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南無アッバの集い&平田講座

平田栄一の新刊

求道俳句のすすめ





category: ○お知らせ・報告

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第107回「南無アッバの集い&平田講座」のご案内  

2019年5月25日(土)
PM1:30~3:00
於:四谷・幼きイエス会

内容(予定):
・sinsとSin
・罪業深重
・風の家の祈りの妙
・信仰の主体性
など。

参加費:1,000円


どなたでもお気軽においでください。

前回欠席された方、初めての方、1回だけ参加の方も大歓迎!

どなたにもわかりやすいように進めますので、ぜひお出かけください。

今後の日程・会場案内図

★変更・中止のお知らせ等は、このブログにアップしますので、お出かけ前に今一度、ご確認ください。


category: ○お知らせ・報告

tag: 心の琴線に触れるイエス,すべてはアッバの御手に,「南無アッバ」への道,
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過去はみな摂理と覚ゆ夏籠(なつごもり)  

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category: 求道俳句一言

tag: 悲愛のこころ,アッバを呼ぶ,「余白の風」,
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05/09のツイートまとめ  

yohaku5

三男坊が一昨年、母の日にプレゼントしたクレマチスが、去年は咲かなかったが、今年は咲いた。 https://t.co/YVvDsvjc7P
05-09 06:21



category: ツイッター記事

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求道俳句誌「余白の風」第238号  

2019年3月号
俳句や短歌をつくりながら、
「南無アッバ」の心を養いましょう。

作品とエッセイ *選評

高知・赤松久子
思ひ出が現在となる蝉しぐれ
神父さま「南無キリスト」じゃダメですか(一般の人に説明しやすいです)
イエズスの祈りは常に「南無アッバ」
あわてるな時間たっぷり南無アッバ
介助され見学されて入る風呂
去りし人の残せし椿今日も咲く
朝ごとに野の花を見て南無アッバ

 食堂の同じテーブルに野草好きの方がいて、毎朝早く鏡川の土手を散歩して野の花(雪柳、ほとけの座、つる日々草など)を摘んでコップに挿して下さいます。私はもう散歩に出られませんが、おかげで季節の花々に触れることが出来、有難く思っております。

*②この他に「南無イエス」という方もいます。井上神父にとっては、イエスあるいはキリストは私たちに「寄り添い」(南無アッバの祈り)、私たちと共に御父に向って「南無アッバ」と唱えて下さる友のような方なのだと思います。そういう下地の中で、自然に「南無アッバ」が天啓のように口をついて出たのでしょう。それは理屈ではなかった。でも、それはあくまで井上神父の実存の中で示されたことだったのですから、他の「南無・・・」ではダメ、などとおっしゃるはずはないでしょう。日本人キリスト者として皆が試行錯誤してよいと思います。

水戸・谷島静江
セーヌより眺むる聖堂陽に映えて
ノートルダム仰ぎつ小路ミモザ散り
炎上のノートルダムや青き空
アレルヤの響ける中を散る桜
久々に安否語れり復活祭

*③今回のような事故、またスリランカでの教会へのテロ。現代の試練や人間の業如何に、と思わされる事件が続きます。確かなことは多くの祈りを必要としているということ。

大阪・島一木
道ばたの種は からすがついばんだ
太陽に枯れそう 岩の根なし草
ふさがってしまう 茨に落ちた種
よい土の種は百倍 実をむすぶ

*マルコ四章<「種を蒔く人」のたとえ>ですね。御言葉、あるいは聖書をどのように聞くか、ということが問われている。その土台はアッバの「愛」=「人を裁かない」にある。

昭島・新堀邦司
身中の鬼も老いたり追ひ出さず
春立つと大きく背伸びしてみたり
小包の届くやバレンタインの日
天界へ妹送る春の雪
千羽鶴手向けて春の別れかな

*自分が老いていく=周りも老いていく。老病死は有無を言わさず、私たちに何を大切にして生きるのか、を問うてきます。人生は宿題を与える学校のようです。

名古屋・片岡惇子
春雷や祈りを壊し主を隠し
非日常は主のみ心や花の雨
花影に隠れし命主見つけたり
青き踏むもたつく足を杖として
青き踏む湖畔に網引く主おわし
復活祭蝋燭たれ手に十字架

*②難しい句です。それだけに豊かに発想が広がります。「花の雨」という具象の裏側に流れている時間、そこに御心が・・・・。こういう句は好きです。

豊田・佐藤淡丘
仰ぐれば落花にひとり青みゆく
糸桜大地を覆ふ息遣ひ
峡谷を囲む喬木初音かな
今来たとお喋り上手初燕
花の屑円を描きて雨後の道

「おみ風さま」に背中を押されるようにして、近くの身体障がい者施設で「紙芝居」のボランティアを始めて早、十三年が経ちました。
 この四月を期に白頭の爺も引退をと、その幕を降ろしました。その昔、セールスマンという競争社会で育った〝冷たい男〟が、このボランティアで〝優しい男〟に変身したものよと、恥かしながら自分でもそう思うようになりました。正にアッバさまのお陰だと思います。
 南無アッバ、南無アッバ

*長年続けられてきたボランティアを終えられた由。ほんとうにご苦労様でした。たくさんご奉仕をされ、たくさんのお恵みをいただいたのですね。「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒20・35より)

練馬・魚住るみ子
長生きの日々はしんどいものと知るめでたくもありわびしくもある 南無アッバ
曽孫どちとハイ・タッチ交す百歳の笑ましげな顔誕生日かな

*①正直なお気持ちなのだと思います。先日ツイッターにこんな風に投稿しました。「ソクラテスは ただ生きるのではなく よく生きることだ と言った しかし、 母の特養に行くたびに思う ただ生きることが いかに大変で 有難いことかを」

求道俳句自解  蓮田・平田栄一
主と共に隠れし命山眠る
私たちは「キリストと共に死んで」(ローマ6・8)「共に復活させられ・・・共に栄光に包まれ」る(コロサイ3・1、4)とあります。それまでわたしたちの「命は、キリストと共に神のうちに隠されている」とも(同3)。ということはけっきょく、いつでもどこでも主と共にいることになるのです。

初雪やルルドの聖母粧(よそほ)ひて  小熊坂満邦
改心の言葉に追われ四旬節  中庭栞
広々と大海原に春の色  中村昇平
梅の香に行きかふ人の笑ひ顔  岡村康子

*①今や各地身近にあるルルド。②多数の「改心」、根本の「回心」。③万物にアッバのエネルゲイアが注ぐ。④万物生々に誘われる。

〇平田栄一求道俳句集 第2集『アッバを呼ぶ』(千円)第3集『悲愛のこころ』(千円)以上お申込みは、平田まで。〒一八〇円
〇『俳句でキリスト教』(サンパウロ、一六〇〇円)
こちらは、アマゾンでも購入できます。
   
南無アッバの集い&平田講座(抄)
〇第五二回(続14・10)
では、井上アッバ神学では、キリスト教の教義に直截関わる部分をどう表現しているのでしょうか、見てみましょう。
手近な2つの例として、「風」97号の巻頭詩を味わってみましょう。「編集室だより」にあるように、遺品のなかにあった、最後のお誕生日に書いた詩です。

 <「苦しみを共にわかちあいながら、一緒にお捧げする苦しみの奉献のお祈り」
 アッバ アッバ 南無アッバ
 どうか私たちが、いま、共通に味わわさせられている この苦しみと不安を私たちから、どうぞ取り除いてください。>

「苦しみをわかちあう」あるいは「共通の苦しみと不安」の部分は、皆と「共に」が強く表現されています。これは、イエス様を先頭に、「みなでぞろぞろ」という、あの佐古対談(『パウロを語る』)にあったくだりを想起させます。

<でも、十字架の苦悩と孤独と屈辱をまえになさって、ゲッセマネとよばれていたところで、アッバの御子イエスさまが、おとなえになられましたように、私たちにも、私たちの願いを超えた、まずは、アッバの思しめしを優先させてくださいますようにと、私たちが一緒にお祈りできる、お恵みと勇気とをおあたえください。>

ここでは「十字架」を「苦悩と孤独と屈辱」として捉えています。そこには、最愛の弟子たちに裏切られた「罪」の問題があるでしょうが、ここには贖罪論的な、罪のゆるし云々という思想は前面に出ておらず、十字架上のイエスの直接的な苦悩に思いを馳せていることが注目されます。先回触れた野呂氏の北森批判のなかにあった「戦後の日本人が共に苦しむ神を求めた」というくだりを思い出します。(つづく)

〇南無アッバの集い&平田講座(於・四谷ニコラバレ)日時5/25(土)午後1時半~。6/22(土)同、7/27(土)同、8/24同。

「余白の風」入会案内
どなたでも参加できます。購読のみも可 *年六回奇数月発行 *年会費千円(送料共) *採否主宰一任(本会の趣旨にそって添削する場合があります。) *ブログ「南無アッバを生きる」に掲載します。
*お問い合わせはメールにて、お願いします。


category: 求道詩歌誌「余白の風」

tag: 俳句でキリスト教,アッバを呼ぶ,悲愛のこころ,
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