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南無アッバの集い&平田講座の日程(2018年度)

平田栄一の新刊

求道俳句のすすめ





category: ○お知らせ・報告

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第101回「南無アッバの集い&平田講座」のご案内  

2018年11月24日(土)
PM1:30~
於:四谷・幼きイエス会

第100回記念講座に引き続き、新刊・求道俳句集『悲愛のこころ』を使って、
「俳句でキリスト教あるいは井上アッバ神学を考える」
というテーマで特別講座を行う予定です。

参加費:1,000円

どなたでもお気軽においでください。

前回欠席された方、初めての方、1回だけ参加の方も大歓迎!

どなたにもわかりやすいように進めますので、ぜひお出かけください。

今後の日程・会場案内図

★変更・中止のお知らせは、このブログにアップしますので、お出かけ前に今一度、ご確認ください。


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tag: 南無アッバの集い,平田講座,悲愛のこころ,
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共苦神イエス  

要約・南無アッバの集い&平田講座

(テキスト『心の琴線に触れるイエス』聖母文庫)

〇第五一回(続2)

野呂氏の論文から私なりに要約しますと、北森の関心は、贖罪論的なものに絞られており(p.6)、北森神学には、歴史の中の人間の苦しみに同情して、神が痛み苦しむという思想はないといわざるをえません(17)。

そしてまとめとして、神の「痛み」を本質としてしまうというところに無理があるのではないか(25)。

なぜなら、その思想は、痛み・苦しみをそれ自体で良いものとしてしまう危険があり、また苦しみ、痛みと愛は必ずしも比例しないからです。

私たちは、神が喜びであればこそ、救いを望むのです。


以上のような野呂氏の指摘は、井上神父の「・・・・それ【イエスの十字架の痛み】が父なる神にまで行ってしまうときつい・・・」を思い起こさせます。

結局、北森神学は、怒る神が前提の父性原理が強い神学、ということになると思います。

戦後の日本人が欲した苦しみを共にしてくれる神(=「共苦神」と呼ぶべきか)は、遠藤の同伴者イエス、井上のアッバ、また青野の「ために」でなく「ともに」のキリスト論など、いわば「母性神学」をしてようやく開花したといえましょう。


category: 求道詩歌誌「余白の風」

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試練からの出口  

ヨブ記   東京・横山光代

現世(うつしよ)の厳しさ識(し)りし夜更けにはヨブ記読まむと机に向かひぬ

主は与へ主とり給ふとヨブ記のことば心澄ませて脳(なづき)に秘めおく



*「神は真実な方です。耐えられない試練には逢わせず、そこからの出口も備えていてくださいます。」

(Ⅰコリント10・13より)


category: 求道詩歌誌「余白の風」

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復活の体  

練馬・魚住るみ子

年賀状の交換のみに互(かた)みにし変らぬ友情なつかしみ来(こ)し

相逢はぬ年月を経て姿かたち予想以上に変貌したる

気持のみ昔と変らず健やかに再会のよろこび限りもあらず

たちまちに時間は過ぎて又の逢ひ願ひつつも見送りにけり



*②お互いが同じように老いていっても、自分の目は昔の記憶のままで相手を見てしまいます。

しかし、「予想以上に変貌したる」「姿かたち」であればこそ、復活の体が愈々待望されます。


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日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

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