「南無アッバ」を生きる ホーム »悲愛のこころ
このページの記事一覧

2019年9月【新刊】平田栄一求道俳句集4『星屑のアダム』  

星屑のアダム

平田栄一求道俳句集第4弾!
『星屑のアダム』

大活字なので、ご高齢の方にも読みやすい!

「俳句は祈り」をモットーに三十有余年続けてきた句作。
習作・実験作を含む祈りの軌跡。
本句集には、既刊3句集に採らなかった438句(最多)を収録しました。
04 hosikuzu-mihon
井上洋治神父の色紙画像(モノクロ)6枚を掲載


ヨブ記繙く雨上がりに残る雷鳴

一歩譲る度猫背になってゆく

冬晴れをゆるり歩めるイエスかな


ぜひご一読ください。

(A5版、187頁、ソフトカバー、定価1,500円+〒180円)

お申込みは直接、平田まで、メールにてご連絡ください。


category: ○著書

tag: 悲愛のこころ,アッバを呼ぶ,
tb: 0   cm: 0

求道俳句誌「余白の風」第240号  

2019.09.20発行
俳句や短歌をつくりながら、
「南無アッバ」の心を養いましょう。

作品とエッセイ *選評

名古屋・片岡惇子
蛍の火それぞれの傷の詩編かな
葬送の朝アッバ呼ぶ蝉時雨
神の意志の人の不思議や葡萄実る
涸びて天上に命マスカッット
遠雷や主の手の招く舟に乗る
主の平和炎上していく八月

*①「それぞれ」が持っている「傷」が一つの「詩編」になるという発見。苦しみの中にこそ希望をこめるキリスト信仰。②虫や鳥の声は、みなアッバを呼ぶためだったのですね。

練馬・魚住るみ子
裏木戸を押し開け蚊遣りくゆらせて床几に家族(うから)集ひし月よ
雨の日は外出叶はぬ傘と杖南無アッバとてくり返し祈る

*②いつでも、どこでも、祈りだけは自由です。先日、眼科へ行って満席の待合室で一時間、ロザリオを手指を使って祈っていました。不思議と待ち時間が気にならず、診察の不安からも解放される体験をしました。各連の最後に「南無アッバ」の祈りを加えています。

高知・赤松久子
野良猫よ台風(あらし)の昼は何処に居(お)る
濁流の溢れんばかり鏡川
鳥達も姿を隠し時を待つ
台風の過ぎれど雨は降り続く
時として荒ぶる神か大自然
安全なる場に常住し南無アッバ
いかにせむ足を庇はば肩痛む
ヨブを思ひ心なごみて南無アッバ

*今年も何度も猛烈な豪雨や台風が襲ってきました。特に四国・九州の方々にはお見舞い申し上げます。赤松さん、そうした心配や不安の中で次々に求道俳句が浮かんでくる。真剣な祈りのなかでアッバから安らぎが与えられる。

豊田・佐藤淡丘
この道や虫の声聴きとぎれなし
暗がりに迷ひし果ては虫の声
許すことここに覚えし虫しぐれ
水の上「ほ」の字を描く秋蛍
梢には秋蝉といふ毀れ物

秋の虫の声が賑やかになりました。
樹上を思いのたけで鳴いていた蝉たち、その見事な選手交替は、正に神さまの采配としか思えません。
天の聖堂を得た気分です。

*井上洋治神父が遺された大きな宝の一つに、私たち人間は、自然に学び、自然とともに祈るのだ、という教えがあります。
「空を行く雲、小川のせせらぎ、一輪の野の花が捧げる祈りに合わせて,私たちの祈りをあなたの御前で澄んだものとしてください。」
私たちも「天の聖堂」の中でアッバの「采配」=摂理をしっかり受け止め、南無の心で句作=祈りに励みたいと思います。

大阪・島一木
みてごらん 空ゆく鳥を 野の百合を
ソロモンの栄華にまさる白百合よ
数えられている 髪の毛の数までも
行きなさい 葡萄畑で働きなさい
無花果を下りてきなさい ザアカイよ

*聖書をほぼそのまま定型に置き換えた、といえばそうなのですが、私はこういう句は好きです。主観も季語もなくなって、まったく御言葉に南無している。

昭島・新堀邦司
孫からの絵手紙父の日なりけり
父の日のやや辛口のワインかな
あひ会うて点して恋の蛍かな
ほととぎす忍び音洩らす朝ぼらけ
母の日の遺愛の文語聖書かな

*⑤御母堂が遺していった文語聖書。聖書を読む、御言葉を聴くということは、ただ文字面を追って分析することではない。それを発した方、書きとった人、写した人、編集、印刷、販売、贈呈・・・・そして使った人、無数の人たちの心を自分の身の内によみがえらせることなのだ。

真白なる蛍袋の花房は火垂る宿るかと光り咲きいる  東京・山岸孝子

むさぼりて便利なものを追いもとめ生命の海を死の海にする  東京・富山紗和子

チョコレート製の原発震災忌  静岡・十一

*①②カトリック関口教会281号「こみち歌壇」より。
①生きとし生けるものたちの交歓がうれしい。
②人間はその強欲によって繁栄し、結局その同じ強欲によって滅びるのか。
③第2回俳句大学高坂明良特別賞特別作品より。「あまあま」と題した一〇句各々おどけ、諧謔味のなかに、意味深な不気味さ、人間への警鐘を感じさせる作品です。<三月の甘納豆のうふふふふ 坪内稔典>を思い出しました。

【新刊】『星屑のアダム』自解  蓮田・平田栄一

ヨブ記繙く雨上がりに残る雷鳴
一歩譲る度猫背になってゆく
冬晴れをゆるり歩めるイエスかな

*①②自由律初期、一九八六~七年の作。
①神義論という言葉を知らずに、ただキリスト教の神が唯一絶対善・愛の方なら、なぜ世の中に悪が存在するのかなど、頭でっかちにあれこれ考えていた。
②もともと猫背の私がますます猫背になる。
③二〇一一年の作。したがって、①②とは四半世紀の時間経過がある。
リスボン大地震(一七五五年)のとき神義論が浮上したように、現代の私たちもこの年3・11のなかで、神の愛と義について思いめぐらした。

【新刊】
『星屑のアダム』平田栄一求道俳句集4
星屑のアダム

〇「俳句は祈り」をモットーに三十有余年続けてきた句作の全貌を示します。

〇大活字なので、ご高齢の方にも読みやすい!

〇初心以来、自由律・定型と揺れながら、「求道俳句」にたどり着いていく、習作・実験作を含む祈りの軌跡。

〇本句集には、既刊三句集に採らなかった438句(最多数)を収録しました。

〇井上洋治神父の色紙画像(モノクロ)6枚を、それぞれの中扉に掲載しています。(上図参照)

〇A5版、187頁、ソフトカバー

〇定価1500円+〒180円

〇お申込みはハガキ、メールにて平田までご連絡ください。
ぜひご一読ください。

〇南無アッバの集い&平田講座(於・四谷ニコラバレ)日時9/28(土)午後1時半~。10/26(土)同、11/23(土)同

「余白の風」入会案内
*どなたでも参加できます。購読のみも可
*年六回奇数月発行 *年会費千円(送料共)
*採否主宰一任(本会の趣旨にそって添削する場合があります。)
*ブログ「南無アッバを生きる。」に掲載。
*お問合せ、入会希望は、メールにてお願いします。


category: 求道詩歌誌「余白の風」

tag: 悲愛のこころ,アッバを呼ぶ,
tb: 0   cm: 0

求道俳句誌「余白の風」第239号  

2019年7月号
俳句や短歌をつくりながら、
「南無アッバ」の心を養いましょう。

作品とエッセイ *選評

豊田・佐藤淡丘
狂ほしや雀砂浴び夏に入る
遠山の影を映してた水張る
葉桜や幹幹の声伝へ会ふ
老鶯や空の匂ひを連れて去る
陸封(りくふう)の悲しみ背負ふ蝸牛

 若者の犯罪者に向って、「あなたは役立たずだ」「怠け者だ」、あなたたちは、あなたたちは、と言って裁いているばかりでいいのだろうか。これもよく考えてみれば言葉の暴力だと思うようになりました。
 イエスさまが十字架の苦しみを自らおえらびになったように、凡てを神のみこころに委ね、「イエスの平和」を唱え、赦しを得たい気分になっています。
アッバ・アッバ・南無アッバ

*⑤「陸封」とは、もともと,海か海と陸水の両方に生活していた動物が陸水のみにとどまり,何世代も繰返すようになること。井上神父から生前お聞きした言葉のなかで、最も記憶に残っているのは、「人生というのは受け入れるものなのだ」(受容)ということです。受容があってはじめて変容がある。

高知・赤松久子
神父さまのCD届き南無アッバ
自然との関わりうすき身なれども
窓すかし朝風入れて南無アッバ
窓すかす風の薫りと鳥の声
住みなれし家を手放し南無アッバ
神奈川は遠くにありて想ふもの
首都圏はもはや外国南無アッバ
〝南無の札(ふだ)〟吾にとりてはご聖体
梅雨に入り物みな静か南無アッバ

*たくさんできましたね! ご不自由な体をいたわりつつ、前向きに生きられているお姿が彷彿とします。「CD」も「南無のお札」も天国の神父さまからのメッセージです。

大阪・島一木
信仰の 山を動かすからし種
鳥の巣をゆめみる種のねむりです
眠るまも 種は芽をだしのびてゆく
毒麦も 刈り入れまではそのままに

*福音書の「種まき」にちなんだ求道俳句的な作品。「種」は小さきものの象徴。その小さな身の内に大きな希望が隠されています。

昭島・新堀邦司
四人目の孫誕生
春風に乗つて来たりし便りかな
さきがけて緋寒桜の咲きにけり
春潮やしまなみ海道橋多し
外人墓地
十字架に今日の落花の惜しみなく
ノートルダム寺院炎上
聖母マリアの悲しみ深し受難週

*①おめでとうございます! <花咲き継ぎ人生き継ぎて神の業  栄一>血族のつながりをイエスの十字架の血ということと考え合わせると、狭い身内意識とはちがうものが出てきます。

名古屋・片岡惇子
蜘蛛の糸闇に一条主の光
蜘蛛の糸一筋よぎり主の心
老鶯(ろうおう)の天に轟く祈りかな
老鶯鳴く湖を潜りて時を待つ
夏の雨生かされし命黙に入る
楊(やま)梅(もも)の酸っぱき命ヨハネ読む

*③④「老鶯」は夏の季語。春の鶯が平地から山地に移って鳴くといういわれ。全句とも、老いと病のなかにあって南無の心で生きようとする作者の姿勢がよく出ています。お体ご自愛ください。

練馬・魚住るみ子
「思ひを越ゆる」より
果すべき責を終へたる夕べなり心の火照りいまだも消えず
人びとの思ひと力を頒ち合ひ併せ集めて成れりことごと
人の性は変はりゆくもの言挙げに今日はうれしき驚きを見ぬ
知らぬ間に思ひを越ゆる展開を心つつしみ感謝しまつる

*一つの物事を皆で協力しつつ仕上げようとするとき、それぞれの分担と責任のもとに、才能が生かされる。諍いや妥協もあろうが、キリストの体全体には、大きな調整力が働く。

蓮田・平田栄一
『アッバを呼ぶ』自解
神を呼び神を疎ましく生きている
不治の人見舞った日の妻強く抱く
不発弾眠る杜の蝉しぐれ
月満ちるとき花は花を忘れて咲く
いつも遅れてくる青年昭和ゆく

 句作初期の作品。①まさに自分の作品が初めて活字になったもの。今振り返ると、形式としては②③と共に、自由律として書いたのに、ほぼ定型になっている処は、のちの定型移行を暗示し、内容としては、神を求めながら「疎ましく」思っていたことは、のちの求道の長い道を予言していたように思う。

 
平田栄一 俳句関連著作
〇句集『求道俳句集』(品切れ)、『アッバを呼ぶ』(千円)、『悲愛のこころ』(千円)以上お申込みは、平田まで(〒一八〇円)
〇エッセイ集『俳句でキリスト教』(サンパウロ、一六〇〇円)こちらは、アマゾン等でも購入できます。


「南無アッバ」という生き方
**井上アッバ神学入門**
平田栄一
 日本人にイエスの福音のすばらしさを伝えたい、そういう一心で、生涯をかけてキリスト教を模索し、多くの人たちに感化を与えた井上洋治神父の信仰を、読者のみなさんに知っていただくには、何から説明したらいいだろうか、といろいろ考えてみました。
 何かと忙しい今の世の中、ともかくもそのエッセンスだけを手っ取り早く教えてくれ、という方がきっとおいででしょう。それで私としてはやはり、「風の家」の祈り、というものをお示しして、私なりの若干の解説をするのが一番いいのではないか、という結論に達しました。
 以下、この方針にそってお話しします。

風の家の祈り(二)

アッバ。
利己主義に汚れている私たちの心を、
あなたの悲愛の息吹きで洗い清めて下さい。
空を行く雲、小川のせせらぎ、一輪の野の花が
捧げる祈りに合わせて,
私たちの祈りをあなたの御前で澄んだものとしてください。
人々の弱さ、欠点,罪を裁くことなく,まずこれらを受け入れられた
御子イエスの悲愛の心に,私たちの心を近づけてください。
また,御子イエスが深い哀しみと痛みを背負って,
重い人生を歩んでいた人たちの心を映しとり,受け入れ,
友として生きられたように
私たちにもそのような人々の心を映しとれる友の心をお与え下さい。
苦しみも,哀しみも、喜びも,すべてをあなたの御手から
受け取ることによって,私たちの日々の生活が,
あなたの悲愛の息吹きの働きの場となることができますように。
主イエスキリストによって アーメン

 もう一つ、最後の井上神父の境地「南無アッバ」を織りこんだ祈りがあります。

  「南無アッバの祈り」

アッバ アッバ 南無アッバ
イエスさまに つきそわれ
生きとし生けるものと 手をつなぎ
おみ風さまに つつまれて
アッバ アッバ 南無アッバ

井上神父は二〇一四年の三月に八十六歳で帰天されましたが、神父亡き後も続けている南無アッバの集いでは、この二つの祈りを繰り返し唱えています。


〇南無アッバの集い&平田講座(於・四谷ニコラバレ)日時7/27(土)午後1時半~。8/24(土)同、9/28(土)同、10/26同。


「余白の風」入会案内
どなたでも参加できます。購読のみも可 
*年六回奇数月発行 
*年会費千円(送料共) 
*採否主宰一任(本会の趣旨にそって添削する場合があります。) 
*締切=偶数月二十日 
*ブログ「南無アッバを生きる。」に掲載します。
*〒振替口座00170・3・260909 平田栄一


category: 求道詩歌誌「余白の風」

tag: アッバを呼ぶ,悲愛のこころ,
tb: 0   cm: 0

過去はみな摂理と覚ゆ夏籠(なつごもり)  

-- 続きを読む --


category: 求道俳句一言

tag: 悲愛のこころ,アッバを呼ぶ,「余白の風」,
tb: 0   cm: 0

求道俳句誌「余白の風」第238号  

2019年3月号
俳句や短歌をつくりながら、
「南無アッバ」の心を養いましょう。

作品とエッセイ *選評

高知・赤松久子
思ひ出が現在となる蝉しぐれ
神父さま「南無キリスト」じゃダメですか(一般の人に説明しやすいです)
イエズスの祈りは常に「南無アッバ」
あわてるな時間たっぷり南無アッバ
介助され見学されて入る風呂
去りし人の残せし椿今日も咲く
朝ごとに野の花を見て南無アッバ

 食堂の同じテーブルに野草好きの方がいて、毎朝早く鏡川の土手を散歩して野の花(雪柳、ほとけの座、つる日々草など)を摘んでコップに挿して下さいます。私はもう散歩に出られませんが、おかげで季節の花々に触れることが出来、有難く思っております。

*②この他に「南無イエス」という方もいます。井上神父にとっては、イエスあるいはキリストは私たちに「寄り添い」(南無アッバの祈り)、私たちと共に御父に向って「南無アッバ」と唱えて下さる友のような方なのだと思います。そういう下地の中で、自然に「南無アッバ」が天啓のように口をついて出たのでしょう。それは理屈ではなかった。でも、それはあくまで井上神父の実存の中で示されたことだったのですから、他の「南無・・・」ではダメ、などとおっしゃるはずはないでしょう。日本人キリスト者として皆が試行錯誤してよいと思います。

水戸・谷島静江
セーヌより眺むる聖堂陽に映えて
ノートルダム仰ぎつ小路ミモザ散り
炎上のノートルダムや青き空
アレルヤの響ける中を散る桜
久々に安否語れり復活祭

*③今回のような事故、またスリランカでの教会へのテロ。現代の試練や人間の業如何に、と思わされる事件が続きます。確かなことは多くの祈りを必要としているということ。

大阪・島一木
道ばたの種は からすがついばんだ
太陽に枯れそう 岩の根なし草
ふさがってしまう 茨に落ちた種
よい土の種は百倍 実をむすぶ

*マルコ四章<「種を蒔く人」のたとえ>ですね。御言葉、あるいは聖書をどのように聞くか、ということが問われている。その土台はアッバの「愛」=「人を裁かない」にある。

昭島・新堀邦司
身中の鬼も老いたり追ひ出さず
春立つと大きく背伸びしてみたり
小包の届くやバレンタインの日
天界へ妹送る春の雪
千羽鶴手向けて春の別れかな

*自分が老いていく=周りも老いていく。老病死は有無を言わさず、私たちに何を大切にして生きるのか、を問うてきます。人生は宿題を与える学校のようです。

名古屋・片岡惇子
春雷や祈りを壊し主を隠し
非日常は主のみ心や花の雨
花影に隠れし命主見つけたり
青き踏むもたつく足を杖として
青き踏む湖畔に網引く主おわし
復活祭蝋燭たれ手に十字架

*②難しい句です。それだけに豊かに発想が広がります。「花の雨」という具象の裏側に流れている時間、そこに御心が・・・・。こういう句は好きです。

豊田・佐藤淡丘
仰ぐれば落花にひとり青みゆく
糸桜大地を覆ふ息遣ひ
峡谷を囲む喬木初音かな
今来たとお喋り上手初燕
花の屑円を描きて雨後の道

「おみ風さま」に背中を押されるようにして、近くの身体障がい者施設で「紙芝居」のボランティアを始めて早、十三年が経ちました。
 この四月を期に白頭の爺も引退をと、その幕を降ろしました。その昔、セールスマンという競争社会で育った〝冷たい男〟が、このボランティアで〝優しい男〟に変身したものよと、恥かしながら自分でもそう思うようになりました。正にアッバさまのお陰だと思います。
 南無アッバ、南無アッバ

*長年続けられてきたボランティアを終えられた由。ほんとうにご苦労様でした。たくさんご奉仕をされ、たくさんのお恵みをいただいたのですね。「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒20・35より)

練馬・魚住るみ子
長生きの日々はしんどいものと知るめでたくもありわびしくもある 南無アッバ
曽孫どちとハイ・タッチ交す百歳の笑ましげな顔誕生日かな

*①正直なお気持ちなのだと思います。先日ツイッターにこんな風に投稿しました。「ソクラテスは ただ生きるのではなく よく生きることだ と言った しかし、 母の特養に行くたびに思う ただ生きることが いかに大変で 有難いことかを」

求道俳句自解  蓮田・平田栄一
主と共に隠れし命山眠る
私たちは「キリストと共に死んで」(ローマ6・8)「共に復活させられ・・・共に栄光に包まれ」る(コロサイ3・1、4)とあります。それまでわたしたちの「命は、キリストと共に神のうちに隠されている」とも(同3)。ということはけっきょく、いつでもどこでも主と共にいることになるのです。

初雪やルルドの聖母粧(よそほ)ひて  小熊坂満邦
改心の言葉に追われ四旬節  中庭栞
広々と大海原に春の色  中村昇平
梅の香に行きかふ人の笑ひ顔  岡村康子

*①今や各地身近にあるルルド。②多数の「改心」、根本の「回心」。③万物にアッバのエネルゲイアが注ぐ。④万物生々に誘われる。

〇平田栄一求道俳句集 第2集『アッバを呼ぶ』(千円)第3集『悲愛のこころ』(千円)以上お申込みは、平田まで。〒一八〇円
〇『俳句でキリスト教』(サンパウロ、一六〇〇円)
こちらは、アマゾンでも購入できます。
   
南無アッバの集い&平田講座(抄)
〇第五二回(続14・10)
では、井上アッバ神学では、キリスト教の教義に直截関わる部分をどう表現しているのでしょうか、見てみましょう。
手近な2つの例として、「風」97号の巻頭詩を味わってみましょう。「編集室だより」にあるように、遺品のなかにあった、最後のお誕生日に書いた詩です。

 <「苦しみを共にわかちあいながら、一緒にお捧げする苦しみの奉献のお祈り」
 アッバ アッバ 南無アッバ
 どうか私たちが、いま、共通に味わわさせられている この苦しみと不安を私たちから、どうぞ取り除いてください。>

「苦しみをわかちあう」あるいは「共通の苦しみと不安」の部分は、皆と「共に」が強く表現されています。これは、イエス様を先頭に、「みなでぞろぞろ」という、あの佐古対談(『パウロを語る』)にあったくだりを想起させます。

<でも、十字架の苦悩と孤独と屈辱をまえになさって、ゲッセマネとよばれていたところで、アッバの御子イエスさまが、おとなえになられましたように、私たちにも、私たちの願いを超えた、まずは、アッバの思しめしを優先させてくださいますようにと、私たちが一緒にお祈りできる、お恵みと勇気とをおあたえください。>

ここでは「十字架」を「苦悩と孤独と屈辱」として捉えています。そこには、最愛の弟子たちに裏切られた「罪」の問題があるでしょうが、ここには贖罪論的な、罪のゆるし云々という思想は前面に出ておらず、十字架上のイエスの直接的な苦悩に思いを馳せていることが注目されます。先回触れた野呂氏の北森批判のなかにあった「戦後の日本人が共に苦しむ神を求めた」というくだりを思い出します。(つづく)

〇南無アッバの集い&平田講座(於・四谷ニコラバレ)日時5/25(土)午後1時半~。6/22(土)同、7/27(土)同、8/24同。

「余白の風」入会案内
どなたでも参加できます。購読のみも可 *年六回奇数月発行 *年会費千円(送料共) *採否主宰一任(本会の趣旨にそって添削する場合があります。) *ブログ「南無アッバを生きる」に掲載します。
*お問い合わせはメールにて、お願いします。


category: 求道詩歌誌「余白の風」

tag: 俳句でキリスト教,アッバを呼ぶ,悲愛のこころ,
tb: 0   cm: 0

求道俳句誌「余白の風」第237号2019年3月号  

余白の風 237号 2019-03 up.pdf発行しました。

初心の方へ:求道俳句の作り方
入会案内


category: 求道詩歌誌「余白の風」

tag: 悲愛のこころ,アッバを呼ぶ,俳句でキリスト教,
tb: 0   cm: 0

人生の主役はアッバ寒戻る  

 マタイ一七・二二~二三。イエスは「引き渡され・・・殺され・・・復活する(させられる)」――すべて受動態です。イエスの受難と復活は神が主導するものであったことが暗示されています。ひとりイエスだけではなく、私たちの人生の主役も、アッバなのです。このことを深く味わうとき、真の安らぎが訪れます。


category: 求道俳句一言

tag: 悲愛のこころ,アッバを呼ぶ,俳句でキリスト教,
tb: 0   cm: 0

層雲青年句会報創刊号  

SS001-1
SS001-2
SS001-3
SS001-4
SS001-5
SS001-6



category: 求道詩歌誌「余白の風」

tag: アッバを呼ぶ,悲愛のこころ,
tb: 0   cm: 0

アッバに呼ばれる  

『アッバを呼ぶ』自句補注  蓮田・平田栄一

ミサ毎に蕾やわらぐ桜かな

逃げ水を追うて迷いし羊かな

外灯に群れることなし冬の蝶

人生の帳尻如何に復活祭

神ともに在(いま)せば蒼し秋の空



*①典礼暦を人生の歩みとして。

②迷い込んでもアッバの方から探してくれる。

③孤独な道の果てに。

④ルカ16・19「金持ちとラザロ」参照

⑤イエスが見た青空


〇平田栄一求道俳句集
第2集『アッバを呼ぶ』(千円)
第3集『悲愛のこころ』(千円)
お申込みは、平田まで。〒一八〇円


category: 求道詩歌誌「余白の風」

tag: 第236号,悲愛のこころ,アッバを呼ぶ,
tb: 0   cm: 0

イエスの見た青空  

東京・岡村康子

ふる里の小路行く手に萩の花

水澄みてあざやかに映え青い空

大空の大樹の下の落葉踏む


*②「青い空」③「大空」。

井上神父の生涯の願いは、イエス様が見ていた空が見たかった、というものです。

同じ空を私たちも見ているはずなのに、イエス様はアッバの目で見えていたのでしょうね。


category: 求道詩歌誌「余白の風」

tag: 第236号,悲愛のこころ,アッバを呼ぶ,
tb: 0   cm: 0

日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

全記事表示リンク

リンク

検索フォーム

▲ Pagetop