寒いですが、お気をつけておいでください。

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祈りとは  

自分が主である世界から従になる世界に転換するのには、どうしても〝行〟ということが必要です。型に入るということはそういうことなのです。祈りにはいろいろなかたちがあるかもしれませんが、「祈り」というのも一つの行であります。

(『人はなぜ生きるか』宗教のこころ・視点の転換のこと)

category: 井上神父の名言

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平田栄一の本

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

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